旧皇族の復籍/公家の復活/皇族会議の復活/天皇任命の(閣外)宮内大臣/刑法不敬罪の復活/憲法第一条改正を、日本国は急がねばならない──眞子「元・内親王殿下」は、皇室安泰/皇統悠久への正しき方策に日本国民を再覚醒させ導かれた聖天使

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 10月26日の眞子「元・内親王殿下」の記者会見ご発言を拝した時、私の頭は清澄に整理整頓された。まず、昭和天皇の(表題にリストした)ご遺詔が幽かに聞こえてきて決意を新たに漲らせて頂いた。眞子「元・内親王殿下」は、奈良県三輪山の麓に近い箸墓(はしのみはか)に眠られておられる百襲姫(支那人の表記では「卑弥呼」)のような霊妙な神力(しんりき)をお持ちなのかも知れない。次に、この数分間の殿下ご発言中に、次のABCが私の脳裏を駆け巡った。

A、孔安国『古文孝経序』にある「君、君たらずといえども、臣はもって臣たらざるべからず」。

B、明治憲法が定める“天皇の聖性と尊厳護持の無答責”条項。具体的には第三条「天皇は神聖にして侵すべからず」と第五五条「国務大臣は天皇を輔弼しその責に任ず」の総合。

C、朝廷全体の大ブーイングの中で崩御された称徳天皇の陵は、なぜあれほど大きいのか。

 内親王殿下はまるで“荒野のガンマン”を彷彿とさせる勇者のようであられた。「捏造スキャンダルが商売のイェロー雑誌類や新聞テレビ報道が、言論の自由や報道の自由を盾に、天皇や皇族を安易に揶揄し中傷し、誹謗の暴言を洪水のように垂れ流す日本とは、天皇を奉戴する立憲君主国としてあるまじき事態で、このまま放置すべきでありません」と、自らへの攻撃が激しくなるお覚悟で敢然とご批判なされたお姿は、ただただ感無量。

 一般日本国民は、今般の眞子・内親王殿下の“令旨”を奉戴し、天皇・皇族に対する中傷誹謗の集中砲火に狂奔する暴力団まがいのマスメディア特に週刊誌/月刊誌に対しこれを懲罰する剣を抜いて斬りこもうではないか。日本国民ならば、「皇室の尊厳を守り抜く」義務から、逃避することは許されていない。週刊誌の全て&月刊誌『文藝春秋』の皇室記事は、例外ひとつなく、偽装肩書「皇室ジャーナリスト」の、正体は皆“札付き共産党員”が書きなぐる皇室讒謗記事ばかり。

第一節 臣下・国民の天皇・皇族批判は許されない──称徳天皇の場合

(1)日本人とはかつては嗜みと美しき徳性を備えた、世界的にも紳士淑女に満ちた品性の高い民族であった。日本人が下品になったのは、日露戦争が終了して直ぐからで、江戸時代に武士として幼少期・少年期を過ごした武家出身者が1906年頃に大量に引退し、入れ替わるように、明治維新後に育った旧農民・旧商人階級の子弟が旧武家を出し抜く平等出世社会が現出したからである。

 さらに1926年に入り、東京帝大や京都帝大あるいは静岡高等学校(旧制)などでは、マルクス/エンゲルス/レーニン/ブハーリン/スターリンが読み漁られる、“どこもかしこも赤ばかり”が常態になった。この赤一色の動向は、1929年のウォール街の株の大暴落でさらに加速し、日本のインテリで社会主義者・共産主義者でない方が珍しい大赤化時代に日本は突入した。この結果、テロル礼賛の詭弁「社会主義・共産主義体制を目指せばテロの殺人でも《愛国行為》だから《合法》」が、1932年以降の日本人の“狂”常識になった。

 それはまた、天皇制廃止をテロルで遂行する“天皇・皇族殺し”が、近衛文麿や陸軍の大東亜戦争の公然たる目的となった時代の到来でもあった。大東亜戦争に国民を駆り立てる初期行動5・15事件/2・26事件も、昭和天皇に対し“お前が音頭を取って日本を共産化しろ、しないなら、お前を殺すぞ”という意味の、昭和天皇への脅迫。日本の共産革命に反対なされる昭和天皇の銃殺こそ、大東亜戦争の戦争目的の筆頭であった。だから、“スターリンの手先”阿南惟幾・陸軍大臣の8・14宮城クーデタは、昭和天皇銃殺も辞さない、共産主義者特有のレーニン型テロルだった。

 飢餓と餓死に国民を瀕させることによって日本人から倫理道徳を剥奪し殺獏たる動物化へと改造することもまた、大東亜戦争の戦争目的の一つだった。このように一億日本人を皆殺しする“狂気”である「一億玉砕」に酔いしれる“赤い狂人国家”日本を、スターリンと共産主義者の魔手から救出し、本来の日本国に戻してくれたのがマッカーサー元帥の米国にほかならない。

 が、この“スーパー親日”GHQの“日本再生”遺産は、マッカーサーが厚木に進駐して二十三年後の1968年頃にはすっかり消えた。その後の日本は、大東亜戦争期に完全に回帰して反・道徳/反・科学/反・歴史/反・天皇/反・市場経済の野蛮未開なレーニン型共産国家への自己改造に驀進するのみ。今は最後の段階。もはや日本は国家の體をなしてはいない。

(2)現在の眞子「元・内親王殿下」バッシングもまた、1930~45年の赤い日本に回帰させるべく、共産党が天皇制廃止を目標に緻密に練りあげた戦略で進められている。眞子「元・内親王殿下」を潰せば、確実に秋篠宮家潰しに至り、これによって悠仁親王殿下の天皇即位に決定的なダメージを与えうる。次の『週刊新潮』10月7日号の見出しは、この共産党のプランが正直に書かれている。

秋篠宮家は不要!? 眞子さま&小室圭さんが招いた恐るべき世論」(注1、20~1頁)

