収容のシベリア遺骨は99%非日本人、シベリア「日本人墓」には日本人は納骨されていない──厚生省担当者に、ロシアKGB直属の「敵国人ロスケ」以外はいない

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 『朝日新聞』2019年9月28日付けは、私が1980年から四十年間言い続けてきた自明のことを報道していた。日本人シベリア「107万人」強制連行・「60万人」大量殺戮の、この「60万人」犠牲者の墓など、ロシアには特定できる墓は一つも存在しない。当然、厚生省が持ち帰った「遺骨」と詐称されている骨は、全て無縁仏ロシア人か、ロシアに殺害された他の外国人の骨。つまり、どこの馬の骨かわからぬ代物ばかりを「日本人の骨」と詐称し“世界一の「超アホバカ」腐敗堕落民族”日本人を騙して、それによって金や経済協力をふんだくるロシア流の対日外交の一つである。“ロシア官庁”厚生省(備考)は、ロシアの“日本騙し”犯罪外交の共犯者に過ぎない。厚生省の担当者は過去に遡って全員を懲戒免職に附し、退職している者に対しては退職金全額返納の措置を講じるべきである。

 なお、上記『朝日新聞』の報道記事の見出しは、次。

●「シベリア遺骨収容 ずさん」 ●「597人分日本人でない疑い。(新・厚労大臣の加藤勝信は)検証組織設置表明」

(備考) 本稿では、「厚労省」とせず、「厚生省」としている。厚労省は、“脳内空っぽ総理”橋本龍太郎が、「(自分の業績が見える形にしておこうだけが動機のアホ馬鹿発想から「2001年1月」に拘って)21世紀だから、それ! 省庁再編成だ」を旗印に厚生省を労働省と全く理解不能にも統合させたため、誕生した(この法律は1998年)。が、引揚行政は、戦後一貫して厚生省の業務で、今に至る。「厚生省」としない限り、その歴史がわからなくなる。

ロシアは「60万人日本人」の墓標を禁止し、作れば銃殺した。埋められた場所の特定など不可能。

 強制重労働収容所(ラーゲリ)と「囚人(ゼック)」への無差別殺戮を担当する、ベリアが全権を握るNKVD(内務省、組織は軍隊と同一)のグラーグ(ラーゲリ総管理局本部)(注1)、1945~6年、日本人将兵および一般男児「107万人以上」をシベリアに強制連行し、(生きて帰還できれば奇跡と考えてよい)“地獄のラーゲリ”に入獄させた。スターリンは、日本人ゼック「107万人」を、共産主義者に転向した数万人の「日本人」で編成した対日侵攻部隊(1950年末には樺太から北海道に侵攻すべく、樺太にその司令部が出来ていた)を除き、全員殺す予定だった。全員殺戮にならなかったのは、「帰還させろ!」と、スターリンに圧力をかけ続けた米国の功績である。なお、松村知勝および瀬島龍三率いる「赤軍」が樺太から北海道に侵攻しなかったのは、1950年中に釜山が陥落せず、マッカーサー元帥の仁川上陸が成功したためである。

 要は、55%の「60万人」はシベリアで殺されたが、45%に当たる「47万人」が帰国できたのは、日本人奪還に全力投入した人間的なGHQ(=米国)の対ロ圧迫交渉の偉大な成果である。“人道的な紳士国”米国が日本占領をしていなかったら、(樺太から北海道に侵攻する松村知勝・総司令官/瀬島龍三・参謀長が率いる五~六万人の日本人赤軍部隊を除き一人も帰国していない。

 米国の度重なる圧力に、スターリンのロシア政府は半分ほど屈して、日本人強制連行の数を半分ほど認めた。が、スターリン/ベリアは、殺した日本人死者数「60万人以上」については、十分の一の「6万人前後」に改竄し実際の殺戮数を断固認めず、しかも厚生省に「この数字以外を使うな」と命令した。が、諜報能力世界一の米国は、NKVDグラーグ内部の資料を入手しており、スターリンに「シベリア強制連行の日本人は105万人以上」を言い続け、その全員を奪還せんとベストを尽くした。

 が、日本人以上に日本国を愛し尊重した米国とは真逆に、元GRU工作員の赤色将校が跋扈する“反・日本の魔窟”厚生省引揚援護局は、ロシアが渡す数字「日本人死者6万人前後」の真赤な嘘を知りつつ、それを絶対だと追従し、シベリア強制連行の実態をあらん限りに隠蔽・改竄した。

