日本を再び対米戦争に駆り立て、数千万日本人ジェノサイドを狙う“スターリン史観の悪魔”西尾幹二『日本と西欧の五〇〇年史』 

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

(前置き) 『日本と西欧の五〇〇年史』(2024年3月刊)は、西尾幹二の最後の単行本。レーニン狂のテロリスト大川周明の直系“大量殺人鬼”を自認し、次に日ソ中立条約の松岡洋右に拝跪する“稀代の日本憎悪”狂が西尾幹二の正体。西尾幹二がこの書に秘めた核心は、インカ帝国を絶滅したピサロに生まれ変って、一億日本人を殺し日本列島を無人の地にして日本国を地球から消滅させること。

 この意味で、2025年2月1日「お別れ会」に参集した西尾幹二“信者”に破防法を適用して一網打尽に逮捕収監することを検討せねばなるまい。西尾幹二の書籍は毒ガスのサリンに勝る“猛毒の凶器”。それらの本を手にする西尾ファンは一億日本人を皆殺しする凶器を準備する集合。西尾幹二とは麻原彰晃の化身だし、西尾ファンとはオウム真理教の狂信的な信者と変わらない。

 このことは、『戦争史観の転換』(『日本と西欧の五〇〇年史』の旧タイトル)第一章/第二章を論難した、私の次なる2014年論文を読めば一目瞭然に理解できる。

 危険な珍語性が漂う西尾語「戦争史観」は、通常の語彙ではない。その意味は、「大東亜戦争史に関し、歴史学的な歴史事実に基づく歴史なんかドブに棄てよう」「1945年夏の昭和天皇の“停戦ご聖断”を全否定し、日本人は玉音放送以前の1945年8月14日に戻って大東亜戦争を継戦しよう」との、西尾幹二流の狂気。西尾はニーチェ文藝をまね、「大東亜戦争史観の転換」から三文字「大東亜」を削り、このタイトルを創った。

「戦争史観の転換」の意味は、「大東亜戦争史を戦時の嘘宣伝の通りに改竄せよ!」

 2014年の今、七十年前の1945年に戻ることはできない。八年間にわたって日本国民を騙し日本人を殺し続けた大東亜戦争は、1945年9月2日、東京湾上の戦艦ミズーリーで降伏文書に署名し大敗北が確定した。この歴史事実は改変できない。

 しかし、西尾幹二の精神分裂病はひどく、彼には時間軸がない。2014年と1945年の相違を、西尾は区別できない。虚空に思考が猛スピードで回転している西尾幹二にとり、2014年の今も、過ぎ去った1945年夏。両者間をつなぐ時間は存在しておらず、彼の頭では混然と「2014年=1945年夏」なのだ。

 さらに西尾幹二は、真実と虚偽の差異がわからない。しかも、西尾にとって真実などどうでもいいから、“戦時プロパガンダ(嘘歴史)は、歴史ではない”とは認識できない。逆に“嘘歴史(小説)こそ、真正の歴史”との幻覚に酔い潰れる。

 だが、“反日のワル集団”在日朝鮮人や、知性や知力と無縁な“低級な非・国民”民族系日本人は、西尾幹二が垂れ流す、日本の知を腐蝕し溶解する嘘歴史に興奮し恍惚となる。民族系は、西尾幹二が煽動する嘘歴史が麻薬となって頭に注入され痺れさせてくれることに感激する。(日本国籍をもってはいても)在日朝鮮人は、日本人が今も大東亜戦争が続いているかに錯覚し、北朝鮮に代理して米国と戦争をするならこれほど有難いことはない。

 西尾幹二の“狂気本”『戦争史観の転換』(『日本と西欧の五〇〇年史』の旧題)の読者の多くが在日朝鮮人なのは、このような理由を知れば、不思議ではなかろう。

第一節 鈴木宗男以上に、自らをロシア人だと信じるKGB西尾幹二

 戦時プロパガンダの嘘歴史を歴史だと妄想する狂人・西尾幹二はまた、漫才師が笑い転げる度し難い“歴史知見に無知・無教養”が特徴。そのひどさは他に類を見ない。即ち、西尾幹二の歴史評論は「狂人史観」。それ以外ではない。つまり、西尾ファンとは、オウム真理教の信者よりひどいカルト狂信の宗教犯罪者。いくつか例示しておこう。

西尾の無知・無教養は、底なし沼 

a、「独立戦争が終わるとアメリカの中央政府の力は急速に衰え、植民地がそこに十三残っただけだった」(注1)

↑ 1783年、独立戦争に勝利し十三は植民地から主権国となった。が、西尾にかかると逆で、「植民地になった」となる。まさに狂人史観。また、米国に中央政府ができたのは、ジョージ・ワシントンが大統領に就任した1789年春。独立の1783年時点、憲法は制定されておらず、十三邦を十三州に格下げした連邦政府は影も形もない。

b、「あの建造物は後で造ったもので・・・日本の大工さんが、ニュルンベルグ裁判の建物の設計に基づいて急遽造ったシロモノ」(注2)

↑ 東京裁判の法廷に使用した市谷台の陸軍士官学校の講堂は堅固な鉄筋コンクリート。大工には造れない。また、ニュルンベルグ軍事法廷とは似てもいない。

c、「(第二次世界大戦で)スペインは、日本の同盟国(枢軸国)だった」(注3)

↑ 第二次世界大戦の中立国は、スイス/スウェーデン/トルコ/アイルランド/スペインなど。フランコ総統の内心は反ナチ親英。当然、ヒトラーの誘いに乗らず、日独伊三国同盟に加盟せず。英国でフランコ総統の反ナチ親英を喝破したのはチャーチル一人。

d、「1930年代に日本が満洲を死守しようとして、アメリカがこれを拒否したことが大東亜戦争の全てだった」(注4)

↑ 大東亜戦戦争は、1937年7月の北京郊外・盧溝橋事件をきっかけに、(スターリンの命令で)近衛文麿が独断で、蒋介石を殺害すべく支那全土に戦争をおっぱじめた戦争。小学生の誰でも知っているイロハ歴史。西尾の無知は、まさに馬鹿アホ以上。また、1941年12月のハル・ノートですら満洲からの撤兵を要求していないように、米国は満洲に関しては寛容で、関心すらほとんどなかった。

e、「フェデラリズムは、イギリスの保守思想家エドマンド・バークの流れを汲む」(注5)