 『週刊新潮』の編集部員(社員)七名のうち共産党員が一名おり、同誌では皇室記事はこの共産党員しか書くことができない編集慣行。が、この共産党員の編集部員(副編集長?)は、世論の動きを全く掌握していなかった。今、世論は「眞子さま、おめでとうございます」が大半。2020年末頃から、世論は徐々に変化し、眞子「元・内親王殿下」支持者がぐんと増えた。しかも、眞子「元・内親王殿下」の人徳は半端ではない。それを逆さに僻んだ『週刊新潮』は、世論の読み違えを犯している。

 それだけではない。世論は、「仮に女性皇族が、罰点の母親を持つ男性と恋に落ちる暗愚な間違いを犯したとしても、それをもって国民がこの女性皇族を非難する資格などないし、むしろ黙して支持・祝福するのが国民の務めだ」と考える日本人の方が圧倒的多い。かつての武家社会での道徳規範「君、君たらずといえども、臣はもって臣たらざるべからず」は、日本人の血肉なのだ。

(3)この支那から輸入された武家社会の規範は、実は、それ以前の日本でもすでに規範だったようで、奈良時代の晩期、称徳天皇の崩御の時にも美しく開花している。

 私は十年以上も前だが、旧・平城京址の北辺「西一坊大路」の称徳天皇の御陵「高野陵 たかののみささぎ」に佇んだ時、日本人が高い倫理道徳の民族だったことが蘇り、一方、倫理道徳を完全に喪失して家畜の豚と変わらぬ現在の日本人に怒りと溜息を吐いたことがある。まず、この陵の特性を思い出そう。

1、築造は770~1年。日本最後の前方後円墳は、620年頃の檜隈大陵(ひのくまのおおみささぎ)だから(備考)、この前方後円墳は、それから丸百五十年を経ている。当然だが、この770年、前方後円墳を築造できる技術者など一人もいない。高野陵は築造中なんども盛土が崩落したようで、この崩落のまま堀に水を張り、完全な形に造成するのを断念したようだ。

 すなわち、高野陵が奇妙な形の前方後円墳なのは、土木工学的に蓋石の積み上げ方法がサッパリの素人集団が築造したからだが、問題は、側近の臣下はなぜ、称徳天皇の陵を、築造技術が完全消滅している前方後円墳にこだわったのか、である。

(備考)前方後円墳の最初は、248年に薨去された百襲姫の箸墓(はしのみはか)。258年頃に完成。この620年時点で考えれば、天皇・皇族の前方後円墳は三百七十年間は基本形だった。

2、また天皇の御陵は、天智天皇のですら方形で大幅に小さくなったように、七世紀前半に劇的に変化した。天武天皇・持統天皇の合葬陵はさらに小さい。元明・元正天皇の御陵は(仁徳天皇陵に比すれば)豆粒。すなわち、御陵のミニ化が始まって既に百年以上が経っているのに、何故に称徳天皇に限って突然に全長127メートルという(当時の御陵の基準をはるかに逸脱する)大きな御陵にしたのか。

 その理由を、仮にも“仏教の興隆に貢献”を考慮したなどとするのは、六級学者のお門違い。仏教興隆への感謝は、諡号「称徳」で十全に反映されている。称徳天皇以上に仏教興隆に貢献した聖武天皇の小さな御陵を見れば、「御陵と無関係」は一目瞭然。

 私は、次のように仮推定した。

a、前方後円墳は、《「後円」は妊婦のお腹、「前方」は「女性の産道」》を模したもの。この形は崇神天皇の御代、朝廷内の土木技術者が最初の発案者。恐らく縄文思想の「もう一度この世にお生まれ下さい」からの発想を設計したもの。すなわち、称徳天皇の崩御に際し、周辺の臣下たちは、「称徳天皇陛下におかれては、もう一度、是非ともこの世にお生まれいただこう」「今度は、天皇ではない、一皇女として通常の幸せな人生でありますように」との祈りを込めたのであろう。

b、もし、そうならば、称徳天皇は(皇統に属さない市井の一僧侶に皇位を禅譲する)道鏡事件という、許されざる叛逆的事件を引き起こされたが、臣下は誰一人として僅かも(勅命違反の不敬罪で大隅に流罪に処せられた和気清麻呂を含め)この大事件をもって崩御後の称徳天皇を責めてはいない。むしろ逆。称徳天皇の崩御に際し、臣下はこぞって称徳天皇を称えて泣き悲しんだ。時代錯誤の御陵というべき前方後円墳も、「そのような大叛逆事件を犯されるような状況に追い込みました責任は、私ども臣下が至らなかったからです。この前方後円墳をもちまして、どうかご容赦願い奉ります」と、称徳天皇にお詫びする“臣従と忠誠の精神”の表明なのだろう。

c、また、聖武天皇を超える盛大な大喪の挙行や、技術者不在で築造困難な御陵を、近畿一帯から役夫6300人を集め突貫工事で一年を経ずして完成させた事実を勘案すると、道鏡事件という反・皇統の罪については、誰一人も陛下を難詰していないのが明らかとなる(『続日本紀』「称徳天皇紀」、注2)

 仮に私のこの仮説が正しい場合、臣下は重大な瑕疵を犯した天皇を僅かも糾弾してはならない/その非は全て臣下が負う“無答責の原則”が、古代法でも絶対的な“法”(コーク卿の“法の支配”の法)だったことになる。井上毅は、憲法第三条&第五五条第一項をもって明治憲法に「天皇の無答責」を明文化したが、これも“称徳天皇の道鏡事件”に対する“770年朝廷の処理”の延長上ということか。

(備考) “天皇の無答責”の明文化は孝徳天皇・天智天皇の頃に始まっており、井上毅が最初ではない。

 なお、井上毅の金言「天皇は指斥言議の外に在る」(『憲法義解』、注3)に違背する皇室讒謗は、共産党と裏で繋がっていた“日本人皆殺し狂”(廃墟主義)アナーキスト西尾幹二の“不敬の狂書”『皇太子さまへのご忠言』(2008年)に鼓舞されて以来、日本で大増殖し続け、今もその勢いが止まらない。

