“先住民族”縄文人“皆殺し”の侵入異民族が詐称・宣伝する「なりすまし先住民族」は、国際法の侵略or不法入国に当り、早急に原郷シベリアに強制送還されねばならない。侵入異民族には、被害国の国法は、決して適用されない。

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

(本稿は、1月16日up記事に続く、連載「侵略異民族アイヌの本当の歴史」第六弾)

正しいアイヌ史は、科学的真理(truth)追究と同じで、真実(truth)絶対の“遵守”が第一

 歴史家や歴史を論じる者は、西欧中世時代における国王に仕える騎士のごとく、歴史の真実/歴史事実に仕える義務感が横溢しておかねばならない。命を懸け国王に仕える騎士こそ、歴史家の模範。歴史の真実を追い求めるに、私的意見や私的感情の全てを捨てるべき。その意味で、“歴史(国王)に命を捨てる騎士”が、歴史家の本姿だし歴史学の大鉄則である。ツキディデス、司馬遷、ギボン、デービット・ヒューム、ブルクハルトを見よ。彼らの作品には、この騎士の精神が貫かれている。

表1;侵略異民族アイヌを、大嘘「先住民族アイヌ」に捏造・改竄する“悪魔の四マジック”

考古学用語「アイヌ文化」は、真赤な考古学界が政治的に定義した“歴史の大捏造”

 表1の四つ全ては、悪質な大嘘。が、特段に最凶・最悪質なのが第四番目。以下、それを暴く。

 北海道の遺跡から発掘された、ポスト擦文土器の須恵器は全て青森以南から移入。一方、擦文土器は北海道で製作・生産され、擦文土器を製作・生産した相当数の日本人が北海道に居住していた事実を明かにする。だが、学界は「擦文土器の製作者は誰?」を決して言及せず、沈黙に徹する。擦文土器を生活に活用した「数万人の日本人が北海道に居住していた」という最重要歴史を抹殺するためである。“組織化された暴力団”北海道考古学界は、会員である北海道の大学教員に漏れ一人もなく、“赤い政治イデオロギーの完全履行”を強制している。

 さて、アイヌ史の本は必ず、旧石器時代からのアイヌ史の時代区分と詐称し、鎌倉時代に並行した「アイヌ文化=二風谷(にぶたに)文化が始まる」と書いている。例えば、虚偽の嘘歴史“大量生産”が職業の瀬川拓郎『アイヌと縄文』の「北海道の考古学年表」(ちくま新書、19~20頁、2016年)

 瀬川年表における「旧石器時代」「新石器使用の縄文時代」「鉄器使用の縄文時代(続縄文)」「擦文時代」の方は、非・腐食物である特定タイプの土器が多く発掘され始めた時代から発掘されなくなった時代までを一つの時代区分とする、通常の考古学手法。ところが、「アイヌ文化(時代)orニブタニ文化(時代)」だけに限り、北海道でのアイヌ人の活動開始時期が(実際は四世紀頃だが)史料からは少なくとも七世紀だとわかっているのに(斉明天皇紀)、悪魔的な政治的意図で、五~六百年も遅らせて十二~十三世紀に始まるとの真赤な嘘を捏造している。先述の瀬川拓郎の本では、19頁の年表図。

 要は、出鱈目アイヌ史を書き捲る考古学者たちとは、全員がアイヌ史の始まり部分の五~六百年を抹殺する、いやアイヌ北海道侵入は四世紀だから、正しくは八百~一千一百年間のアイヌ史をばっさりと歴史から闇に葬る“歴史偽造集団”なのだ。また、「アイヌ人の歴史」とすべきところを「アイヌ文化の歴史」に摩り替えるのも、「“アイヌ人の歴史”ではなく、“アイヌ文化の歴史”を語っているのです」との詭弁に都合がいいからである。つまり、反・学問語「アイヌ文化」は、詐欺師流のペテン語。

 が、この年表を収録する全ての「アイヌ論」の本すべて、「アイヌ史」に言及しており、鎌倉時代以降の「アイヌ文化」に限定していない。つまり、通常のアイヌ史から、十二~三世紀以前の数百年、いや千年あるいは二千年間のアイヌ歴史の根幹部分を消し去る、“空前絶後のアイヌ史大改竄”をすべく、共産革命語「アイヌ文化」が捏造されたことがわかる。

「擦文人(日本人)はアイヌ人」など、大嘘「アイヌ先住民族」を捏造する魔語「アイヌ文化」

 “反・学問の狂語”「アイヌ文化」が何故、考古学界の学術用語になったか。この疑問、十三世紀以前の歴史を消し去る魔語「アイヌ文化」が、恐ろしい血塗られたアイヌの本当の歴史を隠蔽し、本当のアイヌ文化を抹殺することを想起すれば、容易に氷解しよう。即ち、魔語「アイヌ文化」は、日本人の頭を痺れさせ、次の四つの幻覚作用に耽らせる猛毒の阿片として革命勢力が造語したもの。

第一。魔語「アイヌ文化」は、最重要アイヌ史を隠蔽する、万能のマジック・ショー力を発揮する。

 例えば、瀬川拓郎の四冊(注1)のどこを読んでも、表2の1~4について一文字も言及しない。5についてのみ「十三世紀、アイヌは道東に進出」と記述する。が、“皆殺し”の重要歴史事実を隠蔽する。

表2;魔語「アイヌ文化」が隠蔽する“四連続「皆殺し」のアイヌ犯罪”

第二。魔語「アイヌ文化」は本当のアイヌ文化を抹殺する、日本人の思考を麻痺させる麻薬。

 大嘘「十三世紀以前にはアイヌ文化はなかった」を捏造するための読者騙し語「アイヌ文化」を振り回せば、赤い北海道考古学者は、表3で明らかな“本当のアイヌ文化”の最核心に言及しないで済む。本当のアイヌ文化に触れると、そのまま、アイヌは北海道の先住民族ではない証拠となるからである。アイヌは侵略(侵入)民族であると断定する多くの歴史学的・民族学的な証拠を隠滅するには、「十三世紀以前には北海道にアイヌは居なかった」をデッチアゲるのが手っ取り早い。だから、十三世紀以前の歴史を消す魔語「アイヌ文化」が考案されたのである。

