エニセイ川を原故郷とするアイヌの他部族ジェノサイド“狂” は、アイヌの日常「シベリア虎」殺し/熊殺しの延長──日本人約四百名「殺戮」者シャクシャインの“英雄”視は、無法な法的正義「転倒」

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筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 今や数十人に膨れ上がった日本の自称アイヌ研究「エセ大学教授」は、悪魔的な「反日」歴史捏造の犯意に燃えるのみ。だから、ユーカラを(文学や言語学の領域に押しとどめ)歴史学に用いない。ユーカラを歴史研究すれば、北方民族アイヌは北海道原産ではないこと、及び、一万年前からの“縄文人(=原日本人)の占有領域・北海道”に侵略(侵入)し、“縄文人を皆殺し”した残忍な北方蛮族ということが即座に証明されるからである。

 2020年7月、私は、(ロシアKGB命令を忠実に実行して)菅義偉&鈴木宗男コンビが国民の税金200億円かけて作った“嘘歴史の魔窟”「白老ウポポイ」開所の式典を、これまた共産党員の菅義偉&鈴木直道コンビが執り行っているテレビ画像に驚愕し、また怒り、真っ先に手に取った本がある。書庫に眠っていたネフスキー『月と不死』。

 ネフスキーが収録した「ユーカラ二篇」に、シベリア虎がふんだんに棲息する所がアイヌの故地だと断定するユーカラがあった。西シベリアと中央シベリアに跨る森林地帯で、夏場に魚を狩猟するエニセイ川の上流域の河畔こそ、アイヌ人が産まれ生活した原・故郷ではないか、との私の日頃の仮推定は、ズバリ的中した。アイヌ人をケット人から分枝した北方民族と断定することは、学術的に最重要仮説として、このように既に成立している。

「・・・・・

人間のお父様が山に行きますと

太った鹿や

肥えた熊を家に運んでくる。

・・・・・

さらにまた 山の東の方に 走って行つたら

いやな 憎らしい

微笑んでゐました。

・・・・・

その かう云ひました。

・・・・・

それからしばらくもみ合つて

悪いを 私は殺してしまひました。」(注1)

 シベリア虎は、ここ数世紀に及ぶロシア人の乱獲で、今ではアムール川やウスリー川の近辺にしかいない。が、シベリア虎の学名が「アルタイ虎」(Pantheraヒョウ属 Tigris Altaica)であるように、かつてはエニセイ川の上流域アルタイ山脈の北部一帯(西シベリアと中央シベリア)こそ、シベリア虎の主たる棲息地だった。アイヌは、虎を、熊や鹿や狼と同じように、狩猟・屠殺・解体作業する獰猛な北方民族だった。ユーカラこそは、この歴史事実を確定する、紛れもない歴史証拠である。

日本人皆殺し&松前藩乗っ取りを企てた、獰猛な戦争好き大量殺人鬼シャクシャイン

 しかし、日本では、恐ろしい真赤な大嘘、すなわち“反・歴史”「アイヌは、平和を愛し、他民族との共存を図る部族」が、共産党支配の学界と共産党支配の新聞から執拗に流される。だが、事実は、第一に、アイヌは、他部族を襲撃して皆殺しするジェノサイドを根幹的な民族文化とする。第二の事実。アイヌは、熊や鹿やアザラシやオットセイ等の大型野獣や鮭などの大型魚を狩猟する「縄張り」を巡り、アイヌ同士で殺し合うのを日常とする。

 他部族や自部族に拘わらず、野獣的「縄張り」の拡大と移動の情動から繰り返す、アイヌ民族のジェノサイド文化を知れば、誰でもすぐ、世界で最も残虐・獰猛な北方民族ロシア人を思い出す。ロシア人によるクリミヤ・タタール人絶滅やチェチェン人大量殺戮は、ロシア人の他民族ジェノサイド文化のほんの一例。また、たった四年間で五百万人以上を殺したレーニンの自国民大量ジェノサイドは(注2)、ルソー/マルクスの自国民ジェノサイド教理の実践だが、ロシア人の古層に潜む、民族文化としてのジェノサイド狂気と無縁ではない。

