アイヌの祖先(縁戚)は、ケット人かコリャーク人/チュクチ人のいずれか。他の可能性はない──アイヌの第一原郷を探る鍵は、DNAや民族学的遺物とともに、(口誦叙事詩など)民話・伝承そして言語(文法)

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筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

(本稿は、連載「侵略異民族アイヌの本当の歴史」第八弾)

 基本的な真実(絶対事実)が明らかになっていながら、「アイヌは、いつシベリアのどこから北海道に侵入したか」の追求は、大学と学界を独裁的に牛耳る巨大政治組織によって、1963年頃から五十年間も徹底的かつ執拗に妨害され、今や日本では「アイヌは、いつシベリアのどこから」を学問的に深めていくのは、全く不可能な状態になった。

 即ち、「アイヌは659年以前に/シベリアから北海道に侵入(侵略)した」事実は、ニュートン力学やガリレオ地動説と同レベルの、1971年に確定済みの学問的絶対真実。これに異論を唱えることは、狂人でないなら犯罪的な歴史偽造屋。当然、大学教授やそれと同等な学者の立場で、仮にもこの確定事実に異論を挟む者は犯罪的な歴史偽造屋だから、大学から追放されるべきである。

表1;「アイヌはいつ/どこから北海道に侵入」の確定済み絶対事実

 アイヌは言語においてツングース系でないので、アイヌの祖先と縁戚関係にある部族は、表2の(paleo)シベリア諸族のどれかと(「僅かな関係」まで広げれば)、必ず繋がっている。即ち、アイヌ第二原郷がアムール川下流域でハバロフスク近傍だとしても、第一原郷は、エニセイ川の支流アンガラ川付近か、オホーツク海西海岸の可能性がある。それなのに、アイヌ学者・専門家は、決してこれを探求しない。アイヌ学者の98%は、真赤な嘘アイヌ歴史の捏造を職業とする犯罪者。彼らは政治的な信条から、反・学問の嘘アイヌ史捏造を、自分の務めだと実行している。

表2;古(paleo)シベリア諸族

 私は、「風貌(外形)」「家は三脚テント(縦穴式住居でも掘立柱型でもない)」「夏は川で漁撈、冬は山で大型陸棲動物の狩猟」「土器を作らない」「仔熊を飼育する」「(樺太アイヌと同じく)夏の家と冬の家がある」「一部の文法の近似性」等、民族学的生活様式その他から、ケット人に原アイヌ(樺太アイヌに痕跡が残る)の血縁関係を仮定した。ただ、この仮定には難点もあって仮説とするには至っていない。

 エニセイ川流域のケット人は同じエニセイ川の別の支流域のエヴェンキ族と緊密に接触していた。エヴェンキ族の一部は「エニセイ川→アンガラ川→バイカル湖→アムール川上流」へと移動・移住した実行者。

 新石器時代のケット人支族がエヴェンキ族のアムール川への移住情報を手に入れることは普通に起こりえるから、模倣してアムール川上流への東進を決断することは十分にあり得る。しかも、アムール川上流のエヴェンキ族とエニセイ川支流ポドカメンナヤ・ツングースカ川のエヴェンキ族の間では行き来もあったはずだから、ケット人の支族が、このエニセイ川/アンガラ川/バイカル湖を通ってアムール川上流に戻るエヴェンキ族に道案内してもらうのも普通にありえただろう。

 仔熊飼育は、北海道アイヌや樺太アイヌの固有の習俗ではなく、ケット人、樺太ウィルタ、ギリヤーク人、オロチ、ネギダル、ウリチ、ナナイ等の諸族に広く行われている。熊送りは、飼育仔熊で行うか山猟熊で行うかの区別をしなければ、最西(オビ川)のハンティ族から、これらアムール川・樺太に亘るツングース系/古シベリア諸族を問わず、シベリア広くに普遍的な習俗。この事実は、北海道アイヌ人の原産地がオビ川からアムール川下流域のシベリアなのを確定する。アイヌの熊祭りと同じく熊の頭部を祭壇に安置するハンティ族(注1)とアイヌには血縁関係などないが、アイヌがハンティ族などと同じ文化域に共棲していたことは明らかにしている。即ち、アイヌの祖先は、西のオビ川から東のアムール川河口までの広域なシベリアのどこかにいたのである。

