筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
日本で今、最も悪質で最も露骨なロシアKGBと言えば、多くの良識ある日本人は、異口同音に、鈴木宗男とその娘・鈴木貴子の名を挙げる。多少の知識があれば、安倍晋三とその取り巻き今井尚哉と長谷川榮一を、この両名に追加する。
上記の札付き対ロ売国奴たちは皆、北方領土そして次に北海道をプーチン皇帝様に献上することに専念している「日本生まれの敵国ロシア人」。が、ロシアの対日工作には、もう一つあるのを忘れてはいけない。それは、日米同盟破砕つまり日本を米軍事力から分断(decoupling)すること。
日本人を「反米」「日米同盟廃棄」に煽動洗脳するのは、朝日新聞や毎日新聞だけではない。“共産党の「対ロ売国奴」別動隊”日本会議や、“KGB直営”産経新聞を読む“日本生まれの敵性日本人”達を洗脳し非・国民に思想改造するのを請け負うロシアKGB特殊工作員・西尾幹二などもまた、日米同盟破砕に執念を燃やす影響ある団体だし、影響あるアジテーターである。
西尾幹二は、『皇太子さまへのご忠言』(2008年、73歳)で展開する天皇制廃止の煽動、『平和主義でない脱原発』(2011年、76歳)など日本経済の破滅誘導、『GHQ焚書図書開封』などを通じた日米同盟粉砕の三つを、彼の本業“三本柱”とする。確かに西尾は、評論活動を始めた1967年から五十五年間、一貫して、これらを彼自身の偽情報宣伝活動の主軸に据えてきた。
西尾の『皇太子さまへのご忠言』『平和主義でない脱原発』は共産党と深く連携して執筆されたもので、西尾・共産党が完全一体となった“日本最凶の悪書”の典型。両著を焚書すべきは当然だし、前著では刑法不敬罪を復活し西尾幹二を死刑に処すべきだろう。
一方、“反日トリックスター”西尾幹二の日米同盟破砕の“悪魔の狂書”『GHQ焚書図書開封』全12巻(73歳の2008年~81歳の2016年)は、「在日」チャンネル桜YouTubeで放映された後に紙出版したものだが、ロシアの対日侵略“大歓迎”を日本人に刷り込むことが目的の、背後はプーチンとロシア大使館「KGB東京事務所」が応援する、日本の自己破滅を誘う、実態はKGB謹製の恐ろしい有害図書である。
「『GHQ焚書図書開封』への非難は中川八洋だけ」は、日本全体が既に“ロシア属国”になった証拠
西尾幹二の『GHQ焚書図書開封』シリーズ全12巻の特徴は二つ。第一。真赤な嘘の捏造歴史が満載というより、真赤な嘘しか書かれていない、まさに日本国が真っ先に焚書にすべきトンデモ悪書の中の悪書であること。
第二。その全12巻は、日本の国家存立に不可欠な友邦国・米英を罵倒し呪い、ロシアの対日侵略なら何でも大歓迎して日本人がロシアの奴隷になるよう促進するのを企図した、空前絶後の“反日”狂本。すなわち、ロシアを宗主国と崇める西尾幹二は、《日本をロシア属国化にしたい》のレベルではなく、日本列島全土をロシアに献上すべきだ/そのために必要なら一億日本人を皆殺しすべきだ、を本心とする。これほど過激なロスケより超・凶悪なロスケは、鈴木宗男を除けば、そうざらにはいない。鈴木宗男と西尾幹二は、KGB工作員「最優秀MVP」を争う最凶トップ・ツーなのだ。
『GHQ焚書図書開封』の表紙にある副題を一瞥するだけでも、西尾幹二が日本共産化、ならびに日本国を全てロシアに貢がんとしているのが露わで一目瞭然。西尾幹二の正体は、赤黒(=アナ&ボル)の「非国民」悪魔であり、通常の日本人ではない。谷沢永一の西尾評は、見事に正鵠を射ていた。
表1;“スターリンの稚児”西尾幹二が大煽動する“反英米の狂書”『GHQ焚書』
事実改竄やりたい放題の西尾幹二の凶悪人格は、スターリン崇拝の狂気と表裏一体
GHQが、1946~8年に市販禁止した書籍・出版物は全てで「7119点」。没収は各五冊。二冊は米国本土での研究用に船便で送付。三冊はGHQ内で「日本軍国主義」の調査研究用として保管。個人蔵書/図書館閲覧は従来のままで良しとしたから、蔵書と閲覧に関しては、GHQは何らの制限もしなかった。東京大学総合図書館を私は調査したが、その通りだった。市販禁止本につき、同館の戦前の蔵書と戦後の蔵書との間に一冊の変動もなかった。
五冊づつ没収された当該市販禁止本の総数は38330冊(注1)。これを一点の平均を採れば、(38330冊÷7119点=)5.38冊で、六冊没収した本が三割ほどあったようだ。西尾は、市販禁止本を「7700余点」とするが(注2)、重複650点余(注3)を差し引く補正をしていない杜撰さからの誤数字。
さて、西尾幹二の大嘘病は、次のごとし。その嘘、嘘、嘘の大洪水は、嘘吐き大天才のそれ。刑法詐欺犯の中にも、ここまでの嘘吐きは、発見できない。
1,市販禁止は焚書とは異次元。焚書とは本を焼くこと。例えば、ルソー『エミール』は、教会法に基づいて可能な限り没収され、シャンゼリゼ通りで焚書=焼却された。この正しい意味で焚書になった本は、GHQ市販禁止本には一冊もない。焚書ゼロ冊が、どうして焚書なのか。重度の精神分裂症の狂人・西尾幹二は、店頭販売禁止と焼却=焚書との区別がつかない。
2,全国全ての図書館から一冊も没収されていない。市販禁止本探しの見回りも、市販されていた場合の没収も、県知事が任命した没収官(多くの県では警官、他は県庁職員)が行った。彼らは一人も、図書館を訪れていない。GHQの市販禁止本リスト『没収指定図書リスト』は厳格に秘匿され、文部省と文部省から通達された都道府県知事と没収官しか持っていない。一般国民は、この市販本禁止を全く知らなかった。これらの知事は、『没収指定図書リスト』をガリ版刷りにし没収官にのみに渡した。図書館には没収官は一人も行っていない。図書館員で、このGHQ方針の存在自体、知る由もない。が、嘘つき西尾幹二は、この聾桟敷の図書館員が、現われてもいない幽霊「没収官」に市販禁止本を手渡したと“妄想”強弁。ニーチェよりひどい西尾幹二分裂病の幻覚症状。
「図書館からも消された」「公けの場(図書館)から突如いっせいに消えた」「図書館でも没収が行われたらしい」(注2)。
3,狂人・西尾幹二の幻覚妄想は、さらに爆発。「一般の国民は、店頭に市販禁止本が並んでいると買わなかった」と言い募るからだ。県庁内でも県警察内でも、任命された担当没収官以外、『没収指定図書リスト』(=お達し)を見た者はいない。一般国民が知ることなど万万が一にもない。そもそも西尾幹二は、リスト7119点と店頭にある本とを、一般の国民がチェックできると言い張る。二十冊でも覚えられない一般大衆が、7119点の本の名前を記憶し本を買いに出かけることなどできない。それとも、一般国民には、この7119点のリストが手渡されていたとでも言いたいのか。狂人・西尾がでっち上げる荒唐無稽な嘘話は、鉄格子の精神病人のそれ以上。戦慄する他ない。
「偶に店頭で見つかっても、この本は読んではいけない禁書だとのお達しによって、厭戦感情と食糧難に喘ぐ国民の心に縛りがかけられてしまったことだ」(注2)。
4,没収官ですら、本屋に入りリストを店主に見せて、その存否を尋ねるのであって、自分から本屋の陳列棚を探すのではない。そして、店主が「ある」と言ったら、出版社に返本させ、それで終わり。実際に没収などしない。没収すれば文部省に送付する手間がかかるし、その本屋に仕入れ値代金の損をさせるからだ。補償など一円もしない時代である。
5,しかも、7119点の中で、店頭に並んでいる可能性がある本は、そこが大型本屋だったとしても0.1%に当たる7冊がやっとだろう。7119点の多くは、終戦とともに日本人が蛇蝎の如く嫌悪し、唾を吐きかけ足蹴にしたい、大東亜戦争に国民を駆って死地に向わせた悪魔の教本群。誰が買うものか。
GHQ市販禁止本の99%は日本の国益を害する有害図書。GHQに感謝!感謝!
