満洲でロシア兵が殺戮した日本人婦女子20万人の地獄に涙しない“非人間”安倍晋三の冷酷非道さは、どこから?──安倍のプーチン歓待は、“国際法”「領土は、道徳&《人間の尊厳》のシェルター」を蹂躙する“悪魔の祖先冒瀆”

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筑波大学名誉教授 中 川 八 洋

 安倍晋三とは、(他の全ての国会議員の共通する日本の根深い疫病ではあるが)日本国民としての意識もなければ、そのような魂などとは無縁である。総理職を長期化させる“人気”だけしか脳裏にない。

 国民とは何か。祖先への絶え間なき尊崇であり、子孫への限りない愛である。だが、安倍晋三の思考には、日本国を築いてきた祖先への尊崇どころか、そもそも「祖先」が存在していない。安倍晋三は、日本のこれからを担う未生の子孫のことを1㍉たりとも脳裏に浮かべることがない。  

 国家とは、墓石に眠る祖先と現世代と未だ生まれていない未来の子孫で形成される、永遠に存続する“歴史と血統の共同体”である。が、このような正しい国民意識が、総理の安倍晋三に全く無いのは、日本という国家が確実に衰落し滅亡することに繋がる。が、この事態を憂慮する日本人もどこにも見当らない。

 日本人は平成時代に入るや、安倍晋三という異形の総理に、国家とは何か、国民とは何か、の日本民族の根本精神が空洞的に欠如している怖ろしい事態にいささかの戦慄もしなくなった。日本人は、魂も精神も知も失った“生ける生物学的ヒト”に変質してしまっている。今や日本人は、法律上の国籍があるだけで、正しき意味においては日本国民ではなく、日本国民とは対極にある。

第一節 満洲ソ連軍の殺戮から日本人婦女子を救出した米国と蒋介石

 日本会議・神社本庁など日本の民族系の団体や江藤淳に始まる民族系論客とは、共産党と阿吽の呼吸で共同して、1983年頃から、徹底的に近現代史の歴史改竄に狂奔してきた。

 特に、昭和天皇の銃殺を含む天皇制廃止と日本民族の殺戮を目的とした悪魔の祖国反逆大東亜戦争を肯定する狂気を信仰する民族系団体・論客の、祖国日本と自国民・日本人に対して煮えたぎらせる憎悪感情は半端ではない。日本人皆殺しにかける民族系の血塗られた執念は異常を超えたレベルで、共産党と寸分の差異がない。このおぞましい事実については、ポツダム宣言受諾で日本の大敗北が定まった1945年8月以降の歴史が端的に証明している。特に、満洲邦人に対する民族系論客の徹底した意図的な隠蔽と無視の歴史偽造は、この事実に対する動かぬ証拠である。

日ソ中立条約の締結において全面否定すべき大東亜戦争を肯定する、民族系論客の“逆立ち狂気”

 大東亜戦争の真実と全貌は、戦争の敗戦確定直後に、明らかになった。敗戦国は、敵占領地から、自国民を本国に無事帰還させる困難に直面する。しかもこれは、主権喪失の敗戦国ではどうすることもできない。ポツダム宣言を敵国が誠実に履行するか否かの敵国まかせ、つまり敵国の文明性に委ねられる。  

 ポツダム宣言の敵国の誠実な履行は、①8月15日から停戦する事、②「在外」となった日本の軍人・軍属ならびに一般邦人を、それぞれ早期に「復員させる」「引き揚げさせる」事の二つである。ソヴィエト・ロシアは突然、8月9日にポツダム宣言に加わった。米英支と同等の原加盟国ではない。  

 表1は、日本の大東亜戦争が完全に狂っていた/間違っていたことを明らかにする。何故なら、日本が八年間or四年間弱、敵国とした米・英・蒋介石の支那三国は、ポツダム宣言を誠実に履行したことにおいて、正しい文明国であった。「文明」とは法的正義に悖らない/法秩序を優先することを意味するから、日本が信頼して共に歩むべき立派な国家だった。ポツダム宣言加盟国でないが、日本の敵国だった豪州とオランダも、ポツダム宣言を誠実に履行した。これらの国々と戦争を日本側から開戦した事ことにおいて、非は一方的に日本にある。