 “敵国人ロスケ”厚生省引揚援護局は、「ベリアのNKVDは、ラーゲリ運営において、死んだ囚人の墓標を絶対禁止にしていたから、ロシアには発見できる日本人の墓は一つも存在しない」事実など(注2)、百も承知。つまり、「60万人」の埋葬場所を特定することは、火星に墓をつくる事より、はるかに困難だと知っていて、遺骨収容と詐称する税金無駄遣いをし続け、すでに数十年。

 つまり、「ロシア人が墓をつくってくれていた」との言を聞けば、即座に、この「大嘘付きのロスケめ!」と、相手側ロシア政府の役人(現SVRのKGB第一総局「日本課」職員)をぶん殴るのが、厚生省の担当職員の仕事である。なのに、逆さにも、非日本人の無縁仏の遺骨に「日本人の骨」の嘘ラベルを貼りつけ持ち帰るとは、この厚生省の担当職員は、故意による、ロシアの対日騙しの一員ではないか。計画的・意図的に日本人騙しを職業とする“犯罪”国家公務員、それが厚生省の職員である。

 要は、厚生省の担当者とは、KGB提供のロシア美女(ほとんどが18歳・19歳)を抱くことを目的に、やりたい放題のズサンさで“犯罪”「遺骨収容ごっこ」をしている。このような厚生省担当職員の悪魔的な残忍性は、彼らが人間ではないからである。国家叛逆行為の最たるものに相当する以上、彼らの懲戒免職をしないとすれば、国家公務員法は死文と化す。

 なお、今般の「朝日新聞」報道は、この敵国人ロスケの厚生省職員のメールを問題視している。朝日新聞には、犬畜生性しかない“赤黒新聞”産経新聞と異なって、時たまに限るが、このような真っ当な論評をすることがあり、びっくりさせられる。

第一節 “日本人遺棄・抹殺”を省是とする“ロシア官庁”厚生省の“狂「反日」大犯罪”

 戦後の厚生省の引揚行政は、旧陸軍省に丸投げした。ために厚生省引揚援護局は、実態的には旧陸軍省の残存部隊で構成した。しかも、コミュニスト阿南惟幾大臣の股肱で、陸軍省官房長(「高級副官」と称した)だった“狂信的なロシアGRU工作員”美山要蔵が、引揚援護局をベリアの直属組織として永きにわたり牛耳った。当時の美山要蔵は“引揚援護局の天皇”で全権を握っていた。

慰霊心があれば、“歴史偽造”が目的の厚生省製ハバロフスク「日本人死亡者慰霊碑」を爆破する

 まさに、厚生省とはロシアKGBに直属する官庁。一度として、日本国の官庁であったことはない。この情況は、敗戦から五十年を経た1995年ですら変わらなかった。その証拠の一つが、ハバロフスク市に厚生省が全額支出して建立したトンデモ施設「日本人死亡者慰霊碑」とその竣工式典。

 なお今も、慰霊などする気も無いのに「慰霊公苑」と詐称する、この施設の清掃代(日本人の税金)を毎年、厚生省はハバロフスク市=ロシアに支払っている。日本人六十万人殺しの犯罪国ロシアに金を貢いでいるのが、堕落と腐敗極める“世界最低民族”日本人ということになろう。“朝鮮史上、最低大統領”文在寅のスーパー自国損傷癖を百倍濃縮した“腐りきった鰯”が、実は、1930年代からの日本人一億人の真の実態である(備考)

(備考)文在寅を嘲笑う『月刊Hanada』も、文在寅の腐敗と愚昧と狂気を百倍濃縮させないと生まれない「スーパー劣悪の日本人」達が執筆する、日本人の「朝鮮人以下」への劣化促進が目的の超“反日”雑誌。すなわち、“超「反日」雑誌”『月刊Hanada』を購読する“非国民の日本人”が存在することも、「一億日本人は“腐りきった鰯”」説の正しさを明証する証拠の一つである。