七千万日本人を戦死・戦災死・餓死で皆殺し、昭和天皇を銃殺することが戦争目的だった大東亜戦争を全面否定するのは、健全な愛国日本人なら当然の政治スタンス。このスタンスに立つ保守主義者・竹山道雄や福田恒存を継ぐ私は、現代史学会ではただ一人の非・共産党の学者として、1965年から現代史関係の本をコツコツと読んできた。それらは、2005年秋に目にした7119点(占領史研究会編、サワズ出版)にその多くが含まれていたが故に、このサワズ出版の『総目録 GHQに(各五冊)没収された本』を一読した時、最初に口から出た私の言葉は「有難う、GHQ」だった。例を挙げよう。
1945年夏に終戦ではなく敗戦した日本とは、スターリンに命じられた東アジア共産圏づくりに失敗したのである。この状況下で、「東アジア共産圏」の隠語で、スターリン命令である六文字「大東亜共栄圏」を冠する本を読みたいと思う一般日本国民など一人も居なかった。また、これを冠した本を並べる本屋も一軒もなかった。つまり、市販禁止にされた『大東亜共栄圏の建設』など、「大東亜共栄圏」を冠した十四冊(注4、247~50頁)のGHQ市販禁止は正しいが、そもそも一冊も販売されていないのだから、GHQは虚空を掴むような“無駄骨”占領行政をしたことになる。
また、語彙「大東亜」は、“アジアから英米が追放され、英米のいないアジア”の意だから、米国が日本を占領している状態の日本で、言葉「大東亜」の空無さは日本列島を蔽っていた。「大東亜」を冠した本83冊(246~55頁)を購読する日本人など一人も居なかった。つまり、GHQの市販禁止は正しいが、無駄骨の極みで、私は失笑した。
同様に、スターリン語「新東亜」は、日本と支那全土と満洲の三ヶ国が共産国or社会主義国になり結合した情況を定義した新語。当然、満洲を失い、また日本が米国占領のお蔭で共産国にならなかったことで、1945年8月を境に「新東亜」は死語になった。「新東亜」を冠した本十一冊(193頁)を市販禁止するGHQは正しい。が、日本人が既に忌避している本だから、これも壮大な無駄行政。
なお、「大東亜共栄圏」「新東亜」「大東亜」は、スターリン命令で造語された共産語。これを叩き潰し日本国から一掃してくれた市販禁止本指定において、日本はGHQに感謝を捧げるべきだ。
学術書やノンポリ/保守の本が7119点の中にもあるが、70点(=1%)を超えない
GHQが市販禁止本に指定した7119点のうち、99%は反日極左の有害図書群。つまり、紛れ込んでいる学術書や通常の本は70点前後。つまり、たったの1%。米占領軍の仕事は何とも完璧に見事で良心的であることか。感服する。市販禁止に指定された学術書とは、伊藤政之助『戦争史 全七巻』(231頁)や『日本兵制史』『日本兵制起原論』(338頁)など。伊藤政之助のは戦後、『世界戦争史 全十巻』として再刊された。これは私の書庫にも蔵書されており、結果的にGHQは何一つ妨害しなかったことになる。
ノンポリ&保守の神川彦松(34頁)/菊池寛(214/308頁)/清澤洌(31/263頁)/和辻哲郎(315頁)/辻善之助(112頁)の本が市販禁止になったのは、イデオロギーからではなく、本のタイトルからの先入観がなしたミスのようだ。さほど目くじら立てることではあるまい。辻善之助『皇室と日本精神』は、語彙「日本精神」から市販禁止本に指定され、内容とは一切無関係。“言論界の暴力団”西尾幹二が日頃なしている悪魔すらたじろぐ陰湿な言論妨害/過激な出版妨害の害毒に比すれば、辻善之助のを市販禁止指定したGHQの占領行政は、全くの無害。
GHQは、四文字「日本精神」を、国民を戦争に駆り立てる軍国主義煽動スローガンと考え、占領軍への反乱の起爆剤になると杞憂した。実際にも、GRU工作員・平泉澄や共産党員・紀平正美など極左人士がこぞって「日本精神」を冠した本を出している。市販禁止本に指定された「日本精神」を冠した本は124点(327~334頁)。ほとんどが極左「反日」本。GHQの荒っぽい判断「《日本精神》は、日本人を戦争狂に駆り立てる麻薬的スローガン」は、間違ってはいない。
少なくとも辻善之助のを除き、「日本精神」を冠した本で、読むに堪える真面な本は一冊もない。「保守主義の精神」などの「精神」は正常な言語だが、怪しさが漂う意味不明語「日本精神」は、虚空に浮かぶ虚言。何か恐ろしい犯意が赤い炎となってメラメラ燃え上がっている。
このような作業を緻密にすると、7119点のうち99%は、日本国を害する有害な極左「反日」本だと、明快に確定できる。この作業、もう少し続けよう。
日米対立の元は“日本の対ドイツ同盟”。日本のナチ・ブーム解明は、GHQの優先事項
米国が、日本が国際法に適う正当な理由一つもなく米英に宣戦した狂気と戦争狂について、その主因を1940年の日独伊三国同盟の締結に求めるのは、太平洋戦争を通じての米国内の通説で、一般通念でもあった。GHQもまた、「日本が、ナチ・ドイツやあの気狂いヒトラーに心酔したのは何故か」の研究自体、当然の任務とした。GHQが、「ドイツ」「ヒトラー」「独逸」「ナチス」を冠する本ならびにナチズムを形成or宣伝したシュペングラー(210/214/246/312頁)/ローゼンベルグ(398頁)/ハウスホーファー(50/261/269頁)等の翻訳書も軒並み市販禁止本に指定し、五冊づつ集めた理由は、これ。
一方、日本では、1945年5月7日のドイツの大敗北以降、ナチ・ドイツやヒトラーを讃美する書籍群は全てゴミとなり、本屋は出版元に返本した。即ち1946~8年、ナチ・ドイツ関係の書籍は本屋の店頭から一冊残らず消えていたから、文部省は出版社から五冊づつ提供させ、GHQに送付したようだ。
【脱線】 ドイツ敗北の5月7日をもって、ドイツが英国に対し大勝利することを絶対前提に起こした対英米・太平洋戦争は即時中止し降伏すべきであった。この決断なら条件降伏だし、ソ連軍の満洲・樺太・国後・択捉島などへの侵略も無かった。また、この5月7日をもって、日独伊三国同盟を締結した松岡洋右とそれを命じた近衛文麿を軍刑法or刑法外患罪で死刑にしておくべきだった。そうしていれば、戦後日本において日本国を牛耳るロシアKGBの暗躍は少しは弱かったはず。暴虐な皇族讒謗教の教祖・西尾幹二は存在しなかったはず。
さて、7119点のうち、「ドイツ/独逸」を冠する「反日」本は81点(180~4頁)、「ナチス」を冠する「反日」本は65点(295~8頁)、「ヒトラー」を冠する「反日」本は10点(350頁)。合計で156点。その他、ヒトラーの著作が1点ある(59頁)。
が、GHQには、せっかく蒐集した、日本人の自国を毀損し亡国に至らしめる、これらナチ・ドイツ関係の書籍を研究した痕跡が無い。没収は1948年半ばに終了。GHQの対日政策が180度逆に転換し日本国の経済再建を基軸とするものになった時と完全に一致。米国から続々と親日人士が日本に飛来してきた年も、ケーディス大佐ら赤いGHQ軍人が一掃された年もまた1948年だった。
日本人のナチス崇拝熱に関する研究は、日本国をそれ故に敵視する感情なしにはできないから、この感情が消えたGHQ内で、日本人の対独同盟締結に至る原因の解明など、どうやら用無しになったようだ。GHQの市販禁止7119点蒐集は、壮大な無駄・無意味で幕を閉じたのである。
“世紀の歴史捏造”「GHQの没収/廃棄/焚書」は2005年、澤龍&小堀が嚆矢
そもそも、戦前日本での出版物を五冊づつ没収しても、それは平均3000部印刷の0.16%。つまり、99.84%は無傷で、日本国にとって被害は一㍉も発生しない。しかも、五冊づつ没収された7119点のうち99%は、日本国をとてつもなく毀損した有害図書/毒書ばかり。
一方、このGHQ市販禁止本リストが残ったお蔭で、大東亜戦争期の日本が、いかに日本国を亡国に至らしめる悪書ばかりを出版していたかが証明された。日本国の存続と繁栄と自由を願う正しき日本国民にとり、GHQ市販禁止本リストは、日本国を裨益した。「有難う、GHQ」である。
しかし、日本人を情報的に腐蝕させ日本国の廃滅を目指して、日本国民をあらん限りに煽動洗脳する勢力は、GHQ市販禁止本リストをシメタとばかり転倒的に改竄解釈し、荒唐無稽にも「日本国を害した」と逆さ嘘ラベルを貼った。この偽情報の対日本人刷り込みは、澤龍が2005年9月に出版した『GHQに没収された本』を嚆矢とする。その流れは、次のようなものだろう。なお、西尾幹二の正論エセーは、2005年7月に書いているから、『GHQに没収された本』に依拠したのでなく、『GHQに没収された本』執筆で集められた資料の一部を澤龍かその周辺の者から提供してもらったようだ。
「共産党の反米闘争→澤龍/小堀桂一郎『GHQに没収された本』(2005年9月)→西尾幹二『正論』2005年9月号エセー→西尾幹二/在日チャンネル桜→『GHQ焚書図書開封』(2008年~16年)」。
