天皇陛下に“お前は、廃帝!”と罵倒する安倍晋三「4・30」に変更なし──“赤色の山羊”八木秀次の嘘は、止まらない暴走列車

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筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 一般の日本人は、日本国の未来が危殆に瀕する最悪事態が目前に迫っている状況を、どこ吹く風と、阿呆や痴呆より数百万倍もひどいスーパー能天気ぶり。惰性と享楽の生活にどっぷり埋没し、いかなる生物も必携する生存の緊張すらない。日本人は、死に体同然の生きた骸と化した。

 一方、テレビ・新聞・雑誌・出版界は、日本国にとどめを刺さんと、日本人が自国の近未来に近づく暗澹の終末に気づかないよう、毎日、有毒溶解液を大量にザンブザンブと日本人の頭にぶっかけている。ために、今や日本人は、精神の腐敗を加速させ知力・知性を完全喪失させ、亡国という危機に瀕した“明日の日本国”が、全く見えない盲目と化した。

日本亡国の凶兆の一つ、ギボン『ローマ帝国衰亡史』を手にする日本人が今やゼロ。

 この情況は、亡国して地球から消えた古代アテネの末期と瓜二つ。いや、それよりひどい。古代ギリシャの都市国家群がデモクラシーの必然としてモボクラシー(衆愚政治)を弄び、亡国に至ったことは小学生でも四年生になれば知っている。

 あるいは古代ローマ帝国が、カラカラ浴場などの贅沢な遺跡に見る如く、カラカラ帝の超福祉バラマキによる豪奢な繁栄を最後に滅亡へとひた走ったが、この滅亡過程の歴史を早送りすれば、これから二~三十年以内に確度100%で起きる日本国の未来が、スクリーンに映し出される。

 ローマ帝国は、決して信用してはならない蛮族の外国人を、「労働者」ならぬ「外的侵略に対する防衛力」(傭兵)とする“逆走国防”策を採り、同時に、祖先と繋がる民族発祥の固有宗教を捨て、祖先を忘れ、祖先との精神の繋がりを切断した。祖先を忘れることは、子孫を忘れる事に一直線に直行する。祖先と子孫を亡失した民族には、国家滅亡が不可避。この国家存続の大原則を、絵に描いたように、ローマ帝国は滅んだ。祖先と子孫を欠如する(反・政治の)“スーパー福祉”に狂奔する日本の命運は、ローマ帝国滅亡の過程を新幹線の速さで必ず再現する。万が一にも、これ以外の未来は、日本には到来しない。

“最後の愛国者”デモステネスを自死させた、“デマゴーグの群れ”が支配した滅亡直前の古代アテネ

 日本は世界で唯一に超平等を極限まで推し進め、エリートの撲滅・死滅を目指した“一億総凡庸”の社会づくりに爆走している。このため、「悪貨は良貨を駆逐する」の諺通り、皆と異なる非凡な“愛国心と知性とをもつエリート”は、徹底的に排除され、日本国から駆逐されてしまった。当然、日本では国家の未来を担う人材は、ついに払底しゼロになった。

 モボクラシーで腐敗する古代ギリシャが、“愛国心をもつ国防重視のエリート”を排除し、一気に地球上から消え亡国したが、滅亡直前の古代アテネより、今の日本の方がはるかにひどい。すなわち、“デマゴーグの群れ”がアテネの世論を牛耳り、賢者デモステネスを自殺に追い込んだが、今の日本はそれ以上の腐敗と紊乱ぶり。本稿は、凶悪なデマゴーグの例として、“天皇制廃止の策謀家で煽動家”八木秀次をとりあげる。

第一節 八木秀次が策謀の共産革命「皇太子不在→次期天皇不在→天皇制廃止」

 小林よしのりは、“卑劣と策略の人物”八木秀次を論じる時に限り、どういうわけか、真正の日本人になる。『SAPIO』2017年2月号で、八木秀次を面罵して「天皇の逆賊は、お前だ!」と、小林よしのりは絶叫している(15頁、四段目)。この絶叫、実に的を射たもので、学術的にも正しい。称讃に値する。

