“譲位禁止!お前は廃帝!”と先帝陛下に命令した“共産党代表”安倍晋三──安倍晋三“憲法大嘘改竄”のカラクリ種明し

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

(そら)(くもり)(あめ)(しめるとき)(こえ)啾啾(しゅうしゅう)」(杜甫、「兵車行」)

 「4・30 先帝陛下を嘲笑・侮蔑する人民法廷」開廷直前、ある民放が、春とは思えぬ底冷えを感じる雨が降っている光景の二重橋前、ビニール傘を差した一群の日本人を映し出した。私には、皆、不安そうに見えた。思わず「この蕭蕭(しょうしょう)たる夕雨は何だろう」と、陰鬱な予感で体が硬直した。

 五時きっかりに始まった「先帝陛下を嘲笑・侮蔑する人民法廷」の約10分間、想像以上に、監獄か処刑場のような暗い雰囲気が式場を包んでいた。「コミュニスト安倍家三代目」安倍晋三に、“譲位を禁止され、剣璽渡御も禁止され”た天皇陛下のご無念のご心痛を思うと、歯がゆさと胸を裂く怒りに口を真一文字、拳は固く握りしめていた。ふと、我が作業屋のベランダから見える庭に聳える高さ十㍍ほどの桜と芝生中央の枝垂桜の、雨にしたたか濡れている新緑の葉桜に目がとまると、杜甫のある詩の一節を口ずさんでいた。

「君 見ずや・・・・・天(そら)陰(くもり)雨(あめ)濕(しめるとき)聲(こえ)啾啾(しゅうしゅう)たるを」

 4月30日に関東一帯に降った雨は、陛下が臣下の浴びせる屈辱にじっと耐え忍ばれておられる愁いと哀しみを、天が代わりに泣いている、その大粒の落涙でなくて何であろう。この雨は、「蕭蕭」ではなく「啾啾」だ。そう思うと雨天を仰ぎ、陛下を抱きしめる天に、いつしか頭を深く垂れ感謝の合掌をしていた。

 むろん、その直後にテレビを消した。“国民騙しの擬装名”「退位式」の、その実、安倍晋三版“天皇殺し”法廷に公憤し激昂しない者は日本国民ではない。血塗られたロベスピエールを後継する“テロルの大逆賊”安倍晋三「裁判長」が“廃帝!”と甲高く叫んだ人民法廷を非難しない報道はすべて、陛下を愚弄する“最凶の不敬”。視聴してはいけない。読んでもいけない。

先帝陛下を斬り殺さんばかりの、殺気と憎悪と敵意が顔面を走った「4・30安倍晋三」

 まず、「4・30 先帝陛下を嘲笑・侮蔑する人民法廷」の10分間の、TV画面から放映される光景を、拙著のペア作品『天皇《退位》式は皇統断絶』『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』を手にしながら比較しつつ視聴された方々に、謝意を表したい。「4.30」は、寸分の狂いもなく、私の二冊『天皇《退位》式は皇統断絶』『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』の記述通りであった。このことは、『天皇《退位》式は皇統断絶』『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』の両書は、“天皇制度の廃滅”に向けて暴走した“テロルの大逆賊”安倍晋三に破壊尽された我が国古来からの皇位継承を正常に糺すに、決定的に有効なテキストブックになることが証明されたといえよう。

 次は、多くの一般日本人が、「4・30」における安倍晋三の辞が、式典の場に相応しくない、何か異様な怒気のリズムを感じた問題。心ある日本人は、安倍晋三の言葉の端端に憎悪と敵意が迸っているのを見逃さなかった。安倍晋三の顔は、テレビカメラの都合で右側半分しか写らなかったが、殺気にひきつっていると観た日本人は少なくなかったようだ。これは、翌「5・1」の受禅践祚(「即位」は間違い)式における辞を述べる安倍晋三の右側顔面と比較するとはっきりする。「5・1」では、この殺気や敵意の形相は消えていた。

 さて、皇太子殿下への御譲位をご希望された先帝陛下に対して、安倍晋三はどんな暴言・放言を吐いたかについて、国民のほとんどは、もうそろそろ忘れた頃だろうから、復習することにしよう。

