侵略異民族に国籍を付与し、日本国を重大に毀損した明治政府──“反・共生”のジェノサイド(他民族“皆殺し”)狂の獰猛民族にとり、日本の共生政策は、次なるジェノサイド暴発力を蓄積する恰好の温室

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

(本稿は、「侵略異民族アイヌの本当の歴史」の第九弾)

 日本のアイヌ研究者の九割は共産党員。その半分は、アイヌ社会が「富の蓄積、国家組織、市場経済、・・・」を欠如するから、ユートピア共産社会に近似すると狂妄し、この嘘を拡大させるべく研究者になった。残り半分の共産党員は、アイヌに“北海道独立”蜂起をさせ、「ロシア・アイヌ善隣友好条約」をロシアとの間で締結させ、ロシア軍の北海道侵略に嘘ラベル「侵略でない」を貼る、刑法外患罪犯罪に全力投球中。

 後者の黒幕、鈴木宗男は、アイヌではなく北朝鮮人だが、ロシアKGBの最優秀工作員。また宗男は、共産党とも全面的に協同し、「ロシア・アイヌ善隣友好条約」締結とロシアの北海道無血侵略に人生の全てを捧げている。鈴木宗男の同志となっているアイヌは皆、北海道へのロシア侵略“熱烈歓迎”をすべく、あらん限りに嘘アイヌ史捏造に大暴走している。

 鈴木宗男と組むこれら凶悪アイヌは、北海道の日本人がロシア兵に大量殺戮される阿鼻叫喚の地獄絵を想像してはニヤリと笑っている。“ジェノサイド文化の未開部族”アイヌにとって、日本人の血が殺戮で大量に流れる惨たる光景こそ、血塗られた祖先に回帰するユーカラの世界なのだ。

 さて、アイヌに関する本当の歴史を知りたい日本人は、前者の“有害危険な事実転倒の大妄想”「アイヌ社会は平等を体現した共産社会」の呪縛から、まず自らを解放・覚醒することが先決だろう。

「酋長は暴君で天国、奴婢女はイヌ以下で地獄」が、スーパー不平等なアイヌ部族の社会構造

 今や劣等以下のアホバカばかりとなった日本人は、「国家が不在、法治主義が不在、倫理道徳が不在・・・・・」など、文明社会の基本要件すべてを欠く未開・野蛮なアイヌ部族を逆さにも平等社会かに錯覚・誤解する。アイヌ研究者が垂れ流す犯意ある偽情報と共産党が支配する学校教育現場での洗脳によって、日本人の空っぽ脳は、この嘘イメージが徹底的に刷り込まれてしまった。

 アイヌ社会とは、「酋長一家の天国の日々」と「下層アイヌの地獄の日々」の両極が特徴。まず、江戸時代の文献で前者「酋長一家の天国の日々」の証拠をあげる。

a、松浦武四郎『蝦夷日誌 上』、時事通信社、139頁。注1。

「シュムンコツ村(東岸、人家三十余軒)・・・畑多くあり。夕方 乙名(酋長)イヨラッケ家に宿す。これ、召し連れしトレアンの兄なり。家の正面、行器(ほかい)八十余、太刀短刀百余振、鎗五本を飾り、余が来るのを待ちもふけて、掛け甲(鎧)二領を飾りたる」。

 これを現在価額に換算する。「鎧一領2000万円、刀一本平均150万円、槍一本200万円、行器一ヶ50万円」とすれば、ちょうど二億円に相当。このように江戸時代のアイヌは、貧困とは程遠い。富が酋長に集中・偏在して、代りに他のアイヌが貧困に喘ぐ、富の超不平等分配はアイヌ部族の固有の問題。日本とは何の関係もない。異民族文化の尊重原則において日本は関与すべきではない。

 尚、記述「畑が多い」から、この村には日本人の父親から生まれたハーフの男性がいたと推定される。何故なら、明治政府の同化政策は、全国の日本人農民の半分が小作人の時代、一戸当たり五町歩の土地を与えアイヌ全員を「地主」にし、農耕民にする教育指導も実施。これらを日本人に課税した巨額な税金を投下して行ったが、90%以上のアイヌが農耕に強いアレルギー的な拒否反応を示した。彼らの半分程度が農耕に抵抗がなくなるには、約三十年間の一世代が必要だった。

 即ち、同化政策の明治維新より以前の江戸時代に、自ら畑を耕す農耕は、純血のアイヌ人だけの村なら起こり得ない。が、日本人との混血(父親が日本人)は江戸時代後半から急増しており、幕末の頃にはハーフはアイヌ人口の一割をはるかに越えていたと考えられる。

(以下は、読者の利便のため、堺比呂志『菅江真澄とアイヌ』102頁/84頁を代用、注2)

b、平秩東作『東遊記』、339~40頁。

「乙名(酋長)豪強のもの多く、容貌関羽のようで、富者もいる。留萌のトビラスは家居広くして蓆百枚敷、妾の数十三人。東蝦夷の酋長は大きなチャシ(家兼砦)を持ち、四方嶮岨にして藤綱にすがって出入りする。四間に六間の蔵(7㍍×11㍍)を三つ持ち、中に様々の重宝、干魚の類を蓄え置く。その妻は錦を着、羅沙十間を敷いて坐しているという」。