表3;魔語「アイヌ文化」が完全抹殺する“本当のアイヌ文化”

第三。魔語「アイヌ文化」には、十三世紀にアイヌ部族がさも北海道に発祥したかの錯誤・幻想を日本人に懐かせる、嘘歴史をデッチアゲる猛毒の幻覚作用がある。

 なぜなら、アイヌは十三世紀、北海道から樺太および道東・国後島に、武力と殺戮をもって膨張をしたからだ。つまり、十三世紀を起点とすれば、アイヌは原・故郷の北海道に発祥し、この故郷・北海道から以北/以東に羽ばたいたかに見える嘘歴史が一見尤もらしく描ける。

 瀬川拓郎『アイヌの世界』(講談社)111頁の、右下の図を見よ(注2)。プロパガンディストの優等生らしく、瀬川は、歴史全体では真赤な嘘歴史なのに、読者にはそれを見えないようにした上で、読者の視野を十三世紀に狭窄させ、この幻覚・幻視づくりに成功している。

第四。日本人はアイヌがどういう部族かを考える時、まずイザベラ・バード『日本奥地紀行』と松浦武四郎が描写したアイヌをもってアイヌだとイメージする。このイメージ上のアイヌは、十九世紀半ば辺りのアイヌ。この十九世紀辺りのアイヌは概ね十三世紀ぐらいに形成され、そのまま今に至っている。

 そこで、「アイヌは、北海道先住民族ではない」「アイヌは、原日本人の縄文人を皆殺しした」「アイヌは、日本人である擦文人を皆殺しした」の最重要歴史を隠蔽・抹殺する方法として、日本人のアイヌ・イメージの源泉たるバード『日本奥地紀行』と松浦武四郎が描写したアイヌにほぼ合致するイメージ上のアイヌにするには、「アイヌ人の歴史は、十三世紀以降に始まった」の捏造がマジックとして効果的。しかも、言葉「アイヌ人」だとバレ易いので、語彙「アイヌ人」を、「アイヌ文化」に語呂変換した。

沖縄の琉球文化に比すれば無視が相当の、貧困なアイヌ寄生文化をどう扱うべきか

 アイヌ文化を、日本国にとって独立の主体的文化として認めてはいけない。理由が二つある。第一。アイヌは、ヒトラーのナチドイツに酷似する以上に、日本人殺しのジェノサイド犯罪歴を持つ血塗られた侵略異民族で、日本列島に居住権を主張できる、一般通念上の日本国民ではないからである。ヒトラーのナチドイツを、現在のドイツは、「誇れるドイツ文化」として扱っているのか。逆ではないか。

 第二。本当のアイヌ文化と言えるのは、表4の獣捕獲用の半弓とユーカラの二つ。この二つだけで「アイヌ文化だぞ!」と威張られても絶句する他ない。表4の、それ以外の六つは、アムール川流域の他の少数部族からの摸倣。日本人からはアイヌ固有と言えても、厳密にはアイヌ固有ではない。

表4;独自なものがほとんどない“貧困なアイヌ文化”──完全な「固有」は二点のみ

 表4を提示すると、「チセがあるぞ。忘れるな」の非難の声が飛んでくる。だが、表5を見よ。それらは、日本人の盗用的な摸倣。固有とはほど遠い。

表5;日本製ばかりの「アイヌ寄生文化」──用語「アイヌ文化」は偽装表示

 要するに、都合の悪いアイヌ史を抹殺するための政治的魔語「アイヌ文化」は、更なる二次犯罪を犯している。一般通念上の語彙かに紛う“政治的な魔語”「アイヌ文化」を流布させ、アイヌの“アイヌ文化”(一般通念上の語彙)は日本文明の一部をなす「文化の一つ」と見做す大誤解/大錯覚を、日本国内に醸成させるため。この事を、日本文明の一翼を占める沖縄文化と比較し、論じよう。

表6;沖縄文化と比較すれば、「アイヌ文化」は“アイヌ人の習俗”。“文化”にあらず。

 表6は、アイヌ文化は侵略異民族の“習俗”の枠内に留まり、文明社会・日本国の文化に入らない事を如実に明らかにする。文明国家・日本の日本文化は、「95%の本土文化と5%の沖縄文化」でその全てが形成されている。学的にも、アイヌの習俗は新大久保のミャンマー移民集団のお祭りクラス。侵略やジェノサイドの過去の大犯罪を無罪放免にしても、日本文化の範疇には括れない。

 が、「95%の本土文化と5%の沖縄文化」からなる日本文化を、「33%の本土文化、33%の沖縄文化、33%のアイヌ文化」だと大嘘を吐く真赤な本が大量に出版されている。小学校五年生の夏休み特別研究レベルの藤本強『日本列島の三つの文化』は(注4)、この氷山の一角。

擦文土器は秋田からの移住者が作り道内で大流行。擦文人は日本人のみ/アイヌ人ゼロ

 “気狂いの戯言”「擦文人アイヌ人」は、「鳩の卵から羆が生まれた」と同レベルの狂説。この捏造“狂説”「擦文人という純・日本人の大集団が、アイヌ人になったのだ」は、烏滸の沙汰の限りにもかかわらず、北海道の真赤な考古学者から一斉にプロパガンダされ続け、未だ是正される動きは全くない。

 学問的に正しい学的真実「アイヌの祖先は、ケット人の支族」「アイヌの故郷は、アムール川かエニセイ川」が復権されねばならない。学的真実は取り戻さなければならない。学的真実は、日本国存続の至上命題である。