➊ まず冒頭。「お前は、今日限り、退位せよ」と命令した。

「天皇陛下は、皇室典範特例法の定めるところにより、本日をもちまして、ご退位されます」。

 ❷ 次、第二文。「お前は、良く働いたから、退職を認めてやろう。天皇の位は公務員・サーバントなのだから、よく働くのが当然だけどね」「天皇は、a祭祀、b儀式、c国事行為、d公務を為されるが、祭祀や儀式など、俺様の知ったこっちゃねエ。プラス・アルファの《公務》だけを、勤務評価してやろう」。

「天皇陛下は、一つ一つご公務を、心を込められてお務めになり、・・・・・」。

 ❸ 続く第三文。「天皇制度の天皇の定義《日本国および日本国民統合の象徴》を、制度ではなく、職務に改竄したよ。この改竄は、国民の人気や評価のない天皇を馘首できる根拠をつくるためさ。これだと、憲法第一条を廃止せずとも天皇制廃止の理由になるからね。《象徴》には、責務を発生せしめる職務など全く関係しないだって? そんな正論、青臭いね」。

「日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たしてこられました」

 ❹ 冒頭三文の➊❷❸は総合すると、「今上陛下のご要望の譲位なんか、断じて認めないよ」「次の天皇を誰にするかは、お前には関係が無い! お前は知らなくていい」「場合によっては、次の天皇は永久空位をもって、天皇制を廃止する予定だからさ」「お前の譲位のお蔭で、憲法解釈を共産党の言う通りの大改竄ができた。ああ愉快だ」と、安倍晋三は内心ではほくそ笑んだ。

 ❺ が同時に言外で、「実は、皇太子殿下を廃太子にして、次期天皇は空位により天皇制廃止がほぼ定まっていた。それが、急遽、皇太子殿下の天皇即位となり、天皇制廃止予定が二十年も遅れてしまった。譲位禁止と剣璽渡御の禁止は、俺たちの天皇制廃止アジェンダを狂わせた、お前への報復でもあるのさ」と、怒気と殺意を爆発させている。安倍晋三のrogue本性が露わ!

 こんな安倍晋三の辞、日本国総理の言葉ではなく、侵略者の暴言・脅迫の類。「国民代表の辞」とは笑止千万で、天皇陛下に対するだけでなく、日本国民に対する侮辱も甚だしい。度の過ぎた非学問と天皇制廃止の共産革命にフィーバーしている安倍晋三の、この「暴言の辞」こそ、「共産党代表・安倍晋三の辞」でなくて何であろう。

 なお、単に「安倍首相の辞」とせず、わざわざ「国民代表」の四文字を挿入したのは、共産党の革命狂説を、安倍晋三が狂信しているからである。具体的には、憲法第一条「主権の存する国民の総意の代表」から演繹し、「俺様・総理は、主権者国民の代表であるぞ。天皇、お前は、俺様・主権者代表の下に仕える“僕”だ」「だから、お前は、俺様の命令に従え」と、天皇を威圧するための舞台装置として、不必要な四文字「国民代表」を挿入したのである。

譲位・受禅の絶対禁止による憲法蹂躙に成功した安倍晋三・菅義偉の“共産革命”

 「4・30退位式」なるものが、テレビの画面からでも、監獄や刑場のような暗鬱な雰囲気に包まれていると感じられたのは、それが暴力革命の代替として、“強制退位の法廷”を本質とするものだったからだ。強制退位と空位は、安倍晋三も全面賛成の、共産党官僚が占拠した内閣官房/内閣法制局/宮内庁が過去二十近く進めてきた天皇制廃止の基本方法。

(1) 空位づくりの方法第一。自動的な践祚権を持つ皇太子(東宮)制度の廃止。この革命は、秋篠宮殿下を「皇太弟」とせず、皇位継承順位をいつでも改変できる「皇嗣殿下」に格落ちさせた特例法によって、2017年に成功した。それによって、皇室典範第八条および第十一条カッコ内規定が、共に死文と化した。次期天皇は、今後は、皇室会議が恣意的に決定できる。

(2) 空位づくりの方法第二。新旧天皇間に一秒の空きが有ってはならない剣璽渡御を中断する革命。今般、17時間半(4・30午後五時~5・1午前10時半)も、新旧天皇間に剣璽が宙に浮き渡御が中断された。安倍晋三がリードする天皇制廃止の前奏革命として、二千年間の皇位継承の智慧と慣習(法の支配の“法”)の破壊に成功したことになる。17時間半の中断は、175年間の中断の先例となる。