(備考)アイヌのチャシは、酋長の宝物隠し(強盗防止)場所であったり、“鮭猟場の監視所”がほとんどだった。アイヌ酋長集団間で蓄え物や猟場を奪い合う/襲い合うのが常態だったからだ。アイヌは平和的な共存は同族内ですら決してしない。“反・共生の民”が、アイヌ部族の筆頭特性。

 なお、まだ仮説の段階だが、アイヌのチャシか、アイヌ襲撃から防禦する日本人の砦だったかの簡便な識別目安について。男性十名以内&施工十日以内で完成する規模のはアイヌ酋長のチャシ。一方、「男性三十名以上、築城一ヶ月以上を要した」規模のは、日本人が築城した小ぶりの柵(砦)。この砦を築城した日本人は、12世紀末、全員がアイヌに皆殺しされたと考えられる。

c、武藤勘蔵『蝦夷日記』、19頁。

「国後島の乙名サンシャ、留萌の乙名コタンヒル、余市の乙名キンキリウ、岩内の乙名ワジマらは、いずれも有名な財産家で、近代の宝物をたくさん所持している」。

  また、奴婢アイヌ女は、酋長の好き勝手に売却された。

a、チェーホフ『サハリン島』上巻、岩波文庫、238頁。注3。

「ギリヤーク人はよく奴隷として、アイヌ女を連れてくると言ふ。明らかに(アイヌ)女は彼らの間では、煙草や支那木綿と同じ商品なのである」

b、・・・・・・

 

第一節 国際法や原則的法理に忠実だった松前藩アイヌ政策の偉大

 以上のような、アイヌ部族のごく初歩的な実態を知った上で、アイヌを日本人化してあげる善意からの明治政府の「同化」政策を分析し、その是非を論じる。最初に、私の結論を簡略に述べる。学術性を有する論考としては順序が逆だが、読者はこの方が読み易かろう。

 松前藩は、アイヌに、日本語の使用を禁止し裸足文化の伝統を維持させた。また、アイヌの農耕には眉を顰め従来からの狩猟・漁労生活を奨励した。いわゆる「和人との峻別・隔離政策」を実行した。明治維新政府の「和人化させる同化政策」とは180度逆だった。

 現在のアイヌ研究者の大多数は、松前藩の隔離政策を「アパルトヘイトだ!」と激難する。ならば、明治維新政府の同化政策に賛同するかと思いきや、この同化政策に対し「アイヌの民族文化を奪った!」「アイヌ民族の(固有の文化を維持する)権利を侵害した!」と激難する。

 アイヌ研究者の98%は、精神分裂病と同種の分裂思考をする共産党員ら共産主義者だらけだから、両極端の自らの主張のあからさまな矛盾すら自覚することはできない。南極の「和人との隔離政策」と北極の「アイヌの日本人化=同化政策」の双方が同一地点にある、など万が一にも不可能。片方が間違いなら、残る方は必ず正しいのだが、気狂いは、この正常な思考ができない。

同化政策は成功すれば、必ず“恨み”に反転。同化が自民族の固有文化の誇りを覚醒させるからだ。

 松前藩は、アイヌを“定住権を持つ外国人”と正しく定義した。十七~十九世紀の松前藩は、二十一世紀の国際社会に通用する法理に、最も忠実に従った最近代的な政策を履行していた。一方、「四民平等」の“五か条の御誓文”に従い、アイヌに日本国臣民の国籍を付与して、法的に「日本国民」に扱ったのが明治政府。しかも、明治政府のお門違いは、“法的な地位”「日本国民」を与えたことに留まらなかったことだ。

 唖然とすることに明治政府は、アイヌを日本人と同一の生活水準に直ちに大幅に引き上げるべきとか、アイヌは潜在的に日本人と同じ能力を有しているとか、アイヌに関し非現実の妄想的アイヌ像を描いて、アイヌの日本人化(同化)を推し進めた。そして、このために、日本人の税金をアイヌに湯水のごとくジャブジャブとつぎ込んだ。

 仮にアイヌに日本国籍を付与しても、明治政府は次の二点だけは、遵守すべきであった。

 第一。アイヌの生活の基盤となっている、松前藩考案の“商人による場所請負制度”をしばらくは堅持し、アイヌの同化度に応じて、例えば十五年間ほどの年月をかけ徐々に廃止して、決して即時廃止などしてはならなかった。江戸時代、北海道アイヌは「米、酒、煙草、木綿」等が生活必需品となっており、場所請負制度の商人のみが、貨幣経済を知らないアイヌに対し、毛皮や鮭をその代金に扱ってくれていた。商人以外で、原始社会の物々交換をしてくれる者は存在しない。

 この物々交換システムの根底を破壊して、狩猟・漁労の未開人に農業で豊かな所得を得させることなど、ほんの一部のアイヌを除き非現実なのは自明。明治政府は卒倒するほどの高額の転業助成をしたが、算数が全くできない未開人に経理や貯蓄をやらせること自体、初めから無駄でナンセンスの極みだった。明治時代初頭のアイヌは、数字は千までしか数えることができなかった。貨幣を理解できないアイヌは、明治三十年代ですらかなりいた。

