LGBT“暴乱”を正当化する共産革命ドグマ「多様」は、知性の基軸を溶かし人間を非人間化する猛毒麻薬──正常(是)と異常(非)とを“差別する精神”なしに、真善美と法的正義が満ちる“正しい社会”は護持されない

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

  LGBTのうちLGBは、医学的にまた他の客観的方法で確認ができ、日本には約25万人人口の0.2%ほどいるようだ。一方、T(トランス・ジェンダー)は、通院する精神科病院やホルモン投与の病院からの報告に依拠して人数を確定するほかないが、仮に「子宮を持つ《female to male》が600人、男性器を持つ《male to female》が200人」だとすれば、日本の罹患者数は僅か800人である。統計誤差や通院を秘匿している者を考慮しても、この疾患Tを持つ者は、全国で2000人人口の0.0015%を下回ると推定される。

LGBT運動の、詐称の「演技トランス・ジェンダー」を炙り出し、罰金百万円を課そう!

 ここに日本のLGBT運動の異様性、つまり極度な非・医学の政治運動性(=共産革命運動)が歴然と露呈していよう。例えば、日本のLGBT運動は、Tが主導権を握りTが牽引している。が、これ、おかしすぎないか。どうして絶対多数を占めるLGBの方が主導しないのか。

 しかも、医師はLGBを精神医学的には「健康」と目しているが、「T=トランス・ジェンダー」については「病気」と見做している。「病気の疾患もちがLGBT運動の主導者で、健康な方はほとんどが《性的指向を秘め》静かに暮らしている」日本のLGBT運動の実態からも、日本の「トランス・ジェンダー」のほぼ全員が、そう詐称する“真赤な嘘付き政治運動家(=共産党員活動家など)”なのがわかる。

 つまり、自己申告の「性自認」で「トランス・ジェンダー」に即座に認定されたり、誰でも自称・詐称すれば「トランス・ジェンダー」を名乗れる“恣意カテゴリー”「トランス・ジェンダー」は、医学的に認容してはならない。詐称「トランス・ジェンダー」に対し、厳格な規制と法的な刑事罰を課す必要がある。

 規制の第一。厳格に病院通院している/していた証明書を提示できない者を一津に「トランス・ジェンダーではない」に分類する。性別適合手術を受けたトランス・ジェンダーも、手術後は、LGBのいずれかになるから、トランス・ジェンダーではなくなる

 規制の第二。「トランス・ジェンダー」がLGBいずれかの性的指向行動を呈した場合、即座にLGBのいずれかに分類し、恣意カテゴリー「トランス・ジェンダー」から排除する。

 もともと自称・詐称を認める「トランス・ジェンダー」だから、その多数は、実態的には詐称集団。オレオレ詐欺師などとは比較にならぬ危険な共産革命活動家たちが正体だろう。このような詐称「トランス・ジェンダー」は刑法詐欺罪に相当し罰金を課す法的制度が喫緊に不可欠。その破壊的な社会不安醸成と一般人が蒙る精神的苦痛を考えれば、この罰金額が百万円を下ることはない。

 そもそも「トランス・ジェンダー」とは、性不同一の違和感を本人が解決したいと考えるならば、医学上の治療を受けるべき疾患である。むろん、全ての病気に共通し、治療をせず「病気との共生」を選択する自由は尊重されねばならない。つまり、「トランス・ジェンダー」が医学的な治療を受けない場合、社会はそれを尊重し、「トランス・ジェンダー」に扱ってはならない。またこの当事者本人も、秘めるべき個人的な私事「トランス・ジェンダー」としてカミング・アウトしてはならない。

 ここまで論を進めた所で一服。賢い読者が本稿のモチーフにどうやら気づいたように感じたからだ。その通り、本稿の趣旨は、LGBTから「T」を削除・禁止し、「性的少数者」を医学的に確認できる“LGBのみ”に再定義せよ、と提唱するものである。具体的には、誰でも入会自由の無チェック・無条件で分類される現在の反・医学カテゴリー「トランス・ジェンダー」を、病院で治療中のor性別適合手術終了の「性同一性障害」=「性別違和」を除き、「トランス・ジェンダーとはしない」立法を行え、との提言が本稿の目的である。

LGBTの「T」を排除せよ。性的少数者の略語は「LGB+S(性同一性障害)」のみ正しい

 ここで閑話休題し、医学用語の英語表記をお浚いしておこう。「性同一性障害」の英語表記は、一般的には、gender-identity disorderで、日本精神神経学会は、これを用いている。また、「性同一性障害」とは、“脳の性差sex-distinction”と“生殖器の性差”とが一致していないと自己認識し、後者の“生殖器の性差”に対し持続的な違和感を覚える者と定義されている。

