真正の日本国民よ、サン=ドニ大聖堂に参拝しパリ・オリンピック開会式(悪魔の祭典)が徹底侮辱した王妃マリー・アントワネットに鎮魂の祈りを捧げよう──墓前で○首するマクロン仏大統領とパリ市長の胸像を発注したいので、美大の学生諸君、連絡を乞う

Pocket

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 野蛮と狂気の“悪魔の狂舞”祭典となったパリ・オリンピック開会式には、日頃穏やかで温厚な私も、怒髪天を衝く怒りが収まらない。ダヴィンチの名画「最後の晩餐」を、LGBTの女装男性(ドラァグクイーン)や髭を生やした中年トランス・ジェンダーたちの「レインボー狂宴」にパロディ化するとは、カソリック・キリスト教徒への暴力剝き出しの冒涜に他ならない。しかも、その中の一人は、わざと一物の先端を見せており、刑法違反の公然猥褻。

 さらに無実の罪でギロチンとなったマリー・アントワネットの生首に歌を歌わせ、挙句に、実際の拘置所の建物の全体から血の煙を噴き上げさせ、さらに滴る血をテープで表現するなど、真っ当な人間のすることではない。この舞台を作った芸術監督トマ・ジョリはエイズで死んだフーコーに心酔するゲイ。この芸術監督は開会式演出でテロリズム賞讃など複数の刑法違反を犯した。フランス政府は厳正に処断されたい。

 フランス革命によるマリー・アントワネットの悲劇と哀しみを、私は中学二年生(13歳)の時、知った。以来、断腸の思いで胸が痛む。特に、王妃アントワネットが処刑の直前まで思いを馳せた皇太子ルイ十七世が、父ルイ十六世や母アントワネットよりも酷い虐待死だったことは間違いなく(死亡時十歳)、ならば、母アントワネットの処刑の前にギロチン処刑して、アントワネットの憂いを一つでも取り除いてあげるべきだったと考えると、私は落涙を抑えることができない。

 ルイ十七世の遺骸は今、サン=ドニ大聖堂で、父ルイ十六世と母アントワネットの傍で眠られておられる。これが、せめてもの救い。それにしても、マリー・アントワネットの首を窓にずらりと並べて歌わせるとは、許されるべき演出ではない。これは芸術ではなく、テロリズムの犯罪! これほど死者への冒涜、王族・王妃への侮辱は、ハマス以上に残虐。天に唾する血塗られた狂気。

 キリスト教徒でもない私の参拝ではご迷惑かも知れないが、サン=ドニ大聖堂が祀る、マリー・アントワネットの石像を白いユリの花で埋め尽くし、その前でマクロン大統領とパリ市長アンヌ・イダルゴの胸像の首を(武家の打首の儀式に則って)斬り落とし、マリー・アントワネット王妃の御霊を鎮めたい。

 ついては、機内に持ち込める縦40㎝ほどの両名の胸像が必要で、美大の学生で奇特な方に注文したい。吉田寿太郎(当ブログ管理人)までご連絡して頂ければ有難い。尚、サン=ドニ大聖堂を参拝した後、パリからロンドンに飛んで、そこからベコンズフィールド(Beaconsfield)に向かい、英国国教会の教会を訪問する予定。礼拝堂の床下に眠るバークに報告するためである。

アントワネットに迫る危険を二年前に察知し、英墺普に対仏宣戦布告を訴えたバーク

 フランス革命の正体を把握すべく、バークは、革命派・反革命派を問わず、王妃マリー・アントワネットに対するフランス人の動きもその指標として注目した。1789年10月、(ジャコバン党が引率の)暴虐なる革命派の暴民が、ルイ16世/アントワネットほか王室とその側近を、居城のベルサイユからパリに強制連行する大事件が発生した。この暴民の強制連行行列には、槍に幾人もの首が刺されていた。また、「司教を街灯の柱に吊るせ!」の怒号が飛び交っていた。

 千年に一人の天才バークは、王殺し/貴族殺しの“殺人”そのことに価値を置く暴民の異様と、この暴民を粉砕するはずの近衛兵団が僅かな数を例外に革命側に寝返っている不気味さに、王制への叛乱を超えた、殺戮を「神」とする魔物的カルト宗教が“大噴火”する予兆を察知した。《自由なき暗黒社会がフランスを襲い、次にヨーロッパ全体を襲う》事態の推移も正確に嗅ぎ取った。 