 嘘つき常習の共産党員・宇田川洋は、「北海道アイヌは熊送りを(北海道北部の)オホーツク文化の担い手ギリヤーク人から学んだ」と真赤な嘘を書いている(注2)。日本に侵略する前の北海道アイヌは、新石器時代、熊送りを(ケット人が祖先でない場合)第二原郷アムール川周辺の北方民族から学んでいる。しかも、早ければ紀元前四千年前ぐらい、どんなに遅くとも紀元前一千年と想定される。

 そもそも、アイヌ人はギリヤーク人“皆殺し”を伝統的な部族文化とするから、アイヌ族にとって最重要な「熊送り」を、紀元後五世紀から十世紀に、犬猿の仲のギリヤーク人から学ぶことなどあり得ない。

 尚、ケット人は飼育仔熊が少し成長すると(三歳の頃)、これを森に放す(=殺害をしない最高の「熊送り」)。この時、何か印(飾り)をつけており、成獣になった元・飼育仔熊の場合、捕獲しても殺さない。ケット人の熊送り祭の熊は、自分が飼育しなかった山猟した成獣の熊を使う。

 アイヌ熊祭りの態様は、シベリア北方民族に共通する熊祭りの中でも、際立って残虐・残酷。ヒトラーのユダヤ人大虐殺を彷彿とさせる、アイヌ族が他部族をジェノサイドする文化を持つことと無関係ではない。例えば、アイヌは、熊の頭骨の毛を、鼻と耳の辺りを残し全て毟り取る。そればかりか、舌や眼球まで抉り出し、さらには頭骨に穴を穿ち、脳みそを摘出して、それを全て食べる。

 加えて、頭の毛を毟り取られ脳みそまで食べられ骨だらけになった熊の頭骨を、獄門晒し首にする(注3)。しかも、アイヌの残忍さは、この自分が飼育した(二歳ぐらいに成長した)仔熊を巨木に挟んで絞殺する。江戸時代の村上島之丞『蝦夷島奇観』や竜円齋小玉貞良『蝦夷国風図絵』に、この仔熊殺戮の光景が描写されている(注3)。ユーカラに多くの証拠が残っているように、アイヌは生き物を殺戮しては快楽する、レーニンやギロチン無差別フル操業のフランス革命時ジャコバン党やカンボジアのポル=ポトと同じく、悪魔の殺戮狂を本性とする。

「本当のアイヌ歴史」を探るに欠かせない、コリャーク人の民話・伝承・言語への造詣

 ケット人以外でアイヌの祖先と繋がりがある(可能性が存在する)のは、コリャーク人。言語や伝承・民話の共通点(性)において、この両部族はケット人よりアイヌとの距離は近いかも知れない。

 チュクチ人とコリャーク人は、知られている限り、ベーリング海峡に面したカムチャッカ半島の北部に住んでいる。アイヌ第二原郷と目されるアムール川下流域から余りに遠く、アイヌ民族学的研究でほぼ唯一例外的に良心を貫いた大林太良ですら、この両部族を視野には入れていない。

 が、新石器時代早期のオホーツク海の西岸を想像したい。このはるか昔の先史時代、アムール川河口のギリヤーク人の縄張りを起点とし、それより北に向かって順に、オホーツク海の西側海岸に沿って「原アイヌ、コリャーク人、チュクチ人」が、団子のようにくっ付いて住んでいた、と。

