露烏戦争が炙り出した《KGBロスケ支配の日本》──敵性国“通謀”処罰法を立法せずば、日本の亡国は不可避

筑波大学名誉教授 中 川 八 洋

 ウクライナは日本の鏡。2022年2月からロシアに侵略されているウクライナは、これからロシアに侵略される日本の姿を映し出しているからだ。

 すなわち、現在の日本人がウクライナの悲劇と苦難を分かち合う行動をするか否かが、そう遠くないロシア侵略で破壊尽くされる日本国の命運を定める。ウクライナを侵略するロシアに対する、今の日本人の怒り(道徳感情)や日本人が発露する(制裁/武器供与など)義憤の有無が、これからロシアに侵略される日本国の、生存か滅亡かの岐路になるということ。

第一節 ロシア侵略に戦わず、直ぐに降伏する“スーパー劣等民族(道端に落ちた腐った鰯)”日本

 ロシアの侵略時、日本は戦わず直ちに無条件降伏する可能性が高い。その理由の筆頭は、自衛隊が軍隊ではなく、自衛官が軍人ではなく警察と同じ国家公務員だからだ。彼らは有事に依願退職や職場放棄が可能で、それに対する加罰は《退職金支給せず》のみ。

 が、ここでは、この問題を分析しない。「ロシアがウクライナ侵略した直後2022年2~3月の日本の新聞TVの報道や大学人の言論が、日本国を侵略するロシアに直ちに白旗を揚げさせるキャンペーンに繋がっていた」のを喚起する。いくつかの事例を順不同で挙げる。

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樺太“武力奪還”の好機は決断の日──“英雄”ウクライナの闘う“領土奪還”精神こそ日本の鑑

筑波大学名誉教授 中 川 八 洋 

「皆さん これが最後です さようなら さようなら」

 これは、稚内市内の公園に建立された、真岡郵便電信局の電話交換手九名の自決を悼んだ「九人の乙女の碑」と呼ばれる慰霊碑に刻まれている。米英豪華四ヶ国が守った8月15日午前0時停戦から五日も経った、ポツダム宣言違反の8月20日に真岡に武力上陸=侵略したロシア軍の兵士からレイプされるのを潔くせず、青酸カリで自死を選んだ若き日本女性のうちの一人が、自決直前に打った今際の際の言葉。

 が、この慰霊碑の左横に立つ「碑文」は、真赤な嘘の羅列。これほどの歴史改竄は、共産党員かKGBロスケでなければ不可能。文章の稚拙さや稚内市役所公務員の半数が共産党員であるのを考慮すれば、前者だろう。

戦いは終わった。それから五日(後の)昭和20年8月20日、ソ連軍が樺太真岡上陸を開始しようとした。その時、突如、日本軍との間で戦いが始まった。戦火と化した真岡の町、その中で交換台に向かった九人の乙女等は、死をもって己の職場を守った

 窓越しに見る砲弾の炸裂。刻々迫る身の危険。今はこれまでと‥‥青酸カリを飲み、夢多き若き尊き花の命を絶ち職に殉じた戦争は再び繰り返すまじ平和の祈りを込めて尊き九人の霊を慰む」

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国際法が守る《日本の北方領土》──北方四島“無血進駐”は陸自駐屯地の国内移動

筑波大学名誉教授 中 川 八 洋

 1954年12月上旬の吉田茂の総理退陣は、日本の安全保障環境を劇的に悪化させた。親日のGHQの誠心誠意の努力によって、(大東亜戦争中ずっと)ロシアに奪われていた日本の主権を、戦後日本は勝海舟の1861年対馬奪還と同程度に取り戻すことができた。なのに、“親ロ狂”鳩山一郎は、“日本は対ロ奴隷国であるべき”主義の、近衛文麿の暗黒時代に日本を引き戻したからだ。

 具体的には、ロシアと“ロシア狂徒”日本共産員が牛耳る朝日新聞その他の対ロ売国マスメディアが大キャンペーンして日本人を洗脳し、これらロシア“共謀者”が人為的に醸成した鳩山一郎“大ブーム”に乗っかり、鳩山一郎が、北方四島“対ロ献上”に大暴走を開始したからだ。それが組閣後最初の記者会見での鳩山一郎の意味不明な大妄想の宣言、「ソ連と国交を回復して第三次世界大戦を回避したい」である。真面な日本人の多くは、エッと、我が耳を疑い絶句した。