↑ アレグザンダー・ハミルトンを初め、米国の建国の父たちの誰一人、バークの『フランス革命の省察』を読んでいない。米国の憲法制定は1787~8年。『フランス革命の省察』の出版は1790年で三年遅すぎた。また、憲法で王制・貴族制でない道を選択した米国にとり、王制擁護理論のバーク思想は無意味。ハミルトンの保守主義思想は、コーク卿とブラックストーンから構築している。なお、米国でバークを読んだ最初の学者はハーバード大学のバビット教授。彼の『ルソーとロマンチシズム』(1910年)がそれ。米国で、バークが広く読まれるようになったのは、ラッセル・カークの『保守主義の精神』(1953年)以降。レーガン大統領は、カークのこの本からバークを知り、バーキアンになった。Stanford大で、ある教授が「朝鮮戦争が勃発して初めて米国知識人はバークを知った」と授業中に語った。

f、「ハリマンは日露戦争中、日本の戦時公債を一人で大量に引き受けた人です」(注6)

↑ ユダヤ人の大富豪シフをハリマンとは、西尾幹二の頭は青葉真司と変わらない。

 

 なお、西尾の歴史評論は、このほか無数。その無知・無教養ぶりは、西尾幹二が“歴史を語るお笑い芸人”なのを示すが、学者以前/評論家以前の詐言師である証左でもある。

 

マルクス・レーニン主義も信奉する、ニーチェ・ヒトラー主義の“超・極左”西尾幹二

 ニーチェ主義者は、意識するとしないにかかわらず、必ずナチスト(ヒトラー主義者)になる。西尾幹二も、この典型。だから、ナチズムとヒトラーを憲法学から支え続けたナチ党員カール・シュミットと自分自身と同じ視点なのが、西尾は嬉しくてたまらない。

「カール・シュミットの著『大地のノモス』(1950年、注7)(私の著)『国民の歴史』もその点で相似ていて、スペイン、ポルトガルによる地球分割からアメリカの覇権主義にいたる一筋の統一ある流れが存在することを指摘してきました。どちらも第二次世界大戦後の本。

 さすがドイツ人カール・シュミットは、ナチス贖罪意識で物言えない風潮の中でも観るべきものはしかと観ていたことに、私は感服しました」(注8)

 保守系の日本人なら必ず、ホッブス/ルソー/ヒトラーに崇拝・心酔して1933年に入党した正式ナチ党員カール・シュミットを排撃する。しかし、西尾は逆にカール・シュミットに「感服する」。この事実は、西尾幹二が“極左”ホッブス/ルソー/ヒトラーを同志と見做す、北朝鮮人や共産党員と全く同列の正真正銘の極左だからだ。

 尚、カール・シュミットは、不起訴になったが、ニュルンベルグ裁判でのA級戦犯容疑者だった。釈放後、憲法学を棄て、奇々怪々な国際法を専門にした。

 ヒトラー主義者の西尾幹二はまた、“強度の市場経済憎悪教”の狂信者。ヒトラーは統制経済の社会主義者だから、反・市場経済。一方、西尾の反・市場経済のイデオロギーが、ヒトラー型の社会主義なのか、それとも計画経済のスターリン型の共産主義なのか、どちらなのか。とはいえ、西尾幹二が、“市場経済憎悪教”の強度な狂信徒なのは疑う余地ない事実。西尾幹二が北朝鮮経済体制シンパであることも、この証拠。

 このことからも、西尾幹二の経済イデオロギーはナチ型社会主義ではなく、スターリン/北朝鮮型の共産主義型のようだ。なぜなら、西尾幹二は、奇論珍論まみれだが、マルクス『資本論』とレーニン『帝国主義論』をブレンドした幻覚妄想を次のように展開するからである。

「現在(2013年)の世界(は)…五百年続いた資本主義の歴史が行き詰って、金融資本主義が膨脹し、限界まで来た」

「スペインから始まり、イギリス、オランダ、フランスを経てアメリカに至る覇権競争は、生産力の無い国から安い資源を買って商品化し、再びそれを高い値段で売る、…安い資源を高い付加価値をつけて搾取する、という掠奪のシステムがずっと続いて、現代はいまだに基本的にその延長上にある」(注9)

 多少経済学を知っている中学生でも、南米の古代文明を破壊して財宝を強奪して富を蓄積したスペインの掠奪を「資本主義」だと聞けば、唖然として絶句し、次に抱腹絶倒する。西尾のこの珍論に従えば、十三世紀モンゴル帝国の殺戮の恐怖下での他民族収奪も、「資本主義」となる。日本における文永・弘安の蒙古襲来も「資本主義」行動となる。

 あるいは、日米の経済関係は、日本には安い資源などないから、日米間の間にはいっさいの商取引(貿易)も無いことになる。だが、日本は米国に自動車を売り外貨を稼いでいる。ならば、日本は米国を略奪していることになる。西尾の経済学は、狂気以外の何物でもない。つまり西尾とは、強盗や泥棒を経済行為とみなす、暴力による略奪経済の信奉者なのだ。

 ところで、西尾には、他にもう一つの理由があるようだ。自分の略奪経済の狂気を米国に投影し、米国をスケープゴートに「他者」として非難することを通じて、泥棒や強盗の衝動にはやる「自己」を牽制しているようにも観察できる。西尾が、著作権法違反の「盗用」の常習犯なのも、他人の所有を認めることのできない、西尾自身の略奪主義の狂気とは無関係ではないだろう。

 西尾は、日頃から、英米仏の資本主義(市場経済)国との財・サービスの貿易関係では、日本は代価を払うべきでなく、これら米英仏は日本にすべて無料で渡すべきである(=日本は米英仏から略奪すべきである)と主張する。1999年末、西尾幹二は私に、歯を剥いた狂犬病の凶暴な犬そのものに、(「米国と仲が悪いから米国製掘削リグが手に入らず、日本は満洲の石油を発見できなかった」と指摘した私に対して)「米国は、1930年代、日本に最新の石油掘削リグを<タダで売る>ベきだった」と大声で怒鳴った。

 しかも私が、「ハイテクを<タダでもらう>など非常識の極み。強奪と同じだし、相手は応じないから、結果は手に入らない」と嗜めると、「米国は日本から輸入した商品に代価を払うべきだが、日本は米国から輸入したすべての商品に代価を支払う必要なんてない!」「米国は、日本が欲しいものを何でもタダで渡せばよいのだ!」と喚いた。西尾幹二が、完全な精神異常者だと確信した。

 なお1997年、私は、西尾幹二に依頼され洋書を代わりに購入してあげた。その代金を私が何度も請求したが、西尾は二十年近く経つが未だに払わない。西尾の“略奪”は、日常習慣でもある。この洋書とは、Bennett著『The Book of Virtues』。

 日本は原発から出た使用済み燃料を英仏に(核のゴミとプルトニウムに分離する)再処理してもらっている。西尾幹二は、次のように、日本はこの再処理代金を支払うべきでないと主張。英仏は「国際的な無法国」で、英仏の再処理会社は「日本を搾取する」からだと。

 しかし西尾は、英仏の再処理代行の対日請求額はいくらなら妥当とは決して言わない。具体的な数字「法外な上乗せ請求が◯◯円」とも言わない。要するに、「英仏が僅かでも儲けていることは許せない!」と、喚いた。

