筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
日本が“ロシアのポチ”になったのは、日露戦争でロシアに勝利した直後。その嚆矢が、ロシアの要求する通りに署名した、1907年の第一次日露協約&第一次日露秘密協定。続く(人類史に例を見ない、外国人である朝鮮人全員に日本国籍を付与し、日本は主権国家の自国を致命的に毀損し、日本民族としての矜持を完全否定した)1910年の韓国併合は、ロシアの百%命令通りの愚行の決断。日韓併合によって、日本は、自国の内政の奥深くまで“ロシアの操り人形”に改造された。
すなわち、今の2024年は1907年からすれば百十七年間が経つ。この百十七年間、日本は、GHQ占領期の七年間を除き、ロシアに対し主権国家であったことは一度もない。この“ロシア属領”日本の百十七年史は、今後もこのまま永久化していく。そればかりか、この日本の対ロ属領状態(対ロ主権“献上”状態)は、改善される方向とは逆に、ますます惨めなものになっていく。
日本列島は遠からず、全土がロシア領になるかorロシアとロシア同盟国の中共や北鮮とで三分割される。近未来の日本列島が、日本国である可能性は確率ゼロ。日本が名目的な主権国家であり続ける可能性すら、現実には1㍉も存在しない。
鈴木宗男の後継者ユーリー・イズムィコは“KGBの真打”。モスクワ派遣のロシア人以上の高級プロ
日本が1907年から百二十年間もロシアの属領であり続けてきたため、当然に今では、日本は亡国一直線になった。が、“ロシアの属領”の地位を選択したのは、日本自身である。日本は1907年以来、ロシアに対して主権国家としての自覚や矜持を、ほんの僅かも有することはなかった。
例えば、1945年の敗戦時点、日本には、最低推定値で、学者/官僚/陸軍軍人/新聞・出版社のジャーナリストの総計二千人がGRUロスケだった。この日本中スパイだらけは、1926年に始まった。しかし、1926年から1945年の十九年間、日本は、ロシア工作員を取り締まったことがほとんどない(企画院事件が例外)。また日本は、GRUロスケだらけの状態を憂慮したこともない。
脳天気と言うより、祖国を守ろうとする意思や精神が、1905年秋の日露戦争勝利と同時に、日本人からスッカラカンに消えたのである。1905年秋から突然的に日本人の資質は大劣化したのである。が、この事実を指摘し、日本人に警告したのは、私以外、司馬遼太郎ぐらいしかいない。
日本人は、国民全員が、1905年秋、愛国心を忘却・遺棄した。2025年の来年は、ちょうど、その百二十年周年に当たる。この異様な、日本人の愛国心喪失病は、一度も改善されることは無く、年々ひどくなるばかり。今や、一億日本人が雁首ならべて重度に発症中。ために日本中が、愛国心喪失病で魂を腐蝕させた、非・日本人の“日本人の屍体”だらけになった。
一億日本人の愛国心喪失病は、二期に分けると、わかり易い。第一期が、「1905年秋~1925年」の愛国心喪失病に罹患した期間。第二期が、“レーニン狂のロスケ”後藤新平が主導した、1925年の日ソ基本条約(日露国交回復条約)以降の今に至る、日本が内政も外交も“ロシアの犬”一色になった百年間の期間。1926年から今に至る百年間の日本とは、“愛国心喪失病”の上に“ロシアの犬”病を重ねた“ダブル重病”罹患状態なのだ。
だからロシアは、日ソ基本条約以降の戦前では、日本人GRUロスケを増産に継ぐ増産のし放題。GHQが去った1953年以降の戦後では今も、日本人KGBロスケの大量生産をし放題。ロシア流のGRUロスケ/KGBロスケ大量生産の方法は、「新規洗脳」と「継承」の高頻度で繰り返すやり方。