 実際にも、日本の対ソ国交回復がソ連の軍事力を増強させ、北ベトナムに南ベトナムを強奪させるベトナム戦争の勃発となった。また、キューバへの核弾道ミサイルの搬入・設置も、日米分断の働きを有する日ソ国交回復でソ連が勢いづいた側面は無視できない。北方領土“奪還”無き日ソ国交回復こそ、ソ連の世界制覇への野望をより燃え立たせたのである。

 上記の鳩山一郎の、火星人発想は、孫の鳩山由紀夫が受け継ぎ、由紀夫は2009年に総理になるや、意味不明の火星人妄想語を連発。鳩山由紀夫は、2010年に総理を辞任した後も、祖父・鳩山一郎譲りの火星人妄想語に歯止めがかからず、2022年2月のロシアのウクライナ侵略戦争が起きると、ロシア大使館に頻繁に出向き、「ロシアよ、侵略に勝て!勝て!ウクライナ人など殺せ!殺せ!」と、大はしゃぎ。鳩山一郎がなした、“ロシアの北方領土《侵略》”に歓喜する反・正義の対ロ交渉の狂気は、孫・鳩山由紀夫を観察すれば、その核心が浮かび上がってくる。

 鳩山由紀夫の火星語に、鈴木宗男と佐藤優以外の一億日本人は総スカンだが、由紀夫は、カエルの顔に・・・・のことわざ通りに、自分への嘲笑や非難を一向に気に掛けない。同じく、鳩山一郎も、吉田茂の自由党の国会議員と吉田茂系の(外務省の多数を占めていた)外務官僚(外交官)が、こぞって猛反対する対ロ交渉・対ロ国交回復をフンと無視して、まったく痛痒も感じなかった。反共反ロで親日の米国ダレス国務長官は、鳩山一郎に怒髪天を衝いて怒ったが、鳩山一郎は、これすら足蹴した。鳩山一郎は、“ロシア大好き売国奴”後藤新平の生れ変りだから、日本の国益を害する対ロ“国交回復”と対ロ“北方四島”献上を強行した。

 これは、ロシアや日本共産党とがっちりスクラム組む鳩山一郎が、親ロ反米路線に舵を切ったことに他ならず、(日本の正しい親米反ロ政策を積み重ねてきた)マッカーサー・吉田路線を、ごみ焼却場に投げ捨てたことを意味する。1945年9月2日に開庁した(親日と言うより)“愛日”マッカーサー元帥のGHQが七年間弱、“反共・反ロ・反ナチ・親英米・大東亜戦争否定”に立脚される昭和天皇のご聖旨に沿って取り組んできた日本国再建を、対ロ売国奴・鳩山一郎は全否定し、破壊した。

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地球温暖化CO2説は、露KGBが捏造した“反科学の虚構”──日本国は科学に違背してはならない。京都議定書から離脱せよ

筑波大学教授  中 川 八 洋

(2006年6月6日、脱稿)

 「地球温暖化」において、その原因とされる人為的CO2排出との因果関係は、科学的には全く証明されていない。この重大な事実は、日本でもようやく広く知られるようになった。マスコミの虚偽報道キャンペーンが暴力的に“非難・批判の言論”を抑圧するが、一流学者は皆、地球温暖化CO2原因説を否定している。国際的に総計すれば、これらの正常な科学者の方が潜在的には多数である。米国が2001年、京都議定書(地球温暖化防止条約、1997年)を離脱したが、この離脱は科学的に“勇気ある行動”だと、世界の一流学者は押しなべて評価した。

 五文字「地球温暖化」は、世界同時に「1988年」、一斉に登場した。日本では不可解にも環境庁が唐突に、この1988年5月、庁内に「地球温暖化問題検討会」を設置した。これが、日本における五文字魔語「地球温暖化」の嚆矢である。アメリカでの「地球温暖化とCO2原因説」は、ハンセン博士が1988年6月に、上院公聴会で議会証言したのを機にして本格化した。その直後の6月末、カナダ(トロント)で、四十六ヶ国からの三百人を超える極左の“詐称”専門家等が集まり、「変動する大気──地球の安全のために」と題する大掛かりな、最初の国際シンポジウムが関催された。