 しかし、なぜ、こんな見え透いた真赤な嘘で“反・学問の戯言”「擦文人アイヌ人」が、学界で定説となるのか。答えは簡単。「アイヌは、マルクス『共産党宣言』の理想に沿って、国家を持たない」ことにおいて、アイヌを神格化したいからである。アイヌとは、「国家」以前の原初的な社会でも存在する法秩序の慣習すら形成できない未開・野蛮な部族。またその酋長独裁主義は、共産党の独裁全体主義体制と同じ。このため、共産党員は、アイヌを理想の人間/理想の社会として拝跪して拝みたくなるのである。

 なお、アイヌ考古学の学界は、共産党員と北朝鮮人以外はお断りで、実際にも普通の正常な日本人は一人もいない。人間の良心を持つ正常な日本人は、大学院時代に一人残らず叩き出されている。ために、アイヌ考古学界は一丸となって、アイヌ教の狂信状態になるのである。

 実際にも、「アイヌに国家がない/王様がいない」ことが、明治以降、アナーキストやコミュニストを痺れさせ、金田一京助/喜田貞吉に始まる、あらん限りの虚偽言説の教宣プロパガンダを火山爆発の土石流の如くに垂れ流させた主因となった。金田一や喜田らは、マルクス『共産党宣言』を懐に忍ばせ、アイヌに“理想の共産社会”を夢想した。

 現に、共産党員のアイヌ研究者・河野広道は、アイヌ部族社会を「始原共産制」と呼び歓喜の余りにアイヌ研究に没頭した(注5)。十数人から数十人の妾を持つアイヌ酋長は、部族内の下層アイヌ女を働きが悪い! と殺し、また借金のカタに奴隷として売却する、そんな残酷なアイヌ社会が、教条的な共産主義者の目にはユートピアに見える。H2とO2を化合させ水H2Oができるのと同じ、「凶悪サイコパスと重度の精神分裂病を合体させると共産主義者になる」は、真理レベルの科学的診断書。

 さて、話を戻す。考古学界の“赤い狂説”「擦文人=日本人から、アイヌ人が産まれた」は、「オホーツク文化(人)から、アイヌ文化(人)が産まれた」と一緒に、共産党が流した流言飛語的な偽情報だが、1960年代のことのようだ。そのやり方の基本形は、共産党が党員の吉田清治に『私の戦争犯罪』(1983年)を書かせ、十年を経て突然、それをさも学術研究書かに大宣伝したやり方と同じ。

 後者の「オホーツク人(ギリヤーク人)から、アイヌ人が産まれた」は、共産党員・藤本強が、共産党の雑誌『物質文化』六号(1965年10月刊)に書いた「オホーツク文化の葬制について」が嚆矢ではないだろうか。雑誌名『物質文化』は、マルクス唯物論(materialism)の変名。この論考で“赤いペテン師”藤本強は、「オホーツク文化人は、アイヌの直接の祖先だ」と嘯いている。吉田清治とソックリ。

 が、オホーツク文化の担い手が、ギリヤーク人が主で、他はウルチ人などだったことが判明し(注6)、藤本強らの真赤な嘘はバレ、今は廃れて雲散霧消。現在、「アイヌはシベリアからの侵入異民族ではない、北海道産である」を詭弁する捏造の真赤な嘘は、「擦文人=日本人から、アイヌ人が産まれた」唯一つになった。赤い北海道考古学者も赤いアイヌ史研究者も、最後の嘘「擦文人=日本人から、アイヌ人が産まれた」を防戦するに、労働運動の如くスクラムを組んで躍起である。

(備考) なお、「擦文人=日本人から、アイヌ人が産まれた」について、1960~70年代の論文・単行本の数百点をまだチェックしておらず、どの論文が嚆矢かは確定できていない。

 ところで、擦文土器とは、秋田からの土師器職人が七世紀末ごろに石狩川に移住し、それが一気に北海道全島に普及した土器。「北海道型土師器」と称すべきもの。つまり擦文土器は、アイヌ人とは全く関係がない。ならば、擦文土器に表徴される擦文文化=北海道型土師器文化(注7)がアイヌとは全く無関係なのは自明すぎ。そもそもアイヌは、(ギリヤーク人と異なり)“土器を製造しない”から、擦文土器であれ他の土器であれ、アイヌと無関係なのは自明。論じること自体、ためにする議論。

 次に、発掘された擦文人の縦穴式住居(東北の農民の住居は八世紀でも縦穴式)には竈があるが、アイヌは竈を拒絶して用いず囲炉裏主義。竈の存在からも擦文人がアイヌでないのが証明される。

古墳や仏教寺院など、数万人の人口で繁栄していた擦文時代の北海道日本人

 さらに、江戸時代はむろん、明治時代になっても(日本人のを見て知っているのに摸倣せず)墓石が無いように、アイヌは子孫が埋葬場所を分別できるようには墓をつくらない。アイヌには死者を弔う墓詣りの習慣が大正時代までなかった。親の命日も無い。

 一方、擦文人は、古墳(例えば、江別古墳群 八世紀後半~九世紀半ば)を造ったように、日本人らしく墓には相当拘った。この古墳には、土製の紡錘車が副葬されていた。紡錘車はその後の時代でもアイヌには存在しないから、アイヌは擦文人から大きく乖離した異民族。

 一方、網走市のモヨロ貝塚などギリヤーク人の墓は、土器が頭に被せてあり、これだけでもアイヌでないのは一目瞭然。また、ギリヤーク人は、擦文人と同様、当時は大変な高級品(現在価格で百万円以上?)の蕨手刀(わらびてがたな)を、男性死者と一緒に埋葬する習俗があった。