ルソー『人間不平等起源論』を座右の書にする小堀桂一郎は、99.9%の共産主義者。反米闘争だけが、その人生の全てだった。彼の著書『昭和天皇論』(1986年)は本心隠しの偽装用。昭和天皇殺しの実行犯で共産主義者・平泉澄に心服する小堀桂一郎は、典型的な“昭和天皇銃殺教の信徒”だから、その『昭和天皇論』が本心を180度逆にして書いているのは明白に過ぎること。
『GHQに没収された本』を読んでぎょっとするのは、「市販禁止/五冊没収/個人蔵書・図書館閲覧はこれまで通り」のGHQ・文部省通達が、次のように180度逆に改竄されていたからだ。一冊も焚書されていないのを焚書だと詐称するのは、GHQに冤罪を着せ弾劾する共産党特有の反米闘争。
「占領軍の意に添わない出版物の発禁、没収、廃棄と言う、恐るべき重大な言論弾圧がありました。いわゆる焚書の20世紀版ともいうべきものです」(9頁)。
本稿の執筆動機──『皇室と日本精神』が全く読めない西尾幹二の“嘘”推薦文
KGB工作員カンジミール・ニシオチョフの日本潜入名が西尾幹二という、その『GHQ焚書図書開封』シリーズに対し、2014年、ブログ「中川八洋掲示板」の「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史」シリーズ第一号で弾劾的に糾弾した。それなのに七年も経って今般、分析内容は重複していないが、非難再開の理由は何だろうと、読者の一部は訝しがっているに違いない。
一言で言えば、某「敵性国人」出版社が、私が尊係する辻善之助の名著『皇室と日本精神』を復刻するに、その帯に、西尾幹二の真赤な嘘一色の推薦文を印刷したからである。「こんな真っ当な本まで焚書にされてしまったのは誠に遺憾であります」、がこの真赤な嘘。
焚書などされていないから国会図書館でも東大総合図書館でも、当該書が1936年に蔵書されて以来、既に八十五年、多くの学徒が閲覧してきたのである。だが、本を全く読まない無教養な雑文業者・西尾幹二は、口から出任せの売文屋だから、実は図書館を利用することが無い。学者性が全くなく、反・学問を信条とする西尾幹二は、東大在学中から一度も東大総合図書館で調べ物をした事が無い。
前述したように、『皇室と日本精神』が市販禁止本にリストされたのは、GHQが語彙「日本精神」を若者を戦争に駆り立てる洗脳スローガンだと正しく把握しつつも、それを一律に適用したことによるミス。当該書のように戦争煽動でない「日本精神」を冠した本も例外的に存在していたのである。この書は、一般家庭が購入することは決してあり得ない。エリート教養層しか読めないからだ。順徳天皇の『禁秘抄』は漢文だし、花園天皇の『誡太子書』も現代日本人にはそうたやすく読めるものではない。宮内庁書陵部が保有するご宸筆『誡太子書』を実物大でコピーしたのが、私の本棚にある。四十畳の日本間を作ったら、京都の表具屋で一流の表装をしてそこに掲げようと思ったのだが、四十畳の日本間が未だなく、そのままになっている。
話を西尾幹二に戻す。漢文が全く読めない西尾は天皇制廃止という狂った極左思想の革命家だから、万が一にも『禁秘抄』を蔵書していない。手に取ったこともないはず。また、『誡太子書』すら読めないから読んだこともないはず。辻善之助『皇室と日本精神』を読めない“非・国民”西尾幹二が、『皇室と日本精神』の推薦文を平然と書く鉄面皮性は、西尾が日本人を騙すことしか頭にない“論壇一のペテン師”だからである。
GHQ市販禁止本リストで「皇室」を冠した本が、辻善之助以外で六冊ある。が、右翼・野依秀市のは有害図書と見ていいし、薬屋・津村重舎の『皇室中心主義』など塵レベルで無視してよいもの。どうして市販禁止になったのか、と感じるのは、及川儀右衛門のと『皇室皇族聖鑑』『皇室大観』の三冊。だから、この三冊は、先述のGHQミス「七十冊=1%」に含まれる。
そもそもGHQは、日本人以上に皇室尊崇が強度な基調だった。王制主義者マッカーサー元帥とキーナン検事が主導したように、東京裁判も、昭和天皇の聖性護持と天皇制度護持のための手段になったように、ニュルンベルグ軍事法廷とは180度異質だった。だから、“慧眼の親日”GHQは、異様な共産革命語「皇軍」「皇民」「皇道」「皇国」(107~15頁)を見抜き、これを冠する本は軒並み市販禁止にしたのである。愛国的な日本人なら、「有難う、GHQ」と感謝する。
これら「皇」を矢鱈目鱈に付けた奇々怪々な言葉は、日本国民の思考を朦朧とさせる催眠術語の最たるもの。日本人を夢遊病者に改造する目的なのは、自明に過ぎよう。日本陸軍は日本陸軍であって皇軍ではない。日本国民は日本国民であって皇民ではない。日本国は日本国であって皇国ではない。皇室尊崇は皇室尊崇であって皇道ではない。
皇道など意味不明な抽象語を使うのは、何らかの企みが潜んでいることぐらい喝破したらどうか。具体的には、スターリンのために戦死し餓死し戦災死しても文句を言わせない、思考停止の集団発狂状態を醸成する魔語、それが皇道であった。
西尾幹二の推薦文に話を戻す。皇族を讒謗し天皇制廃止を目論む『皇太子さまへのご忠言』を書いた刑法不敬罪で死刑に処すべき、幸徳秋水を超える大犯罪者・西尾幹二を排撃せず、あろうことか皇室本でこの西尾幹二に推薦文を依頼した事実は、この出版社が「在日」敵性国人のそれであるのを示唆する。西尾幹二との交流自体も、日本の天皇制度の廃滅が目的である証拠だし、しかも絶対証拠ではないか。
注
1、西尾幹二『GHQ焚書図書開封』第一巻、付録14頁。
2、西尾幹二「知られざる」GHQの焚書指令と現代の焚書」『正論』2005年9月号、54頁。
3、占領史研究会(代表、澤龍)『GHQに没収された本』、サワズ出版、10頁。
4、上掲。頁数は本文。
(2022年1月21日記)
参考;“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅰ)──「東京裁判史観」より百万倍有害な「西尾史観」(中川八洋掲示板2014年1月31日記事を再掲)
西尾幹二氏(以下、敬称略)と言えば、「新しい歴史教科書をつくる会」の会長として、その勇名をとどろかせた老耄評論家である。しかし西尾幹二とは、高校生の時に生涯の職業として小説家を目指そうとしたように、肩書きだけは「学者」になったが、本人の告白どおり、「世間に目立つことが第一」の売文業者として、その生涯を終えようとしている。
中学生用の西尾版『新しい歴史教科書』(扶桑社刊)を、二〇〇一年、西尾幹二から贈呈されて一読した時、その余りのひどさ、つまり洪水のような歴史事実の歪曲と改竄、そして共産党と変らぬ極左一色の立ち位置に、思わず絶句した。
この西尾版『新しい歴史教科書』は、西尾幹二が“歴史音痴”であるのを広く世間に知らしめるものとなった。西尾幹二とは、ニーチェ哲学が全く理解できないように、典型的な“哲学音痴”だから、歴史と併せると“ダブル音痴”ということになる。
歴史と哲学の知見がかくもハチャメチャだから、「知識人」の範疇に入れることはできない。客観的な評価において、「売文業者」に分類するしかない。
本稿では、西尾幹二の“歴史音痴”を論う積もりはまったく無い。「西尾幹二の歴史関連の大量の雑文が、一言で表現すれば<西尾史観>が、日本国にとっていかに害毒はなはだしいか」を剔抉して、読者・国民の前に提示したいだけである。西尾の歴史にかかわる記述には、歴史破壊の衝動に生きたニーチェと同様に、日本人から歴史を剥奪する“歴史の脱構築”が基底に潜んでいる。“紛い物のポスト・モダン”であり、「反人間」「反国家」が、無意識だろうが、<西尾史観>の核を形成している。
歴史とは、民族の魂を世代を超えて紡いでいくものである。これなくしては、人間は文明の人間ではありえず、その人格に高貴な倫理道徳は形成されえない。だが、西尾幹二は、この歴史の本義を根底から破壊して、日本国を腐蝕的に溶解・亡国させようとの強い潜在意識が、その走るような速筆のエネルギー源となっているようである。
第一節 スターリンの世界共産化を擁護する、西尾流詭弁──西尾幹二の“狂妄”大東亜戦争論Ⅰ
西尾幹二と同じく、(人間の動物化・野蛮化につながる)歴史を人間から剥奪することに全力をあげたのは、誰でもが知っているように、まずは「ルソー→マルクス/エンゲルス→レーニン→スターリン」の系譜上の哲人群。このほかでは、フランスのポスト・モダン思想系のフーコー/デリダ/ドウルーズらの系譜が重要だろう。
後者のポスト・モダン系の現代思想家(哲学者)に決定的な影響を与えた一人が、(ルソーやハイデッカーとともに)ニーチェである。ニーチェの『善悪の彼岸(=道徳を廃滅する)』や『道徳の系譜』を読むと、人間をボルトやナットか何かの金属にでも改造したいのか、「反人間」「反文明」のニーチェの狂気の情念が迸っていて戦慄する。これと同種の怖さを(中学校用)『新しい歴史教科書』と、その主著者である西尾幹二に感じたのは私だけではあるまい。
現に西尾幹二は、ニーチェと同じく、倫理道徳を憎悪する。日本民族から歴史を剥奪したい西尾は、さらに日本人の人格から倫理道徳も剥奪したいと、彼の極限の異常へと繋がっていく。