「原料のウラン濃縮と燃料のプルトニウム再処理に対して、国際無法社会(=英やフランス等)(日本から)巨額の金を搾り取るあこぎなシステムができ上がっていた」(注10)

 経済の話になると突然マルクス主義者に「変身」する西尾幹二の頭では、適正な商取引も自由市場社会のそれという理由で、「無法」「搾取」となる。「契約は合法的で適正あるが故に無法」「取引金額は適正価格であるが故に搾取」という転倒は、分裂病罹患者の論理転倒症状。詭弁ではなく、マルクス主義の狂信とない交ぜになっている。

 マルクスやレーニンの「ブルジョアジーの財布や財産は盗んでも罪にならない」という略奪“合法”論は、必ず、「自由社会の市場価格での取引は、何でも略奪だ!搾取だ!」に反転する。略奪主義の狂人西尾幹二は、同じ略奪主義の狂人マルクスやレーニンの転倒話法(ジョージ・オーウェルが「ニュー・スピークス」と名付けたもの)を忠実に信仰している。

「スターリン史観」に洗脳され“ロシア人”になった、“無国籍人”西尾幹二

 1945年夏の戦時プロパガンダを復権せんものと意気込む西尾幹二の雑誌『正論』での連載「戦争史観の転換」の、その第二章は、「ヨーロッパ五百年遡及史」。これ、四つの特徴がある。

 第一。こんな超短篇エセーで、世界の五百年史を概説できると考える、歴史を舐めきった、西尾幹二の歴史評論に対する良心の欠如。西尾にとって歴史は、嘘コマーシャルや嘘経文の類。読者をどう狂信させるかが、西尾が書きなぐる歴史評論の目的。

 こんな超短篇エセーでは通常の歴史記述すら不可能なのに、自分が煽動したい一側面を摘み食いするには好都合だから、すなわち歴史偽造には好都合だから、このペテン的方法を採っているようだ。

 第二。無国籍人の意味不明世界史になっている。そこには、日本人の視点はむろん、日本国を守るという立ち位置は全くの不在。むしろ逆に、日本を亡国させたいとの“究極の反日”の狂気が濃い霧のように立ち込めている。

 第三。ロシアのアジア侵略史を世界史から消す、西尾幹二の悪意がありありの、マジック・ショーになっている。それはまた、大東亜戦争におけるロシアの対日侵略の事実全てを隠蔽するのを狙っている。さらに、ロシアが大東亜戦争を日本の背後から指揮し操った真実の歴史の核心を日本人の頭から煙に撒いて消し去ることが意図されている。まさに新型の「スターリン史観」である。

 第四。西尾幹二の時計は、1945年夏で止まっており、幻覚「2014年の現在も続いている英米との戦争」を煽動し続行させんとする、彼の妄想執から生まれた“狂気の煽動宣伝”が基軸になっている。

 以上の四点は、日露戦争に関する西尾幹二の、次のような下劣で野卑をきわめる対英中傷誹謗の偽造歴史を読めば、実に瀝然としていよう。西尾幹二はニーチェと同じ、異常な道徳否定主義の実践者。だから恩義ある最高の友邦・英国に、恩を仇で返す侮辱をなしては、ニヤリと笑っている。

「日本とロシアを戦わせて漁夫の利を獲ていたイギリス…」(注11)

 日本が自国の存立が風前の灯の時に、英国は栄光の孤立を捨てて日本国のため、1902年、日英同盟を締結し、(軍事力投入以外の)非軍事力による同盟国としての責任を全力挙げて十全に果した。英国のこの協力無しには、日本は日露戦争に勝利することなど全くあり得ず大敗北を喫している。

 例えば、アルゼンチンがイタリアに発注し完成したばかりの二隻の新鋭軍艦「日進」「春日」を日本に斡旋したのは英国だった。しかも、回航にあたってロシア海軍に撃沈されないよう、両艦とも艦長を英国海軍大佐にし、かつ英国海軍の一万四千㌧の当時世界トップの巨大な新鋭の装甲巡洋艦を提供しセイロン島のコロンボまで護衛した。事実上、英国海軍による日本への回航だった。また、ロシアがチリから購入しようとした軍艦二隻は、英国が急いで高額で落札し、ロシアに売却されるのを寸前で防いだ。

 そればかりか、戦争遂行の財政力がない日本は、日露戦争の戦費の四割を英米二ヶ国で外債を売って賄ったが、このとき英国国王エドワード七世は、アメリカの大富豪シフやイギリスの資産家を国王晩餐会に招待して日本公債購入をしきりに勧誘した。

 要は、西尾幹二は内心では、日本が日露戦争で惨たる大敗北を喫して、ロシアが韓半島を南下し対馬を陵辱したあと、九州まで侵攻する事態を期待している。西尾幹二には、“日本を守る”とか“日本国を存続させたい”とか、そのような日本国民として通常・正常な視点も精神も皆無。西尾幹二は、その生涯をかけて、日本国滅亡を祈祷し続けた。

 どうやら西尾幹二とは、生まれつきの“無国籍人”。先天的な国家不在病。この先天的な無国籍病なくして、“国家廃滅哲学の始祖”ニーチェに魅惑されることなどありえない。西尾幹二の本性は、日本国を破壊したい抹殺したいの“日本憎悪”感情の塊り。

 そればかりか、ロシアの対日戦争勝利を祈願することにおいて、西尾幹二は、正真正銘の「ロシア人」。上記引用の「西尾史観」は、歴史事実でいえば、日露戦争に敗北した後のロシアが「日英分断」を狙って日本国内に流した偽情報工作の一つ。こんな見え見えのロシア製嘘宣伝を、そうだと知ってさらに拡声器で日本人読者に刷り込もうとする西尾幹二とは、“ロシアの特殊工作員(注7)というほかない。

 蛇足。大東亜戦争中、とりわけ対英米の太平洋戦争中、日本国民の過半はどうして対英米戦争をするのか本心では反対だった。少なくとも、疑問視する声が大勢だった。その理由の一つは、この日露戦争における米英の対日協力に対する感謝の念だった。

 このため軍部や軍部と表裏一体の朝日新聞や『中央公論』など影響ある雑誌は、英米について悪口雑言の中傷誹謗をする“戦時プロパガンダ”に熱を入れた。西尾の上記引用文は、戦争中の日本人の頭に刷り込まれた嘘歴史。「第四」の特徴があらわ。

 このことは、西尾幹二が、小学校一~四年生の時、戦時プロパガンダを洗脳されたまま大人になったことを意味し、知的成長をいっさいしない異常人格だということ。西尾の時計は、やはり一九四五年夏の十歳で止まっている。

