プーチンに叩頭する“ロシアの犬”安倍晋三の危険(Ⅰ)──プーチンの露帝国は、ついにクリミアを侵略

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筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 ロシア民族の固有の文化といえば、「侵略」と「ウォッカ」しかない。「侵略」が文化となった国は、世界史においてそう多くはない。チンギス・カンのモンゴル帝国とかセルビアとか漢民族とか、数えてみると指十本にはならない。

 一四八〇年に初めて「ツアーリ」を称したイワン3世が建国して以来のロシア国家の領土拡張の歴史を振り返れば、中学二年生程度の知識でも、ロシアとはまさしく“モンゴル帝国を継いだ生来の帝国主義国家”だとわかる。当然、十三世紀の野蛮国のままだから、過去五百三十年間、ロシアが世界の法的秩序を考慮したり国際法を遵守しようとする正常・健全な国家になったことなど一度としてない。

 国民弾圧を所轄するKGB第二総局出身の「新皇帝(ツアーリ)」プーチンによる、今般のウクライナ国家への侵略は、たとえそれがクリミア半島というウクライナ国土の一部に限定されているとしても、これからのロシアの対外政策が“侵略国家ロシア”の本性を剥き出しにすることの証しである。この意味で、今般のロシアのクリミア半島侵略は、「ソ連は侵略国家だったが、新ロシアは通常の国家として誕生した」という幼稚な嘘イメージを、一九九二年以来、弄んできた能天気な日本人の“ロシア幻想”を覚醒してくれた。

 もう一度いう。ウクライナ国民が勇気をもって、腐敗をきわめたトンデモ大統領だった“ロシアの犬”ヤヌコビッチを大統領の座から追放した政変こそ、北方領土奪還問題における日本国の対ロシア外交を根本から正常化する好機を提供したのである。真正の日本国民は、「有難う!ウクライナ国民の諸君、 頑張れ!ウクライナ暫定政府」と、感謝と応援の声を挙げるべきである。

第一節 クリミア侵略(2014年2月末)の容認は、北方領土侵略(1945年8~9月)の承諾──ロシアの侵略を支持する安倍晋三

 日本は、北方領土を奪還する権利を永久に喪失する危機にある。“スーパー親ロ主義”安倍晋三が総理大臣という悲劇に、今日の日本は見舞われているからだ。

 安倍晋三とは、政敵を絶えず殺害しまくる“怖ろしい凶悪な人間”プーチンの血塗られた手で頭をなぜられて、北方領土が戻ってくるとの勝手な幻想に耽る、正義感と倫理観とを喪失した幼児性が顕著な欠陥人間。当然、対ロ叩頭交渉を通じて日本の国益を破壊し尽くすこと確実な危険な政治家である。

 だから安倍は、クリミア半島というウクライナの領土にロシア軍を派兵してあっという間に二月末には事実上占領してしまった(3月1日の上院の承認は演技で、実態は「事後承認」)、まさしく主権侵害どころではない露骨な軍事侵略に対して、それを非難しない。“ロシアの犬”に徹している。具体的に言えば、三月三日、安倍は「全当事者が自制と責任をもって慎重に行動するよう」と訴えて、ロシアの国名を消した。加害者のロシアを被害者のウクライナと同じ扱いにして、「自制と責任がない」と難詰したところで何になる。

 侵略国の名前を挙げない非難は、非難ではない。それは、侵略を容認することと同じ。つまり、安倍晋三は、ロシアの北方領土侵略を容認したのである。北方領土の奪還の法的根拠を日本は失ったことになる。

「プーチンよ、セバストポリ海軍基地をウクライナに返還せよ」──安倍が世界とロシアに発信すべき言葉は、これしかない

 “極度な親ロ派”だった父親の安倍晋太郎のDNAを受け継ぐ安倍晋三は、北方領土を奪還するに不可欠な、ロシアに拳骨を振りかざせるチャンスが到来したのがわからない。「ロシア人は、拳を振り回す強いものには妥協し譲歩するが、叩頭する弱いものにはわずかも譲歩することはない」。これはロシアの五百年以上も変わらない対外行動原則。

 ロシア人は、見た目はスラブ系の白人。だが実際には、欧米の白人とはまったく異次元の民族。なぜなら、ロシアはチンギス・カンのモンゴル帝国を継承した、「純粋な十三世紀モンゴル帝国」そのままであって、ポーランド人やウクライナ人などの他のスラブ族の民族文化と共通するものは何一つない。後述する。

 ウクライナは、一九九一年にソ連邦が崩壊した時に、独立して主権国家となったが、永年のロシア支配において外交交渉の能力が低く、ロシアの黒海艦隊にクリミア半島の一角を二十五年間も貸与することとした。この協定は、最近の二〇一〇年に、今般追放された“親ロ狂の売国奴”ヤヌコビッチ大統領が締結したもの。

 しかも、この協定では、セバストポリ海軍基地だけでなく、二つの空軍基地と軍用機一六一機、ウクライナ領海内に三八八隻の軍艦・船舶、二つの陸軍(地上軍)基地と二万五千人の兵員の駐兵が認められている。これではロシアがいつでもクリミア半島を占領できる態勢の容認ではないか。二〇一四年二月のロシアのクリミア侵略は、四年前の、このトンデモ協定の実行であった。

 エカテリーナ女帝が、トルコから奪ったセバストポリは(一七七一年)、トルコに返還するのがベストだが、それが時効でできないとすれば、セバストポリはウクライナ国に直ちに全面返還されるべきである。侵略国家・ロシアに黒海艦隊など持たせてはならない。

