マンネルへイム元帥の教訓を忘れたウクライナを反面教師とすべき日本。履き違える安倍の危険 ──マレーシア機撃墜は、「親ロシア派」ではなく「ロシア侵略部隊」

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 ウクライナ国の東部におけるロシア人系住民の分離独立を狙う武力叛乱は、マレーシア航空の旅客機をミサイルで撃墜するという蛮行へとついにエスカレートした(七月十七日)。乗客・乗員二九八名すべてが殺害された。

 日本では、このマレーシア旅客機撃墜を、朝日新聞のように「親ロ派の仕業のようだ」だけの、通り一遍の報道で済ますのが一般的である。だが、果してこれが健全で中立的な報道といえるか。

 なぜなら、ウクライナからの分離独立を巡る表面上の「内戦」は、隣国ロシアのウクライナ侵略であるのが明白。にもかかわらず、「親ロ派…」と報道することは、さも純粋な「国内の内戦」であるかに作為した嘘報道つまり偽情報ではないのか。つまり、朝日新聞やNHKその他の日本の新聞テレビは、視聴者の日本国民を騙している。日本国民から真実を知る権利を奪っている。

 ウクライナの分離独立の武力蜂起は、正しくは、「内戦」に見せかけたロシアによる隣国ウクライナに対する侵略であって、それ以外ではない。マレーシア旅客機撃墜こそは、これを証明した事件であろう。

ウクライナのロシア系住民が地対空ミサイル部隊を運用することは不可能  

 ウクライナ国の東部に多い、かつてロシアから移住してきた血統がロシア人の子孫であるロシア帰属派たちは、これまで武器などいっさいもっていなかった。それなのに、二〇一四年二月、親ロ派の腐敗大統領ヤヌコビッチが追放されると同時に、彼らは大量の軍用ライフル銃で武装するばかりか、正規軍のウクライナ国軍と戦闘できる充分な戦車や装甲車などを持つ、事実上の軍隊へと突然変貌していた。

 しかも、ロシア防空軍部隊がもつ地対空ミサイルBUK(ブーク、備考)まで展開していたことが発覚した。ロシアがこれらの武器をウクライナ・ロシア人へ提供しているのは自明だが、問題の核心は、武器提供の問題ではないだろう。

(備考)BUKは、全長五・五五㍍の地対空ミサイル。射高は二万五千㍍。NATOコード名はSA11、別称はガドフライ(牛虻)。ロシア名は9k37、愛称は「ぶなの木」

 なぜなら、戦車や装甲車の提供であれば、それを操縦・運用できるものが(兵役除隊者など)ウクライナ国籍を持つロシア系住民の中にいるだろう。しかし、地対空ミサイルは現役のロシア軍の部隊でなければ扱えない。つまり、マレーシア旅客機撃墜は、ウクライナにロシア部隊が侵略している証拠を世界に闡明した。

 しかも、プーチン大統領も、彼らのことを「親ロ派武装住民」とせず、「義勇兵」だと口を滑らした(七月二十二日)。やはり、ウクライナの分離独立武装集団は、ロシアの正規軍から選抜された「義勇兵部隊」が主力で、この武力による分離独立の“主犯”は、プーチン大統領である。

 だが、日本政府は首相の安倍晋三が率先して、マレーシア旅客機撃墜について、ロシアの対ウクライナ侵略を非難していない。ロシアがBUKミサイルをウクライナ叛乱軍へ提供しているという、誰でもわかる表向き情況だけでも明白な事実すら、安倍は非難しない。

 これでは安倍晋三は、ロシアのウクライナ侵略を支持していることになる。ならば、ロシアが今なお侵略し続けている北方領土の奪還などありえない。北方領土への侵略も支持することになるからだ。安倍はプーチンに、頭を撫でられ、“ロシアの犬”になってしまった。安倍晋三は、日本の国益を毀損する売国奴の道をひた走っている。

 またロシア国防省は、このBUKがウクライナ軍のものだと虚偽宣伝するが(七月二十一日)、KGB第二総局出身の独裁者プーチンの指示による嘘宣伝の情報戦なのは世界衆知の事実。これほどの嘘付きプーチンに、正常な人間ならば嫌悪感をもよおす。だが、安倍晋三は、このプーチンを非難しないと明言した。

 やはり、米国のライス国務長官が喝破したように、安倍晋三は(正義感と良心を喪失した)嘘つきならず者(rogue)が本性。だから安倍は、ヒトラーを凌ぐ残虐な侵略者の正体を見せる“嘘つき”プーチンと馬が合う。そればかりか、安倍はプーチンに兄弟的な親近感を懐き秋波を送り続ける。安倍は、世界から顰蹙を買っている。

ロシアの再侵攻を予見したマンネルへイム元帥に学ばなかったウクライナ

 ところで、国内ロシア人住民による武力叛乱で混迷するウクライナから、日本が学ぶべき教訓は多い。ウクライナの対露防衛油断というか、その対ロ国防忘失の二十年史は、日本の反面教師である。