スターリンの世界征服・共産化戦略を擁護する西尾幹二
ほんの少しだが、具体的な例を挙げる。西尾の『新しい歴史教科書』の二八六頁に、次のようなデッチアゲ、つまり“偽造の嘘歴史”が記述されている。
「ルーズヴェルトは、ドイツとの戦争が終わってから三ヶ月以内に、ソ連が対日参戦することをスターリンに求めた」
「このような対日戦争の犠牲の一部をソ連に負担させる代償として、ルーズヴェルトは、太平洋憲章の領土不拡大方針に違反して、ソ連に日本領の南樺太と千島列島を与え、」(注1)。
(スターリンとルーズヴェルトの私的な合意書である)ヤルタ秘密協定(注2)のことを指しているようだが、日本と満洲の「戦争後」にかかわるヤルタ秘密協定については、一九四五年二月四~十一日の「ヤルタ会談」八日間のうち、二月八日に行なわれ、わずか三十分間で済んだ(午後三時半~四時)。通訳の時間を除けば、実質的には数分間であった。
つまり、クリミア半島の保養地ヤルタでの米英ソ三巨頭会談は、その一週間のほとんどを、ヤルタ協定(注3)として発表される、ポーランドなど東ヨーロッパ問題に費やした。実は、ヤルタ秘密協定の内容は、すでに一九四四年十二月十四日、(対日参戦の代償という名目で)スターリンがハリマン米国大使とのモスクワでの協議で、ルーズヴェルトに公式に要求していた(注4)。ヤルタでは、ルーズヴェルトが、このスターリンの要求(十二月十四日)に「了解する」の旨を発言しただけと解するのが事実に即している。
しかも、ヤルタ秘密協定の内容は、「(ソ連の植民地になっていた)モンゴルは現状維持」の一項目を除き、実は、すべてテヘラン会談(一九四三年十一月)で、スターリンからルーズヴェルトに提案されていた。それ以前に米国がソ連に対日参戦を求めていたのは事実だが、その時期を米国の方が「ドイツ降伏後三ヶ月以内」としたり、米国の方が「南樺太やクリル諸島の割譲」を提案したなどは、余りにひどい創り話である。それらはすべて、スターリンの口から発せられた。いわんや、この捏造内容を前提としての「米国は太平洋憲章に違反」に至っては、悪質な米国誹謗のための創り話。まるで共産党が書いたもののようである。
日本の領土を不当かつ不法に奪取したヤルタ秘密協定の罪のすべてが、“悪のソ連(ロシア)とスターリン”にあるのは、疑問の余地なき歴史事実である。スターリンが、このような要求を(脳腫瘍で歩くこともままならず痴呆症状すら見せる)ルーズヴェルトに突きつけなければ、南樺太もクリル諸島も日本領土であり続けており、日本が非難すべき対象はスターリンとソ連のみなのは自明すぎる。
また、ヤルタ密約の主犯がスターリンである事実を転倒してまでソ連を擁護する西尾幹二は、日ソ中立条約を侵犯して満洲や朝鮮北部そして南樺太から国後・択捉島まで侵略したソ連を決して非難しようとはしない。マルクス・レーニン主義者でない西尾幹二の、この異様なスターリン擁護/ソ連一辺倒の思考は、どこから形成されたのか。分裂症的思考の問題はいったん脇におき、西尾幹二の頭の中をもっと覗き込まねばならない。
ロシアの樺太侵略を正当化する、“ロシアの犬”西尾幹二
西尾幹二は、共産党や土井たか子/福島瑞穂の社会党と同じで、心底に、日本を“ロシアの属国”にしたい熱情を強度に秘めている。そうでなければ、次のような荒唐無稽な嘘歴史/創り話をデッチアゲルことなどしない。なぜなら、彼の捏造歴史は、ロシアの樺太侵略を、無実で無関係な英米に何としてでも責任転嫁し、侵略国ロシアの犯罪を隠蔽し無罪放免しようとの意図なしにはできないからだ。『新しい歴史教科書』で、西尾は、こう嘘記述した。
「アメリカやイギリスは、もし日本がロシアと戦争すれば、樺太はおろか北海道まで奪われるだろうと明治政府に警告してきた。…明治新政府はロシアとの衝突を避けるため、一八七五年、ロシアと樺太・千島交換条約を結んだ」(注1)。
このようなデタラメ歴史は、目を疑う。(基本的にはクリミヤ戦争以来、直接的には一八六一年から、一九〇五年の日露戦争の日本勝利までの)十九世紀後半の英国は、アフガニスタンやチベット防衛と同様、“日本国をロシアから防衛すること”が至上の国策だった。
だから、一八六一年に対馬がロシアに占領された時、英国は支那艦隊(のち東洋艦隊/極東艦隊と名称変更)の軍艦を出動させ、無償でその奪還をしてくれた。
香港を母港とする英国の支那艦隊。それは、日本にとっての“救国艦隊”で、真正の「第二の神風」だった(注5)。ロシアがウラジヲストック(露語発音は「ウラジヴォストーク」で、「日本征服」という意味、注6)を太平洋進出の軍港としたのは、一八六〇年十一月に北京条約で沿海州を獲得したのと同時だった。翌六一年三月、ロシアは直ちに南下策を決行。対馬(芋崎浦)に侵攻し(上陸し)、この地の割譲を要求した。
一八六二年六月、英国公使オールコックは支那艦隊司令官・ホープ提督に諮り、ホープは軍艦二隻(エンカウンター号とリングダブ号)を対馬に派遣し、ロシア軍艦ポサッドニック号の対馬退去強制に成功した(同年九月)。
また、日露戦争にあたり、英国は、日本の戦費の工面に全面協力し、日本が新造軍艦を入手できるよう智慧と情報と援護を無償で提供し(注7)、さらにはバルチック艦隊の戦場(東シナ海&日本海)到達を遅らせるべくスウェーズ運河の利用を拒絶した。日英同盟なくして、日本の対露勝利はなかった。
このような英国が、「ロシアに与して、日本に樺太放棄」など万が一にも進言するはずもなかろう。ただ、英国公使パークスが、樺太や北海道の対露防衛に対する日本の熱意の低さに唖然として、歯がゆさ故に、一八六九年、「せめて北海道の防衛に日本の国力を集中せよ」と助言したことは事実である(注8)。つまり、パークスの真意は、“樺太も北海道も全力挙げて守れ”というものだった。
“日本一の国賊”川路聖謨が、ロシアの言いなりに下田条約を締結したばかりに、日本の固有の領土である樺太はロシアに半分貢納された。「日露雑居の地」、すなわち「日露共同主権の地」とすることに川路が合意したからである。
下田条約締結の一八五五年二月時点、樺太の居住者は、アイヌ原住民を除けば、“日本人四千名、ロシア人ゼロ名”であった。ロシア人の初の入植は一八五七年の、下田条約の二年後で、しかも、たったの一家族六名だった。
勘定奉行で次席全権(形式上、実際上は首席全権)の川路聖謨は、プチャーチンとの下田交渉で、樺太の実態も情況などもいっさい調べない、(勝海舟や小栗上野介などの本物の大秀才とは異次元の)“学校秀才型の無能な馬鹿”だった。
できたてホヤホヤの明治新政府が、間宮林蔵や最上徳内などの働きに代表される十九世紀前半の江戸幕府並みに、樺太防衛を再び真剣に考え出すのは、パークス助言の翌年一八七〇年からである。だが、ロシアは、国内の政治体制づくりで多忙な新政府の弱みにつけこんで、日本に樺太を放棄させるべく、囚人や軍隊を投入して、樺太居住の日本人へのレイプ/掠奪/放火などの暴虐を計画的に繰り返した。新政府の基盤が確立するまで十年ほどはそのままほっとけばよいものを、日本側は、次第に、樺太を南北で日露二分割できまいかと思案するに至る。“外交音痴”黒田清隆らであった。
日本が米国と接触したのは、この樺太を南北二分割する外交仲裁を依頼するためだった。だが、米国公使デロングは、樺太について、川路聖謨と同じくチンプンカンプン。そればかりか、太平洋に海軍力もない(英国のような大国ではない、新興の)まだ準中級国家の米国に、日露仲介力など存在しないのは初めからわかっていたはずだ。
デロングは、意味不明な回答をして、この仲裁を断った。パナマ運河の開通は一九一四年、米国が初めて太平洋に海軍基地をハワイ(パール・ハーバー)に造ったのが一九一九年。それより五十年も昔の一八七〇年とは、アメリカが、マゼラン海峡の向こう側の国で“非太平洋国家”だった時代。南北戦争が一八六五年に終わったばかりで、国内の再統一がアメリカ政治のすべてであった時代。そんなアメリカに日露仲介を依頼した、そのこと自体、明治新政府の国際感覚が幼児並みの論外レベルだったことを明らかにする。
ところが、西尾幹二は、小説家クズレの面目躍如と、「日本がロシアと戦争すれば…」の嘘話を創作する。日ロ間の外交交渉で樺太を主権分割することが、どうして樺太争奪をめぐる日ロ間の戦争なのか。
歴史事実をすべて無視してかかる虚言癖が強く、その上デッチアゲを常習とする“歴史の偽造家”西尾幹二は、『偶像の黄昏(=死滅する真理)』のニーチェと同じく、真実への憎悪が強度である。真実のない世界を夢遊的に彷徨している西尾幹二は、歴史という学問分野には最も不適合な人物である。
上記の教科書記述は、次に続く。
「樺太在住の日本人とロシア人の間では、紛争がたびたびおこった」(注1)。
