ワック社社長・鈴木隆一は、“不敬の狂書”『皇太子さまへの御忠言』の責任をとって皇居前広場で自死決行か?

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筑波大学名誉教授   中 川 八 洋  

 刑法から不敬罪が、終戦後のどさくさで削除された。この削除の主導者は、本当にGHQなのか、実際は日本側でないのか、の真相解明の論文が一本もない。日本側が実態上の主犯なのに、「GHQが主導し、日本側はやむなく」とその責任をGHQに転嫁したのが、真相ではないだろうか。  

 が、このような削除に至る歴史経緯の解明は、問題としては二の次であろう。なぜなら、問題の第一は、GHQが消滅した1952年4月末以降に直ぐ、日本はなぜ、この刑法不敬罪を復活しなかったのかの方だからである。以来、すでに六十五年以上の歳月が経つ。が、刑法不敬罪の刑法への復活問題は、運動も起きないし、私一人を除いて声すら全くない。

 安倍晋三は、「戦後レジームの脱却」などと、心にもない真赤な選挙用嘘宣伝に勤しむ。が、むろん“口先男”安倍晋三の頭の中には、「戦後レジームの脱却」などつゆほども存在しない。GHQの消滅以前から日本国民の大多数が悲願とした、「戦後レジームの脱却」の筆頭「“GHQの置き土産”憲法第九条を破棄して、主権国家の精髄たる国防軍設置を明記しよう」すら、安倍晋三はボロ雑巾のようにポイ捨てしたのは、この何よりもの証拠。

絶版は当然。ワック社の閉鎖も当然。鈴木隆一の責任の取り方は自死するか否か。

 戦後日本における不敬事件は、論壇に限って言えば、四つある。第一は『中央公論』誌上の「風流夢譚」事件。第二が花田紀凱(北朝鮮人、地球放浪型アナーキスト)の『週刊文春』事件。第三が、凶悪な北朝鮮人たちが日比谷公会堂で敢行した『週刊金曜日』主催の寸劇事件。第四が『WiLL』誌で執拗に展開した、“廃墟狂アナーキスト”西尾幹二が花田紀凱と組んでの、皇太子妃殿下に対する罵詈讒謗事件。  

 西尾幹二と花田紀凱とが共同正犯の“平成の重大不敬事件”に関して、掲載誌『WiLL』とその単行本の発行者であるワック社・社長の鈴木隆一は、従犯の犯罪者であることを免れることはできない。刑法不敬罪があれば、西尾幹二/花田紀凱/鈴木隆一は同時に逮捕されている。  

 西尾幹二の“不敬の狂書”『皇太子さまへの御忠言』(注1)や“前代未聞の妄想”「《小和田王朝》キャンペーン」(注2)については、アナーキスト深沢七郎の「風流無譚」事件の延長上で捉えるべきで、平成時代におきた突飛な一過性の事件と見做してはならない。いや、「風流無譚」事件の枠組でも視野狭窄的にすぎるだろう。やはり、西尾幹二の「不敬の狂書」事件は、1910年の幸徳秋水の大逆事件の延長上で俯瞰的に捉えるべきが学術的には妥当なように思える。チャートにしておこう。

 幸徳秋水の大逆事件(1910年)→深沢七郎「風流夢譚」事件(1960年11月10日発売の『中央公論』誌)→花田紀凱「週刊文春」事件(1993年)→『週刊金曜日』の本田勝一/佐高信/永六輔ら「日比谷公会堂寸劇」事件(2006年11月)→皇太子妃殿下に対する西尾幹二の罵詈讒謗事件(2008年3~9月)。  

 幸徳秋水は死刑となった。1960年11月から潜伏して住所不明となった深沢七郎の代わりに、中央公論社社長の嶋中鵬二宅が襲撃され(翌1961年2月)、家政婦が死亡し、嶋中社長の妻が重傷を負った。しかし、西尾幹二は、『皇太子さまへの御忠言』出版後も死刑にもならず、死亡もせず、ぴんぴんして有害限りない真赤な嘘八百評論を続けている。杉並区善福寺では火災は発生しなかった。 本来なら刑法犯罪者として数年間の服役を免れえないワック社の鈴木隆一社長もまた無傷で、何らの被害も受けていない。

