西尾幹二“狂悪な皇族讒謗”『皇太子さまへの御忠言』に始まる対女性皇族「残忍な罵詈暴言」大暴風は、天皇の自主的な退位/即位辞退に追い込む共産革命戦略──西尾幹二を危険人物視したミュンヘン大学「退学処分」の千里眼

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋                         

 本稿は、前稿「眞子殿下に対し残虐な悪罵を投げつけた“赤い暴走機関車”保阪正康」に続き、限度を超えた、日本における皇族への罵詈讒言の荒れ狂う大暴風をいかに食い止めるかについて、真正の日本国民に向かって、剣を抜いて決起せよと喚起するもの。なお、この方策として、刑法不敬罪の復活以外のいかなる措置も何の効果もないことは、1993年と2008年の大不敬事件が証明済み。

 むろん、何故このような女性皇族を標的とした罵詈雑言の嵐が政治的に発生しているかの、その発生源の意図を暴くことも、本稿の目的。

 秋篠宮殿下と宮内庁長官とが現在考えている(11月30日の記者会見での、殿下のご発言)、中傷誹謗に対しては宮内庁が適宜反論する制度など、竹馬に乗ったナンセンス。「100%事実無根の中傷誹謗」ですら、刑法上の加罰以外では止める効果は存在しない。

 しかも、一般国民への偽情報心理戦で嘘をふんだんに刷り込んでいる、これら中傷誹謗は、一部には必ず事実を織り込む。日本共産党が主導するテレビ報道や雑誌記事の中傷誹謗には、平均すると「30%の事実」が挿入されている。情報心理戦学ではこれを「三割事実、七割嘘」戦術という。このような嘘宣伝に対し、ずぶの素人である宮内庁の国家公務員に、対処(=反論)など全くできない。

 一方、ヒトラー/ゲッベルス/レーニン/スターリンなどの、対国民洗脳術に精通する偽情報心理戦対策の専門家=大学教授は、(日本で現存しているのは)全国の全大学を隅々まで洗いだしても私一人しかいない。それなのに、これまで宮内庁から誰一人として私の門戸を訪ねた者はいないし、これからも来ないだろう。今般も、秋篠宮邸から誰一人、私のところに相談には来ていない。無能者集団は三百年経っても無能者集団であり続けることが、秋篠宮殿下にはお分かり頂けない。

 共産党が背後で操る、現在の対皇室讒謗キャンペーンから女性皇族を護る唯一の方策は、刑法不敬罪の復活のみ。一億国民は、「刑法不敬罪を復活せよ」と大音声の大声を上げて頂きたい。

第一節 皇室讒謗“赤魔”「花田紀凱→西尾幹二→河西秀哉/保阪正康」

 “世界史上の大天皇”昭和天皇の崩御を待って、平成時代に入ると、共産党の天皇制廃止革命が本格化した。これは二つの梯団から構成され、いずれの軍勢も、勢い余って凄まじいものとなった。

 第一梯団は、1999年6月に成立した男女共同参画基本法(ジェンダー平等法)をスプリング・ボードにした女性天皇・女性宮家(養子論を含む)/女系天皇という、自然的に天皇制廃止が到来する“悪魔の制度”づくりに大暴走を開始した。仁川産コリアン4世・小泉純一郎が2004~6年に全力疾走したからだ。が、悠仁親王殿下のご誕生でいったん挫折した。

 が、民主党の野田佳彦首相が2012年、燃えカスに火をつけた。それでも民主党政権がぽしゃり、ほっとけば消えたはず。ところが、この“反・宮家”「女性宮家」づくりを、再び政府の仕事に復活させたのが共産党員・菅義偉官房長官と北朝鮮人アナーキスト茂木敏充。両名は、2018年成立の退位特例法に付帯した決議「女性宮家の検討」を、自民党が多数を占める国会で通過させた。

 第二梯団は、北朝鮮人テロリスト花田紀凱の1993年皇后陛下「失声症」傷害事件に始まり、2005年の奥平康弘による理論化と2008年の西尾幹二の実践で集大成された。前者が、天皇に“退位自由”と“即位辞退の自由”の人権を保障せよの甘言誘惑での天皇制廃止論を唱道した奥平康弘の著『万世一系の研究』。後者が、皇太子殿下への凶悪な脅迫「天皇即位を辞退しろ」を爆発させた、2008年の西尾幹二の“狂書”『皇太子さまへの御忠言』。

 そして、この偽情報心理戦での天皇制廃止に稀代の才を発揮する西尾幹二の大活躍から、その後継者として、河西秀哉と保阪正康とが誕生した。『週刊文春』『週刊新潮』は今般、眞子殿下に集中砲火で中傷誹謗の砲弾を四年に亙ってぶち込んだが、両週刊誌にその能力をつけさせたのも、実は西尾幹二の指導が大きく貢献している。“悪魔の極左革命家”西尾幹二の“新型・天皇制廃止戦術”に精通することなしに、対皇室“罵詈讒謗”を阻止する方策など検討しても、時間の無駄。

 現に、眞子殿下は今般、共産党が展開した天皇制廃止革命として大規模かつ執拗な皇族・皇室讒謗の標的になられたが、その理由を剔出したのが中川八洋一人だけなのは、偽情報心理戦の日本唯一の専門家であることよりも、“平成のゲッベルス”西尾幹二に関する研究者だからである。

 今般の眞子殿下攻撃の本質は、実は、悠仁親王殿下の内面に、“皇室にいるのは嫌、天皇になるのは嫌”の心理を醸成するのを目的とした心理戦psychological warfare。これを指摘したのは、中川八洋以外には一人も居ない。日本人の知的水準は、超・阿呆馬鹿よりはるかに劣悪な白痴。

 仮に今般の対眞子殿下“罵詈雑言”の真相を洞察できていれば、2017年からの四年間にわたる罵詈雑言の大洪水に耐えられ、無事結婚を完遂されNYへと緊急避難された眞子殿下の賢慮なご判断と聡明な行動が共産党の天皇制廃止戦略(第二梯団方式)をいったんは粉砕し、日本国の天皇制度護持(=大変な偉業)に測り知れない貢献をなされた偉大なプリンセスだと、眞子殿下への尊崇で胸が熱くなったはずである。