 ロシアの黒海艦隊は、二〇〇八年にグルジア国から「アブハジア地方」を奪うに(一発のミサイルも撃たず威圧による)絶大な働きをなした。また、二〇一三年にはダータネルス海峡を通過して地中海のシリア沖に展開し、オバマ大統領が世界に宣言したシリアの化学兵器使用に対する米国の軍事制裁を牽制・撤回させた“無言の砲艦外交”の立役者だった。黒海艦隊は、世界平和の敵である。

 日本の安全保障と北方領土奪還にとって、ウクライナ国の独立をロシアの侵略から守り、そのクリミア半島をプーチン主導のロシア軍占領から奪還し、そしてロシアの黒海艦隊を黒海から一掃することこそは、絶対的に不可欠である。

領土膨張主義者プーチンの野望封じ込めに、G7の準軍事同盟化は有効

 米国のケリー国務長官は、三月二日、ロシアをG8から追放する可能性を口にした。これは正しい。ロシアをG8から早急に追放すべきだ。これに加え、かつてレーガン大統領が、NATOと日米安保条約を結合させる協議機能をG7に持たせようとしたが(一九八三年、ウィリアムズバーク・サミット)、この方向を再度模索すべきである。ロシア封じ込めこそ世界の秩序維持の要石である。ロシアの再膨張は断固として抑止(deter)しなくてはならない。

 新しいロシア封じ込めで、世界一丸となって今なすべきことは次の三つ。

  1. クリミア半島からロシア軍の完全撤退とロシア系住民八割のロシアへの強制移住、ならびに(中央アジアにスターリンによって追放された)もともとの住民クリミア・タタール民族希望者全員の帰還。
  2. グルジア国の「南オセチア地方」と「アブハジア地方」のグルジアへの再帰属。
  3. 日本の国後・択捉島の奪還とその地からのロシア人の完全一掃。

  それとともに、“嘘宣伝の天才民族”ロシアに対する情報戦に全力を講じなければならない。アメリカ国務省が、「プーチン大統領の嘘十ヶ条」(三月五日)を公表したが、これが正しい外交である。外交とは、非軍事の戦争。情報戦こそ外交の中核部隊である。クラウゼヴィッツを持ち出すまでもないだろう。

 なお、モスクワのKGB第一総局(SVR)の下部機関である朝日新聞は、この「プーチンの嘘十ヵ条」を報道をせず検閲した。国民の知る権利を侵害したのである(三月七日現在)。

 プーチンのクリミア半島侵略の主要な手口は、三つ。①すでに“国外逃亡犯”以外の何ものでもないヤヌコビッチ元大統領を合法な大統領だとの強弁において、この非合法大統領からの要請という理屈。次に、②クリミア半島へ空挺部隊等を展開して軍事占領しておきながら、このロシア軍を地元ロシア人の「自警団」だとの見え透いた嘘。

 そして、日本人が最も着目すべきは、③プーチンがクリミア半島のロシア人(国籍ウクライナ)に急いで大量のロシア国籍のパスポートを渡して、クリミア半島在住の「ロシア国民」への「保護」という理屈を創作し、ロシア軍投入の口実としたこと。

 つまり、プーチンのロシアは、国際法が認める「在外邦人保護権」という虚構のウソ衣で侵略を隠蔽しようとしている。だが、新たに急造されたクリミア擬装ロシア国民は、まったく虐待もされていないし、特に本件国際法の発動要件たる殺害があったわけではないし、殺害される危険すらまったく存在しない。ロシアへの「脱出・帰国」を要望しているロシア系住民もゼロ。そもそも彼らは、「ロシア国民」ではない。あくまでも「ウクライナ国民」ではないか。

 この問題は、実はウクライナという遠い外国の話ではない。現在、日本に居住している、日本国籍を持つ帰化朝鮮人は多い。ざっとの数字でも二百万人は越える。彼らに対して、北朝鮮が「パスポート」を配布して、擬装北朝鮮国民とすれば、「日本で差別された」を理由に、対日軍事侵攻ができることになるからだ。

 このように、プーチンが発案した、国際法を蹂躙した“エセ国際法の屁理屈”が前例となれば、日本もまた侵略の危機に直面する。プーチンのクリミア半島侵略を、日本としても断固粉砕すべきは、日本もまた、同様な侵略から国を守るに、ウクライナの悲劇と一連托生だからである。

中共の尖閣諸島侵略開始は、メドベージェフ北方領土訪問を等閑視したツケ

 公船を日本の領海内に突入させるなど、二〇一二年から本格化する露骨な中共の尖閣諸島領有(侵略)への実力行使的な準備行動は、ロシア大統領の北方領土訪問に対し、日本が対抗・報復措置をとらず放置つまり“容認した”ことがきっかけになっている。

 具体的には、メドベージェフ大統領が国後島に上陸したのは、二〇一〇年十一月一日。プーチン大統領の名代としてメドベージェフ首相が択捉島に上陸したのが二〇一二年七月三日。

 日本に対するロシアの宗主国然とした動きは、もし日本がそれに対抗しなければ、北朝鮮/韓国/中共の対日行動の前例と必ずなる。日本は、国際法違反を常習とする野蛮国ロシアの対日行動に対して過敏に反応し続けること、これなくして日本国の存続など覚束ない。ロシアの属国扱いを受けていながら、米国には「日本は主権国家だ」と噛み付いている安倍晋三の対外態度はダブル・スタンダード。

 ウクライナのクリミア半島に対するロシアの侵略は、日本人は対岸の火事とばかり眺めている。「(一九四五年のヤルタ協定に始まる)米ソ冷戦がまた始まった」などと米露の問題かに矮小化する報道もトンデモナイ間違いだし、偽情報操作である。ロシアのクリミア侵略は、ロシアの明日の北海道侵略の凶兆であり、北朝鮮や中共の対日侵略の導火線である。対岸の火事などではない。自分の家に燃え移ろうとしている。

