ケット人(シベリア)から分枝した北方民族アイヌは、アムール・樺太から北海道に侵入(四世紀)、“先住民族”縄文人(原日本人)を“皆殺し”し(六世紀)北海道を占拠──菅義偉よ、国連先住民族宣言から離脱し、アイヌ誇り施策推進法を全廃し、“嘘歴史の魔窟”白老ウポポイを解体せよ。 

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筑波大学名誉教授 中 川 八 洋

 本論考を、寒風に凛として咲く紅梅のごとき“アイヌ女性”故・砂沢クラの墓前に捧ぐ。

 2021年度のアイヌ関連予算は、今年度に比し9%増の61億円余となる。アイヌと沖縄を日本共産化の拠点に仕上げる“日本版レーニン革命”に専念している、コリアン二世で“極悪の赤”菅義偉が、首相の立場を利用して檄を飛ばした結果である。その内訳は、次の通り(NHKニュース、10月8日)

アイヌ予算「61億円」は全額カット! 「内閣官房アイヌ総合政策室」も即時閉鎖!

 上記の61億円は全額カットしなければならない。理由は二つ。第一は、日本は明治政府以来、アイヌ人に対して何一つ差別など全くしていない。教育権に関しても選挙権に関しても財産権に関しても、日本国民として日本人として完全に平等であった。いや、むしろ逆だった。アイヌ人に対し特別な厚遇と特権を与え、北海道に入植した開拓民・日本人が羨望するほどに、極度な逆差別政策をとってきた。これについては、次稿以降にしっかと論証される。なお、この問題、“アイヌ男性”砂澤陣の名著『北海道が危ない』を必読されたい(注1)

 第二の理由。北方民族アイヌ人は、北海道の先住民族ではない。北海道の先住民族は、数千年間にわたり、原日本人の縄文人であった。すなわち、エスキモー人やラップ人と同じ、北方民族アイヌ人とは、紀元後四世紀頃、現在の日本人(=弥生人)の母方の祖先たる縄文人を殺戮and/or東北地方に追い出し、北海道をわが物顔に簒奪した獰猛な異民族である。北方民族アイヌ人の祖先は、エニセイ河(中央シベリア)近辺に住むケット人から分枝したその親族の部族orアムール川のギリヤーク人と同じ古アジア族の一つかそれ以前の狩猟民族、だと考えられる。

 なお、アイヌ関連予算61億円の全額カット問題と一体の、もう一つの癌細胞切除問題を忘れてはならない。それは、共産党員官僚の牙城の一つ「内閣官房アイヌ総合政策室」を、行政改革の一環として、ばっさりと全廃・閉鎖する事。“共産党員学者の全人代”「日本学術会議」も、きれいさっぱりに廃絶しなければならないから、これと一蓮托生させればよい。霞が関で跋扈跳梁する“赤い共産革命細胞”「内閣官房アイヌ総合政策室」は、国民の血税を湯水のごとく使って真赤な嘘歴史を日本国民に擦り込むことに全力疾走する“赤色”犯罪官庁の典型ではないか。

第一節 侵入アイヌの「日本人の祖先(縄文人)皆殺し」歴史を抹殺するな!

 歴史学とは、全知全能を傾けて、より真実を抉り出す(整合させていく)作業である。真実追求という、特段にストイックな倫理的精神が無ければ、歴史は小説紛いとなり、嘘偽りが闖入し、一気に反・歴史に堕す。現に、“荒唐無稽な捏造歴史”「北海道の先住民族はアイヌ人」「アイヌ人は、縄文人から生まれた」が、2008年頃から突然、日本の出版界を洪水のように席捲している。

 日本人は、“知識”歴史と“倫理”真実とを剥奪され、家鴨や豚並み家畜に成り下がった。日本人は今や、真善美に生きる通常の人間とは程遠く、とても人間とは言えない。

『日本書紀』の語彙「蝦夷」は、「98%が日本人」を指し、「2%がアイヌ人」を指す(備考)

 アイヌ人の歴史に言及する場合、日本の歴史書に初めて記載された「アイヌ人」から始めるのが、学的研究のイロハ。この基本ルールに従い、まず、『日本書紀』第26巻(斉明天皇)に記載されている語彙「アイヌ」の数を分析する。なぜなら、「アイヌ」に触れているのは、この巻だけだからだ。

(備考) 『日本書紀』にある語彙「蝦夷」の中、アイヌを意味する「蝦夷」は十ヶ。『日本書紀』全体の語彙「蝦夷」の総数はまだ数えていないので仮に五百ヶとする。この場合、「2%がアイヌ、98%が東北日本人」を指す。

 また『日本書紀』は、「蝦夷 えみし」を、大和朝廷に服属しない東北の人々を意味する語彙とし、アイヌと日本人とを区別していない。このことをいいことに、共産党員のイカガワシイ大学教授(瀬川拓郎ほか)や自称アイヌ専門家(日共専従のプロパガンディスト平山裕人ほか)らは、犯意をもって意図的に語彙「蝦夷」のすべては「アイヌである」と捏造する。彼らは、偽造紙幣を刷る犯罪者と同種の、歴史を偽造する犯罪者集団である。