 私の目には「眞子殿下とは、悠仁親王殿下のご即位とその天皇位を御守りされる守護神」としか映らない。これが、皇統護持に命を捨てている愛国者しか持てない高度な識眼。中継ぎ女性天皇には持統天皇や斉明天皇がおられるが、初の“中継ぎの降嫁皇女”として眞子殿下はその名を皇統史に永く留められるのではないかとの予感に震えてこそ、「第二の井上毅」になりうるのである。

 私は、この十月、眞子殿下を仰ぐと、後醍醐天皇に命を捧げた楠木正成の心境がなんとなくわかるようになった。『太平記』にある児島高徳が桜の木に書いた「時に范蠡(はんれい)無きにしも非ず」を短冊に墨書して眞子殿下に差し上げたい気分にも襲われた。話を表1に戻そう。

表1;「天皇空位」が目標の、女性皇族への罵詈讒謗“テロ型暴力革命”

(備考)河西秀哉は本連載第2弾、保阪正康は本連載第3弾を見よ。田紀凱については第二節で言及している。

西尾幹二が育てた“皇室讒謗のプロ”「保阪正康/河西秀哉/週刊文春/週刊新潮」

 以下は、表1の補足説明である。

(1)北朝鮮人テロリスト田紀凱が独断でなした、対皇后陛下(今上の上皇后陛下)に対する捏造による暴力言論は、1993年秋、『週刊文春』に四本ほど掲載された。天皇陛下に対してショックを起こさせて、「天皇位をやめたい=退位したい」と言わせしめるのを狙った言論テロだった。また、刑法「皇室名誉棄損罪」が死文であるのを証明する実験でもあった。

 文藝春秋社は、保守の田中健五が社長だったのに、花田紀凱の編集長解任でお茶を濁し、彼を懲戒解雇しなかった。この1993年秋、文藝春秋社の前で右翼の街宣車が数台、「花田あー、出てこい!」とマイクでがなりたてていた。私が右翼街宣車を見た、これが最後かもしれない。田中健五が、田紀凱に対し、日本国民としての当然の処置をしなかったことが、日本における天皇制廃止運動を一気に大規模化・恒常化させ、今般の眞子殿下への大讒謗の嵐の如く、天皇制廃止テロリズムが増殖する悪性ヴィールスを撒布する結果となった。

(2)西尾幹二の、皇太子妃を攻撃することで皇太子殿下を恐怖のドン底に突き落とし天皇位への即位辞退をさせる、2008年の新しい天皇制廃止革命は、同志の花田紀凱と議論を尽くして考案したオリジナルと断定できるか。私には、共産党と共謀した“平成の大逆事件”としか推定できない。七十万部も売れたベストセラー西尾幹二『国民の歴史』(1999年刊)は、共産党史観で書かれており、純度百%の共産党出版物。この『国民の歴史』の延長上にある『皇太子さまへの御忠言』が、共産党と謀議せずに書くことなど不可能と考えるのが、順当というもの。

 皇太子殿下と雅子妃殿下を殺害したい殺意を動機とした、『WiLL』連載の単行本化である『皇太子さまへの御忠言』は、『WiLL』編集長の花田紀凱と西尾幹二が相当に密な議論を重ねた作品。その意味で、このコンビは、西尾幹二を虎の門事件(1923年)のテロリスト難波大助の再来、花田紀凱を宮内大臣(昭和天皇の鹵簿と誤認して)の馬車に手榴弾を投擲した1932年の朝鮮人・李奉昌の再来に準えることができる。西尾と田紀凱が謀議して『皇太子さまへの御忠言』を作っている光景は、難波大助と李奉昌が鳩首協議している光景の再現と考えよ。

(3)『皇太子さまへの御忠言』出版の直後から、西尾幹二は皇太子殿下の廃太子を露骨に煽動する、“第二の幸徳秋水”の正体を露骨に剥き出した。この犯罪煽動において西尾は、次のように、妄想を超える狂語「小和田王朝」を振りまわし、“徳仁皇太子殿下の天皇即位絶対反対!”“徳仁皇太子殿下の即位は「第二の道鏡事件」だ!”と、戯言の域を越えた度外れの狂気を爆発させてギャーギャー騒ぎ、その気狂い度は一万倍に濃縮された。西尾幹二のニックネーム「野生の狂暴猿」(ミュンヘン大学)も、「噛みつき狂犬」(渡部昇一)も、先見ある命名だった。

「このままでいくと(=皇太子殿下が即位されると)小和田王朝になりますよ。小和田王朝になるとは、一種のイデオロギーの道鏡事件ではないか。それくらい恐ろしい事だと思っています」(『WiLL』2009年10月号、260頁)

 2019年5月1日、皇太子殿下は(儀式そのものでは安倍晋三らに譲位・受禅を剥奪されたが、鳥瞰的には)先帝陛下の譲位を受禅されて即位された。新しい今上陛下の皇室には、小和田王朝など煙ほどもなかった。気狂いの皇族テロリスト西尾幹二がその狂気と妄想を恣にした今上の天皇・皇后陛下の皇太子時代における罵詈讒謗のうち、現実となった事柄は何一つ見当たらない。これほどの真っ赤な嘘の罵詈雑言を書き捲った西尾幹二に対し産経新聞が処分しないのは、産経新聞が朝日新聞と同じく、共産党とタッグマッチを組む“天皇制廃止の急先鋒”だからだ。『WiLL』が今なお西尾幹二を重用するのは、成蹊大卒の“スーパーお馬鹿”編集長・立林昭彦が、超ゴロツキの“無法者”だからだ。

 さて、西尾幹二は2009年から、西尾流の天皇制廃止の赤いウィルスを伝染させ、後輩育成に専心するようになった。表2は、この拡散・伝染・教育に精を出す西尾幹二の痕跡を追跡したもの。