 この英語表記は世界共通ではなく、日本の学界のもの。米国の精神学会はこの病症を「性別違和gender-dysphoria(正しくは、sex-dysphoria)」と命名している(『DSM-5』を持っている方は確認されたい)。WHOは「性別不合 gender-incongruence」とする。

 ここで、学会に対し訂正を要求する。医学的に正しく「sex-identity」とすべきを「gender-identity」と間違った英語表記をしているからだ。「gender-identity」は、今から五十年前の1973年に、実態的に殺人者である狂人ジョン・マネーが造語した狂語。使用してはならないのは自明で常識。また、純・学術的に考えても「sex-identity」とすべきで、gender-identityには適切性がない。

 なぜなら、生物学的な性sexの自己認識identityに持続的な違和感を覚える者の症状を指すのだから、「性gender」ではなく、「性sex」であろう。近頃の医者は共産革命語「ジェンダー gender」を流行だからと安易に使う。学問の分野は、流行から超然が基本姿勢であるべき。要は、「性同一性障害」の正確な英語表記はsex-identity disorderでなくてはならない。頭文字をとった略語はSID。以下では、さらに略してSとする。

「LGBT」を「LGB」に糺し、共産党“狂”語「LGBTQ」使用者を精神病院に収監しよう

 いかなる社会運動も行政も、科学や医学から逸脱してはならない。教条的な共産党員・菅直人(済州島出身の悪魔の朝鮮人三世)は、首相職権を濫用し、排出した人畜無害のセシウムを、一粒も発見されなかった有害なストロンチウムやプルトニウムに摩り替え、故郷に居住する国民の自由権を剥奪し居住地からの追放・強制連行を強行した“世紀の大犯罪”をなした。

 野獣より残虐・残忍な血塗られた共産主義者の頭の中は、“日本人に嘘を吐く事/日本人の財産を奪う事/日本人を殺戮する事”の三つしかしない。共産主義者に公権力を渡してはならない。共産主義者の公共における活動は全て禁止さねばならない。『共産主義黒書 ソ連篇』『共産主義黒書 アジア篇』『悲しみの収穫』の三冊を読むだけで、こんなこと当り前すぎ。

 三権が医学に悖らないように自制と適法に立脚すれば、必然的に“恣意カテゴリー”「トランス・ジェンダー」=Tは排除されるから、性的少数者は実態に忠実に「LGB」のみとなる。むろん、「性同一性障害者」を性的少数者に加えることは問題が無く、この場合は「LGB+S」にすればよい。

 共産革命用語「LGBT」を医学に適う「LGB+S」に訂正せよと、いずれ提唱しようと思いついたのは、数年前の2015年頃か。一方、共産党の方は逆で、ここ数年の間に、「LGBT」のTを削除しないどころか、新たに「Q」を附け、あれあれと見る間に性的少数者を「LGBTQ」と“膨らます”始末。ベーキングパウダー(膨らます粉)は、ケーキ/ビスケット/饅頭の皮に使うのは知っていたが、LGBTに使うとは私の発想を越えた。

 QとはQueer (変態)かQuestioning(考え中)のQのようだが、いずれも戯言・悪ふざけの悪質な誑かし。自分が男性か女性か「今、考え中です」など現実には存在しない。何故なら、彼らは、女子トイレか男子トイレをすでに利用しており、性別の自己認識はとっくに定まっている。また、精神異常者でないなら、自らの性別を思案することはしない。ゲイはゲイであることを悩むが、俺はゲイか正常かどちらだろうとは悩まない。ロックバンドQueenのボーカルFreddie Mercuryは、家族が持てないゲイであることに自暴自棄になって酒と「ゲイとの乱交」を選びエイズで死んだ(45歳)。が、Freddieは精神異常者ではなかった。

 つまり、「考え中」「変態」は、性的少数者の部類には括れない。噓つきでなければ、明らかに精神異常者か人格異常者かに分類される。Qを自称する、犯罪者性が濃い連中を、精神病院に強制入院させねばならない。「Q」の問題はこれで解決する。

 とすれば、医学に悖らない「LGB」「LGB+S」でなく、事実捏造の共産党革命語「LGBT」「LGBTQ」を用いる、日本国解体や家族解体を目指す共産革命運動を万が一にも許容してはならない。「LGBT」「LGBTQ」運動を禁止し法的に一掃してしまう立法こそが、日本国の正しい政治である。