 ウクライナは、一九九一年末に、ソ連邦の崩壊に伴って、棚からぼた餅的にその独立を獲得した。この僥倖にくわえ、穏やかな民族性もあって、世界最凶に怖ろしい侵略民族ロシアを余りに甘く見すぎることとなった。ウクライナの悲劇でもある今般の「内戦」は、ウクライナ人の脳天気で愚行きわめる対ロシア防衛軽視の二十年史の結末だと嘆息するほかない。

 このことは、独立後のウクライナ二十年史を、フィンランド独立後二十年史と比較するともっと鮮明になる。なぜなら、一九九一年のウクライナのソビエト・ロシア帝国からの独立と、一九一七年十二月のフィンランドのロシア帝国・ボルシェヴィキ政権からの独立とは、全くといってよいほどに瓜二つ。しかも、ロシアの再侵略が二十二年後であることまでそっくり。これほどの偶然、世界史にそんなにあるものではない。

 ウクライナに対する新ロシア帝国の再侵略は、二〇一四年二月、クリミア半島におけるロシア系住民を焚きつけて武力蜂起させ、その混乱に乗じてあっという間にロシア部隊の上陸による軍事侵攻で占領した。そして、三月二十五日、ロシア連邦に強制併合した。それは独立からちょうど丸二十二年後だった。

 一方、フィンランドの場合は次の通り。フィンランドは、一九一七年十二月、ロシアから独立を宣言。フィン国内に(第一次世界大戦中のため)駐兵・展開していたロシア軍三万余と、これを援護するレーニンの共産革命に呼応するフィン人共産主義者を一掃したのが一九一八年五月。ここにフィンランドは完全な主権国家となった。

 それから丸二十二年後の一九三九年十一月三十日、ヒトラーのポーランド侵略により、世界の眼がポーランド滅亡に向けられている最中を利用して、ソヴィエト・ロシアは、戦車二千輌・五十万人の大軍をもって、フィンランドへの再侵略を決行した。航空機一千機の援護で、フィンランドの東から南部/中部/北部の三方を衝く奇襲電撃的侵攻であった。

 これをわずかの寡兵で食い止めフィンランドを守りぬいたのが、天才軍人マンネルヘイム元帥であった。「白い将軍」とも言われるマンネへイム元帥の肖像写真を、シベリウスの名曲「フィンランディア讃歌 」(一八九九年)を聞きながら眺める時、間宮林蔵と近藤重蔵が目に浮んでくる。いつしか私の耳には、“日本固有の領土”樺太・国後・択捉を奪還して欲しいとの江戸時代末期以来の日本の祖先たちの声が聞こえてくる気がする。

 なお、「フィンランディア讃歌」の邦訳は二つあり、一つは国名を「フィンランド」と翻訳したが、もう一つのは原歌詞のままフィンランドの古い国名「スオミ」としている。

マンネルヘイムは、どうロシアと戦い、どう小国の独立を守ったか

 “フィンランド建国の父”カール・グスタフ・マンネルヘイム元帥は、血統的には(一八〇九年まではフィンランドはスウェーデンの植民地であり)スウェーデン系の貴族(伯爵)の三男であった。マンネルヘイム(生まれと同時に男爵)は、家の没落と父親の出奔によって、学費のかからない軍人養成の幼年学校に入ったが退校処分となり、迂回して宗主国・ロシア帝国の名門士官学校「ニコラエフスコエ騎兵学校」(サンクト・ペテルブルグ)に入学し帝政ロシアのエリート軍人としての道を歩んだ。日露戦争では奉天会戦に参加した(騎兵中佐)。ロシア帝国での最終階級は陸軍中将。

 マンネルへイムが不世出のロシア通であったのは、この経歴による。それでも、マンネルへイムはフィンランドを祖国として“反露”であった。独立に当って、フィンランド軍総司令官となり(一九一八年一月)、階級は「騎兵大将」となった。

 反露はフィンランド国民の絶対多数だが、ほとんどは「親独反露」である中で、マンネルへイムは少数派の「親英反露」だった。また、反社会主義/反共産主義であった。ために、「反共・反露」である英国のウィンストン・チャーチルとは、同志的に意気投合した。

 さてマンネルヘイムは、ロシアから独立したからもう大丈夫などとは油断せず、「ロシアは必ずフィンランドに再侵攻してくる」と予見し防衛準備を怠らなかった。ツアーの帝国であれ、レーニン/スターリンの共産帝国であれ、「一億八千万人の大国ロシアは大規模な軍事力で電撃的に人口三百五十万人の小国を襲う」ことを自明だと考えた。

 一九一九年にフィンランドに初の士官学校を創設した。一九二四年には国防大学を開設して高級指揮官や幕僚要員の教育を開始した。予備役将校の育成にも手を抜かなかった。その数は、一九三九年のロシアの侵略時には、二万名近くになっていた。