「継承」について若干の説明。例えば、小泉悠氏(以下、敬称略)は、ミクロでは“赤い外交官”KGB河東哲夫を継いだ対日工作員。が、モスクワのKGB第一総局(SVR)からすれば、即ちマクロ的には、今般の露烏戦争に関するデタラメ嘘宣伝でボロボロになり“用済み”鈴木宗男に代わって鈴木宗男を継承する“日本随一のKGBロスケ”。両名の属性を表1に比較しておこう。
表1;稀代のロシア「対日」工作員・鈴木宗男を継承した“完全ロシア人”小泉悠
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鈴木宗男 |
小泉悠(ユーリー・イズムィコ) |
自己認識「ロシア人」度 |
「俺様は百%ロシア人」「国籍は日本人だが、いやで仕方がない」 |
「僕は百%ロシア人だから、葬儀はモスクワを予定。墓もモスクワ」 |
血統 |
北朝鮮人(朝鮮総連に所属)。父親が小作人の日雇い労務者として日本に移民。 |
日本人。祖父はシベリアで共産主義者になり、舞鶴から代々木に直行し共産党に入党。父親も党員。 |
任務 |
“ロシア国民”のアイヌ保護を名目に、ロシア軍の北海道侵略を手引く。嘘「アイヌ先住民」を立法。 |
北方四島に強大なロシア軍を駐屯させ、北海道を西・北・東から急襲させる。 |
これまでの成果 |
① 四島へのビザなし交流。元・島民の99%を親ロに洗脳。②日本領の樺太に日本総領事館を設置し、「樺太=ロシア領」にした。 |
「令和の尾崎秀実」小泉悠は、これから大変な大成果を挙げる。“兵器学の達人”朝鮮人民軍・中佐JSFなど、小泉の周りは赤い不審者が大挙して集結中。 |
“辣腕”工作員の基盤 |
外務省の官僚を恐喝と人事で牛耳る強力な国会議員になった。 |
「ロシア軍に関する日本一の権威」を確立し、「対日」洗脳工作一途。 |
マスメディアの露出度 |
(日本の新聞TV出版界ネット界は共産党とKGBが99%支配しているので)露出度は無限。 |
(日本の新聞TV出版界ネット界は共産党とKGBが99%支配しているので)露出度は無限。 |
第一節 尾埼秀実の「洗脳術」を駆使する“第二の鈴木宗男”小泉悠
小泉悠のやっていることは“鈴木宗男の再来”だが、その偽情報(「ディズインフォルマーチア」)撒布の手法は“尾崎秀実の再来”。つまり、真実は、どうやら「尾崎秀実+鈴木宗男+志位和夫=小泉悠」といえそうだ。鈴木宗男は、永年、ロシアの命令「北海道民五百万人を殺戮し尽くすロシア軍を“手引き”せよ」を喜々として遂行してきた。小泉悠もまた、これと同じ任務が、モスクワKGB第一総局から命令されている。
なお、小泉悠と鈴木宗男には若干の相違がある。小泉悠は「KGBロスケ+日本共産党員」だが、鈴木宗男は日本共産党とは全く関係ない。また、前者は日本人で、後者は北朝鮮人である。このことが、両者のプロパガンダ文体での、「普通」と「下品」の大きな相違を生んでいる。
小泉悠の偽情報操作のロジックその他が、尾崎秀実に似ているのは、両名がともに日本人だからかも知れない。洗脳を狙う偽情報工作は“事実95%で包んだ嘘5%”で行うから、国語力が低く精緻な読みをしない劣等日本人なら、この5%が摘出できない。私は、文章(100%)の中から偽情報(5%)を抜き出す自己訓練を、1983年の頃、『尾崎秀実著作集 第二巻&第三巻』で行った。訓練が能力を形成する。