ロシアの日本領土略奪史を隠蔽する高級トリック、それが西尾「五百年史」の核心

 さて次の論点に移る。歴史の大改竄が目的の西尾幹二『戦争史観の転換』第二章の「ヨーロッパ五百年遡及史」で跳躍しているペテンの手口は、彼が描く“虚構世界歴史地図”が核心。西尾流「世界史地図の改竄」を通じて、世界史を“対英米戦争プロパガンダ”用に改竄し「変身」させている。

 つまり、「五百年遡及史」の西尾式ダーティ・トリックとは、演劇舞台「五百年遡及史」で登場する国をポルトガル/スペイン/オランダ/イギリス/米国の僅か五ヶ国に絞り、ドイツ/フランス/ロシアの三ヶ国をバッサリ消す“悪の脚本”。

 この「五百年史」で、東アジアの明帝国/清帝国/(毛沢東→習近平の)共産シナ帝国を西尾幹二は抹殺している。これは不問としよう。しかし、米国を含めるのだから「欧米」とすべき。なのに、なぜ西尾が「西欧」と記述するのか。それは、大悪人ロシアを隠蔽するためで、この隠蔽を正当化するためのトリック語だからだ。「俺は西欧としており、ロシアを消していることを隠してはいない」と開き直る詭弁の下準備である。

 しかし、ロシアを消す、西尾の手品を認めるわけにはいかない(尚、ドイツ/フランスを消しているのは、ロシア隠しが目立たたないようにするため)。なぜなら、ロシアを隠すためにドイツも隠せば、第一次世界大戦と第二次世界大戦をなかったことにせねばならない。これでは世界史は世界史ではなく、“スーパー嘘世界史”となる。

 また、1789年に始まるフランス革命とは、そこに発生した猛毒の極左イデオロギーの汚染が世界を一変した世界史の大事件。フランスを「世界史五百年」の歴史の主役でないと考える西尾幹二の歴史観は、度がすぎた反・学問。現に、フランス革命思想を原理主義で奉戴する北朝鮮は、日本の国家安全保障を今も揺るがしている。フランス革命思想の「発展」形態である、現在の共産支那の西太平洋覇権への勢いは、日本や東南アジア諸国への脅威を決定的な段階まで押し上げている。オーストラリアやインドをも震撼させている。

 それ以上に、フランス革命こそレーニンの共産革命の原点で、レーニン自身が語るように「ロシアの共産革命(1917年11月)とは、“第二フランス革命”」だった。このことは、“ソ連の歴史”ともいえる二十世紀の世界史は、フランス革命こそが創ったのである。これ、世界の歴史学会の通説。ところが、西尾にかかると、フランス革命を消す。その真意は、ソ連の世界侵略を核とする“二十世紀の世界史”を、日本人から目晦ましするため。

 すなわち西尾幹二は、世界史を、富と財宝の略奪や植民地だけで動いたとするマルクスの経済社会学どおりに改竄・捏造している。西尾幹二の史観は、完全な“マルクス史観”。が、イデオロギーや軍事的な領土拡大野望の方こそ、経済以上に世界史を動かす要因である。しかし、西尾の“狂書”『戦争史観の転換』は、この重大要因のイデオロギーやソ連を消す。フランス/ドイツ/ロシアの重要三アクターを捨象する。かくもペテン師顔負けの歴史改竄を施した西尾幹二『戦争史観の転換』は歴史ではない。

 西尾のトリックは、さらに二つ。第一。十五~六世紀スペインとポルトガルの地球規模の進出をことさらにクローズアップし、二十世紀以降の米国にこれをアナロジー的に投影し、米国とはインカ帝国/マヤ帝国/アズテック帝国を破壊した“十六世紀スペイン”の再来という、米国の虚像をデッチアゲる魔術を行っている。第二。「ロシアはずっと世界史の脇役だった」という真っ赤なイルージョンを狡知に演出している。

「覇権国の移り変わりを現代から過去へ遡っていくとアメリカ、イギリス、オランダ、スペインの順であり、横側(脇)にフランスがいたりロシアがいたりで、ドイツは姿を見せず…」(注13)

 二十世紀が、“アメリカの世紀”と見るか、“ソ連・ロシアの世紀”と見るか、これに関しては両説とも合理性がある。即ち、ソヴィエト・ロシア(ソ連)が脇役だったなど、あからさまに荒唐無稽にすぎた虚構の世界史。

 第二次世界大戦はドイツのヒトラー無しでは勃発しておらず、またドイツとの独ソ不可侵条約や日ソ中立条約などの公然だけでなく、ベリア配下のNKGBの非公然工作を通じてソ連こそが第二次世界大戦の真正の主役であった。例えば、日本は、“ソ連の犬”として日支戦争を遂行し、戦う前に大敗北明らかな愚行の対英米戦争まで決行した。大東亜戦争とは「スターリンを教祖、日本をその奴隷信者」とする戦争だった、と解釈する方が歴史の真実に迫真する。 

 すなわち、西尾幹二が世界史の大偽造を目的とした“晩節の狂書”『戦争史観の転換』は、大英帝国を相手にしての十九世紀後半におけるユーラシア全土へと勢力を伸ばす帝政ロシア帝国の大膨張を隠蔽する。また、1980年時点の世界地図におけるソ連圏を鳥瞰すれば明らかなのに、ソ連がイデオロギーと軍事力と謀略力の三位一体をもって全世界の半ばを掌中にした事実を隠蔽している。

 オランダは一度として覇権国に近づいたことすらないが、西尾がこのオランダを主役級に抜擢しているのは、英国を中傷する偽イメージをつくる西尾流の歴史改竄テクニック。英国を愚弄して“悪者”にすれば、十九世紀後半から二十世紀初頭まで、ユーラシア大陸を英国と二分したロシアを“善者”に糊塗できる。

 「西尾史観」とは、二十世紀におけるロシア/ソ連の世界覇権を隠蔽する、新種の「スターリン史観」である。世界史の真実を隠蔽する“悪魔の史観”といってよい。

 二十世紀中期の大東亜戦争とは微塵も関係しない、十五世紀末のスペインとポルトガル両国が世界二分割境界を定めたトルデシリャス条約(1494年)を大仰しく記述するのも(注9)、二十世紀の現実の世界史とその一つを占める真実の大東亜戦争史を、読者の目から遠ざけ、虚構の歴史に全面偽造するための舞台装置なのだ。

 

第一節

1、西尾幹二『日本と西欧の五〇〇年史』、60頁。

2、西尾幹二「日本民族の偉大なる復興 下」『正論』2013年9月号、68頁。

3、上掲『日本と西欧の五〇〇年史』、30頁。

4、上掲「日本民族の偉大なる復興 下」、71頁。

5、上掲『日本と西欧の五〇〇年史』、65頁。

6、西尾幹二『GHQ焚書図書開封』第6巻、60頁。

7、『大地のノモス』は、1976年に福村出版から邦訳。2007年、慈学社から改訂版が再刊した。内容は国際法だが、素人以下の読むに耐えないシロモノ。ホッブス/ルソー的な思惟から、文明社会の“法”たる国際法が理解できるはずがない。