 このオホーツク海の西岸に、シベリアを東進してきた、圧倒的な戦闘力を持つツングース系エヴェン人が侵攻した。戦闘する能力も意思もないチュクチ人/コリャーク人は、ヨーロッパにおけるゲルマン民族の大移動と同じく、直ちにオホーツク海の北端側に沿って東へと大逃亡の移住を決行した。今、オホーツク海の北岸に住むエヴェン人たちは、この時、東へと大逃亡するコリャーク人を追撃した一部のエヴェン人の末裔ではないのか。

 一方、獰猛なアイヌは、殺戮戦(注4)が生きがいで日常だから、果敢にエヴェン人と戦い、そして敗れ、北側と西側を包囲され(東は海だから)ついに逃げ場が南だけとなった時、一気にアムール川河口より南のハバロフスク近傍まで逃亡・移住した、と仮定しよう。これが、“仮定上の兄弟部族”「原アイヌとコリャーク人/チュクチ人」が地理的に離れ離れになった原因ではないか。思考上の仮定だが。 

コリャーク人の鯨送りとアイヌ人の熊送りが民俗学的に全く同一なのは、何故なのか

 アイヌの祖先とコリャーク族の祖先は、兄弟的な縁戚的な関係にあったのではないか、との仮定は、一つはアイヌ語とコリャーク語/チュクチ語に見られる共通性から発想した。もう一つは、コリャーク人の鯨送りとアイヌ人の熊送りが、瓜二つと言うべきレベルで酷似していることに着眼したからだ。

 アイヌの熊送りとは何か。アイヌは熊を殺害し生贄とするが「神」に捧げるのではない。この殺害して頭の皮を剥いだ可哀相な熊の頭蓋骨を祭壇に祭り、この祭壇下で皆で飲んで騒いでこの熊の肉を喰らうだけ。つまり、アイヌには超越者としての神が不在である。だから、アイヌ語には「神」を意味する言語がなく、日本語「かみ」を借用して「カムイ」と発音して、さも「神」信仰をしているかの“まやかし”儀礼をする。即ちアイヌは、語彙「神」なしで、数千年間にわたり熊祭りをしてきたのである。

 むろん、「無神」教徒アイヌにとっては“まやかし”ではない。日本人のように祖霊神「天照大神」や仏教徒における仏陀など超越者=神仏を信仰する者の基準において”まやかし”に見えるだけで、この基準が真理だと言うわけではないからだ。

 さて、非武装で動物をいたわる、やさしい縄文人を母方の祖先とするわれわれ日本人の感覚からすれば、余りに残虐で目を背ける動物虐待のアイヌ熊送り祭だが、ある信仰に基づいている事に気づく。熊を殺しておきながら、この殺害死骸の熊に対し客人の如くに敬い歓待すれば、熊は再生し森に帰り、来年再び来訪してくるとの信仰である。殺害され死んだ熊の“再生(再訪)の循環”信仰と名付けておこう。殺された熊が丁重に扱ってくれたと感謝して、来年、殺されるために再び現れてくるとの信仰である。

 アイヌには、霊とか魂とかは、そのような概念や信仰はない。あくまでも熊という“物materialの輪廻的な循環(死→生)信仰”があるだけ。神が存在しないアイヌは唯物論者で、マルクスとは同志関係。アイヌに神信仰があるとする金田一京助の有名なエセー「熊祭りの話」は、後述するが、100%の真赤な嘘偽りを日本人に擦り込むために事実を少しづつ歪曲して重ねていく手法で創作されている。

 さて、コリャーク人の鯨送りを垣間見よう。今も多くの国で再刊され続ける、ヨへルソン(1855~1937)の名著『The Koryak』(初刊1905年)から引用する。

「捕獲され殺された鯨は、村を訪れた客人である。鄭重・慇懃な待遇で敬われたら、鯨はそれを感謝して海に帰るので、次の年に再び訪れてくれる」。

「鯨が捕れて砂浜に引き上げる時、女性が炉の火で燃える木を踊りつつかざす(=客人としてもてなす意思の表明)