ところで、尾崎秀実はGRUロスケで、KGBロスケではない。ために、尾崎は戦後の日本人ロシア工作員たちと違いがあるかに誤解される。が、尾崎秀実はGRU第四部(=「偽情報工作」部門)の所属だったが、この部門は1953年にKGB第一総局に移管されたので、「尾崎はKGB」と見做して、何ら差支え無い。1953年以降、日本におけるロシアGRUは、軍事情報の諜報(intelligence)に特化し、「対外」偽情報工作(謀略)は全く行わなくなった。
小泉悠を怪しまない“白痴”日本人。ファンクラブやロシア名をもつ学者などいない
さて、小泉悠が狂信的な共産主義者でKGBロスケなのは明らかで、十分すぎる多くの証拠もある。ここでは、端的にわかり易いのをいくつか紹介しておく。
「やはり僕の葬式ではソ連国歌で出棺と行きたい。葬儀会場には微妙にエロい雰囲気のラウンジとかがあって『長く短い祭』が流れていたり、水煙草が出たりする」(2023年12月18日、午前8:34、備考)。
(備考)翌12月19日、小泉は、この「ソ連国歌」を「アメリカ歌」に改竄した。が、過激な反米の小泉は、この改竄で「アメリカ国歌」とはせず、「国」を削除した。なお、上記の四文字「葬儀会場」は、論理的には、「モスクワの葬儀会場」に読める。多分、そうなのだろう。
純度百%のロシア人である小泉悠が、強烈なレーニン教徒なのは、そのアカウントが1917年11月7日のレーニン共産革命記念日にしていることで明白すぎよう。「@OKB1917」が小泉のtwitterアカウント。小泉は、千葉に新築した家にレーニンの大きな写真を飾っている。毎朝、ロシア妻と共に拝跪している。
また、「ユーリイ・イズムィコ」名の小泉悠の有料ブログ(300円)のアカウントも、「note.com/cccp1917」で、“ソ連邦が誕生した1917年を永久に忘れない”の謂い。CCCPとは「ソ連邦」のこと。小泉悠の祖国は、単なるロシアではない。「ソヴィエト・ロシア」or「レーニンのソ連」が、小泉悠の祖国なのだ。北海道五百万人“皆殺し”に燃える小泉悠の血に飢えた妄念は、「レーニンのソ連」が、彼の唯一の祖国であることから生まれている。小泉にとり北海道をロシアに献上することは、当然の祖国愛パトリなのだ。
2009年12月から一年四ヶ月程、小泉悠が留学した「世界経済国際関係研究所」は、KGB第一総局SVRが所管する研究所兼(国際関係大学の)大学院で、一般大学ではない。ロシアでは、多くの大学は各官庁が管轄・運営し、モスクワ大学やサンクトペテルブルグ大学のような一般大学は少ない。プーチンが(1997年に)経済学・準博士号を取得した「鉱山大学」も、KGB第二総局FSBの所管。一般大学ではない。
ロシアの大学制度はルイ15世以降〜ナポレオン時代のフランスを模倣した。フランスの理工系大学「ポリテクニーク」は国防省所管だし、行政学院「ENA」は大統領府が運営している。
(蛇足)私は東大工学部航空学科宇宙工学コースに在学中の1966年、理Ⅰの上位150人しか入れない「ポリテクニーク」の学生が士官学校のような制服を着ているのをパリで見た。この制服には吃驚した。また、身長180㎝越えがほとんど。また、入試に陸上1500㍍と水泳クロール400㍍があると傍にいたフランス人から教わった。核兵器や原子力空母を設計するに、スポーツ能力なんか何になるのかと、(まだ国防省所管だとは知らなかったので)訝しく思った。
小泉悠は、「世界経済国際関係研究所」の客員研究員(guest research‐fellow)になる時、KGB第一総局の対日工作員になる旨の誓約書に署名している。