8、西尾幹二「天皇と<人類(欧米)>の対決」後編、『正論』2014年4月号、151~2頁。

 なお、西尾の三回連載論考「天皇と人類の対決」は、西尾幹二の心底で煮え滾る天皇制度への憎悪と破壊の妄念なしには書けない。なぜなら、天皇を、自分の分裂病の幻覚妄想上に描く対欧米戦争における、最前線の一兵士に扱い「特攻」させているからである。

9、上掲『日本と西欧の五〇〇年史』、40~1頁。

10、西尾幹二「平和主義でない<脱原発>」『WILL』2011年8月号、49~50頁。 

11、上掲『日本と西欧の五〇〇年史』、124頁。

12、西尾幹二は、KGB第一総局(現SVR)付きの日本人工作員だが、ロシア大使館のKGB事務所が直轄しているようにはみえない。西尾幹二は、自分から押しかけて“ロシア工作員”になっているようだ。いずれでもKGBロスケなのは変わらないが。

13、上掲『日本と西欧の五〇〇年史』、109頁。

14、仝上『日本と西欧の五〇〇年史』、141頁。

(以上、『中川八洋掲示板』2014年6月26日up記事より)

 

第二節 西尾幹二『戦争史観の転換』は、“全盲史観”のカルト宗教

「知識の貧困」や「知識の欠乏」が、西尾の歴史評論問題の核心ではない。西尾幹二が計画的に虚偽歴史を構想し、それを垂れ流し、日本人に狂った歴史を洗脳・刷り込む犯罪行為が問題なのだ。西尾幹二が“犯罪的な偽情報宣伝家”なのが問題なのだ。

 チンギスカンやピサロがなした他民族に対して容赦ない“歴史簒奪の侵略”と同種の、日本人から正しい歴史を奪うことに妄執の情熱を傾ける、日本憎悪に燃える“無国籍の反日狂人”西尾幹二の歴史評論から、日本国の歴史を守らねばならない。そのためにも、西尾幹二の“世紀の悪書”『戦争史観の転換』(単行本化の際、『日本と西欧の五〇〇年史』に改題)は徹底解剖され粉砕されねばならない。                           

 一例を上げる。西尾の『戦争史観の転換』第一章に、こうある。

(1898年の米西戦争でスペインが負け)フィリッピン陥落の後、イギリス海軍は西太平洋をアメリカに引渡し、艦隊を撤収した。スペイン帝国とイギリスとの積年の対決に終止符を打ったのはイギリスではなく、新興国アメリカだった」

「アメリカはこれによって一等国になり、太平洋はアメリカの海となった(注1)

「英国は、東洋艦隊を(実際より七十年も前の)1898年に撤収した」???(大笑)

 マニラ湾での米西戦争を、「マニラ湾海戦」という。香港にあるイギリス海軍軍港を間借りした“米国アジア艦隊”は、表1のごとく、ささやかなもの。米西戦争より四年前の1894年9月、日清戦争の黄海海戦を勝利した日本海軍から見ると、前近代的な艦隊。親米だった当時の日本人は、ただただ苦笑。大西洋からマゼラン海峡を越えて波濤はるばるアジアにやってきた、可愛い「米国アジア艦隊」など、戦力的には日本海軍の数分の一以下。しかも、軍艦はまだ石炭が燃料だから、大西洋の海軍がアジアで大きな働きはできない。日本は政府も国民も失笑をこらえて、「米国よ、もっと強くなれ!」と声援を送った。

 一方のスペイン太平洋艦隊は、米国よりひどい“玩具の海軍”。何しろ木造巡洋艦まである時代錯誤の艦隊。たった六時間の戦闘で、七隻のお粗末なスペイン太平洋艦隊は、撃沈を含め全艦潰滅。「下には下がある」の見本。

 フィリッピンを獲得した米国は、「米国アジア艦隊」の軍港を造らなかった。マニラの近くスービック湾は軍港に最適の湾。しかし、パナマ運河がない以上、そんな軍港、造ろうにも造れなかった。米国が太平洋に初めて海軍基地を有したのが、それから二十年後の1919年でハワイのパール・ハーバー。ここが、米国海軍力が持てる西側最先端。

表1;マニラ湾海戦参加の米国海軍と黄海海戦参加の日本海軍

 

米国アジア艦隊(1898年4月30日)

黄海海戦に参加した日本の艦隊(1894年9月17日)

巡洋艦

4隻(5870㌧、4413㌧、3213㌧、4413㌧)

5隻(3709㌧2隻、4225㌧、2439㌧、3172㌧)、海防艦3隻(4278㌧)、注2

コルベット艦

なし

2隻

砲艦

3隻(3000㌧、1710㌧等)

1隻(622㌧)

その他

なし

改造巡洋艦1隻、旧式砲艦等9隻

 つまり、1898年とは、日本が英国やロシアを抜き、「太平洋は、ほぼ“日本の海”となりつつある」時代。それを、西尾幹二は、マニラ湾に初めて停泊した“超ミニ米国アジア艦隊”をもって、「太平洋はアメリカの海となった」という荒唐無稽な虚構を描いたのか。西尾幹二の狂妄の幻覚は、精神病院に強制入院が必要なレベル。

 1898年時点の太平洋の海軍力は、清国を除くと、日本がすでにナンバー・ワン。二番手がロシア、三番手が英国だった。米国は、1898年以降でも、マニラ(スービック湾)どころか、ハワイに造らなかった。太平洋を事実上“日本の海”にすることで“良し”とした。米国は四番手ではなく番外だった。また、番外を選択するしかなかった。

 米国が太平洋に海軍力を展開し始めたのは、1914年にパナマ運河が開通した後。米西戦争から十六年の後。海軍戦略論の碩学マハン提督やテオドア・ルーズベルト大統領の“シー・パワー論”の種が実際に芽を出すのに、十六年の歳月が必要だった。

 翻ってロシアは天性の侵略国だから、米国とは異なり、動きは迅速。東シナ海や西北太平洋の制海権を日本から一気に奪還せんものと大海戦を挑んできた。それが、1905年5月27日の“日本海海戦 Tusima Battle”。

 が、既にほぼ“太平洋の覇者”となった日本海軍に対し、ロシアが主力のバルト艦隊をはるばる極東まで増派しても太平洋の海軍戦力のロシア劣勢は変わらなかった。しかも、冷房装置のない時代に赤道を二度も通過したロシア艦隊の疲労は極度で潰滅は不可避。日本海海戦とは、天才級の東郷平八郎の優れた作戦も決定打になったが、日本が圧倒的に優勢な海軍力で劣勢のバルチック艦隊に戦いを挑まれ、返す刀で当然の殲滅を強いた側面も強い。       