 なお、憲法第二条が認める剣璽渡御の儀を、政府は全く不必要にも憲法第七条の「国事行為」としたのは、それによって内閣が「助言と承認」という名の絶対介入権を振り下ろすことができるからである。今般の17時間半の剣璽渡御「空白」は、天皇制廃止に暴走する安倍晋三のムゴイ介入の、恐ろしい結果。

(3) 譲位・受禅の皇位継承がなされれば、憲法第二条の定めと相まって、天皇は永久に連続し、切断(空位)が永久に発生しない。そこで、安倍晋三らは、政治的に、憲法第二条に明らかに違反する“譲位を禁止し、強制退位にする”「4・30」を作為したのである。これによって、憲法第二条は死文化し、天皇の連続を、政府や国会が介入して切断できる憲法嘘解釈が可能となった。

(4) 安倍内閣が頻繁に朝日新聞と産経新聞に流す、「憲法との関係で、やむなく譲位を排除せざるを得なかった」は、因果を転倒させた“真赤な逆立ち大嘘”。現行の憲法第二条と皇室典範がある限り、またその改悪がほとんど不可能である現状において、アクドイ解釈憲法大改竄をする以外に、①御代替わりにおける“空位なき連続”を破壊する方法はない。また、②政府(内閣)や国会が「天皇の恣意的選定や不選定(空位)の権能(政治介入権)」を持つことも不可能。

 そこで、安倍晋三らは、次期天皇の選任権は憲法第一条「国民主権」によって、その代表たる国会もしくは内閣にあるから、「天皇による譲位は、憲法上、不可」という全く出鱈目な嘘解釈アドバルーンをぶち上げ、それを特例法にした。この大詭弁は、直ちに憲法第二条の空文化を決定づけ、まさに一石二鳥。これはまた、「全ての皇位継承は、(憲法第二条は死文化したので)憲法第一条に基づく」という犯罪解釈に直結し、この犯罪解釈に従い特例法第一条が書かれた。“凶悪な共産革命”「4・30 廃帝!人民法廷」開廷強行という“前代未聞の無法”は、皇位継承を定めた憲法第二条を、第一条「国民主権」が喰い殺した成果によって、可能になった。

「皇位継承」を異次元の「政府決定の皇位に即く」に大改竄した“大逆臣”安倍晋三

 新天皇陛下の践祚勅語に(5月1日、即位後朝見の儀)、語彙「皇位継承」が、次のaとbの二回出てくる。しかし、先帝陛下の「譲位」に伴う「受禅」という言葉は無い。つまり、「新天皇陛下は、譲位・受禅により皇位を継承して新帝になられた」のではないのは、明確以上に明快明白。

a 「日本国憲法および皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました」

b 「皇位を継承するに当り、」

 すなわち、bの意味は明らか。共産党の“反・皇位継承語”「内閣や国会が恣意的に天皇を選び決定して定まる皇位」という意味の「ジャコバン党的“天皇殺し”の皇位継承」を指す。ジョージ・オーウェルはかつて、「共産主義者の言語はすべて、転倒しているニュー・スピークス」と喝破したが、この新奇な“逆立ち語”「皇位継承」はまさしくその一つ。我が日本国二千年間続く天皇位を紡いできた「皇位継承」とは、似ても似つかない。

 同じ文字で意味を逆にするのは、共産主義者の常。ソ連における「自由」は「自由ゼロ」のことだった。「平和」は「戦争」のことだった。また、その「人民民主主義」は「共産党独裁体制」を指し、人民には一切の政治的発言や行動は禁止され、違反者はシベリアでの強制重労働の刑が課され、場合によっては処刑された。

 勅語に続く安倍首相の辞「皇位を継承されました」は、80%共産主義者の安倍晋三は共産党語しか用いないから、“反・皇位継承”「内閣や国会が恣意的に天皇を選び決定し、これにより定まった皇位に即く」という意味であるのは言うまでもなく、上記bと同じ。

 さて、問題はaである。「先帝陛下のご譲位により、拝して受禅し、ここに第126代の皇位に即く」という、当たり前の皇位継承の勅語ではないから、誰でもなんとなく、正語「皇位継承」ではなく、「ジャコバン党的“天皇殺し”の皇位継承」ではないかとは感じる。

 「譲位・受禅を禁じる」「皇位は、人民が定める」と明記した第一条を冒頭に掲げる皇室典範特例法の「定めるところにより」だから、この「皇位継承」は、「内閣や国会が恣意的に天皇を選び決定し、これにより定まった皇位に即く」という、“反・皇位継承”の意味しかない。bや安倍晋三の辞と同じ。