日本を恫喝する小泉悠;「北方四島を諦めろ。それとも核をぶち込まれたいのかぁ!」
現実から乖離した“漫画チック表題”『オホーツク核要塞』は、余りにおどろおどろしい。「核要塞」などオホーツクには存在しない。この意味で、これほど学術性に牙をむいた“反・学問”本は珍しい。その内容は、凶悪ロシア人・小泉悠らしく、ロシアの対日核恫喝をひたすら代弁しているだけ。対ウ侵略戦争の二年間、メドベージェフ元大統領が、ウクライナや西欧・中欧諸国に向けて暴力団流で言い放ってきた、ロシア流の「核を投下するぞ! 核を投下するぞ!」の核恫喝を、“対「日本人」版”に書き換えたのが『オホーツク核要塞』。つまり、小泉悠は、メドベージェフのクローン人間。
対日核恫喝の『オホーツク核要塞』を、2月13日、小泉悠は、「俺様はモスクワ派遣の日本総督だぞ」と踏ん反り返って出版した。KGBロスケが、こんな毒本を出版できたのは、日本人が一億バカばかりになっているからだ。また小泉は、事実「小泉悠は筋金入りのロシアの代弁人」が仮にバレても、自分の評価はもはや揺るがないと確信したから、この本を出版した。
確かに、小泉の人気は、1937~8年のGRUロスケ尾崎秀実と同じで、“断トツ”。サントリー学芸賞(2019年)、中曽根康弘賞優秀賞(2022年)、猪木正道賞特別賞(2022年)の矢継ぎ早な受賞も、彼の地位を不動にした。そして人気や権力(金権力)は、正体隠しの最高の煙幕で、効果満点。
なお、中曽根康弘も猪木正道もKGBロスケで、ともに札付きのスターリン狂徒(注1)。中曽根はその上に実質日本共産党員(注2)。中曽根と猪木の名前を冠した賞を獲ったこと自体、小泉悠がKGBロスケである情況証拠。小泉悠が、“(スターリン狂徒→)レーニン狂徒”である情況証拠。
(注1)中曽根は「中曽根憲法試案」で、猪木は『中央公論』誌(1953年)で、スターリン崇拝者だと白状。
(注2)1950年、GHQは、ソ連共産党の対外プロパガンダ組織「世界平和評議会」モスクワ大会への日本共産党員の渡航を不許可にした。この時、国会議員になったばかりの中曽根康弘が、「僕が代わりに行きます」と手をあげ、GHQは「共産党員のようだ」と疑いながらも「確たる証拠がない」を理由に渡航を許可した。
この辺りで、“プーチンの代理人”大嘘つき小泉悠が、A日本人を“対ロ油断”「ロシアは対日侵略をしない」に洗脳し、同時にB「日本人よ、戦争になるから北方領土奪還を諦めろ」と強迫する、その凶悪ロシア人ぶりの解剖に移るとしよう。心も精神もロシア人の小泉悠は、非・日本国民の極みで、「日本人」は一欠けらもない。
A、逆さ嘘「ロシアは対日侵略をしない」を、日本人に摺り込む。
「ロシアが日本に大規模侵略を行う可能性は、相当に低い」(334頁)。
B、「北方領土奪還を諦めろ、さもなければ戦争になるぞ」と、日本人を脅す。
「係争地である北方領土をロシアが実効支配している以上、日本がこれを実力で奪還しようとするのでない限り、領土問題を巡って日露が戦う可能性はまずないと考えてよい」(注3、333頁)。
(注3)小泉悠『オホーツク核要塞』、朝日新書。頁数は本文。
このAとBは矛盾していよう。片や「ロシアは対日侵略戦争をしない」と油断させ、片や(日本が自国の領土「北方四島」を奪還しようなどの気を起こせば)ロシアは日本に戦争を起こすぞ」と脅迫する。それはともかく、Bで述べる小泉悠の言葉は、百%“モスクワ語”。日本語ではない。日本語では、「北方四島は、ロシアが不法占拠中」と正しく表記し、侵略中のロシア側表記「日ロ間の係争地である」を、断然と排撃する。「係争地」になっている情況は、ロシアが侵略をし続けるからだ。侵略をやめ撤兵し日本に返還すれば、「係争」はすぐに消え去る。