ロシアが背後に軍隊を配置した「ロシア暴民による計画的な日本人襲撃」が、どうして「紛争」なのか。西尾は、殺人をした加害者の犯罪行為とそれに抵抗しながら殺された被害者のこの抵抗を同列・同等なものに扱う。善悪の区別を破壊し、正義・不正義の区別を破壊する狂人ニーチェと同じである。だから西尾は、糾弾され加罰されるべき加害者(ロシア人)と同情されるべき被害者(日本人)とを差別ができず、それをルソー的な「平等」に扱い、その闘いを「紛争」だと歪曲する。狂人的に善悪を区別できない者の日本歴史は、必ず「反日」性が濃縮されている。
初期明治日本の迷走外交が屈した、ロシアの樺太侵略
話が脱線するが、一八七五年の樺太・千島交換条約にいたる、日本国内の対露政策の大混乱の情況と主因とを少し触れておこう。樺太に渡航した日本人の最初は、松前藩の藩士、佐藤加茂左衛門と蠣崎蔵人で、一六三五年である。松前藩の樺太統治は、クシュンコタン(大泊)に陣屋を設けた一六七九年が最初である(注9)。
日本人の(ロシアに対する)樺太防衛論は早く、工藤平助『赤蝦夷(=ロシア)風説考』(一七八三年刊)、林子平『三国通覧図説』(一七八五年刊)、林子平『海国兵談』(一七九一年刊)などは、日本の中学生全員が知っておくべきである。松前平角ほか『蝦夷唐太(=樺太)島之記』(一七九一年刊)には、日本人製作の樺太の地図が書かれているが、これらは日本がいつ樺太防衛を意識し国策としたかを教えてくれる。
もう一つ、日本国民すべてが未来永劫に知っておくべきは、間宮海峡を発見して(一八〇八年)樺太が島であるのを世界初に確定した間宮林蔵の功績や、樺太探検だけではなく樺太防衛で六百名の会津藩兵クシュンコタン駐兵監察になった(一八〇八年)、最上徳内の功績も忘れてはなるまい。
さて、話を川路聖謨が締結した(不平等どころではない)“反日の極み”下田条約によって、その後、ロシア兵が大挙して樺太に進駐するばかりか、同条約の「(北半分がロシア、南半分が日本という)従来のしきたり遵守」条項に反して、次第に樺太南部に公然と出没し日本人を執拗に襲うようになった。さらには日本側が被護的に統治していたから、従来どおりの生活と慣習堅持の自由が完全に保障されていたアイヌ原住民に対して、ロシア側は“ロシア人の奴隷”として扱う暴力が日常となった。日本側に助けを求めるアイヌ原住民の事件数は、年々急増した。
これらロシア側の暴力に対して小競り合い対抗を、あと十年ほどし続けていれば、「樺太の日本単独領有」で完全解決したものを、逆さにも、交渉すれば平和的な共存ができるとの日本国内の紛争解決の日本人感覚で、江戸幕府は幕府倒壊前夜の一八六七年三月、二名の全権大使(小出大和守/石川駿河守)をもって、わざわざロシアの首都ペテルブルグまで派遣した。
その結果、なんと逆にロシアに言いなりの、もっとひどい「樺太の潜在主権はロシア、ただし日本側が認めない場合は、日露の雑居の地」という暫定協定「樺太島仮規則」に調印する破目になった(注10)。日本は“ロシアの属国です”を合意しに行ったも同然のアホバカ外交の典型。この江戸幕府の不要・不急の逆走外交は、江戸城の明治新政府への明け渡しが一八六八年四月だったから、その一年前だった。
明治新政府は、日本の国益を破壊した「下田条約→樺太島仮規則」の延長上に、実効支配を目指すロシアの樺太侵略に直面した。が、樺太・択捉・国後島の実態的な防衛参謀本部の任にあった会津藩・鶴ヶ城の落城(維新政府への開城、一八六八年九月)とともに、樺太防衛体制が消滅した日本では、対露防衛・外交の専門家もゼロとなっていた。
しかも明治新政府は、樺太や国後・択捉・得撫島などに関心のない薩摩と長州が牛耳っていた。彼らは、コメ生産のための台湾攻略やトロツキー的な朝鮮への革命輸出などマイナーな問題や転倒外交と、ロシア侵略に対する国土防衛としての樺太防衛という最重要な国防とを天秤にかける、国策の軽重がわからぬお粗末な連中がほとんどだった。
とりわけ、西郷隆盛は、征台論と征韓論を優先すべく、次元が異なる樺太防衛を「せずに放棄せよ」と、反日の暴論をぶつ狂気を一段と濃くしていた。一八七四年五月の台湾征伐は、翌一八七五年の日本の樺太放棄とコインの裏表の関係にあるのは、いずれも西郷が推進したからだ。西郷の樺太放棄論は、韓国併合をした山縣有朋とともに、日本の安全毀損では群を抜いて最凶である。
黒田清隆もまた、西郷隆盛と同罪であろう。薩摩藩出身で樺太に無知・無関心でありながら、黒田が開拓次官となったそのこと自体、明治新政府の人事の腐敗がかなりのものだったことを示している。黒田清隆は、早々と樺太放棄論の意見書を政府に出した(一八七一年二月)。明治天皇への上奏文も提出した(一八七三年二月)。
ロシア駐箚公使の榎本武揚による樺太・千島交換条約の締結は、黒田の樺太放棄論の延長のものであった。ロシアの罠に落ちた川路聖漠の下田条約が、その二十年後、一直線に樺太喪失へとつながっていったことになる。明治新政府の中で、樺太死守論を主張し続けた“愛国者”丸山作楽(外務大丞)こそ、われわれ日本人が二十一世紀においても学ぶべき対露外交の鑑である。
明治新政府が、「下田条約」と「樺太島仮規則」を、江戸幕府が調印したものだからを理由に全面破棄してさえいれば、いや、それらをそのままにしてただ「樺太は日本の固有の領土であるので、ロシアは一兵残らず撤退せよ」と宣言さえしていれば、すべてが解決していた。
なぜならロシアは、クリミヤ戦争の敗北を取り戻すべく、露土戦争(第二次クリミヤ戦争、一八七七~八年)の準備に全ての国力を集中させており、(シベリア鉄道がまだないことからも当たり前すぎるが)樺太での紛争(日本人への暴虐な犯罪行為)を戦争にエスカレートする余裕など全くなかった。アラスカを米国に売却せざるを得なかったのも(一八六七年、七百二十万㌦)、露土戦争に向けた軍備調達・整備のためだった。
露土戦争の勃発と同時に、樺太からロシア兵はことごとく消えた。この機を捉えて、(太平洋では弱小国の米国ではなく、大国の)英仏と共同さえすれば、樺太の日本単独領有を定める新・日露条約なんか容易に締結できた。日英仏の対ロ「逆・三国干渉」である。
しかし、初期明治政府には、一九五六年の鳩山一郎・河野一郎の対ロ叩頭外交に始まる戦後日本の対ロ全面屈服外交と酷似して、国際情勢やロシア情況を機敏に活用してダイナミックに国益擁護する、外交の根幹を堅持できる人材が、政府中枢には不在だった。陸奥宗光や小村寿太郎らは際立つ外交逸材だが、明治中期以降に登場した。
明治維新政府において薩長が要職を独占した弊害が、会津藩の消滅とともに樺太防衛参謀本部が消滅した事態と一緒になって、日本が樺太を喪失していく主因となった。
第二節 「個人の蔵書/図書館の蔵書は、没収してはいけない」が、どうして“焚書”になるのか
『GHQ焚書図書開封』を八巻も出したことにおいて、狂妄の嘘で固める西尾幹二の歴史偽造の「業績」は、他の追随を許さない。歴史偽造では日本最大最凶の量を誇る共産党に対してすら、西尾幹二だけは優劣を争っている。
まず、本のタイトル『GHQ焚書図書開封』からして、極端にキワモノの歴史偽造がわかる。西尾幹二の歴史偽造癖は、確信犯の犯罪のレベルで、万引き犯や放火犯の常習者などに見られる精神医学上の病気と同じと診てよい。
七年間占領行政を行ったGHQにかかわる歴史において、真実は、GHQは日本において“焚書”など全くしてない。“焚書”を断じてしなかったGHQを虚構「焚書犯」に仕立て上げて執拗な糾弾をするのは、無実者をでっち上げの冤罪で貶るのを常習とする西尾幹二の“犯意”が、殺人犯の殺人癖と同レベルだからである。
事実や真実を憎悪する西尾幹二はまた、無実の他人や他国を中傷誹謗する病的な常習者で、その中傷誹謗のレベルは、そこらのならず者では足元に及ばない。
「焚書となる爆撃は、絶対に禁止する」──米軍の東京空襲B29部隊への命令
個人蔵書や教育機関などの蔵書を人類の中でもっとも重視し尊重するアングロ・サクソンの書籍文化の系譜にある米国は、洋食が日常の食事の過半を占めてもなお日本人が箸でご飯を食べ続ける文化が強固であるように、書籍の焚書など決してできない。
だから、大東亜戦争の戦争中、東京を焼け野原にするのだから必ず焚書に至るはずの東京空襲において、米軍は、神田の古本街や日比谷図書館など、本があるという理由で、それらのある地域を「B29の空襲(ナパーム弾による焼却)の対象から外せ」との爆撃制限命令を出した。これは(風向きによっては爆撃しなくとも延焼が起きるので)爆撃射手としては極めて難しい技術だが、全機・全パイロット全員が、この命令を忠実に履行した。だから、神田の古本屋街は無傷・無焼だった。
高度一万㍍からの爆撃照準能力が余りに高いレベルにも驚くが、「本を焼くな!」のアングロサクソンの書籍文化/米国の書籍文化にも敬意の念をもって驚かざるを得ない。
だから、GHQは叛乱防止を主眼とする、“占領行政としての図書没収”という占領検閲行政において、「個人蔵書は対象外」「教育機関・公共図書館の蔵書も対象外」とした。個人と図書館からは、一冊も図書没収をしなかった。占領期の日本人で、戦前・戦時中のいかなる図書であれ読みたくて読めなかった者は、七千万人のうち、ゼロであった。
