“刑法不敬罪の犯罪者”西尾幹二/花田紀凱の毒談・害談 ──幸徳秋水を継ぐ、天皇制廃止の“鬼畜アナーキスト”達は何を吠えたか

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 “皇后殺し・皇族殺しの論壇テロリスト”二人が、ついにその永年隠してきた共犯・共謀関係の顔をひょっこりと覗かせた。難波大助の生れ変り西尾幹二李奉昌の生れ変り田紀凱(日本名「花田紀凱」)が、“民族系ごみ溜め雑誌”『正論』2018年10月号で害談する大チョンボを犯したのは、逃げ切れると踏んだ殺人犯が隠れ家から油断して街に買い物に出てきた光景に似ている。

 日本人の西尾幹二は、ヒトラー系“廃墟主義”アナーキストで、学術的には“プレポストモダン・アナーキスト”(注1)に分類される。血統が北朝鮮人の“在日朝鮮人アナーキスト”田紀凱は、日本には数が余りに多すぎる凶悪在日朝鮮人アナーキストの一人。

 皇后陛下を失声症に追い込んだ“皇后殺しを狙ったテロリスト”として、つとに悪名高い田紀凱は、どんな犯罪でも躊躇わない怖い凶暴・残忍な在日朝鮮人の典型。

 西尾幹二は、次期皇后陛下に悪罵の限りを投げつけて“次期皇后殺しを狙った言論テロリスト”。確かに、難波大助の凶器であるステッキ型散弾銃(伊藤博文がロンドンで購入したものが、人を介して偶然にも犯人・難波の手に渡った)よりも、西尾幹二の殺人狂書『皇太子さまへの御忠言』の方が、何千倍も何万倍も殺傷威力は高い。ステッキ散弾銃は当たらなかったが、殺人鬼もたじろぐ血塗られた狂人西尾幹二のワック社製「狂書」(2008年)は妃殿下に命中し絶大に精神的圧迫を加えご病状を悪化させた。言論テロは、銃器・爆発物テロと同一かそれ以上の刑法犯罪として条文化する刑法改正を急がなければならない。

 同様に、田紀凱が編集長の職権を乱用し、『週刊文春』(1993年)で、何度も何度もあらん限りに大キャンペーンした(皇后陛下に対する)真赤な嘘デッチアゲ記事の方が、李奉昌の手榴弾より、実際上も殺傷威力は何千倍も何万倍も高かった。現に、傷害罪に相当する失声症をご発症せしめて、現行の刑法犯罪の傷害行為をなした。その危害力は、かくも尋常ではなかった。

 以上の事柄を、今では札付き産経ゴロツキ記者が必ず「編集長」になる、知的最下層民用の下劣「風俗」誌『正論』を媒体にした、「天皇制は“皇后殺し”から」を信条とする対皇室テロリスト西尾幹二と田紀凱の“害談”に、解剖メスを突き刺し考察するとしよう。

第一節 “日本憎悪狂アナーキスト”西尾幹二の、狡猾な「保守」演技詐術

 西尾幹二は、自分が幸徳秋水/大杉栄/大川周明らと同系統の“稀代のアナーキスト”の一人なのを自己認識している。だから、天皇殺し・皇族殺しを、幸徳秋水のように失敗せず──絞首刑にもならず、刑務所にもいかず──悪の知能犯らしく周到に実行することを西尾幹二は算段し、「在日」北朝鮮人たちと組み、次から次にそれらを実行してきた。

 この情況はまた、“不敬の狂人”西尾幹二による、皇室の聖性も尊貴性も守らない日本の法体制の不備を衝いた犯罪であった。西尾幹二が、自殺もせず、杉並区善福寺のちっぽけな宅も火事にもならず、未だ“世紀の大口害”を垂れ流して平然と生きているのは、刑法不敬罪が欠如している現行刑法の欠陥のひどさを実証する。

自分と同類の“極左”を叩き、その反動で、反射的に自分を「保守」に錯覚させる“西尾の偽装詐術”

 西尾幹二が「自分はアナーキストで、天皇制を廃止したい」と公然と宣言したのは、32歳の時。雑誌『論争ジャーナル』の対談においてであった(注2)。当時はまだニーチェ言語を青臭くそのまま用いているが、これが、ニーチェ・ヒトラー型アナーキスト西尾幹二の初の“天皇制廃止の宣言”。