 一方、日本とは軍事同盟国ではないが、「日本の大東亜戦争中の友好国」ロシアは、ポ宣言の加盟国でありながら、ポ宣言の履行などまったくどこ吹く風と無視した。いや、無視するばかりか、ポツダム宣言の条件“停戦”とは逆方向の侵略戦争を続け、停戦している日本に対して、これこそ火事場泥棒のチャンスとばかり、日本の在外財産をロシア領土に運び込み、日本の固有の領土まで侵略し続けた。

 さらに、ポ宣言のもう一つの条件“一般邦人の早期引き揚げや軍人・軍属の早期復員”に違背し、前者についてはいっさいせず、後者については逆さにもシベリアに拉致・強制連行した。

表1;ポツダム宣言の加盟国の履行状態

 すなわち、終戦を迎えた時、大東亜戦争とは、日本にとっていっさいの敵性のない友好国や同盟国であるべき国家に対して開戦し、日本の本当の敵国と友好関係を結ぶ逆立ちした戦争だった歴史の真実が完全に証明されたのである。大東亜戦争を肯定する林房雄(極左アナーキスト)はむろんだが、一見では右か左かが不明の、江藤淳以降の奇天烈な民族系論客というナラズモノ評論家軍団が“「反日」を基底に燃やす転倒詭弁”を弄していることが、1945年8月以降の歴史の詳査において証明できる。

 精神異常者・西尾幹二に代表されるナラズモノ評論家の民族系論客は、日本国民の生命・財産ならびに国土(領土)について一切関心がない。このことにおいて、彼らは「日本国民」ではない。彼らは、その実態において(オルテガの言葉を使えば)外国から闖入した垂直侵略者といえる。

 良心なきことも加わり、外国人で日本国民でないナラズモノ評論家の民族系論客は、あらん限りに、日本国民の歴史を偽造し歴史を隠蔽する。この一つが、満洲における一般邦人を殺戮し放題の悪魔ロシアの蛮行隠し。歴史の隠蔽はまた、歴史の抹殺である。

ロシア軍占領下の一般邦人300万人と蒋介石支配の支那在住一般邦人のいずれが悲劇・悲惨?

 終戦時の「在外」日本人は、大まかな数字を読者に記憶してもらうために丸めるが、軍人・軍属が350万人、一般邦人が350万人の、合計700万人と覚えて頂きたい。厚生省引揚援護局の数字「660万人」(注1)は、ロシアに殺された員数を「40万人」少なく見せるための操作数字/改竄数字である。  

 旧陸軍省の後継官庁である引揚援護局は、GRU所属のロシア工作員で教条的共産主義者の美山要蔵・陸軍大佐(終戦時は陸軍大臣高級副官=陸軍省官房長)が全権をもって牛耳っており、モスクワからの命令で数字改竄は日常茶飯事だった。  

 ともかく、この700万人のうち、ロシア占領下の軍人・軍属・一般邦人は300万人で、在外邦人全体の43%をしめていた。ロシアは、占領下で海外との通信を完全に途絶し、占領地帯すべてをロシアが生殺与奪の絶対権力を持つ広域刑務所にした。つまり、満洲、朝鮮北半、樺太の情況は、いっさい日本本土には伝わってこなかった。  

 そして、(主権喪失の日本国に代わり)ロシア占領下からの邦人救出に全力をあげたのが、米国であり、蒋介石であった。満洲地区を例とすると、仮に米国と蒋介石の努力がなければ、(在大連の邦人を除くが)満洲邦人が「100万人」も帰還できることなどあり得ない。「2~30万人」がせいぜいだったろう。

 男狩りでシベリアに拉致・強制連行された「25万人」の日本人一般男性を除いて、「20万人から25万人の婦女子&老人」が故国の土を踏まず凍土に野晒しとなったが、この犠牲者数が「100万人」になっていたはずだ。