「祭の第一日は・・・」

「祭の第十五日。海に還る鯨を送る儀式。鯨とアザラシ二頭の頭が祭壇に置かれている。鯨に渡すお土産袋(草で編む)にはお菓子が入っている。女性二人が仮面をつけて祭壇に向かって呪文を唱え、菓子の皿を捧げる・・・・」(注5)

 熊祭りを見学した者は気付くように、アイヌの熊祭りでも、最初にアイヌ女性が炉の火で燃える木をかざして踊っている。殺された熊に対し客人として歓迎する意思を伝える儀式。が、これはコリャーク人の鯨祭りのスタート時と同じ。コリャーク人の鯨祭とアイヌ人の熊祭をもっと詳細に比較すれば、両者はさらに完全一致する。

 特に原アイヌに近い樺太アイヌの熊送りとコリャーク人の鯨送りで驚くべき共通がある。コリャーク人は祭壇に鯨の頭とその両脇に殺したアザラシ二匹の頭を飾る。アザラシ二匹は、海に帰る鯨の従者を仮構している(注5)。一方、樺太アイヌは雄イヌ二匹を殺し“森に帰る時の召使”として熊に捧げる(注6)。コリャーク人は、エヴェン人に追われて、熊を鯨で代用しているが、熊送りの祭を部族の生命源として今に続けている。

 ともあれ、アイヌの祖先研究は、第一段階に「ケット人が第一候補、第二候補がコリャーク人」で進められるべきだろう。むろん、何れであれ、アイヌが北海道に侵略した異民族である事実は変わらない。「アイヌは、約八千年以上に亘って羆を一頭も殺さなかった北海道縄文人から突然変異で生まれた」「交易と農耕の民だった、擦文期に東北から移住した純粋な日本人から異民族アイヌが生れた」などは、“兎から狼が生れる”と同じ類の狂言。なのに、この狂言を口裏合わせてデッチ挙げるのが、日本のアイヌ研究者。アイヌ学者を刑法犯罪者として処断することを日本国民は避けてはならない。

 なお、ケット人の熊の解体では、下顎を外し、両耳を切り取り、眼球を取り出し、舌を縦二つに切る(注7)。アイヌ人と共通するところがある。

アイヌ熊祭りについて、真赤な嘘を捏造した金田一京助の政治意図は何か

 隠れコミュニスト金田一京助とは、アイヌからアイヌ性を換骨奪胎して誇張的な粉飾を施し、アイヌの習俗を日本人と同一化する“アイヌ改竄”学の巨頭。経済学を経済破壊/社会解体の機関車に転倒したマルクス『資本論』に酷似する。

 おそらく金田一京助は、アイヌに関する嘘イメージを日本人に醸成し、日本人に反・日本国感情を醸成することを目論んでいたのではないだろうか。後世に絶大な悪影響を残した、金田一の有名なエセー「熊祭の話」は(注8)、この一つ。実に犯罪的な筆致であり、驚倒した。何故なら、「カムイ・モシリ」を「神国」と誤訳したのは、金田一がアイヌの本性を化粧粉飾する犯意無しに可能だったか。

 さて、語彙「カムイ」の意味を正しく穿ってみよう。アイヌは、自分が食べる陸棲・海棲動物を全て「カムイ」と呼ぶ。食しない物は「カムイではない」。熊/狼/鹿/狐/兎/梟/鯨/鯱/海豹/鮭などは全て「カムイ」。中でも熊は、最も美味で大量の肉で飢餓を確実に救うから、「サバネ・カムイ(頭領の神)」という。

 つまり、奇天烈語「カムイ」は、食物を人間界にもたらしてくれると感謝を捧げる、一般通念上の「神」ではなく、人間が食する動物そのものを指している。アイヌが食べる動物の自然界に人間の世界を投影した“擬人化した仮構の動物界”の事を、「カムイ・モシリ」と表現しているのだ。即ち、「カムイ・モシリ」は「神の国」とは万が一にも訳せない。このように、アイヌ語「カムイ」「カムイ・モシリ」は、アニミズムや汎神論でも説明がつかないし、日本人の“神”概念とも、余りに遠く乖離して相違甚だしい。