 だが、狡猾な西尾幹二は世渡りが上手で、自ら思想やイデオロギーを180度逆にした演技を習熟し、論壇では巧みに「保守」を擬装し、読者を誑かしてきた。この方法の一つが、反射的には「保守」に錯覚してもらえる、自分と同種のアナーキストやコミュニストを激難する、歌舞伎役者的な大向こうの見え透いた行動を、数年ごとに繰り返して演じるというもの。これを、自分と同類の極左を叩き、反射的に自分を「保守」に錯覚させる西尾の偽装詐術と名付けておこう。

 このトリック術を、西尾幹二は、同業の泥棒や詐欺師から学んだのではあるまいか。西尾幹二は後述するように(参考1)、現在の購買力平価で奨学金「一千五百万円以上」を騙し取った刑法詐取犯。

 上記トリック術とはこうだ。泥棒Aが、多くの人だかりの中で、泥棒Bに指をさし「あいつが泥棒だ!」と叫ぶと、この瞬間、周辺の者は誰でも、AもBも泥棒である事実を忘れ、Bだけが泥棒だと思い込み、Aは泥棒ではないと錯覚する。この大衆心理の悪用こそ西尾幹二が常套する、自分を「保守」に偽装する“自己メッキ詐術”の一つである。

 具体的事例をあげよう。“反米主義の権化”西尾幹二は、同類の故・西部邁を「反米主義」だと大仰しく攻撃した。その西尾論考のタイトルは、『正論』誌上の「保守派の反米主義に異議あり おぉ、ブルータスよ、お前もか!」(注3)。

 これは、大ベストセラー『国民の歴史』(1999年刊)や彼が創った教科書『中学歴史』(2000年に脱稿、2001年9月採択、学校使用は2002年4月から)における、西尾幹二の余りに過激な「反米主義」「反米狂」に、2000年頃から岡崎久彦や谷沢永一ら多くの真正愛国者が、西尾幹二に対し論難の聲を上げ始め、「西尾幹二は、反米極左だ!」「西尾幹二は、共産党の反米運動とグルだ!」という“正確な西尾像”が形成されつつあった時期に一致する。西尾幹二は、自分の真像が暴かれる逼迫事態を封殺すべく、あらん限りの悪知恵を絞った。

 西部邁は、西尾幹二とともに、ロシアKGB直轄の産経新聞を根城に、有害な「反米主義」煽動に精を出していた。同種同類の主張だから、両者の「反米煽動」過激度に、優劣はなかった。それなのに、西尾幹二は“偽りの西尾像”を維持せんがため、同じ穴の狢に住む同居人・西部邁を格好の餌食にすることにした。西部からすれば、西尾のレトリカル用語「保守」づくりと西尾虚像づくりのモルモットにされ、巻添えを喰ったことになる。

 言葉「保守」は、敗戦後の1950年代と1960年代、戦前からの語彙「革新」(=親ソ連の社会主義者・共産主義者)に対して、吉田茂的な「①社会主義・共産主義勢力に対抗すること②親英米であること」の二条件を満たす勢力や人士を指す言葉として、戦後日本が新しく造語したもの。当然、「革新」の属性「反米主義」は、“反・保守/非・保守”で、「保守」とは対極的な政治運動を指す。つまり「保守派の反米主義」など、唖然とする珍語の極み。国語的に詭弁を越える狂語句である。「反米主義」の西尾幹二も西部邁も、正真正銘の極左。アナーキストであるからして、両名は共産党や社会党よりはるか左翼に位置しているともいえる。

 このように、齟齬を内包する奇天烈な珍語「反米保守」を造語した事実も、西尾幹二の良心が無い犯罪者性人格を浮き彫りにする。矛盾内包語「反米保守」を造語した西尾幹二の動機と目的は、前述したように、谷沢永一や岡崎久彦らから正しく“西尾幹二は、反米極左だ”との非難が澎湃と巻き起こっており、「反米極左」という正確なレッテルが貼られるのを寸前で阻止するためだった。自分の真像「極左アナーキスト」が世間一般に知られる事態を未然に回避し、自分の逆さま虚像「保守」をいつまでも維持したく、あっと驚くトリック珍語「反米保守」を考案したのである。