 何故なら、満洲を支配するロシアも毛沢東の中共も、日本人の帰還に一斉の関心がなかった。だから、何にもしなかった。一時期、満洲南部を押さえた蒋介石が満洲日本人難民を葫蘆島に列車を仕立てて移送してくれたことと、米国の満洲唯一の占領地「葫蘆島」を米国が一般邦人引き揚げ用の港に提供するばかりか、①執拗に帰還させろとロシアに圧力をかけ続け、②引揚げ輸送の上陸用舟艇とLSTを日本に貸与してくれたから可能になった。しかも、この船に米国は、引揚者が元気が出るだろうと日の丸を掲げてあげた。

 葫蘆島で日の丸を見た一般邦人は、それだけで涙を流して感動したのである。そればかりか、米国は引揚船が着くときのみ、占領中禁止だった日の丸を、「お帰り、祖国日本へ」と、博多港に掲げさせてくれた。この日の丸に甲板から引揚者は、こぞって再び号泣したのである。

 尚、支那本土の一般邦人も軍人・軍属も、ほとんど無傷で帰還した。蒋介石は偉大な軍人。日本人が永遠に讃えるべき、日本の恩人である。

 だから、この支那本土から帰還した邦人と、ロシアが占領した大連(日本の租借地「関東州」で満洲帝国ではない)と満洲帝国の邦人とは天国と地獄の差となった。この事実において、蒋介石との日中戦争を推進した近衛文麿や武藤章そして東條英機を断じて許してはならない。また、日ソ中立条約を締結して、ロシアの満洲侵攻を誘導した“外患罪の大犯罪者”松岡洋右を断罪する手を真正な日本国民なら、決して緩めてはいけない。

第二節 ロシア兵の日本人婦女子大量殺戮を知らずに対ロ交渉するな!

 民族系論客とは、軽重の差異はあるが、歴史事実に全く無知な無教養人である。なのに、雑文にもならないハチャメチャ歴史評論を書き殴る。まさに、民族系論客は、歴史の歪曲と改竄をほしいままにするクズ人間たちと言えるだろう。

 その極端なケースが精神異常者の西尾幹二。西尾は、“歴史とは小説である”と嘯き、真赤な嘘歴史も「俺様が書いたのだから、真実だと信仰すれば真実なのだ」と、カルト宗教の教祖として歴史を徹底的に偽造し続ける。 

 さらに、民族系論客のほとんどは(全員は?)、多かれ少なかれ、(ロシアKGBの濃い工作下で)北朝鮮人の操り人形となって、「反日」歴史雑文評論を書いている。ニーチェ・ヒトラー狂の分裂病系狂人・西尾幹二はその極端なケースだが、渡部昇一、櫻井よし子、八木秀次、小堀桂一郎ほか多数がこの範疇にある。日本会議の事務総長・椛島有三も、暴力団的な恐喝が本業だが、北朝鮮人でロシア対日工作員の名越二荒之助にどっぷり洗脳された“金日成史観”の狂信者である。

満洲でのロシア軍の蛮行を下敷きにした、吉田清治の嘘歴史「従軍慰安婦強制連行の光景」  

 一例をあげよう。民族系論客は、極左学者と死闘の論争をすべき数百ある近現代史の重要争点歴史と、簡略的に言えば、たった一つだけ(or二つだけ、備考)を例外としていっさい論争したことがない。歴史偽造や歴史隠蔽に関して、民族系は共産党・朝日新聞と共同行動をとってきた。「保守主義」の竹山道雄や私(中川)のように全面対決しているわけではない。

 このただ一つの例外とは、「共産党員・吉田清治と朝日新聞の共同情報犯罪によって世界に拡散させられた《朝鮮人女性の戦場性奴隷のための強制連行》は真赤な捏造歴史だ」という主張。

(備考)「二つある」との説は、「南京虐殺」論争を含めている。  

 民族系論客は、歴史の学的教養をいっさい欠如するトンデモ素人のため、吉田清治が、捏造歴史『私の戦争犯罪──朝鮮人強制連行』を書くに当って、何を下敷きにして妄想たくましく創作したのかについて無知。だからこれについての言及がない。また、吉田清治の噴飯物の真赤な詐称職業が明白なのに(注1)、これすら指摘できない。吉田の「済州島“女狩り”強制連行」捏造小説の嘘話は五十頁を超える長さなので、以下にほんの一部だけ引用する。  