 現に、“極悪の共産党シンパ”西尾幹二の2008年「皇族殺し言論」は、2021年の“共産党員活動家”河西秀哉/木村草太へと継承されている。西尾幹二の舎弟で凶悪な“天皇制廃止狂”花田紀凱(北朝鮮人)の赤い気炎は、2021年の北朝鮮人・坂上忍や小木博明(芸人)or宮根誠司に引き継がれている。

 日本国民は今こそ、新聞テレビ&出版界が暴虐の限りを尽くす「天皇・皇族への指斥言議」を許さずにひたすら徹底排撃する、日本国民に生まれた光栄なる義務を、剣を抜いて履行する真っ只中にいることを自覚せねばならない。

“ご懐妊の禁止”を強いられる女性天皇は、寂寥と錯乱の人生が不可避。称徳天皇は悲劇の女帝。

 私は2004年、“仁川産コリアン四世”小泉純一郎の“女系天皇による天皇制廃止”を阻止すべく、「第二の井上毅」「第二の和気清麻呂」たらんと決心し、皇位継承学という新しい学問分野を構築してきた。全ての学問は古今東西に普遍的に、一人によって突然変異的に構築されるもの。学問は皆で作る、そのようなことは極めて稀。例えば、日本の国語学は本居宣長、民俗学は柳田國男、電気製品工学はエジソン、再生細胞学は山中伸弥・・・・などを思い出すこと。

 この意味で、私にとって、和気清麻呂は師匠以上に仰ぐ偉大な歴史上の人物。しばしば、皇居お濠端(気象庁近く)にある和気清麻呂公の銅像に拝礼しに出かけている。が、正邪に分かれた和気清麻呂と称徳天皇の関係において、私は「邪」称徳天皇に対し深くご同情申し上げ、ご非難する気など全く起きない。

 間違いを犯したのは父帝・聖武天皇だと考えるからかも知れない。称徳天皇に対し、天照大神に仕える斎宮と同じく、「ブッダに仕える斎宮になれ」「生涯独身の女性天皇(処女天皇)になれ」と命じられたことは、どう贔屓目にみても、皇室伝統にはない新規で奇怪千万な制度。とても正気の命令とは思えない。

 しかも、称徳天皇の母(史上初の非皇族出身の皇后)は、聖武天皇の皇位を簒奪して自ら天皇になろうとした野心家で、これまた正常とは程遠い皇后。大伴家持が、光明皇后を誅殺せんと、聖武天皇に「クーデタを御命令して下さい。準備完了しています」と迫った歌が「海行かば 水浸く屍 草生す屍 大君の辺にこそ死なめ・・・」である。が、聖武天皇は、皇后誅殺の命令を出さなかった。

 日本史に女性天皇が八名おられる。うち七名は(次期男性男子天皇に皇位を継がせる)“中継ぎ”だから、文字通りの女性天皇は称徳天皇お一人しかおられない。このため、皇位継承学では「女性天皇を論じたいなら、称徳天皇を先ず論ぜよ」がイロハ。

 称徳天皇と言えば、第一に、僧・道鏡との性的関係があったか否かが論じられがちだが、この問題は史料から窺うことはできない。あったと仮定しても、高齢になられ更年期を過ぎ万が一にもご懐妊される可能性ゼロになった孝謙上皇になられた後で(ご不例の際、病気快癒祈願で有名な僧侶・道鏡が呼ばれたのが切っ掛け)、皇室の絶対伝統規範「女性天皇の懐妊の絶対禁止」を完璧に遵守されておられる。

 論ずべき第二は、称徳天皇は皇太子時代から数多くの若き男性皇族に囲まれておられるのだから、二度や三度は恋焦がれた方が現われたはず。すなわち、称徳天皇はそれを押し殺す計り知れない精神的苦痛の二十五年(15歳~40歳)以上が人生の前半を占められたと拝察できる。

 皇位簒奪事件以外の、いわゆる「道鏡スキャンダル」は、崩御から六十年が過ぎた、当時の宮廷関係者が全員物故し、証言ゼロの平安時代初期に巷間で流行した伝説である。信用できないデタラメ一色だが、仮に本当だとしても、私はご同情を深く感じる以外の感興が、全く起きない。

 男性を一歩も近づけてはならない女性天皇の道を少女の阿倍内親王(のちの称徳天皇)に命じた聖武天皇への疑問の方しか、私の思考は稼働して行かないからだ。「女性天皇になれ」など、正常な人間性を持つならば発想することはできない、酷いご命令この上もない、と考えるからだ。

 現に、伊勢神宮の、皇女が少女時代に任命される斎宮は、その静寂で森閑とした環境において恋に落ちる環境がそもそも存在しないから、生涯「未婚(処女)」であり続けることは、さほど難しいことではない。一方、激しい熱気に満ちた政務が執り行われる朝廷は伊勢神宮とは真逆で、適齢期の凛々しい若き皇子で溢れている。このような、当時の地球で最も華やぐ首都・平城京で、「伊勢神宮の斎宮たれ!」など、父帝・聖武天皇の過度に異常な仏教“狂”には呆れる外ない。

女性天皇とは、苛烈に残酷な“女性の不幸”を強いられた「第二の称徳天皇」を繰り返すこと

 2007年3月だったか、JR京都駅から近鉄「京都線」に乗り大和西大寺駅で降り、私は称徳天皇の陵にお詣りした。「愛子内親王殿下が女性天皇を強いられ、ご不幸を極める人生に決して陥られることのないよう、どうか称徳天皇様、女性天皇制度という“女性天皇殺しの血塗られたカルト教団”共産党が主導する悪魔の反・皇室制度を粉砕して下さい」と、鳥居を遠くに拝する門扉の前で祈り、二拍と拝礼を繰り返した。なお、ここは陵。正しくは称徳天皇の菩提を弔うべきで、これから参詣される方は、(私が迂闊にも忘れた)線香一束とライターを持参されたい。この鳥居は(「ここから奥は立ち入り禁止」の)聖域としての標識で、神社の鳥居ではない。