 とすると、aの「憲法の定めるところにより」だけ、異論が入る隙間がある。なぜなら、憲法は、皇位継承を定める第二条があるから、これは憲法第二条を指していると短絡する意見にも一端の理があるからだ。が、譲位・受禅を認めている憲法第二条は、特例法第一条と180度対立する。一方、新天皇が特例法第一条による践祚なのは明白。ならば、憲法第二条は排除されていると解する他ない。

 つまり、aの「憲法の定めるところにより」は、憲法第二条ではなく、どうやら「憲法第一条《国民主権》の命令に従って」、という意味のようだ。2017年の特例法制定を好機とばかり、憲法は共産党の革命狂説の餌食となって、その解釈が大改竄された。

 その一つが、「皇位継承」が、内閣や国会が恣意的に決定できる、憲法第一条の「国民主権」の圧政下に押し込められたこと。むろん、第二条は空手形的な空文・死文になった。かくして、aの「皇位継承」には、正語「皇位継承」の意味など破壊・抹殺されて、「ジャコバン党的“天皇殺し”の皇位継承」の意味に大改竄された。

 尚、この勅語は、“赤い悪魔の大逆臣”安倍晋三が、共産党員・菅義偉/横畠裕介/山本信一郎と共謀して勝手に書き、(安倍晋三のロベスピエール化の“魔法の杖”)閣議決定の権力を振りかざし、新天皇に棒読みを強制したもの。新天皇の本当の御心を映したお言葉ではない。日本の天皇は、“内閣の奴隷”“総理大臣の囚人”に貶められている。

先帝陛下に「ギロチン直前のルイ十六世」再現を強制した、“赤い悪魔”安倍晋三

 優しさにおいてこれほどの優しい人柄は滅多にいるものではない、それほどの高徳のルイ十六世は、無実の罪で断頭台に引きずり出され、首を切断された。1793年1月21日午前10時22分であった。この時、元フランス国王は、国民に最後の勅語を下賜しようとした。絶対権力を掌握する“王殺し/国民殺し”の狂信殺人鬼集団ジャコバン党は、国王最後の勅語を現コンコルド広場に集まるパリ民衆が聴くのを妨害すべく、直ぐに軍楽隊に太鼓を打ち鳴らさせた。今に残る、聞き取れたルイ十六世の、国民への惜別の辞(勅語)は、次の冒頭部分のみ。

「余は余が告発されたすべての罪について潔白のまま死ぬ。余には非難されるべき理由がない」

「しかし余は、すべての敵を許す! 余の血がフランス国民に有益ならん事を、神の怒りを鎮めん事を、切望する」。

 さて、翻って「4・30」を独裁した“日本のロベスピエール”安倍晋三は、まず、自分が、大音声で「判決『特例法』に従い、お前を、今限り廃帝とすべく、強制退位を申し渡す」と宣告した。先帝陛下(新上皇陛下)の勅語は、この安倍・人民主権政府首班の(無礼千万を越える)暴虐を極める演説ので、安倍晋三の「強制退位」判決に従いますという、死刑判決を受諾する形式と内容になっている。

 勅語の内容に異様なものを感じた国民も多かったが、この順序のおかしさに気づいた国民は、数的にはもっと多かった。ただ、一般国民は、「何か変だな。おかしいな。けど、退位式だから、こうするのかな」と、これを重犯罪的な“天皇(天皇殺し)”事件だと認識できない。ために、気に留める者は極めて少なく、1%もいなかったのではないか。

 「天皇の勅語が、臣下の発言は」は、我々国民が光栄にも天皇制度を奉戴しているのだから、皇室式典の常識だろう。先帝陛下がに、A「本日をもって、光格天皇の先例に従い、位を皇太子に譲る」B「神器を奉ずること三十年、いつも国民と共に喜び/悲しみを分かち合えたことをうれしく思う」C「新天皇への忠節を頼む」旨をお述べになられたに、首相の安倍は国民に代わって(備考1)、承詔必謹を誓う。これが、仮に首相の安倍晋三に発言が許された場合、安倍が発言できる全てである。