だが、生来の虚言癖がひどい上に、何らかの精神上の錯乱症状が顕著な西尾幹二は、市販本のみを対象としてGHQの軍事諜報部参謀部民間検閲支隊が“秘密裏の没収”を命じた、いわゆる「市販本に限る没収指定図書」について、「焚書だ!」「焚書だ!」と大騒ぎをする。「流通機構に乗せてはならない」「販売してはならない」「読みたいならば、日本人は図書館などから借りて読め」との命令が、どうして“焚書”なのか。
粗にして雑もここまで書けないレベルで、この(真赤な嘘ばかり以上に)歴史の巨大偽造を意図した、非学問の低級な嘘宣伝本八冊が、“日本人の恥さらし”西尾幹二著『GHQ焚書図書開封』である。
GHQの市販禁止通達は秘密──「市販禁止」など知らない国民は誰でも、学校の図書館で該当本を読んでいた
GHQからこの「指定図書の没収」を担当させられた文部省は、一九四八年、「文部次官通達」を各県知事に出した。次のように書かれている。
「没収は書店、発行所、印刷所等の販売および輸送経路上にあるものについて行なうのであって、個人や図書館のもの(蔵書)は除外されるのは今まで通り」(注11)。
つまり、戦前・戦中に発行された本のうち数千冊が、この通達によって、“市中の書店での販売が禁止された“。が、もともと一九四五年八月の玉音放送を境に、これらの本の多くは全く売れないので書店ではすでに販売していなかった。いや、都市や街が空襲のナパーム弾で焼けた以上、本屋の多くは、他の商店や住宅とともに焼けていて存在しなかった。
だから、GHQの「市販禁止」で特段困った書店がそもそも存在しなかった。また、日本人は食うことと瓦礫の片付けや復興に忙しく、本を買ってまで読書する、そんな余裕はなかった。この市販禁止で不自由したものは、焼け残った倉庫に在庫を保管していた出版社を除いて、実は日本中一人もいなかった。
GHQは何という無意味・無駄きわまる占領政策をしたものか、と首を傾げざるを得ない。また、上記の「文部次官通達」を知る国民など、各都道府県の警察幹部と業務命令を受けた県庁・市町村役場の職員から選ばれた「没収官」を除き、誰もいなかった。なぜなら、この「市販本没収」そのものが、一般国民には知らせてはならない「秘密」に指定されていたからだ。
そもそも、戦前・戦中の八千冊ほどの本を読む/チェックする者は、現代史を職業とする私のような大学人に限られている。おそらく、全国で、これらの「市販禁止図書」を次から次に読み漁る必要があった(私と同等・同様な研究者の)日本人は、戦後の約七十年間を通じても、百名もいまい。
なお私は、これらのGHQ市販禁止図書の多く(ほとんどは荒読みだが、二千点近く)を読破・チェックした。これら二千点は、三つ四つの図書館と古本屋からすべてを手にすることができ、手にすることのできない本など一冊としてなかった。私以外の日本現代史の研究者で不自由した者も一人もいない。
「焚書だ!」と叫ぶ西尾幹二自身、それが真赤な嘘で事実無根の妄想なのは、とくと自覚している。歴史の真実は守られなければならず、焚書でないのに「焚書だ!」との嘘を意識して流言した罪で、西尾幹二の方を焚刑に処す方を検討すべきある。
GHQによる秘密(非公然、covert)の“市販本に限る没収”措置によって、日本人が特定の知見を奪われたなどという事態は、万が一にも発生しなかった。福島セシウムでだれ一人として発癌しない科学的真理と同じく、これらの本はすべて図書館にあるから、日本人の誰も不都合がなかった。これが現実だったし、歴史の真実である。
だが西尾幹二は、狂犬にまがう怖ろしい面相で、あからさまに真赤な嘘の創り話をでっち上げる。
a「図書館でも没収が行なわれていた」「図書館からも消された」「公の場から突如いっせいに消えた」
b「たまに見つかっても、この本は読んではいけない禁書だとお達しによって、厭戦感情と食糧難にあえぐ国民の心に縛りがかけられてしまった」(注12、五四頁)。
aが真赤な嘘なのは、図書館の蔵書は対象外だから、言わずとも明白。bが創り話なのも、「この本は読んでいけないお達し」そのものを国民全員が全く知らないのだから、言わずとも明白。“狂気の売文業者”西尾幹二の狂史は、妄言・暴言の何物でもない。
「市販してはいけない」は、「読んでもよいが売ってはいけない」の意味であるように、「読んではいけないお達し」など、GHQ七年史に存在しない。西尾の創り話は、子供の頃、狂犬に襲われた時の戦慄を思い出す。
図書館の没収はゼロ──西尾が在籍した東京大学総合図書館は、その好例
aについて西尾がどんなメチャクチャな大嘘をつくか、西尾幹二が通学していた東京大学を例にとって証明しておこう。
彼が在学した時期の図書目録をつぶさに調査すると、東京大学総合図書館において、西尾幹二が「焚書!」と叫ぶ本で、廃棄されたり処分されたりした本は一冊もない。当時の東大の学長も図書館長も、「市販禁止本の没収」というGHQ指令それ自体をおよそ知らなかったし、知ればそれは「図書館の蔵書はいっさい従来のままでよし」だから、それらを廃棄したり書棚から外したりをするわけがない。
だが、事実や真実を憎悪し破壊し尽したい、この世はオレ様の嘘だけが存在すればよいのだの狂気に生きる西尾幹二の創り話は、さらに荒唐無稽な妄想へと膨らむ。こうだ。
「東京大学の総合図書館や文学部の図書館は、一九四五年以来、瓦礫に埋まっていた。が、エジプトの王家のミイラの発掘と同じく、ついに二〇〇五年、六十年ぶりにオレ様・西尾幹二によって<発掘された>」(五五頁のを、わかり易く再記述)、と。
三歳の童子が(初めて月を認識した時に叫ぶ)「僕が、月を発見した」と同じはしゃぎである。いや、上記の妄想が三歳の童子の言なら、確かにはしゃぎや興奮の類で、事は済む。だが “民族系知識人の代表”を自認する七十歳を越えた老耄評論家の言説を、はしゃぎとみなすことはできない。狂人の狂気の創り話だと、冷静で正しい判定を下しておく必要がある。
そもそも、西尾幹二とは、“学術的な本をいっさい読まない/史料をいっさい研究しない”ナラズモノ評論家。学者などとはほど遠い野卑な人種。西尾のような跳びぬけて下劣・低級な売文業者がどう形成されたかは、かなり永年の疑問だった。
が、東大文学部在学中に、GHQ指定の市販禁止本が東大の図書館に所狭しと並んでいるのを知らない、西尾が典型的な超劣等生であることがかくも鮮やかに照明されて、なんとはなく氷解した。
二〇〇五年の『正論』誌上で西尾が、「オレ様が、二〇〇五年に発掘した」と豪語して列挙した十五冊のうち、次の十二冊は、西尾が在学中の一九五四~六一年、(それ以降の現在にいたるまで、)東大総合図書館に書棚に陳列してあった。
・大東亜戦争調査会『米英挑戦の真相』、毎日新聞社、一九四三年。
・岩田省二『アメリカの反撃と戦略』、三協社、一九四二年。
・大川周明『米英東亜侵略史』、第一書房、一九四二年。
・大東亜戦争調査会『米英の東亜撹乱』、毎日新聞社、一九四三年。
・B・クラーク『真珠湾』、鱒書房、一九四三年。
・加藤長雄『印度民族運動史』、東亜研究所、一九四二年。
・櫻井匡『大東亜回教発展史』、三省堂、一九四三年。
・楊井克巳『蒙古資源経済論』、三笠書房、一九四一年。
・清澤洌『第二次欧洲大戦の研究』、東洋経済出版、一九四〇年。
・朝日時局読本『戦時体制下のソ連』、朝日新聞社、一九三七年。
・ペエツ『対英封鎖論』、中央公論社、一九四一年。
・白柳秀湖『日本民族論』、千倉書房、一九三四年。
東大総合図書館になかったのは次の三冊のみだが、一九五四~六一年、多くの他の図書館で利用できた。例えば、当時の国会図書館で閲覧できた。
・神田孝一『思想戦と宣伝』、橘書房、一九三七年。
・一宮房治郎『大東亜海戦論』、昭和刊行会、一九四三年。
・棟田博『分隊長の手記』、新小説社、一九三九年。国会図書館には、『続・分隊長の手記』(一九四〇年)『続々・分隊長の手記』(一九四二年)もある。
西尾幹二が七年間在籍した東大の図書館でこれらを一冊も手にしなかった事実は、次の西尾の述懐が、心にもない真っ赤な嘘なのを暴露する。
「戦時中の数千点の本がそのまま流通に乗っていたら、やっと開かれた本屋の店頭でわれわれはやはりそれを買って読んだだろう」(五四頁)。
超劣等生だった西尾は、七年間も東大キャンパスをブラブラしていたのに、図書館に行かず、行ってもこれらの本を一冊も読まなかった。とすれば、仮に市販されていても、西尾幹二がそれを書店までわざわざ買いに行ってまで読むことなど万が一にもありえまい。それなのに、「買って読んだはず」とは、虚言も度がすぎてうすら寒い。
しかも、市中の本屋で、これらの本は“没収”されずとも、その九十%以上は、買う顧客がいないから店頭に並べる書店など一軒もなかっただろう。店頭に売っていない本を「買って読んだはず」などとは、狂気の超虚言癖者でなければ、言えるだろうか。
戦時中からの図書館蔵書本は、「西尾幹二が、二〇〇五年に発掘した」???