 つまり、レーニンとスターリンが、自国民六千六百万人を殺した歴史は、教理「共産主義思想」が最大の原因なのは事実だが、レーニンがモンゴル帝国チンギス・カーンの他民族殺戮の文化だけでなく、アイヌにも通底する、獰猛な北方民族文化を継承していたことにもよる。

 さて、話をアイヌ史に戻す。これから証明していくのは、表1のアイヌの他部族ジェノサイド文化。

表1;獰猛な戦闘性が根底に潜む、「北方民族」北海道アイヌが繰り返す他部族ジェノサイド

 そこで最初に、表1の中、現在の日本で最も嘘が組織的に大量に流されているシャクシャイン叛乱を採り上げるとする。

 日高地方の血塗られた暴君である酋長シャクシャインについて、現在の日本人が読むor吹き込まれる嘘歴史は、主に二冊の悪書の影響が大。一冊は、共産党専従プロパガンディスト平山裕人の『シャクシャインの戦い』(寿郎社)。もう一つは、共産党員作家・小暮正夫の作品で、同一タイトルの小学生用『シャクシャインの戦い』(童心社)

 いずれも、歴史ではなく、真赤な嘘とつくり話が満載の捏造歴史で、凶悪な創作小説。小中の学校教科書や副読本は、ほとんど、この二冊を下敷きに(丸写し)している。なお、寿郎社も童心社も共産党直属の出版社だから、「シャクシャイン史」歴史捏造の主犯が共産党なのが即時に判明。

 特に、北海道の共産党でボス的な党員の一人である田端宏は、共産党員しかメンバーになれない北海道史研究協議会の編集による『北海道史事典』で、次のような噴飯物の赤い嘘歴史をでっち上げている。アイヌ人で、「民族意識」を持った者は、1960年代にロシアKGBと共産党が開始した教宣活動の成果としてマルクス・レーニン主義に洗脳された1970~73年より以前には発見できない。

「自律性を賭しての戦いは、アイヌ民族の歴史の中で非常に重要な意味がある。現代アイヌ民族の人々の民族意識(=「日本人皆殺し」蜂起?)に強く関わるからである」(注4、丸カッコ内中川)

 シャクシャインの妻妾の数が百名に近かったように、酋長シャクシャインとは、アラビアの王様然として女奴隷集団を兼ねるハーレムを囲い、酒と殺人と戦争に生きた残忍な野獣そのものの殺人鬼だった。彼の異常な巨財が松前藩に秘匿したclandestine砂金の採掘。砂金採掘権を統治する松前藩から、日高山脈の砂金すべてを奪取すべく、日本人皆殺しと松前藩「完全破壊」を狙った叛乱を決行した。

 このように、権力と金の亡者シャクシャインに民族意識など一欠けらもない。この事実だけでも知れば、学長以下の全教授が共産党員という北海道教育大学の田端宏の正体は、赤い大嘘フィクション作家で凶暴な共産革命家なのが、一瞬にして把握できよう。

 「田端宏に騙されない/学校教科書・副読本の嘘の酷さに戦慄して改正を誓う」真に健全な日本人になるには、少なくとも上記二冊『シャクシャインの戦い』『シャクシャインの戦い』の真赤な嘘歴史を詳細に見抜くだけの真実の歴史に関する知見と教養とが不可欠。そこで、「シャクシャインの日本人ジェノサイド“叛乱”」史の概要を復習する。

 さて、シャクシャイン叛乱史について、入門として通常、郷土史の雑誌『鵡川三号』に掲載された土井重男の論文が広く読まれている。それは、次のように纏めている。

「シャクシャインは、(現在の新ひだか町の)静内以東に存在する金山との関係も深く、1669年の乱で(の前)、二十七丁の鉄砲を所持していた。因みに松前藩は十六丁であった。(武力叛乱発生で)松前藩は、津軽・南部の両藩と野辺地の豪商から、それぞれ鉄砲を借り受け、二門の大砲と七〇丁の鉄砲で乱を鎮定している」