 第二。文字が読めない&算数が全くできない&定時に通学することができない&風呂に決して入らないアイヌに対し、その子供たちへの日本語の読み書きと算数の学校教育は、希望者に限って提供すべきもので、子供が稼ぐはずの賃金を親に支払ってまで強制的に全員を小学校に入学させるなど愚の骨頂の謬策だった。明治維新後の日本はまだ貧しく、(学校に行きたくて仕方がないが、貧しくて)未就学の日本人児童の数は厖大だった。アイヌに限る事ではなかった。なぜアイヌだけを、逆差別的に特権階級に扱ったのだろう。

 一方、(酋長クラスの家庭の子供たちが主だが)ごく少数のアイヌは、学校と聞いて喜び勇んで通学した。十五年が経過すればアイヌ社会に自然的に小学校通学の意識が普及していた。アイヌ人の小学校教師も誕生していた。このアイヌ小学校教師を通じて、アイヌ児童全員の学校教育を完成させるのが、同化政策のイロハだろう。

日本が150兆円投入し韓国の民族絶滅を救った韓国併合。が、朝鮮人は日本に感謝しない‼

 明治政府は、人口二万人以下の“狩猟の未開人”アイヌに対し、ダーウィンを真似たかのように、農耕民に「進化」させ日本人と同レベルの生活水準まで一気に大向上させると意気込み、教育その他できめ細かな政策を、金に糸目を付けず遂行した。この過剰な温情主義・人道主義の人間性溢れるアイヌ政策は、1910~45年の韓国併合三十五年に亘る対朝鮮人政策と瓜二つ。日本が朝鮮半島につぎ込んだ朝鮮再生の費用は、現在価額で総額150兆円に及ぶ。それは日本国民に増税を課すことでまかなわれた。

 当時のある「親日」英国人は、「日本人は、先天的に植民地経営はできない」から「韓国併合など止めといた方がいい」と親切な助言をした。が、日本は英国の印度植民地経営の阿漕さを糾弾し、この日本への的を射た「親日」助言をせせら笑う始末。

 朝鮮人から日本が150兆円を収奪・搾取された韓国併合の行末が、朝鮮人の対日本“逆恨み”の爆発的な醸成だったが、この事態を予見できないのが、超アホバカ民族・日本人。世界史に唯一例外な、日本の人道主義“統治代行”「国家併合」は、台湾人からは感謝されたが、朝鮮人は感謝どころか、「反日」運動の一大根拠となった。現に、「韓国併合時代は、帝国主義の抑圧と支配だった」と、朝鮮人置屋や希望した本人に全責任がある「従軍慰安婦」「徴用工」までケチをつけ、今も、日本糾弾・日本断罪に大暴走している。

 韓国併合は、日本国にとって悪夢以上の、まさに“世紀の大愚行”だった。アイヌの生活水準を一気に十倍以上に向上してあげた明治政府のアイヌ同化政策とは、“世紀の大愚行”韓国併合の先駆であった。しかし、根っからの「反日」朝鮮人が日本人に決して感謝しないように、“反・共生”狂のアイヌ部族もまた決して日本人に感謝しない。「アイヌ同化政策→韓国併合」のことを、世界一の超アホバカ民族・日本人の“愚行二回も繰り返し”という。

陸奥宗光『蹇蹇録』を拳々服膺せよ! 中川八洋『歴史を偽造する韓国』を三読せよ!

  “穏健な親英反露”勝海舟の愛弟子・陸奥宗光は、親英米主義に加えて合理的な国益第一主義者だった。陸奥宗光の、日本人への外交遺言『蹇蹇録』(1895年末上梓)には、こう書かれている。

①「我が国の独力をもって朝鮮内政の改革を担任すべしとの議の世間に表白せらるるや、我が国朝野の議論、実に翕然一致し・・・朝鮮は我が隣邦なり、我が国は多少の艱難に際会するも隣邦の友誼に対しこれを扶助するは義侠国たる帝国としてこれを避くべからず」・・・すなわち「一種の外交問題をもってあたかも政治的必要よりもむしろ道義的必要より出でたるものの見解を下したり」

②「その公然世間に表白する所は、…弱を扶け強を抑ゆるの義侠論に外ならざりき。余は固より朝鮮内政の改革をもって政治的必要の外、なんらの意味なきものとせり。また毫も義侠の精神として十字軍を興すの必要を視ざりし故に、朝鮮内政の改革なるものは、第一に我が国の利益を主眼とする程度に止め、これがため敢えて我が利益を犠牲とするの必要無しとせり」

③「余は初めより朝鮮内政の改革その事に対しては格別重きを措かず、また朝鮮ごとき国柄が果たして善く満足なる改革を遂ぐべきや否やを疑えり」(注4)