 しかも、ロシアのクリミア侵略は、第二次世界大戦の序曲であったヒットラー・ドイツのオーストリア侵略・併合(一九三八年三月)の再現ではないか。つまり、プーチンのクリミア侵略は、第三次世界大戦の幕開けであって、世界史的な事件である。米ソの冷戦とは性格を異にする。

 安倍晋三は、集団的自衛権に絡む憲法解釈に固執する。安倍晋三の政治で唯一に正しいもので評価できる。だが、それは日米同盟の強化に寄与する意図によるもの。ならば、日米同盟の強化の好機であるロシア糾弾に、米国との共同措置を直ちに断固として実行すべきではないのか。

 具体的には、ロシアの政府関係者すべてのビザの発行停止、ロシア政府機関・関係者の資産凍結、日露経済関係の縮小の、三つである。もし安倍晋三がこれらをせず、これまで通り“ロシアの犬”“プーチンの召使”に徹するならば、北方領土の奪還など覚束ないし、父親と同じく、日本国のロシア属国化を促進する“売国奴”に成り下がることは間違いない。

第二節 “スーパー親ロ”晋太郎のDNAを継いだ安倍晋三

 安倍晋三は、彼が尊敬する祖父・岸信介の悪い所のみ受け継いだ政治家。岸のいい所はまったく継がなかった。負の隔世遺伝である。

 一九六〇年の安保騒動で社共が唾棄する“昭和の妖怪”岸信介は、「反共/反ソ/反・中共」という良質のイデオロギーと、それとは対極にある「反米/社会主義経済の信奉/福祉国家シンパ」という左翼体質の欠陥をあわせもつ政治家だった。だが、岸は東大法学部を首席卒業した秀才らしく、この両者がぶつかる場合は、前者を優先して後者を引っ込める、高所からの冷静な判断力を失うことはなかった。

 一方、安倍晋三は、祖父・岸信介の「反共/反ソ/反・中共」をひとかけらも継承しなかった。むしろ、父親・晋太郎と同じ、「容共/親ロ/支那へのあいまい対応」で、岸とは対極的な外交感覚であった。ただ、二〇〇六~七年の第一次内閣時の失敗に懲りて“学習”し、第二次内閣では、共産党系の「親ロ」は堅持しつつ、日本人の多数派で人気確実な「親米」「反中」をうわべ演技することにした。

 が、(共和党政治家に多い寛容な紳士とは異なる、黒人マイノリティ出身の)オバマ大統領は、安倍の正体(強度な「反米」)を見透かして距離をおいている。晋三流「親米」演技の薄っぺらいメッキはとっくにはがれて透け透けである。「反米」「親ロ」「福祉国家(社会主義)シンパ」の安倍を蝕む左翼小児病は、世界各国で知らない国はない衆知の常識。

安倍晋太郎は、“エチオピア農民百五十万人殺しの共犯者”

 安倍晋三は、父・安倍晋太郎の政治姿勢を、仲が良かったこともあり、そっくり相続した。

 安倍晋太郎とは、絵に描いたような極度な“外交音痴”。国際問題がさっぱりの“外国音痴”だった。岳父・岸信介の七光りがなければ、党内出世などおぼつかず陣笠代議士で人生を終わっていただろう。新聞記者あがりの農林族がやっとの六流政治家、それが安倍晋太郎の実力だった。

 首相の中曽根康弘が晋太郎を四年近くも外務大臣にしたのは(一九八二年十一月~八六年七月)、外交を中曽根首相が直接「独裁」する上で、安倍晋太郎の“外交音痴”が好都合だったからだ。この人事は功を奏し、中曽根はレーガン大統領と「ロン-ヤス」の関係を築けた。晋太郎は、中曽根が、「親米」演技の水面下では「反米」「反・自衛隊」という矛盾する狡知な政策を着実に進めていることすら感知できなかった(注1)。

 結局、四年近くも外務大臣をしながら、安倍晋太郎がやったことは二つしかない。第一は、カンボジアのポル=ポトの犯罪“自国民二百万人以上の殺戮”とまったく同種の、百五十万人殺戮として計画的に実行された“エチオピア飢饉処刑”に協力するという、国際法の「人道に違反する罪」に加担した“ジェノサイド共犯”外交。第二の安倍晋太郎外交は、ロシアに対して「北方領土は要りません」と伝えた、非国民しかできない“売国奴外交”。

 “天性の外国音痴”安倍晋太郎とは、悪魔すらたじろぐエチオピア共産政権(独裁者メンギスツ)の人為的な大規模餓死処刑としてのエチオピア農民飢餓政策を見抜けず、ソ連KGBの検閲下にある朝日新聞・毎日新聞・NHKなどの真赤な嘘報道のままに、“創り話”「天災上の旱魃飢饉」だと信じて、外務省職員に「おにぎりで我慢しろ」と昼飯代の半分以上をエチオピア食糧援助に徴収したり、「毛布百万枚を避難民に送ろう」の運動をしたり、エチオピア飢饉の真相隠しプロパガンダに協力した。そればかりか、エチオピア共産政権の大量殺戮にみずから手を貸し“凶悪大犯罪の共犯者”となった。

 外務省職員に昼食代のほとんどをカンパさせるやり方を、外務省では「スターベーション・ランチ(飢餓昼食)」と自嘲していた。毛布は、結果として「一七一万枚」が集り、そのほとんどはエチオピア共産軍の軍用毛布となった。人道援助で日本が送った医薬品も共産軍の病院へと直行した。『週刊新潮』が「援助物質は<一割>しか飢餓難民には届いていない」と報じたが(注2)、これこそは事実だった。諜報筋では、「五%」説が多かった。

