ヒトラー系“病人殺戮狂”西尾幹二は、相模原19名殺人・精神分裂病男の親族──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史30

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 (本稿は、2016年8月に発表した、『“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史』シリーズの一篇。ここに改めて本blogを愛読される諸兄にお目にかけるのは、次の理由による。新天皇陛下におかれては厳かに践祚され、日本列島がすみずみまで光暉に照らされる光栄の令和元年5月1日、“新皇后テロリスト”がこの慶賀を穢す目的で皇室を論じるという、皇室を奉戴する日本国にあってはならない不浄で不敬行為を傲岸にも実践したからである。『正論』六月号(5月1日発売)や動画(5月3日)がそれ。

 西尾幹二とは、日本史上類例のない“不敬の狂書”『皇太子さまへの御忠言』を通じて、新皇后陛下に対して、刑法不敬罪もびっくりの、血生臭い罵詈讒謗をあらん限りに投げつけた、大逆事件の幸徳秋水を継ぐ狂犬アナーキスト。

 問題は、「西尾幹二が自裁もせず・・・」だけにあるのではない。問題は、韓国・文議長の百萬倍も百億倍も不敬の犯罪者・西尾幹二のエセーや動画を読んだり視聴したりする非・国民が日本に存在すること。これら西尾幹二系の非・国民は、“反・天皇/反・皇室の地下マグマ”の一部を形成している以上、その一掃なしには、日本国の天皇制度の安泰は期しがたい。読者諸兄には、本稿を熟読吟味しつつ、西尾幹二の害毒を真剣に直視されんことを乞い願う。)

(以下、本文)

 相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」における19名という大量殺人事件(加えて26名が重軽傷)は、衝撃を日本中に走らせた。そして、新聞やテレビは、いつものごとく、ワン・パタ-ンの「警察は事前に、犯人である精神分裂病の植松聖がうろついているのを知っていたのに何をしていたのか」と、警察に非難の矛先を向ける「反警察」煽動報道に終始していた。これでは、無実の警察は歯噛みの悔しさが込み上げてきたに違いない。

 だが、この事件の核心は、重度精神分裂病の凶暴男を治癒などしていないことを知りながら、「強制入院(「措置入院」という)からすぐ釈放=退院させろ」と精神病院に強引な行政指導をしてきた、共産主義者の赤い官僚ばかりとなった厚生労働省の“反・人間”行政の方だ。“重度の精神分裂病罹患者の人権は過剰に尊重せよ。近未来にその被害者となる人間の命は虫けらに扱え”は、今では厚生労働省の絶対規範となっている。これに逆らう日本政府の行政などは消えてしまって、煙ほどもない。現に、塩崎・厚労大臣は、中核派あがりの教条的マルキストで、この「精神分裂病罹患者の人権は、過剰に尊重せよ」を、厚生労働省内で先導してきた極左暴力革命家ではないか。

フーコー『狂気の歴史』は厚生省の絶対聖書,安倍晋三の行政はフーコー主義を基軸

 重度精神分裂病の植松聖をさっさと退院させたのは、北里大学東病院(相模原市)の精神科医だが、その名前が公表されていない。おかしいではないか。この医師こそ、重度精神分裂病の植松聖の19名殺人事件の共犯者である。そして、このような「危険な精神分裂病患者を、一般住民の住む一般社会に一般住民と共生させろ!」「企業は危険な精神分裂病患者を社員として一定人数を雇用せよ!」とトンデモ法律を次から次に立法制定している厚生労働省こそは、“19名殺人の実行犯”重度精神分裂病の植松聖の主犯である。

 このような日本社会解体/革命の狂気の厚生労働省の立法を支える思想の一つは、「精神障碍者の人権は、神様に扱え」「障碍者に殺されたら、その被害者の死体は人間ではなく“物”だから、人権は存在しない」である。唯物主義は、霊を認めず死者を悼まない、殺戮を正当化する狂気の思想である。唯物主義の大成者マルクスは、世界のどこかで戦争が起き、大量の兵士が死んだと聞くとはしゃぎまわっていた。マルクスが、死者が増え続けるアメリカ南北戦争時、「もっと死ね」「もっと死ね」と興奮した話は誰でも知って居よう。