 幸徳秋水や深沢七郎と比較するに、無可罰・無被害という西尾幹二/鈴木隆一への無罪放免ぶりは余りに度が過ぎている。重大不敬事件を侵した同種の犯罪人に下されるべき天誅で、両者の間でこれほどまでの差異は、われわれに何を突き付けているのか。天皇・皇室の聖性擁護と皇統護持を信条とする愛国者が、平成時代に入るや、一気に日本中から激減した/消滅したという事実であろう。つまり、現今の天皇制度の基盤が崖崩れのように崩壊してしまった危機的情況はすでに一線を越え、震撼では済まされるレベルではないことが風雲急なるを告げている。  

 もっと具体的に言えば、1960~1年の嶋中鵬二社長と2007~16年の鈴木隆一社長との身体上の危険に関する決定的な相違は、いずれも刑法不敬罪が欠如した同じ法的情況下におけるものだから、日本人の皇室護持の精神が「漲っている」時代から「萎えてしまった」時代に移行した証拠。現に、前者では17歳の少年は懲役十五年という自らの人生喪失を犠牲にした。一方、西尾幹二や鈴木隆一の犯罪に対して、懲役三年程度の自己犠牲を厭わない日本人は一人もいなかった。  

 なお、日本における天皇制度廃止革命運動は、上記のチャートが示すアナーキストたちが蛮行する天皇・皇族に対する物理的・言論的テロ(附記)と、スターリンの命令「コミンテルン32年テーゼ」を今なお強度に狂信している共産党・朝日新聞のコミュニスト革命との、二つがある。大まかには、後者が日本の天皇制廃止革命の約85%を占め、前者が残りの15%程度を占めると考えておけばよい。西尾幹二も一翼を担う、幸徳秋水からのアナーキズムについては、論文掉尾の《附記》で概説する。

“名誉毀損の法理”は、天皇・皇族の聖性・尊貴性擁護の“不敬の法理”を代替しない

 刑法不敬罪の復活が現実的には困難であるなら、国民がそれを“不文法”に扱えばよいのである。 不文法であって明文法律ではないから、英国と異なり日本のドイツ系法治主義においては、不敬罪を警察や検察が取り締まる任務とはしない。つまり、国民が勝手に法律に準じるとして遵守と自主的な実行をする“半・不文法”にしかなり得ない。が、“半・不文法”でも、無いよりましである。

 なぜ、このような臨時措置をしなければならないか。理由は二つ。第一は、不敬罪の廃止に伴い、 それを代替させるとした刑法232条第二項が、実態的には完全に死文と化し、実態上、日本では天皇・皇族の名誉すら擁護する法制上の制度が完全に消失しているからである。

 第二は、名誉を毀損から擁護する法律では、天皇・皇族の聖性や尊貴性を護ることはできないからである。なぜなら、“名誉毀損罪の法理”と“不敬罪の法理”は異次元的に異なっており、前者は後者を代替できない。特に、名誉毀損罪の名誉は一般国民の「名誉」「信用」のみを想定したもので、天皇・皇族に適用すること自体、初めからナンセンスである。天皇・皇族に対して、日本国が国家として日本国民が国民の義務として守らんとするのは、その名誉ではない。あくまでもその聖性であり、その尊貴性である。「名誉」が「聖性・尊貴性」と同種のものでないのは自明だが、それ以上に両者は全く異次元で異質であるのはもっと明白なことではないか。

 つまり、刑法第73~6条の不敬罪を削除して、その代替として刑法第232条第2項で代替できるとした1947年の刑法改悪は詭弁の極みでなされた蛮行であって、天皇制度への軽視や廃止の悪意なしには行われることはなかった。