 一方、死者を埋めたらそれっきりのアイヌには、そのようなものは無い。アイヌの墓が近世以降のもなかなか発見されにくいのは、犬猫の死体と同じ埋葬方法だからだ。アイヌは、直ぐ土になる副葬品しか埋葬しなかった。特に、鉄製品を惜しみなく副葬品として埋葬する日本人やギリヤーク人と異なり、アイヌは決して鉄製品を埋葬することはなかった。アイヌの墓から、刀の副葬品がほんの少し散見されるようになったのは、江戸時代以降。それでも稀。

 要は、アイヌとは、オホーツク文化のギリヤーク人とも擦文文化の日本人とも、文化的にも血統的にも“異民族以上に異民族”だった。アイヌと後者は、何一つ繋がっていない。民族の相違を決定する、墓制や葬制を観察すれば、アイヌと後者二民族とのつながりの無さは明白だろう。

 さらに、もう一つ。擦文時代の826年、太平洋岸の伊達市に北海道最初の仏教寺院である有珠善光寺が建立された。これは、北海道には相当数の日本人がいたこと。一定数以上の一般日本人がいない限り、また富裕層の檀家数十軒が無ければ、寺院も僧侶も進出しない。

 擦文人の経済活動の主力は(農業ではなく)交易で、樺太南部から東北北部にかけた広域の経済活動域だったことは擦文土器の発見から判明している。アイヌは、この交易商人=日本人のお蔭で、交易商品の毛皮を増産し、そのぶん好きでたまらない日本製の刀剣をしこたま買い集めている。

大量の武器を手にしたアイヌは全道の日本人/道東ギリヤーク人を皆殺し、樺太侵攻

 さて、問題は“なぜ擦文時代がぱったりと十三世紀に消えたか”である。これを解く鍵を発見したいなら、十二世紀の末、奥州藤原四代が源頼朝に滅ぼされ、三千人ほど(仮定の数字)の落ち武者集団が北海道の各地に逃亡してきた歴史の考察から始めなくてはならない。例えば北海道に残る“寿都町の弁慶岬”などの「義経伝説」は、これら落ち武者の情況を語っている。

 落ち武者たちは、生きんがための食料を入手するに、アイヌの要求するまま槍/刀を手放したはず。すなわち、凄まじい数の武器をアイヌは手にしたのである。アイヌは、この三千人分の武士団の武器をもって、非武装の擦文人(仮に六万人)と標津のギリヤーク人二千人(仮数字、トビニタイ文化の主体)を殺戮し尽くしたと考えられる。

(備考) 上記論述の前提となる仮定数字について。アイヌが六世紀、対日本人ジェノサイドを決行した時、北見や標津にアイヌはまだ侵攻していなかった。このため、道東・道北の縄文人は七世紀末から移住してきた日本人との婚姻を通じて、“擦文時代の日本人”を形成した。「擦文人」とは、七世紀末からの新規移住の日本人一万人(仮数字)とジェノサイドを免れた縄文人一万人(仮数字)の混合集団から出発した。そして、丸四百年を経た十三世紀初頭の擦文時代・日本人の総人口は六万人になったと仮定した。

 ヒトラーが1938年10月から1941年にかけ、チェコ、ポーランド、ノルウェー、ベルギー、フランス、ギリシャへと軍事的に大膨張したように、アイヌも(渡島半島の先端部分を除き)北海道全土を制圧した直後、この勢いの中で、北樺太のギリヤーク人も皆殺しして、アムール川河口における大陸との交易権を奪取せんとして、一気に樺太(間宮海峡)を武力北上したと考えらえる。

 この結果、青森県の十三湊に「蝦夷管領」をおいていた鎌倉幕府の対モンゴル防衛戦と、偶然に一緒になった。鎌倉幕府としては、樺太でモンゴル軍の南下を阻止し、北海道に渡海させないことが戦争の目的。大規模モンゴル軍の九州への急襲は、文永の役が1274年、弘安の役が1281年。鎌倉幕府は南北からの元寇(モンゴル襲来)に、気が休まることがなかっただろう。

 アイヌは、1297年5月には、アムール川まで攻め込んでいる。アイヌの軍事膨張と他民族殺戮狂は、ヒトラーと実に酷似している。アイヌに武器と金を保有させてはならない。

 鎌倉幕府は、北海道の日本人を「渡党(わたりとう)」と呼び、その居住区を渡島半島と認識した。十二~三世紀の北海道の道央、道北、道東には日本人がいないと、確認したことになる。つまり、擦文人=日本人が絶滅した/殺戮された深刻な事態を、“日本人がいつの間にかすっかり消えたor日本人は元からいなかった”と誤解したのである。この鎌倉幕府の記録上の、能天気な歴史誤認やジェノサイド見落としに目をつけ、“吉田清治の化身”赤いアイヌ史研究者と赤い北海道考古学者がシメタとばかり連合し、“学的な犯罪”「擦文人→日本人」という“世紀の歴史捏造”を決行したのである。

 結論を先に言えば、これら赤い北海道考古学者の魔語「アイヌ文化」とは、一般通念の“文化”とは無関係で、ある特殊な歴史情況を指す隠語ということ。彼らは、アイヌが先住民族に対する数度にわたる大量虐殺を重ねて北海道全域を武力制圧した、この“アイヌの北海道侵略完了”事態をカムフラージュすべく、騙し語「アイヌ文化」と名付けのである。

 もう一度言う。“厳然たる歴史事実”「アイヌとは、オーストラリアの先住民族アボジリニや北米大陸の先住民族インディアンを殺し居留地に囲い込んだ入植白人以上に、日本人絶滅の大量殺戮を何度もなした“先住民族殺しの凶悪野蛮人”」が、魔語「アイヌ文化」が隠蔽した本当の語義。

「道民五百万人を殺戮尽し北海道侵略占領のロシア軍民五百万人は先住民族だ!」

 日本人の原祖先である“真正の先住民族”縄文人や、日本人の直接祖先である擦文人を、一人残らず殺戮し尽くしたアイヌを「先住民族」とする“狂気”「2008年6月の国会決議」や“無法の極み”「2019年アイヌ誇り政策推進法」は、間違っているのではない。狂っている。直ちに破棄されねばならない。