 一九八三年~五年にかけてのエチオピア人為飢饉の真相はこうだ。ブレジネフ書記長がエチオピア陸軍のコミュニスト将校を唆してハイレ・セラシェ皇帝を一九七四年に追放・処刑して創られた“ソ連の傀儡”メンギスツ共産独裁政権が、国家権力でもって実行した飢饉による大量殺戮(ホロコースト、ジェノサイド)政策。旱魃などによる天災飢饉ではない。独裁者メンギスツの「世紀の犯罪」“餓死処刑”は、二つの方法で実行された。

  • A 政敵の反政府ゲリラの拠点である「チグレ州」「ウォロ州」などの農村でこれら反政府ゲリラたちが潜めないよう飢餓地帯にすべく、老人と子どもを残し、働ける農夫とその妻たちの多くを、エチオピア南西部の荒地に強制移住させた。ために、これら働き手を失った農村で農業ができず飢饉が発生した。

 悪魔のメンギスツ共産政権は、海外からの善意の大規模な量の援助食糧を、意図的にこれらの飢饉地帯にほとんど運ばなかった。そのほとんどは、武器代金の代わりとなってソ連に売却された。また、海外からの援助食糧に対してメンギスツは一トンにつき一・五㌦を徴収し、外貨獲得の手段にした。年間二百万㌦をゆうに越える額であった(注3)。

  • B 「チグレ州」「ウォロ州」などで、南西部へ駆り立てた残りの農民に対して、ソ連がすでに失敗して失敗確実が証明済みの集団農場(コルホーズ)化を試み、必然的に生じる食糧生産と食糧流通の崩壊を発生させた。これは、四千万人以上が餓死した中共の(毛沢東が「大躍進」と称した)人民公社化の狂気の繰り返しでもあった(注4)。しかも、これらの州では「集団農場」に登録されていた少数の飢餓難民に限り、海外支援食糧を支給したが、そうでない多数には支給せず餓死処刑を執行した(注5)。

 さらに、ウォレガ州などの南西部の荒地での集団農場づくりでも「農機具はない/肥料はない/灌漑設備はない」から、ここでも飢餓・餓死が大量に発生した。この飢餓を救う方法は簡単。これら強制連行された百五十万人農民を「チグレ州」「ウォロ州」に帰還させれば、すぐさま完全解決する話であった。

 ところが安倍晋太郎は、大量殺人鬼メンギスツと会い「約束したから」のみを根拠に、メンギスツの要請する通りの援助を行った。メンギスツへの協力こそが餓死を急騰させている惨状の原因を知る米国は、安倍に唖然としつつも、国務省や在日の米大使などのチャンネルを通じ、かなりの諜報情報を与えて安倍晋太郎に何度も説明した。だが晋太郎は、さっぱり聞き入れず、エチオピア共産政権の農民餓死処刑という狂気に協力し続けた(注6)。

 メンギスツには、第三番目の「犯罪」もある。メンギスツは、農村の灌漑対策に一文も支出しない「農業予算ゼロ」を敢行した。人口四千万人の国家が、国民を弾圧するためソ連から軍用ライフル銃を一千万丁も買うなど、エチオピア軍事化にすべての国庫支出を当てたためでもある。

 このように、エチオピア大飢饉が、メンギスツ共産政権による人為的な餓死処刑=自国民大量殺戮なのは、一九八四年に入った頃には、世界の専門家や諜報機関での常識だった(注7)。世界の専門家は、エチオピアの飢饉を、スターリンによるウクライナ農民八百万人殺しや(注8)、自国民の四分の一をたった四年間で殺戮したカンボジア・ポル=ポト派とまったく同一の、共産主義者特有の“人間殺戮狂”が生んだ政策飢饉だと正しく指摘していた。

 真偽に無関心な“知が死んだ”安倍晋太郎には、外務省内でも注意を促した外交官もいた。だが晋太郎は、ソ連や日本共産党が編集を支配する朝日新聞・毎日新聞・NHKの嘘報道以外をいっさい顧慮しなかった。「日本の外務大臣・晋太郎は、常軌を逸したアホバカ政治家だ」と、当時の(諜報機関がしっかり機能している)米欧の関係者たちは眉を顰めた。

 参考までに、一九八三~五年エチオピア飢饉について、入門書二冊を挙げておく(注9)。安倍晋太郎を洗脳し操っていた人物名も挙げておこう。ロシア工作員として著名な国会議員・石田博英(KGBコードネームは「フーバー」)の、その娘婿でコミュニスト三宅和助(当時、外務省中近東アフリカ局長、注10)。なお、石田も三宅も、血統は北朝鮮人。北朝鮮人やコミュニストをすぐに側近にする癖は、晋太郎と晋三は瓜二つ。やはり父子。

 安倍晋太郎に関する少数意見。一九八五年頃、安倍晋太郎は“外交音痴”ではなく筋金入りのコミュニストだ、と私に忠告した某専門家がいた。岳父の岸信介の手前、共産党と接触しないことが習慣となっているだけだ、と。

 つまり、安倍晋太郎は、モスクワKGB第一総局の命令下にある、意識した(witting)アフリカ共産化に全力投球するコミュニスト工作員であった、という。黒柳徹子(日本共産党の熱烈党員)/安倍晋太郎/三宅和助/アグネス・チャン(中国共産党員)は、“<メンギスツの犬>四人組” といわれているし、軍用毛布百万枚以上をメンギスツ共産陸軍に贈答するに、日本人騙しの共同工作をしたのは、安倍晋太郎と黒柳徹子がイデオロギー上の同志だったからである、と。

“対ロ醜態外交”の安倍晋太郎の、その愚行を繰り返す安倍晋三

 安倍晋太郎が、対ロ外交にしゃしゃり出たのは、外務大臣の時ではない。自民党幹事長(一九八七~九年)ですらなかった。自民党の一派閥のボス(清和会会長、一九八六~九一年)、つまり有力な一国会議員としてだった。