 日本外交史に燦然と輝く超一流外交官の陸奥宗光は、まさに慧眼の士。外交遺言書『蹇蹇録』から十五年後の1910年、『蹇蹇録』を180度倒転させた、車夫馬丁級に劣等化した日本人の義侠心と山形有朋の利権漁りから決断された韓国併合は、日本の国益を決定的に毀損し、1945年8月の日本亡国の主因となった。1945~56年、八十万人(備考)を越える日本人が殺戮された“満洲・シベリアの悲劇”も、“反・陸奥宗光”のトンデモ韓国併合から一直線に発生している。

(備考)シベリアに強制連行された日本軍将兵および在満洲一般邦人男性は105万人。シベリア帰還者は47万人。即ち、58万人がシベリアでロシアに殺された。満洲においてロシア兵に殺された日本人婦女子は約25万人。合計83万人の日本人が満洲とシベリアでロシアに大量殺戮された。ヒロシマ/ナガサキの正しい数字「原爆死者数合計10万人以下」に比すれば、満洲・シベリアの日本人死者数はその八倍以上である。だが、人間ではない“血塗られた悪魔”共産党員たちは、米国が加害者だからとヒロシマ等の死者数を三倍に膨らまし、ロシアが加害者だからと満洲シベリアでの日本人死者数を十分の一以下に改竄する。

 1910年以降の日本の対東アジア外交は、韓国併合による韓国近代化への巨額の財政出動に足を取られ、全く身動きできない情況に陥っていた。1917年11月のレーニンのロシア共産革命によって、北満洲からロシアの軍隊が一兵残らず消えた時、これを好機に日本が北満洲を無血占領し、皇帝溥儀を戴く清国をここに移せば、つまりミニ清国を創れば(「満洲帝国」ではない)、満洲は満洲人(皇帝溥儀)の故国である上に、まだケロッグ・ブリアン条約(不戦条約、1928年)以前だから国際法にも優等生的に合致して、世界中の国々からの批判は完全にゼロだった。

 さらに、辛亥革命(1911年)後まもない1918年時点、支那人には満洲を「支那の一部」と見做すものはいなかった。が、僅か十年後の1928年には、ナショナリズムに覚醒した多くの支那人は、「満洲は支那の一部」と考えるようになった。つまり、1918年時点、日本が満洲に「ミニ清国」を創るのではなく、「北京から奉天に清国の首都を移動させる」のに反対する支那人は、仮にいても張作霖一人だった。

 つまり、問題は日本側の財政問題だけで、北満洲を無血占領し全満洲を統治する追加軍事費と、ミニ清国の首都づくりの僅かな予算の問題であった。だが、1910年から韓国併合で増税までして朝鮮半島にジャブジャブ財政出動している1918年の日本に、この僅かな予算増を工面する余地はなかった。日本の命運を左右した十三年遅れの満洲事変と「満洲帝国」創設など、韓国併合さえしていなければ、せずに済んだのである。

 韓国併合について、今では否定するのが、日本の絶対常識になった。理由の第一は、韓国併合によって、1910年以降に移民してきた赤い在日朝鮮人の目に余る跋扈跳梁が日本を害する事甚だしいからだ。確かに、鈴木宗男/茂木敏充/菅直人/福島瑞穂/辻本清美/菅義偉(カンギイ)/福山哲郎/浜田靖一ほか、コリアン国会議員たちの反日のラディカルぶりは常軌を逸している。

 また、東京大学を初め国立大学に巣喰う北朝鮮人教授は既に七百名を超えるし、テレビ新聞の報道に対し社内でやりたい放題の介入など、今や日本は朝鮮人の植民地に成り下がった。これは、日本国民が主権を喪失している状態ではないか。日頃、フランス革命のギロチンから生まれた魔語「国民主権」を口にする赤い憲法学者は、主権回復のための国会/教育界/マスメディア界からの朝鮮人排斥運動をするのが筋だろう。が、赤い魔語「国民主権」は、日本共産化の手段の時のみ振り回される。ご都合主義の「国民主権」である。

 理由の第二は、従軍慰安婦/徴用工/関東大震災の刑法犯罪事件など、韓国併合時代の歴史に関する、韓国や在日が主張する”真赤な嘘歴史”にいつまでも振り回される情況への怒りが、一般日本人の間でも共有されるようになったからだろう。

 尚、関東大震災時、日本の家屋から窃盗のし放題、怪我をしてうずくまる日本女性を助ける振りでレイプのし放題、さらに殺人や放火までやりたい放題の不逞朝鮮人は、ほとんど捕まらなかった。帝国陸軍が彼らを軍艦に乗せ急いで韓国に帰還させた犯人隠避をしたからだ。捕まったのは、自警団の日本人の方ばかりだった。また、朝鮮人だけを優先して治療し食事を与えた、戒厳令を敷いた帝国陸軍の逆差別行動は異常を越えていた。1923年、帝国陸軍は、「反日」軍事組織に変貌していた。

 さて、上記の二理由は、韓国併合を非難すべき最凶理由を欠いている。国際場裏の一大鉄則「他民族に対する過剰な厚遇や支援助成は、個人間の関係時とは異なって、民族間では決して感謝されない。逆に“恨み”がブーメラン的に投げつけられる」の重大問題が忘却されている。台湾は稀有な例外で参考にならない。1910~45年に日本に救済してもらったが故に、今なお韓国はこれを恨み、対日憎悪の炎を燃やす。この理不尽な韓国の対日姿勢こそ普遍的で、世界の普通である。