「シャクシャインは、静内以東の領域に、和人を一歩も入れず、侵入しようとするものは厳しく罰するという排和人(「日本人排斥」)の姿勢に固執したという。この事は(叛乱が)砂金採取地の秘密性(秘匿保持)とも関係し(シャクシャインは秘密の砂金採取場を保有しており)砂金の保持・蓄財・秘匿ということが(叛乱目的で)あったかもしれない」(注5、カッコ内中川)

閑話休題。「新ひだか町」に立つ“大量殺人鬼”シャクシャイン像を爆破解体しよう。

 北海道の新ひだか町(海岸にそって日高町から30㎞東)に、日本人約四百名を殺した大量殺人鬼アイヌ酋長シャクシャインのブロンズ像が建立されている(注6)。北朝鮮に数千個も林立する金日成像を模した、「日本人を殺し捲れ!」と獅子吼する、(ロシアKGBの煽動と指導で建立された)1970年製のシャクシャイン像よりましだが(注7)、大量殺人鬼の像を、犠牲者・日本人の国家内に建立することを容認していいのか。

 健全な道徳ならびに正常な人間性からなる人間ならば、碑を建立するなら、必ず犠牲者追悼の碑になる。この意味で、大量殺戮の凶悪犯罪をなした、数百匹の狂犬より怖い加害者を逆さにも英雄化する像を立てた、暴力革命を準備する過激派アイヌ達は、(大多数の「アイヌ系日本国民」とは違い)通常の人間の枠内にはない。このブロンズ像設置に関与した、恐ろしい血塗られた犯罪集団アイヌに対して、国籍剥奪やエニセイ川への追放など、何らかの法的制裁を課す必要がある。そうしなければ、文明国・日本の法的正義も法秩序も重大に損なわれる。

 また、暴虐な叛乱アイヌの首領シャクシャインの首を斬り落とした、松前候の家臣・佐藤権左衛門の銅像こそ建立すべきだろう。日本国領土における法的正義に唯一に適うのは、これのみ。また、日本国の歴史を顕現するための歴史上の人物の選定ならば、これのみが正常。

平山裕人の大嘘を暴く、松浦武四郎/幕吏随行『東遊雑記』/津軽藩『津軽一統志』

 では、シャクシャイン叛乱に関する歴史史料・資料の記述を、少し垣間見よう。まず、幕末、北海道/樺太/千島を踏破・探検した大学者・松浦武四郎の『蝦夷えぞ日誌』から。現代語訳での要約。

「静内のシャクシャインは、百数十人の労働者を使う砂金採掘業・文四郎と組んで、その地に城塁まで築いていた。シャクシャインはまた、秋田藩から流れてきた下級武士・庄太夫を娘婿にして、さまざまな悪巧みを企てていた。1669年、松前藩の(鷹匠を載せた)公船を襲い、船頭・水夫を皆殺しし、積載貨物を奪った。(これが叛乱のゴング)」。

「この後にシャクシャインは、(毒矢の半弓と日本製の槍・刀・銃で武装したアイヌ三千人の兵力で)松前藩の福山城を落とさんと、国縫(くんぬい、内浦湾に面する長万部町の一集落)まで攻め込んだ。が、ここで松前藩の軍隊と遭遇し合戦して敗北。静内に退却・籠城した。和睦の話が進んだところで、松前藩の総大将は一千三百人の兵力を以て襲い、シャクシャインを刺殺。その娘婿・庄太夫を捕らえ静内川の河原にて斬首。シャクシャインのアイヌ兵三千人はいっせいに逃散したため、叛乱は鎮圧。シャクシャインが、(「国縫合戦」以前の、叛乱開始時と松前への侵攻途次に)殺した日本人の数は四百人以上(注8、カッコ内中川)