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“ロシアの属国(1853~1916)”から“ロシアの奴隷国(1928~2019)”へと、百六十六年間、祖国に叛逆した日本──「日本の婦女子はロシア様にレイプされ殺されるべき女奴隷」(関東軍)

筑波大学名誉教授 中 川 八 洋

 川路聖謨は、ペリー提督への嫌悪感情から「反米」を信条とし、(北に隣する)ロシアこそ日本国の友邦だと、日露提携・日露同盟を目指し、樺太(主権の半分)と得撫島の対ロ献上を決定した。樺太にはロシア人は(軍隊はむろん)一人も住んでおらず、百%日本領土だから、川路は樺太をロシアに献上したのである。得撫島は、最上徳内の1786年の探索以来、日ロが領有を争う領土で、「折半」ならまだしも、その全てをロシアに差し出すのは、国際法に照らしても全く不合理で異常の極み。

 が、川路聖謨の下田条約(1855年)路線は、その後の日本の対ロ政策を徹頭徹尾に呪縛した。朝鮮半島の権益と日本への安全保障の危機から、日本は日露戦争を敢行したが(1904~5年)、日本の親ロ一辺倒主義は、“反露の極限”日露戦争に勝利した途端、逆にひどくなった。

第一節 「米国は想定敵国」の日露同盟へ(1916年7月)。日露戦争後に狂った日本

(1)日本は、第一次世界大戦中の1916年7月、米国を仮想敵とする日露軍事同盟を締結した。これは、1854~5年、川路聖謨が夢想した反米・親露の究極の形態。“対ロ売国奴”川路聖謨が構想した狂気が、六十年の時を経て実現したのである。なぜ、このような(自国に刃する)馬鹿なことを日本はしたのか。“史上空前の対ロ売国奴”安倍晋三の長州の大先輩・山縣有朋が、「日ロ同盟! 日ロ同盟!」と大暴走した結果であろうか。

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対ロ外交交渉は、対ロシア“領土献上”への着実な道

筑波大学名葉教授  中 川 八 洋

 1861年、日本は対ロ無交渉・無条約によって、対馬をロシアの強奪寸前から無事に奪還。これは、幕閣の中枢が親英・反露派になったことと大俊英・勝海舟の頭脳とが化学反応したことで可能になった、一種の偶然で奇跡。

 だから、この勝海舟の対ロ無交渉・無条約主義は、幕府の慣例とはならなかった。幕閣の反露派は少数だった上に、幕府政治は、紀元元年頃の神武天皇の御代に始まる大和朝廷以来の日本政治文化「先例重視」を慣行としていた。が、先例重視は、無思考・無賢慮と表裏一体。だから、川路聖謨が、1855年の日露和親条約で確立した「対ロ宥和路線」は、1861年の対馬奪還の成功事例を考慮することなく、何ら改変もされず唯々諾々と踏襲された。むしろ、日本の対ロ態度は、対ロ宥和“狂”川路聖謨に呪縛され、その枠内から一歩も出なかった。すなわち、幕末発祥の“日本病”「日本は対ロ属国」主義は、今に至るも治癒しない。今後も治癒しないだろう。

 表1の表現で言えば、日本が正しい「正」の対露外交に戻った1861年8~9月は奇跡の“一場の夢”だった。とすると、日本が、侵略ロシアの前線と邂逅した、1792年のラクスマン/1804年のレザノフに抗して、無交渉・無条約を貫いた(最上徳内が「得撫島に実効支配用の幕府小部隊を駐屯させよ」と1786年に建白したような、)正常な対ロ外交は、(得撫島だけには幕府軍の駐屯がなかった大ミステークを除き)樺太/宗谷/択捉島への駐兵という最も正しいやり方で1815年まで続いたが、これが最初で最後だったことになる。

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“北方四島”奪還の好機を何度も棄てた“ロシア属国”日本

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 私が、“北方四島奪還の五条件”をひっさげ、全国を講演して回り出したのは、私を触発したロナルド・レーガンが1981年1月に米国大統領に就任したのがきっかけ。1983年末頃までは熱心に説いた。北方四島奪還の五条件とは、「北方四島を本当に奪還したければ、日本は、1に対ロ無交渉、2に対ロ無条約、3に対ロ国交断絶(=鳩山一郎が締結した「日ソ共同宣言」の破棄)、4に対ロ経済途絶(田中角栄が開始したシベリア開発協力の完全禁止ほか)、5に四文字魔語《日ロ友好》の禁止ならびにロシアとの文化/学術交流の禁止」。