朝鮮半島の禿山を緑に変え、灌漑池ゼロの韓国水田から干害をなくし、五千の小学校を建て・・・

 仮に1910年、日本が韓国併合をしなかったら、韓国はどうなっていただろう。毎年春になると数万人が餓死し、そのペースは年々増加していたから、1930年頃には人口は半減しただろう。

 韓国の水田は灌漑用水がなく、日本でいえば、古墳時代以前だった。ために、干害でコメが収穫できない年が数年に一度襲っていた。また、冬場の暖房用薪に山の木を切り倒し続けた結果、1880年頃の朝鮮半島は、全土に亘り山は禿山となった。1910年までの朝鮮人は植林を知なかった。

 現在のソウルには橋は一本もなく、全て渡し舟。さらに街中の道は細い上に直線は一本もなく、自動車の導入は困難だった。併合後直ちに、ソウルに数本の巨大な橋を日本が建設した。自動車の走行ができるよう、主要道路を全面的に作り替えた。鉄道も次から次に建設した。

 また、小学校は事実上ゼロだった。韓国併合後、日本が日本からの持ちだした資金で五千校も建てた。そして、小学校の教員養成に、男女師範学校を全国に設置して、両班層以外、ほとんどが文盲だった朝鮮人全員の識字化を達成した。以上の詳細は、注5を参照されたい。

 このような上げ膳据え膳の韓国救済は、果して、正しい隣接他民族政策だったと言えるか。朝鮮人による自力救済独立自存を助けるのは正しいが、150兆円もの教育整備や農業・林業・道路・橋梁などの公共事業を日本人の税金から支出し統治すべてを代行してあげたのは、プライドある朝鮮人からすれば侮蔑・侮辱行為の何物でもなかっただろう。

 韓国は李舜臣や安重根など逸材を輩出している。破滅寸前の韓国を救うのはあくまでも朝鮮人であるべきだし、それは時間をかければ可能であった。日本がなすべきは、“偉大な賢帝”明治天皇の御聖旨を忠実に履行して“皇太子・李垠の国王即位”に責任を果たすこと、これに限定すべきであった。一方、韓国民は一致団結し、新国王陛下・李垠を奉戴し自国を滅亡の淵から自力で再建すべく、汗を流すべきであった。

 この場合なら、韓国は、自らの自主独立を堅持して、財政や農業の多くの顧問を日本から呼び寄せただろうから、自ずと親日になる。つまり日本が、併合せずに間接協力を原則としていれば、自ら汗を流す韓国は“第二の台湾”、つまり恒久的な親日国になっていた。しかも、この間接協力方式だと、日本が韓国に持ちだした日本国民の金は150兆円ではなく、3兆円以内で済んだだろう。

第二節 日本人は旧土人保護法を誇れ!──世界で最も優れた「少数民族」保護策

 韓国の朝鮮人たちは、150兆円という巨額な超過保護政策によって、日本人化(=同化)したか。答は、0.1%は同化したが、99.9%の朝鮮人は同化を拒否した。この0.1%は、特攻隊パイロットに志願した朝鮮人の若者たちなどを指す。山本七平のノン・フィックション『洪思翊中将の処刑』の主人公「洪思翊」は、「親日」以上だが、「同化」未満。「同化」とまでは言い難い。

 「同化」コリアンと異なり、「親日」コリアンならば、相当数発生した。私の体験では、1965年頃までは、在日の二割以上が親日だった。が、これら親日コリアンは、1980年代に入るとあっと言う間に消えた。彼らは、私より年齢が二十五歳は上だったから、引退もしくは物故したのである。また、これら「日本の韓国併合のお蔭で、韓国は救われました」と認識し日本に感謝する少数コリアンは、韓国併合の実体験者でインテリに限っていた。

 つまり、「世界史に類例のない、日本国籍を付与し教育を全朝鮮人子弟に施しふんだんなインフラ整備を全国隈なくしてあげた、150兆円もの日本人の血税投下による日本の善政に対する感謝から発生した《親日》性は、体験しなかった子孫や無教養階層コリアンには相続されない/理解されない」は、当たり前ではないかという事。さらに、「親日化する」と「同化する」は、全くの別次元という事。「親日化」は、体験した者に限り二割ぐらいは生まれるが、線香花火の如く一世代で消える。一方、「同化」は、線香花火以下の瞬きがあるだけで、0.1%(=ほとんど0%)しか起きない。

 「親日化」と「同化」の相違は、朴正熙大統領が明らかにする。朴は個人的な私的会話では、日本への感謝を心底から吐露した“親日の権化”。が、微塵も同化していなかった。朴正熙は非情にも、1965年の日韓基本条約で、日本のなけなしの外貨を根こそぎ毟り取り、竹島を実態的に領有した。