 大量強盗殺人を正当化するに等しい“無法の屁理屈”を妥当とするなら、今後、北海道の日本国民500万人を一人残らず殺して北海道を侵略占領したロシア軍が、ロシア人500万人を入植させた時、このロシア人入植者は北海道先住民族となる。つまり、「アイヌは先住民族」2008年国会決議とは、本当の先住民族を殺戮し尽くしゼロ名にした侵入民族を、トコロテン式に「先住民族」に昇格させる悪質な詭弁中の詭弁。侵略を正当化しジェノサイドを正当化する“悪魔の法理”。

 裏返せば、「アイヌは先住民族」国会決議をなした2008年の日本人とは、ロシアや中共に対し、これからドシドシ日本国民をジェノサイドして日本領土を簒奪・征服して下さいと懇願する“被屠殺「願望」の気狂い民族”という事になろう。

 故に、真っ当な学者なら必ず、「2008年アイヌ先住民族国会決議」を廃棄せよ、「アイヌ誇り推進法」を破棄せよ、「白老ウポポイ」を爆破解体せよ、と叫ぶ。が、考古学界/歴史学界/憲法学界/国際法学界から、このような叫び声は聞こえてこない。逆に、「アイヌ先住民族という真赤な嘘で考古学を政治化しよう」とか(注8)、真赤な嘘「アイヌ先住民族」を前提に憲法解釈を政治イデオロギー一色に更なる大改竄しよう、等々の共産革命の煽動だけが大津波となって日本を覆い尽している。

 以下、この一つ、ゴリゴリ共産党員・中村睦男『アイヌ民族法制と憲法』(注9)を俎上に乗せ、intro程度のクリティークをしておく。日本の憲法学者は、IQが極度に低い各大学の“知的貧困”超劣等生がなる職業。そんな赤が書くテキストだから、論旨浅薄で焦点不明瞭。読むのにウンザリ。ともあれ、中村睦男の『アイヌ民族法制と憲法』の主張を紹介する。

第一。「アイヌの歴史は、明治時代から始まった。それ以前、アイヌそのものが日本に存在しない。アイヌは、江戸時代末、宇宙から北海道に降り立った部族」。これが、中村睦男の論の大前提。共産党員は一種の気狂いで、時計が止まっており歴史が存在しない。四~十八世紀の千四百年間の歴史をすっぽり消す反・歴史は、彼らの日常。中村睦男は、思考を空中遊泳させ狂妄を弄ぶ。

第二。北海道の先住民族は一万年以上にわたり縄文人だが、中村睦男は、明治政府が旧土人保護法でアイヌを先住民族と規定したから先住民族だと強弁する。共産党員は皆そうだが、中村睦男も、「歴史事実は存在しない」「歴史事実は関係しない」の大前提で、これに基づく思考しかできない。

第三。「明治政府の同化政策はアイヌに対する人種差別で、これによりアイヌは貧窮を余儀なくされた」「明治政府は、独自の言語/宗教/文化を禁止し奪った」が、中村睦男の主張の骨子。中村は、事実無根の真赤な嘘をデッチアゲている。事実は、アイヌは、同化政策で天文学的に裕福になった。日本語の読み書きと算数を強制したのは事実だが、アイヌ語の放棄を強制しなかったのも事実。

 アイヌが勝手にアイヌ語を捨てたのはアイヌの自由権の行使で、アイヌ以外の何人にも責任はない。アイヌ自身に責任の全てがある。が、中村は、やらずぶったくり、明治政府に責任転嫁している。

第三の2。同化政策は、人種差別とは真逆。極度な平等主義。明治政府の同化政策は、アイヌの異民族・異人種性を消滅させ、生活水準も生活様式も全て日本人並みにすることが“善”だと思い込み、この平等主義を貫いたもの。人間皆平等に酔い痴れ、人種差別を極度に嫌う明治政府の政策を、中村睦男は悪意をもって転倒し、難詰している。中村睦男には正常性と人間性が皆無。

 なお私は、陸奥宗光と同じく、同化政策絶対反対論。アイヌはアイヌの部族伝統を維持すべきで、それを捨てる否かはアイヌの自由な権利で、日本政府は介入してはならないと考える。具体的には、(希望者以外への)アイヌへの日本語教育も、計算が全くできないアイヌに算数を教え込むのも、絶対反対。アイヌが、日本人と同じ服を着ることにも反対。松前藩の政策「アイヌは、民族の伝統・文化を堅持すべし」の方が正しかった。「人種隔離をしなかったこと」「異民族アイヌに未開部族の伝統文化を堅持し未開・野蛮性の維持を強制しなかったこと」こそ、明治政府の重大な政策ミスであろう。明治政府は、ルソー的な平等主義一色で、この極左政策を“善意のヒュ―マニズム”だと錯覚した。

第四。アイヌは過剰保護を日本政府から一貫して与えられ、何一つ差別を受けていない。だが、中村睦男は、「人種差別を解消せよ」と、暴力団の恐喝と同じ言いがかかりをつけ、この難癖の上に憲法第十四条一項後段を援用し、日本政府のアイヌ政策は“法の下の平等”に違反すると、日本政府の対アイヌ過剰保護政策を逆さに転倒している。この理不尽極める日本政府への詰りにおいて、中村睦男は、アイヌに格差是正措置affirmative-actionを執るべきだと煽動する(注9、292~305頁)

 生活に関する格差を生んでいるのは、アイヌが極度に怠惰でcompetenceが低く、日本人が払う税金に寄生する「ユスリ・タカリが職業」だからだ。アイヌに対し暴対法の適用が急がれる。