また、2022年2月24日以降、ロシアは北方四島の地上部隊を全員、ウクライナに転進させたので、北方四島はガーラガラである。小泉もこの事実を330頁で認めている。つまり、日本が北方四島の奪還に陸自部隊を無血進駐させても、ロシアは指を咥えて見ているだけ。ロシアは、このウクライナ侵略中に限っては対日戦争など万が一にもできない。
だから、“鈴木宗男が百名「濃縮」した”超ダーティ小泉悠は、「ロシアは無血進駐する日本とは戦争できない」を百八十度逆さにして、「ロシアは日本に戦争を仕掛けてくる」と脅す。対日“脅し屋”、これが小泉悠の本当の正体。
小泉「ロシアの満洲/樺太/択捉への侵略は、日本人がロシア人そっくりだから」(爆笑)
モスクワの「世界経済国際関係研究所」での小泉悠の一年四ヶ月は、日本人を騙して洗脳する「デイズインフォルマーチア」の猛特訓の日々。ここで小泉は、学術研究などしていない。が、次の小泉悠の超・愚昧&お粗末な詭弁を見る限り、偽情報の作り方を小泉に教えたロシア教官は質が悪かったようだ。なぜなら、次の小泉悠のデッチアゲ屁理屈には、小学生でも笑い転げる。
①ロシアにとり、日本は(明治維新の)近代に入って初めて邂逅し、民族的・文化的・歴史的な兄弟性など存在しない。ためにロシアは、ウクライナと異なり、日本には侵略しない。ロシアは、ウクライナのように「区別がつかないほど似ている国」にしか侵略しない(334頁)。
②NATOの東方拡大など、西側陣営がロシアに「不満感・屈辱感」を与える行動をしたから、NATOに警告すべく、ロシアはウクライナを頂門の一針に選び、併合しようとしているだけ(334頁)。
③1991年のソ連邦の崩壊で、極東ではバルト三国の独立など欧州側のような大きな変動はなく、ロシアとしては、さしたる「不満はない」。だから、ロシアは、日本への強い執着心(「併呑したい」という侵略意欲)を「持たない」(334頁)。
上記①②③を読めば、「小泉悠とは安全保障問題の専門家ではない。実は、ロシアが育成した法螺吹き大道芸人」なのが瞬時にわかる。ロシアは、隣接国には手当り次第に侵略する“全方向侵略民族”。だから、1945年8月、満洲及び“日本の固有の領土”「樺太」「国後・択捉」に侵略してきたのだ。「ウクライナが母親、ロシアはその息子」のような血縁関係は日ロ間には無いのに、ロシアは日本を侵略した。「ロシアは民族的共通性を持つ国にしか侵略しない」は、“大嘘つき”小泉悠のお得意の与太者風“法螺話”。
もう一例。1800年前後のロシアは、日本の択捉島や樺太に侵寇してはやりたい放題に掠奪を行った。現代国際法に従えば“侵略”。だから、江戸幕府は、会津藩に、対露国防の総司令部を置き、択捉島と樺太に兵力を派兵したのである。また、間宮林蔵は、樺太が日本国領土であるのを確認すべく、樺太を最北端に至るまで探索したのである。最上徳内は、得撫島をもって日ロ間の国境にすべく、得撫島に二回も渡ったのである。小泉の超・狂説「ロシアは《区別がつかないほど似ている国》にしか侵略しない」は、日本人騙しに生きるロスケ小泉悠の対日“憎悪”の炎が、エレベストより高く燃え盛っているのを示している。
次、②に進もう。小泉悠はロシア史に全くの無知である。その上、歴史事実の隠蔽が得意の“偽情報”屋でもある。プーチンは、大統領に就任した2000年1月から2007年2月までの丸七年間、NATOの東方拡大に協力し続けた。欧米諸国は、すっかり「プーチン好い奴、ロシアは変わった」と騙された。ところが、このプーチン、2007年2月、ミュンヘンで、反NATOに180度転換する、と宣言。