 「ブス美人」と同じような、「反米」と「保守」は言語的にくっつけられない対極的対置概念だが、そんなことは保身第一の西尾にとってどうでもいいこと。【守るべきは、狂妄“新・教祖である自分”のみ】を人生の指針とする西尾幹二にとって、日本国も日本の国語も日本の歴史も、廃滅させるべき対象で、守るべき価値などゼロ。

 さて、『正論』誌2002年論稿でなした西尾幹二の西部邁攻撃の核心は、次のような、実にたわいないもの。しかし、興奮の余り泥酔状態で錯乱した西部邁は、西尾幹二の罠にかかり、下手もここまでの下手はありえない劣悪すぎる反撃をして、墓穴を掘った(注4)。

「自分の国の安全保障を真っ先に考える──これが“保守”という政治思考の最大の特質でなくてはならない。最近の中国の情勢を見ても、日本はそんなに自由ではない。われわれは“反米”という遊戯に打ち興じるほどの余裕はないことを肝に銘じるべきである」(145頁)。

 この引用文を投げつけられるべき人士こそ、西尾幹二本人だろう。「白々しい」とは、このような詐言をいう。「罪を他人に転嫁する」とは、このような詭弁をいう。西尾幹二が“稀代のスーパー反米主義”なのは、札付き共産主義者の「反米」とその嘘言辞をひたすら引用しまくる『国民の歴史』第24・25・26章を読めば明らか。上記引用文は、西尾幹二の額に貼るべきで、“日本を代表する反米狂の狂人”西尾幹二に対する糾弾文となっている。

(備考) 西尾幹二は、共産党員との実際の交友関係も間接的だが頻繁で極度に昵懇。西尾幹二が共産党シンパ/共産主義思想シンパである事実に関する思想調査・人脈調査に基づき、アナーキストとコミュニストの学術的区別がつかない谷沢永一は、「西尾幹二はコミュニストだ」と主張し、窮地に落ちた。

 2002年3月以降の、西尾幹二の“過激反米”論稿の例を挙げれば、数十本を超える。そこで一例を紹介しよう。「反米」一色の真赤な嘘歴史を捏造するための、2013年3月頃から始まった『正論』誌上の、単行本にする予定での連載「戦争史観の転換」。

 カルト宗教の狂気が漂う連載「戦争史観の転換」の異常は、ファナティックな経文「反米!」をただひたすら煽動するキワモノ。しかも、それだけではない。メキシコ以南の中南米におけるスペイン系やポルトガル系の血を継ぐ人々を全て殺戮して、スペイン人入植以前の「純血インディオを受け継ぐインディオのみの国々にせよ」もモチーフだから、狂気カルト宗教の新「聖書」を書いているつもりの西尾幹二の狂気がビンビン伝わってくる(注5)。ヒトラーやスターリンやメンギスツの人間大量殺戮ですら、ささやかで小さく見えてくる。人類史に例がない、こんな空前絶後の“大量殺戮のススメ”など、正常な人間には発想できない。重度の精神異常者・西尾幹二の面目躍如というべきか。

 反米狂/反「西欧」狂において、精神病院に収監すべきレベルの西尾幹二ほどの狂信者は日本史上、他に類例も散見できない。そんな西尾幹二が、西部邁に対し「反米主義を止めろ!」とは、人肉嗜食のカニバリズム(cannibalism)ではないか。ニーチェと同じ重度の分裂症を病んでいない限りあり得ない、レーニン/スターリンの6600万人自国民殺戮と同じ、“人類のタブー”同族殺しである。

ゴミ稿集『正論』誌での西尾幹二/田紀凱“害談”『文藝春秋』叩きは、西部邁バッシングの二番煎じ

 さて、問題の西尾幹二と田紀凱の(読むものの頭に猛毒を注入するという意味で)“猛毒”対談に話を戻すとしよう。これは、共産党員の松井清人・社長を巡る文藝春秋社内の内紛と、松井が去ろうと去るまいと文藝春秋社の社員のほとんどが共産党員になってしまった情況に託けて、自分たちがさも「極左でない」かの偽情報を流す狙いで、両名が仕組んだ白々しい“害”談。まさに、『正論』2002年3月号での西部邁バッシングの手口と全く同じ。共産党の同志で“天皇制廃止狂の極左”西尾幹二の「保守」偽装のリメイクが目的だから、手法が同じになるのも必然。