「この工場の中で捕えた娘は十二人で、…トラックへ追い立て始めた。…次の建物に向かった。三十人ばかりの女が静かに蹲っていた。年とった女は追い払って…残った若い娘たちをトラックヘ連行した」(注2)。   

 島あげて“強度の親日”済州島のコリアンが異口同音に強く否定するように、済州島史にはこんな法螺話/嘘話は噂や冗談ですら存在しない。悪質な妄想話なのは自明なこと。が、この引用文を「満洲“女狩り”強制連行」の歴史というならば、真実が描写されている。

 年齢的に私より上の世代でまともな愛国心ある教養人ならば、満洲引き揚げ者からその陰惨・残虐な満洲占領中のロシア軍の女狩り/男狩りの実態を、子供の頃に聞いて記憶している。だから、吉田清治の偽情報本を共産党が出版した時、「満洲侵攻ロシア軍」を「日本軍」に、「満洲」を「済州島」に摩り替えていることを直ぐ見破った。

 満洲に日ソ中立条約に侵犯して侵略したロシア軍は、その占領中、村や街や収容所を回り、若い日本人女性を見つけ次第、トラックに放り投げるように乗せて、建物の中に集め、地べたであろうと素っ裸にして死ぬまでレイプし続けるのが常であった。抵抗すれば、その場で射殺した。満洲からの引き揚げ者の中で、高等女学校の女学生や小学校高学年の女子生徒がほとんどいないのは、ロシア兵の女狩りで凌辱殺戮(自殺を含む)されたからである。

 十歳の女児に飲まず食わずで、一日20~30名、三日間昼夜を問わず巨体のロシア兵に代わる代わるレイプされて、生きている事などあり得ない。この余りに悲惨な地獄絵ゆえに、このような情況から耐えて生還し祖国に引き揚げることのできたごく稀な少数者(婦女)は、その悲惨過ぎる酷さゆえに、戦後日本で自らの体験を決して語らなかった。

 かなりの数の“ロシア占領下の満洲体験記”が出版されているが、それらは実は、幸運な満洲引き揚げ者が見たり聞いたりした“二次体験記(目撃記)”といえる。レイプ殺戮と餓死・凍死した20万人を超える、野辺に骸となって野犬に食われ墓もない日本人婦女子は、冥界からでは「一次体験記」を書き残せなかったのは当然。

 死に際して彼らはさぞ無念だったろうと、我が祖先である彼らに胸を痛める時、本テーマの研究作業中の私の手は、しばしば凍えて動かない。なお数字「20万人」は控えめ。「25万人前後」が実態だと推計される。

悪魔ロシア人蛮行の“地獄絵”日本女性凌辱歴史を隠蔽した、共産主義者と民族系の“共同犯罪”

 これら“満洲体験記/回想録”は百冊をはるかに超える。そこで、うち日本国民ならば最低限読むべき本をここでとりあげ、ほんの一部を紹介しておく。  

「(1945年)十月の奉天の朝と夜は(厳寒で)暖房なしにはいられなかったが、中旬過ぎには北満の奥地から戦禍を逃れて続々と南下してくる(北満洲)開拓移民団の避難民が数十日(ほぼ一千㎞)も歩き続けた長途の疲労と飢餓で、奉天に着くや(道端で)バタバタと倒れるのだった(死んだ)」。

「ぼろを(身に)纏っている者はよかった。腰に筵を巻いて垢にまみれたまま、(裸体の背中部分か前の部分か)前後の区別もつかない(途中で支那人暴民に襲われ下着のパンツまで奪われて)全裸の婦女子もあった」(注3、カッコ内中川)。