「名誉と騎士道を尊ぶフランスで、強制連行という災厄が王妃マリー・アントワネットの身の上に降りかかるとは、私は夢にも思いませんでした。アントワネット陛下に対する侮辱の脅威が瞥見されただけで、一万もの騎士が抜く剣が暴民に対し復讐に閃くものと私は信じていました。しかし、騎士道の時代は去りました。詐言家/守銭奴/計算屋の時代に成り下がってしまいました」

「ヨーロッパの栄光は永遠に消滅した。高貴な身分の女性に対するあの高雅な忠節、あの誇り高い服従、あの尊厳ある臣従、あの心底からの恭順は、もう決して観られまい」(注1、97頁)。  

 このバークの文は1790年6月に上梓し、1790年11月出版の『フランス革命の省察』の一節。ために、1790年の後半にそのヒドラの姿を現した、人類史に類例を見ない“殺戮と強奪の《新カルト宗教団体》”のフランス簒奪(革命)を撲滅せんとするバークの決意は、同書には反映されていない。バークは、新カルト宗教団体の狂人テロリスト集団がフランス全土を簒奪した暁には、《国内ではジェノサイド、国外には戦争の輸出》が巻き起こると確信し、その撲滅に全知全能を注いだのである。

 しかも、国民への脳天気な優しさしかない“無策・無定見”ルイ十六世の下では、このフランス革命勢力を粉砕・制圧できないとも結論した(1790年秋)。それが、バークが1791年1月に発表した論文『フランス国民議会議員への手紙』。この論文でバークは、まだパリに限って猛威を振るうフランス革命勢力を急ぎ叩き潰さない限り、狂気の理論宗教の革命がフランス全土そして全ヨーロッパを支配すると予見し、英国/オーストリア帝国/プロシャ王国によるパリ占領以外に、ヨーロッパの“道徳ある自由=美しき法秩序”は護持されないと喝破している。

 要するに、1790年の秋、上記引用文の「一万もの騎士の剣」が、「英墺普の一万もの大砲」に置き換えられない限り、ヨーロッパの自由と平和が死滅すると、バークは心底では焦りだしていた。天才は凡人と異なり、事態の推移が数十年先まで見える。チャーチルは1932年、七年後のヒトラーの第二次世界大戦の開始と英国への侵略を予見し英国民に警鐘乱打したが、バークはチャーチルより上位の天才。

 しかし、バークは、著名な英国の下院議員であっても、英国政府でも英国国王でもない。英国/オーストリア帝国/プロシャ王国がバークの策を聞き入れ対仏戦争を始めることはなかった。これらの諸国が拱手傍観した二年間の代償が、ルイ十六世のギロチン(1793年1月)となり、マリー・アントワネットのギロチン(1793年6月)となった。

 天才バークの献策に従い、英墺普の三ケ国が1791年中にパリ占領とジャコバン党幹部の一掃的処刑を敢行していれば、マリー・アントワネットの死は無かった。1793年6月のアントワネット陛下の処刑の報に、バークはどれほど悔しがったことか。このバークの無念がわかる私は、日本国の“真善美のある自由”擁護もこれあり、マリー・アントワネットの石像を白い百合の花で埋め尽くしたい。

 一国の“真善美のある自由”or“美徳に満ちた自由”は、バークの言う通り、《アントワネットの尊貴を護る一万もの騎士が抜く剣》がもたらすのである。国民の生命と財産が擁護される文明社会の“秩序ある自由”は、国王・王妃・王族の名誉と尊貴を国民が命を惜しまず守らんとした、国民の世襲の義務行為に対して、天が下賜するご褒美なのだ。

 眞子内親王殿下の尊貴を共産党員や北朝鮮人の罵詈雑言の嵐から護る、善男善女日本人の忠義の精神と行動が、日本国の美しき自由の淵源を形成するのである。このことについて、中川八洋『女性皇族「囚人」〝狂〟櫻井よし子論』第Ⅱ部を参照のこと。

 尚、英国の対英宣戦布告は、ルイ十六世ギロチン処刑で英国民が激高する中で発せられた。英国がウェリントン侯爵の陸軍部隊にパリを占領させ、ジャコバン党員ナポレオンを追放したのは1814年。また、バークが予言していたナポレオンの対英上陸作戦の前哨「トラファルガル海戦」は1805年だった(バークは1797年、肺結核でこの世を去っていた)。ネルソン提督はウェリントン侯爵と並んで、英国とヨーロッパを“狂気のテロル宗教”フランス革命の禍毒から護った。軍事力と正しいイデオロギーこそが、国を護る二頭馬車である。日本は、この歴史の教訓を忘れてはならない。