 二十年頃前から「リベラル」の一線をとうに越えて朝日新聞の「弟」分となっている文藝春秋社が、完全な共産党支配の出版社なのは常識にすぎ、今さら語る話でもなかろう。共産党一色に文藝春秋が変貌したのは、1970年代から、一橋大学社会学部の「民青」活動家など、共産党員新人を優先採用してきた結果。半藤一利や保阪正康や立花隆が書き手トップに居座っているからではない。

 だが西尾幹二は、この事実を知って、「半藤一利や保阪正康や立花隆をトップ執筆者にしているから、文藝春秋社は朝日新聞化した」と、因果関係を逆立ちさせる(264頁、注6)。共産党系の半藤/保阪や全共闘系マルキスト立花を攻撃標的にすることによって、西尾幹二自身が彼らと対極の「保守」であるかに産経読者に錯覚させるための、西尾常套のトリック詐言術である。

第二節 “皇后殺し”未遂の“北朝鮮人”田紀凱の、もう一つの犯罪と証拠

 さて、文藝春秋社の話に変わる。かつて文藝春秋社は、「菊池寛→池島信平→田中健五」と、基本的には“反共”or反共シンパが社長になっていた。反プロレタリアート文学が会社設立の原点だったことを思えば、これが本来の文藝春秋社の姿。が、1995年2月に田中健五が社長を退陣した後は百八十度ひっくり返り、共産党員が社長になる極左出版社に変貌した。

 田中健五が退陣を強いられたのは、『マルコポーロ』誌の編集長・花田紀凱が、同じ血統である北朝鮮人・某精神科医と意気投合して、「ヒトラーはユダヤ人大量虐殺=ホロコーストをしていない」「アウシュビッツにガス室は無かった」と、卒倒するほかない真赤の偽造歴史をぶち上げた記事を掲載し、国際問題に発展したからである。

 『マルコポーロ』誌の編集長を即刻馘首された田紀凱は、翌1996年、朝日新聞の北朝鮮人友人の伝手で、朝日新聞社に移り、その女性誌『uno!』の編集長になった。雑誌名『uno!』はコリアン「神田うの」の「うの」からとり、創刊号の表紙もグラビアも上半身がほぼ裸か完全裸のコリアン木村拓哉だった。

 どういうわけか田紀凱は、この創刊号を私に送ってきた。思い出すと『マルコポーロ』誌もすべて送ってきていた。田紀凱が、『週刊文春』での皇后陛下へのデッチアゲ記事での“不敬の人身攻撃”を反省し、「反・皇室を止めました」と、日本の皇室への恭順を表わす行動だと、私は誤解した。

ヒトラーは、北朝鮮人の田紀凱/福田和也と北朝鮮人化した西尾幹二の三人が共同崇拝する「神」

 さて一般論だが、「在日北朝鮮人が、金日成の次に崇拝するのは、スターリンとヒトラーとルソーである」。現に、日本におけるヒトラー崇拝者は、九割が在日朝鮮人である。本田勝一もそうだったし、筑紫哲也もそうだったと聞く。マルコポーロ事件のお蔭で、イデオロギーにおける「花田紀凱=本田勝一=筑紫哲也」の構図が、奇しくも1995年春、視野に入ってきた。

 『uno!』創刊号や『マルコポーロ』誌の贈呈でまんまと騙されていた私は、1995~6年、「花田紀凱は、ヒトラー崇拝は止めないが、反・皇室は止めたんだ」と勝手に思い込んでいた。が、この錯誤は、2005年の原稿詐取事件と2008年の『皇太子さまへの御忠言』出版で、誤解も誤解、誤解も度がすぎたと覚り、私は臍を噛んだ。2005年12月になってやっと私は目が覚め、花田紀凱とは正しく本名の「田紀凱」で呼ぶべき恐ろしい「在日」犯罪者だと、痛い体験を通じ再認識した。

 日本のヒトラー崇拝の巨魁西尾幹二が、「ヒトラーはユダヤ人を殺さなかった」を信奉する北朝鮮人・田紀凱と刎頸の同志となって、2008年、「皇太子さまへの御忠言」を『WiLL』誌に四回連載し(五月号から九月号)、“(次期)皇后陛下殺し”での天皇制廃止革命を決行した。アナーキスト両名の結合は、ヒトラー崇拝という赤黒い紐で強く結ばれた天皇制廃止革命の関係だともいえよう。国家破壊におけるアナーキストの怖さは、コミュニストと変わらない。