 私が東大に入学した1963年はまだ、(1950年代後半に始まる)理Ⅰに日本中から最秀才が集結した時代だった。私は日本国の核武装のために理Ⅰを選択したが、同級生の中には「外貨を稼がないと日本経済が成長しないから」を理由に理Ⅰを選択したのも多かった。1965年の日本の外貨保有高はたった18億ドルしかないのに、朴正熙は13億ドルを奪った、と記憶している。「外形が日本人化している朴正熙は個人的にはスーパー親日。が、大統領としては頑迷な反日(=日本人的な意識や感性は皆無」が、私が20歳の時の感想。

韓国併合の歴史体験から、アイヌに対する明治政府の“同化政策の愚と危険”をしかと認識せよ

 以上長々と、韓国併合による朝鮮人「同化」問題の基本をお浚いした。同化政策など、竹馬に乗ったナンセンスで“妄想の非現実”だと、日本人に警告したいからである。そして、同化政策が無効・不可能であるのと同じく、現在日本の共生政策もまた全くの無効・不可能である。いや、共生政策は、無効以上に最危険な“「反日」を養成し増大させる逆効果”に活躍する。

 1970年、新日高町静内地区に、過激「反日」アイヌが中心となって、日本人を四百人以上殺戮した凶悪な殺人鬼シャクシャイン像を金日成の銅像に模して建立した。また、悪名高き“歴史捏造の達人”本田勝一らの北朝鮮人や過激アイヌ革命家が一大集結した革命アピール集『コタンの痕跡』が1971年に出版された。そして1972年、アイヌ結城庄司らは「アイヌ解放同盟」を立ち上げ、公然と暴力闘争を開始した。

 この三つの事件だけでも、「反日極左」北海道アイヌが1970年、顔を海面上に浮上させて、マルクス・レーニン主義に基づく暴力革命を決行する決意を固めた事が解る。この三つからだけでも「抑圧されているアイヌよ、日本人(北海道の五百万人)を皆殺ししよう、北海道を占拠しよう」と呼びかけていることがヒタヒタと伝わってくる。

 上記三事件はまた、明治維新政府が開始した、最も人間的で超過保護な精魂込めたアイヌ庇護策の成果を、その開始からちょうど百年目に根底から全面破壊せんとする“反日極左アイヌ”の鬨の声でもあろう。満足しているか否かは別にして“日本国民として生きよう”と決意している圧倒的大多数(1960年代では95%以上)のアイヌに対し、「転向しろ!反日になれ!」と強迫する恫喝でもあった。

 用語「アイヌ系日本国民」という言葉は、1970年に潜水状態から海面に浮上した、共産党のアイヌ「反日化」再教育により赤戦士に改造された“非・日アイヌ”に対する対置語として考案した。そこで、言葉「アイヌ系日本国民」を理解され易くすべく、表1に具体名をリストした。この具体名はまた、「アイヌ系日本国民」になっても、「日本人に同化したアイヌ」とは同義ではないのを示してくれる。「日本人に同化したアイヌ」は、名の有る者に限れば、伏根シン子と青年時代の北風磯吉の二人だけか。

 これらの問題より、表1の右欄は、反日アイヌの急増を示す。現在、反日アイヌは、全人口の二割、三千人に膨れ上がっている。1960年代半ばに共産党が開始したアイヌ「反日化」改造運動の、その五十年間の成果である。この総仕上げが、2019年の「アイヌ誇り推進法」制定であり、2020年の革命拠点「白老ウポポイ」の開所であった。今後、アイヌは元来の“日本人皆殺し”部族文化を露わに発揮して、ロシアの侵略軍を誘致して北海道日本人五百万人“皆殺し”へと一気に爆走するだろう。それは“スターリンやヒトラーの先駆”シャクシャインの未完を完成する事でもある。

表1;「アイヌ系日本国民」を抹殺する、「日本国民」拒絶の反日アイヌの増大

「共産革命戦士への改造」がし易くなる、「生活様式の日本化」「生活水準の十倍向上」「高等教育」

 アイヌに対し学校教育と生活水準を天文学的に向上させた、明治政府のアイヌ同化政策は、1965年時点で見れば世界一だと誇るほどの大成功であった。が、それは表面上の事。従来の部族文化を潜めて維持していたアイヌの人格や精神の内面は、同化されていなかった。

 言語や服装・家屋や墓・葬儀を含めた生活様式の日本化は、精神やイデオロギーを日本化する事には関係しない。両者は別次元だからだ。このことは、在日朝鮮人で証明済みの事柄。例えば、北朝鮮人・福島瑞穂は、その日本語力と言い、生活様式と言い、外見は完全な日本人である。だが、その内面、則ちイデオロギーは、100%金日成の化身。日本人的なものは一欠けらもない。福島瑞穂からは、「反日」と「非日」の赤い猛炎が燃え昇っている。

 共産党/朝鮮総連/部落解放同盟は、1960年半ば、ここに眼をつけた。そして、徹底的にアイヌを“対日暴力革命の尖兵”に改造することに全力を挙げてきた。これにロシアKGB第一総局が全面協力して後押しした。ロシア札幌領事館の全職員はSVR(=KGB第一総局)からの出向者。外交官は一人もいない。“ロスケ”で“日本一の外敵”鈴木宗男とその新党大地は、実際はここに所属している。