 なぜなら、八木秀次とは、皇太子不在による天皇制廃止を画策する確信的な共産革命家で、その突出したデマゴーグ。2004~6年、八木秀次が発表した女性天皇・女系天皇反対論は、自分を「保守」にカムフラージュ(擬装)する“虚言の砲弾”だった。それにもかかわらず、小林よしのりは、この頃から早々と、八木秀次の正体を見破っていた。

 「女性天皇・女系天皇による天皇制廃止の革命」は、ロシアが領土拡大に用いる大規模侵略の兵法用語でいえば、第一梯団。この第一梯団が失敗した後、これに続く第二梯団が、「皇太子不在による次期天皇不在=天皇制廃止の革命」や「皇太子に天皇即位辞退を強制しての次期天皇不在=天皇制廃止の革命」である。霞が関官僚と憲法学界を完全支配する日本の天皇制廃止勢力は、「民族系」もその支配下に置いており、第一梯団の部隊に配属されたのが田中卓/所功/高森明勅。第二梯団に配属された「民族系」部隊の精鋭兵士が西尾幹二と八木秀次。

 具体的に言えば、『諸君』2004年7月号で、八木秀次は、共産党員・高橋紘とさも対決の論戦を本心からしたように見せるが、それは実態的には八百長の対談と見做すべきもの。いずれ役割が回ってくる第二梯団部隊の先鋭的デマゴーグとして暗躍すべく、八木秀次は、最初は処女のごとくに「天皇制護持」派であるかに擬装すべく、女性天皇・女系天皇派と激突する演技を楽しんでいた。

 この『諸君』誌上の対談に続き、八木秀次は『VOICE』2004年9月号でエセー「女性天皇容認論を排す」を発表し、天皇制度護持の若手旗手として、その嘘偽りの擬装を確たるものにした。

2007年、“天皇制廃止の第二戦線”「皇太子不在」を狙った皇太子罵倒の先陣を切った八木秀次

 それから二年後の2006年秋、悠仁親王殿下のご誕生をもって、共産党と朝日新聞が先導し煽動してきた「女性天皇論・女系天皇論」の狂気は一気に下火になった。これで、男系男子の皇統護持が守られ、後は旧皇族の復籍が実現すれば、皇統の安定化は、うまく行くはずだった。

 が、卑劣と狡猾の八木秀次が豹変したのは、この時。八木は、旧皇族の復籍問題などかなぐり捨て、皇太子不在による天皇制廃止の共産革命に爆走する「転向」を断行した。むろん、表面上、「転向」に見えるだけで、高校・大学時代からの本当の信条をあらわにしただけ。

 多くの識者を仰天させた、八木秀次の『SAPIO』2007年5月9日号エセーこそ、皇太子不在による天皇制廃止の共産革命に爆走への、八木秀次の鬨の聲であった。そのタイトル「雅子妃問題で、天皇の本質的要素たる宮中祭祀が危機に瀕しつつある」は、祭祀は天皇のみしか挙斎できないものだから、雅子「皇后」が御病気であっても、「新天皇」ご自身が御健康であられれば、天皇祭祀はつつがなく執り行なわれる。「雅子妃の御病気によって、宮中祭祀が危機に瀕する」など、諺「風吹けば桶屋が儲かる」よりひどい、荒唐無稽な超コジツケ。

 つまり、八木が振り回す四文字「宮中祭祀」は、宮中祭祀をさも守る“皇室への至誠心”をもつかの演技用舞台装置。目晦まし語「宮中祭祀」でもって、言葉の暴力による、自分のどす黒い天皇制廃止革命をオブラートに包むのだから、まさに詐欺師の手口。八木秀次は、460億円を騙し取った「KING神主」(銅子正人)や181億円をだまし取った吉野美穂子と全く同類の、超一流詐言師。刑法不敬罪を復活し、「KING」や吉野美穂子と同じく、八木を逮捕し刑務所に収監すべきである。

 では、「宮中祭祀」という、巧みな四文字で隠した、八木『SAPIO』2007年エセーの直接の狙いは、何だったか。畏れ多くも皇太子殿下に対し、「さあ離婚しろ」の不敬の暴言を投げつける事であった。その先に狙う八木の目的(goal)は、「皇太子殿下が雅子妃殿下とご離婚なされないのであれば、皇太子殿下は、(皇室典範第十一条を無視して)皇太子の位を《退位》されるべきだ」の脅迫。つまり、皇太子殿下の「廃太子」による、次期天皇を不在にすること。要は、八木秀次は、この2007年SAPIO論考で、擬装用の白いジャケットを脱ぎ捨て、コミュニストである真赤な裸体をついに見せた。