 唯物主義を疫病に扱って排除する、つまりマルクス・レーニン主義を撲滅することは、正しい人間の倫理道徳に合致し、人間性豊かな真実の人間社会を維持する最低限の方策だろう。が、日本は、このような人間的常識や理性を、金権/金儲け一辺倒の“親中共・親ソの社会主義者”田中角栄が首相になった1972年頃から、弊履のごとく捨てた。今の日本では、マルクス・レーニン主義や唯物主義を排撃する専門書を書いても、一億人もいながら賛同する日本人は一人もいない。「そのような専門書が、日本国社会の人間性や倫理道徳を守る事に不可欠」と、理解できる日本人が一人もいなくなったからだ。

 しかも、日本は戦前からアジア共産化革命だった大東亜戦争の牽引車マルクス・レーニン主義が猖獗する国柄。1980年代半ばからはこれに加え、フーコーの『狂気の歴史』をはじめとする社会解体/社会廃墟主義のポスト・モダン思想が日本人、とくに霞が関官僚の頭を完全に占領するに至った。マルクス・レーニン主義とポスト・モダン思想という、凶悪な狂気のイデオロギー二つが、日本列島を覆い尽している。

 フーコーの『狂気(=精神分裂病の狂人)の歴史』は、フーコーの『監獄の誕生』を併せて読めば、精神分裂病者を精神病院から解放せよ!をモチーフとしていることが直ぐわかる。そればかりか、正常な社会の方が、措置入院から解放させた精神分裂病患者を絶対神と仰ぎ、それに従うべきだとの主張が根幹をなしていることも一目瞭然であろう。

 フーコーとは、自分自身が重度の精神分裂病者であると自覚し、かねがね「自分を地球に降臨した絶対神として崇めよ」「モーゼを仰ぐイスラエルの民のごとく自分の命令に従え」を強烈な信念として、精力的な著作活動をしたウルトラ極左思想家。大著『狂気の歴史』の末尾は、次の様に結ぶ。これこそがフーコーの真意。厚生労働省の行政は基本的に『監獄の誕生』とこの結語に従っている。

「狂気(=フーコーのような重度の精神分裂病者)を媒介として、世界(=正常な社会)の方こそが、(重度の精神分裂病者の)創作活動に対して有罪となる。世界(=正常な社会)の方こそが、狂気(=フーコーのような重度の精神分裂病者)による要請を受け入れ、狂気(=フーコーのような重度の精神分裂病者)の言語活動(=著作)に歩調を合せざるを得なくなる」(注1)。

「ヒトラーのダーウィン優生学→相模原19名殺人」を発想しなかった日本人の劣悪

 7月26日のTVは一日中、相模原事件を大騒ぎするニュース一色だった。これらの報道の中で、犯人は「知的障碍者(精神薄弱児)などいなくなればいい(=死んだ方がいい)」と警察に話したとか、衆議院議長あての手紙で「私の目標は、重複障碍者の方が、家庭内での生活および社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」と書いていたとかの、犯人の断片的発言も報道されていた。その時ふと、私はある本を思い出した。ドイツ人のルツィウスの著『灰色のバスがやってきた──ナチ・ドイツの隠された障碍者《安楽死》措置』(原著1987年、邦訳は晶文社、著者はロシアKGB工作員でコミュニスト)である。

 この本は、精神障碍者/知的障碍者や(聾唖/盲/不具等の)身体障碍者を、ナチ・ドイツがヒトラーの命令で国家の行政として「安楽死」による計画的殺害をなした全貌を暴いたもの。安楽死や断種・不妊手術を担当した行政庁「障碍者処理本部」は、首都ベルリンの住居表示から「T4」と呼ばれた。

 ヒトラーについては、国内/占領地内でのユダヤ人絶滅/ジプシー絶滅が広く知られているが、精神障碍者/知的障碍者や(聾唖/盲/不具等の)身体障碍者に対する安楽死もしくは断種/不妊手術については、日本では必ずしも充分には知られていない。少し概説しておく。なお、日本の新聞テレビは、「ジプシー」を差別語だと称して「ロマ」にした。が、移動馬車を住居とするジプシーの中にはロマ民族でない者も多く、総称名として従来のジプシー(語源は「エジプトから来た人々」)の方が、学術的にはより正確。 

 ドイツ国における“ドイツ民族の血の純血”というヒトラーの狂気は、1925年刊の『我が闘争』第11章で語られている。つまり、ユダヤ人絶滅やジプシー絶滅という、ダーウィン『種の起源』を敷衍した“人種の人為淘汰”がヒトラーの政治信条であることは、1925年にはドイツ人だけでなく、世界もまた知っていた。むろん、日本もまた知っていた。