ゲイのボーカルFreddie Mercuryは一度も、真赤な嘘「差別された」を吐かなかった

 序なので、QueenのFreddie Mercury(以下、フレッド)の人生を振り返ってみよう。フレッドのステージ・パフォーマンスは、映画「ボヘミアン・ラプソディ」の主人公にもなっているほどの人気で、世界第一位のマイケル・ジャクソンほどではないが、世界で五指には入るだろう。ために彼の発言はかなり多くが記録されている。「ゲイだから社会に差別された」など、ヤクザと変わらぬ日本LGBTの十八番「社会への責任転嫁」は、フレッドは一度もしなかった。

 フレッドの人生の過ちは、ゲイ同士で「結婚」し、養子を二人以上とって「家族」をつくることをしなかったことだ(注1)。そうしてさえいれば、性道徳に反する数十人のゲイとの性的関係などなかった。つまり、エイズに罹患する事もなかったはず。大女優アンジェリーナ・ジョリーはブラピとの間の実子三名の外、男児カンボジア人/女児エチオピア人/男児ベトナム人を養子にした。立派な女性だ。

 ゲイであろうと、家族(子育てをする親子関係があるのが条件)を持ち、古来からの道徳に従うことが、人生に精神的安定をもたらし不幸最小化を可能とする。保守主義思想が、家族と道徳とを一体的に重視する理由は、これである。

 バークが「《節度を弁えない人間は自由を享受できない》は、哲理である」と指摘したが、フレッドは、この哲理に反した“節度無きゲイとの乱交”を選び、自由(生命)を喪失した。このバークの言説は、『フランス革命の省察』出版後の、その補遺というべきもので、タイトルは「フランス国民議会の一議員への書簡」(1791年1月19日付け)。その一節は、次の通り。

「人々は、道徳という鎖を自らの欲望に巻き付け欲望を押さえつける自制心に厳格に比例して、文明社会の自由を享受する資格が与えられる」

「具体的には、法的正義を護らんとする精神に比例して/健全で冷静な知性が虚栄心や傲慢に優越するに比例して/邪悪な人からの阿諛を排して賢者や善人の忠言に耳を傾ける度合いに比例して、文明社会の自由を享受する資格が与えられる」(注2)

 またフレッドは、フランス随一の賢者トックヴィルの諫言「道徳なくして自由は訪れてはこないし存在できない。宗教的な信仰なしに道徳があまねく社会に根を張ることもない」(注3)にも反する背徳の行動・行為に浸り過ぎた。それでも、フレッドには、嫌悪感と不潔感のみが走る、日本の犯罪者性をもつ者の集団LGBT運動とは異なり、素直に同情できる部分がある。フレッドは、コジツケである真赤な嘘「僕はゲイだから、差別された」とは、一度も吐かなかった。

 誰であれ、徳川家康が諭す如く、その人生は重荷を背負って遠き道を歩む苦難に遭遇する。悩みは、人間が生きている限り、誰しも避けることはできない。なのに、日本のLGBT運動は、個人が解決すべき悩みを「差別された」に摩り替え、ゴロツキ暴力団が手当たり次第に周辺の者に難癖付けて金品を恐喝巻き上げるのと同じ、自らが悩み抜くべき自己責任を無実・無関係な「社会」に転嫁する。

 LGBやSに生れたのは運命である。神仏や運命を呪ってもいいが、遠くから見て見ぬ振りの礼儀正しい/優しい、完全に無関係な一般日本人に言い掛かりをつけて「差別だ!」と脅迫するのは、人間以下の野蛮な暴力。かくも無法と人倫の道に反する“犯罪者集団のLGBT運動”を、美徳ある自由の文明社会・日本国に存在させてはならない。

“反・人間の呪文”「多様」&“革命教理”「差別」──社会解体尖兵LBGTが吸引の麻薬

 LGBT運動には、“反・医学の誑かし語”「性自認、トランス・ジェンダー(T)、Q」などが有毒ガスの如く満ち満ちている。むろん、この他にも、日本のように慣習という“法”の支配する正しき社会に、万が一にも存在させてはならない悪魔語が多々ある。

 この悪魔語の中でも、サリンやVXかのように、全ての人間から知性と脊椎を溶解してしまう甚だしい害毒を放つ“反・人間の狂語”「多様」は、“革命煽動の特効麻薬”「差別」とともに、LBGT共産運動家が振り回す万能麻薬ドグマだろう。

 凶悪ドグマ「差別! NO」は、“偉大な賢なる感情”「差別」によって花を咲かせている道徳と法的正義を破壊して、代りに国内に悪徳と無法を生産する、赤い悪魔がフル操業する大工場である。もう一つの凶悪ドグマ「多様」も、人間から知性と脊椎とを溶解して、無脊椎のクラゲに改造する、サリン/VXを無限に算出する巨大な底なし沼である。