表2;2009~16年の、西尾幹二の雅子妃“罵倒”“讒謗”の伝染作戦

(備考)この週刊文春記事は、宮内庁の抗議文を読まずとも、百%捏造なのが誰でもすぐわかる。例えば、皇室を庶民の家並みに墜として貶める「小和田家とは文化が違う」など、このような西尾幹二特有の言語が、どうやって皇室に存在するのか。しかも、これは、本文を読むと天皇陛下の前ではなく、別室での皇后・皇太子妃が二人だけでひそひそ話をしたとなっているから、真っ赤な嘘なのがすぐわかる。この別室には誰もいないから、この会話を聞いた者が一人もいない。そればかりか、皇室では天皇陛下がお座りなされている食事テーブルから離れて別室に行くことは万が一にも許されない。そもそも天皇陛下の誕生日の「お祝い膳」には、皇室メンバーは全員必ず出席する。それがどうして「お呼び出し」なのか。呆れ果てた捏造。怒るのも疲れてきた。

 西尾幹二の、雅子妃や小和田家に対する異常な罵声浴びせの狂気は、実は陽動作戦。西尾の心底の目標は、あくまでも皇太子殿下(今上陛下)を廃太子にすること。これは、2008年の西尾幹二に触発された三匹の共産党員と一匹の毛沢東系マルキスト(加地伸行)を読めば、誰でも判明する。

表3;今上陛下が皇太子だった時代、「廃太子にしよう」を煽動した西尾幹二の“後継者”たち

(4)保阪正康が立脚する過激な天皇制廃止の狂信性は、『文藝春秋』誌の2009年2月号と2021年12月号のエセーを一緒に読むと、直ぐに理解できる。つまり、2021年12月号での眞子殿下に対する保阪正康の罵詈雑言は、天皇制廃止のための奴隷として眞子殿下を生涯独身(=女性宮家当主)にしようとしたのに、聡明な眞子殿下は「天皇制廃止の“共産党の囚人”」となると察知してNYに飛び出し、天皇制度を護り悠仁親王殿下の天皇即位の道を確保された偉業に怒り狂って書き殴ったもの。

(5)西尾幹二との2016年『WiLL』対談で、IQが豚より低い加地伸行は、次のように、皇太子殿下を「廃太子せよ」とゲス以下の無学無教養ぶりを剥き出して絶叫している。

「皇太子殿下は(廃太子後は)摂政におなりになって、国事行為の大半をなさればいい。但し、皇太子は止めるということです。摂政…(の)仕事はご夫妻ではなく、一人でなさるわけですから、雅子妃は病気治療に専念できる」

「秋篠宮殿下が皇太子になれば秋篠宮家が空くので、そこにお入りになればよいので、新しい宮家を増やす必要はありません」

「そして、天皇陛下は、皇室祭祀に専念なさる」(39頁)

(皇太子殿下が摂政になれば)その夫人(雅子妃殿下のこと)の出欠を問う必要は全くありません。雅子妃を矢面に立たないためにはそうするしかありません」(43頁、丸カッコ内中川)

 共産党系コミュニストでもある加地伸行は、共産党の皇室用語禁止に従い、正語「雅子妃殿下」を嫌い「夫人」に貶める。加地の思想本籍が丸見え。が、こんなことはどうでもいい。さて、問題。加地は、皇太子殿下を「廃太子せよ」と言っていながら「摂政にせよ」と主張する。加地は重度の精神分裂症で、ニーチェと同種の精神分裂病が重篤の西尾幹二と同病。加地伸行には正常が一ミリもない。

 加地の提案「天皇は秋篠宮殿下、その摂政に皇太子殿下」に基づけば、秋篠宮殿下は皇室典範第16条二項に従い、天皇が務まらない「精神もしくは身体の重患あるいは重大な事故に遭遇中」だから万が一にも皇室祭祀はできない。が、39頁で、“スーパー気狂い”の加地伸行は、秋篠宮天皇が祭祀に専念するとある。

 西尾幹二の周辺は、このように気狂いや北朝鮮人しかいない。ロベスピエールの周辺が全員、大量殺人鬼の気狂いばかりとなった1792~4年のフランス革命情況と、西尾幹二グループは全く同一。

第二節 刑法不敬罪を復活し、讒謗に耐えた眞子殿下の願いを叶えよう

 この節での論及は、2016年7月、「中川八洋掲示板」にupした次なる論文をもって代替する。この論文は、現ブログの連載「“天皇制廃止狂”西尾幹二」に再掲されている。ここに再々掲載をした理由は、“持統天皇の生まれ変わり”眞子殿下が、身を犠牲して日本国民に訴えた宣旨「皇族への中傷誹謗を止めさせよ」に呼応するに、最も適切至極と考えたからである。読者は、本論文を拳々服膺して、刑法不敬罪の復活に邁進されたい。以下、再々掲載の論文。

刑法不敬罪四ヶ条の復活を急がねば、皇室の安泰は赤信号──“皇室讒謗の狂犬”西尾幹二に懲役三年の実刑を科せ!2016年7月20日記)                                             

 1947年に施行された改悪刑法は、野坂参三と内閣法制局が組んで、ある重要条文をバッサリ刑法から削除した。次の旧・刑法の不敬罪四条項(明治40年制定)が、この削除されたもの。

第73条 天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子または皇太孫に対し、危害を加へまたは加へんとしたる者は死刑に処す。 

第74条 天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子または皇太孫に対し、不敬の行為ありたる者は、三月以上五年以下の懲役に処す。神宮または皇陵に対し不敬の行為ありたる者また同じ。