 ロシア兵による残忍な凌辱光景目撃談は、目撃した生還者ですら99%以上が書こうとはしない。このため、極めて少ない。それでも、例えば、次のようなものがある。

「私達の列車の隣にソ連の軍用列車が停まっており、戦車や自動車、野砲などが積まれ、男女の兵が乗っていた。仲間と一緒に家畜用の貨車の中を覗いて驚いた。藁の上に若い女三人が全裸で、虫の息でころがされている。顔形から日本女性であることが推定されたが、声をかける事もできなかった」(注3)。

「(ロシア人は)女性を狙って毎夜のように難民収容所に押しかけてきた。娘さんが泣き叫びながら、大男のソ連兵に担がれて行方知れずになった(=帰ってこなかった)」(注3)。

「(新京の病院で入院していた8月20日頃)十二、三の少女から二十ぐらいの娘が十名ほど担架に乗せられて運ばれていた。それはまともに見る事のできる姿ではなかった。その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は、紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血が一杯ついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが聞き取れない。

 その次の女性はモンペだけをはぎとられて下の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。次の少女は乳房を切られて、片眼を開けたままであったから死んでいるのかも知れない…」(注4)。

 ロシア兵の残虐な婦女暴行殺害は、13世紀の文永の役(1274年)/弘安の役(1281年)のモンゴル兵が対馬や壱岐でやった暴虐と同じである。ロシア民族のエリートはモンゴル民族の血を受け継いだ民族的同系であるため、軍制はドイツ型だが、軍隊文化はチンギスカンのそれを継承した。

 だから21世紀に入った今も、プーチン皇帝が率いるロシア軍の軍隊文化は全く「チンギスカン→バトゥ」のまま。八百年経ったが全く変化していない。今から七十一年前の満洲における160万人のロシア兵が、上記のような凌辱と掠奪と殺害とをほしいままにしたのは、「現代ロシア軍=十三世紀のモンゴル軍団」である以上、不思議がる方がどうかしている。

 これからも日本人婦女子に繰り返されるロシア兵の暴虐を防ぎたいなら、今からでも遅くはない、一億日本人が一丸となって北条時宗になることだ。なお、モンゴル軍は、対馬/壱岐で捕虜にした日本女性の手に穴をあけここに縄を通して数珠つなぎに浜辺に並べ、兵士たちのレイプに供した。満洲におけるロシア軍の大規模日本女性レイプが、基本的には数十人を集めておいてこれを数百人/数千人単位で死ぬまでレイプし続けたが、これは記録が残っている1274年の対馬/壱岐におけるモンゴル軍団とそっくりである。

逃避行で餓死・凍死・病死した日本人婦女子の地獄絵に思いを致さない、倫理道徳なき安倍晋三

 我々が忘れてはならない、満洲におけるロシア軍占領下の逃避行で餓死・凍死・病死した日本人婦女子の惨状とは、こうであった。

「ある母親は、餓死した赤ん坊を紐で胸に括りつけて歩いていた。死体は腐敗し、死臭を放ち、蛆が湧き出し。母親の身体まで這っている。人々(周りの日本人)の言葉に耳を貸さず、完全に狂ってしまった姿だった。

(逃避行の)進む道の両側には(日本人の)死体が累々と続き、延びていく。歩きながら倒れ、再び起き上がらない(息を引き取る)。朝を迎えるたびに新しい死体が山をなす。私達家族は、弱り始めた父をTさんに庇ってもらい妹を背負って貰い、必死で生きた。木の皮をしゃぶり、草をかじった」(注3、カッコ内中川)。

(延吉市での)大勢の収容所生活で、日に十数人、いや二十数人、幼児や子供が死んでいきました。(すでに赤ん坊の長男と二歳の妹も死んだ以上)これでは子供たちが皆死んでしまうと考えた母は、残る(五名のうち四名)私たち一人一人を中国人に預けました。当時五歳だった妹だけは、母が働く家で母と一緒でした」(注3、カッコ内中川)。

「拉古には、1万4千人の老幼、婦女子が収容されていた。その生活は全く悲惨で、食糧は少量の高粱と塩。燃料は古電柱を古釘や鎹などでひっかいて作るのである。

 最も哀れをとどめたのは幼い子供であった。栄養失調と麻疹(はしか)にかかった者は片っ端から死んでいった。多い日は七十人も死んだという。六百人ぐらいの子供が拉古で死んだ」(注3)。