「八木秀次→西尾幹二/保阪正康/橋本明→山折哲雄」は、“廃太子による天皇制廃止”五人組

 2007年の八木秀次の廃太子論に共鳴し、すぐさま継承した論客には四名いる。『皇太子さまへの御忠言』(2008年)の西尾幹二。『文芸春秋』2009年2月号に「秋篠宮が天皇になる日(=皇太子が廃太子になる日)」を書いた保阪正康。“チトー崇拝の過激コミュニスト”橋本明の2009年『WiLL』論考。それから四年後の2013年の山折哲雄。

 2007年から2013年にかけて丸六年間の、皇太子殿下を廃太子に追い込み、次期天皇不在による天皇制廃止を煽動するデマゴーグ五人組を、表1に纏めておく。セクト別でいえば、ポスト・モダン系アナーキストが西尾幹二。共産党系コミュニストが山折哲雄/保阪正康/橋本明/八木秀次。

表1;新天皇を讒謗し愚弄し尽くす“廃太子による天皇制廃止”策謀五人組

「皇太子不在化」革命煽動の旗振り船頭、八木秀次の、『SAPIO』2007年エセーを解剖する

 八木秀次の『SAPIO』2007年エセーは、“コリアン共産主義者”原武史の(同年春の)『週刊朝日』エセーを拡大発展させたもの。そして、八木秀次は、原武史エセーを土台に、「宮中祭祀に御拝礼なされない」を妃殿下の絶対条件違反であるかに捏造的に誇張し、雅子妃殿下の皇后「位」反対の屁理屈としてでっちあげた。なお、八木秀次が、天皇制廃止の過激コミュニスト原武史と同志であるのを平然と露わにした事にも留意しよう。

 また、皇后「位」は離婚できないと、架空で無根拠の慣習を捏造し、「今直ぐに、離婚しろ」と、一般国民としての分もわきまえず皇太子殿下に迫る。日常でもふんぞり返って歩く“傲慢と卑劣の不敬人士”八木秀次が心底で膨らませる、「俺様は皇太子殿下より偉いのだ」の狂気エンジンを全開させて、暴走を開始したといえよう。次が、その核心部分。

「宮中祭祀欠席という事態も已むを得ぬものと受け止められている。だが、雅子妃が皇后となられるに際し、宮中祭祀に出席できるのかどうか。宮中祭祀を次世代に十分に継承させられるのかどうか。・・・雅子妃が皇后に相応しいかどうかという議論・・・を起こしたい。皇太子ご夫妻の離婚問題についてである」(77頁)。

「雅子妃が宮中祭祀を受け容れられないなら、皇后としての資質に疑念を抱かざるを得ず、宮中祭祀すなわち皇室の皇室たるゆえんを守るために離婚もやむを得ないということだ」(同)。

 上記引用文中にあるごとく、宮中三殿に皇族が「御拝礼なされる/なされない」を、「出席」「欠席」とは、不敬甚だしいどころか、それ以前に笑止千万。まず八木秀次は、矯激な唯物論者らしく、日本で最も由緒正しい神社である宮中三殿を、児童が出席する/欠席する小学校の教室と同列化する。

 また、八木秀次は、日本人でない“非・国民”だから、皇族を一般国民の小学生児童と同じに扱い、「御拝礼できる/できない」を、「欠席」「出席」という無礼・不敬語に置き換えた。

 健全な日本国民なら必ず守る皇室用語「御親拝」「御拝礼」を、コミュニスト八木秀次は、使用しないし、これを公然と排斥する。さらに八木は、宮中三殿を“神社と崇めず”に、「物」と同列にしか見ない。それなのに、白々しくも「宮中祭祀を守る」と嘘を公言できるのは、八木秀次が「460億円詐欺師のKING神主」や「181億円詐欺師の吉野美穂子」もびっくりの、超一流詐欺師だからだ。