第五。中村睦男は、アイヌは先住民族として、その論を展開している。だが、アイヌは先住民族ではない。つまり、『アイヌ民族法制と憲法』は噴飯本。焚書処分されるべきだ。序に、関連する344~7頁をコメントしておく。

1、共産党は今や、日本政府を越えて実質的な日本国の代表として、国連の様々な委員会を牛耳っている。ために、「日本共産党=国連《自由権規約》委員会」に、日本政府と自民党はいつも頭をレイプされている。1991年、日本政府は、強要されるままに「日本国民化しているアイヌを、少数民族に当る」と明言した。寝た子を起こした。

2、2008年10月、「国連《自由権規約》委員会=日本共産党」は、対日内政干渉をエスカレートさせ、「アイヌを明確に法律で先住民族と定めよ(2008年6月の国会決議を立法化しろ)」と迫った。

3、さらに2014年、「国連《自由権規約》委員会=日本共産党」は、日本政府に「アイヌ、琉球および沖縄のコミュニティの伝統的な土地・天然資源に対し、その権利を十分に保障する立法をなせ」と迫った。突然、アイヌだけでなく、沖縄まで内政干渉するに至った。沖縄人を日本国民ではなく、その地の先住民族だとし、先住民族だから土地と天然資源(水)を独占的に占有できると煽動し、米軍基地の土地と水を強制収用する策謀。日本は「国連《自由権規約》委員会」から急ぎ離脱する必要がある。

4、中村睦男は、今、アイヌ先住民政策の具体化に全力疾走中。それは、中共の北海道爆買いと同じ、アイヌが独占する土地と河川を渡して、ここをフランス革命時のコミューンと同じ、共産革命の拠点にするためである。ロシア軍のパラシュート部隊の着陸地点などになるだろうし、治外法権の武器弾薬の貯蔵庫が北海道中に建設されるだろう。

「ユダヤ人は、ユダヤ人大虐殺のヒトラーSS部隊と共生せよ」と同一主張の中村睦男

 中村睦男は、赤い憲法学者の典型だから、無知蒙昧の病気が重い上に、主張全ては、日本共産化の革命手法の煽動以外が一㍉も存在しない。共産党は、日本国を多民族共生社会に改造して滅亡させる一点に集中し、今まさに、その最終仕上げ段階。

 オウム真理教の信者にとり「アルマゲドン」は絶対信仰のドグマ。同じく中村睦男にとり共産党スローガン「共生」は、一日三千回唱えて恍惚となるまで“狂”勤行すべき魔界の呪文。だから中村睦男は、二つの狂気に「正義」の蜃気楼を幻視し涅槃の境地かと忘我となる。中村に知と良心は存在しない。

 中村「第一の狂気」について。アイヌは他民族と絶対に共生しない。これはアイヌが今も強固に保持する部族文化。現に、アイヌは、ヒトラーのユダヤ人殺害を越える、日本人” 連続皆殺し”を実行してきた。が中村は、この最重要歴史事実を転倒し、アイヌは日本民族との共生を望んでいると、真赤な非現実を捏造し妄想し酔い痴れる。

 中村「第二の狂気」について。中村睦男は、日本人に、日本人を何度もジェノサイドしたアイヌと「共生しろ」と、それを洗脳するための“赤い憲法理論”を提唱する。まるで、黒魔教の殺しの呪文。「ユダヤ人は、ユダヤ人を大虐殺したヒトラーやそのSS部隊と共生せよ」との殺戮快楽狂の狂説を、エセ憲法学で包装しただけではないか。中村睦男とは、殺人未遂の犯罪者をその被害者と同じ独房に収監する“スーパー残虐ディストピア(地上の地獄)”に、日本国を改造しようとしている。

 国際法は、国家の領土内に犯罪者が不法滞在することを認めず、国外退去の制度化を是とする。アイヌは、縄文人(原日本人、一万人)皆殺し、擦文人(現日本人、六万人)皆殺し、十五世紀の道南・道央の日本人一万人“殺戮”を行った、連続ジェノサイド犯罪人の子孫である。むろん国際法は、子孫には罪の相続を認めないから、現アイヌ人は、これらの連続ジェノサイドに直接的には責任を負わない。が、アイヌがこの日本国に居住する限り、アイヌは道義的には日本人に負い続けなければならない。アイヌに対し日本政府が自主的な国外退去を勧告することに、妨げるものは存在しない。

 四世紀、異民族アイヌは日本国の領土に侵入した。この時、北海道は縄文時代、日本国という国家はまだ出来ていなかった。ためにアイヌの侵入は、国際法上の“侵略”だと難じることはできない。しかし、北海道全域から一万年以上にわたる無数の縄文土器&無数の竪穴住居祉が発掘された絶対証拠において、縄文人が国際法上の先住民族であることに異論の入る余地はない。このことは肝に銘じるべきだ。

 この歴史事実は、北海道に対して、日本国民からなる日本国が、原始的な領土権原(an ancient title)を正統かつ正当に取得してきたとするに、十分すぎる証拠だろう。一万年以上に亘って、北海道の隅から隅まで原・日本人=縄文人が居住していた歴史事実は、領土は相続において主権が定まる以上、縄文人の血統を継ぐ現・日本人が、厳格に北海道の領域を原始取得先占、occupatio)しているからである。

 この北海道の法的地位は、民法的には遡及されるべきだから、異民族アイヌが石狩川に侵入してきた四世紀、北海道は“無主の地terrae nultius”だったと解することはできない。

 もう一度言う。北海道の先占を相続した現・日本国民からなる日本国は、紀元前八千年から一貫して、北海道に対し原始的な領土権原を取得し(有し)維持してきたのである。

松前藩(江戸幕府)の扱い「アイヌは定住権を持つ外国人」は妥当か。

 日本人は世界一の“能天気なスーパー物忘れ民族”。だが、何でもかんでも忘却する痴呆性を“寛容”とは言わない。それが倫理道徳や人道に違背するならば、背徳行為の何ものでもないからだ。縄文人や擦文人あるいは十五世紀コシャマインの犠牲者など、祖先が受けた大量殺戮という受難に涙を流してこそ、われら日本国民が道徳に適う人間性を発露することができる。