 当時の日本人聴衆は、私の上記提言をかなり好意的に拍手してくれた。満州におけるロシア軍の蛮行と北方領土の不法占拠に対する怒りが常識の世代がまだ現役(65歳以下)だったからだ。

「1の対ロ無交渉・無条約」は、勝海舟と吉田茂に学んだ、私のかねてからの持論。だから、1980年にレーガンが大統領選挙の公約として“対ロ無交渉・無条約”をアメリカ国民に訴えているのをTVで聴いた時には興奮し、大いに鼓舞された。レーガンは、「アフガニスタンに侵略したソ連とは決して外交交渉をしない」「ソ連とは、核兵器に関するどんな協議もしない。条約も締結しない」と、アメリカ国民に訴えていた。

 イワン雷帝に始まる“ロシア対外行動五百年史”の研究者である私は、《ロシア民族は、条約で領土を決して返還しない》ことを熟知する、日本唯一人の学者。だから、私のみ、「1955~6年の対ロ交渉で鳩山一郎/河野一郎が散々な対ロ外交“大敗北”した主因は、対ロ交渉したこと自体」と、正しい洞察をなしえた。該博な歴史知見こそ、正しい対ロ政治判断を育てる温室である。

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“狂史”捏造が人生の全てだった“プーチンの腹話人形”西尾幹二──世界史地図からロシアを白塗りした“赤い有害図書”『日本と西欧の五〇〇年史』の唖然

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 入学から十日も経たずミュンヘン大学哲学部から(1965年9月に)退学処分を喰った西尾幹二氏(以下、敬称略)らしく、西尾の狂史は、ことごとくロシア侵略隠しのマジック・ショー。2023年に上梓した『日本と西欧の五〇〇年史』は、ニーチェと同じ“反・歴史”“反・真実”の狂気を爆発させる分裂病患者・西尾幹二の、歴史を狂気で弄ぶ“アナーキー礼讃”の、六流文藝。

 トリックスター西尾幹二の面目が躍如する『日本と西欧の五〇〇年史』は、「ヒトラーのホロコースト狂気50%、プーチンの侵略詭弁50%」で書かれている。卑俗的に言えば、“反米狂”玉城デニー&KGBロスケ鈴木宗男の共著を西尾幹二が代筆して仕上げたのが、『日本と西欧の五〇〇年史』。

 この書は、2013~6年の三年半に掲載された雑誌『正論』の連載原稿十八本をまとめたもの。が、この十八本の雑誌論考は、この2016年にいったんお蔵入りした。それを2023年、既に歩行困難な体で七年ぶりに編集。2022年2月24日の“プーチンのウクライナ侵略”に興奮し応援したかった西尾幹二のスターリン崇拝の熱い情念が並みでなかったのがわかる。西尾幹二の評論は全て、ロシアに捧げる、ロシア世界制覇を祈祷する供物。西尾幹二は2024年3月、クリミア半島へのロシア侵略十周年を祝して、害毒本『日本と西欧の五〇〇年史』をプーチンに献上した。

 “強度のKGBロスケ”を超える“五百%ロシア人”の西尾幹二は、ロシアのアフガン侵略の直前(1979年夏)、KGB第一総局お抱え対外宣伝家を「知識人」だと詐称し、KGBの対日宣伝本『ソ連知識人との対話』を出版した。日本でも1979年夏から “先見の警告”「ソ連の対外侵略は近いぞ」が騒がれ始めた。この「ソ連脅威」論を封殺するのが、当該本の西尾幹二の出版目的だった。日共特別党員・西尾幹二の、KGB第一総局への熱い忠誠は、ロシア人・鈴木宗男より一万倍も激烈。

 なお、本稿は、現在執筆中の『“天皇殺し”西尾幹二の研究──ロシア聖者化の狂史と廃墟アナーキズム(上下二巻)、に供するための論考である。

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人類に戦争と災禍を齎す“血塗られた麻薬”ノーベル平和賞は即時に廃止されるべきだ──被曝者ゼロ人の“共産党の革命組織”被団協の「平和賞」受賞で、中・露・鮮の核兵器に一億日本人が焼殺される“日本の終末”は近い