 “新生の小国”米国も1798年、ナポレオンと一戦してフランス革命に鉄槌を下さんとした。この時、「ジョージ・ワシントンが総司令官、アレクザンダー・ハミルトンが陸軍少将兼総司令官代行」に就任した。王制主義者ジョージ・ワシントンは大統領職の八年間、執務室に巨大なルイ十六世の肖像画を掲げ続けた。親仏勢力を激難したハミルトンの「反フランス革命」論文が『見解』。日本人必読。

LGBTを「神」と崇めたパリ開会式を唾棄し、稲田朋美LGBT法の“廃止”を急ごう 

 反キリスト教の無神論を闡明し、キリストに代わってLGBTを「新しい神」だと宣言した、パリ・オリンピックの“野蛮と狂気”の開会式に話を戻す。

 この開会式は、黒魔教より血に飢えたカルト宗教の祭典だった。正常なスポーツ祭典とは異次元であった。例えば、キリストの「最後の晩餐」を揶揄した舞台で、キリストと十二使徒を、醜悪で汚らしいLGBTの男女に置き換えたのは、LGBTを「神」に昇格させたい下心。

 不潔なLGBTの連中を「神」とするカルトLGBT教は、「何でも平等は正義」とする重度の分裂症ルソーの狂気「平等」教が源泉。今では持ち上げられ威張りだした日本人LGBTの中には、ルソーと同じく「俺様は神だ」と妄想する者が現れてきた。「医学的な精神分裂病者が、絶対多数の医学的な正常者を奴隷的に支配する」社会を創れ!と唱道したフーコー『狂気の歴史』557~60頁(新潮社)を援用し、“支配者”「医学的な精神分裂病者」を、「LGBT」に置き換える者すら続出している。

 これではLGBTが社会の支配者であるべきとの転倒思想が蔓延する。2023年に立法された、日本共産党&稲田朋美の「LGBT理解増進法」からでも、「LGBTが社会の支配者であるべき」が、露骨に読める。この法律の用語「理解増進」が、正常者は「LGBTに傅け/拝め」というニュアンスを漂わせているからだ。実際に日本共産党が主導するレインボー運動は、稲田LGBT法以来、LGBTとの“共生”を訴えなくなった。「俺様はLGBT様だから、正常者は俺様に跪け/叩頭せよ」を絶叫するようになった。

 開会式では、マリー・アントワネットの斬り落とされた首が歌う演出がで、LGBTの「最後の晩餐」狂宴がだった。世界の古くからの野蛮・未開の祭りの、“斬首は神を讃える祭りの直前に催される生贄の儀式”を踏襲している。ゲイである開会式の芸術監督トマ・ジョリは、「神」となるLGBTを讃えるべく、ルソー/ロベスピエールの“王殺し/王族殺し”による生贄の儀式を先に挙行した。ゲイには殺人鬼や野蛮人や麻薬患者が多い。トマ・ジョリも、このいずれかだろう。

LGBT法の廃止だけでなく、日本よ、反ルソー/反フランス革命/反・平等に立ち返れ

 日本が今なすべきは、LGBT法の廃止と稲田朋美の国会追放。が、これだけで終りにしてはいけない。グロテスクな狂気の乱舞だったパリ開会式の原点が、ルソーの『人間不平等起源論』である事実をしっかと自覚して、ルソー思想の絶滅にこそ、一億日本人は剣を振って突撃すべきだろう。

 が、日本では、凶悪な狂気の爆発物、ルソーのカルト宗教本が、山と出版されている。学校教科書ですら、小学校のそれすら“気狂い野獣”のルソーを理想の哲学者だと讃えている。中高校の教科書になると『人間不平等起源論』『社会契約論』『エミール』が絶賛されている。日本の教科書執筆者と教科書会社には、“レーニン系の殺人鬼”共産党員しかいないからだ。共産党の非合法化と共産党員(=人殺し気狂い)のリスト公開は、日本国の存続と平和に最小限不可欠な政策。

