天照大神は実在。その五代孫である以上、神武天皇の実在も自明──“鏡”教が発生した源郷は伊都国(いつきくに)。ならば、“鏡教の始祖”天照大神の「高天原」は福岡県糸島郡に比定される 

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 産経新聞の連載「海道東征を行く──神武さまの国造り」(2015年1月~12月)が、単行本『神武天皇は確かに存在した』になったのは2016年8月(注1)。この本は、神武天皇への侮辱や不敬があからさまで、全体の基調は何から何までフザケ半分。社長・住田良能が天皇制廃止を絶対だと社内に周知したのが2006年。以来、産経新聞はそれを社是としてきた。この2015~6年のルポルタージュ本は、神武天皇不在論を転倒主張で保守層に無自覚浸透させるのを狙っている。

 例えば、奇天烈語「神武さま」など、歴史や国語の語彙として、日本人なら誰しも見たことも聞いたこともないだろう。天皇制廃止に爆走する神武天皇不在論の共産党ですら、万が一にも使わない珍語。産経新聞は、共産党の指示である“語彙「神武天皇」の使用禁止”運動に積極的に協賛している。

 さらに、その第一章タイトルは「イワレビコ誕生」。この異様な言葉から察するに、産経新聞とは共産党以上の極左なのか、幸徳秋水の“申し子”であるのは間違いない。神武天皇の国風諡号「カムヤマトイワレビコの天皇(すめらみこと)」は、神武天皇が崩御されてから約七百年後(持統天皇より)贈られたもの。が産経新聞は、この諡号を「生誕時の幼名だ」「諱=実名だ」かの真赤な嘘をでっち上げる。

 古代天皇の幼名や諱は一般には知られていないため、共産党支配の古代史学界ですら「神武天皇ご誕生」以外を用いることはしない。しかも、諱の使用は、我が国が弥生時代から守ってきた天皇尊崇の大原則「臣下は天皇の諱を口に出してはいけない」に違背する。さらに、(共産党員以外の日本人は)国風諡号を仮に使用する場合、敬称(美称)語「カムヤマト」&身位「天皇」を決して抹殺しない。

“天照大神は実在。その五代孫である以上、神武天皇の実在も自明──“鏡”教が発生した源郷は伊都国(いつきくに)。ならば、“鏡教の始祖”天照大神の「高天原」は福岡県糸島郡に比定される ” の続きを読む

神武天皇ご即位は「西暦元年前後」とせず「紀元前660年」に固執する“無知・無見識な騒ぎ屋”民族系とは、「スターリン32年命令」“神武天皇捏造論”を助長し宣伝流布する反日集団──『古事記』「日本書紀」を修理・保守せずば“日本民族の至宝”かつ“偉大な史書”記紀を守れない。

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋                                  

 戦後日本では1968年を境に、多数派だった“保守”が一気に没落的に消滅の階段を転げ落ちた。佐藤栄作の「非核三原則」で“日本は核武装しない”と内外に宣言し、田中角栄が中共と国交を結びソ連のシベリア開発を日本国民の税金でしてあげる“日本人ロシア奴隷”の道を選択した1972年~3年以降、自民党は“革新”社共化し、福祉国家・社会主義・共産主義を党是とする極左政党に変貌した。日本に残った自由の砦は、風前の灯の天皇制度と弱体化し続ける日米同盟だけとなった。

第一節 皇紀2600年祭の糾弾・唾棄が皇統と『記紀』悠久護持の秘訣

 1960年代までは国民の過半を超えていた一般国民の保守層も、左傾化が止まらない自民党に倣い一気に瓦解して、そのほとんどは、無思想の無気力層/福祉バラマキ無限要求層に堕落した。一部は“共産党の別動隊”民族系に衣替えした。このため、1960年代までの“保守のレーゾン・デートル”「親英米/反ソ/反ナチ/反・中共/反共」は雲散霧消した。これに伴って保守知識人の信条「大東亜戦争否定」「“昭和天皇の聖性護持”に成功した東京裁判」の両論を共有する保守国民はいなくなった。保守知識人とは、代表で「竹山道雄/福田恒存/林健太郎/磯田光一/中川八洋」等を指す。

 1983年、ブレジネフが背後にちらつく“ロシアKGBの犬”民族系が、「保守」を食い殺すように「大東亜戦争肯定論」「東京裁判“日本弱体化論”(「東京裁判史観!」)」を掲げて突然台頭。彼らは、「ポツダム宣言/ヒロシマ原爆/ご聖断が日本を救った神風だ」という1960年代までの多数一般日本人の常識を破壊するのを「愛国」と狂妄し、「自国損壊」運動に暴走した。スターリンが使嗾した大東亜戦争の戦争目的は「アジア共産化/(8・14宮城クーデタ等)昭和天皇銃殺/日本国民皆殺し(一億玉砕)」。が、逆走をしては悦に耽るアホバカ民族系は、白日の下に曝すべき“祖国叛逆”大東亜戦争史の真相を、あろうことか逆さにも共産党と共同し闇に葬った。