 さて2005年秋に、「在日」の犯罪朝鮮人らしく田紀凱が私を襲った“犯罪=事件”について語るとしよう。私が原稿用紙で1100枚を越える皇位継承学三部作を一気に書いている途次、第二弾の『女性天皇は皇室廃絶』についてはワック社で直ぐ出版したいと、田紀凱がオリジナル原稿をそっくり盗んで隠匿した原稿詐取事件である。

 この原稿が詐取されてから丸半年もの間、私は少なくとも十数回は、ワック社に電話をかけた。当然、返事するよう伝言を頼んだが、花田は一貫して「居留守」と「無返事」で、丸半年間もいっさい音沙汰がなかった。花田は原稿をもっていったきり、丸半年間、私への連絡を断固としてしなかった。

 女性天皇・女系天皇で天皇制廃止が実現すると狂喜乱舞していた「在日」田紀凱は、「女性天皇・女系天皇に絶対反対」の私の本の出版妨害を当初から計画し、私の原稿を窃盗的に詐取したのである。

 2005年末、すでに二ヶ月間も音沙汰が無ければ、皇后陛下「失声症」の“極悪テロリスト”花田紀凱の過去の犯罪歴を誰でも思い出す。別の出版社に偶々コピーしていた写しの原稿を急ぎ渡し出版を進め、2006年2月に出版。それから一カ月後の3月、田紀凱は突然、次の手紙と共に原稿を返却してきた。原稿詐取事件で私が所轄警察署に被害届を出す準備をしているのを耳にしたようだ。

 手紙の内容は、朝鮮人特有の創り話と屁理屈が延々と書き連ねているだけ。花田紀凱は350枚の原稿を一頁も読んでもいないし、捲ってもいなかった。本ブログの読者が、嘘つき「在日」朝鮮人に騙されない習慣を形成する参考に供すべく、田紀凱のアクドイ手口とコリアン流の言訳を公開しておきたい。

花田紀凱の刑法犯罪『週刊文春』記事(一部)について

 1992~4年、一般の日本人と自民党は、すでに二年前後が経つのに、幼児のごとく興奮未だ醒めやらずで、(日本国自身はソ連崩壊に何一つ貢献していないに)ソ連邦崩壊に狂喜し続けていた。が、共産党を中心に、革マル派の部落も中核派や社青同の「在日」北朝鮮人たちも、一般日本人と自民党が油断している隙をついて、一気に共産革命を進めることに全力をあげていた。私は大学に在籍していたので、共産党員教授や中核派教授たちが小人数で集まっては学内のあちこちでヒソヒソ密談や謀議をしているのを間接的に耳にすることができた。

 その中で、最も多かったのは、「ソ連共産党独裁体制でのソ連経済が崩壊したからといって資本主義が優れた経済体制とは言えないと実証しようよ。日本人の能力を二ランク下げる学的劣化をさせ、勤勉性を喪失させれば、日本経済は自壊し《資本主義はダメだ》の証明になる」という革命プラン。「ゆとり教育」や「国民祝祭日の世界標準三倍」「働き方改革」は、このアジェンダの一環である。

 二番目から四番目は省略。第五番目に多かった彼らの密議は、「天皇制は消滅できる」であった。具体的なやり方は聞き取れなかった。1993年秋に『週刊文春』で、コリアン田紀凱の過激な皇后陛下攻撃キャンペーンを目にした時、これも、筑波大学のあの赤い教授が自信をもって語っていた「天皇制は消滅できる」の一つなのかと思った。

 “皇室テロリスト”花田紀凱が、当時五十万部を超えて売れていた『週刊文春』でデッチあげた真赤な嘘キャンペーンには、「美智子皇后のご希望で昭和天皇が愛した皇居自然林が丸坊主」(1993年9月23日号)、「天皇・皇后両陛下は、自衛官の制服がお嫌い」(1993年9月30日号)、など。