 熊祭は、この“擬人化した仮構の動物界”(=カムイ・モシリ)からの“客人をもてなす”という、もう一つの転倒仮構の実行である。人類一般に共通するのは、「客人をもてなす」とは「客人を饗応すること」。だが、アイヌのそれは逆さま。この客人を「残虐に殺し、解体し、食べてしまう」ことが、「客人饗応」であり、「客人を敬う」ことだとしている。そしてアイヌは、「熊を残虐に殺し、解体し、食べてしまう」ことによって、逆さにも「熊はカムイ・モシリに戻れる」と考える。

 「殺してやったぞ、食ってやったぞ、だから熊よ、父母の棲むカムイ・モシリに戻れるぞ」とアイヌは考えるのだが、これは一般通念上では殺戮を正当化する詭弁の極み。むろん、アイヌは、意図してこの詭弁を弄しているのではない。アイヌの伝統的な思惟であって、彼らにとって詭弁ではない。アイヌの熊殺し「殺してやったぞ、食ってやったぞ、だからお前は父母の棲むカムイ・モシリに戻れるぞ」の考えに、最も似通っているのは、レーニンの自国民大量殺戮の論理であろうか。

 四年間(1917~22年)で五百万人を殺し捲った大量殺人鬼レーニンは、大量殺戮ジェノサイドの後に、伝統と慣習から解放された“真正の人間=共産主義的人間”が誕生する、と信じていた。レーニンにとっての正義的宗教信条「共産社会を創造する」を顕現するためのジェノサイドだった。「ロシア国民よ、悪病である伝統と慣習を持つお前たちを殺してやったぞ。だから、お前たちの後に共産主義的人間が誕生してくる。喜べ、感謝しろ、俺様に殺された人民どもよ」である。アイヌの“熊祭り=熊殺し”のロジックが、レーニンのジェノサイドといかに同一であるかは、かくも明瞭明白。

 現在、日本のアイヌ研究者98%は、共産党員か共産主義者である。この実態は、アイヌが無神論で、アイヌの熊殺しがレーニンやスターリンの自国民6600万人ジェノサイドを彷彿とさせるように、アイヌの本性が根底から、残虐な共産革命家と同じタイプなのも一つの原因になっていよう。金田一京助も、アイヌを使っての日本人大量殺人を構想していたかも知れない。そうでないなら、金田一は、限定的な“擬人化した仮構の動物界”を意味する「カムイ・モシリ」を、荒唐無稽な厚化粧というか、嘘ラベルというか、「神の国」などと日本国民を騙す悪質な誤訳などしなかっただろう。

池上二良の学的業績を、アイヌ関係学者99%が結託して黙殺した理由は何か

 コリャーク族がアイヌ族に酷似するのは、民族学習俗での共通するものの多さからではない。言語における偶然とは言えない共通が存在することも理由の一つである。チュクチ語・コリャーク語などの総称ルオラヴェトラン語とアイヌ語との関係について、池上二良は、次のように分析している。

「アイヌ語とルオラヴェトラン語の一部の言語との間には、動詞の活用に関する一致と動詞語幹形成における一致、さらにその二つの事項の間に共通した結びつきがみられる」

「チュクチ語などの接頭辞ine-とアイヌ語i-もまた、元は同じものであることもありえよう」

「アイヌ語とルオラヴェトラン語は、オホーツク海を囲んで分布し地理的にも近く、その間は過去において、ある関係があったことによるものではないか・・・、この点を究明する必要がある」(注9)

 「ケット人は、アイヌの祖先」説に次ぐ、私の第二仮定「チュクチ族・コリャーク族・アイヌ族は、かつてオホーツク海西岸で兄弟部族であったかも知れない」は未熟で、むろん仮説のレベルにも至らないものだが、無碍に却下されるレベルのものでもない。日本のアイヌ学者が、この問題を無視するか否かは、アイヌ学者の正体を暴くリトマス試験紙になるだろう。