(備考1) 総理が国民を代表することは許されない。なぜなら、全国民の天皇奉戴の至誠を代理する立場だからである。

 だが、安倍晋三は、遂に“河上肇崇拝教”「安倍家三代目」の正体を露わにした。殺人鬼ロベスピエール独裁を気取る、「人民主権者代表である俺様」安倍晋三として、“日本の天皇”ではなく、自分の部下である「国民(人民)の下僕の天皇」「内閣の囚人の天皇」に言い渡すという形をとった(備考2)。だから、陛下の勅語の始まりが、次の奇妙奇天烈な文。

(備考2) 安倍晋三は、二時間前(4月30日午後三時)に陛下の勅語を閣議決定し、この通りに棒読みせよと天皇陛下に命じた。

「今日をもち、天皇としての務めを終えることになりました」(「務め」とは、天皇は国家公務員と同格と意味。「天皇の位を譲る」を禁止した理由は、《天皇は国家公務員である》との、この「共産党要望の虚構証拠」づくりも、その一つであった)。

 この陛下のお言葉は、安倍晋三の「今日限り、お前は廃帝だ! 強制退位を命じる」に対して、天皇に「承りました」と、立場を上下逆にした「承(=上官の命令)必謹」を強要した文。

 安倍晋三はさらに、天皇陛下に対し、「俺様がお前より上の上司だ、天皇、お前は、俺の部下だ」の上下関係をはっきり明言させるべく、次のように、「天皇に対して、俺様にお礼を言え」と脅迫し、強要し、命令した。通常の日本人なら卒倒するほかない、日本二千年史に前代未聞の、天皇と臣下が上下転倒した、不敬どころではない、安倍晋三の「対天皇」罵倒と侮辱であった。

「只今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に深く謝意を表します

 これは、ルイ十六世の「しかし余は、すべての敵を許す!」に通じている。それ以上に、先帝陛下の御痛憤と寛恕の御心は、処刑直前のルイ十六世と同一だろう。安倍晋三は、先帝陛下を殺したいほどの殺意を抱いているから、先帝陛下が斬首刑寸前のルイ十六世と同一の心理(御聖慮)を抱かれるのは、ごく自然なこと。

 我々、真正の日本国民は、血塗られた“大逆賊”亜安倍晋三に対し、上皇陛下の無念を晴らすべく、生きている限り天誅に処する“世襲の義務”を片時も忘れてはならない。       

(附記)なお、憲法第二条と皇室典範違反の、反天皇制度の極致“譲位禁止”の「4・30」は、安倍晋三と菅義偉という稀代の過激共産主義者による、皇室の伝統に基づく皇統の皇位継承を完全に破壊尽さんとする天皇制度廃止の狂気と妄執から生まれたが、安倍・菅の狂ったこの憲法蹂躙&皇室典範抹殺は、ロベスピエールの腹心サン=ジュストの狂説・詭弁にそっくりである。

 サンジュストは、法廷を代替した国民公会で、ルイ十六世の死刑を決定づけた演説をなした。「主権はもともと人民のもの。国王は、(国王主権論があるように)それを不法にも簒奪した。これは大罪。国王であること自体が死刑に相当する。すなわち、国王処刑に法的根拠は不要。裁判も要らない。ただ殺せばいい」、と。

 安倍晋三と菅義偉の真赤な狂気は、こうだ。天皇を誰にするかは、国会もしくは内閣が恣意的に決定すべきで、伝統や慣習に準拠する憲法や皇室典範の全ての条文は空文化・死文化に扱い、完全に無視すべきである。両名の常軌を逸したこの狂信は、天皇制度も天皇・皇族も浄化すべき巨悪であり、巨悪は“法や法律の保護の埒外に置かれるべきだとの狂妄前提を、論の出発点にしているからである。実際にも、ロベスピエールを安倍晋三、サン=ジュストを菅義偉にして、1792年8月10日~179 3年1月21日までのフランス革命史を読み返しても、何ら不都合が無い。

「一死大罪を謝す」べき“第二の阿南惟幾”安倍晋三は、どんな自死を選択するのか

新上皇陛下に、「新天皇陛下への忠誠に命を捨てます」と、我ら真正の臣民は誓おう

 新上皇陛下が、まだ天皇陛下であられた2010年に、初めて「譲位」を口にされたのは、(河上肇系や幸徳秋水系の最凶極左革命軍団)八木秀次/西尾幹二/保阪正康らが罵詈雑言を皇太子殿下に浴びせる一斉攻撃の最中、“ご自身の崩御後の、皇太子の践祚即位は極めて困難”と正しく御判断された陛下の御聖慮。まことに正鵠を射たご聖断。皇太子殿下は2019年「5・1」に践祚あそばされ、新天皇・新皇后が揃って“朝見の儀”に臨まれたのは、皇室の弥栄をいったんは護持し得たことになり、日本国民にとって、これほどの慶賀なことはありません。