 日本語の語彙「蝦夷 えみし」は、意味“中央政府の命令に逆らう東北の人々”で永く使用され、十四世紀の鎌倉時代でも変わることはなかった。それより七百年前の七世紀(斉明天皇の御代)に、アイヌを指す言葉は日本には無かったのは、この事実からでもわかるだろう。

 鎌倉時代では、アイヌに「狄」「犾」「夷人」の漢字を宛て「えぞ」と読み、鎌倉幕府に逆らう東北地方の武将たちを「蝦夷 えみし」とし、ようやく「アイヌ」と、「叛乱or非服属の東北地方の日本人」とを区別するようになった。鎌倉幕府の公文書集『鎌倉年代記裏書』は、幕府の命令に服さない叛乱的な武将・安藤季長を、「蝦夷」と呼んでいる。

(一三二六年の)3月29日、工藤右衛門尉祐貞は、蝦夷征罰に進発し、7月26日、祐貞は、安藤季長を虜(とりこ)にし、帰参した」。

 つまり、津軽(青森県)西海岸の武将・安藤季長は「蝦夷」であった。このように、東北の武人を指す語彙「蝦夷」をもって「アイヌ」とするのは、イギリス人をエスキモー人と詐称するのと全く同じ。このすり替え詐称は、デマを流す犯罪意図なしにはできない。共産党専従の平山裕人(注2)や同じ党員・熊谷公男は、偽札の大量印刷をする、刑務所に収監すべき大犯罪者と同類の“偽情報”大犯罪者。

 さて、『日本書紀』第26巻に話を戻す。以下の頁数は、岩波書店の日本古典文学大系『日本書紀 下』。

 明らかに「蝦夷」を以てアイヌを指しているのは、二パラしかない。第一は、辺境の未開人を観察する趣味をもつ唐帝国の三代皇帝・高宗に、アイヌ男女一組を見せた659年の記事。第二は、奥尻島を占拠していたギリヤーク人(ニヴフ)を征伐した660年の記事。つまり、他の「蝦夷」はすべて、東北地方と北海道渡島半島に住む日本人のうち、それまで大和朝廷に服属していない日本人を指す。例外は一つも存在しない。

①唐の高宗に見せたアイヌ男女各一名の記事は、338頁7行目から340頁15行目まで。全部で、「蝦夷」が七回でてくる。このアイヌは、高宗に「白鹿の皮一枚、弓を三、矢を八十本」を貢いだ。

②北海道渡島半島のアイヌに懇願されたからか、奥尻島のギリヤーク人征伐の記事は、342頁2行目から16行目まで。及び336頁4行目。ここではアイヌを指す「蝦夷」が三回出てくる。道案内させた津軽半島のアイヌが一回、この征伐戦争を見ようと、渡島半島「後志利別川 しりべしとしべつ川」に集まったアイヌ達について二回。

 なお、この戦いで、奥尻島に上陸した陸戦隊司令官・能登臣(のとのおみ)は戦死。奥尻町青苗貝塚から出土した翡翠製勾玉は、この能登臣が身に着けていたものだろう(ギリヤーク人は、日本人武将の死体をゴミ捨て場に捨てたと言うことになる)

 ギリヤーク人征伐に対するお礼として、アイヌが阿倍比羅夫に貢納した“生きたヒグマ二頭(小熊?)&ヒグマ皮七十枚に関する記事が、六頁前の三三六頁に唐突に記載。『日本書紀』編纂官は支那語の達人が選別され、歴史学的素養を欠くものが少なくなかった。第26巻は、特に粗雑。大和朝廷の記録文書と阿倍比羅夫家の文書を整合せず、手抜きのコピペに終始している。

阿倍比羅夫「658年《蝦夷》征伐」は、叛乱する東北豪族の制圧。アイヌとは無関係

 共産党系の学者は、嘘を吐く事がその宗教的な信仰告白であり、歴史を改竄すること自体が義務付けられている。オウム真理教の信者が、麻原彰晃を信仰するのと同じ。『日本書紀』第26巻には、アイヌ征伐に関する記事は、一行も一文字もない。

 多くの出版物でアイヌ征伐とされている、阿倍比羅夫の、秋田、能代、津軽、北海道の胆振鉏(いぶりさえ 函館に仮比定)の「蝦夷国の四拠点」征伐は、アイヌ征伐ではない。大和朝廷への服属を拒絶した東北地方以北の日本人への服属強制を求める戦である。この事は、「提督」阿倍比羅夫が軍港「敦賀」を軍船180隻で出陣したことで明瞭。

 当時の日本の軍船は、663年の白村江「海戦」で用いたものと同じで、排水量70トン以上、100トン未満。漕ぎ手24名、武装兵士50名ほどを乗船。つまり、軍船180隻とは、兵士が約一万人。ならば、当時の東北全体に住むアイヌ一千名弱(武装アイヌ人は全部を合計しても百名)に対して多すぎる。そればかりか、降伏「蝦夷」に官位を授け、郡の長に任命している。語彙「蝦夷」が、言語も教養も異なる異民族アイヌを指さないのは、議論以前に明白。