 「多様」を吸い込んだら、人間は一瞬で非人間に化す。悪魔語「差別」および「多様」を粉砕し、日本から一掃してしまわない限り、日本国では自由が破壊尽されるだけでなく、日本国それ自体が枯葉剤で枯れる大木の如くに萎えて枯れ朽ち果てる。

 本稿では、ルソーの『人間不平等起源論』に始まり、シェイエスの『第三階級とは何か』を経てマルクス『共産党宣言』の“階級闘争”に発展した、ルソー源泉の「差別」ドグマの方は扱わない。それはベルジャーエフの不朽の古典『不平等の哲学』(注4)に譲る。読者は必ず読了されたい。以下、ハンス・ケルゼンに発祥した共産党革命ドグマ「多様」に関し、多少の言及をしておく。

 なお、共産党のLGBT革命運動は、「不平等(差別された!)」を捏造して“怒り”を自作自演し、右手に「差別! NO」、左手に「《多様》様に、ひれ伏せ!」のスローガンを雄叫び回る戦術が常套。共産党の革命煽動機関紙『朝日新聞』2021年5月31日付けも、これら赤い狂人たちが国会前で「LGBT差別にNO」を絶叫しながら“悪魔屋敷の狂人ダンス”を踊り狂う光景を、カラー写真で大宣伝している。凍り付くような怖い光景ではないか。

 彼らは、“不平等憎悪の教祖”ルソーと同じく重度の精神分裂病の狂人。産まれたばかりの赤ん坊五人を産着も着せずに投げ捨てる極悪悪魔たちだ。不在の「不平等」を捏造し“怒り”を自作自演しては悪魔踊りに興じて「差別だ!」と叫ぶ輩は、ポル=ポトや紅衛兵と同類。彼らを、単なる気狂いに扱うのではなく、大量殺人を秘めた大規模殺人予備群と見做すべきだから、大量殺人予備罪を刑法に新設して懲役十年の刑に処す、新しい立法を準備する必要に日本は迫られている。

 日本におけるLGBTは、微塵も差別されていない。逆。差別されているのは、LGBTが臭いオナラの如く放つ不快感・不潔感に耐え精神的苦痛に我慢し続けている一般の正常な善男善女の方。これ以上、彼らがLGBT運動という暴力行為を恣にして一般日本人への脅迫と恐喝を続け、“逆差別法=稲田朋美LGBT理解増進法”を要求するならば、日本はイスラム教国と同じく、LGBT運動処罰法ではなく、LGBT本人に対し死刑か懲役十年を課すLGBT処罰法が必要である。美徳と正義ある自由な社会は、その破壊者の暴力革命から自らを守り抜かねばならない義務がある。

猛毒“悪魔語”「多様」は、人間を夢遊病者化するケルゼン製「価値中立」の共産党語

 1991年12月末のソ連邦崩壊と同時に、共産主義思想にどっぷり浸かる“世界最凶の極左思想国家”に自己革命した、“世界随一に狂いも狂ったトンデモ国”がある。日本である。この日本に次いで、ポスト冷戦で大きく左傾化したのが、ドイツや英国など旧・西欧諸国。近頃の旧・西欧諸国では、真赤になった日本と同じ、「平等」「多様」という共産主義の歌声が大きく響き渡っている。

 一方、米国では、私の思想や政治スタンスと類似の、数百名のPh.Dを持つ保守知識人が首都ワシントンの周辺で、ペスト菌「平等」「多様」の上陸を阻止すべく、防疫線(コルドン・サニテール)を張り、洗浄・消毒に余念がない。「平等」「多様」に果敢に反撃する、このような米国の高い見識を見ると、米国にはハミルトンからの“美徳ある自由”擁護の伝統がまだしっかと残存しており、何とも心強い。

 共産革命ドグマの一つ「多様」が、なぜ旧・西欧諸国に蔓延しているかについてはここでは論じないが、日本での蔓延の理由は明瞭。日本共産党とそれが支配する新聞・出版社・教育界によって、徹頭徹尾に日本人に対して洗脳・刷り込みが行われた結果である。

 しかも、日本人は理工系を除けば、国際的にIQが極度に低く、哲学・思想分野ではアホバカの単細胞ばかり。「多様」を“寛容”だと短絡的に早合点して、それ以上に頭が回らない。日本人を、家鴨や豚と比べると、IQにおいてはほとんど差異がない。