 民族系の祖国叛逆性は、これらに留まらない。“共産党の別動隊”日本会議/産経新聞は、記紀が共産党系学者の暴言的論文でズタズタに破壊され尽くされているのを知りながら、一度として「記紀を守れ」「神武天皇は実在する」「神功皇后は実在する」「仲哀天皇までの天皇は全て実在し史実である」と主張したことはない。この主張をするには、最小限、津田左右吉/水野祐/直木孝次郎/井上光貞/上田正昭の五名を凌ぐ学識&教養を展開しなければならない。が、無学歴・低学歴の“ゴロツキ屑人間の集合体”日本会議/産経新聞に期待すべくもない。産経新聞の「正論」メンバーは、隠れ共産党員、北朝鮮対日工作員、ロシアKGB工作員のいずれか。学的教養知識人はゼロ名。

 現に、産経新聞社社員も日本会議メンバーも、強烈な天皇制廃止狂の北朝鮮人・住田良能(社長)が最大スポンサーだった西尾幹二の「保守つぶし」が目的の“赤黒”教科書づくりを阻止しなかった。それどころか、西尾幹二が作った“準・共産党”極左教科書に拍手喝采した。西尾幹二が“隠れ共産党員”(正しくは幸徳秋水と同じアナーキスト)で、彼の中学教科書は“準・共産党”製と喝破したのは谷沢永一だけだった。

 今では、小中学校の歴史教科書から、神武天皇や神功皇后の名前すら完全に抹殺され、テストで「神武天皇は架空の物語とされています」と、神武天皇と名前を使用しただけで0点となる。仮にも神武天皇の名を口にしたら、教師から怒鳴られる学校も多くなった。この傾向を側面助長し最後の止め的な決定打となったのが、“黒い悪魔”西尾幹二の“赤黒”教科書運動だった。

 西尾幹二の狂気の「反日」運動は、日本最後の「保守」を食い殺し、日本に残っていた、ほんの一欠けらの“歴史学の良心”すら、完膚なきまでに一掃した。西尾幹二とは、谷沢永一が痛憤するように、愛国演技を得意とする、性悪な極左の反日革命家であった。

 産経新聞が出版した、共産党と完全連携の「反日」“赤黒”教科書運動家・西尾幹二『国民の歴史』は、神武天皇はむろん第19代の仲哀天皇まで存在しないとバッサリ切り捨てている(186頁、注1)。さらに、共産党史観を絶対とする“天皇制廃止狂”西尾幹二は共産党語しか使わない。「皇統譜」ではなく「王統譜」(185頁/188頁)、「崩御」ではなく「死去」(186頁)、「大和朝廷」「皇位」ではなく「王権」(187頁)、等々。さらに西尾幹二は、引用は天皇制廃止のゴリゴリ共産党員の本のみ。例えば、西尾『国民の歴史』184~9頁は全て過激な共産党員・水木彪の『王権のコスモロジー』から。

“神武天皇ご即位は「西暦元年前後」とせず「紀元前660年」に固執する“無知・無見識な騒ぎ屋”民族系とは、「スターリン32年命令」“神武天皇捏造論”を助長し宣伝流布する反日集団──『古事記』「日本書紀」を修理・保守せずば“日本民族の至宝”かつ“偉大な史書”記紀を守れない。” の続きを読む

昭和天皇「処刑」と日本国死滅が信条の林房雄は、“天皇制廃滅の狂本”『神武天皇実在論』で何を狙ったのか──人を欺き誑かしては快感する民族系“偽装”のレーニン教徒・林房雄は、本当にアナーキストに“転向”していたのか

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 マルクス・レーニン主義やポスト・モダンなどの極左宗教を狂信する売国奴たちを別とすれば、日本人とは、一般に哲学・思想が皆目理解できないスーパー哲学音痴が特性の先天的「白痴」民族。ルソーとニーチェを国民挙げて拒絶する米国人と比較すると、日本人は三歳の幼稚園児と同一レベル。ニーチェ思想は、ルソーと並ぶか、それ以上の超極左ドグマ。が、こんな哲学の初歩すら知らないのが、家鴨か豚になって世界随一に“人間としての人格と精神”を喪失した、現在の日本人の常態。