第75条 皇族に対し危害を加へたる者は死刑に処し、危害を加へんとしたる者は無期懲役に処す。 

第76条 皇族に対し不敬の行為ありたる者は、二月以上四年以下の懲役に処す。  

 次。1947年の改悪刑法では、内閣法制局と国会は、不敬罪を代替できるかのような国民目晦ましを考案した。無意味で有害な“皇室に対する刑法上の名誉棄損罪”がそれ。だが、この天皇/皇后およびそれ以外の皇族に対する刑法「名誉毀損」罪は、内閣総理大臣が代理して刑事告訴すると定めている。むろん総理が刑事告訴などしないから、初めから画餅となるのを予定した条項。

「第232条第2項 天皇、皇后、太皇太后、皇太后、または皇嗣(皇太子以下の皇子/皇女/皇孫)であるとき、内閣総理大臣が・・・代わって告訴を行う」。

 刑法「皇室名誉棄損罪」違反者への加罰は、第230条「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役もしくは禁錮または50万円以下の罰金に処す」と、一般人に対する定めの援用。天皇/皇后/皇太子/その他の皇族の名誉が「一般人並み」とは、なんという“不敬の極み”。これでは皇室への中傷誹謗は、やりたい放題となる。“悪魔のコリアン”田紀凱や“極悪アナーキスト”西尾幹二を見れば、火を見るより明らか。すなわち、刑法の皇室名誉棄損罪は、皇室への不敬・不遜を煽る法制度であって、日本国の破滅を確実にする算段の一つ。

Ⅰ、不敬罪があれば花田紀凱は死刑。が“花田は永生き、日本国は亡ぶ”   

 旧刑法不敬罪を理解するために、具体的な事例をもって検討しよう。この事例として、『週刊文春』編集長のコリアン花田紀凱(本名「田紀凱」)を取り上げる。

 日本の皇室への憎悪の炎を燃やすテロリスト朝鮮人の田紀凱は、美智子皇后陛下を罵詈讒謗で中傷する、次の記事を連続して数本、『週刊文春』誌上に掲載した。時に政局は混乱の極を究めて、政権政党の自民党が下野し、共産党シンパ細川護熙が首相になった直後だった。自民党の首相がいなくなったから、名誉毀損罪での刑事告訴は決してされないと踏んだ上で、狡猾なコリアン田紀凱は、反・皇室/天皇制廃止革命への狼煙をあげたのだ。

 これほどタイムリーなタイミングを選択したことにおいて、美智子皇后陛下をターゲットとした“皇室讒謗事件1993年”は、田紀凱ひとりの策謀ではあるまい。背後に天皇制廃止の巨大な組織が蠢いているのが見える。特に、紀凱流のデッチアゲタ捏造記事の、狂気が漂う悍ましさ/悪質さにおいて、また田紀凱の日頃の人的交際情報からしても、この背後の巨大組織が「コミンテルン32年テーゼ」を狂信する某カルト宗教政治団体なのは、誰しも想像がつく。

 ともあれ田紀凱は、次のような事実無根の真赤な捏造記事を嘘と知りつつ、誌面大きく掲載した。そのうち二つの『週刊文春』記事タイトルが次。

1、「美智子皇后のご希望で昭和天皇の愛した皇居自然林が丸坊主」(1993年9月23日号)

2、「天皇・皇后両陛下は、自衛官の制服がお嫌い」(1993年9月30日号)

 田紀凱が捏造したこれら讒謗記事によって、美智子皇后陛下は、失声症を御発症あそばされた。ということは、花田紀凱の記事は身体上の危害を加えたのだから、刑法不敬罪第73条があれば、花田紀凱の死刑は、確実に執行されただろう。

 このような週刊誌や新聞などのマスメディアによる皇室テロを未然に防ぎ、天皇・皇后の聖性と皇族の高貴性を護持すべく、不敬罪四ヶ条を早急に刑法に復活させる必要がある。だが、復活させなかったが故に、表1のように“第二/第三のコリアン花田紀凱の大犯罪”が再発し続けるのである。

 不敬罪四ヶ条の復活方法は、いとも簡単。たった一行の、次のような手短な法律を制定すればいいからだ。衆参それぞれ一日あれば済む。1947年の刑法改悪の時、赤い官僚や赤い議員は相当に慌ててため、新刑法の第七三~七条は空条のままになっている。結果として不敬罪四ヶ条が直ぐに容易に復活できる。次の一行法律で済むからだ。  

「旧刑法の第七三~七条を復活させる。カナは、現代仮名遣いに改める」。

 ところで、安倍晋三は、スローガン「戦後レジームの脱却」を高々と掲げて、2012年12月に総理になった。それから、ほぼ四年の歳月が経つが、安倍晋三は、不敬罪四ヶ条の復活をしようとはしない。しかも、憲法第九条の改正であれば、衆参三分の二の賛成が必要でかなり困難。だが、刑法の改正に過ぎない不敬罪四ヶ条の復活要件は、衆参二分の一。この秋の臨時国会で、二日もあれば十分な立法作業である。

 だが、安倍晋三には、不敬罪復活の気がなさそうだ。やはり安倍晋三の「戦後レジームの脱却」は、国民騙しの二枚舌。何故なら、安倍スローガン「戦後レジームの脱却」は、GHQ時代の政策を、抜本的に見直し正常化するとの謂いである。このGHQ占領下の対日政策は今なお、どれがGHQの本当の命令か、どれが日本側の便乗かは不明瞭だし、日本の学界は検閲してこの確定を妨害する。ともあれ、野坂参三と内閣法制局が1947年に刑法から削除した不敬罪の復活こそ、「戦後レジームの脱却」の筆頭。このことに異論はなかろう。

 もともと安倍晋三の「晋三」は、100%共産主義者だった安倍晋太郎が、崇拝する野坂参三の「三」をもらって名付けたもの。安倍晋三が、スローガン「戦後レジームの脱却」を造語するに、共産党議長・野坂参三の造語“反GHQスローガン”「逆コース」を模倣したことも明らか。しかも、「戦後レジームの脱却」と「逆コース」は、全くの同義で全く同一。

