“日本唯一人の天才史家”笠井新也を抹殺した津田左右吉ら「共産党支配の古代史学界」の学的犯罪を糾弾しない、非国民ばかりの一億日本人──日本国民が、中川『神武天皇実在論』を必携し座右の書とすべき理由(Ⅸ) 

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 一年に亙る侵略ロシア軍の砲撃で廃墟となったウクライナのバフムートの惨状は、原爆を投下された時の広島よりはるかにひどい。この廃墟の写真や動画を見るウクライナ全国民は、「なぜこんな惨い仕打ちをロシアから受けねばならないのか」と、悲嘆に暮れている。

 それでもウクライナ国民は、自分の祖国の領土全てをいずれ奪還し復興再生せんと歯を食いしばっている。実際にも、ウクライナ国土の20%は、地域ごとに多少の相違はあるが、ロシアの侵略と残虐による廃墟と化しており、バフムートと五十歩百歩の陰惨な様相を呈している。

 これに対し、ウクライナ国民の怒りは怒髪天を衝いているだろうが、ウクライナには前に進むしか、国民が生きて自由を回復する方法はない。このような、地獄の現実に見舞われたウクライナ人のじっと耐えるその辛抱の精神や、奪還そして再生への信念と希望を捨てない不撓不屈には、私は拝む気持ちで、本当に頭が下がる。

 翻って日本の古代史も、“凶悪”共産党員で大嘘つき津田左右吉/井上光貞/直木孝次郎/上田正昭らの“捏造、捏造、捏造”で真実すべてが破壊尽くされ“嘘、嘘、嘘”しかない廃墟と化してしまった。ウクライナ人が“再びの自由と栄光”を目指し、祖国ウクライナの主権と領土を奪還すべく血を流している辛酸の労苦を思えば、私もまた、暗黒の闇に包まれた日本古代史に真実の光を取り戻すべく、“正しい歴史”を奪還するための学的方法を、次代の日本国民に伝えていく労苦を厭っている暇はない。

““日本唯一人の天才史家”笠井新也を抹殺した津田左右吉ら「共産党支配の古代史学界」の学的犯罪を糾弾しない、非国民ばかりの一億日本人──日本国民が、中川『神武天皇実在論』を必携し座右の書とすべき理由(Ⅸ) ” の続きを読む

岸田文雄の“非戦闘車たった百台&三桁まちがい三万食”供与は“英雄”ウ国への侮辱の極み──「10式戦車百輌/多連装ロケット全て/日本版ゲパルト五十基/歩兵戦闘車六十輌」を供与し、日本は“義勇に反する反道徳”から脱却しよう

筑波大学名誉教授 中 川 八 洋

「侵略者(ロシア)が敗北するまでは、(ウクライナ人の)誰も、そしてどこでも安心することはできない。世界にとっても、《ロシアの敗北》以外の目標はあり得ない。この目標以外のことは《人命の損失》であり、《権利の損失》であり、《平和の損失》である」(ゼレンスキー大統領、2023年4月26日)

(本稿は、「岸田の広島G7サミット」批判の第二弾。まぐまぐに投稿した第一弾(2023年5月26日配信)と共に読まれたい)

 5月21日夕方のゼレンスキーとの会談で、岸田首相は、陸自の車輛百台をウクライナに供与する旨を伝えた。翌22日の朝、この百台が「ジープ(1/2トン・トラック)/大型ジープ(高機動車)/キャタピラ式小型ダンプカー(資材運搬車)」だと聞いて、「ふざけるな、岸田!」の悪態が思わず口に出た。

 これら車輛は、陸軍の通常の武器ではない。いわゆる軍民共用の一般車輌。今、ウクライナが欲しているのは、戦車や多連装ロケット機やミサイル&ドローン迎撃の防空兵器や歩兵戦闘車など。この真面な武器の方は、岸田文雄は一輌すらウクライナに渡そうとはしない。岸田文雄には同情する感情も道徳がない。岸田はやはり正常な人間ではない。

 つまり、道徳と知を喪失している岸田文雄は、日本の戦車や多連装ロケット機やミサイル&ドローン迎撃の防空兵器や歩兵戦闘車などが、これからのウクライナの反転攻勢に不可欠なのが、全く理解できない。これ等の武器が不足しては、反転攻勢するウクライナ側の人的損害は、一気に五万人どころではなく、十万人のラインを超える可能性も高い。岸田文雄の反軍思想に汚染された非・武器(軍民共用車輛)提供主義は、侵略被害国のウクライナに、“もっと死ね!”と罵声を浴びせているのと同じではないか。ウクライナ人の生命を軽んじる岸田文雄とは、ほとんど悪魔に近い。