 日本は、白鳥敏夫/松岡洋右/近衛文麿/帝国陸軍の四者の主導によって、このような“世紀の大狂人”ヒトラーと日独伊三国同盟を締結した(1940年9月)。5・15事件/国際連盟から脱退などの1932年から1845年8月の敗戦まで十年以上、日本人が正常を喪失した“祖国に叛逆する極左国家”だったことは、日独伊三国同盟を締結したことで端的に証明されている。

 この意味において、日本に対し日独伊三国同盟の廃棄を迫った米国政府の最後通牒「ハル・ノート」こそは、日本を救済する“神風的な天の声”だった。「ハル・ノートと日独伊三国同盟は、いずれが“より過激な反日”か」と冷静に比較する知力なき日本の民族系論客は、“正しき日本人”と言う枠内にいない。民族系論客とは、名実ともに“非・日本国民のクズ人間”である。

 なお、「ハル・ノート」には、知性があれば一読して怪しいと感じる棘がある。「日本の国益を決定的に棄損する日ソ中立条約を破棄せよ」とは書いていない見えない棘のこと。原案執筆者がコーデル・ハル国務長官ではなく、ソ連工作員(実際のもハリー・デクスター・ホワイト)ではないかとの疑念は、この一点から推定してこそ、真の現代史家と言いうる。

権力掌握直後ヒトラー制定の「後代国民を遺伝性疾患から予防する法」(1933年7月)

 さて、ヒトラーの独裁権力が完全なものになったのは、1933年3月の全権委任法によって、ヒトラーの命令が国会を通過した法律と同等な立法と見做す事になった瞬間である。これによって、ヒトラーは、自分の思い付くまま、妄想するまま、好き放題の法令を制定した。

 残忍かつ非人間的な「後代国民を遺伝性疾患から予防する法(遺伝病の子どもの出生を予防するための法)」(1933年7月)は、まさにこのヒトラーの狂気と妄想「ドイツ国家の血の純血」を体現するための“悪魔の法律”の一つだった。これは、ニュルンベルグ法と言われる「ドイツ国公民法」(1935年11月)「ドイツ国民の血液とドイツ国民の名誉を守る法」(1935年12月)で補完され強化された。

 「後代国民を遺伝性疾患から予防する法」が定める「遺伝的疾患」は、次の八つである。遺伝性精神薄弱者、精神分裂病者、周期的精神病者、遺伝性癲癇、遺伝性舞踏病、遺伝性盲、遺伝性聾唖、遺伝性強度肢体欠陥(不具)。

 ヒトラーが、「後代国民を遺伝性疾患から予防する法」「ドイツ国民の血液とドイツ国民の名誉を守る法」という二つの法律に従った安楽死の実行を命じたのは、ポーランド侵略を開始した1939年9月1日、その日であった。ヒトラーのヨーロッパ・アフリカ戦争は、Aドーバー海峡からボルガ川までの巨大領土となる“純血のドイツ人の生活圏”をつくる領土獲得の対外戦争だけが目的ではなかった。B「血における優秀なる純血ドイツ人国家創設」の方が戦争目的の第一だった。

 戦争という情況下では、機密である軍事行動の渦中ならば、自国・占領地のユダヤ人等を大量殺戮するに、それを秘密で実行しその痕跡を隠蔽することは容易。そして、この「血における優秀なる純血ドイツ人」の定義において、たとえ純血ドイツ人であっても知的障碍者/精神障碍者/聾唖盲の身体障碍者/肢体不自由の不具者は、「存在してはいけない=生きていてはいけない」人間となる。

 知的障碍者/精神障碍者/聾唖盲の身体障碍者/肢体不自由の不具者を安楽死で抹殺する、その残忍な実行をヒトラーが「T4」に命じたのは1939年9月1日(注2)、ドイツのポーランド電撃侵攻と同じ日であった。ヒトラーは、BとAとが両立しない時には、BをAに絶対優先させた。例えば、戦況が悪化していく1944年、窮迫する列車運行で軍用列車よりもガス室に向かうユダヤ人連行列車を絶対優先させた。