 ロシアが「ハバロフスク慰霊公苑」の建設を日本に許可した理由は、KGB第一総局が「新生ロシアは、ソ連邦とは打って変わって、米欧と同じ人道的な国家です」との嘘イメージを日本人に洗脳するための偽情報宣伝外交の一環。目的の第二は、ソ連邦の崩壊から1992~6年のロシアは外貨が払底しており、日本人観光客から外貨を踏んだくる金稼ぎ策が必要だった。プーチンを見れば、ロシア政府に人道的なロスケなど一人もいないぐらい、直ぐにわかるだろう。

 話を戻す。さて、“悪魔のロスケ”美山要蔵が死んだのが1987年。ということは、1995年のトンデモ施設「日本人死亡者慰霊碑」の建立は、この“凶悪ロスケの亡霊”が死後八年間も厚生省を牛耳り続けていたことを意味する。だから1995年、どこかの新聞報道で、菊竹清訓が設計した「日本人死亡者慰霊碑」(一億五千万円)の写真を見た瞬間、私は“憮然二割・怒り八割”を爆発させた。特に、この新聞だったか、その後の何かの出版物だったか、この「日本人死亡者慰霊碑」竣工式での瀬島龍三の「式辞」を読んだ時、怒りが活火山となって、怒髪天を衝いた。

 第一。“自国民殺戮の記録保持者”瀬島龍三は「式辞」(附記)で、「六十万人の日本人男児がシベリアで殺された」のに、嘘数字「六万余人」だと十分の一に大改竄した。また、強制連行数も露骨に五十万人減らして「約60万人」だと歴史を大偽造した。この嘘歴史「捏造」犯罪に怒ったのである。

(附記) 慰霊祭で「式辞」という言葉は適当か。この1995年9月12日は、“死への滑り台”シベリア強制連行の「50回忌法要」に当る。少なくとも「悼辞」とすべきに、そうせず「式辞」としたのは、主催者側の厚生省や瀬島龍三が“敵国人ロスケ”で、同胞への鎮魂の真心など一㍉も無いからである。

 第二。通常の人間性ある人間として、健全な日本国民として、私の当然の怒りは、瀬島龍三こそ「満洲邦人婦女子25万人以上殺し」&「シベリア60万人以上殺し」&「レイテ島10万人殺し」の、“日本人100万人(実数)殺しの張本人”であり(「参考1」参照)、瀬島龍三を断固出席させてはならないのに、その逆に、厚生省が瀬島を主賓扱いにしたからである。瀬島龍三の出席とは、シベリアでロシアに無残に殺された「60万人の英霊」に対する(死者を足蹴する、鬼畜に優る)冒涜行為の何物でもない。鎮魂の真心があるなら、瀬島の「日本人死亡者慰霊碑」竣工式出席に怒るのは、当り前すぎよう。シベリアの凍土で五十年間慟哭している“墓標なき六十万人の日本人男児”の御霊に代わって私は、瀬島龍三に怒りの拳を上げない、1995年の“堕落”日本人と“「反日」犯罪者の巣窟”厚生省に怒りを爆発させたのである。

「犠牲者」を「死亡者」に、戦争終結で平和到来の1945~56年を「戦争中」に摩り替えた厚生省

 なお、この「日本人死亡者…」の三文字「死亡者」も、トンデモ言語の極み。ロシアに殺戮された“犠牲者”を、さも病気や事故で死んだかの偽イメージの「死亡者」に摩り替えており、ロシアの日本人殺しの犯罪を隠蔽する犯意がありありの死者冒瀆のゴロツキ語。絶対に許してはならない。

 もう一つ。「ハバロフスク日本人死亡者慰霊碑」の碑文が、真赤な嘘である問題。碑文全文を以下に引用する。すぐさま怒った読者は、真面な人間。すぐに怒りがこみ上げなかった読者は、未熟な人間。私の説明の後でも怒らなかった読者は、人間未満の野獣か鬼畜。死んだ方がいい。

「先の大戦の後1945年から1956年までの間に祖国への帰還を希みながら、この大地で亡くなられた殺された日本人の方々を偲び、平和への思いを込めてポツダム宣言とジュネーブ陸戦法規違反の残忍なロシアを恨み復讐を誓ってこの碑を建設する」(カッコ内のゴチック中川)

 カッコ内は、狂いに狂っているこのトンデモ碑文を、私が正しく添削修正した、日本が主権国家なら譲ることができない、歴史と国際法に正しく合致させた文言である。特に、“トンデモ逆立ち語”「平和への思い」を用いるとは、日本人は腐った鰯以下。