1、アナーキストは、日本では大きくは二つに分類される。第一群は、無政府主義アナーキズムで、社会・国家の無法化である。「幸徳秋水→大杉栄→大川周明→松本健一/西部邁」は、ここに分類される。第二は、国家亡国主義アナーキズムや国家廃滅主義アナーキズム。前者には林房雄、後者にはドゥルズ系の福田和也/磯崎新/浅田彰あるいはデリダ系の東浩紀、そしてニーチェ・ヒトラー系の西尾幹二らがいる。ドゥルズ系やデリダ系を「ポスト・モダン」という。これ以前を「プレ-ポスト・モダン」という。

 西尾幹二が“アナーキスト同志”で極左の福田和也を「坊ちゃん保守」だと逆さ嘘ラベル「保守」を貼ったのは、福田和也が“日本廃滅狂の超・アナ―キスト”である事実がバレると、自分の真像アナーキストもバレてしまうので、それを防止するための援護煙幕であった。

 大東亜戦争肯定論は、この国家廃滅を是とする祖国憎悪アナーキズムに基づく主張。大東亜戦争肯定論者は、今ではほとんどが「在日」北朝鮮人ばかり。大東亜戦争肯定論者に出くわしたら、北朝鮮人だと即断してほぼ間違わない。西尾幹二や椛島有三らは、日本人血統の“北朝鮮人化した非・日本人”。これは、対中/対ソの売国奴だった田中角栄に傾倒する石原慎太郎にも当て嵌まる。石原慎太郎には愛国心が全くないが、非・日本人化している以上、自明。

2、『論争ジャーナル』1967年12月号の17頁に、「ここでいっぺん“空無(=天皇制度を廃絶すること)”になっていいんじゃないか」「日本人は徹底的なニヒリズム(=天皇制度を消滅させること)の中に一度立つべきなんだ」「天皇制も廃止してしまえばいい」と、西尾幹二は主張している。

3、『正論』2002年3月号。

4、西部邁はブンド出身のマルクス主義くずれアナーキストで、ニーチェ・ヒトラー型廃墟主義アナーキスト西尾幹二とは、五十歩百歩以上に近似する。ほとんど同一に分類するのが学術的。私は1990年代前半、西部邁に「あなたはアナーキストですよね」と質問したことがある。西部邁は「中川さんは本当に鋭いネ。その通り、僕はアナーキスト。しかも病的なアナーキストで、実は・・・・・」と、十五分ぐらい詳細に自己診断を説明した。

 私はこれを黙って聞きながら、西部邁という人間は真正直だと感心した。西部邁に対して「反米主義」を含めその極左思想は許しがたいが、私が西部邁批判を決してしないのは、「正直」という道徳を多少でも見せた西部の人間性に対する敬意に基づく。

 刑法自殺幇助の罪を被っても西部邁の自殺に協力したのが二名いると聞いたとき、これは西部の人徳/人柄が産んだ悲劇だと思った。松本健一/福田和也/西尾幹二/花田紀凱/長谷川三千子など、日本国の基盤に猛毒の腐食液を注入して崩壊せしめる“黒いアナーキスト軍団”は大嘘付きばかり。反・道徳の道徳破壊者ばかり。比して、かれらと同じ日本国に有害な極左暴力革命家だが、西部邁は稀有な正直アナーキスト。ご冥福を祈る。

5、連載「戦争史観の転換」第一回は、『正論』2013年5月号。私の手許には、2014年12月号の第三章②まである。その後のは、あるのだろうか。また、この連載を西尾は投げ出してもう書かないのか、or最後まで書き上げるつもりなのか。『正論』編集長は、これにつき釈明したのか。

6、「左翼リベラル《文藝春秋》の自滅」『正論』2018年10月号。“極左アナーキスト”西尾幹二が、「俺は極左だが、なぜ自滅しないか。要領がいいんだ」と、自分の狡猾さの自慢話でもある。

(参考1)ミュンヘン大学を叩き出された西尾幹二は奨学金「1千5百万円」不正受領

 西尾幹二の著に、ほぼ一冊も売れなかった『私は毎日こんな事を考えている』がある。その15頁で、西尾は「私の最初の留学(1965~67年)は・・・・・。そのころ私の給与(東大文学部助手?)は1万5千300円、ドイツ政府の私への支給額は月額5万5千円、・・・」と記述。だが、西尾幹二は、国立ミュンヘン大学哲学部から、留学して一週間もたたず「醜悪な猿顔め!」「背が低い下層階級め!」と叩き出され、留学していない。西尾は、当然、日本に帰国しなければならない。が、小学生の時から抜きん出た犯罪性を発揮する西尾は一計を案じ、バイエルン州立ミュンヘン図書館に二年間通って、“留学している演技をする(=騙し、詐欺)”ことにした。