 『日本書紀 下』331頁は、蝦夷「おか」(宛て漢字「恩荷」)に、官位「小乙上」を授け、能代と津軽の郡領(こおりのみやつこ)に命じたとある。この「蝦夷」が日本人の地方豪族なのは、言うまでもない。

 この330頁の最後三行目から331頁の最初四行目までの記事は、337頁2行目~338頁5行目に重複して記述されている。前者が大和朝廷の記録、後者は阿倍比羅夫家の記録だろう。公式史書だから整合して一本にするか、片方を正伝にして他を異伝とするのが定石。支那語の達人は、朝廷官僚としての資質は高くなかったようだ。私が代わりに纏めてあげれば、国家の歴史書としてもっと正確/もっと高い格調のものになっただろう。

 さて、北海道・胆振鉏(渡島半島の南部)の服属しない日本人武人を二十人も捕らえて、有間浜(青森県の岩木川河口・十三湊に仮比定)に集めて饗宴を催し、その後に北海道に帰郷させたとある。これは、渡島半島の南部は、紀元前の昔から日本領土であり続け、鎌倉時代の史料に残る「渡党 わたりとう」も、実は阿倍比羅夫時代に既に存在していたことを示す。

 このように、七世紀における日本人とアイヌ人の棲み分け境界は、北海道渡島半島の南部に確定していた。これはまた、この棲み分け境界を越境しての、津軽海峡以南のアイヌ人が極めて少数だった事実と一致する。

 東北地方に南下したとは言え、アイヌ人は主として津軽半島と下北半島の津軽海峡に面した沿岸と陸奥湾の海岸線に住み、その数は女子供あわせて三百名程度。これ以外に、栃木県辺りまで山中を大型動物を狩って住処とした、例外的な「山中アイヌ」の数も、東北地方全部でも二~三百名を越えてはいまい。秋田県の「マタギ」は、この「山中アイヌ」の子孫か、それを真似た日本人の末裔。

 アザラシやオットセイ、特にヒグマやエゾシカの大型野生動物の狩猟を生業とし、稲作を激しく拒絶するアイヌにとって、渡島半島以南は居住地域として全く適さなかった。だから、南下しなかった。ために、渡島半島南部より以南のアイヌの人数は総計で、五~六百名がせいぜいだったろう。

 この事実は、東北地方で発見されたアイヌ語「川」「沢」「湖」は、アイヌ人が居住していた痕跡ではない、ということ。まず、これらは外来語好きな日本人の性向によるアイヌ語の伝播とも考えられる(附記1)。が、北海道アイヌの襲撃と殺戮から命からがら逃避してきた、五~六世紀頃に北海道・続縄文時代の原日本人が居住した証拠と考える方が学問的には合理的だろう。

 北海道・続縄文時代の原日本人は、二百年間ほど北海道でアイヌ人と共生しており、多少のアイヌ語を常用していただろう。故郷を奪われ東北に逃れてきた彼らは、同祖である、稲作の東北日本人とは直ぐに馴染んだ。が、居住・稲作地域として洪水発生が起きるが故に、当時の日本人が居住地としても水田としても忌避し、誰も住んでいなかった荒地の河川や沢や湖の畔に入植する以外の道はなかったことは、蓋然性高く推定できる。

 北海道・続縄文時代の原日本人は、弥生時代に発展した日本語を(本州からの移住者を通じて)凡そは知っていたし多少は使ってはいたが、完全ではなかっただろう。「川」「沢」「湖」に、二百年間ほどの共生で覚えたアイヌ語を使った理由は、これだろうか。

 大まかに人口比を考える。宮城県以北の東北地方の日本人人口は、奈良時代には百万人をはるかに超えていた。658~660年の斉明天皇の御代もほぼ同じとし、アイヌ人を五百名前後とすれば、北海道渡島半島の南部以南の人口比は、「日本人99.9%以上、アイヌ人0.1%以下」となる。

『日本書紀』第26巻の、新規に服属した「蝦夷」(東北日本人の武人)に関する記述三例

1、327頁;655年に、越(新潟県)の「蝦夷」99名。陸奥(宮城県・岩手県)の「蝦夷」95人が帰順した、とある。また、柵養の「蝦夷」9人、津軽の「蝦夷」6人に官位を与えた、とある。この「柵養」の柵は、淳足柵(ぬたりのき、647年に築城、新潟市東区辺り)と磐舟柵(いわふねのき、648年築城、新潟県村上市岩船辺り)の城を指す。「柵養」とは、もとは非・服属だった者が大和朝廷に帰順してこの城を守る将校クラスの武人になった、の意。アイヌは、日本の和弓は使えないし騎馬戦もできない。漢文も読めない。朝廷やその官衙における儀式もできない。そんな未開の異民族アイヌ人が、大和朝廷の城壁を守る武人になれるはずもなく、以上の「蝦夷」全員が日本人なのは、自明以前。議論以前。