歴史破壊の衝動に生きる西尾幹二は、歴史に関心がない。一九九七年の「新しい歴史教科書をつくる会」の立ち上げの時、本人が私(中川八洋)に明瞭な言葉で傲然と語ったことだが、「教科書の偏向是正が目的ではない。自分の定年後の評論活動の新しいテーマとして選んだ。僕は何かをいつも書いていないと落ち着かない」であった。
西尾はまた、二〇〇〇年、私にこう語った。「(自分が作った教科書について)採択など僕はまったく関心はないよ!」と。西尾がつくった扶桑社版教科書が、五万冊ではなく、たった五二一冊(〇・〇三九%、二〇〇一年九月文部省発表)しか採択されなかった。教科書づくりにおける大敗北。しかし、西尾はシラッとして、落ち込むことはなかった。採択などどうでもいいの、西尾の真意・深層意向と矛盾していなかったからだ。
それはともかく、まったく「焚書」されなかったが故に、戦後日本に捨てるほどの数で今に至るも手にすることのできる書籍群を、「オレが発見した」「オレ様が発掘者だ」と狂言する西尾幹二の「俄か考古学者」ぶりには、ほとほと絶句する。次の大言壮語の虚偽宣言には、絶句どころか、誰でも嘔吐を催すだろう。
「今回はじめて世に問う七千七百余点の焚書ほど、<閉ざされた言語空間>をはずした外の広さと底深さをありありと示すものはない」(五八頁)。
私事だが、私が大東亜戦争に本格的に関心をもったのは一九六五年(大学三年生、二十歳)。それ以来、手にした書籍群が、西尾幹二によって「二〇〇五年、初めて世に問う」書籍だと言われると、私はなんと形容すればよいのか。一九六五年から二〇〇五年までの四十年間に私が手にした(パラ読みを含めて)約二千冊の「GHQの市販禁止本」は、幻覚か幽霊や蜃気楼だと、西尾は主張しているからである。
「オレ様が灰の中から発掘した数千冊の本を初めて世に問う」など、“狂気の人”西尾幹二の狂言だから、我慢して目を瞑り無視すればよいのだろうか。いや、それでは虚偽歴史が後世に伝染する。とすれば、「西尾幹二とは発狂状態の狂言癖者であって、とてつもなく有害な歴史の偽造に邁進している」との事実を世間に正しく警告しておくのが、知識人としての私の果すべき義務かもしれない。
「GHQが日本人を戦前・戦中の<閉ざされた言語空間>から解放した」──これが、正しい歴史の真実ではないのか
一九三二年の五・一五事件以降、日本人の頭は、『朝日新聞』や『改造』『中央公論』その他無数の赤い出版物による洗脳によって「閉ざされた言語空間」(一九六〇年まで党籍をもつ日本共産党員・江藤淳の「反米」運動スローガン)に監禁されていた。日本人が、それから解放されたのは、一九四五年夏のポツダム宣言受諾とその後七年間のGHQの占領行政によってであった。これが、歴史の真実で歴史事実であろう。
それなのに西尾は、この歴史事実を逆立ちさせる。西尾は、マルクス・レーニン主義とスターリン崇拝の「閉ざされた言語空間」に日本人を閉じ込めていた一九三二~四五年の極左思想全盛時代を「正常」だと考えている。だから、そこから解放されない方が、「外界の世界の広さと底深さを知ることになる」と、“刑務所に収監されている方が、自由の謳歌である”とのニーチェ的狂気と酷似した、倒転した言説を嘯ける。
GHQが市販禁止に附した七千七百余点の書籍のほとんどは、日本の国益を害する“悪魔の書籍”群。日本人を外の世界と隔絶させて視野狭窄的にマルクス・レーニン主義に洗脳し、スターリンを崇拝させ、東アジア全体を共産化して、日本国を領土と国民とともにソ連に貢がんとする、怖ろしい“悪の反日カルト宗教”の教宣本ばかりである。
惜しむらくは、GHQが、このようなスタンスに立って、「市販禁止命令」を出さなかったことだ。GHQの「市販禁止本の没収」の目的は、占領行政への何らかの暴力を伴う叛乱防止のためだったが、そのような懸念は一九四八年にはすでに必要がなかった。とりわけ西尾幹二によって、かくも怖ろしい歴史偽造に悪用されるのだから、GHQは、杞憂から生まれた“ナンセンス占領行政”「市販禁止本の没収」などすべきでなかった。
GHQの目的がかくもお門違いだったことが、戦後日本で、逆に「市販禁止本」をイデオロギー的に継承する岩波書店ほか無数の極左出版社によって、洪水のような大量の共産主義系の書籍が出版されるのを放任する情況を産んだ。すでに三世代に入った今も日本人が「市販禁止没収本の呪縛」から洗浄されず、二十一世紀に入ってなお国防を忘れ、日本国の未来への永続と繁栄への努力を弊履のごとく捨て、亡国への道である放蕩的な堕落を享楽し続けているのは、「市販禁止本」となった悪書の赤化思想を継承した、その二代目三代目の“悪魔の書籍”群の成果ではないか。
この意味で、GHQが去った後、直ちに日本国としては、これら「市販禁止本」の約半分ぐらいは異論なく該当するが、「市販禁止本」とならなかったほぼ同数の「反日」極左本を新たに追加して、それらの著者と出版社を“国家反逆罪”に類する法律で処罰する法令を立法して断罪しておくべきだった。
第三節 民族系論客はなぜ、スターリン史観の狂信者なのか──西尾幹二の“狂妄”大東亜戦争論Ⅱ
二〇〇五年の『正論』誌発表のエセーにもとづき、その三年後から西尾が出版したのが、シリーズ本『GHQ焚書図書開封』である。『GHQ焚書図書開封』とは、かいつまんで言えば、二十一世紀の日本人にマルクス・レーニン主義への回帰を説き、時代錯誤の「社会主義万歳!」「共産主義万歳!」「東アジア全体を共産化しよう!」に傾倒する極左イデオロギーの復活への雄叫びである。
西尾幹二は、日本を今でも骨の髄まで汚染しているマルクス・レーニン主義が、全く理解できない。それらの本を、識別・判別することすらできない。西尾幹二の知性レベルは、自動車と飛行機の識別ができず、「動くもの」として一緒にする野蛮人に等しい。
だから西尾幹二は、GHQが「市販を禁止し市場から没収させた本」の多くが、教条的なマルクス・レーニン主義の書籍群なのが、とんと理解できない。マルクス・レーニン主義が瞬時に識別できない“哲学超音痴”の西尾は、それなのに感性でマルクス・レーニン主義に傾倒する。小学校の時に、共産主義にかぶれた赤い教師に洗脳されたのか。
反学問・反歴史の“世紀の有害図書”『GHQ焚書図書開封』をどう焚書するか
それはともあれ、西尾幹二の『GHQ焚書図書開封』は、“世紀の歴史捏造書”。なぜなら、次のような真赤な嘘を絶対前提に論を立てているからである。
「(大東亜戦争の)戦意形成の背後を知るに値する昭和史の文書類は根こそぎアメリカに運び込まれたままになっているのが事実のようです」
「<焚書>されて本がなくなってしまったために、戦後を『自分でなくて』生きている事実にすら気がつかなくなっている」(注13、38頁、43頁)。
いかなる本も、数千部が印刷される。そのうち、「市販禁止本」に限り五冊が没収され、うち二冊が米国に送付され、三冊はGHQ内で保管されていた。この三冊だけは、GHQ閉鎖と同時に1952年に焼却されたという。平均で三千部が印刷されたとすれば、2995÷3000=99.8%が日本国内にそのまま存在している。それなのに、狂人なのだろう、西尾幹二は、「根こそぎアメリカに運び込まれた」と法螺を吹く。嘘としても限度を超えていて余りに悪質な嘘。
また、日本人の人格を形成する書籍は、万葉集や平安文学や江戸文学あるいは過去千五百年間に出版された無数の古典的な歴史関連書である。一九二八~四五年間のわずか十七年間の出版物を読まずとも、日本人の人格形成にはなんら問題はない。しかも、この十七年間ぶんの本は、読もうと思えば、複数の図書館を利用すれば、一冊残らずすべてが読める。それがどうして、「焚書されて本がなくなってしまった」になるのか。事実を愚弄する真赤な嘘話も、ここまでの嘘は聞いたことがない。
さて、西尾幹二の八冊にもなる『GHQ焚書図書開封』シリーズは、大東亜戦争とその前夜の歴史をあらん限りに歪曲し恣意的に改竄するのが目的。だが、こんな荒唐無稽な嘘の大掛かりな舞台をつくってまで、なぜ歴史の捏造をする必要があるのだろうか。