 縄文人や擦文人(秋田/岩手/青森県出身者が中核をなす日本人集団)あるいは十五世紀コシャマインの犠牲者など、祖先が受けた大量殺戮という受難を忘却しないことは、日本人が人間としてその人間性を喪失しない最低限の道徳行為である。アイヌに虐殺された縄文人や擦文人やコシャマインの犠牲者の、死に際の鬼哭シュウシュウに耳を傾け落涙する日本人だけが真正の人間であり、このような正しい人格をもつ者だけに、アイヌ史を研究しアイヌ論を論じることが許される。歴史学も法学も道徳の学問であって、非道徳や不道徳のゲスが関わることは犯罪である。

 さて、問題は、この“能天気なスーパー物忘れ”に従った、江戸幕府と明治政府の、二つのアイヌ政策が妥当だったか否かである。祖先を連続大量殺戮されたにも拘わらず、アイヌを「定住権を付与し外国人」に扱った松前藩は(備考)、倫理道徳に適う政策をしたと言えるのか。祖先を連続大量殺戮されたにもかかわらず、アイヌに「日本国籍を付与し日本国民」にした明治政府は、倫理道徳に適う政策をしたと言えるのか。

 アイヌの祖先が為したジェノサイド(大虐殺)という刑法犯罪は時効であり刑法的な処罰はできないが、政治であるアイヌの法的立場に関して、「アイヌの祖先が為したジェノサイド(大虐殺)という刑法犯罪」は、道徳の次元から十全に考慮されなければならない。端的に結論を先に言えば、アイヌに対する日本国籍の付与は、反道徳/反・人間性が顕著であることにおいて、取り消されなければならない。次に、アイヌに永久定住権を付与することも反道徳/反・人間性の極みだから、許されない。

 「在日」アイヌは、あくまで外国人であり、正しい法的立場は、不法滞在の外国人とするか、合法滞在の外国人とするかであって、この二つ以外は存在しない。不法滞在の外国人と見做すならば、アイヌは故郷シベリアに国外追放されねばならない。

(備考) 北海道は国後・択捉・得撫島を含んで江戸幕府(松前藩)が占有した日本国の領土だったから、「アイヌは、日本国民ではない=外国人である」法的地位が江戸時代に確定したことになる。江戸幕府=日本国政府は、国民か否かを宗旨人別長の記載の有無で定めた。記載されなかったアイヌは“居住権を有する外国人”と扱われたことになる。

(附記1) 日本人の母方”縄文人の思想・文化は、現・日本人の血脈に生きている

 蛇足程度の話で恐縮だが、縄文人/縄文文化についてほんの少し補足しておきたい。日本人は夏、ビールのつまみに枝豆を食べる。枝豆は縄文人の食物であった。栗ご飯/小豆ご飯/赤飯は、縄文人と弥生文化のコラボ。

 近頃、朝起きてジュースのつまみにボリボリ頬張るクルミは、この頃、米国産しかないが、縄文人の常食の一つだった。1990年代、虎屋の東京本店(赤坂)で、「今日は母方の祖先・縄文人と共食だ」と、クズ餅をしばしば賞味した。縄文時代の雰囲気が漂う、笹の葉に包んだ「笹葛」も実に美味しかった。

 小学生の時、潮干狩り「遠足」で“アサリは縄文人の食物です”と習ったが、「大豆、小豆、クルミ、栗」を縄文食と教える小学校教師は今どのくらいいるのだろう。また、民芸品の店で、漆の櫛を見ると、縄文集落の光景がふと目に浮かぶ。漆の櫛は、日本のが世界最古(注10)。誇りに思うべきだろう。

 縄文人が我々の血脈の中を脈々と流れている。その筆頭は、何と言っても、“この世での祖先との共生”。日本では「草葉の陰から見守る」と、今際の際で言い残す親が多い。縄文人の宗教観「死んでも天国や西方浄土に行かない。日本列島の山々に生き続けて子孫を見守る」は、現在の日本人でもほとんどが堅固に保持している。日本人にキリスト教徒が少ないのは、縄文思想“この世での祖先との共生”が原因である。京都「五山の送り火」も、盆に山から子孫の家に戻ってきて山に戻る祖先が道に迷わないよう松明=サーチライトで照らしてあげているのである。

 今はどうなったが知らないが、1960年代まで日本人の仏壇では、朝、ご飯をお供えしている家が多かった。ご飯をお供えすると死んだ祖母や祖父が一緒に食べてくれると考えていた。日本の仏壇は、仏教の成仏(じょうぶつ)を否定して縄文思想を顕現する“縄文壇”であった。

 現在の日本人は、父方の弥生文化から祖霊信仰(祖先崇拝)の宗教観を身に付け、母方の縄文人から“この世での祖先との共生”思想を相続し仏教の中に混入した。伊勢神宮にお参りしたり菅原道真を祀る天満宮に学業成就を祈願したりの弥生思想の方は神道の形に体系した。

 このように今も、われら日本人の血脈の中に、“我が祖先”縄文人は脈々と息づいている。この祖先たる北海道縄文人を、四世紀から十三世紀にかけ、二度にわたりジェノサイドし、一人残らず殺し尽くしたのが侵略異民族アイヌである。アイヌの日本国籍は剥奪されねばならない。アイヌは北海道を追放され、エニセイ川かアムール川に国外追放されねばならない。アイヌへの日本国籍の付与は、我らが祖先への冒瀆である。アイヌを北海道に居住させるのは、屠殺された祖先の血が染む北海道の聖なる大地を穢す不浄・不敬なる所業である。