 安倍晋三がそうでないと主張するなら、そして(選挙用ではなく)本当に“民族主義の愛国心”を有しているのなら、安倍晋三よ、不敬罪四ヶ条を復活して自ら証明することだ。

Ⅱ、現行名誉毀損罪で『皇太子さまへの御忠言』の西尾を裁くと懲役三年

  さて、現行刑法の第232条第2項についても、具体的事例で解説する。『WiLL』2016年6月号での西尾幹二/加地伸行の皇室讒謗事件は、まさしく、この刑法名誉毀損罪に該当するから、安倍晋三は直ちに両名に対し刑事告訴しなければならない。

 つまり、刑法第230条で「西尾幹二/加地伸行の皇室讒謗対談」に法的メスを加える責任は、法律に定められた通りに安倍晋三・総理大臣が行うものと信じ、ここではこれ以上の安倍非難を差し控えよう。皇室を貴ぶ安倍晋三が刑事告訴の準備をしていないなど、決してありえないと信じよう。

 「西尾幹二/加地伸行の皇室讒謗対談事件」の代わりに、ここでは西尾幹二の“天皇制廃止の皇室憎悪教の狂典『皇太子さまへの御忠言』(ワック社、2008年)を、刑法名誉毀損罪の視点で解剖する。西尾幹二を名誉毀損罪の最高刑「懲役三年」に科すことが妥当以上に正義であり、そうすべきことmustが、道徳に適う行為だからだ。

 『皇太子さまへの御忠言』の出版に際して、西尾幹二を刑事告訴しなかった麻生太郎・総理大臣(2008年9月~2009年9月)の罪は、堕落と怠慢を越えており、万死に値する。学習院大学で女遊びとライフル射撃しかしなかった“世紀のアホ学生”は、総理になっても無能と退嬰を特性とする、愛国心以前のぐうたら男ということか。

 さて、『皇太子さまへの御忠言』は、“先天性の大嘘つき”西尾幹二らしく、歴史学的に真赤な捏造歴史のオンパレード。嘘、嘘。嘘である。この狂気の西尾歴史捏造について、「中川八洋掲示板」の「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史 Ⅲ」が、ほんの一部を例示している。参照されたい。

 なお、西尾幹二とは、共産党と同レベルの激した天皇制廃止狂徒。『新聞あかはた』の論調と西尾幹二との間に、一ミリの差異もない。二-チェ・ヒトラー主義(廃墟主義)の西尾幹二を(谷沢永一氏が見抜いたように)共産主義者だと看做す者に時々出くわすが、間違いとは言えない。「西尾幹二とは、共産主義者以上の、強度・凶悪な天皇制廃止狂徒」なのは、明白な事実だからだ。

“平成の幸徳秋水”西尾幹二とは、殺人鬼もびっくりの顔から血が滴る皇族テロリスト

 実際にも西尾幹二は用心深く、間接の接触で誑かしているが、共産党とは緊密に通謀しあっている。西尾幹二は、「反原発」でも「天皇制廃止」でも「反米闘争」でも、共産党と手を固く握りあっており、両者は“日本国破壊の同志関係”にある。北朝鮮/朝鮮総連やロシアと裏でつるんでいるのに、そうでないかの演技上手の“読者騙しの「反日」新聞”産経新聞と全く同じやり方。ともかく、西尾幹二が天皇や皇室へ向ける憎悪感情は、次のように半端でない。西尾幹二とは、共産党員よりはるかに極左とも言える。そして、幸徳秋水を越える、前代未聞の皇族テロリストである。

 A「天皇は伝統を所有しているのではなく、伝統に所有されている。天皇とその一族は、国民の代表として伝統に対する謙虚な番人でなくてはならない」(14頁)

 皇族を「天皇の一族」と揶揄する者は、共産党員でも少ない。総理大臣は選挙で選ばれる「国民の代表」だが、天皇や皇族は生まれと同時に“日本国の天皇や皇族”で、それ以外の地位や立場を有さない。西尾幹二の赤い暴言・狂論は、さらに続き、天皇や皇族に対し「謙虚な番人であれ!」と命令する。つまり、西尾幹二は、自分を絶対主権者もしくは絶対神だと妄想している。「西尾幹二とは重度の精神異常者」なのだ。西尾幹二を狂人だと知らなかった者は、自らの無知を恥じよ!  

 上記引用の言辞は、西尾幹二が心底で天皇や皇族を守衛やガードマンと同類だと考えているからで、単にそう貶めているだけではない。西尾幹二は、北朝鮮人の筑紫哲也ら、在日北朝鮮人たちと寸分も変わらない。いや、北朝鮮人・土井たか子ですら、西尾幹二ほど矯激な皇室憎悪をもっていなかった。西尾幹二の皇室憎悪は、大逆事件の幸徳秋水以上で、西尾幹二とは死刑が執行された“幸徳秋水の生れ変り”である。いや、金日成や金正日以上の、“天皇/皇族憎悪教の狂人教祖”、それが“日本人の仮面を被った恐ろしい悪鬼”西尾幹二の本当の正体である。

 西尾幹二のファンクラブ「坦々塾」も、メンバーのほとんどが北朝鮮人と支那人が占め、“「反日」人士と嘘つき/狂人達の巣窟”というのが専らの噂。むべ(宜)なるかな。西尾幹二は、こうも言う。

B「天皇制度と天皇(及びその家族)との関係は、船と乗客との關係で、今たまたま乗船している 天皇家の人々は船主ではない。彼らは一時的に船をお預かりしている立場である」(32頁)

 皇族をわざわざ「天皇の家族」「天皇家の人々」と、言葉“皇族”を敢えて避けることなど、天皇制廃止狂でなくてあり得るだろうか。いや、それ以上で、日本国を「船」に譬えることはありえても、天皇制度を「船」、そして天皇を、下船を命じられることもある、その「船(日本国)の乗客」に譬えるなど、余りに荒唐無稽すぎて想像の域を越える。“天皇制を今直ぐ廃止しろ”の西尾幹二の本心の露骨な表現だが、それにしても狂暴の度が過ぎる。正常な日本人なら、わが目を疑い誰しも絶句するに違いない。いや、西尾幹二を処刑にしよう、と誰でも念じる。  