 次。幕吏随員・古川古松軒が(叛乱から百二十年後の)1788年、松前藩にて聞いた話を記録したのが『東遊雑記』

「蝦夷人にシャムシャインという大勇の夷人(アイヌ)ありて・・・夷の大将として(毒矢の)半弓の射手を揃え、凡そ一万人ばかり、松前の地に攻め来りて・・・」

「松前候より津軽候へ援兵乞い給いし故に、津軽候よりも笠原何某という人を陣将とし、一万余人、津軽三厩浦まで出張ありて・・・」

「この時、松前候の臣に佐藤権左衛門とて知勇ある士あり、先だってこの事を図りて漁士の体にやつし(変装し)、…いろいろと才覚してシャムシャインの卒となり、戸切知において松前候の勢と対陣ありし時、合図を定めてシャムシャインを刺し殺し、首を取りて松前候の陣に遁(に)げ帰る。・・・」(注9、カッコ内中川)

 シャクシャイン叛乱の最正確な史料と見做されていのが、『津軽一統志』巻第十。シャクシャインが殺害した日本人数を詳細に記録している。例えば、「最初に、鷹匠の船一隻が襲われ、鷹師四名、船頭水夫八人が殺害された・・・」など。被害者全員を厳密に積算。そして「太平洋側で二二〇人、宗谷から余市までの日本海側で一四三人」、と。即ち、日本人被害者総数は三六三名(注10)。

 次は歴史史料ではなく北海道庁が1937年に纏めたもの。『鵡川3号』の土居論文とともに必ず読まれるので紹介しておこう。この『新撰北海道史 第二巻 通説一』第十四章は、シャクシャイン叛乱に到る前のアイヌ同士の諍いの経緯も、簡潔・明快にまとめている。

 即ちシャクシャインが、アイヌ同士の縄張り争いを巧みに利用して、全道のアイヌに松前藩打倒を呼びかけ、一気に全面戦争にエスカレートさせた歴史事実を、端的に描写している。なお、被害者数は『津軽一統志』の引用なのに、数字に齟齬がみられる。東蝦夷で「120人」とあるが、これは明らかに「220人」の転記ミス。西蝦夷の被害者数を「153人」とするが、これも「143人」の転記ミス。つまり、「被害者総数363名」とすべきを、間違って「273人」にしている。

 が、松前藩の藩士・藩民でない、津軽/南部/秋田藩からの町人・職人で殺された者の数「198人」は重要数字(注11)

 ここまでの初歩的な基礎知見を学べば、私が平山裕人の捏造歴史を暴く作業を展開しても、読者はすんなり納得できる。が、読者は、以上の基礎知見の習得で、少し疲れたのではないか。“凶悪共産党員”平山裕人の「真赤な嘘歴史」を糾弾する稿は、後日にしよう。

北海道「完全占拠」を狙ったコシャマイン叛乱。他国領土剥奪に獰猛なアイヌの本性

 アイヌ民族文化の特性「他民族ジェノサイド」に関する、基本歴史を明示した表1をもう一度、眺めていただきたい。そこにリストされている、日本の室町時代1456~7年に起きた、アイヌの北海道占拠に到る「軍事蜂起」事件──コシャマイン叛乱──に着目願いたい。

 このコシャマイン武力蜂起とシャクシャイン武力蜂起を、真正面から真摯に考察すれば、「アイヌは、わが日本人の祖先たる“非武装の縄文人(原日本人)を皆殺しした」と仮説することに、何らの異議も感じないだろう。

 コシャマイン叛乱とは、今は函館市の志海苔(しのり)町にある、「道南十二館(たて)」の一つ、志苔館(しのりたて)で起きた事件がきっかけであった。壮年のアイヌ(三十歳前後か)が、「小刀」(マキリ、現在の価額で200万円相当の高額品)を日本人鍛冶屋に注文し、価額or切れ味かで争いとなり、日本人鍛冶屋がこのアイヌをこの小刀で刺殺した。この結果、日本人居住域たる鵡川から余市までの日本人がほとんどアイヌに襲撃され、死者が山をなした(1456年)。殺害された日本人死者数ははっきりしないが、恐らく一万人として事実に近いだろう。生き残ったのは「道南十二館」に逃げ込んだ者だけだから、日本人のほぼ全員が殺されたとみてよい。