 話を戻す。宮中三殿での祭祀は、天皇もしくはその代理として掌典長が斎行なされる。皇后や皇太子妃は、あくまでも御拝礼なされても、斎行なされることは決してない。雅子妃(→皇后「位」)の御拝礼の有無は、天皇のみしか主宰できない宮中祭祀の斎行とは、いっさい無関係である。この「無関係」を逆さに「関係する」と言い募るべく、八木秀次は、雅子妃を「天皇」に摩り替える詭弁・詐言を考案した。

 八木の目的は何か。直接的には、徳仁・皇太子殿下から、その皇太子の「位」を剥奪する事。しかし、日本国民全体が容認するような理由は、どこにも存在しない。そこで、悪にかけては天下一の八木秀次は、暴力団顔負けの屁理屈として“世紀の大詭弁”「妃殿下は天皇である」「御病気だからと言って、天皇である妃殿下の宮中祭祀(御拝礼でなく)御親拝が困難であるのはこまる」という、レトリックを捏造したのである。

「一皇太子妃の御病状恢復と歴史上連綿と続いてきた宮中祭祀が天秤に掛けられているようであれば、離婚ないし(徳仁・皇太子殿下の)皇位継承権の(第一位から二位以下に)変更を想定せざるを得ない事態」(同)。

 だが、上記引用文の「天秤に掛けられている」は、「掛けられていない」事実に反するし、逆である。また、皇太子は、皇室典範第十一条により、その皇位継承順位の変更が禁止され不可能である。そこで八木秀次は、悪魔の共産主義者として、皇太子殿下に罵詈雑言を浴びせ、心神耗弱から天皇位につけない情況づくりを、残忍にも平然と敢行したのである。

八木秀次の「秋篠宮摂政論」は、徳仁皇太子殿下の廃太子が目的。その後に秋篠宮殿下を追放

 八木秀次は、しきりに秋篠宮殿下を“よいしょ”する。「徳仁皇太子殿下は失格皇子、文仁親王殿下は“理想の皇子”」という演劇的舞台を創り、徳仁・皇太子殿下を貶め辱める。皇太子の「位」を剥奪するためである。

 仮に、天皇制度を護持せんとする通常の日本人ならば、皇太子が存在するのに、実態として天皇代行の摂政に皇太子以外の皇子にその地位に立っていただくことなど発想しない。それは典範第十七条によって禁止されている。それ以前に、皇太子殿下を辱め貶める不敬の極みなど、通常の人間なら、決してできない。だが八木秀次は、『週刊ポスト』2013年6月28日号や、「マイナビニュース」(2013年6月19日)で、秋篠宮摂政論を展開する。

 先に「マイナビ」から。ここでの八木秀次のレトリカル主張はこうだ。まず、皇室典範の無限傍系主義の定めを解釈大改竄し、「皇室典範は父子間継承のみしか想定しない」との真赤な嘘を捏造した。次に、この嘘を前提に、悠仁親王殿下への皇位継承を行うには、その「父」秋篠宮殿下が皇位継承第一位になったと内外に宣言したのと同じ「(今上陛下の)摂政」にし、徳仁・皇太子殿下を実態的「廃太子」にする制度いじりが必要だとする。八木秀次はここで、警察庁警備局長に就任してすぐ共産党本部に警察情報を機密漏洩して防衛庁官房長に片道切符左遷された、“事実上の党籍ある党員”佐々淳行と共謀したことを明らかにしている。

 次に『週刊ポスト』。これは「マイナビ」論考と同時期の執筆なのに、秋篠宮殿下を「徳仁新天皇の摂政」にすべきだと煽動している。しかも、このいずれの摂政論も、宮内庁内で検討されている」という、真赤な嘘から、ストーリをでっち上げている。宮内庁は、摂政廃止論でコンセンサスされている。だから、これは八木一流の嘘話なのがわかる。むろん、宮内庁内には、外部の八木秀次らとつなぐジャーナリスト(主に週刊誌)に嘘話を流す輩が絶えないから、この八木の嘘話、単独犯ではなく、共謀の場合もある。

 八木が「某官庁が、こう言っている」「名前を明かせないが、こう言う意見がある」はすべて、でっち上げの“作り話”。八木秀次が異常な“作り話屋”であるのを警鐘乱打してくれたのは、小林よしのり。小林よしのりは、この点では、日本国に貢献している。