 それでも平時編成の陸軍は三ケ師団と騎兵一ヶ旅団、戦車百五十両、航空機百機である。ただ、ロシアの大軍が集中的に侵攻してくるラドガ湖とフィンランド湾の間に、戦車の進行を阻む、世界的に有名な築城陣地「マンネルへイム・ライン」(140㎞)を構築していたのが功を奏した。「マジノ線」などのような立派なものではない。石などを活用した経費節約に徹した実に安っぽいものだったが、それでも大軍の電撃侵攻を阻み、翌一九四〇年三月十三日、ソ連と講和・休戦に漕ぎ着けた。

 ロシア側の損害は「戦死二十万人、戦車一六〇〇両、航空機六八四機」であった(注1)。「ソ・フィン戦争」「フィンランド戦争」「冬戦争」などといわれる、世界中から感嘆と称讃の拍手が寄せられた、このフィンランドの対ロ防衛戦争についての簡単な概説は、注2に掲げる一般書を参照されたい。

ウクライナは、制圧後、親ロ系住民を一人残らず国外追放せよ  

 ウクライナは、国内のロシア系住民を思いのままに操るロシアの内政干渉と軍事侵略とを、おそらく二〇一四年中にはかろうじて制圧するだろう。  

 問題は、この制圧後のことである。ウクライナ人は大人しいので、国内の融和を尊重し、叛乱住民を許す愚行を選択する可能性がある。だが、これは命取りになる。ロシアにとって、“いったん退却”は、再侵略のためであって、二度目は失敗しない。

 ウクライナは、鎮圧後のロシア系住民をことごとく処刑しろとは言わないが、首謀者を迅速に処刑することを躊躇ってはならない。問題は、首謀者以外のロシア系住民の問題である。

 ウクライナは、わずかでも今般の分離独立に加担したり協力したものに対して、一人残らず国外追放処分することを躊躇ってはいけない。また、この叛乱で国家が蒙ったすべての損害を彼らに賠償させるべく、彼らの財産をすべて没収することも断行しなければ、同じ叛乱が繰り返される。

 ロシアからの移民は、何代経ってもすべて“国盗りの前衛部隊”である。「ロシア人と見れば侵略予備軍と看做す」のが、箴言的だが法諺的な真理である。もしウクライナが、この真理にそむけば、次回の叛乱でウクライナ国は消滅するだろう。

 ウクライナはまた、ウクライナとロシアの国境線は長いが、それでも、マジノ線やマンネルへイム線を現代化した堅牢なものを構築する必要がある。

 さて、肝心なクリミヤ半島の奪還だが、これについては、ここで論じるのは紙幅がない。だが、クリミヤ半島についてウクライナは、この戦略的要地をロシアの侵略から守らんとして英仏の将兵十万人が死んだ(注3)犠牲を肝に銘じて欲しい。一八五四~六年のクリミヤ戦争である。このときの傷病兵への“クリミヤの天使”ナイチンゲールの愛の看護献身も忘れてはなるまい。ウクライナは、クリミヤ半島奪還を神が命令した国家の大事と心得なければならない。

 ウクライナは、まず早急にEUに加盟し、続いてNATOに加盟する方向の中で、一途にクリミヤ奪還の執念を世界に見せるべきである。クリミヤ半島奪還でウクライナが教訓とすべきは、遼東半島を「三国干渉」でロシアに奪われた日本が、一八九五~一九〇五年の十年かけて奪還した歴史を研究して欲しい。

 また、ウクライナは、トルコとの関係を緊密化して、モントルー条約(注4)の改正か廃棄かにつき、世界にアッピールし、米国の空母が黒海をいつでも遊弋できるようにしなければならない。

 二十一世紀は、十三世紀が再現される、“第二モンゴル帝国(過去記事あり)”が世界を席巻する戦争の世紀になりつつある。“第二モンゴル帝国”とは、言うまでもなく、新ロシア帝国と漢族の支那帝国とが連合したもの。

 世界は、米国を中心に、対ロシア/対支那で結束し、地球を跳梁跋扈する野蛮な二民族連合体の“第二モンゴル帝国”を軍事的に包囲する以外に、世界秩序を維持できない時代に突入したことを知るべき時である。

1、加登川幸太郎監修『第二次世界大戦通史―全作戦図と戦況』、原書房、二四~五頁。

2、武田龍夫『戦う北欧 抗戦か・中立か・抵抗か・服従か』、高木書房。植村英一『グスタフ・マンネルヘイム―フィンランドの“白い将軍”』、荒地出版社。

3、死傷者数は、フランス一五万人、英国一〇万人、トルコ一一万人、イタリア三千人である。伊藤政之助『世界戦争史』第八巻、原書房、一〇四三~一一一〇頁。 4、ボスポラス海峡・マルマラ海・ダータネルス海峡を通航する海軍部隊は、「総計で排水量一万五千㌧以下・十隻以下」とし、主力艦一隻に限りこの例外とするが空母と八インチ以上の砲装備艦を除くとした、一九三六年締結の条約。これによって、米国は空母機動部隊を黒海に突入できない。 だが。かつてロシアの空母アドミラル・クズネツォフが通過しており、モントルー条約は破棄されるべきが順当である。

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