 北海道の白老町に、日本人の祖先・縄文人の犠牲を悼む高さ三十㍍以上の慰霊塔を建立しよう。日本人そのものである擦文人六万人の冥福を祈る同じ高さの慰霊塔も、白老町の同一場所に建立しよう。むろん、ヒトラーを越える“空前絶後の殺人鬼”すなわち“レーニンの化身”のコシャマインの犠牲となった日本人一万人を弔う慰霊塔も忘れてはならない。

(附記2) 樺太・白主の城は、「蝦夷管領」安藤氏の築城。蒙古軍には無用の長物

 瀬川拓郎を初めとしてアイヌ「デタラメ」史家は、「樺太の西南端にある白主の土城は、蒙古軍が造った」「北海道アイヌの樺太侵攻を阻止するためのモンゴル側の砦だ」と吹聴する。確かに、史料には、それを示唆するかのような記述もある。が、ちょっと待て。モンゴル軍は一般通念上の城を築城しない。高速戦場移動が常態の平原戦を得意とするから、固定した城は無用なのだ。

 一方、武装アイヌは、おそらく余市で戦闘集団を編成し、北海道の西海岸を何度も陸に上がって食料などの補給を繰り返しつつ北上し、利尻島辺りから一気に間宮海峡に入る。そして、樺太の西海岸でも二度か三度の補給上陸をして(ここには樺太アイヌのコタンがかなりある)、アムール川に近い北樺太の北端で上陸する。アムール川の河口流域の権益奪取が戦争目的。ならば、アイヌとしては、樺太島の陸路からの侵攻ルートは最小にしない限り、戦場に行き着くまでに“陸戦の天才”モンゴル軍に鎧袖一触に殲滅され、一兵たりとも生存できない。

 少なくともアイヌはアニワ湾からの樺太上陸を決してしていない。つまり、アニワ湾側にモンゴル軍が築城する必要性は全くのゼロ。ならば、樺太西南端の白主に城を築いて何になる。

 一方、安藤氏は鎌倉幕府から北海道にモンゴル軍を上陸させてはならないとの命令を受けており、樺太におけるアイヌ「対」蒙古軍の戦争情況を偵察・諜報する事が先ずもって不可欠。このためには、偵察部隊の前進基地が樺太に必要。しかも、この現地情報部隊の基地は、最も安全な場所でなくてはならない。安全は①上陸時の安全。②襲撃され逃亡する場合に確実な乗船ができる場所で、繋いでいる船が決して事前に焼かれない安全。この①と②を満たす場所は、白主しかない。

 しかも、ここなら、間宮海峡を北上して進撃する海上のアイヌ軍集団を一望できる。時には、アイヌ軍の酋長たちを集め、戦法を教授する参謀会議も開ける。

 問題は、この白主の土城が、万里の長城とも少し似た大陸の築城方法で造られたのは何故か、であろう。答えは、さほど難しくはない。安藤氏は、自分が居城とした十三湊の福島城を真似て、そのミニ版を白主に創ったからで、ソックリなのは当たり前。十三湊の福島城とは、935年頃(仮定)、渤海国からの亡命渤海人が築城した城。日本人の手になる城ではない。

 安藤氏は鎌倉幕府より「蝦夷管領(北海道「統治」庁の長官)」となり、拠点を十三湊と定められた時、約250年前に築城された福島城を居城とした。そして、よほど気に入ったのだろう、同一タイプのミニ版を樺太・白主に造っただけではないのか。

 なお、渤海国は内紛で926年に滅び、数千人(仮定)ほどの渤海人高官たちとその配下及び家族が、日本側の貿易港の一つ十三湊に亡命してきたと考えられる。彼らは、敵対勢力の追撃に怯え、平安京の日本の朝廷の許可を得て、巨大な城郭・福島城を築城したようだ。日本国(「叔父」)と渤海(「甥」)は叔父・甥的な関係で、百済が滅んだ時に多勢の百済人高官たちの亡命を受け容れたように、渤海人の受け容れを断ることはできない関係だった。

 また、十三湊が日本国と渤海国の貿易や政治的交流の重要港なのは、元正天皇の御代720年、「渡島津軽の津司(北海道・津軽郡「担当」の十三湊「長官」)従七位上(の)諸君鞍男ら六人を靺鞨(渤海)国に遣わして、その風俗を観しむ」(注11)との記述からも窺われる。実際にも日本は、渤海の建国(698年)とほぼ同時に、緊密な外交関係を構築した。この時の大和朝廷は、渤海を準同盟国として対「唐」包囲網づくりを目的としたのではなかったか。

1、瀬川拓郎の四冊の本とは『アイヌの世界』『アイヌ学入門』『アイヌと縄文』『縄文思想』を指す。

2、瀬川拓郎『アイヌの世界』、111頁。

3、大塚和義『アイヌ 海浜と水辺の民』、新宿書房、204頁。

4、藤本強『日本列島の三つの文化』、同成社は、共産党の党員拡大を兼ねた教宣用ブックレット。

5、河野広道「アイヌの始原共産制に関する知見」『史流』第二号、1959年。

6、「オホーツク文化人はギリヤーク人だ」と正しく主張した嚆矢は、菊池俊彦。「オホーツク文化の起源と周辺文化との関連」『北方文化研究』第12号、1978年。

7、鈴木琢也「擦文文化の成立過程」『北海道博物館研究紀要』、2016年、5頁。

8、加藤博文「先住民考古学という視座」『北海道考古学』、第四十五輯、2009年。考古学は“政治(日本共産党)の僕”であるべきだと説く加藤博文は、肩書と名刺に「熱烈で過激な共産党員です」と書かなければならない。

9、中村睦男『アイヌ民族法制と憲法』、北海道大学出版会 頁数は本文。

10、夢枕獏・岡村道雄『縄文探検隊の記録』、インターナショナル新書、150~1頁。

11、『続日本紀』第二巻、新・日本古典文学大系、67頁。           

(2020年1月20日記)

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