 だが、世界一のアホバカ民族・日本人は、アイヌの生活水準を向上させてあげれば、日本人化という同化が起こり日本人と共生すると妄想する。身勝手で能天気な“お門違い”。同化や共生は、アイヌ自身が決定するアイヌの内面の問題。生活水準などとは全く無関係。そればかりか、日本人の善意の介入が逆効果を生む。ところが、アヒルや豚並み頭の日本人には、これがわからない。

 仮にも日本との共生をアイヌに期待するなら、先ず、「白老ウポポイ」を爆破解体して更地にすることが絶対に不可欠。そして、われわれ日本人が日本人だとの自覚を復権し、この白老に“ジェノサイド文化の獰猛部族”アイヌに大量殺戮された日本人の祖先たちを追悼する慰霊碑を建立することだ。アイヌは、最低でも「原日本人の縄文人一万以上」「擦文期の移住日本人三万人以上」「コシャマインの叛乱の日本人犠牲者一万人」「シャクシャインの叛乱の日本人犠牲者四百名以上」「国後・目梨の叛乱の日本人犠牲者71名」を殺戮した。

 国後・目梨の乱では、鎮圧後の兵器押収で、この前座部隊ですら毒矢3905本の準備が発覚した。もし多くの近隣酋長たちが松前藩側に付かなければ、シャクシャイン叛乱の成功したケースを再現しただろう。この場合、日本人犠牲者数が二万人以下になる事はなかった。

 即ち、アイヌ誇り推進法が廃止され、白老ウポポイが爆破解体され、白老に殺戮された日本人慰霊塔が高々と五本建立された時、アイヌが、自らが犯したこの冷厳なる歴史事実に向かい合い、人間らしい対処の道を選択した場合のみ、日本人との共生が可能になる。この人倫に適う道をアイヌが選択しないなら、魔語“共生”はナンセンスな画餅と言うより、ヒトラーの『わが闘争』と同じ、北海道五百万日本人をジェノサイド(ホロコースト)する、血塗られた悪魔のドグマとなる。

アイヌの“対「日本人」憎悪”は、日本が過剰にアイヌの面倒を見てあげたことが主たる原因

 さて、いよいよ本稿の本論。旧土人保護法を含め、アイヌに日本国籍を付与した明治政府の、その過剰なアイヌ過保護政策の、無駄で危険なブーメラン効果についての分析である。が、紙幅が足りない。この本論は別の機会に譲るほかない。アイヌ問題に真剣に取り組んでいる、本連載の熱心な読者諸兄は、『北海道旧土人保護沿革史』『アイヌ政策史』などを詳読しておいてほしい(注6)

 尚、後者の著者・高倉新一郎は、戦後、共産党の生協運動にのめり込んだ党籍を持つ共産党員。後者の本を読む場合、この事実を踏まえて用心を怠らないように。

 ほんの触り程度だが本論の結論を一言で言えば、暴戻なる侵入異民族アイヌに日本国籍を付与した明治政府の超人道主義「善政」は全くの謬策であった、に尽きる。蛇足。アイヌに対する日本国籍付与は、明治政府以前、弘前藩が250名ほどの津軽アイヌに為している。参考参照のこと。

 明治政府のアイヌ政策の過誤は、重要歴史を軽佻浮薄にも捨象したことから発生している。この「重要歴史事実の軽佻浮薄な捨象」とは、明治維新期の日本政府は、北海道に関し室町時代以降の歴史にしか関心がなく、それ以前の北海道史を安直にも全て捨象したことを指す。室町時代以降では、日本人は(アイヌにことごとく殺されて)渡島半島と道南海岸部にしか居住していなかった。しかも、室町時代以降の北海道日本人のほとんどは、室町時代以降に移住した日本人の子孫なのは明白。当然、大誤解「北海道の先住民族はアイヌだろう」が不可避に生じる。

 だから、明治政府は「異国からの侵入者」とすべきアイヌに、「土人」と言う事実無根の間違った定義を付した。さらにはそれに「旧」までつける大ミステークを犯した。アイヌにとって語彙「旧土人」は、過去の日本人をジェノサイドしたアイヌの残忍・暴虐な犯罪をなかったことにする隠蔽語となる。また、無罪放免するニュアンスもあるから、アイヌにとって願ったり叶ったりの有り難い造語だった。

 一方の日本は、アイヌを「旧土人」と定義する事により、アイヌに殺戮された真正の先住民族・縄文人や擦文期・移住日本人を存在しなかったと、歴史の大改竄をなした。日本人は自ら墓穴を掘り、“日本人の正しい北海道史”を排斥的に廃棄した。明治政府こそ、日本国から日本国民の北海道史を剥奪したのである。明治期までの日本語「土人」の意味を、表2から正確に吟味されたい。

表2;大正時代以前の語彙「土人」の意味は、「その土地の人々」

 誤ったアイヌ政策を採った明治政府と異なり、松前藩は、アイヌに定住権を認めても国籍付与を発想すらしなかった。明治政府と同じ間違いを犯した超一流旅行家・松浦武四郎の献策をすべて無視したように、松前藩は賢明さを失うことはなかった。