「畳も布団もない収容所では、麻疹、百日咳、ジフテリア等の伝染病が広まり、五歳以下の子供はほとんど亡くなった」(注3)。

「(零下25度の小雪降る奉天駅で1945年11月21日正午、難民を迎えにホームに行った。無蓋車から降り立った)三、四十歳ぐらいの女性もこれまた麻袋を巻いただけの素足、裸姿で新聞紙にくるんだ赤ん坊をじっと抱きしめていた。ほとんどの者が素足、裸のままで、…(そのまま一㎞先の)収容所に向かって行進する。歩いて十五分くらいの所なのだが、2700名の全部が辿り着くのに、何と三時間もかかった。(この移動中の)途中で十二人が死んだ」(注3)。

附記1;日本国民ならば必ず読むべき四冊

 “プーチン犬”安倍晋三は、人間以下の家畜動物“犬”だから、読んではいまい。なお、外務省の外交官を含め、この四冊を読まずに、いかなる対露交渉もしてはならない。読まなくてよいのは、真正の日本人である対ロ国交断交論者だけだろう。この四冊を読んでいない「ロシア専門家」は、ロシア対日工作員と断定できる。

● 文芸春秋編『されど、わが満洲』、文藝春秋、1984年。

● 浅見淑子ほか『凍土からの声』、謙光社、1976年。

● 角田房子『墓標なき八万の死 満蒙開拓団の壊滅』、番町書房、1967年。

● 『昭和史の天皇』第六巻、読売新聞社、1980年。 また、1945年8月以降の満洲邦人の情況につき全体的な基礎知見をもちたい場合には、次の三冊が必読である。

● 満蒙同胞援護会『満蒙終戦史』、河出書房新社、1962年。

● 満洲開拓史刊行会『満洲開拓史』、1966年。

● 満ソ殉難者慰霊顕彰会『満ソ殉難記』、1980年。

附記2;満洲でロシア兵の大規模レイプは、事前にモスクワからの命令に関東軍参謀部が了解?  

 満洲ロシア軍のレイプというと、「敦化市における日満パルプ製造(王子製紙の子会社)の女性社員への数日間の集団強姦」など、いくつかだけが多少、今に記憶されている。だが、これらはほんの一部で、0.1%も満たさない。  

 学術的な問題は、二つある。第一は、学界では戦後一貫して、満洲や樺太での、ロシア軍による対邦人女性凌辱・殺害に関する統計学的な研究調査が検閲状態で積極的に排斥されたこと。  

 第二は、関東軍がソ連軍の対日侵攻を、かなり前(1944年11月~1945年5月)から確信していたのに、在満洲の邦人婦女子の「奉天以南への疎開」を断固として拒否し続けた理由につき、一本の学術論文すらない異様さ。7月の段階でいえば、松村知勝と瀬島龍三が、この疎開禁止の急先鋒であった。推定だが、歴史の真実は、ロシア兵の慰安のため、日本人婦女を差し出すことを(ソ連軍の指揮下にあった)関東軍参謀部は1945年7月頃には「了解」と通告していたのではないか。

 事前疎開の禁止や、全く戦力にならない在満男児20万人を7月に動員したのも、その妻・娘をロシア兵が妨害なしでふんだんにレイプできるようにするためだったと考えられる。8月19日、日本人婦女子「数十万人」が未だ満洲の山野を暴民とソ連軍を避けて逃避行しているのを知りながら、さっさと武装解除して、国際法で認められている邦人保護権を関東軍が放棄したのも、このレイプ殺戮をロシア兵に堪能させるためであったと考えれば、腑に落ちる。

第三節 エチオピア農民150万人餓死処刑に歓喜した晋太郎のDNA

 安倍晋三は、12月1日、総理官邸で、北海道根室市長ら一市四町の首長と面会した。彼らの北方領土返還の要請に対して、安倍晋三は顔を曇らせ目を伏せて、「日露平和条約をしっかり前進させたい」と答えて、決して「北方領土」の四文字も「奪還」「返還」の二文字も口にすることはなかった。

