“刑法不敬罪の犯罪者”西尾幹二/花田紀凱の毒談・害談 ──幸徳秋水を継ぐ、天皇制廃止の“鬼畜アナーキスト”達は何を吠えたか

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 “皇后殺し・皇族殺しの論壇テロリスト”二人が、ついにその永年隠してきた共犯・共謀関係の顔をひょっこりと覗かせた。難波大助の生れ変り西尾幹二李奉昌の生れ変り田紀凱(日本名「花田紀凱」)が、“民族系ごみ溜め雑誌”『正論』2018年10月号で害談する大チョンボを犯したのは、逃げ切れると踏んだ殺人犯が隠れ家から油断して街に買い物に出てきた光景に似ている。

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不敬罪四ヶ条の復活を急がねば、皇室の安泰は赤信号 ──“皇室讒謗の狂犬”西尾幹二を起訴し、懲役三年の実刑を科せ!

筑波大学名誉教授    中 川 八 洋

 前稿「皇室讒謗の狂犬”西尾幹二&加地伸行“」で、不敬罪の旧・刑法条文を迂闊にも書き忘れた。本稿は前稿を補充するもので、その続きである。

 1947年に施行された新刑法において、GHQが「占領中に限り」として削除した、旧・刑法の不敬罪条項(明治40年制定)は、次の四ヶ条である。

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ワック社社長・鈴木隆一は、“不敬の狂書”『皇太子さまへの御忠言』の責任をとって皇居前広場で自死決行か?

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋  

 刑法から不敬罪が、終戦後のどさくさで削除された。この削除の主導者は、本当にGHQなのか、実際は日本側でないのか、の真相解明の論文が一本もない。日本側が実態上の主犯なのに、「GHQが主導し、日本側はやむなく」とその責任をGHQに転嫁したのが、真相ではないだろうか。  

 が、このような削除に至る歴史経緯の解明は、問題としては二の次であろう。なぜなら、問題の第一は、GHQが消滅した1952年4月末以降に直ぐ、日本はなぜ、この刑法不敬罪を復活しなかったのかの方だからである。以来、すでに六十五年以上の歳月が経つ。が、刑法不敬罪の刑法への復活問題は、運動も起きないし、私一人を除いて声すら全くない。

 安倍晋三は、「戦後レジームの脱却」などと、心にもない真赤な選挙用嘘宣伝に勤しむ。が、むろん“口先男”安倍晋三の頭の中には、「戦後レジームの脱却」などつゆほども存在しない。GHQの消滅以前から日本国民の大多数が悲願とした、「戦後レジームの脱却」の筆頭「“GHQの置き土産”憲法第九条を破棄して、主権国家の精髄たる国防軍設置を明記しよう」すら、安倍晋三はボロ雑巾のようにポイ捨てしたのは、この何よりもの証拠。

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高徳の今上天皇の弥栄(いやさか)を寿ぎ奉る

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 本稿は、本シリーズの第十一章「一九四五年夏(十歳)で時計が止まった戦争狂の狂人」において、西尾幹二が十歳のとき書いた父親宛の手紙を精神医学的に分析解剖するに、比較として引用させていただく予定であったが、畏れ多くも今上陛下の宸記(しんき、ご日記)であるので、同一の論文内に並列的に記載するようなことは甚だしき不敬だと考え、別稿とした。

 また本稿を、西尾十歳の気味が悪い手紙(第十一章)の穢れから遠くに隔離するに、コピー用紙で合計36枚になる第十二章/第十三章-1&2/第十四章を間に挟めば、この穢れを遮蔽できるようにも思えた。穢れはα線ではないから科学的な考えとはいえないが、読者は諒とされよ。

 なお、読む順序だが、読者は、本シリーズ第十一章を読む前に、この第十五章を諳んじておくのを勧めたい。そうすると、西尾幹二の狂気が直ちに感知できる。

 天皇陛下がお生まれになられたのは一九三三年十二月二十三日。昭和天皇の玉音放送の時点(一九四五年八月十五日)においては、十一歳であられた。すなわち、十歳の西尾幹二は、陛下とは同年代に括られる。

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