 「多様」は、ニヒリズム(虚無主義)系の麻薬語。「真・善・美」を「偽・悪・醜」から差別して護る/尊重する、そんな正常な知性や健全な倫理の働きを麻痺させ人間から奪う目的で、人為的に創造された宗教的なドグマ(教理)が、「多様」の正体。つまり、「正常」や「是」を、対立的な「異常」や「非」から差別して擁護する、健全で倫理的な精神を腐食的に溶解させるカルト宗教の悪魔の呪文として、「多様」は考案されたのである。

 このような狂ドグマ「多様」に犯された脳においては、「正常(是)」と「異常(非)」は対等となり、当たり前の原理原則「正常(是)は、異常(非)に優越する」が溶解して遺棄される。これでは人間は判断と行動を指令する規範・羅針盤を失い、夢遊病者的に浮遊するに至る。ニヒリズムに犯され人格から正常が消え、人間としては死に体となる。

 このような倫理と一体化した知性の基軸を自己破壊する魔語「多様」は、スターリン狂徒で天才詭弁家の法哲学者ハンス・ケルゼンが構築した価値相対主義を母胎にして創られた。共産党の“狂”罵倒語「差別だ!」の源流ルソーに似て、カルト宗教呪文「多様」は、ケルゼンが源流と言ってよい。

 ドイツ人で狂信的なスターリン系共産主義者ケルゼンは、1930年代にドイツで猖獗した「価値相対主義=価値“中立”=価値“フリー”=没価値」論の中心人物。第二次大戦が終わり、ラートブルッフなどかつての価値相対主義の極左学者が次々に「常識人」に転向する中で、ハンス・ケルゼンのみ、このニヒリズムの麻薬を世界に撒布し続けた。

 崇拝するスターリンが独裁者としてまだ君臨し続けており、ケルゼンはスターリンが全世界を共産化してくれるのを期待したのである。スターリン死没は1953年。ケルゼンの「価値“中立”」煽動書の最後となった“What is Justice?”は、1957年。この書でケルゼンは、正義Justiceを転倒し一般通念上の“反・正義”を「正義」に摩り替えている。オーウェルの転倒語法の典型(注5)

 価値相対主義とは、一言で言えば、人間から知性の基軸を摘出手術的に切除し、人間の判断力を、脊椎のないクラゲ同様な夢遊病者レベルに改造するのを狙った、思想における人格剥奪の生体手術と言える。天才詭弁家ケルゼンはなぜ、道徳と法的正義を破壊尽す、この猛毒ウィルスたる価値相対主義を世界に蔓延させることを終生の仕事にしたのか。暗黒のスターリン共産体制に対し、世界中の保守知識人や常識人が公憤して「許さない!」の土台たる“非難する精神”“糾弾する倫理行為”を破壊し消滅させ、スターリンとその全体主義体制を安全域に置き永続させるためだった。

(備考) 近代以降、世界の極左思想は、ルソーを崇拝する頭が腐ったヘーゲル以来、ほとんどがドイツで産出された。マルクスもエンゲルスもドイツ人。レーニン崇拝マックス・ヴェーバーもスターリン狂フランクフルト学派(ホルクハイマー、アドルノ、マルクーゼ、ハバーマス等)もマンハイムもルーマンもカール・シュミットも、ことごとくドイツ人。廃墟主義アナーキズムのニーチェ/ハイデカー/ヘルダーリンもドイツ人。英国呪詛教の超馬鹿シュペングラー(『西洋の没落』)もドイツ人。ドイツで保守は、ゲーテ/グリム兄弟/グナイスト/レプケなど実に稀。

「法の支配」の“法”(=慣習/道徳/正義/科学)を日本人から剥奪する劇薬LGBT運動

 ここで、いったんケルゼンの話を中断する。先に、「多様」に関する日本共産党がやりたい放題の常軌を逸したアクドイ洗脳教育・宣伝の実態を垣間見ておく必要があるからだ。共産党が、「性の多様(LGBTと同義)」を冠した本や論文を大量出版し全国津々浦々に垂れ流している。このうち、私の書棚にある、小・中学校教師に送りつけているLGBT関連の恐ろしい教宣本を表1にリストする。出版社は共産党直轄出版社がほとんどだし、執筆者も札つきの共産党員ばかり。

表1;子供の脳を服毒自殺させる、小・中学校教師が読んでいる準・副読本

(備考1) SOGIは、稲田朋美が大好きな(LGBTと同義の)「性的指向・性自認」の略語。ダイバーシティは、英語の「多様」。「虹色=レインボー」は、LGBT運動の隠語。