 ヒトラーの第二次世界大戦の目的は、領土侵略というより、人間殺戮それにあった。ヒトラーは、この意味では、“人間殺戮狂の教祖”レーニンのまさに良き弟子で、(人間殺戮では毛沢東と並んで世界史上の金メダルの)レーニンの嫡系スターリンに次ぐ狂人であった。ヒトラーとスターリンは、傍系と直系の違いはあるが、レーニンの兄弟弟子である。「都市文明に汚染された」カンボジア人を全員殺戮せんとした、ルソ-の『人間不平等起源論』を唯一の経典とするポル=ポトは、ヒトラーに近い。

 日本の大東亜戦争は、このような人間殺戮狂スターリンの命令を莞爾としたアジア共産化革命戦争だが、人間殺戮そのものが目的だったヒトラーと同盟したことで徹底糾弾されるべきであって、大東亜戦争を擁護する如何なる理屈も皆無である。「いや、一分の理屈はある」と強弁するのは、西尾幹二が典型であるように、民族系論客がお寒いほどに無学無教養でクズ人間だからである。なお、ヒトラーの人間殺戮とレーニン/スターリンの人間殺戮には多少の相違がある。前者は、それ自身が目的。後者は“大妄想”共産社会創りの手段だった。

相模原19名殺人の源流は、「断種/不妊」「薬物の安楽死&焼却」のヒトラー優生学

 ヒトラー安楽死殺戮の情況につき簡単な叙述を、スターン『ヒトラー神話の誕生』から引用する。

「1939年9月1日から1941年8月24日の期間に、約10万人のドイツ人の老若男女がヴェルツブルグ大学の神経精神科教授ヴェルナー・ハイデ博士の指導の下の医師団によって、毒薬注射、兵糧攻め、一酸化炭素やチクロンBガスなど、多種多様な方法で殺害された。犠牲者は、慢性アルコール中毒者、先天的犯罪者、精神病院入院患者、そして年齢を問わず不治の病にかかっている者であった」(注3)。

 ナチの安楽死(殺戮)のやり方をイメージできない読者もいるだろう。そこで一例。「T4」における精神障碍者を選別して安楽死させる過程の一端は次のようなもの。

(T4で鑑定され死を選別された)患者は、観察病院を経由して安楽死研究所(=人間屠殺場)へ送られて処理(=殺害)されたのである。全ドイツでこの安楽死研究所は六ヶ所設けられた。・・・・・いずれもドイツ人自身ですら余り聞いたことのない地名であった。ニュルンベルグ裁判でのブラックの証言によると、患者は全裸にされて《科学上の理由により》写真を撮られた後で殺された。殺人の方法は、ベロナール、ルミナール、モルヒネ、スコポラミンの注射、石灰酸やガソリンの静脈注射などがあったが、一酸化炭素による中毒死が多く用いられた。死体は医師の死亡確認の後で焼却された」(注4)。

ルソー→ロベスピエール→レーニン→ヒトラー/スターリン→日本共産党/毛沢東

 日本では、ヒトラーの「ユダヤ人/ジプシー/諸種の障碍者に対する殺戮」についての歴史学的・科学史的な著作や邦訳本は、私の手元にも十冊ほどあるから、等閑視されてはいない。だが、これら邦訳や著作出版のほとんどが共産党の指揮下でなされているから、これらの著作物を読む場合、相当な警戒が必要。共産党系/KGB系でない本は、米本昌平『遺伝管理社会』(弘文堂)ぐらいか。

 老人や不具その他の障碍者をロシア全土から一人残らず餓死させ、総計で6600万人を殺戮したレーニン/スターリンを教祖と信仰する日本共産党が、ヒトラーの命令でナチの民族優生学が犯した、断種や安楽死の罪を糾弾している光景は、滑稽も度が過ぎ笑止であろう。少なくとも、日本の共産革命を狙った煽動書には、いかなる意味でも「真に人間的な心」は皆無である。人間的な倫理性や温かい人間性を示す演技をしつつ、究極の人間圧搾/人間殺戮を目指したナチ民族優生学批判など、爆弾が仕込まれている美味しいケーキのようなもの。

 具体的に言えば、レーニン/スターリンの、ロシア全土を血の海にした階級殺害/宗教者殺戮/農民殺害を糾弾しない、ヒトラー民族優生学の断種/安楽死のみに限定した糾弾論は、ダブル・スタンダードも甚だしく、人間の倫理道徳の規範において、基本的には断固排除しなければならない。

 ただ、本稿は、相模原19名安楽死殺人事件がテーマであり、同種なものとしてヒトラーがなした国家権力による大規模な安楽死殺戮を扱わざるを得ず、日本共産党が共産革命運動のために邦訳した本や出版した著書を、この趣旨に限り、活用している。