 天皇を不敬な譬えで遊ぶ日本人が仮に居ても、天皇/皇族を、日本国という「船」に祀られている「神棚」と考えるのがせいぜい。そして、嵐や大暴風に遭遇しては目が覚めて、この「神棚」を守らんものと命を捨てて船を沈没させないよう不眠不休で頑張るし、同時に「船を沈没から助けて下さい」とこの「神棚」に祈り続ける。やはり、天皇や皇室は、限りなく尊貴であり、究極の聖性における御存在だと気づく。  

 だが、西尾幹二は、天皇制度を日本国や日本国民から切り離し、天皇制度の存続の責任をすべて天皇と皇族に押し付ける。天皇・皇室の悠久の安泰は、我々日本国民が全責任を負っているものだが、これを逆さにする。つまり西尾幹二は、天皇制度の維持責任を負う日本国民を排斥して不在とし、この責任を天皇や皇室側に転嫁する。天皇・皇室への罵詈讒謗が免責されるようにするためで、これぞ西尾流の悪魔の詭弁。

 しかも西尾は、天皇や皇族を「彼らは」と貶めておき、「天皇制度を預かっている責任を果たせ」と脅迫する。こんな不敬なロジックは、通常の日本人に可能か。

 “平成の幸徳秋水”どころでない悪魔・西尾幹二は、天皇や皇族に対して、「天皇制度というお宝を守る番人のくせに」「もっとちゃんと働けよ」と、怒鳴っているのである。つまり、天皇・皇族を、絶対神である西尾幹二の目下の人間として怒鳴りつけるために、西尾はこの異様な狂気レトリックを考案したのである。西尾幹二が正真正銘の狂人であるのは、もう明らかにすぎよう。

 正常な人間なら、御病気である皇太子妃殿下に対して、その御病気に御同情を申し上げる。無関心な人間なら、そっとしておくというマナーを守る。だが、ユダヤ人大量殺人のヒトラーを崇拝する、顔から血が滴る“天性の悪鬼”西尾幹二は、御病気である事態を「それ、天皇制度廃止のチャンス到来!」とばかり、雅子妃への人身攻撃という、悪魔でもできない“非・人間の極み”を暴発させた。この世で生きた悪魔を見たければ、西尾幹二を見ればいい。

 つまり、“世紀の天皇制廃止狂”西尾幹二は、雅子・皇太子妃殿下を“平成皇室の弱点”とみて、そこに焼夷爆弾を雨霰と投下することに決めた。その一つが、明らかに事実でないor少なくとも事実だと証明されていない、正常な良識人の眼には明らかに噴飯物の『週刊誌』の全くの嘘話を嘘話と知りながら、それを事実だと強弁して引用し、皇太子妃殿下への阿漕な西尾流人身攻撃を、麻薬患者と同様な狂気と恍惚において実行するのである。

C 「これはもう雅子妃のご両親がいけません。小和田家は、『皇室の仕事ができないなら、娘を引き取ります』と言うべきでしょう。皇后になったら、それこそ過密なご公務が待っている。勤めが果たせないのなら、引き取るのが筋です」(32頁、『週刊現代』2008年3月22日号)

 さらに“大嘘つきの虚言癖”西尾幹二は、この『週刊現代』が捏造した嘘話を、「宮内庁関係者の言葉(発言)」だという。この「宮内庁関係者」は実在しない架空。よって当然、そのような「言葉(発言)」も実在せず架空。「皇室の仕事」や「勤め」が下衆階級の言語で、宮内庁語でないのも、議論以前。Cのような奇天烈な言辞や表現形態は、宮内庁のどこにも存在しない。つまりCは、『週刊現代』の記者がでっち上げた作文。しかし、西尾幹二は強弁を続ける。

D「過日、宮内庁関係者から次の様な言葉(発言)が飛び出した」(32頁)

 上記のCとDは“事実の摘示”だから、刑法第230条の名誉毀損罪に該当する。麻生太郎は、なぜ西尾幹二を刑事告訴しなかったのか。2008年における麻生太郎の職務放棄は、天下の大罪ではないか。麻生太郎は、この無責任において、直ちに政界引退すべきである。  

 西尾幹二は、自分の天皇制廃止狂の本心がばれないよう、狡猾究めるレトリックを展開する。それが、『週刊現代』のこの真赤な捏造作文を「私も同じ考えである」と支持しておいて、尤もらしい理由を開陳する。西尾幹二の悪鬼性は、留まることなく躍動するばかり。例えば、

「皇室が日本人の信仰の棲家でありつづける伝統の流れを、小和田家によって突然中断される恐れを懐いているからである。異質なものの侵入と占拠が始まりはしないかという恐れである」(33頁)。  

 笑止とは、この事。西尾幹二は、先述のCにおいて、雅子妃殿下は「皇室の仕事をしない/できない」と糾弾したのである。皇室の仕事をしない/できない者が、どうして皇室の伝統の改変ができるのか。雅子妃殿下に皇室伝統の改変をさせたくないならば、御病気のままで何も仕事をなされない現状こそ理想ではないか。

 西尾幹二の思考は、雅子妃殿下への命令や要求のごとく、このような「左を向いて、右に走れ」が常態。西尾幹二が重度の分裂病の精神異常者であることを、私が指摘しても信じないワル馬鹿がいるが、今、初めてよく解っただろう。精神分裂症の専門書を最低三冊ほど購入し読破していれば、西尾幹二が重度の精神分裂症の狂人なのは、直ぐに納得できるはずだ。

 再度言う。雅子妃殿下が適応障害の鬱病であられることにおいて、「小和田家によって皇室伝統が突然中断される恐れ」は皆無である。また、「皇室に異質なものが侵入し占拠する」等が起こり得る「恐れ」は皆無だということだ。