2、332頁;658年に、東北の「蝦夷」200名余、大和朝廷に帰順を申し出た。朝廷はふんだんに御褒美を下賜した。また柵養の「蝦夷」二人に位階を授けたとある。さらに、秋田県能代郡の長官に官位「小乙下」、その次官には官位「建武」を授けたとある。この両名にはさらに、弓矢二セット、鎧二つを下賜・・・・・、と続く。「蝦夷」がアイヌでないのは、未開の異民族アイヌにとって、官位や位階など豚に真珠だし、それよりも漢文読み書き力ゼロ/宮廷儀式力ゼロに、大和朝廷の官吏・軍人になれる資格があるというのか。

3、337~8頁;330頁の重複だが、重複でない記事もある。「とひう」(地名、不詳、秋田県北部から青森県のどこか)の「蝦夷」二人が、阿倍比羅夫に「後方羊蹄しりへし に政庁を置きなさい」と助言したとある。比羅夫は、実際に、岩木川河口の十三湊だと比定できる「しりへし」に郡庁を設置した(658年)。新しい行政組織の「新設」という、こんな高度な助言、アイヌにできると言うのか。

 なお、この十三湊の政庁は、その後、七百年間、大和朝廷および鎌倉幕府の、対北海道「行政」の中枢であり続けた。十三世紀、北海道アイヌは、アムールでの交易を独占したく、樺太ギリヤーク人“皆殺し”を狙う行動を起こした。これを阻むべく蒙古軍がアムール川から樺太に侵攻してアイヌを一掃しようとした。この時、鎌倉幕府の蝦夷(えぞ)管領・安藤氏は、十三湊を参謀本部(大本営)、積丹半島の余市を前線基地にして、蒙古の樺太支配を排除すべく、蒙古軍と樺太で勇敢に戦った。これが、日本の樺太・北海道防衛の、史上最初の戦い(引き分け)。第二番目が、1945年8~9月、モンゴル帝国の後継国家ロシアの、樺太/国後/択捉島ほかへの侵略に対する防衛戦争(大敗北)

 今から二十年前の2000年前後から、古代史関連の出版物は、“真赤な捏造歴史”満載の大洪水となった。この嘘歴史の一つが、東北の叛乱日本人を指す「蝦夷」を、未開人の「アイヌ」だとする意図的な歴史捏造。もう一つが、新潟県/宮城県以北に築城された、「非服属の日本人豪族」に対する防備としての城や柵を、東北には限りなくゼロ名にすぎないアイヌ人の対策用だったと、腰を抜かすほどの荒唐無稽な捏造歴史。この真赤な嘘、馬に乗ったことがないアイヌが騎馬戦をするとしている。柵は、突入する騎馬とそれが放つ弓矢を防禦するもの。アイヌの弓矢は熊狩り用で飛距離が30㍍そこそこ。人間間の戦争ではオモチャ。

 アイヌは、女子供併せて、三百名ほどが津軽海峡に面する二つの半島と陸奥湾の沿岸にいるだけだった。東北地方全体では、限りなくゼロ名(備考)。叛乱する能力以前の、この超・微人数の東北アイヌに、軍事的な城や柵は不要だし、考慮すらしていない。鎌倉時代以降、これら津軽海峡の東北アイヌには、地方政府から米が無償で支給されていたようだ。北海道を視察する時の通訳として養っていたからか。

(備考)アイヌが主体とされる擦文土器は、本州では、陸奥湾海岸の一か所でしか見つかっていない。「アイヌが集団で居住していたのは、津軽海峡に面する二つの半島と陸奥湾の沿岸のみ」と確定すべき重要証拠。

 ちなみに、阿倍比羅夫から二世代、奈良時代(724年)に創建された巨大な多賀城を思い出してもらおう。この城の外郭は、東辺1000㍍、西辺700㍍、南辺880㍍、北辺860㍍。この中側に、東西106㍍、南北170㍍の政庁があり、正殿まである。つまり、大和朝廷に服属しているのか、心底では服属せず叛乱を準備しているのかわからない、東北地方全体で人口百万人を越え、金を産出する、強大な軍事力を持つ陸奥国「蝦夷(武装した日本人豪族)」達に対する、大和朝廷の国府(政庁)を兼ねた軍事拠点(有事における参謀本部)が、多賀城だった。当時の地球上で“世界第二の巨大都市”平城京を有し、世界史に残る最近代の高度文明国家を創りあげた奈良盆地の大和朝廷にとって、はるか遠くの津軽海峡沿岸に棲みついた未開の異民族アイヌ数百名など、視界にも入っていない。

第二節 日本人の母方の祖先「縄文人」は、異民族アイヌと血縁関係ゼロ

 北海道縄文人に関する常識的な歴史が、一気に、度肝抜くような真赤な嘘に変貌したのは、2008年6月6日、共産党とロシアKGB(鈴木宗男、拓殖大学夜間部卒)と「在日」朝鮮人(菅義偉、法政大学夜間部卒)の三者が牛耳った、“バカと悪と気狂い議員”からなる衆参の国会決議によってである。「アイヌは北海道の先住民族」とする、この狂った国会決議が、良心的な通常の学者の“学問の自由”を侵害・剥奪し、歴史の真実を闇に葬ったのである。この時、多くの国民は「エッ」と絶句した。