西尾幹二の雅子妃殿下への讒謗は、御病気であられる事への殺意的憎悪(ヘイト)

ヒトラーを崇拝する西尾幹二は、“ヒトラーのクローン”でもある

 西尾幹二は、ヒトラーとは“思想における兄弟”である。西尾幹二は、ニーチェ翻訳家になる前、ドイツ語の研鑽をヒトラー著『我が闘争』を暗記するまで読みこなして自己訓練したようだ。19歳の頃だろうから、『我が闘争』は西尾幹二の血となり肉となった。

 西尾幹二の粗雑な論稿がそれなりに「読ませるエセー」になっているのは、美文と意味不明が特徴のニーチェを真似たのではなく、「敵」を創出し憎悪感情で包む『我が闘争』の論理構成を模倣しているからだ。

 現に、『WiLL』2008年5月号&6月号の「皇太子さまへ敢えて御忠言申しあげます」も、『WiLL』2011年7月号&8月号の「脱原発こそ国家永続の道」も、そのロジックは『我が闘争』そのもの。

表1; 西尾幹二は、ヒトラーとそっくりで“ヒトラーのクローン”

 

 西尾幹二は、思想・イデオロギーが、表1のごとくに、“ヒトラーのそっくりさん”であるだけでない。実は、西尾幹二はヒトラーが大好き。が、それを口に出すことはできないから、ヒトラーに魂を奪われた“ヒトラー崇拝の狂人・松岡洋右”を崇拝することで、西尾幹二は胸が張り裂けんばかりのヒトラー崇拝の感情を表わす。

 西尾幹二は例えば、自著『GHQ焚書図書開封9』で、祖国日本を破壊尽す大東亜戦争に日本を誘導しただけでなく、満洲をソ連に渡すべく、“満洲を守ってあげようとした英国”に離反する国際連盟脱退という祖国反逆の逆立ち外交をした“放蕩ヤクザ外交官”松岡洋右の、危険な「反日」大言壮語に感涙を流して、こう教訓を垂れる。

(松岡の訴える筆力には)当時の日本人を鼓舞して奮い立たせる叫びと言いましょうか…そういう情熱が当時の指導者にあり、青年のなかにも生き生きとあった・・・。今は、その生気が無くなってしまっている。生気と情熱を一片でも取り戻さなくてはいけない。…そういうことを松岡洋右は強く訴えているのです」(注5)。

 西尾が感涙した松岡の本は、対英米戦争開始の半年前の1941年5月に刊行した『興亜の大業』。この本こそは、松岡が日本の国益を棄損し逆走外交を国民に煽動した祖国叛逆者だったことを裏付ける証拠の一つで、読むに堪えない悪書の極みではないか。

 松岡洋右と言えば、近衛文麿とグルになって、1945年8月となったが、満洲にソ連軍150万人を招き入れて満洲をソ連に献上すべく、日ソ中立条約締結と日独伊三国同盟条約を締結した、日本国にとっての極悪人である。現に、この“二つの「反日」条約”によって、25万人の邦人婦女子がロシア兵にレイプされ殺され餓死し、30万人の在満洲邦人男子が極寒のシベリアで殺された(備考)。

(備考)満洲邦人の婦女子とシベリア連行の男性の死者数につき、ある程度、資料の読み込みに目途がついた。これらの数字は学術的な分析に基づいたものなので、できるだけ早く論文にして発表したい。

 正常な人間性を持つ日本人なら、異国で死んだ満洲邦人55万人(確定した実数)の鬼哭啾啾に涙が止まらない。しかし、精神異常者で大量殺人が楽しい西尾幹二は、他人の手を汚した、この「満洲邦人55万人」の惨死が楽しくてたまらない。だから西尾幹二は、逆さにも日本の数少ない友邦である英国や米国を罵倒し、祖国反逆に励んだ“ゴロツキ外交官”で「満洲邦人55万人」の生命剥奪を直接的に導いた悪魔・松岡洋右を讃えるのである。

 一方、ヒトラーは、ドイツ人である知的障害者/精神障碍者/身体障害者/不具者等を、おそらく20~30万人ほどドイツ国内で殺害して焼却した。ヒトラーは、この非人間性丸出しの大規模殺戮を「ドイツ民族の血が清潔になった」と歓喜した。“ダーウィンの人為淘汰”優生学に適う「科学だ」と信じた。