 なぜなら、「シベリア日本人犠牲者60万人」は、平和が到来した1945年8月15日or9月2日以降に起きた、平和時の強制連行&平和時の大量殺戮の犠牲者である。もう一度言う。これは大東亜戦争中に起きたホロコーストではない。第二次世界大戦中に起きたホロコーストでもない。

 ポツダム宣言の「降伏後の日本の将兵は、速やかに故郷に帰還させる」に180度違反するばかりか、人道に違背する罪を、ロシアは犯したのだ。このロシアの重犯罪を糾弾し続けることが、日本をして、ロシアの属国となって国際連盟を脱退した1933年3月以前の日本国を回復させうる。このためにも「ハバロフスク日本人死亡者慰霊碑」を爆破し、この世に存在させてはならぬ。厚生省は、毎年ハバロフスク市に支払っている清掃代金など、今後は一円たりとも支払ってはならない。そんな金があるなら、厚生省はハバロフスク市に爆破を委託し、この慰霊碑の爆破を実行せよ。それこそが、平和が到来した後にシベリアで殺された六十万人日本人への真なる鎮魂の慰霊だろう。

“悪魔の日本人抹殺官庁”厚生省の数字は全て捏造。その遺骨収容は全て“日本騙し”の大嘘のみ

 美山要蔵の命令で厚生省引揚援護局がデッチアゲた嘘数字は、『満洲・北鮮・樺太・千島における、日本人の日ソ開戦(備考)以後の概況』(1959年5月刊)で、シベリア強制連行は「57万5千人(20頁)とする。が、阿部軍治『シベリア強制抑留の実態』の優れた研究成果と整合作業をしても、シベリアに強制連行された数は「107万人以上」が最も正確な数字と考えられる。

(備考)美山要蔵が率いる引揚援護局らしく、「ソ連対日侵略」を「日ソ開戦」と改竄。“ソ連人”美山は、「1945年8月9日、日本はソ連に宣戦布告した」に摩り替えた。なお、A級戦犯の靖国合祀を靖国神社に命じたのは、美山要蔵。当時、引揚援護局が、旧陸軍省・海軍省の靖国神社合祀名簿送付権を引き継いだ。

 実は、この数字「107万人以上」は、引揚援護局の良心的役人がこっそり残してくれた改竄前の数字である。1955年版『続・引揚援護の記録』24頁上段に、次のように書いている。

(1945年8月以降、1946年4月末まで)九ヶ月の間に、(ロシアは)ポツダム宣言第九項の規定を無視して、約107万人以上が、シベリアに移送され、さらに遠くは外蒙、ヨーロッパ・ロシアにまで亘って、1200以上の収容所に分散配置された」。

 『満洲・北鮮・樺太・千島における、日本人の日ソ開戦以後の概況』(1959年5月刊)の38頁は、シベリアで死亡した人数を「7万人」としている。とすれば、入露は「107万人以上」だから、「100万人」が帰還したはず。が、厚生省『続々・引揚げ援護の記録』1963年版では、「帰還者は47万2973人」だから、「107万人以上―47万3千人=60万人死亡」となる。「シベリアでの日本人死亡者は六十万人」が、最も正確な数字と断定できる。

 この強制連行「107万以上」が正しいのは、1981年頃、私は次のラフ計算をしたが、これと一致するからである。シベリア強制連行の軍人・軍属は、満洲から「70万人」、北鮮から「7万人以上」、樺太・千島から「8万人」で、合計85万人。これに、1945年9月以降に始まる男狩りによる男児一般邦人の「20万人以上」が加わる。すると、「85万人+20万人以上=105万人以上」となる。この「105万人以上」は、1955年の厚生省数字「107万人以上」と、見事に一致する。また、米国の諜報機関の数字「105万人以上」とも一致する。

 さて、序なので、厚生省『満洲・北鮮・樺太・千島における、日本人の日ソ開戦以後の概況』(1959年5月刊)にある、卒倒するほかない真赤な嘘八百を暴いておこう。見開き39~40頁のタイトル「病弱者逆送状況一覧表」である。

 強制連行した日本人を一人残らず重労働と栄養失調で殺す予定のロシアが、病弱者をシベリアから送り返したとし、その数を「4万2550名」だと記述しているのには、(私がこの厚生省トンデモ文書を読んだのは1981年だったが)心底から飛び上った。なぜなら、ロシアは、病弱者をシベリアの各線の線路脇に遺棄した。つまり、移送中に不幸にして病気をした者は、線路わきで餓死・凍死した。