 

1、星野紘『シベリア・ハンティ族の熊送りと芸能』、勉誠出版、2001年。口絵2頁。

2、宇田川洋「アイヌ文化の形成」、榎森進編『アイヌの歴史と文化 Ⅰ』、創童舎、90頁。

3、煎本孝『アイヌの熊祭り』、2010年、237頁、口絵2頁&4頁。

4、殺戮戦を、アイヌ語で「トパッツミ」と言い、日常に使用されている。金田一京助が邦訳したユーカラ「虎杖いたどり丸」は、アイヌが大好きな血腥い殺戮戦を謳う凱旋歌。こんな恐ろしい血しぶく“魔剣”日本刀を讃歌するなど、縄文時代の原日本人はむろん、擦文時代の純・日本人でも不可能。獰猛・残忍な血塗られた異民族アイヌのジェノサイド性は、この英雄ユーカラ「虎杖丸」一つで充分に証明されている。『ユーカラ』、岩波文庫、189~350頁。

5、Waldemar Jochelson(ヨへルソン)The Koryak,pp.66~76.チュクチ族については、Waldemar Bogorasの著書、The ChukcheeChukchee Mythologyを薦める。

6、大貫恵美子『樺太アイヌの民族誌』、青土社、157頁。

7、アレクセーエンコ「ケート(ケット人)の熊祭にて」『北海道立北方民族博物館研究紀要 第22号』、86頁。

8、「熊祭の話」『金田一京助全集第12巻』、269~90頁。

9、池上二良「北方諸言語に寄せて」『言語』1983年11月号、44~5頁。

 

附記 アイヌ熊祭りにM・モース『贈与論』を狂妄する共産主義者・瀬川拓郎の狂気

 瀬川拓郎(札幌大学教授)の著作は、二つの特性がある。第一。歴史捏造のオン・パレードで、アイヌ史“嘘創作”が、その一行一行全てに大洪水のごとく溢れかえっている。第二の特性。瀬川はマルセル・モース『贈与論』の狂信的な崇拝者で、「モース贈与」論でアイヌの未開・野蛮性を礼讃しようと、幼稚園児のような狂った戯言を吹聴する。次は、そのほんの一例。

「イオマンテ(熊送り)は、(飼育した仔熊を・・・)殺して神の国に送り返す祭りです。獣の神の中でも最も高い地位にあった熊を送るに際しては、多くの土産が供えられました。この祭りは、神に対する最大の贈与に他なりません」(注1)

 この一文を読めば、常識ある人間ならエッと卒倒する。爆笑する者もいよう。人類の言葉には、「神に捧げる」しかないからだ。「神に贈与する」とは、神を人間の下に見下す“神を冒涜する不敬行為”。レーニンやスターリンや毛沢東やポルポトなどの凶悪な共産主義者ならいざ知らず、通常の人間は決して「神に贈与する」事をしないし、できない。

 また人類に共通して、言葉「神に贈与する」が存在しない。瀬川拓郎が志位和夫より過激なスーパー共産主義者だからとしても、狂語「神に贈与する」の発想は、何らかの精神医学的障害を病んでいないと不可能。

 つまり、モースの「贈与」を“万能の魔語”だと狂信する、本職が学芸員で実態は無知・無教養な瀬川拓郎は、二文字「贈与」を駆使すれば、アイヌの血生臭い残虐な熊祭りが何か高邁な聖なる宗教に昇華させうると思い込んでいる。そこで、モースとその『贈与論』の基本をお浚いしよう。

 マルセル・モース(1872~1950)は、贈与論を1925年に発表し、これは彼の主著になった。モースの基本思想はアナーキズムで、彼の人類学は社会主義革命運動(目的)に供する手段だった。これは、モースの後継者レヴィ=ストロース(『悲しき熱帯』の著者)も同じである。また、モース『贈与論』もレヴィ=ストロース『悲しき熱帯』も、ルソー『人間不平等起源論』の影響が強く濃く、『人間不平等起源論』の人類学版というべき作品。