 それから十四年。今なお、“天皇殺しの血塗られたカルト教団”共産党を信奉する“赤い気狂い集団”朝日新聞やNHKほかテレビ局全て、「愛子内親王殿下よ、天皇に祭り上げて地獄の日々に突き落としてやるぞ」と愛子内親王殿下への憎悪を爆発させ、天皇制度の廃絶に直行する共産革命「女性天皇/女性宮家」を創らんと、日本人を洗脳する赤いフェイク情報を刷り込むプロパガンダ報道をし続けている。彼らは赤い悪魔の共産主義者。正常な人間性など一ミリも存在しない。

 道鏡「皇位禅譲」未遂事件の罪過において、日本人の中では、称徳天皇を揶揄嘲笑するものが後を絶たない。だが、称徳天皇を指弾するなら、共産党・朝日新聞・NHKの「女性天皇/女性宮家」洗脳フェイク報道を徹底糾弾した後にすべきだろう。共産党・朝日新聞・NHKその他がなす「女性天皇/女性宮家」洗脳フェイク報道を徹底糾弾しない称徳天皇非難は、整合性を欠いた露骨な矛盾。

第二節 旧皇族の復籍/公家・皇族会議・不敬罪の復活/憲法一条改正

 10月26日の眞子「元・内親王殿下」の、ご結婚記者会見は、天皇制廃止狂の共産党員や北朝鮮人を次々に炙り出す“皇統護持の正面攻撃”を展開するもの。怜悧・聡明な持統天皇の再来を私は観想したが、東郷平八郎の日本海海戦の大勝利もふと脳裏を走った。痛快この上もない“元・内親王殿下のご快挙”に、standing‐ovationしなかった輩は、真正の日本国民ではない。

日本から一掃すべきアクドイ共産党員の素性を丸出しの、「英国王室ジャーナリスト」多賀幹子

 この炙り出された共産党員「皇室ジャーナリスト」の一人に、お茶の水女子大教育学部在学中、民青活動家として活躍した真赤な多賀幹子がいる。自称「英国王室ジャーナリスト」だが、今般は動顛したのか、正体隠しの白粉を塗りたくる厚化粧をする余裕がなかったようだ。

 FNNプライムオンライン2021年10月28日付で多賀幹子は、共産党から手渡された手引き書を丸写ししてギャーギャーと喚いている。“非国民のお決まりスローガン”「眞子さん会見は、国民を分断してしまった」「国民を分断してしまうようなロイヤル(皇族)を私たちは求めていない」、と。

 天皇制廃止に狂奔する“大量殺人教のカルト信者”共産党員や“日本国を絶滅するまで破壊しよう”のヴァンダル北朝鮮人たちは、初めから日本国民ではない。“凶悪な非・国民”の代表格。眞子「元・内親王殿下」は、日本国民を分断されてはおられない。記者会見を賢明にもご活用され、これら“凶悪な非・国民”を難詰して炙り出され、われわれ日本国民に「ここに非国民がいる!」と、畏れ多くも警告して下されたのである。われら真正な日本国民は、“令和のジャンヌダルク”眞子「元・内親王殿下」の麾下に従い、非・国民退治に剣を抜いてただただ突撃するのみ。

 天皇・皇室の最大の務めは皇室の永遠を護持することで、これ以上は何もない。具体的なお仕事は、二千年受け継がれてこられた祭祀を怠られることなく、また(今から千二百年前の)平安時代初期に確立した皇室伝統儀式を繰り返されることであって、それ以外は何もない。それを、共産党員・多賀幹子は、アクドイ手品師なのか、スリ師なのか、意味不明な「皇室は国を纏める統合の意味合いが強い存在ではなかったか」「国民の支持と敬愛があってこそ、王室は輝く」に摺り替えている。

 本末転倒とは、このような“極赤”共産党詐言を指す。「日本国民とは、天皇・皇族を一方的に敬仰して奉戴申し上げる“義務に生きる”民族」だから、「国民の支持が必要」とは、天皇・皇族を選挙で選ばれるアホバカ劣等政治家に同一視し貶める不敬きわめる讒謗語。“敬愛は、天皇・皇族が国民に注がれるもの”で、これを逆さに“国民が天皇・皇族を敬愛する”など無礼千万。

 天皇・皇室は国を統合するのではない。国民が一致糾合して皇室を崇めている状態が「統合」の謂いである。国民が積極的に自ら「統合する」が故に、日本国はさざれ石のごとくに自ずと堅固な一つの巌(いわお)となる。

 また、天皇・皇族は、その御存在そのことにおいて輝いておられる。東京駅を降り皇居前広場を二重橋に向かって歩くと、夕方でも皇居が旭日の中で光り輝いている。いつなんどき仰いでも、神が住む皇居のお姿は、宇治橋を渡って伊勢神宮の神域に入った時の神々しさに包まれている。

 天皇・皇族は永遠の太陽であり、常に光り照り輝いている。「国民の支持」など、害毒著しい粗大ゴミで不要の極み。天皇・皇族が常に日本国民に注がれる、霊的・神的に煌めく聖なる光とその輝きが見えない者は、非・国民の証左。日本国から出ていくべき侵略者である。

 また、嘘付きコミュニスト多賀幹子は毒蛇の“赤い二枚舌”を出し、「眞子さんは国民に対する親しみや愛情が感じられない」「私は後味が悪かった」と、公然たる誹謗讒謗をなす。なぜなら多賀のダーティなトリック言辞は、「眞子さん」と呼んで“皇族でない”としておきながら、国民への親しみや愛情という責任を持つ“皇族である”に前提をスッと転換し、眞子「元・内親王殿下」を攻撃している。“赤い犯罪者”多賀幹子のエセーは、読めば読むほど「後味が悪く、嘔吐を催す」。

 多賀はまた「私はただお祝いをしたいだけ」と、赤い舌で嘘をエスカレートさせる。だったら、私の前稿の冒頭が基本形だが、多賀エセーのどこにも祝意の言葉が一文字もないのは、どうしてなのか。