 自国民大量殺戮を「正義だ」「真理だ」と狂妄する事において、西尾幹二とヒトラーに差異はない。同じ“反・人間”思想を共有していることにおいて、実に双子の兄弟である。

西尾幹二とは、最も凶悪・残忍な「ヘイト・スピーチ」の先駆者

 西尾幹二の“反・人間”の狂気は、日頃の凶暴な人間憎悪(ヘイト)に顕著に表れている。二例を挙げる。第一は、現役の首相だった小泉純一郎に対してなした“西尾幹二ヘイト讒謗事件”である。西尾幹二は、小泉純一郎の郵政改革を激しく非難して、次のように、郵政問題とは全く関係のない罵詈讒謗の中傷誹謗をなした(注6)。

 これぞまさしく、西尾幹二とは、今はやりの「ヘイト・スピーチ」の先駆ではないか。また、ヘイト・スピーチの残忍性・凶悪性で、西尾幹二を越える者はいない。西尾幹二とは、燃える人間憎悪をエネルギーに、粗雑にして有害なエセーを書き捲る犯罪評論家に他ならない。

(小泉の精神病は、)広汎性発達障碍の、成人して軽くなった症状」(55頁)、「(小泉の精神病は)織田信長の異常性格につながるものがある」(56頁)、「(首相の小泉は)冷血な魔術師の頭脳だけは備えている」(同)、「広汎性発達障碍あるいはアスペルガー障碍の軽度なもの」(62頁)、「分裂病質のうつけ者(精神異常者)の感情のこだわりの姿」(同)、「一定の限度を超えた偏執性と共感性の欠如が再び現れている」(同)、「(小泉純一郎の広汎性発達障碍は<非心因性の原因>で発症し、)<非心因性の原因>というのは<微細な一部の脳機能不全>のこと」(同)、「(小泉の)言語少量意味稀薄のプラカード政治は、(小泉が)狂人であることを無関係ではない」(63頁)

西尾幹二の雅子妃殿下への矯激讒謗は、御病気であられる事への憎悪と殺人衝動

 次に、第二の例。西尾幹二は、2008年と2016年の『WiLL』誌上で、執拗に雅子皇太子妃殿下にあらん限りの讒謗や罵声を投げつけた。これは西尾幹二が、偏に「雅子妃殿下が御病気であるのが気に食わない/許せない」からなのは明白。正常な人格の人間であれば、皇族の御病気と聞けば、一途に御快癒をお祈り申し上げること以外はしないし、それ以外は発想できないし、思いもよらない。

 西尾幹二とは、強度な天皇制廃止論者だが、天皇制廃止からだけで、これほどの皇族讒謗を行うことはない。西尾幹二は、雅子妃殿下が御病気であることそれ自体に殺意を含む憎悪感情を爆発させている。このような西尾幹二の狂気は、「病人と見るや殺したくなる」精神異常に集約されている。

 西尾の妃殿下讒謗を一つ一つ分析してみよう。最初に、“平成のロベスピエール”西尾幹二は、「果たして病気か仮病かは確定せず」(27頁)と、傲然と言い放って「雅子妃殿下の御病気は仮病の可能性がある」と、雅子妃を誹謗する。これほどの無礼千万な嘘を投げつけられるのは、西尾の本性が人間性ゼロの“鬼畜”で、人間であることを止めているからだ。西尾幹二は、ヒトラーやニーチェと同じく、人間絶滅を指向する“究極の反・人間の狂気”を病んでいる。

 また、雅子妃殿下の主治医が沈黙を守っている“医師の守秘義務”を、西尾幹二は、「主治医が沈黙を守っていることの無力と無責任」だと詰る(26頁)。西尾幹二は、主治医が守秘義務に違背してべらべらと病状を喋れば御病気が治る、との奇奇怪怪な主張をしている。「病人を人間として扱う必要はない」と考える西尾幹二の“狂気の病人憎悪狂”が、西尾の胴体から飛び出して喚いている光景といえる。このような西尾幹二の“病人憎悪狂”が、ヒトラーの“障害者/不具者憎悪狂”と同類のものであることに、説明の必要はあるまい。