皇室をさも憂慮するかの嘘演技で天皇制廃止を狙う“悪の皇族テロリスト”西尾幹二

  以上の引用は全て、『皇太子さまへの御忠言』第一章。この第一章の最後に、西尾幹二は、次のように、天皇制廃止を高らかに宣言した。ブログ「中川八洋掲示板」の前稿で、1967年の西尾32歳の時の発言を紹介したが、天皇制廃止という、共産党員と同じイデオロギー信奉が、西尾幹二の“本心の中の本心”なのだ。

「皇室がそうなった暁には、この(天才的な天皇制廃止運動家の)私も、天皇制度の廃棄に賛成するかも知れない」(40頁、丸カッコ内中川)

  しかも、殺人狂の“狡猾な悪鬼”西尾幹二は、自分の強度な天皇制廃止の信条を、自分のイデオロギーとはせず、別の屁理屈を前提に正当化する。第一の屁理屈は、皇室が①「外務省の親中の反日勢力に牛耳られる」というもの。第二の屁理屈は、②「朝日新聞とNHKが、奥平康弘の皇族人権論をキャンペーンして、皇室が、そのような左翼思想に洗脳されるからだ」というもの。意味が解らない。仮に①②になったとして、どうして天皇制度を廃止しなければならないのだ。  

 皇室は総理大臣や外務大臣ではない。日本外交の全権を掌握しているわけでもない。①のようなことが仮に起きても皇室制度とはいささかも関係しない。皇室は皇室としてご存在され、国民の上に“御座しまされる”のが全てであり、われわれ正しき日本国民は、それ以上のことを望まない。②についても同様である。

 そもそも西尾幹二は、奥平康弘のような人権思想を排除したいなど、一度として考えたことがない。もし考えたとしたら、天皇制廃止に誘導する奥平康弘らの共産党系の理論を完膚なきまでに学術的に論破している中川八洋「皇位継承学三部作+4」を読め、と主張しているはず。しかし、西尾幹二は、かつて一度も、中川八洋「皇位継承学三部作+4」を読めと主張したことはない。中川八洋「皇位継承学三部作+4」に言及したことすらない。しかも、中川八洋「皇位継承学三部作+4」は、皇位継承すなわち悠久の皇室を考えるならば、井上毅(伊藤博文名)『皇室典範義解』と並んで、日本人必読の二大書籍群の一つである。

 西尾幹二は、天性の大ウソつきであるだけではなく、自分を美化し、さも知識人であるかに、さも愛国者であるかに、嘘演技すること第一級の才を発揮する。皇室の周辺から外務省を排除したいのであれば、堂上公家の復活を声高に叫んでいるはずである。だが、西尾幹二は、堂上公家の復活など、一度も一文字も書いたことはない/喋ったこともない。

 とすれば、西尾幹二の天皇制廃止は、尤もらしい条件付きではなく、無条件の天皇制絶対廃止ということ。つまり、ニーチェ/ヒトラー主義の西尾幹二の頭の中では、共産党が信奉する「コミンテルン32年テーゼ」以上の、真赤を超える赤黒い腐った脳みそが渦巻いている。

 『皇太子さまへの御忠言』における雅子妃殿下への中傷誹謗の数々が明らかにする、“悪の皇族テロリスト”西尾幹二の皇室讒謗は、もっと論究されねばならない。が、紙幅の関係から、本稿はいったん中断する。 (再々掲載は、ここで終了)

補記 裁判で確定した、ミュンヘン大学「西尾幹二は退学!」の高見識

 “共産党の忠犬”西尾幹二は、共産党員以上に「天皇制廃止」「脱原発」で、日本の保守層を徹底的に自壊させる戦法を駆使し、それ相当な実績をあげた。民族系や保守を“共産党系の反日極左”に改造する才において、西尾幹二は間違いなく日本一。一方、保守側で、西尾幹二の危険性を説いていたのは、谷沢永一たった一人だった。この事実は、日本人全体が共産党系の共産主義思想に洗脳されていることの証左。

(1)私は、西尾幹二の思想系譜を解剖する目的で、1997年、西尾幹二が勉強会「路の会」に私を誘った時、そのメンバーになった。翌1998年、西部邁が心配して脱会するよう勧めた。「中川さんの潜入捜査癖は有名だし病気だネ。西尾幹二の本性は狂暴で、学問ができる者への憎悪と嫉妬は半端ではなく、学問で評論をする中川さんは、いの一番で必ず襲われる」と身を案じてくれた。西部邁は私にとっていつも観音菩薩のような優しさの人だった。

 1999年11月30日「路の会」終了後の懇親会で、新橋駅から東に向かい徳間書店の玄関へと右折する角のビル地下一階の蕎麦屋で、たまたま私と西尾幹二のテーブルから人が消えた。これはチャンスと、かねてからの疑問である“西尾幹二のドイツ留学”について尋ねた。西尾は日本酒をかなり飲んでいたが、酔ってはいなかった。

表;西尾幹二への1999年11月30日の質問と回答

(備考) ミュンヘン州立図書館で二年間を過ごし、毎日、大著「ニーチェ伝記」用の資料を、当時はコピー機が無いので、写真に撮りまくることを指す。四千枚撮ったと本人は語っている。

(2)2013年11月、西尾幹二は私に民事訴訟を提起した。翌2014年3月に開廷し(第一回)、5月12日の第二回法廷で、裁判長は西尾側に「訴状は名誉棄損の訴えとは認められない。来月までに全面訂正して再提出しない場合は本件訴えを却下する」と通告した。だが、東京地裁も共産党の支配下にあるから、この裁判長は、5月17日、地方に飛ばされた。代わりに東京地裁の共産党員裁判官ナンバーワンの千葉和則が裁判長となり、当方の「却下しろ!」に返答せず、うやむやにされた。

 千葉和則が当該法廷でなした行状については、別件で東京高裁に提出した準備書面に詳述したので、いずれ発表する。巨体の千葉は、私との法廷内論戦で、体重を10kg以上減らし激ヤセした。なお、私は、名誉棄損裁判に“押しなべて頭が悪い弁護士”など有害無益なので本人訴訟。この法廷で、西尾側弁護士の三名は二年近くの間、手を膝の上に置きメモも取らず原告としての発言ゼロを記録した。私と千葉裁判長の名誉棄損法理をめぐる熾烈な学術論戦を、ぼんやりと傍聴していた。