(備考2) 「自分らしく」は、「男らしく」「女らしく」を男児・女児から剥奪して、日本人を両性具有の金属製ボルト・ナットに改造する共産党の“悪魔の人格破壊生体手術”の“催眠呪文”。

 以下、共産党出版社が出した“性交「脳」しかない狂人”渡辺大輔(教条的な共産党員)の小学生向き『多様な性と生 ジェンダー・LGBTQ・家族・自分について考える』を取り上げる。共産党員とは精神病院を脱走中の“スーパー狂人悪魔”で、一片の正常性もない。だから、男女平等や男女同等を越えた生物学的“男女同一”を妄想し、日本人の男女を雌雄同体のカタツムリに改造せんと躍起。

殺人罪を、非・物理的殺人であるLGBT教育の教員に(物理的殺人と同様に)適用せよ

 現に、この狂本『多様な性と生』は、86~9頁で、男女の児童に「男らしく」「女らしく」を自ら剥奪せよ/遺棄せよと唆し、その代替に「自分らしく」生きろ、と洗脳している。これ、オウム真理教の麻原彰晃が百万人集まっても及ばぬ、実態的はもっと残忍な大規模な大量殺人と同じ。なお、「自分らしく」は共産党語で、「男らしく」「女らしく」を抹殺する悪魔の呪文。

 なぜなら、「男は男らしく」「女は女らしく」こそは、幼児の時から厳しく育てそれを身に付けさせるのが医学的にも体験的にも正しい。また、幼稚園以降になれば、児童は自らこの「男は男らしく」「女は女らしく」を積極的に選択して、自らそう磨く。これが普通の健全な人間の行動である。

 が、重度の気狂い共産党員・渡辺大輔は、①社会が慣習conventionsを土台として形成され、またこの慣習に生命を得て機能している現実の社会を憎悪し、ぶっ壊すことに手段を択ばない。たとえ日本人を数千万人を殺しても、共産革命の達成の前提として、民族に息吹く慣習の絶滅を止めることはしない。

 また、②人間は、慣習からしか自らの人生の羅針盤を得ることはできない。いかなる人間も、親の庇護は終わり、その人生は大洋に浮かぶ小舟として漕いでいかねばならない。もし、慣習という民族の智慧と情報を身に纏っていなければ、それは素っ裸の野蛮人が突然、東京で高度文明生活を強いられた情況と同じで、初歩的な生活能力すら持ちえない。良くて根無し草(デラシネ)。ほとんどは絶望で圧死寸前の夢遊病者か、空無感が日々襲う引き籠りになる。

 LGBT運動で共産党が狙っているのは、実はこれ。日本人全員を、物理的に殺されたのと同然な、「根無し草/夢遊病者/引き籠り」にしてしまうのが目的。ここまで理解すれば、教育の現場を通じて十万人・二十万人の子供達を夢遊病者という“死に体”人間に改造する“生体手術的な非人間”行為は、物理的な大量殺人に匹敵するから、LGBT教育の悪魔性が鮮明に浮かび上がってくる。

 赤い悪魔の渡辺大輔は、LGBTを自著のイントロで言及するが、結論部分になるとLGBT問題には一語も触れない。むろん、存在しないLGBT差別問題など一語もない。要は、赤い悪魔の渡辺大輔は、この赤い凶悪洗脳書で、「男児から、男らしさ」「女児から、女らしさ」を剥奪して、日本人の人格から正常を剔出・破棄せしめ、重障害の欠陥人間に改造すべく、目晦まし的にゲイやレズの話を小・中学生に刷り込み、「君たちは、いつでも別性になるのだぞ!」のトランス・ジェンダー(男→女、女→男)の恐怖に怯えさせ、「初めから男性/女性を捨てていれば、トランス・ジェンダーがいつ起きても大丈夫」というハーメルンの魔笛を吹き込むのである。

 もう一度言う。LGBT教育は、永年の慣習の積み重ねにより平和的な共存が確立して、何一つ問題がない“日本のLGBT問題”を目的とはしていない。LGBTに関する医学に反する嘘話を、小・中学生に洗脳し、彼らの「男性性」「女性性」を剥奪し、非人間に改造してその人生を破壊する(=人生を不幸のどん底で藻掻き苦しめる)のが目的なのだ。

 共産党は、1990年代半ば、“日本版共産党宣言”である男女共同参画社会基本法の立法と、これと一体不可分の「Gender-Free人格改造教育」革命を開始した。が、この語句「Gender-Free」が、英米豪加の四ヶ国に存在しない、英語もどきの日本語だったことがバレ、これが原因で自壊・消滅した。