 私の記憶では、この国会決議への一般国民の疑義と非難は、「原日本人である縄文人が先住民族のはず」と「アイヌは、いつ/どこから北海道にきたのか。この歴史、全くわかっていないはず」が多かった。私は、中1の地理の授業か(1957年)中2の歴史の授業か(1958年)で、教師から、「アイヌがいつ/どこから来たかはわかっていません」と習った。異民族アイヌの歴史については、既にアイヌ系日本国民になっている以上、彼らの古傷(本当の歴史)に触れるのは避けたい、が教師の言葉から漂っていた。「実は私、アイヌについて、知識がほとんどありません」も、教師の本心だっただろう。アイヌの歴史に関するイロハは次の二つ。

A、北海道の先住民族は、原日本人の縄文人である。これは、ニュートン力学や「1+1=2」と同じレベルの絶対真理で、歴史事実としてもイロハの中のイロハ。菅義偉など、大嘘「アイヌは、先住民族」と強弁する輩は、「僕は、お母さんより先に産まれていた」と嘯く100%狂った狂人と変わらない。スーパー低学歴コリアン二世の菅義偉や鈴木宗男は、精神病院に強制入院すべきだ。

B、第二の重要な歴史事実が次。この縄文人が、鉄器を齎した本州から移住した多くの日本人(弥生人)や古墳時代の移住日本人と一緒に、六世紀頃、一人残らず北海道から消えた問題。

 これら(紀元前一万年頃からの)北海道「先住民族」原日本人(縄文人)と紀元前三世紀頃から北海道に移住した日本人(弥生時代の日本人や古墳時代の日本人)を総計した“六世紀の総人口”を、仮に五万人としよう。この「先住民族」五万人は、六世紀、永い日本史では突然的にも見えるが、実際には百年間近くかけて徐々にゼロ人になったのはないか。仮に紀元後500~580年とする。

 原日本人ら五万人は、侵入蛮族アイヌ人にジェノサイド(大量殺戮)されたか、船を手当てでき北海道から東北地方に逃亡(大脱走、exodus)した、と考えられる。疫病死でないのは、アイヌ人が六世紀に繁茂している事実から証明済み。船は、古墳時代にやってきた毛皮と大鷲の羽を求める日本人商人の、排水量30㌧前後の船。(武装兵士でなければ)30人以上が乗船できる。縄文時代の「丸木舟」ではない。注意の事。

 そこで仮数字。侵入蛮族アイヌ人にジェノサイドされた数を一万人、東北地方に逃亡exodusした「先住民族」縄文人を四万人、と仮にしておこう。東北地方に散見されるアイヌ語「川」「沢」「湖」は、これら逃亡(=強制移住)の北海道「先住民族」達が生活集落を営んだ場所と考えられる。

縄文人と血縁関係ゼロの異民族アイヌ人。が、なぜ共産党員学者は、大嘘を吠える

 ①北方民族アイヌ人が異民族であることは、外形を見れば一目瞭然。なのに学界は、これに口を噤む。また、②アイヌ語を孤立語だと勝手に断定して、他の北方民族の言語との関連をほとんど研究しない。③北海道「縄文人・日本人」が、絶対多数民族だったにも拘わらず、六世紀頃、いったん一人残らず消えた歴史に関しては、学界はその研究を禁じて不研究を強制している。そして、阿倍比羅夫の658~660年以降、つまり七世紀半ばから、日本人の北海道移住が再び盛んとなり、アイヌ人は、これら日本人と再び共生している。アイヌの対日本人態度は風車。クルクル変るからだ。

 上記のA&Bの核心的な問題に戻す。このA&Bを誤魔化す方法は、“世界一天才の実験マジシャン”小保方晴子のSTAP細胞と同じやり方を踏襲したマジック・ショーしかない。アイヌ考古学で、今、大人気の瀬川拓郎(旭川博物館学芸員・館長→札幌大学教授)は、小保方晴子の「兄貴」なのだろう、“世界一の天才詭弁家”ぶりを大発揮中。“お笑い嘘八百”「ライオンからマントヒヒが産まれた」と同じ、“世界史上、金メダルの真赤な嘘”「縄文人=原日本人から、アイヌ人が生まれた」を捏造し、やんやと嘯くばかり。以下は、瀬川拓郎の「真赤な捏造歴史シリーズ本」の中でも突出している、“歴史偽造の白眉”瀬川拓郎『アイヌと縄文』(ちくま新書、2016年)を解剖した。頁数は、この本。

 瀬川拓郎の大嘘は、ルイセンコ学説が塵に見えるほど、歴史事実や科学を逆さにした“狂気の反科学”“狂気の反歴史”「アイヌ人こそ縄文人の正当な末裔」(表紙裏)等と、エスカレートが止まらない。瀬川拓郎の先例がない強度の嘘つき病は精神病の一種だから、主要大学医学部の精神科教授は、急ぎ研究対象にされ学会で発表されたい。