 しかも、代替できるとした刑法第232条第二項は、死産の胎児と同じで、産まれと同時に屍の死文であった。1960年12月号『中央公論』誌上の短編小説「風流無譚」に対して、時の内閣総理大臣・池田勇人は、刑法第232条が定める「総理大臣が刑事告訴する」を全面的にサボタージュした。

 “凶悪な北朝鮮人アナーキスト”花田紀凱は、『週刊文春』編集長の権限で1993年秋から初冬にかけ連続して、皇后陛下に対して精神的に苦痛を与える犯意あらわに、真赤な捏造記事を数回に亘ってキャンペーンした(注3)。このため、皇后陛下が失声症という重い御病気に罹患された。が、総理の細川護熙は、花田紀凱に対し、名誉毀損の刑事告訴を行わなかった。

 次は、論壇誌『週刊金曜日』が主催した札付きの凶悪「在日」朝鮮人たちによる日比谷公会堂での寸劇で、ご誕生されたばかりの悠仁親王殿下を“猿の縫いぐるみ”に見立て、これを投げ捨てるという、日本人ら誰しも絶句し卒倒する凄まじきものだった(注4)。だが、安倍晋三・総理は見て見ぬふりをして、刑事告訴しなかった。安倍には(天皇制廃止という狂気はないが)皇室尊崇の信条はない。

 さらに、花田紀凱やチャンネル桜ほか北朝鮮人たちと異常な同志関係を持つように、凶悪な「在日」北朝鮮人に自己改造した“ウルトラ・アナーキスト”西尾幹二は、この花田と共謀して、皇太子妃・雅子殿下のご病気を揶揄し罵詈雑言を投げつける『皇太子さま(次期天皇陛下)への御忠言』を、『WiLL』誌に連載し、直ちに単行本にし出版した。だが、総理の福田康夫も麻生太郎も、西尾幹二を刑事告訴しなかった。

表1;完全に死文化した、天皇・皇族への戦後刑法の名誉毀損罪

 このように、刑法第232条第二項は完全に死文化しており、無きに等しいというより、存在していない。つまり、刑法に不敬罪を復活させる以外に、天皇や皇族の聖性・尊貴性はむろん名誉すら守ることはできない。しかも、次のたった一行の条文の法律を制定すれば済むのに、歴代の自民党内閣は、この天皇・皇族の聖性や尊貴性の擁護に何らの動きも見せなかった。

「旧刑法の第七三~七条を復活させる。カナは、現代仮名遣いに改める」

 また、この立法は、憲法改正のように国会議員の三分の二を必要とするものではなく、過半数で済む。まさに、数日あれば衆参両議院を通過せしめることができる実に簡単な立法である。さらに、これこそ、安倍晋三のいう「戦後レジームの脱却」。だが、安倍晋三は、関心を示すことすら一切ない。

鈴木隆一は自死を(2019年5月1日の)徳仁《新天皇陛下》の受禅・践祚前に実行か!

  さて、話をワック社の社長・鈴木隆一に戻すとしよう。鈴木隆一が今直ぐに、“平成の幸徳秋水”西尾幹二の『皇太子さまへの御忠言』を絶版にして、中古販売店を含め店頭にあるのはすべて回収しなければならないのは言うまでもないこと。いや、これほどの不敬事件である。それだけで済ますことはできまい。やはり、ワック社それ自体に対して自ら営業停止処分=閉店を課すべきであろう。  

 いや、これでも十分に罪を償ったことにならない。われわれ一般国民は、不文法として生きていることにした旧刑法不敬罪に照らして鈴木隆一を裁かねばならないし、鈴木隆一も自ら“不文法”旧刑法不敬罪が生きているとして、自らを処断しなければならない。鈴木隆一の罪は、ワック社発行の雑誌における2008年の西尾幹二の一連の著作だけとは限らない。