 内閣の専管であるべき外交に、首相でもなく閣僚でもない一国会議員が前面に出るのは、禁じ手の二元外交。日本は、安倍晋太郎のように、決してしてはならない“お祭り騒ぎ外交”をするから、ロシアの術中に嵌って、北方領土の奪還を遠のかせるのだ。

 しかも安倍晋太郎の頭は、脳内空洞の“ピーマン”。ロシアとの領土奪還交渉の難しさなど理解できない。しかも安倍晋太郎の本性は、外見の柔和さとはほど遠く、「外交交渉の常道やルールなんか、糞喰らえ!」のならず者。自分の売名のためには、領土や国益なんか平気にドブに捨てる、愛国心ゼロの六流政治家である。

 対露外交では、戦後政治家の中で抜きん出て一流の名外交官だった吉田茂に、むろん、安倍晋太郎など比すべきもない。国益が危機にあるときには個人の信条をきっぱり捨てた二流政治家・岸信介に比べても、娘婿の安倍晋太郎の劣悪さは目にあまる。

 対ロ交渉に個人的野心から盲目的に暴走して、北方領土の奪還の好機を日本側から破壊した犯罪的な政治家を列挙すれば、第一に鳩山一郎・河野一郎(一九五六年)、第二に田中角栄(一九七三年)、第三に安倍晋太郎/小沢一郎(一九九〇~一年)と続く。第四番目以降は、ここでは省略。

 安倍晋太郎は、「ゴルバチョフは、<ペレストロイカ>だから、北方領土を返還する」「ならば、この返還の功績で、政治家・安倍晋太郎の名を不朽にしたい」と考えた。どうやれば人類史上に稀な(百戦百勝の)外交交渉の天才・ロシアに北方領土を返還させることができるかと、腐心もしなければ苦悶もしなかった。もちろん、鳩山一郎や田中角栄の過去の失敗の研究も、ロシア交渉能力・外交パターンの初歩的な研究もしなかった。いや、それ以前で、「ゴルバチョフにお世辞を言えば、お土産を渡せば、北方領土は<返還せよ>と要求せずとも還ってくる」と信じていた。前代未聞の惰弱と妄想癖の政治家だった。要は、愛国心ゼロの政治家だった。

 一九九〇年一月、ソ連邦の共産党独裁体制は、崩壊へと進んでいた。前年十一月、「東欧諸国」を解放したことは、第二次世界大戦の戦果としての占領地の返還ともいえるから、北方領土の返還もポーランドやハンガリーと同列に考えてよい事態なのは間違いではなく、北方領土奪還の好機到来だったのは事実である。だが、東欧解放は、レーガンが完備した対ソ核戦争態勢に対し、ソ連が軍事的敗北の恐怖にかられた結果であることなど、馬鹿に近い“無知人”安倍晋太郎には想起することができなかった。

 だから、一九九〇年一月、安倍晋太郎は、ゴルバチョフとの会談(モスクワ)において、これからの日ソ関係につき「八項目提案」を行なった。ところが、この八項目の中に、北方領土の返還要求を入れなかった(注11)。安倍晋太郎は、ロシアに、「日本は、北方領土の返還を要求しない。ロシアは返還しなくて結構です」と通告した。安倍晋太郎とは、河野一郎に優るとも劣らぬ“売国奴の中の売国奴”だった。

 このとき安倍晋太郎は、事前のロシアとの打ち合わせに従い、ロシア青年一千名を招待するとゴルビーに提案し、一九九〇年九月、実際に一七九名が来日した。ロシアは一ルーブルも使わず日本の金で日ロ友好ムードの煙を大きく立ち上らせ、北方領土を要求する日本側の強い意思をグニャグニャに軟化させる作戦が成功した。これは古来からのロシア外交の手口の一つ(注12)。安倍晋太郎の周辺はロシア工作員ばかりだった。ここでは、“安倍晋太郎はロシア工作員”の説をいったん脇においている。

 もともと安倍晋太郎は、伊藤博文や山縣有朋など(外交における)親ロ主義者が続出する“国賊の巣窟”長州藩(山口県)の出身である。米英に西ドイツまでが加わって、西側が一丸と団結してソ連を軍事的に包囲している一九八六年。対ソ軍事包囲の西側の鎖の中で、もっともダラシナイ日本を、この鎖からはずす分断策として、ソ連は、日本の安倍晋太郎・外務大臣をモスクワに呼ぶ工作をした。

 一蹴して拒否するのが当たり前なのに安倍晋太郎は、毛鉤に喰らいつく愚鈍なアホ魚のごとく積極的に釣られてしまった。一九八六年五月末、不要不急な(外務大臣レベルの)日ソ文化協定の締結をモスクワでセットし、いそいそと訪ソした。目的は、有名なゴルバチョフ・ソ連共産党書記長に会えるからという、追っかけギャルと同じだった。

 安倍晋三が(神戸製鋼のサラリーマンを辞め)安倍晋太郎の秘書になったのは、晋太郎が外務大臣になった一九八二年十一月(二十八歳)。それは同時に、晋三が初めて外交というものを四年近く体験し学ぶことになったが、当然、晋太郎の信条である対ロシア宥和/対ロシア叩頭病が深く伝染した。安倍晋三が、二〇一三年四月、プーチンに頭をレイプされて、北方領土の奪還を自ら困難にした“対ロ逆走外交”に暴走したが、父親・晋太郎からうつされた伝染病がDNA化していたのである。