答えの一つとして、精神が分裂的に浮遊する西尾幹二が、七十歳になった二〇〇五年を契機に、自分を大東亜戦争とその前夜の「ゼロ歳から小学校児童」であった時代に仮構的に回帰し、対英米戦争をパソコン・ゲーム(蜃気楼)的に楽しむ妄想に耽ることにした、と考えれば、真黒な闇の中でうごめく西尾の思考の深層とその著の真相を抉ることができるのではないか。
つまり、大東亜戦争そのものを歴史学的・学問的に考察するのではなく、「読者よ!2005~13年の今も、日本は七十年前の大東亜戦争をやっているのだ。帝国陸軍・帝国海軍の対英米戦争を、もっと大声でフレー/フレーと応援したらどうだ!」と檄を飛ばしている狂書、それが“世紀の有害図書”『GHQ焚書図書開封』である。
紙幅が足りなくなったので、『GHQ焚書図書開封』八巻の具体的な解剖は、次回に省察する。ここでは、なぜ、『GHQ焚書図書開封』が、反学問で反歴史の有害図書なのかを、少し説明しておきたい。
大衆への教宣本を分別せず読む西尾型の雑想では、歴史は全くの暗闇のまま
大東亜戦争の真相に迫るには、陸海軍を含めた当時の政府の意志決定を詳査して正確に再現する作業をすることであり、当然、最低限、内閣/外務省/陸軍省/海軍省の部内資料を渉猟するほかない。だが、驚くことに、西尾幹二は、これら政府部内資料の引用が全くのゼロ。
つまり、西尾は、大東亜戦争を意志決定した政府の、その史料を一点として読んでいない。西尾幹二とは、歴史に関して“超ズブの素人”であるだけでなく、自分なりの歴史を明らかにしようとする意思もない。
次に、渉猟すべきは、これらの政府の意志決定に少なからず影響を与えた、当時の三大メディア媒体の『朝日新聞』『中央公論』『改造』は、一九三二年以降、手抜きすることなく読破され研究しつくされねばならない。大東亜戦争を決定し推進した、当時の日本の政治家・官僚・軍人は、これら三大紙・誌を欠かさず読んでいた。
だが、『GHQ焚書図書開封』がとりあげている、一般庶民を洗脳・煽動するための大衆駄本などは、日本国の戦争決定を左右してはいない。それらは、国益に反すること夥しい、祖国日本への叛逆戦争だった大東亜戦争の政府・軍部の決定に対して、良識ある国民が批判や非難をする正常な思考を麻痺させるための洗脳プロパガンダ本がほとんどだった。
つまり西尾幹二は、政府の戦争決定に影響を与えた書籍と戦争遂行への批判封じ込めの洗脳書籍との峻別作業をいっさいしない。そのような学問的な発想が、学者ではない大衆煽動家の“売文業者”西尾幹二には欠けていて、ひとかけらも存在しない。
学問は、方法論で、その成否が決まる。歴史学は、体系的・分類的な史料分析が生命である。私事を明かすのは趣味ではないが、大東亜戦争の考察・分析にあたって、『日本外交史』全三十四巻(鹿島平和研究所)はすでに棒暗記したが、まず初めに徹底的に研究したのは、(対英米戦争を御前会議で決定した最初の総理)近衛文麿の側近であった尾崎秀実の検事・予審判事の尋問調書であった。これを踏まえて、尾崎秀実の発表した雑誌論考をすべて読破して、この訊問調書との比較検討をおこなった。次に、尾崎以外の近衛周辺のかなりの数の知識人(学者・ジャーナリスト)の著作を雑誌論文はもとより(経済学を含めた五百冊を超える)学術書にいたるまで、広く深く渉猟した。
これらの作業を通じて、当時の言語「東亜秩序」とか「大東亜共栄圏」とかの正確な意味を把握した。言葉の意味は、時代、時代で大きく変遷する。だから、大東亜戦争前夜の一九三二~四一年の時代を理解するには、自分の頭を“一九三二~四一年の日本人”に改造するしかない、と考えた。むろん、大衆の日本人ではなく、総理官邸のエリート政治家の頭への転換、陸軍・海軍の中枢で政策を立案するエリート軍人の頭への転換である。後者のためには、『戦史叢書』全百二巻を丸暗記するくらい最低条件だと考えた。
ところが『GHQ焚書図書開封』の西尾幹二ときたら、大東亜戦争の意志決定過程について何ら関心がない。当時のソ連やドイツあるいは支那の国内情況がどうあったか、あるいはグローバルな国際情勢がどうあったかについても関心がない。
後者について例を挙げれば、西尾は、日本を地獄へと導いた日ソ中立条約(外務大臣・松岡洋右と首相・近衛文麿の二人だけの暴走外交)を一言も非難しない。あるいはドイツの対外政策やその統制経済・ユダヤ人人種差別政策などに言及することがない。
この事実は、ソ連(ロシア)やドイツの対外政策(対日謀略工作を含む)や国内の弾圧体制は日本の外交国防や国益とはいっさい関係してなかったとの真赤な虚構が、<西尾幹二史観>の大前提になっているのを示す。すなわち、西尾幹二は、初めから壮大な嘘歴史を捏造することを企図し、その手段として『GHQ焚書図書開封』を書いている。
つまり、『GHQ焚書図書開封』は、西尾が表向きにいう「1928~45年の、日本人の歴史再発見」ではなく、「1928~45年の歴史を、日本人から剥奪・抹殺するため、自国民に対する偽情報・洗脳工作をしよう」を意識して書いたと断定してよい。西尾は“ニーチェ的狂気の人”なのだ。
GHQ「市販禁止」措置より数千倍も数万倍も過激また濃密に、日本人を歴史の真実から隔離・監禁し、日本人から正しい歴史知見を剥奪するためである。日本国や日本人を憎悪するルサンチマンの炎で嘘を書き連ねた西尾著『GHQ焚書図書開封』は、日本人にとって最凶の危険本である。徹底的に焚書にしておかねばならない。
注
1、西尾幹二責任編集『新しい歴史教科書』、扶桑社、二八六頁、二〇〇頁。
2、ルーズヴェルトの署名には米国大統領という「肩書き」がない。また「米国政府を代表して」の語句もない。また、発表されず、秘密だった。副大統領トルーマンすら一九四五年四月下旬、ルーズヴェルトの死去に伴い大統領に昇格し、ルーズヴェルトの個人金庫を開け初めて知った。この時、卒倒寸前の衝撃を受けたという。
3、ステチニアス/モロトフ/イーデンの米英ソの三外相が、その公的立場で署名した協定。調印後、公表。
4、藤村信『ヤルタ 戦後史の起点』、岩波書店、一八二~四頁。
5、支那艦隊の後継である英国の極東艦隊(東洋艦隊)は、一九七一年十月三十一日、母港のシンガポールを去り、その歴史に幕を閉じた。私(中川)は、このとき、日本政府がこの式典に特使を派遣しなかったこと、(東京か対馬かでの)英国極東艦隊への感謝と惜別の式典を日本政府が主催しなかったことに、英国への余りの非礼に憮然とし、自国国防を忘失した日本の病のひどさに愕然とした。「日本は、滅ぶ」、と。
6、日露戦争の直前(一九〇二年)、これを意識して対抗したわけではないが、胃腸薬「(忠勇)征露丸」が発売され、当時もその後も、「これでやっとウラジヲストック(日本征服)とバランスした」と日本人は喜んだ。一九四六年に敗戦で、この薬品メーカーは、「正露丸」に商標名を変更した。が、「正しいロシア」など存在しない。「正露丸」の商標はやめてもらい、旧名「征露丸」に早急に戻してもらいたい。
7、アルゼンチンがイタリアに発注し完成したばかりの二隻の新鋭軍艦「日進」「春日」を日本に斡旋したのは英国。しかも、回航に当りロシア海軍に撃沈されないよう、両艦とも艦長を英国海軍大佐にし、ユニオンジャックの旗にし、かつ英国海軍の一万四千㌧の当時世界トップの巨大な装甲巡洋艦を随伴させ、セイロン島コロンボまで護衛した。事実上、英国海軍による日本への回航だった。また、ロシアがチリから購入しようとした軍艦二隻は、英国が急いで高額で落札し、ロシアに売却されるのを寸前で防いだ。
そればかりか、戦争遂行の財政力がない日本は、日露戦争の戦費の四割を英米二ヶ国での外債で賄った。この時の英国国王エドワード七世は英米の資産家を国王晩餐会に招待しては、日本公債の購入を勧誘する営業マンに徹したのである。私は作業室に、エドワード七世の肖像が彫られたコイン二枚を飾っている。
8、『日本外交史』第三巻、鹿島研究所出版会、二四九~五〇頁。
9、西鶴定嘉『樺太史の栞』、樺太庁「樺太叢書」第六巻、二四~八頁。
10、秋月俊幸『日ロ関係とサハリン島』、筑摩書房、一七三~八一頁。全国樺太連盟『樺太沿革・行政史』、一四二~五六頁。
11、文部省社会教育局『没収指定図書総目録』、今日の話題社、六頁。
12、西尾幹二「知られざるGHQの焚書と現代の焚書」『正論』、二〇〇五年九月号、引用頁は本文。
13、西尾幹二『GHQ焚書図書開封1』、徳間書店、二〇〇八年、頁数は本文。