 一方、米国を見よ。国挙げてルソーを徹底排撃。ルソーの著作を読む米国民は、(政治哲学の大学教授以外)下は小学生から上は老人に至るまで一人もいない。建国の父ジョージ・ワシントン大統領以来、米国ではルソー排除を国是とし、今も厳格に守っている。英国では、ルソー狂徒のベンサム/ダーウィン/ケインズが出現しているように、米国とは異なって親ルソーが少数ながら存在する。だから、英国では正常な多数派がルソーを潰すべく、ルソー批判の専門書を何十冊も出版した。

 かくして、英国では反フランス革命の思潮が、バークの『フランス革命の省察』を嚆矢として、アクトン卿の『History of Liberty』『Lectures on the French Revolution』など、政治思想の主流の座を占めている。サッチャー首相も、バークを継いだ強烈な反フランス革命の思想家。1982年6月、サッチャーは、G7ベルサイユ・サミットに出席するため、ド・ゴール空港に降りたった時、「私は今、自由を理解しない国に到着しました」と挨拶し、英国の新聞TVからやんやの喝采を浴びた。サッチャーは政治家の嗅覚で、フランス革命批判がもたらす確実な人気と評価を狙ったのだ。

 フランス革命のスローガン「自由、平等、友愛」と聞いて、米国のハイスクールの生徒は、ブッと噴き出す。英国人は、このスローガンを聞くと、異口同音に「フランス人はどうして自由が判らないのか」と、不思議がったり軽蔑したりする。

 が、一億人の赤いバカが魑魅魍魎と跋扈している日本では、「自由、平等、友愛」と聞くと、逆さにも、高邁な理想だと拍手し心酔する。バカは死んでも治らない。火星人・鳩山由紀夫の「友愛」教の「友愛」は、テロリスト「ジャコバン党」のこのスローガンから採っている。赤い人喰いメス鮫三千匹が泳ぐ朝日新聞の「平等、平等、平等」キャンペーンの「平等」も、「狂人ルソーの『人間不平等起源論』→テロリスト達の仏革命スローガン」から採っている。7・26パリの夜空にLGBTトマ・ジョリが証明した如く、フランス革命の「自由、平等、友愛」を口にする者に、正常者は一人もいない。

“自由”は“法の支配”の下で擁護される言語や市場と同じ自然発生(SPONTANEOUS)。創造は不可能

 フランス革命のジャコバン党員やロベスピエールは何故、テロルしかできない狂人ばかりだったのか。それは、スローガン「自由、平等、友愛」からでも明白ではないか。自由は“法の支配”の下で擁護される慣習を土壌として生育する。人智や政治権力では創造できない。ハイエク的に言えば、自由は、人間の意識せざる行為の数百年の堆積から生まれる自然的に発展したもので、人智で設計し誕生することが万が一に不可能なものだからである。

 自由が、人智の設計で創造され国家権力の強制で実現する「平等」とは対極的に異次元である理由は、これ。しかも、平等は必ず自由を破壊する。平等を追求すれば、個人が享受する自由は制限され自由は狭められ、自由が抑圧される。最後には自由ゼロに至る。自由と平等は、水と油以上に天敵関係にある。ハイエクの名著『隷従への道』の“隷従”は、トックヴィルの『米国デモクラシー』の最後の方で、自由と平等を完全に理解していたトックヴィルがそっと挿入したフランス革命を批判する一節から採った。トックヴィルは、次のように指摘した。天才の保守主義者らしい見事な炯眼。

 尚、今、朝日新聞の論壇時評を担当している、東大随一のバカ以下“劣等生”の共産党員・宇野重規は、トックヴィルの専門家かに誤解されている。が、宇野は素人以下のキワモノ。トックヴィルは必ず原著で読み、日本人解説を読まない事。

平等は、次の二つの傾向を作り出す。第一傾向は、人々を直接的に独立に導き、そして突然、無政府状態(無秩序な弱肉強食の社会)に突き落とす。第二の傾向は、もっと永いもっと潜在的なしかも確実な道によって、人々を(全体主義体制の一つのボルトナットになる)隷従に導くのである。諸民族はいつの間にか第二の傾向=全体主義社会に引き込まれている」(注2、512頁)

 サッチャーは、「自由」を掲げて革命したフランス人を嘲笑・蔑視した。理由は、フランス人が「政治は自由を創造できないけど、政治は自由を擁護できる(自由を擁護する義務を果たすべき)」「平等の追求は、必ず自由を抑圧する。自由と平等の同時追求は、ブレーキとアクセルを同時に踏む狂人ドライバーと同類の狂人」という政治の大原理を(トックヴィルなど例外はいるが)全く知らないからだ。