 多賀幹子とは、共産党の命令に従い、KK問題であらん限りに眞子「元・内親王殿下」を攻撃し、「秋篠宮家潰し→悠仁親王殿下の即位妨害→天皇制自然消滅」を目指している“赤の中の赤”。だから、どうしてもKK問題をいつまでも延々と続ける必要があるが、眞子「元・内親王殿下」の手短な反撃によってそれが不可能になった悔しさで、多賀は眞子「元・内親王殿下」に八つ当たりし、暴言詭弁の連発。

旧皇族の全員が復籍し、堂上公家も全員皇居内に居住していれば、KK問題は起きたか

 今般のKK問題で論ずべき最核心は、皇族の皇配(=“お相手”)を供給する旧皇族や堂上公家が存在しないことで生じている、この深刻な大問題の方である。すなわち、旧皇族の復籍や堂上公家の復活を主張しないで、KK問題を糾弾したり、また眞子「元・内親王殿下」に対して非難の大合唱をするのは、やらずぶった切りの凶悪ヤクザの口吻に同じ。譬えれば、ある若い女性アスリートに三日三晩も食事を与えず、百メートル陸上競走に出場させ、「転倒するとは何事か、十一秒を切って日本新記録を出せと命じたはずだ」と喚いている気狂いコーチと何ら変わらない。

 天皇・皇族の皇配は古来から、皇族か、定められた堂上公家に限られていた。だが、戦後、公家制度は内閣法制局次長のコミュニスト佐藤達夫がその廃止をGHQがなした如くに偽装して独断で敢行した。本人が回想記に「公家制度の廃止は俺一人の功績だ」と自慢している(注4)。GHQは全く関与していない。一方、旧皇族「十一宮家」の皇籍剥奪の方は、コミュニスト加藤進・宮内次官(官制変更で自動的に「宮内府次長」)が主犯となって、ダイクGHQ民間情報教育局長と大蔵省その他とチームを組み、昭和天皇を騙す“不敬の極み”をもって決行した一種の宮廷内クーデタであった。まさに日本史上に類例をみない大犯罪であった(注5)

 そして、最も重要な歴史事実。天皇の藩屏たる公家制度も十四宮家の存続も“当たり前”と考えていた王制主義者マッカーサーにとって、日本側が密かに1946~7年に進めた、自然的な天皇制度消滅への一里塚「公家制度の廃止」「十一宮家の皇籍剥奪」は、全くの寝耳に水であった。マッカーサーは、途中の経過報告すら何一つ受けてはいない。ウィロビー少将は、共産主義者ダイクをGHQから急ぎ追放したが、日本側コミュニスト群の策謀は既に慣性力が大きく、この阻止には間に合わなかった。

 ところが、戦後の日本の学界と新聞記者たちは、上記の歴史事実を知っていながら意図的に改竄し、偽情報「GHQが旧皇族十一宮家の皇籍剥奪をなした」「GHQが公家制度を廃止した」を流した。そして、この嘘をさらに徹底的に一般国民に刷り込んだのが、“共産党の別動隊”日本会議である。日本会議の事務総長・椛島有三は共産党とグルで“新天皇の元号制定権を剥奪する”悪魔の元号法を立法したその立役者。また、KGB工作員で北朝鮮人・名越二荒之助(党籍を持つソ連共産党員)と組む椛島有三は、北方領土をロシアに貢がんとしてきた“黒色の対ロ売国奴”である。

 話を戻す。もし旧皇族十一宮家が復籍しており、さらに堂上公家全員が制度的に復活していたら(注6)、眞子「元・内親王殿下」がKK氏と恋に落ちることなどありえただろうか、と想像してみよ。万が一にもそのようなことは発生していないと確信するはず。皇族は皇族間で婚姻する古来からの習いに従ったはずだからだ。すなわち、ご結婚相手の皇族が不在という情況において、KK問題は「起こるべくして起きた」のである。マーフィーは、これをIf anything can go wrong, it will.という。

 なお、堂上公家は六階級に分かれ、上から「摂関家の五家」「清華家の九家」「大臣家の三家」「羽林家」「名家」「半家」。陸軍階級でいえば、それぞれ「陸軍中将」「陸軍少将」「陸軍大佐」「陸軍中佐」「陸軍少佐」に相当する。左大臣や右大臣になれば「陸軍大将」に昇格し、太政大臣という位を極めれば元帥、と考えれば解り易かろう。堂上公家の中で皇族の皇配となりうるのは、伝統に従えば、原則として摂関家と清華家のみ。大臣家が例外的に認められることがある。

 公家制度の復活を主張している知識人は、日本ではとうとう私一人しかいない。私は東大在学中の1965年から、公家復活を口酸っぱく国会議員を説いてきた。が、自民党国会議員で動いてくれた者は一人もいなかった。日本では皇統断絶の天皇制廃止に、私一人を除き、無意識のコンセンサスができている。なお、公家復活のテキストは、拙著『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』(注6)第三章第二節が、日本唯一の出版物。もし、日本国民であるとの自負があるなら、この丸暗記は必須。

不敬罪の復活/憲法第一条「天皇元首の明記」「国民主権の削除」改正/皇族会議の復活!!

 眞子「元・内親王殿下」が、畏れ多くも10月26日に発せられた“令旨りょうじ”は、次のa/bだけに限らない。次のc/d/e/f/gもある。私は感激しつつ押し戴いた。

a 「旧皇族の復籍を急ぎなさい」

b 「公家制度を復活しなさい」

c 「刑法不敬罪を復活しなさい」

d 「天皇を元首と明記して/国民主権を削除する、憲法第一条の全面改正をしなさい」

e 「皇族会議を復活しなさい」

f 「皇室典範第二十三条が定める敬称《陛下》《殿下》を新聞テレビ報道で徹底遵守させなさい」

g 「閣外の宮内大臣を置き、現在の内閣官房長官が不在の閣内宮内大臣を代行する歪な官制を是正しなさい。この宮内大臣や侍従長は、天皇が任命する勅任官とし公家にしなさい」