表2;日本海海戦における日露の海軍力ギャップ(1905年5月)

 

日本海軍

露国海軍

露の損害

戦艦  新型

    旧型

4隻

 

5隻

3隻

撃沈6隻、捕獲2隻

装甲巡洋艦   

8隻

3隻

撃沈3隻

装甲海防艦

1隻

3隻

撃沈1隻、捕獲2隻

巡洋艦

15隻

6隻

撃沈1隻、逃走中沈没1隻

駆逐艦

21隻

9隻

撃沈4隻、捕獲1隻、逃走中沈没1隻

水雷艇

41隻

0隻

 

 上記引用にもう一つ、西尾幹二の狂気のひどさを示すものがある。「(1898年、)イギリス海軍は西太平洋をアメリカに引渡し、艦隊を撤収した」という記述。

 マニラ湾海戦は、香港とシンガポールを母港とするイギリスの東洋艦隊態勢を何一つ変化させなかった。一方の米国海軍もアジアには全く無関心で、マニラ湾海戦に勝利したのに勝利前と何ら変化しなかった。やっと1919年以降になり、ハワイまでの東太平洋に防勢的な海軍態勢の構築を開始した。

 第一次世界大戦前の英国と米国は犬猿の仲とまで言わないが、決して友好な関係では無かった。米西戦争後の英国海軍と米国海軍は、双方とも太平洋に展開する海軍戦力の不足が決定的だったが、相互間の突発的なトラブルを回避すべく、それぞれの守備範囲を西太平洋と東太平洋の沿岸に自制した。南シナ海以南の英国が担当していた西太平洋沿岸のシー・パトロールを米国が引き継ぐのは、米西戦争から七十年以上が経った1971年以降。

 このように、《太平洋は日本の海》だったから、1941年12月8日、太平洋戦争の勃発と同時に日本は、東太平洋を制海する米国海軍基地のパール・ハーバーを急襲すると同時に、南シナ海以南の西太平洋を守備する英国海軍の香港とシンガポールも急襲した。日本の香港攻略戦は、パール・ハーバー奇襲と同時開始。このとき香港の英国東洋艦隊は、「駆逐艦3隻、砲艦4隻、魚雷艇8隻、哨戒艇15隻」。日本海軍にとって鎧袖一触の弱小艦隊。

 なお、英国の東洋艦隊の主力は、当時はシンガポールが母港。開戦時点、ここに配属の艦艇は、「戦艦3隻、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦13隻、潜水艦1隻」。このシンガポールから出撃した英国の新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」の二隻は、早々と1941年12月10日、マレー半島から東の海上で、日本海軍の雷撃機と水平爆撃機の猛襲に撃沈され海の藻屑となった。

 ところが西尾幹二にかかると、1898年以来、英国の海軍力は西太平洋から撤退していてゼロだったらしい。「戦艦3隻、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦13隻、潜水艦1隻」が、西尾の眼には「艦艇数はゼロ」。西尾の精神分裂病は、かくも重度。

 なお、英国が東洋艦隊(戦後は「極東艦隊」と名称変更)を財政上の逼迫から閉鎖撤退したのは1971年10月。つまり西尾幹二は、1971年を、七十三年前の1898年だと、「バック・ツー・ザ・フューチャー」している。分裂病患者は時間軸が不在だが、西尾幹二も、時間も歴史経過も非在の“狂気の世界”を幽鬼となって徘徊している。

 精神分裂病患者が歴史を語るのは、全盲者が油絵画家になるより難しい。歴史学は時間軸で歴史事実を辿る学問だからである。西尾は、“歴史”だと詐称してエセ歴史評論を書き捲る。が、それはすべて反・歴史学の噴飯物。良く言えば“お笑い漫談の歴史小噺”。

「山田長政も創り話、米国移民も創り話、満州への移民も創り話」???(大笑)

 西尾幹二は、日本人の初歩的な歴史も定かに認識できない。こう書いている。

「私たち自然を愛し、仏様を信仰していたこの民族(日本人)にとって、関係のない国(米国)が突然出現して、そして(日本が)追い立てられ手も足も出ず呆然としている・・・。私たち(日本民族)は、空間的な拡大や移動を求めない民族だった」(注3、丸カッコ内中川)

 日本人の精神と信仰において、仏教とともに神道の比重は大きい。が、西尾幹二は日本共産党特別党員として、神社と神道とを憎悪・排除してきた。西尾幹二は、日本人ではない。この問題はさておき、西尾のトンデモ歴史偽造はひどく、これを斬り倒す必要がある。日本人は時として空間的に拡大する民族。それなのに西尾幹二は、日本人のこの重要な歴史を「不在」に改竄する。この西尾の嘘歴史を放置してはいけない。

 十六世紀から十七世紀前半にかけ「日本人町」は、マニラ(フィリッピン)、アユタヤ(タイ)、ピニヤルー(カンボジア)、プノンペン(カンボジア)、ツーラン(ベトナム、現在のダナン)、フェフォ(ベトナム)など多数にのぼる。もし、日本人が空間的な拡大や移動(移民)をしなかったら、これら「日本人町」は存在しない。山田長政(備考)も歴史に存在しない。西尾幹二は、山田長政を日本史から抹殺したいようだ。

(備考)山田長政とは、1612年、朱印船にてシャムに渡り、アユタヤの日本人街の統領になった。1630年、タイ国内の権力内戦で負傷し死亡した。

 これら「日本人町」の形成は日本の朱印船交易と不可分な関係にある。が、西尾幹二にとって「朱印船」は国内“稲作”のことらしい。秀吉が1592年に初めて朱印状(政府公認の海外渡航証)を発行して始まった朱印船は、支那の寧波やマカオはむろん、マラッカ海峡やブルネイ(ボルネオ島)あるいはハルマヘラ島(インドネシア)まで定期航路をもっていた。1635年、徳川幕府の第三鎖国令をもって廃止された。日本の朱印船交易の利権は、オランダの東インド会社が引き継いだ。

 十三世紀から十六世紀の「倭寇」も、日本人が日本列島に閉じこもる稲作農民だけではない歴史の一つ。だが、西尾に従えば、「倭寇」は歴史上「不在」だったことになる。「倭寇」は、支那沿岸を襲った海賊や私貿易の商人軍団。なお、その武装船員は日本人より支那人や朝鮮人の方が多かった。

 明治時代の後半から大正時代にかけて、東南アジアへ出稼ぐ公娼置屋によって生じた「からゆきさん(=海外での日本人売春婦)」の悲しい物語も、いくつかの小説のテーマにもなっているが、明治時代以降の日本人の海外移民熱の一端を示すものである。