 志苔館も武装アイヌ集団の攻撃に陥落し、さらに九館が落ち、守り切ったのは茂別・花澤の二館だけだった。花澤館に寄寓していた武田信廣が、コシャマイン父子を討ち取り、いったんは平定。

 だが、日本人側が弱いと知れば、何度でも襲い続けるのが凶暴・獰猛な北方蛮族の血を継ぐ“殺戮民族”アイヌ。これ等の襲撃の中、主なものをリストしておこう。

1、1512年;再びアイヌの襲撃で、函館、志苔、與倉前の三館が陥落。函館は潰滅。大舘も襲撃され、相原季胤と村上政儀が戦死。

2、1515年;酋長ショヤコウジ兄弟のアイヌ兵力が、徳山館(大舘)を襲撃。蠣崎光廣が奇計を以て酋長を斬殺す。

3、1529年;西部の酋長タナサカシ、上国の和喜館(勝山館、花澤館とは別に新しく築城)を襲撃。工藤祐兼が戦死。城主・蠣崎義廣、奇計を持ってタナサカシを射殺す。

4、1536年;西部の酋長タリコナ(タナサカシの娘婿)、徳山館(勝山館?)を襲撃。蠣崎義廣、奇計を以て斬殺。   以上、注12。

 もう一度言う。大型野獣の肉を主食とするアイヌは、凶暴・獰猛な北方蛮族の血を継ぐ“殺戮民族”である。ドングリなどの植物の実や浅海のアサリ・海草・小魚などを主食とする縄文人のような、非武装と他民族共存主義の温和な人種とは、天と地ほどに異なる。北海道縄文人が六世紀に北海道から絶滅した原因が、アイヌによる虐殺的ジェノサイドによるだろうことに、疑義提起の余地はない。

 アイヌは、近代的な国際法的な領土意識を今も有さない。今に至ってもアイヌは、「他人の土地」を認めることにおいて「自分の土地」を認識する文明人の思考をすることができない。だから、アイヌの家には生け垣や門がない。つまり、虎や熊と同じく、アイヌは“勝手に/妄想的に自分の「縄張り」”を設定し、この縄張り内に元からいる先住の他民族や他の同族集団を、野獣的本能に従って、逆さに「侵入者」だと見做し、容赦なく襲撃し、皆殺しを辞さない。野生動物と寸分も変わらない。

酋長(集団)間殺戮が民族文化の血塗られたアイヌは、平和や平和共存など糞喰らえ

 このようにアイヌとは、他民族を襲い皆殺しする文化を持つ北方蛮族である。が、それだけではない。アイヌは同族同士でも、縄張り争いで、相互に大量殺戮を常とする。虎や熊や鹿やアザラシ/オットセイなど大型野性動物を殺し捲るアイヌにとって、同族であろうと他民族であろうと、人間を殺し捲ることに何の抵抗感がない。このアイヌ間の相互惨殺の歴史については、次稿以降に論じる。

アイヌに“皆殺し”された北海道縄文人(=原日本人)は、アイヌとは全てで真逆の人種

 日本の考古学者や北海道の博物館は赤い狂人ばかりなのか、狂言奇論「シベリア産アイヌが北海道縄文人の末裔」などと、「ライオンからマントヒヒが突然変異で生まれる」と同じ戯言を書き捲り、また展示する。例えば、旭川市立博物館では、アイヌが鍛冶をしている嘘復元人形が展示されている。

 アイヌは、アイヌ固有の小刀(マキリ)ですら、(斬れない)支那製か(鋭利な)日本製。自分達で製作したことが一度も無い。また、アイヌは土器を製作・生産しない。食事に土器を用いないからだ。アイヌの食事に使う食器は、一人一ヶで必ず木製。だからアイヌは、日本人製の漆の食器(木製)を見ると、顔色を変えて蒐集する。ある酋長は家に、漆塗りの高級な行器(ほかい)を八十ヶも飾っていた。