プーチンに騙されたこともわからない“外交白痴”安倍晋三

 安倍晋三が、北方領土奪還の道筋をつけるとばかり鳴り物入りの日本側報道の中で、欲得に国家を忘れた“非国民”財界人五十名を引き連れてモスクワに乗り込んだのは、二〇一三年四月末。しかも、狡猾で縁起担ぎのプーチンは、安倍との首脳会談を、反ロ主義を戦前・戦後ともに貫かれた昭和天皇のご誕生日二十九日にわざとセットした。しかし、安倍は、この日を快諾し、“反・昭和天皇”の姿勢をロシアに闡明した。

 無教養と無責任さが本性の安倍晋三は、国際協力銀行を使った対ロ投資の拡充や、インフラ整備や医療協力など、ロシアへの無原則な経済協力をプーチンと合意した。本人の言によれば、対ロ経済協力が北方領土奪還の呼び水になるという。馬鹿馬鹿しい。

 ならば、同じことをした首相・田中角栄の一九七三年のあれほど大掛かりな対ロ経済協力が北方領土の返還にいっさい繋がらなかった“愚行の歴史体験”を、安倍晋三はどう検証したのか。どう解釈したのか。安倍晋三が“人気至上主義の滑舌芸人型政治家”であって、愛国心ゼロの政治家なのは、これだけでも明らかではないか。

 技術開発や学術研究であれ、スポーツであれ、金儲けであれ、成功を欲するならば、過去の失敗は知力をふりしぼって分析・考察する。だが、安倍は、ブレジネフに騙された田中角栄や、エリツインに騙された橋本龍太郎の、日本がこれまで連戦連敗した対ロ交渉の失敗の研究をまったくしない。

 そればかりか、安倍は、プーチン大統領がいかなる人物かも知らない。プーチン知らずでプーチンと交渉するとは、象を撫でる群盲のそれ。

 国民弾圧機構のKGB第二総局(現FSB)出身者で、二〇〇〇年に大統領になって以来、プーチンはどれほどの自国民殺人を命令・指揮したか。しかし、安倍は、プーチンにかかわるこれらの事実に興味すらない。

 日本でも大きく報道された事例を挙げれば、ロシアでプーチン批判の急先鋒アレクサンドル・リトビネンコ(元FSB職員)は、二〇〇六年十一月、見せしめのためエイズとよく似た症状で死亡するポロニウム210をロンドンで投与されて殺害された(注13)。女性ジャーナリストのポリトコフスカヤも、その前月の二〇〇六年十月に殺害された(注14)。いずれもプーチン大統領の命令であろう。

 それだけでなく、チェチェン人の仕業に見せた高層アパート連続爆破事件(一九九九年九月)やモスクワ劇場占拠事件(二〇〇二年十月)なども、前者はチェチェン人は関与しておらずFSBの自作自演。後者はプーチンがうまくチェチェン人たちを煽動して実行させた、自作自演に近い残虐なテロ事件ではないかといわれている。前者の事件後、プーチンは直ちにチェチェンを無差別爆撃し戦車・砲兵部隊を突入させた。その功績で、翌年大統領に選出された。

 なお、ベスラン学校占拠事件(二〇〇四年九月)も、モスクワ劇場占拠事件との酷似性が指摘されている。プーチンの治世は、ただただ血腥い。

 ロシアの本質を知る政治家や官僚は、吉田茂など一九六〇年代まではそれなりの数が存在していた日本だが、一九七〇年に入るや日本の政治家すべてが“ロシア知らず”となった。だからといって、安倍は北方領土の奪還で対ロ交渉を内外に高らかに宣言した以上、ロシア知らずだからと安倍晋三の対ロ全面敗北を免責してはならない。プーチンを知らず、ロシアを知らず、モスクワに行くだけで北方領土が返還されると、自分に都合のよい結末を妄想する無責任な安倍の“対ロ外交ごっこ”は、日本国の主権(=領土)への毀損行為であり、“国賊”として厳しく糾弾しなくてはならない。

 安倍は、プーチンと合意した(双方が外務大臣と防衛大臣を出す)「二プラス二」協議機関の設置で、領土問題が前に進むかのように勝手に妄想する。が、プーチンのロシアは、二〇一三年四月二十九日をもって、日露間の領土問題を日本に完全放棄させるのに成功した。安倍晋三とは、この日モスクワで、プーチンに日本の無条件降伏を快諾し、北方領土返還要求を幕引きした。だから、ロシアの新聞テレビのすべてが、モスクワ訪問時の安倍が北方領土返還をプーチンに要求した事実を、一行も一語も報道しなかった。

 ロシアにとって、隣国が(経済協力という)お土産をもってきたことは、ロシアの属国になりますとの誓約である。安倍晋三は、「日本は、貴国ロシアに主権を投げだす隷属国家でございます」と、“降伏の儀式”のためモスクワ詣でをしたことになる。つまり安倍は、この日プーチンに、「北方領土はもう要りません」と叩頭して誓約した。

 もし安倍晋三がロシアと領土交渉を本気でするなら、まずもって根室に行き、元島民とその子孫たちを集めた前で「盗人のロシアよ!日本の領土を還せ!」「北方領土が返還されない限り、日露関係の縮小・冷却化は避けられない。この責任すべては、侵略国家ロシア側にある」と絶叫したはずである。

 ロシア人は、ロシア側を怒らせたものにしか妥協しない。剣を振り回すものにしか、妥協しない。そしてロシア人は、相手に妥協すると決心すると、顔がこわばり態度が硬化し、決して歓迎の態度を見せない。プーチンが安倍に対し、歓迎する雰囲気を見せた以上、ロシアは北方領土を安倍内閣には万が一にも返還しない。

 ロシアの外交に関する基本知識を次節で多少まとめておく。自らの無学・無教養やIQの低さを恥じず、傲慢不遜にも対露外交交渉にしゃしゃり出る日本の政治家が、最小限知っているべき基礎知見である。北方領土をプーチンに貢納する破目になった安倍晋三とは、「基礎知見なき政治家は、ロシアと接触するな!」を証明した反面教師だろう。