 西尾の最も滑稽な歴史改竄は、日本人の対米移民もそうだ。日本人が海外移民をしない民族ならば、主にカリフォルニア州で起きた米国における1920年代の“日本人移民排斥”の日米衝突は無かったはずだ。ところが、西尾幹二は、“歴史偽造本の極み”『国民の歴史』で、ほぼ一章を割いて、この対米日本人移民問題を論じ、米国を難じている(注4)

 西尾は、片や海外への日本人移民はゼロだといい、片や日本人の米国移民を制限し土地所有権を剥奪したのは米国の人種差別だという。西尾の分裂思考はかくも双曲線。米国は、アメリカ国民を一人として日本に移民させろと迫ったことはない。が、日本は米国に二十二万日本人を「ヨーロッパ系白人、キリスト教徒」というニセ資格で市民権を持つ移民にしろと迫った。

日本人の海外移住熱が盛んだった時代に、なぜ朝鮮半島のみ不人気だったのか

 日本人は永く、弥生時代のままに農耕民族と漁撈民族が国民のほとんどを占めた。江戸時代に樺太に四千人が移住した多くは、漁民とその家族だった。樺太へのソヴィエト・ロシアの大侵略の時(1945年8月)の樺太人口は四十万人強だが、水産業分野の人口は、鉱工業や林業に次ぎ、大きな比重を占めていた。

 日本人の海外移住の熱は、明治以降、ロシアの沿海州にすら数百人以上が移住したことでもわかる。1920年春、アムール川河口ニコライエフスク港での七百三十一名の日本人虐殺事件は、レーニンの共産テロリスト達が、これら日本人居留民(移民)を、駐兵していた日本の陸海軍部隊(三百八十名)もろともに襲撃し惨殺した大事件。一方、同年の1920年カリフォルニア州排日土地法では、一人の日本人も殺されてはいない。

 が、日本の民族系評論家は、西尾幹二や櫻井よし子のように、飛び抜けた下衆階級のゴロツキ。故に、公平に物事を見ることができない。米国移民については音量いっぱいにがなり立て、同じ移民問題のニコライエフスク港大虐殺事件についてはダンマリ沈黙。

 西尾幹二/櫻井よし子ら民族系論客の本性は、日本人ではなくロシア人。西尾幹二は《自分から押しかけのロシア特殊偽情報工作員》。櫻井はKGBが直轄する対日工作員。民族系論客を、在日北朝鮮人と同じ“無国籍人”に括り、監視下におく必要がある。

 しかも、日本の民族系論客はほぼ例外なく、悪魔のような残忍非道が本性。同胞である日本人の命を虫けらとしか見ない。特に、ロシアに殺された日本人を石ころにしか見ない彼らの非人間性は、“民族系の論客”西尾幹二や櫻井よし子らが立証済み。

 そもそも、戦間期の支那との問題は、駐支那の日本人が純粋に貿易だけで駐在していたのではなく、その多くが対支那日本人移民(商業が主)で、その権益保護と居留の安全保護の問題が、日本政府の手におえないレベルになったからだ。それはともかく、満洲/台湾/極東ロシア/支那本土への日本人移民を「不在」に捏造する西尾幹二の歴史改竄は、いったい何を狙っているのだろうか。

 蛇足。当時の海外移住・移民の時代で、朝鮮半島だけは極めて不人気だった。「朝鮮半島に移住しても儲からない」が当時の常識。この問題、学術論文が一つもない。何故?

「大東亜共栄圏/満洲国“五族協和”/サイパン島“万歳クリフ”は嘘話!」?(大笑)

 西尾幹二のデッチアゲ日本史では、日本人は日本列島から外には移住移民などしていないことになっている。では、大東亜戦争が日本の敗北をもって終結した時、海外からの引揚日本人はすべて軍人・軍属だけだったになるはず。だったら、引揚総数「六百三十万人」のうち、「軍人・軍属の三百十万人」の他、「一般邦人三百二十万人」(注5)の説明はつかない。だが、西尾幹二は、「海外からの引揚一般邦人三百二十万人は、ゼロ人の書き間違い」と主張する。これが、狂人・西尾の算数。精神分裂病は算数や数学ができない。

 “日本の固有の領土”樺太や“日本の傀儡国家”満洲帝国からの引揚げ、あるいは台湾や朝鮮半島からの引揚げはポツダム宣言による強制領土変更だから、これらはいったん脇に置く。しかし、支那本土や太平洋の小諸島からの引揚げは、“海外一旗揚げ組”のそれで、日本人が地球上に水平的に拡散・膨脹していた歴史の証左。

 例えば、サイパン島・テニアン島からの約二万八千人の引揚げは、何を物語るのか。日本人が日本列島を飛び出し水平的に膨脹した、まさにその証左。実際に、両島に三万六千人の一般邦人が移民していた。

 西尾幹二の狂説“日本人の海外移民ゼロ”に従えば、サイパン島では日本人婦女子が断崖から投身自殺したが(約五千名、万歳クリフ、1944年7月)、このような悲しい歴史は空想上で実在しないとなる。2005年6月28日、今上天皇は美智子皇后陛下を伴い、万歳クリフに六十一年前の悲劇を鎮魂されるべく行幸なされた。が、西尾の幻覚妄想に従えば、天皇・皇后両陛下のこのご慰霊の行幸は架空の嘘話を妄信した行幸になる。

 また、西尾幹二の真赤な嘘の日本人論では、(満洲国や大連等を除く)支那本土からの「一般邦人49万人」の引揚げの説明がつかない。そのほとんどは(一時滞在者ではなく)支那に移民していた。日本人の海外移民ゼロを主張する西尾幹二の歴史改竄は、これほどひどい。無知からではない。誰がみても狂気からの歴史改竄・捏造である。

 なお、敗戦日本の一般邦人引揚げ史に語られない重要な歴史がある。カリフォリルニア州やハワイ州など米国に移民していた日本人は、引揚げてこなかった。国外追放されなかったからだ。米国だけは、アジア諸国と異なり、敗戦国・日本と日本人に対し例外的に紳士的で人道的な労りをもって接してくれた。これを日本人は忘恩してはならない。

「大東亜戦争の前、米国の工業生産力は日本に及ばなかった」???(大笑)

 西尾幹二の次の歴史改竄は、“お笑い歴史漫談”にも分類できない。西尾幹二とは、秋葉原無差別殺傷事件(2008年6月8日、六名死亡、十名重軽傷)の犯人と同じ“凶器を振り回す狂人”の言辞を放つ。この短い文の中で、西尾幹二は、日米にかかわるごく常識的な歴史事実を転倒している。小学校三、四年生でも知っている内容を逆さにしている。

「武力に優るアメリカがどうしても及ばなかったのは、日本の工業生産力だった」

「日本の工業生産力は、二十世紀の初頭からアメリカにとって眼の上のたんこぶだった」(注6)