 この書は、目次を見るだけで誰でも目がまん丸になって気絶する。目次から大マジック・ショーをする本など聞いた事すらない。どんな嘘八百本でも、目次だけは、真面に見せる配慮をするからだ。

 瀬川の『アイヌと縄文』の目次には、「第一章 アイヌの原郷──縄文時代」とある。われわれ現在の日本人にとって縄文時代は原郷で、縄文人は母方の祖先。医学的な数字ではないが、分かり易くするための譬えでいうなら、われわれ日本人=弥生人は、《「母方」縄文人の血が八分の七、「父方」稲作・鉄器渡来人の血が八分の一」》である。ために日本人は、母方から「豊かで確実な生活、子孫を殖やす(子孫繁栄)、平和な社会」を継承し、父方から「国家(法秩序、統一的な政治制度)、国防、学的な知力練磨、日本語」の生き方を継承した。日本語は、稲作・鉄器渡来人の言語が基軸となって、弥生時代に進化した言語。父系である。

 「アイヌは、日本人の祖先である縄文人の末裔」との主張は、瀬川拓郎が、荒唐無稽も度が過ぎる「アイヌ人は、純血の日本人」だと宣言していることに等しい。精神科医でなくとも、瀬川拓郎が精神病院から脱走中の“完全なる狂人”であることに疑問はなかろう。

 本文でも、「日本人とアイヌ人は同じ縄文人を祖先に持つ」「縄文人の末裔であるアイヌ」(17頁)「私たちと同じ日本列島の縄文人を祖先に持つ」(24頁)など、捏造と詭弁が百ヶ所以上も延々と続き、手の施しようがない。この『アイヌと縄文』を筑摩書房が直ちに絶版しないとすれば、筑摩書房もまた日本国民に真赤な嘘歴史を擦り込む、犯罪的な「反日」「極左」出版社だと認定してよい。

 瀬川は何を根拠にしてこの真赤な反科学の嘘を展開するのか、と怪訝に思って読み進めると、あっと驚いた。「縄文人とアイヌとの間には、形質や遺伝子の面での共通性がある」(25頁)と、真赤な嘘もこれほどの事柄は学界では吐けない嘘を、瀬川は平然とでっち上げる。 

 デタラメが蔓延る“腐敗病の学問”考古学界に鉄槌を下した、縄文人とアイヌとの間の共通性を全否定した、篠田謙一/安達登の衝撃的論文「DNAが語る、日本人への旅の複眼的視点」(注3)は、2010年に発表された。瀬川拓郎の『アイヌと縄文』は2016年出版。2010年から六年も経っている。

 ミトコンドリアDNAの権威である篠田謙一らは、「アイヌは縄文人の子孫にあらず」と、結論付けた。

「アイヌは縄文人の直系の子孫であるという言説は、支持されない」

「アイヌ集団の特徴は、(日本人が持たない)ハプログループYを持つことにある。・・・縄文人には(このハプログループYは)存在せず、アイヌ集団には別のルート(このYに関しては、ギリヤーク人との婚姻)で伝わった可能性を考える必要がある」

「現代のアイヌ集団にハプログループYを齎したのがオホーツク文化人(ギリヤーク人)だったと考えれば、この時代(五~十世紀)における(アイヌ人と日本人という二つの)集団の遺伝的な違い(別人種)を説明できる」(注3、371頁左欄)

 上記は、当該論文370頁にある図2の説明文。本ブログの読者は、この図2を頭に叩き込んで頂きたい。なお、この論文を入手できない者は、篠田謙一『新版 日本人になった祖先たち』の図7-5を参照されたい(注4、208頁)

 アイヌ人は、はるか昔には樺太で、そして五世紀以降の北海道で、利尻・礼文島から宗谷・北見・網走にかけて居住していたギリヤーク人と緊密な婚姻関係を有していた(一方、四世紀以降二百年間も共存しながら、原日本人の縄文人とはいっさい婚姻関係を持たなかった)。そして、この十世紀、アイヌ人は北海道ギリヤーク人皆殺しの蛮行を敢行したと考えられる。北海道ギリヤーク人は、これを境に、一部が東北海道に遁走したが、それも十三世紀にはゼロ名になった。

 篠田謙一とともに、“アイヌ絡みのDNAの権威”が、もう一人いる。斎藤成也。斎藤成也の著『日本列島人の歴史』19頁は(注5)、日本周辺六集団の分析結果が図1-7に纏められている。それはわれわれ日本人がごく普通に感じている通りで、アイヌ人を日本人からもっとも遠い遺伝子の人種にしている。韓国人は外形が日本人とほぼ同じだし、北京の漢族すらアイヌ人と比べると日本人に近い。この図1-7を、日本人全員は今、拳々服膺しなければならない。