 マルクスは、共産社会への道をレーニン/スターリン的全体主義体制を中間過程とすべきとしたが、モースは未開野蛮的アナーキー「無国家、無法、無道徳、無・体系的宗教(無・絶対神)、無・私有財産、無・市場経済・・・」を実現すれば、一党独裁の全体主義体制を経ずしても、直接的に共産社会に到ると妄想した。構成員が「幸福への意思」を共有すれば、アナーキーでも社会は維持されると妄想した。人間は「欲望への意思」を持てるが、幸福・不幸は結果だから、人類は「幸福への意思」など持てない。しかし、妄想だけが竜巻のように渦巻いて連鎖するモースの頭には、このような正常思考が入る隙間など、1㍉もなかった。

 そして、モースは、未開・野蛮人たちが「商品、貨幣、市場、私有財産、利益追求」を欠いたまま、“物の交換”で経済を形成している状態から、「義務感による物の贈与・返礼(循環)」で社会主義経済を構築できると着想・妄想した。世間一般の常識では社会主義・共産主義狂の人類学者を全員“狂人”と見做すが、モースの頭もまた狂気が放つ夢想の塊で、正常な脳はゼロ㌘だったようだ。

 正常の対極の妄想をすべてとするモースに、歓喜してぞっこん傾倒した日本人がいた。共産党員の芸術家・岡本太郎である(注2)。岡本太郎が縄文時代に理想社会を夢想したのは、縄文人の社会が、モースが憧れた未開野蛮的アナーキー「無国家、無法、無道徳、無・体系的宗教(無・絶対神)、無・私有財産、無・市場経済、無・・・」の社会だったからだ。

 そして今、共産党員・瀬川拓郎も、岡本太郎と同じく縄文時代に理想社会を見るだけでなく、アイヌ社会もまた未開野蛮的アナーキー「無国家、無法、無道徳、無・体系的宗教(無・絶対神)、無・私有財産、無・市場経済、無・・・」だからと、アイヌ社会を理想社会として崇拝し拝跪する。

 瀬川拓郎『アイヌと縄文』は、「縄文人→アイヌ人」を捏造すべく嘘八百を羅列したトンデモ本だが、「アイヌ社会も理想社会、縄文社会も理想社会」であるが故に両者は同一であるべきとの狂妄の宗教信条から書き上げたもの。また、「縄文人→アイヌ人」を歴史学や分子生物学や考古学からではなく、岡本太郎と同じく、瀬川が傾注するモースの贈与論で正当化しようとする。両者は「市場経済がない、土地の私有財産思想がない」が故に、「縄文人→アイヌ人」だと。

 こんなお門違いに根拠を求めるのは小学生の常識があればできないが、狂気に生きる瀬川拓郎にとって、マルセル・モースの贈与論は、全ての学問を支配する“万能の神”的真理のようだ。だから、瀬川は『アイヌと縄文』(2016年)で、モース贈与論をぶち上げてアイヌ社会の未開性・野蛮性を美化・聖化することに躍起となっている。

「アイヌは贈与交換を行っており、アイヌ間で純粋な物々交換、すなわち商品交換を行うことは基本的にありませんでした」(注3)

 この一文、瀬川拓郎が捏造した真赤な嘘歴史で塗り固められている。アイヌは各集団間で狩猟物の貸し借りなどをするが、それで揉めて殺人に到る戦争をするのも日常。シャクシャインの乱が、酋長オビニシと酋長シャクシャインとの間の物々交換の紛糾が切っ掛けだったように、アイヌ間での物々交換は贈与・返礼ではない。原初的な非商品型の商品交換といえる。アイヌ史とは、アイヌ相互間の殺し合いの歴史(注4)。このアイヌ史のイロハも知らないのが、“超アイヌ音痴”瀬川拓郎