 『週刊ポスト』八木エセーで、国民が絶対に騙されていけないことがある。新皇后陛下が「公務」遂行が御困難であろうと、それは皇后「位」を制度的に抜本変革しなければならない問題ではない、ごく当たり前な事柄。天皇は「祭祀、儀式、国事行為」にプラスして「公務」が加わる、大変な御激務をこなされなければならないが、「公務」の増減はすべて天皇がお決めになる事柄。

 一方、皇后陛下は、天皇陛下を補佐されるのがお仕事。基本的には、それ以外は何もない。そもそも新皇后陛下の「公務」は天皇がお決めになられることであり、内閣や宮内庁の臣下や一般国民が口を出していい問題でない。常識だろう。八木秀次は、国民としての、この常識を欠く、夜郎自大の“反・天皇”人士。小林よしのりの表現「逆賊は、八木秀次、お前だ!」は、お見事。

大嘗祭「神嘉殿」代用の秋篠宮殿下を「摂政に」の煽動を止めた八木秀次は、悪賢いご都合主義

 2013年に展開した、八木秀次の「秋篠宮摂政待望論」は、その後、どうなったか。不評の紙礫を投げつけられ、八木秀次は、その後、ダンマリ戦術に逃げ込んだ。

 2018年11月30日、秋篠宮殿下の「大嘗祭の政府公金支出は違憲」という突拍子もないご発言があり、これを好機に、八木は「秋篠宮摂政待望論」を、再びぶち上げて良いはずなのに、沈黙に徹している。『正論』平成31年2月号の特集「秋篠宮殿下に申しあげます」での八木エセーで、この「秋篠宮摂政待望論」が一文字もない。どうしてだろう。

 倫理・道徳を欠如する八木秀次は、徳仁《新天皇》陛下誕生と雅子《新皇后》陛下誕生という現実に直面して、「秋篠宮摂政待望論」などぶち上げても天皇制廃止革命にならない事を悟った。そこで、戦術を変えたようだ。しばらくは「民族系」の衣装を着た“隠れコミュニスト”のまま、次の革命チャンスを狙う算段らしい。

 蛇足。八木秀次は大嘗祭についての知見は、小学校三年生程度しかない。これについて、八木『正論』平成31年2月号エセーを、拙著『天皇《退位》式は、“廃帝”と宣告する人民法廷』附章の、学術的な論文「大嘗祭の死滅を狙う、神嘉殿“代用”という狂説」と比較されたい。八木の無知・無教養ぶりの極端さは、私のと比較するだけでも、八木秀次がオムツを履いている幼児のレベルであることが瀝然。キワモノでいかがわしい八木秀次は、小学校四年生に編入して大学まで再教育しなければ、“名ばかり大学教授”ですらないレベル。八木秀次の肩書は、まさにペテン師のそれ。

八木秀次の山折哲雄批判は、自分の思想本籍の暴露を防止するための、お粗末アリバイ工作

 八木秀次の人格的な卑劣さには目を覆うばかり。かつて、小林よしのりは、八木秀次を指して「八木秀次の卑怯さ」というタイトルのコラムを、自分のブログにupしていた(2014年2月4日)。そこで小林は、2006年や2009年の八木秀次の発言を的確に引用している。小林は、八木秀次が朝日新聞より優るとも劣らぬ強度の天皇制廃止狂なのを喝破している。それだけでなく、小林よしのりほど、八木秀次の人格における狡猾と卑怯の度し難い異常さを、遺す所なく射貫いている者は、他にいない。

 『正論』2014年7月号に寄稿した八木エセーを読んだ時、私の頭に最初に浮かんだのは、実は、小林よしのりブログの、この秀作コラムだった。

 この『正論』八木エセーは、強烈なコミュニスト山折哲雄が、八木秀次のクローンになったかのように、『新潮』2013年3月号に、皇太子殿下に対する「退位」のススメを、八木秀次と100%同じスタンスで主張をした事態が起き、自分の正体がこれではバレてしまうと慌てふためいて、「山折哲雄は、私の忠実な同調者ではありません」「私は、山折哲雄のような廃太子論者ではありません」と、真赤な嘘アリバイ工作として書いたペテン師の論稿。