 以下、cdefgにつき、簡単なコメントをしておく。

 まず、cの刑法不敬罪だが、1947年の改正刑法審議国会で野坂参三が提案して、あっという間に、刑法から削除された。1947年当時、共産党政権ができるかもしれないと、共産党でない国会議員の中には共産党にゴマを擂る輩が多かった。(ウィロビー少将らの1946年秋からの本格的反撃がようやく実を結び)GHQがあからさまに「反共」を打ち出し、日本共産党弾圧に乗り出したのは1948年夏から。GHQは一年遅かった。

 確かに、刑法不敬罪があれば、今般の眞子「元・内親王殿下」に対する中傷誹謗は影を潜め、無かっただろう。なお、KK氏への中傷誹謗の多くは、民法の“不法行為”である名誉棄損に該当しても、刑法名誉棄損罪が適用されるのは小木博明ぐらい。フジテレビが小木博明を処分し「坂上忍のバイキングMORE」から出演禁止を措置しないのは、明らかな「放送倫理」違反。とすれば、MCの北朝鮮人・坂上忍に対し厳重注意以上の処分をしなかったフジテレビは、二重に放送倫理違反を犯している。

 小木は、自分がさもハーバード大やスタンフォード大Law School卒で学位JDを持っているかのように、KK氏のフォーダム大Law School入学を“真赤な嘘誹謗”「普通だったら入れない不正入学」だとテレビ放送で嘘宣伝を流した。米国の大学院入学は書類審査だけなので、これは万が一にもあり得ない。「学歴批判は、それよりも高い学歴・高い学識の者しかなしてならない」は、絶対ルールである。ところが、小木博明は、米国の大学院に留学もしていないどころか、フォーダム大JDに比すれば、野良犬と変わらぬ極め付きの無学歴。誰か、お台場近くの警察署に名誉棄損罪容疑で、暴力団より下劣・狂暴な小木博明を刑事告発してほしい。また、小木博明を処分しない“無法キー局”フジテレビに対し、抗議のfaxを百万本ほど送り付けよう。

 次、d。憲法第一条に、日本人の“過激スターリン教徒”鈴木安蔵らがGHQ民生局の共産主義者ケーディス大佐に懇願して挿入させた、ルイ16世をギロチン処刑した「国民主権」という血塗られたフランス革命語がある。今般の眞子「元・内親王殿下」に対する怖れを知らない野蛮人たちの中傷誹謗は、「俺様は主権者だ。皇室にどんな罵詈讒謗を浴びせても許されるのだ」とばかり、この憲法第一条を意図的に曲読し暴徒並みにやりたい放題にエスカレートしたとも解される。

 だが、憲法第一条にある「天皇の地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」は、全く別の目的から挿入された。無実の罪で理由なく戦争をふっかけられて怒りに燃える米国内で巻き起こっている「昭和天皇を処刑せよ」「天皇制を廃止せよ」の、太平洋戦争が終了した直後のアメリカ世論を鎮静化する目的の条文。これに対しGHQは、ヒトラーと同じに扱うか否かは、日本国民の判断に任せて米国は傍観しようではないか、の“アメリカ国民に冷や水を浴びせる”目的で作った条文である。

つまり、「昭和天皇は無罪ですらなく、それ以前に、起訴する訴因すら存在しなかった」が確定した東京裁判判決(1948年秋)によって、この条文「天皇の地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」は死文となった。憲法改正して削除すべきは当然。急ぐべきである。

 e/f/gは、省略。

第三節 共産党員の“天皇制廃止狂徒”河西秀哉/木村草太を排撃せよ

 “天皇・皇族殺し”を最終目標に、天皇・皇室問題を共産党の革命アジェンダに沿って改竄して国民を洗脳するアジプロ専従の共産党員&北朝鮮人を、朝日新聞の週刊誌『AERA』からリストすると、11月1日号で河西秀哉/木村草太、11月8日号で東浩紀が選ばれている。これら札付き革命家たちは、致死性有毒ガスVXを日本人の頭に撒き散らすのを職業としている。日本から叩き出さねば日本国が危ない。表1にまとめておいた。

表1;朝日新聞好みの“天皇・皇族ギロチン殺し”をアジる凶悪プロたち

共産党員が大繁茂する“朝日新聞のクローン”文藝春秋社は、執筆者全員を共産党員にした

 上記の『AERA』記事に言及する前に、共産党員・河西秀哉が、文藝春秋社の「文春オンライン」10月23日付で共産党の公式見解を発表しているので、先にそれを垣間見よう。そのタイトルは、天皇制廃止に爆走する共産党の珍語狂句(ゴチック)が満開で、笑ってしまった。

「眞子さま三十歳に。小室圭さんとのご結婚で、国民の象徴天皇観分断。《意志を持つ皇族をどう受け止めるか》」

 日本国民には“天皇観”はあるが、共産党員ではないから共産党語「象徴天皇」を用いた“象徴天皇観”などあろうはずもない。共産党は、「天皇は元首でない」を強調したく、奇天烈な狂語「象徴天皇」を造語した。また、皇族はロボットではなく人間であるから、意思を持つのは当たり前。だが、殺人狂の狂人カルト宗教教団「共産党」は、天皇・皇族は共産党の命令通りに動き/喋るロボットであれ! 意思を持つな! と、自分たちの狂った宗教信条を天皇・皇族に強制してきたし、これからも強制したいのである。

 現に、共産党は、この四年間に亙って「おい、眞子野郎、結婚するな! “天皇制自然消滅の特効薬”である女性宮家という俺たちの秘策的な謀略がぶっ飛んでしまうじゃないか」と、眞子内親王殿下に対し恫喝してきた。しかし、聡明で怜悧な眞子内親王殿下は、ご立派にも結婚の意思を貫かれた。そこで怒り心頭の共産党は、《意志を持つ皇族をどう受け止めるか》という反語的な表現で、《皇族には意思を持たせてならない》の革命方針を徹底再強化することにした。