 例えば、逆送地点だと詐称する黒河に日本人が一人でもいるのか。既にいない。そこで病人の日本人を誰が面倒見るのか。当然、いるのは支那人のみ。が、彼らは着の身着のままで奉天などを目指し逃避行する日本人を襲った暴民だらけである。

 さて、厚生省のシベリア抑留の数字が、1955年版と1959年版とが大幅に異なるのは、明快な理由がある。1956年10月の日ソ国交回復以降は、ソ連(ロシア)大使館が、厚生省の文書を全て検閲するようになったからだ。しかも、ロシア大使館は(備考)、数字も記述方法も事細かに検閲した。これを日本側から是認・協力したのが、1954年に引揚援護局次長になった美山要蔵であった。引揚援護局の局長は旧内務省のキャリアで、局内業務すべてを美山に丸投げした。美山の退官は1962年。

(備考)対外政策に関する限り、ソ連とロシアとの間には差異が無い。この理由で、私と曽野明は会話においては「ソヴィエト・ロシア」or「ロシア」として、二文字「ソ連」を使うのは稀だった。なお、国内体制のうち経済分野では、ソ連とロシアは半分ほど相違する。新ロシアの対外政策を「ソ連とはまるで変った」などと妄想的な間違いを決してしない事。プーチンの対日政策が、スターリンのそれとそっくりなのを直視されたい。

 序だが、シベリア抑留関係の資料に関して、信用できるのは少なく、信用できないのがほとんどという実情について一言。このことは、表1だけでも明瞭。多くの体験記は信用できるが、これは貴重な参考にはなっても、全体像の学術的分析には直接的には使えない憾みがある。いずれの日か、これらを総合的・総括的に纏めたいと思っている。その時、瀬島の『幾山河』や富田武『シベリア抑留』を徹底的に糾弾することになろう。

表1;シベリア強制連行・重労働・殺戮史に関する、信用できる専門家と信用不可の「反日」人士

(備考)GRUロスケ草地貞吾は、札付きのKGB「対日」工作員の名越二荒之助(ソ連共産党員、北朝鮮人)と組み、石川護国神社に2000年、一億日本人皆殺しを祈願する「悪魔の大東亜聖戦大碑」を建立した。この建立委員会のメンバーに、中核派・革マル派の学生を育成した“変人ロシアKGB工作員”小室直樹もいる。また、民族系を擬装するゴリゴリ共産主義者「KGBロスケ!」小堀桂一郎も、メンバーの一人。草地・名越の「大碑」をダイナマイトで爆破しなければ、日本国民絶滅による日本国滅亡は避けられない。

日本人遺族等が建立したシベリアの墓に納骨されている骨は、確度100%で日本人のではない

 大幅に話が脱線した。本稿にモチーフ「シベリアに眠る日本人犠牲者たちの遺骨」に話を戻す。表1に挙げたウクライナ人の「ステファン・コスティク」氏は、実に、貴重な証言を収集している。

 二証言を紹介する。その一つは、クラフチェンコ氏の証言。

「1948~9年、モルドヴァの第16収容所に収容されていた私は、(数百人の死体が埋まる)幅1㍍/長さ10㍍の墓地の改造をさせられた。誰かが日本人の墓だと言った。・・・(この改造で)墓標を日本人ではないのに取り替えた。1945~6年にかけて、ここに沢山の日本人が収容されていて、全員が亡くなった(から、その墓だろう)(カッコ内中川)

 ロシアが仮に墓穴に墓標を付けたとすれば、それは、埋めた死体の国籍を分からなくするための偽装墓標。厚生省の担当官が、日本人の墓を見つけ出すことなど、万が一にも不可能。況や、地元の一般ロシア人が、「これが日本人の墓です」と、デタラメ厚生省の役人に告げたとすれば、KGBから金をもらっての真赤な嘘演技(嘘証言)。日本人墓捜しに厚生省の役人がいそいそとシベリアに出かけるのは、KGBが提供するロシア美女をただで抱けるからで、それ以外の目的はまったく無い。