 それに加えて、西尾幹二は、『WiLL』2009年10月号で橋本明を相手に、皇太子殿下が践祚即位されれば、「それは小和田王朝の誕生となる。神武天皇以来の日本の皇室ではない」と、悪質も度の過ぎた天皇制廃止キャンペーンを開始した(注2)。鈴木隆一は、この不敬事件にも加担した、名実ともに恐ろしい犯罪者である。

 また、花田紀凱がワック社を去った直後の『WiLL』2016年6月号は、西尾幹二の「いま再び、皇太子様に諫言申しあげます」を掲載した(注5、4月26日発売)。これは“毛沢東系の隠れマルキスト”加地伸行との対談の形で、皇太子殿下・妃殿下に対しあらん限りの罵詈雑言と中傷誹謗を行っている。この重大な不敬犯罪に社長の鈴木隆一が責任を負っていることは言を俟たない。

 要するに、これら2008~16年の八年間に及ぶワック社の犯した重大な不敬事件については、後述の理由により“刑法第75条で処断されるべき”だから、鈴木隆一は自らをそう処すべき時にある。来年には皇太子殿下は新天皇に受禅・践祚されご即位されるから、鈴木隆一が自らに科す処断は平成30年中であるべきは常識。刑法第75条は「皇族に対して危害を加えたるものは死刑に処す」と定めている。

 西尾幹二が八年間に亘ってなしてきた皇太子殿下・同妃殿下に対する執拗な罵詈雑言の誹謗中傷は、それが両殿下に対する身心の苦痛を与え、生きる意欲さえ喪失させる“ご病気”を発症させる意図と計画に基づくものであるから、刑法第76条の「皇族への不敬」ではなく、正しくは刑法第75条の「皇族への危害」と認定されねばならない。しかも、2008年だけで罵詈讒謗が終わっていれば、“西尾幹二が主犯、鈴木隆一は従犯”とも解されるが、2016年に至る丸八年に及んだことにおいて、社長・鈴木隆一が従犯とは言えず、西尾幹二と共同正犯と見做すのが妥当であろう。鈴木隆一の自死の決行はかくも不可避であり、その場所は皇居前広場となるのだろうか。

1、ワック社の雑誌『WiLL』2008年5、6、8月号(発行は、3月末~6月末)。ワック社からの単行本出版は9月。

2、次期天皇の皇太子殿下の践祚・即位を中傷誹謗するための、“荒唐無稽な妄想”「小和田王朝」キャンペーンには、「雅子妃の御病気と小和田王朝」『WiLL』2009年10月号などがある。このキャンペーンを、西尾は他の媒体でも徹底的に展開した。例えば、『週刊新潮』では、2012年2月23日号の「雅子妃をスポイルした国際司法裁判所判事・小和田恒」など。

3、『週刊文春』の真赤な嘘の捏造記事には、「美智子皇后のご希望で昭和天皇の愛した皇居自然林が丸坊主」(1993年9月23日号)、「天皇・皇后両陛下は、自衛官の制服がお嫌い」(1993年9月30日号)など。

4、『週刊新潮』2006年12月7日号。

5、『WiLL』2016年6月号。これに対する私の批判は、2016年7月の本ブログ記事でしておいた。

(附記)日本の天皇制廃止革命の一翼を担うアナーキストの、その二系列

 日本では、左翼思想を研究する学者・専門家は少ない。かつては、共産主義思想の研究者が大学に僅かばかりいたが、今はそれすら消えた。アナーキズムについては、プルードンやバクーニンなどを研究した政治思想系の学者が若干名いたのを記録するのみで、日本に特定したアナーキズム思想についてはほとんど皆無だったと言えるだろう。

 日本におけるアナーキズム思想は、大きく分けて「無政府主義アナーキズム」と「廃墟主義アナーキズム」の二つがある。それぞれをチャートにしておく。

1、無政府主義アナーキズム

中江兆民(ルソー)→幸徳秋水(クロポトキン)→大杉栄/伊藤野枝/大川周明→松本健一/関岡英之(北朝鮮人)/佐藤優(ロシア対日工作員、父親は北朝鮮人)