 分断は、眞子内親王殿下のご結婚強行のお蔭で、良識ある日本国民がこぞって眞子内親王殿下支持に転向したこと、及びKK氏やその母親に対する罵詈讒謗の言辞が“共産革命”女性宮家「策謀」だったのかと、その背後に天皇制廃止の赤い炎を感じだした情況を指す。つまり、一般国民が、共産党主導の“結婚反対”キャンペーンに洗脳されなくなった情況を、共産党は「分断」と命名した。

 タイトルの分析は此のくらいにして、文春オンラインの河西秀哉の本文を考察しよう。最初に私の目に飛び込んできたのが、女性皇族はご成婚と同時に皇籍離脱をする絶対ルールが二千年間も続いている“皇室の法”も知らない、次の河西秀哉の無知蒙昧文。呆れて絶句するほかない。「眞子内親王殿下は、皇室を離れたい/皇族の立場を離れたいという思いを強くさせ(そこで、KK氏との結婚を決意された)」と書いているからだ(丸カッコ内中川)

 河西秀哉は、一日十回嘘つくことが義務付けられているカルト宗教団体の信者(共産党員)として、「殿下がKK氏と結婚がしたくてしたくて堪らない、その一心だった」事実を180度ひっくり返し真赤な虚偽を創作している。内親王殿下は、いわゆる恋は盲目的にKK氏と結婚したくて、その意思を貫かれただけである。女性皇族は五歳頃になると誰でも、結婚と同時に皇籍を離脱することをうっすらと理解されている。「皇籍離脱をしたいから、KK氏との結婚を選択された」とは、本末を転倒した事実無根の讒謗讒言の類。

 また、“赤い悪魔”河西秀哉は、「眞子内親王殿下は、国民を信じられないという気持ちを抱くことになった(のでKK氏との結婚を決意された)とも書いている(丸カッコ内中川)。これは、「ICUでの留学説明会のとき、恋に落ちた」のでなく、「国民を信じられなくなったので、恋に落ちた」との偽りの主張。この河西秀哉のトンデモ言辞から、読者は、箴言“共産党員は皆、狂人”の真理性が理解できただろう。

 殿下のマスメディアに対する不信感は2017年からで、殿下はすでに26歳になられていた。また、この不信感は、KK氏との結婚に関する(共産党支配の)週刊誌記事に限られていた。すなわち、“赤い大嘘つき”河西秀哉は、事実「週刊誌に対する不信感」を、“架空のデッチアゲ”「国民に対する不信感」に摺り替えている。また『女性自身』『週刊文春』『週刊女性』『東スポ』等では、共産党員が眞子内親王殿下のKK氏問題を書いてきた。これらイェロー週刊誌が、どうして日本国民なのか。

河西秀哉ら共産党員は、事実をデッチアゲの嘘に摺り替える“悪魔の偽情報垂れ流しプロ”なのだ

 この河西秀哉の摺り替えは、延々と続いて止まらない。例えば、秋篠宮殿下の「納采の儀は行わない」というご決断について、次のような真赤な嘘を捏造する。オウム真理教の百万倍の大量殺人を信仰ドグマとする共産党らしい大嘘。

「象徴天皇の地位が国民の総意に基づくものである以上、秋篠宮は国民から理解される結婚でなくてはならないと考えたのだろう」。

 アホか。KK氏の母親が皇室の縁戚となることは、私もそうだが、国民のほとんどは納得できない。秋篠宮殿下はIQの高い頭脳明晰な皇族。故に、「縁戚関係になることへの国民の嫌悪感」と「眞子内親王殿下の結婚の強靭な意思」の双方を満たす大岡裁きとして“納采の儀をしない”を思いつかれた。私は、この報道を聞いた時、思わず立ち上がって「お見事!」と叫んでしまった。

 納采の儀は、一般国民で言えば結納に当たる。それは、両人の結婚を控えて家と家とが親族・縁戚となることを了解する儀式である。すなわち、納采の儀をしない事は、“皇室はKK氏の母親とは一切関係しない/縁戚関係にならない”と公式宣言したことと同じである。

 ところが、共産党員・河西秀哉は“赤い気狂い”。秋篠宮殿下の「皇室はKK氏の母親とは縁戚関係にはなりません」の行動を、全く異次元で関係性ゼロの「(「天皇の地位」を改竄して奇天烈語)象徴天皇の地位が国民の総意に基づく・・・」の話に摺り替えた。そもそも共産党の奇天烈語「象徴天皇」など、憲法条文のどこを探しても存在しない。天皇にかかわる憲法文言は全て二文字「天皇」のみ。しかも、各国大使の信任状捧呈が天皇に対してなされるように、憲法の他の条文においても、世界中も、天皇を日本国の元首と見做している。当然、天皇は日本国の元首としか解されない。

 要は、日本国民でない“非・国民”の共産党員・河西秀哉は、憲法の語彙「国民の総意」を風船のように膨らませた狂妄な妄想(狂気)を出発点に、「KK氏の母親を万が一にも皇室の縁戚にはしません」との秋篠宮殿下の賢明で正しいご判断を、荒唐無稽な無関係語「国民の総意」に摺り替えたのだ。

日本国民とは神武天皇を奉戴した二千年前からの祖先も、これからの未生の子孫も含まれる

 蛇足。序なので「日本国民」を定義しておく。日本国民とは、日本国民である祖先と日本国民である子孫と現世代の日本国民の総体を言う。すなわち、現世代だけが日本国民でない。

 が、道徳が無く歴史が無く時計が止まっている“凶悪な狂暴な狂人”共産党員は、過去も未来もなく、刹那の今だけしかないために、この正しい日本国民の総体を認識できない。

 もう一つ蛇足。共産党員と北朝鮮人は日本国籍が仮にあっても、日本国民ではなく、検疫を潜り抜けた猛毒の外国産害虫に等しい“非国民の中の非国民”。天皇・皇族の品位・尊貴やその縁戚問題を賢慮できる特権は、由緒正しい世襲の日本国民にのみ付与されている。非国民は排除される。