 すなわち「LGBT教育」は、実は、仕切り直した「Gender-Free教育」の復活なのである。LGBTは、「新Gender-Free教育」のためのもっともらしい素材に選ばれただけともいえる。だから、差別など無いのに「差別」をでっち上げる必要があり、何ら問題とならない「男女トイレ」を目の敵にする。

 もう一つ。渡辺の本から、LGBT運動やLGBT教育を通じて、共産党がもう一つの怖い革命目的を突き進めている事がわかる。LGBT教宣を通じて“日本民族の家族を消滅”してやるぞと意気込む、「レーニンの家族解体を、日本でもう一度」を絶叫しているからだ(78~81頁、本稿ではこの分析は割愛)

 日本国はその生存をかけてLGBT運動“叩き潰し”を急がねばならない。そのためには、日本国民が共産党のLGBT運動・教育を、100%正確に把握する必要がある。1700円と少し高いが、本ブログ読者だけでも、渡辺の薄っぺらなブックレット『多様な性と生』にメスで徹底的に切り刻まれたい。

絶対基軸に屹立する真善美や正義を死滅させる“詭弁の連鎖”「価値相対」の悪魔性

 さて、共産党革命語「多様」を産んだ子宮、ケルゼンの腐った赤いトマト頭から迸る「価値相対主義」に話を戻す。ケルゼンは、絶対価値「自由、道徳、正義」の破壊を狙って、詭弁の鎖を延々と繋いでいく極左の法哲学者である。その著“What is Justice?”第一章で、ケルゼンは「絶対的正義は、非合理な理念に過ぎない。現実の社会では、人間間の利害の衝突があるのみ(=片方が正義で、他方が不正義など存在しない)」等と、ほざいている(注7)

 ならば、殺人事件の犯人と被害者の間は、利害の衝突に過ぎないというのか。習近平のウィグル人への無差別ジェノサイドは、人道に反する世紀の犯罪ではなく、支那人とウィグル人の利害の衝突に過ぎないというのか。何とも度外れの狂説、それがケルゼン価値相対主義なのだ。
 しかも、ケルゼンは、この狂説を正当化するに、更なる詭弁の魔語として「寛容」を唐突に持ち出す。「寛容によって殺人者を裁かず被害者との妥協を図る価値相対の行為は、寛容という道徳原理の実践だから、無道徳immoralには当たらない」という。まさに煙に巻く詭弁の論法。戯言の極み。

 「殺人者を許すな/刑務所にぶち込め」の方こそ、道徳に適う法的正義である。この逆に、殺人者を無罪放免する「寛容」は、道徳の寛容ではなく、不道徳な“腐敗する無法”であり“堕落極める正義喪失”である。“腐敗する無法”“堕落極める正義喪失”を隠蔽する万能嘘ラベル「寛容」を二十一世紀風に言い直したのが、共産党麻薬語「多様」である。

 国民個人の“自由、生命、財産“に対する国家権力の侵害を防止することは、命を懸けて護るだけの価値がある。この自由を護る機能を自然的に発揮しているのが、古来からの慣習で、道徳と法的正義がその代表。これら至高の価値を防護するために剣を抜く勇気と精神とは、まさしく真正の美徳の発露に他ならない。

 悪漢どもは今、路傍で拾った水戸黄門の印籠「多様」という紋所を振りかざして、日本の自生的法秩序を破壊すべく、暴虐なるLGBT革命運動を展開している。この「暴虐なるLGBT革命運動」を粉砕する“高貴なる差別の精神”こそ、真正の美徳の実践であろう。

 美徳と背徳の差別、法的正義と不正義の差別、(正常な教員と差別して)悪のLGBT教宣教員への断罪(懲戒免職)、反・医学の「性自認」を金科玉条とする真赤な法務省人権擁護局や地方自治体の真赤な関連部局の閉鎖・解体・廃絶を唱道し推進する、差別する高雅な精神に裏付けられた、反・価値相対主義/「反・多様」の思想と行動こそが、我々の子孫がニヒリズムの魔窟に転落して呻吟する人生から救出する、我ら「父親の世代」「祖父の世代」が果たすべき、当然の世襲の義務の履行ではないのか。

 そして、何よりも区別・差別の高雅な精神こそは、神の見えない手に拠って作られた“運命の性差”「男性」「女性」に対し、品性高く発揮されるべきだろう。大原理「男性に生れた男は、男であることを誇りに思い、男性性を磨こう」「女性に生れた女は、女であることを誇りに思い、女性性を磨こう」は、本当の人類不変の哲理なのだ。

 すなわち、「男性」「女性」だと強く自己認識すること自体が、人間の人生を安全に航行させてくれる海図であり羅針盤。片時も手離してはならない海図や羅針盤ならば、「男性」「女性」の強度な自己認識は、道徳や法的正義と同列に並ぶ絶対価値だと言い得る。