 次に、ドリニシャ氏の証言。

「私はタイシェット地方の第39収容所に移送され、1951~2年、ここにいた。この収容所は、日本人捕虜がいたが、全員、赤痢とチフスで死亡したとのこと。ある日、森に連行され墓地の整理をさせられた。大きな墓地があり、日本語で書かれた(木の)墓標があった。いくつかの墓穴にはそれぞれ数十人の死体が入っていた。私たちの仕事は、これらの死体をいったん掘り起こし、さらに深く穴を掘り、そこに死体を埋め直し、深く土を被せる作業だった。この墓地には2500人の日本人捕虜が埋められ、隣の墓地ではさらに多くの日本人が埋められているとのこと」(カッコ内中川)

 Leninが建国したソ連では、ラーゲリの囚人の墓は、後年、誰かに掘り起こされないようにするため、その場所は、厳重に秘匿された。だから、墓の記録はない。一方、囚人としてラーゲリに収監される際につくった「107万人」の記録は、グラーグを所管した旧構成共和国のアーカイブに今も残っている。

 以上の引用をしたのは、当たり前の事を二つほど指摘したいからである。第一。さる2019年8月23日、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で、シベリア抑留者やその遺族が献花・黙祷したが、そこに眠る1万6700柱のシベリアで収容された遺骨は、一つとして日本人のそれではない事実。

 第二。タシケント(ウズベキスタンの首都)の日本人墓地には、西洋式の墓87基が整然と並んでいるが、1990年5月に日本人の金で整備したからだ。ウズベキスタンで殺戮された日本人捕虜は一万人をはるかに超える。一万五千人ぐらいだろう。それがどうして87名なのか。全てがKGBの脚本に従った、恐ろしいほどの真赤な嘘歴史を、日本人は慰霊だと錯覚して、捏造している。

 この墓を建立した日本側は「日ソ親善協会福島県支部」で、ロシア大使館・KGB東京事務所が所轄している団体。今や、日本人は、人間の頭を有しておらず、アヒルや豚の頭と変わらない。嘘だと思うなら、この87名のDNAを調べてみよ。一人として日本人はいない。

第二節 「死者など虫けら」が信条の“唯物史観”厚生省は、遺骨収容に全く関心なし

 ノモンハン戦争での戦死者の遺骨は、1939年夏から八十年経つが、基本的には未だに野晒しのまま。厚生省は形だけの遺骨収容の演技をしては、国民や遺族を誤魔化している。やはり、“殺人狂の鬼畜”辻政信の後継者を自認する厚生省は、美山要蔵の命令「スターリン様に殺されたロシアへの生贄を収容するなど、宗主国ロシアへの叛逆となるので、その収容をすべきではない」を今も宗教的信仰において頑なに遵守している、と言える。

 第二節は、厚生省はなぜ、日本人の遺骨だとはっきりと確定できる遺骨の収容に消極的で、露骨に嫌がるのか、について論じる予定だった。例えば、ノモンハンのハルハ河には、まだ数千人の日本人の遺骨が眠り、しかもモンゴル政府は日本政府に“いつでも/好きな期間”遺骨収容をされたい旨を通知してくれている。だが、厚生省は真面目に遺骨収容をする気配を見せない。この問題を論じるのが、この第二節の予定だった。

 が、第一節は9月30日に脱稿しており、この第二節を研究して追加すると後三日以上がかかる。第二節はいずれの機会に後回しにし、いったん第一節をブログにupすることにした。

 

1、ラーゲリについての参考書として、次の三点を薦める。

 A、ジャック・ロッシ『ラーゲリ強制収容所注解事典』、恵雅堂出版。

 B、ソルジェニーツィン『収容所群島』全六巻、木村浩訳、新潮社。

 C、クルトワ他『共産主義黒書』第11章/第13章、恵雅堂出版。

2、墓標が絶対禁止だっただけでなく、穴を掘り土に埋める事すら許可制だった。凍土ではこの穴すら掘れなかった。偶然にも生きて帰還できた者が画いた絵が遺っており、この絵から「シベリアに墓なし」の実際がわかる。例えば、阿部軍治『慟哭のシベリア抑留』のグラビアを参照のこと。

 