 英国は、コーク卿による“法の支配”の理論化と政治原則化によって、自由を擁護する方法を知る “自由が燦然と輝く” 偉大な国家である。故に英国では、「国家権力=政府とは、“自由の擁護を国民に対する義務”とする政治機関」との説が政治の常識。そのような英国からすれば、フランス革命とは、オオカミに変貌したフランス人(ジャコバン党/ロベスピエール)が、自由と文明の清華である王侯貴族というハトに襲い掛かってハトを喰い殺した、野蛮で狂暴なテロルの狂宴に過ぎない。サッチャーは、このフランスの狂気を、正しく嘲笑したのである。

『人間不平等起源論』を読み嘔吐を催さないのは狂人の証拠。共産党員とは狂人!

 日本人が正常な人間に戻るにはand日本の政治が普通の正常な政治に回帰するには、国家の破壊と暗黒化を目指した狂人ルソーを拒絶することがまず入り口、と日本人が自覚すること。

1、『人間不平等起源論』は、理想の人間としてオラン・ウータンを推奨している(注3、161~5頁)

『人間不平等起源論』を、“狂人の狂気が爆発した著作で読むに堪えない”と、正しく見做さない日本人に、懲役十年ほどの刑を課すのは、そう突飛なことではないことが、これだけでも明らかだろう。

2、人間は家族を作ってはいけないと考えるルソーは、「それでは子孫を残せない」との批判に、次のように反駁している。

 男が女をレイプしてそのまま去る(妊娠した女を棄てる)のを合法の常態化・制度化する。そして、レイプされ妊娠した女が子供を育てるから、子孫は産まれ育ち、子孫欠乏の問題は起きない。野良犬が、これを実践しているではないか、と。さらに、この男女が家族を作らないように、男女の間にいかなる愛情も存在させてはならない。これらは、ルソー記述のほんの一部。60頁、77~80頁。

 ところで、共産党員や共産主義者は、「『人間不平等起源論』は理想社会=ユートピアを提唱した最高の経典」だと拝跪する。マルクスとエンゲルスは、『人間不平等起源論』を盗作して『共産党宣言』を書いた。これらの事実において、共産党員・共産主義者とは、レイプ主義を理想の男女関係とするルソーの狂気を是認する性的変質者。彼らに、正常性は一欠けらもない。共産党員・共産主義者を全員、鉄格子のある精神病院に強制入院させねばならない。

 少なくとも、共産党員・共産主義者の政治家には、国会議員や地方議員なら直ちに議員資格を剥奪する措置を執るべきだ。共産党員・共産主義者の公務員や大学教員の免職も、日本が正常な自由社会であるに最低限必要な政治環境づくりに不可欠だ。米国と同様な「共産主義者公務員即時免職法」の制定が急がれる。

3、ルソーは、人間を(文明社会と家族を有さない)動物or未開人・野蛮人に改造することによって、人間は健康で幸福な理想の人生を送れると妄想した(129~31頁ほか)。ここからルソーは、動物と同じく、「①無所有の社会/②非・文明の社会(文明の利器が無い、無法で無道徳な野蛮社会)/(社長と社員など)階層的な人間序列が完全に消滅した社会(=平等社会)」への改造だけが、人間を幸福にするとの狂気を演繹した。

 自由と真善美の温室たる高貴な国王と王族を戴く王制に対する破壊の情動は、このように、人間が動物でない事への怒りが原点にある(注3、10~19頁/124頁/126~7頁)

4、このようにルソーの王制打倒と王殺しは、ルソーの文明社会への憎悪の延長上のもの。だからルソーは、反文明の極み《病院の無い社会》《薬屋の無い社会》を、理想社会づくりに不可欠とした。48~9頁、53頁ほか。この無病院/無薬局を実行したのがカンボジアのポル=ポト。ポル=ポトが権力を掌握した1975年、カンボジア全土から病院と薬局が消えた、郵便局も郵便ポストも消えた。ポル=ポト幹部の多くはソルボンヌ大卒で、ルソーを専攻。一人はルソー研究で博士号を取得した。

5、『人間不平等起源論』をもう少し紹介したいが、ここで割愛。本ブログ読者諸兄こそが、本文僅か188頁の岩波文庫本を必ず読むことの方が肝心だと考えるからである。仮にもバークの『フランス革命の省察』を理解するには、フランス革命史とルソー/ヴォルテールに精通することは絶対。