 そして、「男性が女性を保護し、女性が男性を尊敬する」非対称の相互関係が、子孫を永遠の未来に紡いでいき、自由の温室たる国家・民族の基盤を悠久にしてくれる。絶対価値たる「男性」「女性」が、それぞれの祖先からの慣習に従って人生を歩む事自体、我ら由緒正しき日本民族の日本人としての高貴なる世襲の義務であろう。共産党の悪魔語「平等」「多様」を粉砕する“高貴なる差別する精神”を、絶対価値「男性」「女性」に適用した時、この“高貴なる差別する精神”もまた、その輝きをいや増すのである。

福井県民に告ぐ!共産党秘密党員・稲田朋美を落選させ、石もて平壌に追放せよ。

 上記で俎上に挙げた『多様な性と生』の著者「渡辺大輔」は、埼玉大学の准教授である。埼玉大学などレベルが水準以下も甚だしい「教師も馬鹿以下、学生も馬鹿以下」の大学以前。税金の無駄遣い甚だしい粗大ゴミ大学。直ちに廃校にすべきは、言うまでもないこと。

 序に、東大を初め、全国の大学の教育学部は全て廃校にしなくてはならない。例外一つとしてなく、共産党員しか教員にはいないからだ。教育学部は、全国津々浦々、共産革命のための子供たちへの洗脳教育・劣化教育をのみ研究している。日本国民は、日本国永続のため、全大学の教育学部廃止を今直ぐ決断する時である。

 なお、蛇足的だが、福井県民が、共産党秘密党員・稲田朋美を落選させ、石もてピョンヤンに追放することも忘れてはならない。

 

1、ゲイ・カップルやレズ・カップルへの結婚証明書は、養子縁組をして子育てを開始した時点、もしくは後者の場合に限るが人工授精で出産した場合に限って妥当となる。カップルの同棲事実を以て結婚証明書を発行した渋谷区役所の暴走はmarriage equalityではない。結婚の法律的手続きは、予定を含めた親子関係や子育てを絶対前提としている。これを無視した共産党員・渋谷区長はmarriage-inequalityをなしており、法の衡平equityを破壊している。

2、この論文『フランス国民議会の一議員への書簡』は、バークのルソー批判としても有名。尚、訳者・中野好之は、この論文とそれに続く1791年作『旧ウィッグは新ウィッグを裁く』『フランス革命情況の考察』の三篇を合わせて『フランス革命の省察 続編』として出版すべきだった。バークを読みたい多くの日本人がこぞって購入しただろうし、保守主義の哲学テキストとしても最重要な三論文だからだ。当該部分の邦訳は、中野好之編訳『バーク政治経済論集』、法政大学出版局、573頁。原文は、『The Writings and Speeches of Edmund Burke』第八巻、Oxford、332頁。

3、トックヴィル『アメリカの民主政治 上』講談社学術文庫、36頁。英語原文は、『Democracy in America』第Ⅰ巻、Vintage、12頁。

4、ベルジャーエフ『霊的終末論』、八幡書店、に収録されている。

5、オーウェルは、『1984年』の「付録 ニュー・スピークス(転倒語法)の諸原理」で、共産主義者に特有な“転倒語法”を解説している。ハヤカワ文庫版、391~407頁。

 ケルゼン著“What is Justice?”第一章で定義された「狂った正義」は、慣習が形成する自生的秩序の一つである“正しい正義”とは、180度も真逆になっている。“正しい正義”とは、古来からの人類の法慣習としてに存在した正義「人を殺してはいけない/他人の物を盗んではいけない」等を、に法典で編纂して刑法としているように、法律よりも先行して存在する。一方、ケルゼンの「正義」は、全知全能者が法律で定める。これはケルゼンがスターリンを念頭に、「共産社会に革命すること=正義」として、この革命に抵抗する反・革命を“不正義の違法行為”として処刑し捲る、そのような悪魔の立法を「正義に適う」と嘯き援護するための、赤い詭弁定義だからだ。

6、『GENDER FREE 若い教師のために』、東京女性財団、1995年。東京女性財団を都知事・石原慎太郎は廃止したが、この日本の子供達への悪魔の人格改造=犯罪を問題にしたのでは無い。財政支出の削減が表も裏もその理由。が、結果からすれば、これが唯一の石原都政の善政として歴史に残った。

7、Hans Kelsen,“What is Justice?”,THE LAWBOOK EXCHANGE,pp.22~4.

                                              (2021年6月8日記)

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