(参考1) “美山要蔵の同志”で大量殺人狂の瀬島龍三は、日本人百万人(実数)どう殺戮したか

  • 1945年8月のソ連軍の満洲侵攻の基本戦略は、瀬島龍三が直接指導したことは間違いない。瀬島は、1944年12月、一人でシベリア鉄道に乗りソ連に公然と入国し、一ヶ月半、ソ連に滞在した。帰朝は、1945年2月11日。モスクワにおける滞在のうち二週間以上も足どりが不明。この「二週間以上」の期間、瀬島は、ソ連地上軍参謀本部で、対満洲侵攻のルートの指導を行っていた。つまり、モンゴル領内の、トムスクを中心とする、あの巨大「対満洲」侵攻基地の存在も、瀬島はこの時、十二分以上に知り尽したはずである。
  • 満洲の一般邦人への避難命令を、関東軍総参謀部は、8月9日のソ連軍の侵攻後ですら出さなかったのは、在満洲に広く薄く展開する関東軍の各部隊に、「一般邦人への避難命令も出ないから、侵攻するソ連軍部隊は小規模だな」と錯覚油断させ、ソ連軍に鎧袖一触で“満洲無血占領”させるためだった。つまり、瀬島は松村知勝と謀議し、在満洲一般邦人の皆殺しを目論んだ。
  • 瀬島龍三は、GRU同志の美山要蔵と謀議して、満洲の精鋭部隊を“守ること全く不可能で戦場として無意味な”レイテ島に食料なしで送り込むことにし、残忍にもこれを実行した。対ソ防衛の満・蒙・鮮の日本陸軍のうち、フィリッピンに急遽転戦させられた部隊は、第一、第八、第十、第二三、第二六、第三〇の各師団、第六八旅団、戦車第二師団、第五五独立混成師団である。中川八洋『山本五十六の大罪』、230頁。レイテ島戦では九七%が戦死。死因のほとんどは餓死。同書229頁。

 

(参考2) “殺人狂ロスケ”辻政信や、幸徳秋水系アナーキズムを継ぐ大川周明の、その古びた著作を復刻する、奇妙奇天烈な“過激「反日」”出版社『毎日ワンズ』の背後は誰?

 日本国と日本国民とを致命的に毀損した“殺人狂ロスケ”辻政信と“幸徳秋水系の暴力アナーキスト”大川周明の「反日」極左本など、戦後とっくに墓に埋葬されていた。なのに、これを二十一世紀に矢鱈目鱈に復刻するばかりか、高額の朝日新聞に五段全面広告を打ち続ける、実に財政力豊かな、しかし、得体の知れない出版社が暗躍するようになった。その名は『毎日ワンズ』。

 しかも、この新奇な出版社『毎日ワンズ』(創業は1986年)について、何故か、その背後が語られない。実に、摩訶不思議としか言えない。まさか「怖いから」ではないだろう。それはともかく、“殺人狂ロスケ”辻政信の、日本人殺しの犯罪戦場をリストしておこう。

 第一。満洲侵攻のリハーサルを兼ねて、モンゴルに巨大「対満洲」侵攻基地を作らせるために、スターリンが計画したモンゴル領内ハルハ河(日本では「ノモンハン」と言う)で、日本軍2万人を殺戮することが直接目的のノモンハン戦争を、「国境防衛だ」との真赤な嘘ラベルを貼って実行した。そして、「変だ」と察した生き残り将校等を口封じで自殺を強要、あるいは南方に左遷した。

 第二。辻政信は、同じく、凶悪コミュニスト朝枝繁春と共に、「シンガポール華僑粛清事件」と称される、無差別華僑銃殺の主犯である。華僑五千人ほどを殺している。人間殺戮が、“精神異常者”辻政信の信条で快楽だった。

 第三。殺人を快楽するため辻政信は、バターン半島で投降した米軍兵士を「一律に射殺せよ」のニセ大本営命令を現地部隊に触れ回って歩いた。一部の部隊は(第122連隊)、投降米軍兵士への一斉射殺を実行した。

 第四。ポート・モレスビー攻略における、馬鹿げたオーエン・スタンレー山脈越えを強行させるに、ニセ大本営命令書をつくり、百武晴吉・中将に手渡している(1942年7月15日)。この部隊は、ほぼ全員、餓死する破目になったが、当たり前だろう。不可能だからだ。

 話を戻す。この悪魔すらたじろぐ“殺人狂の精神異常者”辻政信を美化し英雄視する出版社「毎日ワンズ」は、いったい何を狙っているのだろう。日本人を皆殺ししたいのか? 本ブログ読者は、真剣に考える必要がある。 

(2019年9月30日記)

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