 つまり、西尾が手にした「5万5千円×24ヶ月=132万円」は不正受給である。現在の東大助手の初任給を18万円だとすれば、この「132万円」は現在価額で「1553万円」となる。西尾幹二は「1553万円」を詐取したのである。

 尚、西尾幹二の数百冊に及ぶ著作の「プロフィール欄」に、一つとして「ミュンヘン大学」も「哲学部」も記載されていない。留学していないので記載できないからだ。当然、ミュンヘン大学の指導教授名はどこにも無い。いないからだ。国書刊行会の「全集パンフレット」に、留学中のステータス(身分)は「研究助手」とある。大嘘付き西尾幹二らしい“学歴詐称”。大学に留学していないのがどうして「研究助手」か。ドイツ語で学術的討論ができないのがどうして「研究助手」になれる? ニーチェ哲学が完全チンプンカンプンの“スーパー哲学音痴”のお馬鹿がどうして哲学部の「研究助手」になれる?

 また、西尾が不正受給した奨学金は「ドイツ政府から」とあるが、これも虚偽だろう。民間団体の奨学金のようだ。

(参考2) 西尾幹二を産んだ虎ノ門事件と花田紀凱を産んだ桜田門事件

1、虎の門事件

 1923年12月27日、河上肇系の共産主義者・難波大助(長州藩士の次男、日本人)は、摂政宮(のちの昭和天皇)を虎ノ門付近にて、散弾銃で近接狙撃。命中せず。刑法不敬罪第73条にて1924年に死刑。公判で難波大助は、「日本共産党万歳!」と叫んだ。「ロシア社会主義ソビエト共和国万歳!」とも叫んだ。

 昭和天皇を銃殺し日本人男児二千万人を餓死・戦死させ、産業を含め日本国の全て(日本国民は奴隷として)をスターリンのソ連に献上することが戦争目的だった“祖国に大叛逆する狂気”大東亜戦争を逆さにも賛美する「ロシア崇拝教」の狂信者であることにおいて、西尾幹二もまた「ロシア社会主義ソビエト共和国万歳!」狂である。

 次期皇后陛下殺しを狙った“テロ本”『皇太子さまへの御忠言』と、西尾もまた異常なロシア崇拝教の狂信者であることを総合的に勘案すると、1935年生の西尾幹二とは、1924年処刑の難波大助のクローンであろう。難波大助が死刑なのに、そのクローン西尾幹二がのうのうと生き続けて有害な真赤な嘘歴史を垂れ流す事態は、日本国の法的正義と道徳を腐食させ死滅させる。

 これからの日本で「第二の西尾幹二」「第三の西尾幹二」が、腐ったイワシに集る蝿のごとく大量発生しないよう、刑法不敬罪を急ぎ復活させねばならない。本件については、当該ブログに既発表の「刑法不敬罪の四ヶ条を復活せねば、皇室の安泰は赤信号」「“不敬の罪人”西尾幹二と加地伸行は産経「正論」メンバー」を再読されたい。

2、桜田門事件

 1932年1月8日、朝鮮人・李奉昌は、昭和天皇が座乗される鹵簿(ろぼ、御料馬車)だと誤認して、その三十二メートル前を走る宮内大臣・一木喜徳郎の馬車に手榴弾を投げつけた。手榴弾の威力が小さく馬車は軽微の損傷を受けただけだった。が、天皇殺害のテロ未遂であることに変りはなく、刑法第73条の規定に従い、李奉昌は同年10月に死刑執行された。

 精神的に皇后陛下を追い詰め、(ご不例による崩御の形で)殺害せんとした北朝鮮人・花田紀凱は、誰が見ても明らかに朝鮮人・李奉昌と同罪。花田紀凱が死刑に処されていないのは、道理にも正義にも反しよう。刑法不敬罪第73~76条は急ぎ復活されねばならない。本件についても、上記のブログ論考を再読されたい。

3、刑法不敬罪

 第73条 「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子または皇太孫に対し危害を加え、または危害を加えんとしたる者は、死刑に処す」

 第74条、第75条、76条は、略。

                                       (2018年11月3日記)

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