第三節 プーチンのロシアは、十三世紀モンゴル帝国のまま

 日本人は、“特殊で異常な国家”ロシアを、米国などの欧米諸国と区別できない。奄美や小笠原諸島そして沖縄を返還した米国と、国後・択捉島ばかりか南樺太もクリル諸島(千島列島)も強奪したまま七十年間も返還しない“悪の強盗国家”ロシアとの差別化が、日本人はできない。

 つまり日本人とは、領土を強奪して平気なロシアに対する領土交渉は、領土を返還する米国に臨む外交交渉と同じスタンスでもよいはず、と勝手に思い込んでいる。だから、幼稚園児さながらに無防備かつ準備なしにロシアと外交接触をする。

 そもそもロシアとは、一般的な米欧諸国とはまったく異質以上に、余りに異様独特な国家。同じスラブ民族の東欧ポーランドやハンガリーなどとも共通するところが全くない。これは、ロシアの建国の特殊性に発している。

モンゴル人の血無きロシア皇帝は、エカテリーナ女帝が初めて

 一四八〇年にモスクワに誕生したロシアとは、巨大なモンゴル帝国の構成国の一つキプチヤク汗国(備考)を後継した、モンゴル帝国の正統な国家として誕生した。一四八〇年に「モンゴル=タタールの頸木(くびき)」から解放されたロシアは、モンゴル人バトウがモスクワを廃墟となるまで破壊しつくした一二三七年のモスクワ・ルーシ以前には戻らなかった。

(備考)漢語表記は金帳汗国で、一二四三年建国、一四八〇年滅亡。チンギス・カンの孫の一人バトウが建国、首都はヴォルガ川のサライ(旧サライと新サライがあり、後者は現在のヴォルゴグラード)。「タタールのくびき」とは、一二三六年のリャザン公国攻略から一四八〇年までの二四四年間を指す。

  モンゴルから独立したモスクワ大公国のイヴァン3世は、自らを皇帝(ツアーリ)と初めて称したように、一四八〇年、ロシアはルーシに回復(回帰、復興)せず、モンゴル人になりきりモンゴル帝国そのものになる道を選んだ。なぜなら、「ツアーリ」という語は、スラブ語系に属する言語だが、ロシア人たちが二百年間以上もキプチヤク汗国のモンゴル皇帝を呼称した言葉。ルーシの「諸侯(クニヤーシ)」を指す語ではない。

 なお、戴冠式で自らを「ツアーリ」と称したのはイヴァン4世(雷帝)が最初で、一五四七年。が、この語の最初の使用は、あくまでもイヴァン3世。

 “モンゴルの皇帝”を意味する「ツアーリ」をロシア皇帝を意味する単語として選んだことと、頭にはビザンツ帝国の“双頭の鷲の冠”を戴きながら、その戴冠式の正装がモンゴル服である事実とはぴったり符合する。最後のロシア皇帝ニコライ二世の、一八九四年の戴冠式の写真が残っているから、読者は是非とも一瞥して、その確認を勧める。皇后の正装もまた、モンゴル服である。

 さて、ロシアに係わる基礎知識を続けよう。イヴァン三世もその孫イヴァン雷帝も、その母親はモンゴル人である。ロシア貴族の過半もモンゴル人の血が入っている。ロシア皇帝がモンゴル服を着るのは正統性誇示の一つだが、母系から見ればモンゴル帝国の王族に婿入りした「モンゴルの婿どの」だからである。イヴァン雷帝の母エレーナ・グリンスカヤはバトウ直系のモンゴル人だし、妻のマリア・テムリュコヴナも同じバトウ血族のモンゴル人である。

 このように、ロシアとは、チンギス・カンのモンゴル帝国に婿入りし、それを継承した“血統正しい“モンゴル帝国の後継国である。米国や西欧とは天と地ほどに相違する“異様な白人国”なのは、当然にすぎよう。ロシア人の白人の顔は仮面のマスク。この仮面の下の本当のロシアは、同じくモンゴルに支配された支那と比較するとより鮮明になろう。

 支那は、バトウと同じく、チンギス・カンの孫の一人フビライが建国した帝国(一二七一~一三六八年)となったが、元が崩壊した後の支那では、秦の始皇帝以来の漢族固有の伝統と政治が復権した。元(フビライの支那モンゴル帝国)が倒した南宋王朝とポスト元の明王朝の政治文化は連続している。この二漢族国家の文化・文明に変化がない。

「タタールのくびき」を経てモンゴル化したロシア

 一方、イヴァン三世が創りあげていく一四八〇年以降のロシアと一二三七年以前のロシア(モスクワ・ルーシ)の間は連続がない。モスクワ・ルーシ人(ロシア人)も、その社会も、同一民族とは思えない、別の「異種人」「異種社会」に変化していた。

 なお、近年の学説によれば、回帰すべきルーシがモンゴルに破壊され存在しなかったから回帰しなかったのではなく、未開的な後進地帯のルーシが当時の先進帝国モンゴルを学び模倣して自ら古代ルーシからの脱皮と廃棄の努力をしてモンゴル化したとする。つまりロシアは、一四八〇年時点ですでに、モンゴルそのものに“自己改造”していたという。いずれにせよ、ルーシだったロシアは、二百四十年の歳月を経て「タタールのくびき」から解放されたとき、ルーシではなく、チンギス・カンのモンゴル帝国そのものになっていた。

 そればかりかロシアとは、「太祖チンギス・カン(テムジン)やその孫バトウのモンゴルの正統な後継帝国である」ことを前面に押し出す外交戦術において、二十世紀の世界最大の版図を持つ巨大帝国へと膨張した。ロシアが、モンゴル帝国と同じく、“侵略が第一の国家”であるのは、「ロシア=モンゴル帝国」だからである。