機を見ては日本人を襲い、ギリヤーク人を襲った獰猛で戦闘好きな北方民族アイヌ

 北方民族アイヌ人は、エスキモー人やラップ人あるいはオロッコ人のような穏かで非戦闘的な他の北方民族とは異質である。極めて戦闘的であることと、また他の民族を誑かす才は、ロシア人に似ている。北海道の日本人への武力襲撃の激しさとジェノサイド的な戦い方は、コシャマインの戦い(1457年)、シャクシャインの戦い(1669年)、国後メナシの戦い(1789年)は、アイヌ人の人種を特定する上で軽視してはならない。この三つの戦いだけでも、アイヌには、縄文人の血が一滴も入っていないことがわかる。縄文人は相互に武装した戦闘というものを日本列島の全ての地域で、かつ数千年に亘りしたことがない、実に穏やかな非武装の人種。

 また、十三世紀後半、アイヌ人はアムール川での交易権をギリヤーク人から奪うべく、ギリヤーク人が泣きついたモンゴル帝国の軍隊と四十年に亘る戦争を樺太で遂行したが、これもまたアイヌ人の獰猛さが発露した戦争だったと言える。

 蛇足。縄文人と弥生人との相違について。日本国が激動の東アジアを生き抜いてこれたのは、紀元元年頃からの、弥生人・大和朝廷の武力による国防や国力の海外拡張を重視した偉大な国策の成果である。国家統一に日本中で唯一に最適な奈良盆地という天然の要塞を都とされた、天才軍略家の弥生人・神武天皇の御即位なしに、日本という国家は朝鮮半島のように分立対立して、安定とは程遠い国家群になっていただろう。“弥生人の雄”大和朝廷に、われわれ現在の日本国民は、無限の恩恵を蒙っている。

 唐帝国が(白村江の戦い勝利の翌年)対日本「追撃」侵攻不可能と決定したほどに、強力な中級国家middle powerだった日本国は、“弥生人の総帥”神武天皇や、織田信長二十人が束になっても敵わない“世界史上のスーパー天才軍略家”神功皇后のお二方なしには誕生も発展もしていない。八世紀、奈良の大和盆地に、大和朝廷は、当時の世界では考えられない、巨大で“最近代的な都”平城京を建立した。この事実は、元来は侵略する唐帝国の大軍を誘い込んで殲滅する戦略的戦場の大和盆地の軍事的価値が不必要となったからで、それは唐帝国すら手も足も出ない軍事力を日本が有していたため、完全かつ半恒久平和が獲得されていたからに他ならない。

 話を縄文人に戻す。武力や武装に関する限り、縄文人(原日本人)と弥生人(日本人)とは、両極端であった。アイヌ人が六世紀に縄文人から生まれたのであれば、十世紀に北海道北部のギリヤーク人皆殺しなどしていない。そもそも北海道中央部・南部に繁栄していた、六世紀の縄文人を皆殺しなどしていない。なお、十世紀末にはギリヤーク人はオホーツク海側の北海道北部では全員殺されゼロ人となったが、一部が北海道東部に逃げ込み十三世紀まで細々と存在した。

縄文語=アイヌ語だと嘯く、正常から逸脱した妄念と狂気の世界に生きる瀬川拓郎

 瀬川拓郎の本を読んでいると、真冬にお化け屋敷に閉じ込められたかの恐怖が襲い掛かる。例えば、「日本列島の縄文語=アイヌ語」「縄文語=アイヌ語由来の言葉が・・・」58頁など、普通の正常な日本人なら発想できるか。なぜなら、縄文語は全く分かっていない。完全に不明なものが、どうして実在する物と同じだと言えるのか。瀬川の「私達の祖先の文化であった縄文語と縄文イデオロギーを保ってきたのがアイヌだった」(62頁)には、誰しも、瀬川拓郎は発狂中だと戦慄が止まらない。

 要するに、瀬川は、絶対的な歴史事実「北海道の先住民族は原日本人の縄文人である」が動かせないから、強引にアイヌを先住民族にでっち上げるには、アイヌを縄文人にする他なく、「アイヌ人=縄文人」という狂気の妄言を言い触らすことを考え付いたのである。

 しかも、「アイヌ人=縄文人」とすれば、六世紀に北海道から縄文人が消えた歴史事実も、詐欺師的だが、辻褄が合う説明ができる。縄文人が消えたのではなく、縄文人がアイヌ人に突然変異的に化けたからだ、と。もう一度言う。上記のA&Bを誤魔化す最高のトリックは、「縄文人=アイヌ人、アイヌ語=縄文語」の詭弁を強弁することだから、瀬川は恥も外聞もなく、強迫概念に駆られて、このマジック・ショーを小保方晴子を越える激しさで展開したのである。このような瀬川の、前代未聞の狂気の妄想、次稿以降でさらに追及する。

アイヌ人は、どこで生まれ、いったいいつ/どこから北海道に侵入したのか

 次稿以降に論じる予定だが、アイヌ人の祖先について、民族学的・言語学的に、“凡そ”の見当をつけることは、さほど困難な事ではない。言語学的には、接頭語の特性から、ケット語(西シベリア、エニセイ川の周辺)がアイヌ語の親類だということがわかっている(注6)