 もし、この交換する対象物が商品化し価格があれば、オビニシ/シャクシャインは殺し合いをしなくて済んだはず。「市場→商品価格の発生」は、ハイエクの指摘通り、物々交換による紛糾を減らす、意識せざる人間の体験(行為の積み重ね)という智慧からの(生命と財産という自由を護る)自生的秩序なのだ。アイヌに、非現実も度が過ぎた反歴史の極み「贈与交換」など存在しない。

 話を、冒頭の瀬川の熊祭り論に戻す。瀬川は、熊祭りに関して、真赤な嘘を創作する。殺害された熊の頭が祭壇に飾られているように、祭壇には神はおらず、殺害された熊は神に捧げる生贄ではない。殺害された熊は「客人」として上席に座っている、と仮構されている。そして、この熊を殺害したアイヌ集団は、「客人=熊」が喜び感謝して森に帰る(=「森に送る」よう、最高のおもてなしをしていると、仮構されている。

 だから、「熊を森の元の棲家に送り返す」意味において熊送りと言う。「森の棲家」がどうして、「神の国」になるのか。ギリシャ神話を創造した古代ギリシャ人ではあるまいし、アイヌに神の国など存在しない。アイヌは、神と無縁な無神教徒の典型。“神の怒り”に触れるとか、“怨霊の祟り”などという観念も、一欠けらもない。

 アイヌ語に「神」がなかった事実は、「アイヌ=無神教徒」の厳然たる証拠。アイヌには神が不在だから、アイヌの熊送りに神を祀る祭壇も神への祈りもない。圧死という残忍な方法で殺した熊の肉を皆で共食して騒ぐだけの祭り。日本語「神」から意味不明語「カムイ」を造語し、熊祭りを宗教かに見せてはいるが、野蛮で残酷なアイヌ熊祭りに宗教は片鱗も存在しない。“神もどき”「カムイ」には、日本語「神」の原義が消えている。アイヌが反日運動をするなら、日本語からの盗用「カムイ」を溝に捨ててから出直せ!

 尚、江戸時代頃以降のアイヌ熊送りでは、酋長が、祭壇の熊の死体に向かって酒食を供して、「我がカムイ、今、カムイとなる。今日、カムイに送る」と声を出し、残虐な圧死で殺した熊を「カムイ」と呼ぶ。日本人の神道の祝詞を模倣して、「客人=熊」を言葉の上で「カムイ」にし、そして「カムイに送る」とは、意味がメチャクチャ。通じない。アイヌは無宗教で神概念が不在だから、神道の祝詞を模倣したつもりでも化けの皮が剥がれてしまう。

 アイヌ人は、マルクスと同じ究極の唯物論者。当然、霊魂の思想も概念も存在しない。瀬川よ、「存在する」と主張したいなら、「霊」「魂」のアイヌ語を言ってみろ。アイヌに関して無知蒙昧な、いわゆる超アイヌ音痴“狂気の人”瀬川拓郎の正体である。大林太良と長谷部言人を除き、アイヌ学者に正常者はいない。

 

1、瀬川拓郎『縄文の思想』、講談社現代新書、223頁。

2、岡本太郎に似た縄文社会崇拝者に、著名な文化人だった梅原猛がいる。梅原猛は共産党員でなく、ニーチェ/ハイデッカー系の無政府主義者(アナーキズム信奉)。梅原猛は、アイヌが無国家のままアナーキズム社会=理想の共産社会を顕現していると、アイヌを礼讃し続けた。この梅原が共産党の過激革命家・埴原和郎と“アイヌ万歳の対談”で出鱈目を爆発させているのが、嘘の羅列で読むに堪えない噴飯本『アイヌは原日本人か』。ニーチェ/デリダ系の「在日」北朝鮮人・東浩紀は、アナーキストの同志として、こんな梅原猛が大好き。

3、瀬川拓郎『アイヌと縄文』、ちくま新書、198~9頁。

4、堺比呂志『菅江真澄とアイヌ』三一書房にも、「アイヌ同士の闘争」という節がある。114~7頁。

                                              (2021年3月8日記)

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