 先帝陛下の偉大な“ご譲位ご聖断”に報いるのは、今度は国民の番。それは新天皇・新皇后の両陛下への忠誠義務を発露する事、それ以外ではない。忠誠義務とは何か。二つある。第一は、祖先が過去二千年間積み重ねてきた“皇室奉戴の光栄の感情”“天皇・皇室への尊崇の感情”を、祖先のしたごとくに、相続において踏襲し繰り返すことである。

 そして、祖先から相続した、我ら世襲の“皇室奉戴の光栄の感情”“天皇・皇室への尊崇の感情”とは、ただ日の丸を振り「万歳」と歓声をあげる消極的皇室奉戴に留まってはならない。これが第二の核心。すなわち、天皇制を廃絶に向かわせるすべての制度改悪や革命キャンペーンや赤い曲学と断固戦い、これを粉砕・撃破する積極的皇室奉戴の義務を果たすこと。

 これには、共産党の支配下にある朝日新聞・産経新聞を廃紙に追い込む事が、むろんその一つ。だが、安倍晋三など政権政党・自民党に盤踞する反・天皇政治勢力に対し、彼らを政界から追放する浄化運動こそ最優先すべき、積極的皇室奉戴の忠誠義務であろう。また、憲法学者の95%は、全国津々浦々、共産党や全共闘系の極左人士となったが、これらに対抗する学説を構築するのみならず、何らかの立法措置で一網打尽に大学から排除することを実行する時が来ている。

 最後にもう一度、繰り返す。新上皇陛下に、「新天皇陛下への忠誠に命を捨てます」と、我ら真正の臣民はお誓い申し上げよう。新上皇陛下が、ご譲位されるに当って最もお聞きになりたかった国民の声はこれ。“反天皇テロルの大逆賊”安倍晋三が断固とし口にしなかった代わりに、我ら正しき日本国民は一人一人、皇居に向かって「新天皇陛下への忠誠に命を捨てます」と叫ぼうではないか。

(5月2日記)

(参考) 日本の、天皇殺害/天皇制廃止“凶暴革命”の発祥地は、長州藩と土佐藩

 明治維新が我が国にとり功罪相半ばすることについて、維新(革命)四藩のうち長州藩、土佐藩、薩摩藩が、日本における共産主義イデオロギーや無政府主義イデオロギーの濫觴となった歴史事実において、異論はあるまい。長州藩・山口県は “昭和天皇テロリスト” 難波大助、 “日本共産党創設者” 河上肇、 “日本のポル=ポト” 安倍晋太郎を輩出した。明治長州閥のドンで“反・天皇/反・皇族の元祖”山縣有朋の害毒は、河上肇に劣らない。“ロシアの対日侵略を誘導するその手先”松岡洋右(秩序破壊の無法主義者)も、河上肇の変種と見做してよい。

 いかなる革命も、ジョージ・ワシントンが喝破したように、祖国を恒久に持続させる保守主義の基盤を破壊尽すから、政治的大変革をもたらす政治革命が必要な時には、一㍉も社会変革を決してしてはならない。明治維新の日本国が日露戦争終了の1905年までの四十年間は辛うじて国家として機能したのは、歴史の連続を顕現する明治天皇の御存在と明治天皇を奉戴した江戸時代の武家の子弟(武士のエートス)が存在したことによる。薩長による維新そのものは、日本の国家存続基盤の破壊(ヴァンダリズム)以外、何も残さなかった。1905年の日露戦争後の日本は、明治維新の“負の遺産”がドッと噴出し、それに覆われ、国家亡国を開始する1910年代へと突入した。

 土佐藩からは、“日本アナーキスト元祖”中江兆民、アナーキスト行動派第一号の幸徳秋水、共産主義者第一号の植木枝盛が誕生し、日本をして天皇無き暗黒の社会へのハーメルンの笛となった。彼らこそ、長州出身の河上肇とともに、1990年以降、世界随一に共産主義思想が繁茂する“異常国家・21世紀日本”形成の起爆剤となった。

 薩摩藩は、“永久革命主義の戦争狂アナーキスト”西郷隆盛を産んでいる。

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