 とりわけ驚くべきことは、「私が元島民やその子孫の方々を必ず帰郷させてあげます」とは発しなかったことだ。つまり、安倍晋三は、A北方領土返還にはひとかけらも意欲がなく、またB国後・択捉から逃避した元島民への同情もなければ、総理として帰郷させてあげたいという義務感も全くないと端的に吐露した面会は、これまでの総理大臣史に存在しない。

祖国日本をロシアに売国し続けた“大道歌舞伎芸人”でゴロツキ松岡洋右の犯罪外交

 日露平和条約を締結してならないことは、愚行の日ソ中立条約によって、日本は嫌というほど経験している。このために、a満洲だけで日本人婦女子・老人を約25万人も死なせてしまった。bシベリアで日本人男性「107万人―47万人=60万人」をロシアに殺害された(注1)。そればかりか、c日本の固有の領土である南樺太も、国後・択捉も、合法的に譲渡された得撫島以北の千島列島も、ロシアに強奪された。

 日ソ中立条約こそ、日本に災厄を招き入れた諸悪の根源である。この日ソ中立条約を日本側で考案した正犯は、狂信的な共産主義者でロシア工作員の近衛文麿と外交官・白鳥敏夫である。が、実際にモスクワに行ってスターリンとそれを調印した実行犯は松岡洋右である。松岡洋右ほど、日本を棄損した犯罪外交官はいない。

表2;祖国日本をロシアに売国し続けた松岡洋右の犯罪外交

 さて、問題を安倍晋三に戻す。安倍晋三が今わが国の国益を重大に棄損しようとしているのは、ロシアから北方領土全島即時無条件返還の約束がないのに、ロシアの対日侵略の確実な一里塚である日露平和条約を締結して最凶の災いを日本国にもたらそうとするからである。どうも安倍は、近現代史はもちろんだが、対ロ交渉に不可決な大東亜戦争の八年間史を一切知らない無知蒙昧の幼児レベル。それなのに、今、世界で最も頭の切れるプーチンと交渉しているとは、非常識では済まない。  

 安倍晋三の問題は、これだけでない。もう一つ重大な人格上の欠陥問題がある。それは、安倍晋三には健全な倫理道徳が存在せず、人間性ゼロというほぼサイコパスである問題。「安倍はサイコパスではないか」とのひそひそ噂は、安倍晋三が、あれほど期待させておいて裏切った、北朝鮮に拉致された被害者救出“公約”のポイ捨てに伴って囁かれるようになった。  

 安倍の公約ポイ捨ても、安倍晋三に、通常の人間なら持つはずの人間的情愛などが全くない医学的な人格障害問題から発生していると考えられる。例えば、何一つ領土返還の約束も言質もなしに、安倍晋三が日本側からロシアが欲しがる経済協力を献上/朝貢できるのは、安倍の頭の中に、国後・択捉島から1945年に逃亡してきた1万7千人の日本人祖先への情愛がひとかけらもないからでもある。

 日ソ中立条約と同じ轍を踏んではいけないとは、安倍が考えないのは、単に歴史から学ぶ知見や知性が欠如しているからだけではあるまい。満洲の凍てつく荒野で野晒しになった20万人を超える日本人婦女子への人間的な涙がないからである。

“売国奴三代”安倍家における共産主義思想とサイコパス性

 このことにつき、思い付くことがある。父親の安倍晋太郎は非道の異常人格者で、あからさまなサイコパスだった。当然、もしDNAが遺伝していれば、安倍晋三もまたサイコパスが父親ほどでないにせよ、人格のかなりを占めていることになる。

 安倍晋太郎は、150万人以上のエチオピア農民を餓死処刑したレーニンを狂信するメンギスツに魅せられて、頻繁にエチオピアの首都アジスアベバを訪れた。米国国務省はかなりの諜報情報を晋太郎に示して飢饉は人為的なもので、決して自然災害の旱魃ではないと説得しようとした。が、安倍晋太郎は「旱魃だから助ける」という偽装大義名分を棄てなかった。自分の本当の信条「アフリカ三番目の共産政権を是が非でも助けたい」を優先したのである。