 日本は、太平洋の海軍力のみ米国を凌駕すること三倍以上だったが(1941年、空母は日本の十隻に対して、米国太平洋艦隊は三隻。質を考慮すれば五倍以上の格差)、日本の経済力とりわけ工業生産力は米国の十分の一以下だった。日本の対米戦争必敗は、石油欠乏問題と同じくらいの比重で、この事実から戦争する以前に明白だった。

 山本五十六ら対米戦争屋は、石油についてはオランダのを盗めば足りるという嘘に加え、開戦によって米国は工業生産をフル稼働させて実際に圧倒的な物量の兵器を戦場に投入してくるのに、それを開戦二年後以降(実際には「二年半後」)とし、「開戦一年半以内には、米国に白旗をあげさせるから大丈夫」という架空の非現実極める戦争シナリオをもって政府と国民を騙した。一年半以上続く戦争になるのは自明なのに、一年半以降のことは考える必要はないとして開戦した。

 工業生産を支える主要物質の生産高は、日本は米国の十分の一から百分の一。兵器の生産を左右する鋼塊とアルミニウムは、1941年では平均で九分の一(表3は、注7)

表3;主要物質の生産における、日本に対する米国の生産高比(日本1)

 

1929年

1933年

1938年

1941年

石油

501.2

468.0

485.9

527.9

鉄鉱石

416.8

55.6

37.5

74.0

銑鉄

38.9

9.2

7.3

11.9

鋼塊

 25.0

7.4

4.5

12.1

12.4

3.1

5.3

10.7

亜鉛

26.0

9.5

7.5

11.7

208.0

37.9

31.3

27.4

アルミ

 

 

8.7

5.6

 船舶や航空機ほか主要工業製品についての日米生産高は、平均で日本は米国の十三分の一。戦時体制下で、最優先される航空機を見ると、日本にはB29のような大型機は無いので補正する必要があるが、補正なしの機数だけでも米国の五分の一(表4、注8)。「B29の一機は零戦の十機分に相当」などの補正をすれば、米国の航空機生産力は日本の六~七倍。

表4;航空機生産力の日米比較

 

日本

米国

米国/日本

1942年

8800機

4万7800機

5.43倍

1943年

1万6600機

8万5900機

5.17倍

1944年

2万8100機

9万6400機

3.43倍

1945年

1万1000機

4万7800機

4.35倍

平均

  ――

――

4.6倍

 が、西尾幹二にかかると、日本の十三倍もの米国の工業生産力は、逆さになって、日本の足元にも及ばない、となる。「ダンプカーは、大きさで軽自動車に及ばない」「プロレスラーの身長・体重は、三歳の童子より小さい」と同じ狂言。

 産経新聞の雑誌『正論』が、“稀代の狂人”西尾幹二に誌面を毎月毎月提供するのは、産経新聞が日本人から正常を剥奪して狂わせたいという、“日本人に対する憎悪”を社是とするからだ。産経新聞の社員は、朝日新聞とほとんど変わらず、非・日本国民ばかり。

補遺 日本人絶滅を日米戦争で目指す、西尾幹二「反米史観」

 『戦争史観の転換』(『日本と西欧の五〇〇年史』)第二章で私が戦慄した事柄の一つを、備忘録的に記しておきたい。それは、「“第二のピサロ”となって日本人大量殺戮・絶滅したい」が、西尾幹二の内心の本当の声ではないか、という疑い。

 なぜなら、『戦争史観の転換』で西尾幹二が煽動宣伝(アジプロ)する歴史偽造の一つに、1532年にインカ帝国を略奪し破壊したピサロを米国に譬える詭弁がある。これ、荒唐無稽な妄想「インカ帝国のインディオ=日本人、米国=ピサロ」を描くための作為。

 米国の対日政策をピサロの対インカ帝国政策に擬える“無論理・無根拠の妄想短絡”は、「反米」という大義を掲げれば、いかなる歴史偽造もいかなる嘘八百も許されるという無法と狂気なしにはできない。また、この論法は、「ユダヤ人であるということにおいて無限に殺戮されるべき対象」とする狂気ドグマを、“ドイツ千年王国の大義”から演繹したヒトラーのそれと同一。

 歴史家ではない、“何でも(かんでも書きまくる)売文業者”西尾幹二が、「五百年史」というハチャメチャな反・歴史の雑文を考え付いたのは、荒唐無稽な「インカ帝国のインディオ=日本人、米国=ピサロ」という図式をデッチアゲるためなのは、間違いない。

 この問題、このような反・学問のアナロジーの非を糾弾すれば、それで解決するわけではない。どうも西尾幹二の頭では、一見「他者」と看做しているピサロに自分を憑依させ、上記の図式に「インカ帝国のインディオ=日本人、米国=第二のピサロ=西尾幹二」を潜ませているように窺えるからだ。西尾は、自分の頭を百八十度回転させ、西尾幹二自身を“第二のピサロ”に入れ替えている。それはまた、西尾自身が“西尾が描く虚像の米国”に変身していることを意味する。

 西尾の心底においては、日本人数千万人を、かつてのインカ帝国のインディオに対するピサロと同じように全員殺戮したくてたまらない“日本人絶滅”の妄執が燃えているということ。これが、『戦争史観の転換』第二章における、西尾幹二の歴史偽造カラクリ。

 麻原彰晃の「アルマゲドン(地球上の全人類滅亡)ドグマは、教団施設外での無差別殺戮の動機と正当化の理屈だった。同様に、西尾幹二の「インカ帝国のインディオ=日本人、米国=ピサロ」というドグマもまた、日本を米国と戦争させて米国の報復で日本民族を絶滅的に殺戮したい、西尾の日本人絶滅殺戮狂を実践する魔策。西尾幹二の「戦争史観の転換」を麻原彰晃の著『日出づる国、災い近し』(注9)と比較すると、似ていること双子のごとし。

 

1、西尾幹二『日本と西欧の五〇〇年史』、49~50頁。

2、黄海海戦に参加した日本海軍の軍艦諸元は、『近代日本戦争史 第一巻』、同台経済懇話会、一八一頁等を参照した。なお、これ以外にも日本はかなりの軍艦を配備展開していたが、黄海海戦の戦場にはいなかった。

3、上掲『日本と西欧の五〇〇年史』、34~5頁。

4、西尾幹二『国民の歴史』、産経新聞社、540~58頁。

5、若槻泰雄『戦後引揚の記録』、時事通信社、252~3頁。

6、上掲『日本と西欧の五〇〇年史』、42~3頁。

7、安藤良雄ほか編集『昭和経済史 上』、日経新書、262頁。

8、『近代日本戦争史 第四巻』、同台経済懇話会、835頁。

9、麻原彰晃『日出づる国、災い近し』、オウム、1995年。

(第二節は、『中川八洋掲示板』2014年8月5日up記事より)

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