「眞子内親王殿下の結婚→女性宮家の崩壊」故に、天皇制廃止“狂”共産党は、阿漕な結婚阻止を展開

 スーパー劣等生なのに共産党員というだけで教授になった“脳内赤ペンキ”河西秀哉の小学生四年生程度の悪文論考は掉尾になると、共産党の血腥い天皇制廃止の詭弁が大爆発。私は最初、なんというお粗末嘘話の洪水かと笑い転げたが、再読したら「これは名誉棄損甚だしい犯罪だ。総理大臣は法的措置をとるべきだ」と怒りで全身が力んでしまった。聡明な眞子内親王殿下の称讃されるべきご結婚決行を、河西は次の「事実無根の嘘、嘘、嘘」いや「摺り替え詐術の罵詈讒謗」で罵倒している。

眞子内親王の姿は、《私》を重視するように見えた」

(天皇・皇后であられた)今上の上皇・上皇后陛下の被災地訪問を繰り返す姿は、《私》よりも《公》を重要視する姿勢と受け止められ、人々の尊敬・好感の感情へと繋がった」

(このような《公》重視の)平成流の姿と眞子内親王の姿は対比的に見えた」

「平成流を高く評価する層からも眞子内親王の姿勢への疑義が見られるようになった」

 河西秀哉の摺り替えトリックは、誰でも直ぐ気づくだろう。まず、①公務の《公》と結婚の《私》を同列にする。次に②誰でも卒倒する100%虚偽である、「眞子内親王殿下は一切公務をなさったことがない。ここ十年、ご自分の結婚のことだけしかなさっていない」を捏造して、この嘘を前提に殿下を難詰している。だが、眞子内親王殿下は、皇族の中では、天皇・皇后両陛下に次いで圧倒的にご公務に精勤されたのであって、われわれ日本国民は、大声で感謝の意を殿下に向かって表すべきである。仮にも先帝の天皇皇后陛下の公務をもって《公》となすのであれば、同様に殿下の公務もリストし《公》として対比しなければならない。

 ところが、自国民6600万人を殺戮したレーニンとスターリンを崇拝する殺人カルト教団の赤い悪魔・河西秀哉は、その犯罪的な虚言癖を駆使して、「殿下は公務ゼロ」だと嘘宣伝している。首相の岸田文雄よ、刑法名誉棄損罪で殿下を代理し河西秀哉を刑事告訴(刑事告発ではない)されたい。この河西の記事は10月23日で、眞子内親王殿下はまだ殿下であられた。

 また、眞子内親王殿下のお相手の母親に対して一般国民は嫌悪感を持ってはいるが、眞子内親王殿下の公務に対しては疑義など誰も懐いていない。河西秀哉の大嘘吐きは、教育現場の教官として不適を極める。名古屋大学は、河西秀哉を分限免職に処せ。

眞子内親王殿下の勇気あるご結婚強行で、天皇制廃止アジェンダが狂った共産党は、今、アタフタ中

 次の河西秀哉の言説は、皇族の反撃によって、天皇制廃止の革命運動が大きなダメージを受けると共産党が白状したことに等しい。眞子内親王殿下とは、我ら一億国民が敬仰し尽くせぬほどの、偉大な救国の聖天使である。

「皇族の意思と国民の感情(=共産党の対皇族“殺意含みの憎悪感情”)をどう調和させていくのか(=皇族の意思を絶えず共産党の命令に屈服させていくにはどうするか)

(皇族の意思を絶えず共産党の命令に屈服させていく方策は)皇室が今後考えなければならない(=佳子内親王殿下に対しては共産党の言いなりになるよう躾をしろ!いいな、秋篠宮よ)

「私たちも意思を持つ皇族という存在を受け止める必要がある。それは象徴天皇制をこれからどういう形にしていくのかという、大きな問題を考えることでもある(=意思を持つ皇族が出てくると共産党の天皇制廃止革命は一時後退を余儀なくされる。ならば、天皇制の自然消滅まで二世代ぐらいがかかる女性宮家と女性天皇のやり方を止めて、一気に天皇制廃止を成就する新しい革命方法を考えねばならない)

(備考) 『AERA』記事批判は、紙幅が足りなくなったので、別の機会に譲る。

 

1、『週刊新潮』2021年10月7日号、20~21頁。

2、「称徳天皇紀」『続 日本紀 四』、新・日本古典文学大系、岩波書店、297頁。

3、伊藤博文井上毅代筆『憲法義解』、丸善、初版1889年、5頁。

4、佐藤達夫『日本国憲法誕生記』、中公文庫、154頁。その他。

5、中川八洋『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』第二章、ヒカルランド、86~103頁に、この加藤進とダイクが首謀した「1946~7年の、皇族十一宮家の皇籍剥奪クーデタ事件」に関する、日本初で日本唯一の分析が記述されている。日本人なら、必ず読むように。

6、同上、第三章第二節「“皇室の藩屏”堂上公家なしに、天皇制度と皇統の護持は可能か」、148~169頁。

(2021年11月3日記)

 

附記;高須克弥氏へのお願い

 眞子「元・内親王殿下」のNYご滞在に関して高須克弥氏(高須クリニック院長)にお願いがある。本稿を読まれた読者の中で、同氏と親しい方は、本稿を届けてもらいたい。眞子「元・内親王殿下」のこれからの人生にとって極めて枢要な貢献をしてくれるものに、二つの写真集がある。が、私が聞き及んでいる限り、この印刷の動きが出版界にない。一つは眞子内親王殿下のご誕生から皇族最後の「宮中三殿に謁するの儀」までの私的な写真集。もう一つは、宮中儀式ご参列を含めたご公務の写真集。

 費用は、大判で最高級の紙を用いるので、出版社に試算してもらっていないため素人判断だが、二千冊刷るとして三千万円~四千万円。二種類なので、六千万円~八千万円ほどはかかるのではないか。これを全て、高須克弥氏から眞子内親王殿下に贈呈して頂けると、大変に有難い。皇籍を離脱されたので、一般国民からの寄付行為は自由にお受けできる。なお、一部の写真は宮内庁に、ほとんどの写真は秋篠宮家に保管されている。両者からのご協力は、しかるべきものの仲介が必要だが、これは心配には及ばない。

 

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