 また、アイヌ人の元々の家屋が三脚だった事実&その他の事実から、アムール川のギリヤーク人か、エニセイ川のケット人かが親類だったのがわかる(注7)。アイヌの熊祭りは、ギリヤーク人とケット人に共通するので、熊祭りからは、いずれかには特定できない。DNAからすれば、篠田謙一の研究によって、ギリヤーク人が親族だとする方が妥当といえる。

 また、ケット人だと、最初にアイヌ人が侵入した北海道石狩平野までの距離が4000㎞で、騎馬民族ならまだしも、徒歩のアイヌ人には、距離が長すぎる。ただ、一か所につき数世代ごと滞在し二千年ほどかければ、4000㎞など何でもないから、距離だけで排除することはできない。その他の様々な民族学的検証をすれば、少なくともアイヌが北方民族である事実だけは、絶対真理と確定できる。「縄文人からアイヌが生まれた」とする瀬川らの狂人まがいの妄想は、「白い鳩から黒いカラスが突然変異で生まれた」と同じ類の、精神異常者特有の戯言である。

赤魔窟「白老ウポポイ」を爆破・解体し、「反日」アイヌ人をエニセイ川に帰還させよう

 しかし、在日の共産党員・菅義偉は、この「白い鳩から黒いカラスが突然変異で生まれた」と同じ類の狂人の戯言をもって、アイヌを北海道の先住民族だと、国会で政治的に断定し、その流れで国民の税金を湯水のように使って、“真赤な嘘歴史の魔窟”「白老ウポポイ」を建設し、大々的なテレビコマーシャルを流して、この“真赤な嘘歴史の魔窟”を、全国の子供たちに擦り込んでいる。

 正しい日本政府ならば、or通常の正常な日本国民ならば、赤い魔窟「白老ウポポイ」を、今すぐ爆破・解体する。しかし、満洲産コリアン二世の菅義偉は、通常の日本国民とはほど遠い共産党員でもあるので、恐らく、真赤な嘘魔窟「白老ウポポイ」を爆破・解体することをしないだろう。

 また、アイヌ人は今、2500~3500名の「反日」グループと、1万5千名前後の健全なアイヌ系日本国民に二分されている。前者の反日/非・日本国民のアイヌ人に対して、アムール川かエニセイ川に帰還させようではないか。これは日本国からの追放ではない。彼らの故郷に還って頂く話である。

(つづく)

1、砂澤陣『北海道が危ない!』、育鵬社、2019年。

2、平山裕人の主著は、共産党が直営する明石書店からの“嘘の大洪水本”『アイヌの歴史』(2014年)がある。だが、廃校にすべき「大学」未満の北海道教育大卒で、小学校教諭。文章力の拙劣さは小学生と変わらない。平山の本など、読めるシロモノではない。代わりに、プロのライターが書き直した、平山の短い評論があるので、それを紹介する。『時空旅人』2020年7月号の20~23頁。が、これ、全編、嘘ばかり。私は嘔吐を催した。

 平山裕人の『アイヌの歴史』86頁に驚愕すべき真赤な嘘歴史が作図されている。北海道/青森県/岩手県/秋田県は、アイヌのみが居住し日本人は住んでいなかった、と。新潟県/宮城県/栃木県は、日本人とアイヌの混住だった、と。まさに、従軍慰安婦の嘘歴史書を書いた共産党員・吉田清治『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』のアイヌ版。全編つくり話の妄言狂文が花盛り。平山裕人を放置すれば、「第二の従軍慰安婦」事件に発展するのは必定。しかも、これは日本列島内だから、日本国を亡国に強制連行すること間違いなし。

3、『科学』2020年4月号。

4、篠田謙一『新版 日本人になった祖先たち』、NHKブックス。アイヌ問題で必読すべく三冊と言えば、上記の砂澤陣の本と、この篠田の本と、注7で挙げた大林の本、の三冊だろう。

5、斎藤成也『日本列島人の歴史』、岩波ジュニア新書、19頁。

6、中川裕『アイヌ語の向こうに広がる世界』、編集グループSURE、2010年。

7、大林太良『北方民族と文化』、山川出版社。本書の第Ⅲ部「熊祭り」と第Ⅳ部「アイヌ文化の北方的要素」は、アイヌ史を学ぶものにとって必読の入門書である。

(2020年10月22日記)

 

附記1;16~17世紀、ポルトガル語「タバコ、合羽、ボタン、ビロード、金平糖、コップ」が日本中をかけ巡って定着したが、ポルトガル人は一人も日本に定住していない。同じく、スペイン語「かるた、(船名の)丸、パン、メリヤス、たばこ、エニシダ、カステラ、おじや、ボタン、シャボン、カラメル、金平糖、おんぶ、オイチョカブ、ボーロ・・・」もまた日本中に広まったが、スペイン人は一人として日本に居住していない。外来語の蔓延は、その外国人の定住を全く意味しない。

附記2;本稿は、10月10日の特別ゼミで発表した私のアイヌ研究のほんの一部。この意味で、本稿は、当該ゼミ参加者の諸兄に負っており、ここに深甚の御礼を申し上げる。

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