 この西尾提起の法廷で、西尾幹二の“ドイツ留学”学歴詐称問題は争点の一つ。西尾幹二は、ミュンヘン大学に留学したことを証明できなかった。私が要求した次のいずれも提出できなかったからだ。

一、(単位取得証明書でもいいから)何らかの在籍証明書。学位をとったのであれば「学位記」。

二、指導教官の名前。

三、「研究助手」だと国書刊行会のパンフレットに記載している。ならば、同僚のドイツ人の名前、あるいは一緒に映った写真。西尾幹二はカメラ好きで、ドイツにいた二年間、カメラを毎日持参していた。

四、二年間の「研究助手」なら、ドイツ語での資料をかなりの数作成したはず。また、相当数のドイツ語論文も発表したはず。しかし、「どれでもいいから、一本だけ提出されたい」に対し、西尾幹二は、法廷には“空気”を提出した。西尾幹二には、その生涯にわたってドイツ語の論文が一本もない。翻訳家の西尾幹二はドイツ語での論文が全く書けない。ドイツ語論文が書けない者を「研究助手」にする、ドイツの大学などあろうはずもない。さらに、西尾幹二は、ドイツ語で学術的な会話が全くできない。万が一にも研究助手に採用されることはない。

五、西尾幹二が「ミュンヘン大学に留学した」ことを示す、電気通信大学の何らかの印刷物。

 要は、西尾幹二が法廷に提出したのは、ミュンヘン大学でもない電気通信大学でもない、虚偽記載がいっぱいの出版社(国書刊行会)の『全集』宣伝パンフレットのみ。そこには、学歴詐称記載「西尾幹二はミュンヘン大学で二年間、研究助手をしていた」がある。1967年に帰国して以来、五十年間、言葉「ミュンヘン大学」を口にしない/活字にもしなかったのに、嘘「ミュンヘン大学」を世間に曝したのは、すでに老耄の八十歳近くになり、電気通信大学から懲戒免職される心配もない上に、名誉教授剥奪もなくなったからである。

(3)西尾幹二のミュンヘン大学「退学処分」の事由。

 西尾幹二の、ミュンヘン大学に入学と同時の退学処分は単純明快な事実だが、その事由については、次のように推定される。

①退学処分の事由となる筆頭は、ミュンヘン大学への入学願書関連書類の虚偽記載。

②例えば、ドイツの大学哲学部の大学院すべては、プラトンとアリストテレスを古代ギリシャ語の原典で読めることが必須条件。西尾は古代ギリシャ語が一文字も読めない。なのに、願書書類で「読める」と書いたはず。この場合、即刻退学となる。また、西尾は、「ニーチェ哲学を専攻する予定」と書いたはずだが、“哲学スーパー音痴”の翻訳業者・西尾はニーチェ哲学すらチンプンカンプン。十分間も面接すればすぐバレる。これも即時退学の理由になる。ドイツ語で論文が書けないことも、退学処分の事由にすることができる。

 (参考1)あるとき西尾は、私にブルクハルトとショウペンハウアーの相違を授業しろとせがむから、20分ほど説明してあげたことがある。講義後の西尾の一言は、「そんなに相違するのか」であった。また、生前、本にならなかったブルクハルトのバーゼル大学での講義は、彼の死後、エミール・ジュールによって文字起こしされ『全集』第七巻に収録されている。その一つ『歴史の断章 フランス革命』について私がトックヴィルと比較した研究内容を少し披露した時、無学無教養なゲス西尾は大声で「それは、翻訳されているぞ!」と怒鳴った。『Weltgeschichtliche Betrachtungen 世界史的諸考察』と勘違いしたのである。

 (参考2) 西尾はニーチェを冠する本を数冊出版している。が、全て、ニーチェ哲学には一行も触れてはいない。「翻訳者の翻訳後の感想文」に過ぎない駄文ばかりの陳列棚が、西尾のニーチェ本の実態。西尾の博士論文『ニーチェ』(中央公論社)は、ニーチェ哲学に一行も触れておらず、純粋なニーチェ伝記。表題が正しく『評伝ニーチェ』でないのは、偽装表示の極み。

 さて、ミュンヘン大学哲学部が西尾幹二を入学と同時に即刻退学させたのは、入学願書書類が全て嘘八百満載だったからだけか。西尾幹二の人格の異常性を喝破したからではないのか。

 西尾幹二の眼付や動作振る舞いには狂気のテロリスト性が立ち昇っており、ドイツ人教授がこれを感じて危険人物として放校したのが、真相ではないだろうか。もしそうなら、ミュンヘン大学は、雅子妃殿下と皇太子殿下への殺意を爆発させている『皇太子さまへの御忠言』を、四十三年前(2008年-1965年)に千里眼的に洞察したことになる。

(4)“先天的な嘘吐き”西尾幹二は、自分の著作でどう学歴詐称を隠蔽/虚偽記載をしたか

 西尾はミュンヘン大学に在籍していないので、その二百冊をはるかに越える著作のプロフィール欄に、文字「ミュンヘン大学」は見えない。ならば、「ドイツに二年間留学していた」と口で言い触らすのは、まさしく詐欺師。また、(留学はしていないが滞在はしていた)「ドイツ滞在」に言及した本は、『ニーチェ』『私は毎日こんなことを考えている』の、たった二冊のみ。

 が、両書とも、「ミュンヘン大学」は一文字もない。前者では放校になったからミュンヘン大学図書館を使えず、「ミュンヘン州立図書館に二年間通った」と正しく書いている(下巻、390頁)。後者では、奨学金を出したのは日本の日独親善団体なのに、「ドイツ政府」と捏造改竄している(15頁)。     

(2021年12月5日記)

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