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋                           

 受賞者を見れば一目瞭然だが、ノーベル平和賞は、ロシア第一総局&第二総局が選別した者を追認して授与している。この原因にはいくつかある。“選考委員五名+書記一名”は、ノルウェー国会が選ぶが、ノルウェー国会の第一党は労働党で、社会主義者・共産主義者が過半を占めていることも、この原因の一つか。

 それだけでなく、ロシアKGB第一総局&第二総局が推薦した者が受賞者の半分を占めている異常は、もっと大きな隠されたメカニズムの存在なしにはあり得まい。が、本稿では、この分析は割愛。尚、上記の選考委員会の事務局は、オスロにあるノルウェー・ノーベル研究所???

第一節 ノーベル平和賞の選考はロシアKGB第一総局(SVR)が完全支配

 ノルウェーはNATO加盟国で、米国の核の傘をもって国家の安全保障政策の根幹にしている。つまり、ノルウェー国は“核廃絶”を国是とはしていない。なのに、ノルウェー政府が間接的に関与しているノーベル平和賞の受賞者に、核廃絶運動を選ぶ傾向が顕著。この矛盾する行動は、日本によく似ている。日本は、米国の“核の傘”に依存しながら、日本共産党の核廃絶の革命運動を、財政的にもそのレーゾンデートル強化にも、ふんだんに支援している。

 ノルウェーのノーベル平和賞と日本の反核運動は、自由社会ひいては世界の平和を脅かしている。世界の平和にも日本の平和のためにも、ノーベル平和賞の廃止と“共産党の下部団体”被団協の強制解散を断行すべき時にある。

 さて、戦後のノーベル平和賞は、反核運動や核廃絶運動や共産主義者/KGBロスケを英雄視する授与になっている。表1と表2のほぼ全員はこれに当たる。世界の自由と平和と科学を破壊した“反・平和の有害人士”達ばかりではないか。

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大東亜戦争は、“スターリンの奴隷国”日本の祖国叛逆──棄民どころか、一般邦人“皆殺し”に暴走した関東軍

筑波大学名誉教授 中 川 八 洋

 大東亜戦争八年間は、通常の戦争と見做しては説明がつかない。奇々怪々と狂気が踊る戦争だったからだ。戦争以外の目的で大爆走した、祖国叛逆の悍ましい戦争だった。スターリンに祖国を献上するための戦争、それが大東亜戦争の本質。こんな狂った戦争、人類史上に類例がない。

満洲一般邦人に対し、避難命令もソ連軍の侵攻“戦況”も、関東軍は断固として発出しなかった

 満洲に対するソ連軍侵攻の開始は8月9日午前0時。が、関東軍は、その前にもその後にも、一般邦人への避難命令を一度も発していない。関東軍は、一般邦人を暴虐なるソ連軍兵士の餌食にすべく「棄民」した。この「棄民」の結果は、一般邦人が阿鼻叫喚の地獄でのた打ち回ることになる。

 最後は“皆殺し”されるに至る。が、関東軍が「棄民」決行をした目的は、この「一般邦人が阿鼻叫喚の地獄でのた打ち回る」のを見て快楽したかったからだ。

 次に、関東軍は、ソ連軍の侵攻状況(戦況)を一般満洲邦人にラジオで伝えるべきに、それすら全く行わなかった。これは、在満邦人が、どこに避難するのがより安全か、そこに到達する安全なルートはどれか、の判断ができないようにするためである。レーニンを教祖と礼拝する気狂いがたちが中枢を牛耳る関東軍は、避難民がより多く殺されるのを快楽したかった。

 井上卓弥『満洲難民』は、「(首都の新京、侵略三日目の)8月11日になっても、ラジオなどで、公式に状況が報じられることはなかった」(注1)、とわれわれに伝えてくれている。

 尚、この8月11日、新京では空襲警報は発令された。空襲警報は行政庁(消防署)の所管。軍はいっさい関与しない。新京の消防署は、8月11日にはまだ機能していたのがわかる。また、関東軍は高射砲部隊に対し、「ソ連軍様の爆撃機を損傷してはならない」と、一発の弾丸も撃たせなかった。

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