 八木秀次の人格が通常の範囲にあれば、ホラ吹きレベルの自分をビッグに見せる嘘つきでもあるから、2007年の『SAPIO』誌で一石を投じた主張「徳仁皇太子の天皇即位に反対する」は、これほど多くの大物共産党員論客に継承され大きな影響を与えたと、鼻白むほどに自慢するはず。が、八木秀次は、まだしばらくは「民族系」の擬装を続ける計略において、ドブネズミのごとくコソコソ、真赤な嘘「廃太子論をぶち上げたことはありません」を間接宣伝すべく、完全に同意見を共有する“同志”山折哲雄を批判する演技をし、自分の本当の姿(共産党員論客)をいったん隠すことにしたようだ。

第二節 八木の譲位反対の狙いは、新天皇の位を「正当性なく疑義あり」の嘘宣伝

 八木秀次は、2016年8月、TV御諚による今上天皇の「譲位のご意向」表明の後、執拗に譲位反対を声高に主張した。多くの人は、八木秀次が民族系の衣装の下に過激な共産主義者である正体を隠し、天皇制廃止を制度いじりで成就せんとする共産革命家である事実を知らない。だから、善意に解してあげ、八木秀次は、譲位規則が無く摂政制度を定める皇室典範の忠実な履行を主張しているのだ、と誤解した。だが、これはまさしく誤解の最たるもの。

 八木秀次の譲位反対は、老天皇の今上陛下の摂政を秋篠宮殿下にして、①現皇太子を追放する革命目的に障害になるのが、第一の理由。譲位は、八木発案のこの方法での天皇制廃止革命を潰すからだ。八木秀次はさらに、第二段階の革命を考えていた。それは、今上陛下の崩御とともに、②摂政だった秋篠宮殿下に対し、その皇位継承は、兄宮の皇太子「位」と摂政の地位を簒奪した罪において不適として断罪して追放すること。この策謀②がうまく行くと、皇位継承者が不在となり、それによって天皇制の事実上の廃止が自動的に成就する。悠仁親王殿下に対しては、兄宮の皇位を簒奪せんとした“アクドイ皇族”秋篠宮殿下の皇子として連座させ、皇位継承権を剥奪する。

 これらのことは、2016年11月に発売された『文藝春秋 別冊 2017年冬』の八木エセー「それでも生前退位に反対する」に露骨に披歴されている。

「合理的な理由なく憲法上の制度を敢えて採用せず、退位を可能とする新たな制度を構築することになれば、その際の退位には憲法上の疑義が生じる。」

「前の天皇の退位はそのまま次の天皇の即位であることから、次の天皇の即位についても憲法上の疑義が生じることになる。憲法訴訟が起きることはないにしても、(新)天皇の正統性に疑義が生じることになり、将来に大きな禍根を残すことになる。天皇制度・皇室制度の維持・存続・安定を考えるならば、(憲法上の疑義が生じることは)避けなければならない事態である」

八木秀次の謬説・詐言すべてを逆立ちさせると、天皇・皇室制度が安定的に維持・存続できる

 八木秀次が、共産党革命語「生前退位」を用いて、共産党員であることを自白している問題は、ここでは取り上げない。が、譲位・受禅が憲法上の疑義が生じるという、荒唐無稽な真赤な嘘については、八木の脳内にメスを入れて徹底的に外科手術せねばなるまい。結論を先に言うならば、八木秀次の憲法論はすべて超デタラメ。デッチアゲの大嘘ばかり。だから、八木秀次の主張を一つ残らず逆にすれば、天皇制度・皇室制度が安定的に維持・存続できる。

 ところで、八木秀次は、なぜ、「譲位・受禅が憲法上の疑義が生じる」との、逆立ちした荒唐無稽な真赤な嘘を吐くのだろうか。ご受禅された5月1日以降の徳仁《新天皇》陛下の皇位について、何が何でも「憲法上の疑義がある」との烙印を、即位前に押しておくのが目的。

 八木秀次は、①と②による八木流「天皇制廃止」革命が、IQが高くずば抜けて賢慮な今上陛下の機転「譲位敢行」によって潰されたので、八木流「第三番目の天皇制廃止」に早々と着手したのである。この「第三番目」とは、新天皇を在位中に引き摺り降す、つまり③「退位を強制する」革命を可能とする機能を事前に組み込んでおこうというわけだ。