 これから始まるウクライナ反転攻勢は、1939年9月1日開戦のドイツの対ポーランド電撃侵攻とは真逆になる。類似の戦史を訪ねれば、第一次世界大戦において、仏軍の方がドイツの電撃侵攻軍をマルヌ川河畔(パリの東部)で食い止めたため、パリ占領を阻止されたドイツ軍の電撃侵攻作戦失敗に似た様相を示すかも知れない。

 1914年9月のマルヌ会戦でのドイツの電撃侵攻失敗が、その後の第一次世界大戦を永く続く陰惨な戦争にした。ウクライナ総司令官ザルジニーが、失敗しなかっただろうシュリーフェン(元帥、伯爵)であって欲しい。失敗した小モルトケに万が一にもならないよう、祈るばかりである。

 私の試算だが、ウクライナ陸軍の兵器・弾薬の量は、ノンストップ進撃で展開する通常の反転攻勢に必要な量の三分の一程度しかない。ザポリージャ州のメリトポリあたりで、退却はしないが進撃が阻止され“睨みあい膠着”に陥る事態が懸念される。このケースに陥れば、戦況は一気に、ロ烏戦争は、何年も勝利が来ない最悪のドロヌマ塹壕戦へと変貌する。

“岸田文雄の“非戦闘車たった百台&三桁まちがい三万食”供与は“英雄”ウ国への侮辱の極み──「10式戦車百輌/多連装ロケット全て/日本版ゲパルト五十基/歩兵戦闘車六十輌」を供与し、日本は“義勇に反する反道徳”から脱却しよう” の続きを読む

皇室の悠久を息吹く“生命の泉”『古事記』を、われわれ日本人に残して頂いた元明天皇の有難いご聖慮に心から感謝を捧げよう──日本国民が、中川『神武天皇実在論』を必携し座右 の書とすべき理由(Ⅷ) 

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 三浦佑之の“噴飯本”『古事記のひみつ』(吉川弘文館)につき、前稿で書き忘れたので、以下追加。

 三浦佑之は、太安万侶『古事記』上表文(序、712年)は、その玄孫(やしゃご)の多(太)人長が偽作したと、証拠ゼロのトンデモ捏造歴史を法螺吹いて騒ぐ、本物の狂人(139頁)。多人長は、嵯峨天皇の勅命で、『日本書紀』編纂から約百年たった812~13年、高位高官も出席する朝廷の公的な「日本書紀“講筵(講義)”」の唯一人の教授に抜擢された。

 『日本書紀』に関する“朝廷随一の学者”多人長は、平安朝廷の高位高官も列席する、インテリ平安貴族たちに『日本書紀』を講義した事実において、(『日本書紀』ではない)『古事記』など、多人長にとっても受講する高位高官の朝廷官吏にとっても、全く関係しない。だが、頭が幼稚園児より劣悪な“脳内空洞”の上に、錯乱の精神病を重く病む“気狂い”三浦佑之は、次のように述べる。

「太安万侶に仮託した《序》を偽造したのは、多人長・・・と考えられる。多(太)氏に・・・所蔵されていた古事記の権威化のために、序が必要になったからだ」(139~40頁)

「人長の偽文《序》を古事記に付け加えた理由を、私は古事記の権威化だったと考える」(134頁)

「人長の偽文《序》は、ほとんど無名の古事記を権威化することになった」(135頁)

 多人長が『古事記』講筵の勅任講師なら、『古事記』をかっこよく見せるため、「それまで上表文が無かった『古事記』に、ニセ上表文を捏造した」との三浦佑之のデッチアゲも、多少は騙せる屁理屈にはなる。が、平安時代の四百年を通じて朝廷官吏で『古事記』に関心を持った者は一人もいない。嵯峨天皇は、多人長に「日本書紀を講義せよ」と命じたのである。『古事記』を講義せよとは命じていない。また、多人長は日本書紀の専門家だったが故に、一人しか選ばれない教授に抜擢された。

 このような状況下で、①どうして唐突に、この講筵に無関係な史書『古事記』が出てくるのか。さらに、②どうして誰も関心がない/講義テーマでもない『古事記』に序をつける必要があるのか。また、③『古事記』には序がなかったという証拠など皆無。加えて、「ある」という珍説奇論の与太話を裏付ける証拠もない。ないないヅクシの「序」についての架空話、どうやって思いついたのだろう。④古事記は、政府=朝廷ではなく、天皇が直接管理する内廷奥深くに保管されている「秘仏」的なもの。それが、どうして一朝廷官吏の多人長の家に所蔵されていたのか。⑤・・・。