(備考)大川周明は、廃墟狂ではないが、彼の著書『日本二六〇〇年史』が明らかにするように、レーニン『帝国主義論』に従った日本国消滅を目指す国家廃滅主義者の顔も覗かせている。幸徳秋水的な無政府主義アナーキストから、アジア共産化を通じて日本国の消滅というポスト・モダン系アナーキストへと移行を模索する初期的な思惟を垣間見せる。

2、国家廃滅/廃墟狂アナーキズム・・・「ポスト・モダン系アナーキズム」もいう

保田與重郎(ヘルダーリン)/山本五十六→磯崎新/西尾幹二(ニーチェ/ヒトラー)→福田和也(ドウル ーズ/ハイデカー/ヒトラー、北朝鮮人)/浅田彰(ドウルーズ)/東浩紀(デリダ、北朝鮮人)

 「廃墟主義アナーキズム」については、日本ではこの学術用語すらいっさい教育されないし、一般人を対象の啓蒙書すら一冊もない。ために、日本人は、この用語自体を知らないし、当然、その意味も内容も全く知らない。本ブログの読者はまず、廃墟主義についての基礎知識を学んでほしい。

 その方法として、まずは、廃墟建築学や廃墟美学に関わる著作や写真集などを一瞥するのが手っ取り早い。簡便なものとして、谷川渥『廃墟の美学』、谷川渥編『廃墟大全』、磯崎新『UNBUILT/反建築史』、佐藤健寿『世界の廃墟』、ヨウスケほか二名『美しい日本の廃墟』等を推薦しておこう。

 ポスト・モダン建築家として世界的に有名な磯崎新の代表的な廃墟建築は、「つくばエクスプレス鉄道」終点にある「つくばセンター」だから、誰でも見学できる。筑波第一ホテルの最上階レストランから「つくばセンター」を見下ろすと、瞬時に“廃墟”建築とは何かを理解できる。我々正常な人間にとっては、幽鬼が潜む廃墟を感じてぞっとするばかりで気持ちが悪い。が、磯崎新や福田和也には、これこそが美の桃源郷なのである。  

 西尾幹二と磯崎新は同じ精神病を罹患するのに、その狂気の発露は異なる。磯崎は廃墟の最終状態がすべてだが、西尾にとってこの廃墟に至る「人間大量殺戮→無人化」の血塗られた過程がすべて。雑誌『正論』に連載していた西尾幹二『戦争史観の転換』は、中南米にわずか数%が生き残った純血インディオに対して、九割以上を占めるスペイン人との混血やヨーロッパからの移民への “インカ帝国等を破壊された報復として虐殺的な殲滅戦の武装蜂起“を呼びかける血生臭いモチーフの著作。ヒトラーはユダヤ人が大量殺戮されていく過程を快楽したが、西尾幹二もまた中南米が血に染まり無人の地となるのを見て快楽したい“廃墟狂アナーキズムの悪鬼”と言えるだろう。

 実際には、これら少数民族の純血インディオが、仮に西尾のこの煽動に従えば、反撃されて絶滅に至る。が、逆襲されて血塗られた惨殺の光景が中南米で繰り広げられること、それ自体が、人間の大量殺戮を快楽する重度の分裂病を病む“廃滅狂の狂人”西尾幹二が求めるものであろう。『戦争史観の転換』のモチーフとは、このように血生臭い。

 なお、西尾幹二は『戦争史観の転換』を最後まで書くのだろうか? 知っている方がいたら、是非とも教えて欲しい。私は、「西尾幹二の『戦争史観の転換』が描く狂気・妄想上の終末郷(ディストピア)は、中南米を人っ子一人いない荒漠たる無人の廃墟」だと証明する論文執筆を数年前から準備しているのだが、この執筆計画を今後も維持してよいかどうか迷っている。      

(平成30年1月4日記)

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