 続いて、西尾は、もし雅子妃殿下の御病気が、精神科医の斎藤環氏の推定通り、「適応障害のうつ病」であるとすれば、その「病状の原因は皇室という環境にある」と、“俺様は天下一の精神科医だ”との狂気の自惚れで断を下している。しかも西尾は、この“素人型トンデモ断定”を可能性とか推定とはしていない。西尾幹二は直ちに、「皇室という環境を変えなければ解決しない(=御病気は治癒しない)」「(その治療方法は)皇室の解体的全面変革しかない」と、第二の断を下しているからだ(29頁)

 この西尾幹二の異常な論理飛躍と治療方法の断定に、本ブログの読者は「あっ」と声を上げたに違いない。相模原19名殺人犯・植松聖の“奇語怪語”と西尾幹二とが余りにそっくりだからだ。

 思い出そう、相模原19名殺人犯・植松聖は、次のように言った。A「(重度の知的障碍者には、)車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多い」から、B「障碍者なんて生きる意味なくないですか(=殺してあげるべきではないですか)」。Aは植松の現状認識で、Bは植松の解決策である。これはそれぞれ、西尾の現状認識「雅子妃殿下のうつ病は、皇室の環境が発症原因である」と、解決策「皇室の解体的変革しかない(=天皇制廃止)」に対応している。

 西尾幹二は、「皇室を守りたいなら、雅子妃殿下を殺せ!」と、『WiLL』読者を煽動している。『WiLL』読者のほとんどは知的下層階級の老耄人である民族系で、“廃止にもヨロヨロと傾斜するデタラメ天皇制護持論”者。古びた破れ傘のようなこの読者層を、勘のいい西尾幹二が見逃すはずはない。これら老耄の民族系読者は、西尾幹二の騙し語「皇室を守る」が、「天皇制度を廃止せよ」の転倒語なのを見抜ける知力など持ち合わせていない。

 正常な人間であれば、通常の日本人であれば、皇室護持のためにも、雅子妃殿下の御病気快癒だけをひたすら祈る。そして、皇室は御病気の皇太子妃殿下(いずれは皇后陛下)と共に歩まれるから、その分、国民はなお一層皇室を支えていかねばならないと決意を新たにする。皇室讒謗が倍増する事態が予想されるので、不敬罪の復活を直ちにせねば、と真剣に考える。

 だが、植松聖が数十人集合した、悪魔すらたじろぐ“病人憎悪狂”で、加えて、狂信的な天皇制廃止狂(注8)の西尾幹二は、皇室廃絶が本心なのにその逆の皇室擁護論者かに仮装して、「皇室を守るために、雅子妃殿下を殺せ!」と絶叫する。「皇室環境を変えなければダラダラと慢性的な病状が長期にわたって日本の皇室を機能不全に陥れる」「終わりのない憂鬱の雲が次の代の天皇の治世を覆い尽すのを今看過してよいのか」(30頁)、との西尾幹二の讒謗言辞は、雅子妃殿下への殺意無しに可能だろうか。

 そして、西尾幹二は、次に引用するが、「俺様は日本最高の精神科医だ。日本中の精神科医は、俺様の指示に従え!」と、大音声を上げる。ヒトラーが「俺様は、優生医学では、神というべき、世界一の医学者だ」と自己狂信する狂人だったが、西尾幹二もこれと全く同種の狂人。西尾幹二の精神異常は、ヒトラーや植松聖に優るとも劣らない。植松聖を強制入院させる基準において、重度の精神分裂病の西尾幹二も強制入院させねばならない。

(精神科医の)主治医が五年目に入る病いの今後の見通しについて無言でいることは許されない」

「差し当たり雅子妃の主治医を複数にする事を私は提言する」

「精神科医の斎藤氏は、物事を善意で見過ぎている。(皇太子同妃両殿下の夫婦関係において)女性側=妃殿下がリードしている支配者である可能性への予感や洞察がない」

「精神科医の斎藤氏は、夫婦間の愛憎の葛藤はないという単純な人間学の上に医学の知識を当て嵌めている」(31頁)

 西尾幹二の病人憎悪狂や“皇族皆殺しの殺意”について、もっと書きたいが、紙幅が予定をオーバーした。若し機会があれば、一冊の本にして発表したい。

ルソー/ロベスピエールが証明した、「西尾幹二の皇室讒謗→西尾幹二の大量殺戮」

 人間憎悪と王制廃止・王殺しとは不可分の関係にある。この事は、人類史上初めて王制廃止論を唱道したルソーにおいて明らかな事。ルソーの王制廃止は、『人間不平等起源論』(1755年)。そして、人類初めて「国家権力は、国民を無法・恣意的に無制限に殺戮してよい」と唱道したのが『社会契約論』(1762年)