 一四八〇年から一九八九年までの五百年間、ロシアは、毎年平均、九州と同じ面積の領土を侵略して増やしていった。十九世紀後半、中央アジアに進出する時、ロシアの大部隊の将兵が皆、チンギス・カン時代のモンゴル騎兵の服を着たこともあるように、かれらにはチンギス・カンの由緒正しき後継国家だとの意識が非常に強い。

 (江戸時代とほぼ同じ永さの)二四〇年間が、モンゴル人による破壊と殺戮そして苛斂誅求の収奪の過酷な支配であったと見るか、あるいは、自らモンゴル帝国の正統な後継国にならんとして自己改造をし続けた二四〇年間であったと見るか、いずれにせよイヴァン三世以降の新生ロシアが誕生した時、政治・経済・文化のすべてにわたって骨格が(かつてのルーシではなく)モンゴル化していた。

 これが、イヴァン三世が、ロシア帝国の前身モスクワ大公国を建国していくに、(宗教におけるビザンツ帝国の影響を除き)十三世紀のモンゴルの政治文化を継承する以外の選択肢がなかった理由である。むろん、その後、表層上の変化は多少ある。たとえば政治制度や軍制度ではドイツ人(プロイセン)の影響が顕著だったり、バレーやオペラなどの西欧文化の吸収力などには瞠目すべきものがある。

 だが、二十世紀の、国内での国民弾圧機構であるKGB第二総局(現FSB)や基本的な戦争ドクトリンなどでは、ロシアの根本構造は十三世紀のバトウのモンゴル帝国(キプチヤク汗国)のままで、わずかな変化も進化もしていない。とりわけ他民族(他国)との外交や交際のやり方は、ロシアでは時計がとまっているかのよう。七~八百年も昔の、ルーシに対するモンゴル・キプチヤク汗国の、狡知であこぎな圧政と収奪の行動をそのまま現在のロシア外交の根本に堅持している。

 ロシアに対する北方領土奪還の策は、十三世紀、蒙古襲来時の北条時宗を踏襲してそれ以外を選択してはならないのは、もはや明らかだろう。(つづく)

1、中曽根康弘が首相としてなした対米外交や自衛隊政策の実際についての概略は、中川八洋『国民の憲法改正』、ビジネス社、二一七~二七頁、参照のこと。

2、『週刊新潮』一九八五年一月三日号。

3、『朝日新聞』一九八五年七月二十五日付。

4、ベッカー『餓鬼(ハングリー・ゴースト)―秘密にされた毛沢東中国の飢饉  』中央公論新社、ディケーター『毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962  』草思社、などを参照のこと。

5、伊藤正孝編著『アフリカ難民ー悲しみの大地から  』、ほるぷ出版、五六頁下段に、「やっとウォロ州の救援センターにたどり着いても、チグレ州の農民は食料はもらえない。配給は“農民組合”の名簿をもとにしている」との記述がある。この「農民組合の名簿」が、コルホーズ型の集団農業のメンバーか否かによる、救済するか餓死させるかの差別の基準の一つだった。

6、『朝日新聞(夕)』一九八五年二月十四日付

7、日本でも一九八四年の秋以降になると、「天災の飢饉ではないようだ」との疑念が提起され始めた。決定的だったのは、一九八五年八月刊行の野町和嘉『飢えを喰らう―いまは嘆きの大地、エチオピア  』(情報センター出版局)で、国際問題を歪曲するマスメディア界でも、この後は、エチオピア飢饉は共産政権が仕組んだ人為的なホロコーストではないかと疑問視する声が散見されるようになった。

8、ロバート・コンクエスト『悲しみの収穫―ウクライナ大飢饉  』、恵雅堂、ほか。

9、飢餓によるエチオピア農民大量処刑に関する入門書。Edward Kissi,REVOLUTION and GENOCIDE in ETHIOPIA and CAMBODIA,Lexington Books.ETHIOPIA:the POLITICS of FAMINE,Freedom House.

10、一九八〇年代以降の「外務省コミュニスト四人組」と言えば、“田中均、孫崎享、中江要介、三宅和助”を指す。三宅和助の『外交に勝利はない―だれも知らない日本外交裏のうら  』(扶桑社)では、エチオピア飢饉への安倍晋太郎への洗脳工作の成功が自慢げに回想されている(二〇四~二一頁)。扶桑社の編集担当社員には、KGB工作員や北朝鮮工作員が多数活躍している。

11、『朝日新聞』一九九〇年一月十六日付。この「八項目」の第八番目にやっと北方領土関連が出てくる。が、それは「択捉島への元島民の墓参要求」。領土返還要求ではない。

12、二〇一二年九月九日、APECに出席した野田佳彦・首相が、ウラジヴォストーク(=ロシア語で「日本征服」の意味)でプーチンと首脳会談したおり、突然、ロシアの青年五百名を日本観光させたいので、明日までにヴィザを支給してくれと強迫された。野田は断るべきが日本の首相の義務なのすらわからず、外務省の職員を徹夜させて、その作業を命じた。プーチンが「日本は、どの程度、ロシアの属国か」をテストしたもので、野田は“プーチンの犬”になった。

13、この事件を扱ったドキュメンタリー映画に、ネクラーソフ監督の『暗殺・リトビネンコ事件』(二〇〇七年)がある。この殺害の実行犯はKGB第一総局(SVR)のアンドレイ・ルボコイと特定できたが、プーチン大統領は英国政府に犯人引渡しを拒否した(二〇〇七年七月)。

14、二〇〇六年十月に殺害された、チェチェン人を残虐に弾圧するプーチンを弾劾していたアンナ・ポリトコフスカヤ著『プーチニズム 報道されないロシアの現実  』の邦訳はNHK出版。

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