 1984年のエチオピア飢饉の真相はこうだ。反政府ゲリラが多いエリトリア州と共産政権の拠点である首都アジスアベバの間に位置するチグレ州とウォロ州を無人の地にすべく、この二州で農業を営む働き手の男を銃口で不毛のワレガ州の強制収容所に追いやった。男狩りである。

 次に、婦女子と老人ばかりになったチグレ州とウォロ州で農産物はすべて強制徴発しておいて配給制度にした。この配給において、レーニンのコルホーズ/ソフホーズを真似た「農民組合」に加入していない者へは配給しなかった。餓死させるのが目的だからである。実際にも、この残忍なエチオピア人為餓死処刑ホロコーストは、レーニン/スターリンが実行したウクライナ農民800万人餓死作戦(注2)を踏襲したものだった。

 安倍晋三は、日本の外務大臣・安倍晋太郎の秘書官だから、父親がメンギスツと何を話したか知っていよう。そして、うっすらであれ、晋太郎が女子供の大量餓死に嬉々として楽しんでいるのを横目で見て気づいていたはずだ。その時、自分の実の親父が残虐非道なサイコパスだと知ってぞっと戦慄したのか、それとも安倍晋太郎に共感したのか。

 安倍晋太郎がサイコパスになったのは、さほど突飛な話ではない。父親の安倍寛が河上肇系の共産主義者だと知った妻・静子は晋太郎を妊娠していたが、産んだらすぐ離婚して実家(父親はのち陸軍中将になる東大医学部卒の軍医)に帰ることを決意した。つまり、晋太郎は母胎にあって母親に捨てられることが定まった“異常な胎児”として子宮の中にいた。サイコパスとなったのは、これが原因ではないだろうか。なお、晋太郎は父親・寛とも東京帝大に入学した頃死別している。

 安倍晋三は、コミュニストの父親に育てられ、同時に、戦後転向して「反共反ソ」になった祖父・岸信介の薫陶を深く受けた。「民族主義を表層に、共産主義を基層とする」、思想におけるヤヌスの顔を持つ安倍晋三は、こうして作られたのである。そして、サイコパス性は父親のDNAが遺伝したのではあるまいか。

表3;“売国奴三代”安倍家における共産主義思想とサイコパス性

国際法上の領土と倫理道徳に関する法哲学的考察・・・・・略

 領土無くして国家はないが、文明社会の国家にとって領土もまた人間の倫理道徳を培うものである。領土無き流浪の民となった満洲邦人の悲劇は、この高度な問題を示唆している。この事を、国際法上の“領土”から多少論じようと考えたが、もう読者は食傷気味だろう。別の機会に譲る。

(2016年12月8日記)

第一節  

1、厚生省編『引揚げと援護三十年の歩み』、80頁。
第二節  
1、中川八洋『歴史を偽造する韓国―韓国併合と搾取された日本』、徳間書店、229頁。  
2、吉田清治『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』第三話、三一書房、100~51頁。
3、浅見淑子他『凍土からの声―外地引揚者の実体験記』謙光社、221頁、216頁、101頁、44頁、25頁、75頁、79頁、199頁。  
4、『されど、わが「満洲」』、文藝春秋、172頁。
第三節  
1、阿部軍治『シベリア強制抑留の実態―日ソ両国資料からの検証』(彩流社)によれば、日本人シベリア抑留者のうち死亡者は「40~50万人」である。私が、これより「10万人」多いとするのは、強制連行された日本人数が「107万人」で、これ以下ではないとの確信からである。ノルマ絶対主義のスターリン時代、スターリンの命令が「107万人」である以上、これより少ない員数であることは許されなかったからだ。    
 また、病人をロシア領の方から、頻繁に満洲国側に戻して捨てていたが、それを補填する数を延吉市に絶えず集めていたことにおいて、この「107万人」が在満洲ロシア軍が絶対遵守した数字だと断定できるからである。  
2、コンクエスト『悲しみの収穫―ウクライナ大飢饉』、恵雅堂出版。 

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