 このように、自国民に対する大量殺人と王制廃止は不可分とする人類初の狂気の哲学思想は、悪魔ルソーによって誕生した。しかも、この悪魔の思想は、伝播力も洗脳力も群を抜いた未曽有のものだった。フランス革命は、ヴォルテールの影響を除けば、このルソー『人間不平等起源論』と『社会契約論』に従って勃発したのである。このため、フランス革命は、ルソーが期待した通りに、王制廃止と王殺し(ルイ16世の処刑/マリー・アントワネット王妃の処刑)となり、フランス中がギロチンその他の手段による国民殺戮の血の海となった。国民殺しのギロチンのフル稼働に執着したロベスピエールがいつもルソーの『社会契約論』をポケットに忍ばせていたように、血の嵐をパリに巻き起こしたギロチンも、ルソーの狙い通り、王制廃止と一体不可分のものであった。

 西尾幹二の雅子妃殿下への讒謗は、皇室皆殺しのロベスピール型王殺しと同じ、究極の皇族憎悪感情と皇室皆殺しから発生している。皇室皆殺しの西尾幹二の狂気はまた、ロベスピールと同じく無制限国民殺しの狂気へと直結している。ロベスピエールを継承したと、レーニン自らは語っているが、レーニンもまた、ニコライ二世皇室皆殺しをすると同時に、国民を無法に恣意的に殺戮できる国家行政組織チェーカーを創設した。レーニンは、このチェーカー(後のNKGB)を使って、五年間で自国民を五百万人以上殺している。年間当たりの殺戮数では、スターリンより多い。

 皇室讒謗に走り人間憎悪狂を露にする西尾幹二が、日本人を無制限に殺戮したいとの願望を秘めていない、などの観察はお粗末な大間違いだし、論理的にも歴史学的にも精神医学的にもあり得ない。そして、西尾幹二の大量殺戮願望は「病人から始めよう」だから、ヒトラーがユダヤ人大規模殺戮を開始する前に、障碍者の安楽死殺人に熱を挙げた、ヒトラーの殺戮拡大順序と同じである。

ルソーを称讃した学校教育者は殺人教唆罪で有期刑に

 19名殺人犯の植松聖問題から、今後は、精神分裂病者の「措置入院」だけは多少厳格化するだろう。が、これだけで本当に改善策と言えるのか。「権力による無法の大量殺人は可」とする狂気の血塗られた思想を提唱したルソーやその最初の実行犯ロベスピエールを美化したり称讃したりする狂気の学校教育が世界で日本だけ行われているが、この禁止と処罰こそ緊要ではないのか。

 具体的に言えば、ルソーやロベスピエールを否定・非難せず、あろうことか逆さにも、美化や称讃する学校教師を、中学校から大学に至るまで、刑法の殺人教唆罪で、教育委員会等が刑事告発する制度を整備することこそ、真に最も急がれる。また、いかなる皇室讒謗も、内閣総理大臣は、直ちに遺漏なく名誉毀損罪で刑事告訴することが必要となった時代に入っている。不敬罪の復活は、いわずもがな、だろう。

 皇室の尊厳を守る事と国民の命を守ることは一体不可分。この事はジャコバン党のフランス革命とレーニンのロシア革命で証明されている。この二つの残虐なる革命歴史を日本国民は拳々服膺し、片時も忘れてはならない。

 

1、フーコー『狂気の歴史』、新潮社、559頁。

2、ウェルナー・マーザー『ニュルンベルグ裁判』、TBSブリタニカ、278頁。

3、スターン『ヒトラー神話の誕生』、社会思想社、302頁。

4、中西喜久司『ナチス・ドイツと聴覚障碍者(聾唖)』、文理閣、115~7頁。中西は、熱烈な共産党員で教条的な共産革命家。ために、この著作の四分の一はスクリーニングし削除して読まないこと。そうしないと、『新聞あかはた』以上に危険な嘘に洗脳される。

5、西尾幹二『GHQ焚書図書開封9』、徳間書店、129頁。

6、西尾幹二「狂人宰相 許すまじ」『VOICE』2005年10月号。

7、西尾幹二『皇太子さまへのご忠言』、WAC社、2008年。頁数は本文。

8、西尾幹二ほか「現代のタブーに挑戦する」『論争ジャーナル』、1967年12月号。

(2016年8月11日記) 

 

 

 

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