 つまり、縄文土器が発見された遺跡はすべて原日本人の居住跡。擦文土器が発見された遺跡も、ほとんどが日本人の居住跡。また、縄文土器はもちろん、擦文土器も、一つ残らず日本人製である。この事実は、北海道で擦文土器が消えた理由は、「擦文土器を生産・使用していた日本人が皆殺しされたから」とも解釈されるから、これが事実か否かが、擦文文化研究の中核であるべきだ。

 また、アイヌは、四世紀頃、アムール川と樺太を経由して北海道石狩平野に侵入(侵略)したと考えられるが、この侵入時のアイヌの家屋は、ケット人と同じく、三脚のテント型。それが擦文時代には、竪穴住居になっていた。どうやらアイヌは、殺し尽くして空き家となった縄文人の「家」に住み、この原日本人の竪穴住居に徐々に慣れ、いつしかそれを模倣し自分達でも建てるようになったと考えられる。

 が、竪穴住居は、アイヌが大好きな日本製の行器(ほかい)と同じく、アイヌ部族にとっては、あくまでも異民族の「家」。白老ウポポイが展示する、原日本人の竪穴住居を改良・大型化させたチセは、この旨の掲示をしないなら、虚構の捏造歴史の嘘展示だから、全て解体撤去されねばならない。

 アイヌ家屋について、大林太良に有名な論文がある。大林は、この論文で、「アイヌ地上家屋の原始形態は、三脚支柱を持ったテントだったと考えられる」とする(注13、245頁)

 アイヌの「家、食器、墓、食べ物、家族関係、酋長独裁の社会構造、被服」等、あらゆる点で、アイヌと縄文人との間に類するものは一つもない。魔除けを考えての襟や袖口の「アイヌ文様」は、ニヴフ族やウリチ族・ナナイ族と強度の近似性がある(注14)。が、縄文人の衣服と、アイヌのそれとは、地球と木星の距離よりかけ離れている。ライオンからマントヒヒは生まれない。

 ともかく、次稿以降、証明の濃度・深度を上げていくが、表2にリストした「アイヌの基本特性」をまずもって拳々服膺されたい。

表2;アイヌ民族の固有の特性(四世紀の日本侵入以降、明治政府の過剰保護・教化までの千五百年間)

(つづく)

1、ネフスキー『月と不死』、東洋文庫、平凡社、120~1頁。

2、クルトワ他『共産主義黒書』、恵雅堂出版。

3、『北海道新聞』2012年6月18日付け。オホーツク文化の担い手が、DNAからニヴフ人やウルチ人だと判明したという。が、そんな事、発掘された考古物からとっくに分かっているから、何とも馬鹿馬鹿しい報道。問題は、十世紀に、これらニヴフ人たちが消えた原因である。アイヌが道北ギリヤーク人を皆殺し的に殺戮した事を考古学的に証明する事である。

4、(過激共産党員)田端宏「シャクシャインの戦いとアイヌ惣大将制」『北海道史事典』、北海道出版企画センター、2016年、153~8頁。

5、土居重男「寛文蝦夷之乱」『鵡川3号』、92~131頁、2012年1月刊。

6、2018年9月23日に除幕。

7、2015年12月、像の老朽化による地震倒壊の危険性を回避すべく、撤去を町として決定。実際の撤去は2018年9月20日。しかし、土台が残っている。この土台、早急にダイナマイト爆破せよ。

8、松浦武四郎『蝦夷日誌』上、時事通信社、175~6頁。

9、古川古松軒『東遊雑記』、東洋文庫、平凡社、179~80頁。

10、『津軽一統志』巻第十、『新編青森県叢書(一)』、歴史図書社、306頁。

11、『新撰北海道史 第二巻 通説一』、北海道庁、141頁。

12、仝上、57~8頁。

13、大林太良「アイヌ家屋の系統に関する一試論」『北方の民族と文化』、山川出版社、245~68頁。

14、大塚和義『アイヌ──海浜と水辺の民』、新宿書房。

(2020年11月9日記)

(附記)本稿は、2020年10月10日の特別ゼミ発表を纏めたもの。ご協力いただいたゼミ参加者に、深甚の謝意を表する。

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