筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
野蛮と狂気の“悪魔の狂舞”祭典となったパリ・オリンピック開会式には、日頃穏やかで温厚な私も、怒髪天を衝く怒りが収まらない。ダヴィンチの名画「最後の晩餐」を、LGBTの女装男性(ドラァグクイーン)や髭を生やした中年トランス・ジェンダーたちの「レインボー狂宴」にパロディ化するとは、カソリック・キリスト教徒への暴力剝き出しの冒涜に他ならない。しかも、その中の一人は、わざと一物の先端を見せており、刑法違反の公然猥褻。
さらに無実の罪でギロチンとなったマリー・アントワネットの生首に歌を歌わせ、挙句に、実際の拘置所の建物の全体から血の煙を噴き上げさせ、さらに滴る血をテープで表現するなど、真っ当な人間のすることではない。この舞台を作った芸術監督トマ・ジョリはエイズで死んだフーコーに心酔するゲイ。この芸術監督は開会式演出でテロリズム賞讃など複数の刑法違反を犯した。フランス政府は厳正に処断されたい。
フランス革命によるマリー・アントワネットの悲劇と哀しみを、私は中学二年生(13歳)の時、知った。以来、断腸の思いで胸が痛む。特に、王妃アントワネットが処刑の直前まで思いを馳せた皇太子ルイ十七世が、父ルイ十六世や母アントワネットよりも酷い虐待死だったことは間違いなく(死亡時十歳)、ならば、母アントワネットの処刑の前にギロチン処刑して、アントワネットの憂いを一つでも取り除いてあげるべきだったと考えると、私は落涙を抑えることができない。
ルイ十七世の遺骸は今、サン=ドニ大聖堂で、父ルイ十六世と母アントワネットの傍で眠られておられる。これが、せめてもの救い。それにしても、マリー・アントワネットの首を窓にずらりと並べて歌わせるとは、許されるべき演出ではない。これは芸術ではなく、テロリズムの犯罪! これほど死者への冒涜、王族・王妃への侮辱は、ハマス以上に残虐。天に唾する血塗られた狂気。
キリスト教徒でもない私の参拝ではご迷惑かも知れないが、サン=ドニ大聖堂が祀る、マリー・アントワネットの石像を白いユリの花で埋め尽くし、その前でマクロン大統領とパリ市長アンヌ・イダルゴの胸像の首を(武家の打首の儀式に則って)斬り落とし、マリー・アントワネット王妃の御霊を鎮めたい。
ついては、機内に持ち込める縦40㎝ほどの両名の胸像が必要で、美大の学生で奇特な方に注文したい。吉田寿太郎(当ブログ管理人)までご連絡して頂ければ有難い。尚、サン=ドニ大聖堂を参拝した後、パリからロンドンに飛んで、そこからベコンズフィールド(Beaconsfield)に向かい、英国国教会の教会を訪問する予定。礼拝堂の床下に眠るバークに報告するためである。