 私は日本ではバーク諸作品を最も正確に読める唯一の学者。が、ルソー研究も日本一。谷沢永一氏が私に著作『フランス革命とルソー』を出せ!出せ!と、時おり突っつくが、そんな暇はなかった。ネットで、バーク哲学を信奉しているとの自己紹介文を散見する。岩田温や平岡憲人ほか。が、彼らはバークを一行も一文字も読んだことが無い。バークで自分を仮装する極悪ペテン師たち。

 バーク哲学とフランス革命史とルソー哲学は三位一体。東大法学部で、「フランス革命史十時間、ルソー哲学十時間」の授業ができる者だけが、バーク哲学を理解することができる。

医学的相違の男と女を「平等=同一化」“改造”狂気から、「LGBT=神」運動が誕生

 さて、パリの開会式は、ダヴィンチの名画「キリストの最後の晩餐」をLGBTに簒奪させた、狂気の演出をなした。世界の多くの正常人は、ぶったまげて絶句した。不潔で暴力的で犯罪者的であるLGBTたちに、キリストや十二使徒を演じさせることは、赦されざるキリスト教への冒涜。

 それなのに、日本共産党員を初め、世界の共産主義者や社会破壊主義者たちは、騙しの魔語「共生」「多様」を駆使して、LGBTを神格化する運動を展開する。なぜか。これら日本共産党員や世界の共産主義者は皆、ルソー系の気狂いだからである。

 次に、気狂いは、断罪して処罰しない限り無限に増長する。なのに、自由社会は日本を含め、共産主義者=気狂いを放任してきた。ために、共産主義者=気狂いは、これまでの「財産権/教育権/政治参加権/職業選択権」における社会的権利における平等の追求から、本物の狂人性を剥きだし、男女の生物学的・医学的な平等(同一化)という究極の平等運動にエスカレートしたのである。

 要は、ルソーが創唱したカルト「平等」教は、今や、社会改造による男女間の差異解消フェーズを超え、ついに医学的・生物学的な差異解消の医学・生物学そのものを否定するフェーズへと突入した。LGBTだと洗脳された小中学生への性転換手術が持て囃されているのもこれ。生物学的・医学的な男女の差異をゼロ化する手っ取り早い方法は、男女間相互の「とりかえばや」である、子供達への性転換手術。

 この狂気は、医学や生物学の科学を否定し、人間の意思は科学の上位にあるとの虚構“信仰”を絶対としている。フーコーの『知の考古学』(1969年)は、この先駆。日本で『知の考古学』にムキになって反駁した良心も知性も存在しなかった。また、男女の性差を医学的な手術で「存在しない」と証明せんとする本物の悪魔まで動きだした。ジョン・マネーの『性の署名』(1975年、人文書院)は、この悪魔の鬨の声。

 しかも、悪魔ジョン・マネーは、医療事故でペニスを失った男児(1966年生)を女性に改造する実験を、1967年から1990年まで十三年間も実施した。が、十四歳になったこの少年は、自分は男児であって女性ではないと、女性化の医療を拒否した。ジョン・マネーの「男か女かは社会的産物で、医学や生物学的な差異ではない」が狂妄の狂説だったことが証明された。これは『ブレンダと呼ばれた少年』(注4)に、詳細な記録と共に論じられている。

 しかし、共産主義者の狂気「男女は平等で同一のはずだから、男女は自由に取り換えることができる」は、LGBT運動を契機に、さらに有毒ガスの猛炎をあげて、エスカレートするばかり。われわれ正常人は、一丸となって、生物学的・医学的な男女の差異(=真実)を重視し、社会解体と不幸な個人“大量生産”を狙うLGBT運動を粉砕せねばならない。

 この対処の一つは、LGBT推進者をことごとく抹殺=不在化すること。例えば、コリアン稲田朋美については、曽祖父が眠る北朝鮮に追放すべく、彼女の日本国籍を剥奪しようではないか。パリ五輪開会式を「近年の芸術の目的に十分に適っている」と論評した、チャンコロ三浦瑠璃に対しても、日本国籍を剥奪し、父母が生まれた故郷「赤い支那」(中共)に国外追放しよう。       

1、バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、頁数は本文。

2、トックヴィル『アメリカの民主政治』下、講談社学術文庫、頁数は本文。

3、ルソー『人間不平等起源論』、岩波文庫、頁数は本文。

4、ジョン・コラピント『ブレンダと呼ばれた少年』、無名舎。         

(2024年7月30日記)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です