 この八木秀次の底意を見抜いておいて、上記の引用文を眺めると、八木の嘘詭弁が透けて見えてくる。まず憲法第二条は、「皇位継承に専管的義務を負われる天皇は、譲位・受禅の皇位継承を古来からの伝統に従って自由に決定できる」と定めている。よって、譲位・受禅は、八木の真赤な革命詭弁「憲法上の制度を敢えて採用せず、退位(譲位)を可能とする新たな制度を構築すること」にはならない。その逆となる。何故なら、現行憲法第二条の「制度」において譲位・受禅が行なわれるのだから、新たな「制度」など、必要ない。

 譲位は現行憲法第二条に正しく従っているから、八木の“革命嘘詭弁”「憲法上の疑義が生じる」ことは万が一にもあり得ない。譲位の規定を明記し忘れていた皇室典範を増補しさえすれば、法的に完璧である。当然、新天皇の受禅も法的に完璧であり、憲法上の疑義など微塵も存在しない。

 法的に完璧な譲位と受禅だから、新天皇の正統性に疑義が生じることもまったく無い。八木秀次の脅迫言辞「将来に大きな禍根を残す」ことなどあり得ず、未来永劫に亘って、新天皇は禍根などとは完全に無縁であられる。

 八木秀次の大嘘は天文学的で、宇宙遠く、銀河系まで届きそう。小林よしのりの八木評「天皇の逆賊」は、八木の本性を見事に把握している。いや小林は遠慮しすぎ。もっと厳密・正確に「八木秀次は、空前絶後の、天皇の大逆賊」と表現すべきであった。

八木秀次の信念は、「皇室典範をぶっ壊せ! 全面無視せよ!」「憲法の解釈改竄を徹底しよう」

 八木秀次とは、今上天皇の「譲位のご意向」に絶対反対の急先鋒。その表向きの理由は、皇室典範に違背するとか憲法に違反するとか、一見、憲法や皇室典範を硬直的に遵守したいというもの。  

 だが、実態を見ると、一八〇度逆。皇室典範を徹底的に無視し極限まで破壊尽し、また憲法を根底から改竄解釈する。このことは、八木のペテン主張「秋篠宮殿下を摂政に」一つでも明らかなこと。これは摂政順位を定める典範第十七条違反である。「皇太子殿下を廃太子に」は、皇室典範第十一条違反である。

 八木秀次とは、犯罪者型の革命家。正真正銘のスーパーごろつき。憲法破壊・典範破壊を信条とする暴力革命も辞さない無法者の極み。だから、八木秀次は、『SAPIO』2007年エセーのように、暴力団の恫喝と同じく、皇太子殿下に対する無法の限りの、大不敬の暴言を吐き続けたのである。

2010年7月、今上天皇は譲位の皇位継承をご決心。高齢は表向き口実。真相は何だったか

 なぜ今上陛下は、崩御による皇位継承ではなく、譲位による皇位継承の道を御選択なされたか。この解は、もう明らかだろう。二人の皇子を相戦わせて皇室を潰さんとする、最も恐ろしい残虐な天皇制廃止勢力が、2007~9年に大繁茂したからである。表1にある「2007年の八木秀次→2008年の西尾幹二→2009年の橋本明/西尾幹二→2009年の保阪正康」である。史上最凶で最残忍な逆賊たち、すなわち八木秀次/西尾幹二/橋本明/保阪正康らの跳梁跋扈が、今上陛下の「譲位」ご聖旨を産んだのである。しかも、橋本明と西尾幹二の背後には、皇后陛下に失声症の肉体的傷害を負わせた、札付きの刑法犯罪者・花田紀凱がいる。

 彼らの2007~9年の論稿をお読みになられれば、皇太子殿下への譲位を早急にしないと、大紛糾が皇統・皇室に発生し、天皇制度が空中分解的に崩壊することは、火を見るより明らかなこと。今上天皇が、「譲位のご意向」を宮内庁長官・羽毛田信吾や侍従長・渡邉允らに初めてお漏らしなられたのは2010年7月22日。この2010年が、上記“逆賊”四名の血生臭いエセー群発表・出版の直後なのは、偶然ではない。陛下が譲位を急がれた情況と時期が余りにも一致しすぎる。 (3月20日記)

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