 現に、河上肇のコミンテルン日本支部(日本共産党)の党員だった林房雄が離党届を出し(1932年)、二・二六事件が発生した1936年に作品『プロレタリア作家廃業宣言』を発表したことをもって、「林房雄は保守に転向した」と思い込み歓迎した、日本の無学無教養な民族系クズ人間が何と多いことか。民族系たちが林房雄の作品を読んでいる光景は、道端に転がる腐った鰯の頭に集るハエの大群。

 正常な大人は、転向という言葉を聴けば二つのチェックをする。第一。「擬装転向だろうか、本物の転向だろうか」の見究め。擬装転向者の例に平野義太郎/清水幾太郎/中嶋嶺雄/香山健一など。

 第二。「何に転向したのか」を確定。共産党からの転向者は、ほんの一握りの保守への転向者を除けば、90%はアナーキストに転向する。共産党員から保守に正しく転向した例に、林健太郎/谷沢永一/遠山景久/三田村武夫/俵孝太郎など。つまり、共産党からの転向者90%は、アナーキストという極左から極左への転向。一般通念上の転向ではない。正しくはセクト変更と言うべきもの。

 擬装転向でもない/アナーキストへの転向でもないユニークな転向もある。江藤淳。共産党を離党したのは1960年の安保騒動直後。民族系に転向したが、共産党に戻りたく、相当に葛藤していた。結局、自死しか(彼にとっての)悔恨の転向を解決できなかった。

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神武天皇の海兵隊「筑紫ひむか隊」の御出立は、佐賀県唐津湾。上陸(一回目敗退)は東大阪市日下町──日向(ひむか)三代の故地は、福岡県前原市。

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 国家は、どう誕生するのか。人類史を紐解くと、大まかには、三タイプある。

A、自然発生&自然発展;ローマ帝国、古代ギリシャのアテネ等、古代エジプト、英国、その他多数。

B、英雄による帝国創建;始皇帝による秦(支那帝国)ムハンメドのイスラム帝国、チンギス・カーンの蒙古帝国、アレクサンドロス大王の東方遠征、ナポレオン(スペイン、イタリア、ドイツ、スウェーデン、ロシア、英国を含む)ヨーロッパ帝国(英国等の軍事反撃に瓦解)(英国からボルガ川までの)ヒトラーのドイツ千年王国(米国主導の軍事反撃で瓦解)

C、本国からの移住による分国的な独立;(レバノン沿岸の貿易国家から移住したフェニキヤ人の)カルタゴ、(英国の移住者が分離独立した)米国/カナダ/豪州。

 日本国は、世界史の標準に従えば、日本列島に自然的に発展しており、典型的なAタイプである。が、日本人だけに許される超ミクロ的な観察をすれば、Cタイプの特性がある。この理由は、日本の国家統一を成し遂げ今日の日本国を創って頂いた大和朝廷は、恐らく福岡県と佐賀県の海岸部に形成された原初的な小さな国「伊都国」からの武装集団が奈良盆地を制圧し樹立したと考えられるからである。

 この意味で、「伊都国を英国、大和朝廷の日本国を米国」に譬えても、さほどピントずれではない。『魏志倭人伝』は、伊都国が大和朝廷を代理して北部九州を総監督しているとする。これが事実なら、大和朝廷と伊都国との関係は、第一次世界大戦時の米国と英国との関係に少し似ている。

日向(ひむか)三代のご存在は史実。神武天皇のご存在も神武東征も明らかな史実。

(1) 日向(ひむか)三代の故地。本研究の現段階ではまだ仮定だが、いったん仮の比定しなければ、最終的な確定に至ることはできない。『古事記』の次の記述から、「久士布流(くじふる)山」を朝日が昇る東に見える地点が、この故地に当る。JR筑肥線の駅でいえば、「加布里(かふり)」駅と「筑前深江」駅の間か。両駅とも唐津湾の海岸に近い。また、ここは韓半島は真向かいになる。高祖山(たかす、標高416㍍)に登れば、壱岐・対馬が見える。高祖山と「くじふる山」(419㍍)は双子の山で、二上山の典型。

(皇孫ニニギノミコトは)筑紫の日向(ひむか)の高千穂の久士布流(くじふる)多気(嶽)に天降りまさしめき」「ここは韓国(からくに)に向ひ、・・・・・朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、ここは、いと吉(よ)き地(ところ)」。129頁