“皇室の悠久を息吹く“生命の泉”『古事記』を、われわれ日本人に残して頂いた元明天皇の有難いご聖慮に心から感謝を捧げよう──日本国民が、中川『神武天皇実在論』を必携し座右 の書とすべき理由(Ⅷ) ” の続きを読む

「古事記は偽書!」「その序は偽書!」と大騒ぐ“お遊戯会の幼稚園児”古代史学者を一人残らず解雇し絶滅させねば、日本国は歴史を完全に喪失する──日本国民が、中川『神武天皇実在論』を必携し座右の書とすべき理由(Ⅶ)  

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 千葉大学とは、2007年、100%盗作の著作を出版した廉で、教授・三浦佑之(当時61歳)を懲戒免職すべきにそうしなかった。まさに、犯罪を奨励するトンデモ国立大学。文科省は、千葉大学の文系学部全てを廃校に処分すべきである。赤字財政で日本経済の爆発的破綻が近づく今、税金節約は日本国の至上命題。有害文系学部の軒なみ廃校は急務。千葉大学を率先的にその第一号にしよう。

 この100%盗作の著作とは、三浦佑之の『古事記のひみつ』のこと。今や共産党員の賛助出版社に成り下がった吉川弘文館の出版。三浦佑之は、大学とは言えず直ちに全学を廃校すべき“アホ馬鹿教員と超アホ馬鹿学生の遊園地”成城大学卒の、不謹慎にも古事記を飯の種にする、劣悪なノン・フィクション作家。当然、学問など一㍉もできない。が、千葉大学は共産党からの指示で、学者以前のトンデモ三浦佑之を教授に採用した。通常なら助手にもなれない小学生レベル。

 もう一度言う。三浦佑之の『古事記のひみつ』には、独自研究した箇所は一ヶ所もない。古事記「序」を「偽書だ」と連発するだけで、1971年に出版された鳥越憲三郎の『古事記は偽書か』をそのまま100%盗作した著作以前。三浦佑之の悪質な犯罪者性を、言語道断で済ましてはいけない。

“「古事記は偽書!」「その序は偽書!」と大騒ぐ“お遊戯会の幼稚園児”古代史学者を一人残らず解雇し絶滅させねば、日本国は歴史を完全に喪失する──日本国民が、中川『神武天皇実在論』を必携し座右の書とすべき理由(Ⅶ)  ” の続きを読む

日本は1950~1年、憲法九条「国防軍設置」改正と“古代天皇テロリスト”津田左右吉の断罪を、国家永続のため絶対に避けてはならなかった──日本国民が、中川『神武天皇実在論』を必携し座右の書とすべき理由(Ⅵ)

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 日本は、頭部の上半分が斬り落ちた、脳・眼球・耳の無い巨大恐竜に譬えられる。残っている鼻で嗅いで食物を見つけてムシャクシャ食べ、“俺はまだ生きているゾ”と、迫る死期を気付こうとはしない。戦後日本が、このカタワ恐竜になるべく、みずから脳・眼球・耳を斬り落した最初が1950~1年。

 しかも、日本にとってかけがえのない人材の吉田茂と坂本太郎が、この張本人だから、怒りのやり場がない、何とも空しい戦後日本の再出発だった。その後の日本は、暗愚な愚行を積み重ねるばかりで、すでに七十年以上。今や日本は、未来へのいかなる希望も潰えて消えた。絶望の八方塞がり状態で、転落一途。

 話を戦後直ぐの日本に戻す。日本が決断一つで国家再生に国策のベクトルを正しく転換できる情況が、敗戦から僅か数年後の1949年10月&1950年6月、期せずして到来した。が日本は、暗愚と惰弱に耽り、この好機を意識してごみ箱に捨てた。この「情況」とは、毛沢東の中国共産党がシナ大陸を完全制覇し(1949年10月)、続いて北鮮が韓国に侵略を開始し(1950年6月)(反共の自由社会の国家として再出発した)日本を囲む周辺平和が消滅した事態日本にとっては天祐の発生を指す。

“日本は1950~1年、憲法九条「国防軍設置」改正と“古代天皇テロリスト”津田左右吉の断罪を、国家永続のため絶対に避けてはならなかった──日本国民が、中川『神武天皇実在論』を必携し座右の書とすべき理由(Ⅵ)” の続きを読む