 一方、明治政府は、天文学的な誤りと言うべき狂ったアイヌ政策を遂行した。アイヌを日本人化する、いわゆる同化政策である。「文字を読めない/書けない未開野蛮人のアイヌに教育を施し、狩猟に比すれば一気に十倍以上の高収入となる農耕民に進化させる」が、この同化政策の第一段階として設定された。しかも、そうなれば、アイヌの生活水準は十倍ほど跳ね上がるから、日本人農民と同じになると、善意が先走った明治政府の役人は考えたのである。

 仮に、狩猟を専業としていた日本人なら、農耕を教育すれば、そうなるだろう。だが、現実は「アイヌはアイヌであり、日本人ではない」。現実が見えず理屈を妄想で繋いでいく明治維新の武士上がり官僚は、ルソーの「人間の能力、皆平等」と同じ狂気に犯されていた。

 さらに、日本人と同一の生活水準になれば、日本に感謝して、不可避に日本人化=同化する、と信じていた。特に、読み書き言語は日本語だから、アイヌの同化は100%だと信じた。これでは、腐った鰯の頭を拝む野蛮人の信仰に近い。が、現実は、アイヌは日本人に同化しなかった。今、逆の方向に慣性力が強く働いているアイヌを見れば、明治政府の同化政策の大失敗・大錯覚は一目瞭然。

 アイヌは今、日本人皆殺しの革命拠点「白老ウポポイ」を、日本人の血税二百億円で、日本人に建設させ、日本人に対し「アイヌと共生せよ」つまり「アイヌの言いなりになれ、アイヌに仕える奴隷になれ」と強要するに至った。アイヌは、決して他部族と共生しない反・共生を民族文化とするシベリア蛮族である。仮にも日本がアイヌ文化を尊重するなら、「反・共生」のアイヌ固有文化の尊重は最優先しなければならない。これは、アイヌとはソーシャル・ディスタンスをとる「付かず、離れず」関係を模索する事にほかならない。アイヌの日本国籍を剥奪しアイヌを外国人とすることは、この「付かず、離れず」関係の最小限の第一歩。

 だが、今、世界一のアホバカ民族・日本人は、「反・共生」文化のアイヌと、世紀末的デカダンス“共生空間ごっこ”に現を抜かしている。これは、同化政策など一瞬で崩れ去り潰えることを知らず、国民の税金をジャブジャブとアイヌにつぎ込んだ明治政府の愚行の再現ではないか。

 “令和の愚行”アイヌとの共生は、早急に廃棄されねばならない。明治政府の同化政策の失敗を繰り返してはならない。

 

1、松浦武四郎『蝦夷日誌 上』、時事通信社、139頁。

2、堺比呂志『菅江真澄とアイヌ』、三一書房、102頁、84頁。

3、チェーホフ『サハリン島』上巻、岩波文庫、238頁。

4、陸奥宗光『蹇蹇録』、岩波文庫、60~5頁。

5、中川八洋『歴史を偽造する韓国』、徳間書店。この本は、初版1万1千部。一ヶ月で完売。その後、ネットでは「1部一万円で売ります」の広告が数十件も散見され、中には「コピーしました。二千円」などというのもあり、十万部越えのベストセラー間違いない情況だった。が、出版社は頑として重版を拒絶した。複数の朝鮮人団体からの“重版阻止の圧力”に屈したのである。

6、北海道庁『北海道旧土人保護沿革史』、第一書房、原著1934年、復刻1981年。高倉新一郎『アイヌ政策史』、日本評論社、1942年。

 

(参考) 明治政府以前、アイヌに日本国籍を付与した唯一の例外──弘前藩の先走り

 弘前藩の家老・乳井貢は、1756年(宝暦六年)、津軽半島の北端部、津軽海峡に面した外ヶ浜のアイヌ人戸主42名に対して、現在の戸籍に当る宗旨人別帳に記載した。国籍の附与である。

 弘前藩のこの決断は、津軽外ヶ浜アイヌが特別例外的に、立ち居振る舞いを含め完全に日本人に同化していたことへの配慮だが、シャクシャインの残虐な叛乱など、日本人へのジェノサイド意思を強度に燃やしている当時の北海道アイヌの存在を考えればいかがなものか。

 松前藩は江戸幕藩時代を通じ、北海道アイヌをあくまでも日本定住権を持つ外国人として扱い続けたが、この方にこそ法的合理性がある。北海道は原日本人で先住民族の縄文人が全道に住み始めた紀元前八千年前の縄文時代の開始より一貫して日本人・日本国の領土であった。アイヌは、続縄文時代に、北海道に侵入侵略したシベリア産の異民族「外国人」である。

 なお、これら江戸時代の津軽アイヌは、国籍を付与されたことに伴い、寺に檀徒として登録し仏教徒となり、羽織袴も揃え髭を剃り髷も結ったようだ。なお、それまでの税免除の立場から自作農民と同じ租税(生産物の約三割を物納)を支払うに至ったか否かについては調査中。 

(2021年3月22日記)

 

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