 「くしふる山」の南東に、今もその名が残る「日向(ひむか)峠」があり、福岡市と前原市を結ぶ道路が走っている。「くしふる山」は今は名無しになり「高祖山」で一括りだが、江戸時代の黒田藩では「くしふる山」と呼び、高祖山とは区別していた。なお、「高千穂」は、《高い山》ではなく、《山の頂が連なっている》という意味。弥生中期の環濠集落としての「日向三代の故地」だが、私は、人口一千人以上で、「吉野が里」の三分の一ほどの規模をイメージしている。皇孫ニニギノミコトは、まだ赤ん坊ながら、この集落の首長になられたのである。

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“姓名占い狂の教祖”津田左右吉の犯意露わな古代史「全面破壊」を放免し、日本は“民族の至宝”「正しい歴史」を喪失した。歴史を失った国家は必ず滅亡する。今からでも遅くはない、日本人よ、「正」古代史を復権すべく最後の“知の戦い”に命を捨てようではないか。

筑波大学名誉教授 中 川 八 洋

 記紀にあらん限りの罵詈雑言を投げつける“畸形の共産主義者”津田左右吉を、戦後日本は無罪放免にした。ジャコバン党ロベスピエールを崇拝する赤色憲法学の宮澤俊義、レーニンを崇拝する家族破壊“狂”の我妻栄と並び、日本民族から古代史を剥奪し歴史無き“無国籍日本人”大量生産を仕事とした津田左右吉は、戦後日本を過激に左傾化させた“赤い巨大機関車”ワースト・スリー。

 だが、驚くべくことは、惰弱で無気力な一般の日本人の方。津田左右吉が、“スターリンの犬”河上肇や“天皇による天皇制度破壊”を考案した上杉慎吉らと同時期に、「日本に共産革命を!」の雄叫びとも解せられる『古事記及日本書紀の研究』(備考)『神代史の研究』を出版したのは、1924年(大正14年)だった。が、この時、この二書を糾弾した者は、一人もいない。津田左右吉の恩師・白鳥庫吉すら弟子・津田に対して苦言一つ投げつけてはいない。白鳥庫吉らの『国体真義』(1928年)は、いったい何だったのか(注1)。 

(備考) 津田左右吉のコミュニストぶりが満開の書『古事記及日本書紀の研究』の初刊は、(タイトルに「び」がある)1918年。これは全く売れず世間も知らなかった。が、1924年の修正版は世間の注目を浴びた。

 上記五名のうち河上肇に対してのみ例外的に政府は、1925年に治安維持法を制定した。が、杜撰すぎたザル法の典型だから、有効な働きは何一つなかった。河上肇によるスターリン系の共産主義思想の蔓延は、スペイン風邪の伝染力より強烈で、1932年以降、近衛文麿を初め日本の官界と陸軍の中枢を支配した。昭和天皇処刑と一億日本人皆殺しを戦争目的とする“祖国叛逆の真赤な大東亜戦争”は、このスターリン系共産主義を奉戴した東アジア共産化を目指した革命戦争だった。

津田左右吉を「古代史の学者聖人」にした「蓑田胸喜→内務省」発禁処分の大愚行

 戦後直ぐに、教条的な共産党員の吉野源三郎に依頼されて、津田左右吉が雑誌『世界』に発表した天皇制廃止反対論は、よくよく読むと、天皇制“準”廃止論である。天皇を“日本国天皇”から引きずり降ろし、当時の日本では、最極左人士しか発想しなかった国民主権論に基づいた“日本人(日本人民)の天皇”に貶めているからだ。津田は、こう書いている。

「皇室は《国民の皇室》であり、天皇は(「日本国天皇」ではなく)《われらの天皇》であられる。《われらの天皇》は、われらが愛さねばならぬ」

「国民は皇室を愛する。愛する所にこそ民主主義(「人民民主主義」のこと)の徹底した姿がある」(注2、丸カッコ内中川)

 これは、1791年9月のフランス革命憲法が「ルイ十六世フランス国王」を、「フランス人民の王ルイ・カペー」に貶めたやり方と全く同一。この革命憲法制定から一年半後、ルイ16世は、ギロチンで処刑された(1793年1月)。何ということはない、津田左右吉は、読者誑かし語「われらが天皇」をもって、日本国天皇を全否定している。津田のこの巧妙なトリック語に従えば、「《われらの天皇》で無い」と声をあげれば天皇制を即座に廃止できる。また「愛していない」と国民がその意思を表明すれば、天皇から天皇の地位を剥奪できる。共産革命家・津田左右吉は、ジャコバン党員の再来だった。

““姓名占い狂の教祖”津田左右吉の犯意露わな古代史「全面破壊」を放免し、日本は“民族の至宝”「正しい歴史」を喪失した。歴史を失った国家は必ず滅亡する。今からでも遅くはない、日本人よ、「正」古代史を復権すべく最後の“知の戦い”に命を捨てようではないか。” の続きを読む