ブッシュ(息子)大統領は2008年春、2001年からずっとプーチンに騙されてきたことを確信。が、その直後の2008年8月、プーチンはグルジアに侵攻し、ロシア再膨張に舵を切った。が、退陣まで数ヶ月、ブッシュは「騙されて悔しい!」と臍を咬んだ。
2022年2月24日にロシアがウクライナ侵略を開始した時、プーチンは「NATOが軍事力を強化し、NATO加盟国は増える」ことを折り込み中。だから、フィンランドやスウェーデンがNATO加盟しても「フン!」で終わり。何ら騒がない。ところが、大嘘つき小泉悠は、「ロシアはNATO拡大への報復でウクライナに侵略した」と、プーチンの「侵略“正当化”の表向き詭弁」を、拡声器になって宣伝してあげている。“プーチンの忠犬”小泉悠の、ペテン師然の詭弁②の骨子は、これ。
私は、NATO諸国は今、その兵力を白ロシアとの国境ならびにオデーサからドニプロ河まで、(ロシアとの国境やロシア軍との接触線は避けて)展開すべきだと考えている。が、仮にNATOがそうしても、これも折り込み済みのプーチンは驚かないだろう。小泉悠は、現実のロシアを、徹頭徹尾に改竄する。
これは、日本に対しても同じ。ロシアは日米同盟が弱体化する情況を待っており、「綻んだ」と踏めば、その瞬間に日本に侵略する。ロシアは『孫子』の優等生。矮小な感情「不満感・屈辱感」などに全く左右されない。そもそも、ロシア人の民族文化に「不満感・屈辱感」は存在しない。ロシア史に無知な小泉悠が宣伝する、「ロシアの不満感・屈辱感」は、モスクワの偽情報学校で習ったただの大嘘。
さて、③。日本語力が貧困な小泉悠の③はかなり意味不明。おそらく小泉悠は、この③で、「ロシアは旧ソ連邦の復活を目指してウクライナ侵略・併呑を目指しているから、旧ソ連邦ではない日本はロシアの侵略の対象にはならない」との真赤な嘘を、日本人の脳内に摺り込みたいのだろう。“狐より狡猾な嘘つき”小泉悠は、2019年1月、プーチンが「北海道には元シベリア住民のロシア国民であるアイヌが先住民として住んでいるから、北海道はロシア領である」と宣言したのを、隠蔽している。小泉の③は、嘘と隠蔽から考案された“悪魔の偽情報”である。
「北方四島」をロシア占領地「クリル」に含めたく、小泉悠は四文字「北方四島」を抹殺
(1)爪の先から頭のてっぺんまで凶悪ロシア人の小泉悠は、“非・日本国民”。
当然、その脳内には日本人脳は1㍉㌘もない。その上、超一流詐言師である小泉悠の人格は、超ダーティ。彼のジャックナイフのようにギラリと光る二つの目を見れば、彼の恐ろしい残虐な人格が伝わってくる。
例えば小泉は、「千島列島」について真赤な嘘定義を振りまく。小泉悠は学者ではない。ロシア工作員以外の言動は決してしない。『オホーツク核要塞』の2頁/6頁で、「国後島から占守島までを《千島列島》と言い、ロシア語《クリル列島》がこれに当る」とする。正気か。「千島列島」は、江戸時代から明治時代末まで、政府の公式名称でも地理学上の名称も、日本では「知理保以島から占守島に至る十七島を指す」用語。これ以外の用法や定義は、日本中捜しても、どこにもない。
これは江戸幕府の外交史料も明快に記述。松前藩/会津藩/最上徳内/間宮林蔵/林子平らも一致して明記する「島名」「列島名」である。つまり、江戸時代から明治時代末まで、日本人は四語句「国後島、択捉島、得撫島、千島諸島」を並べる呼称方法を守っていた。大正時代になるまで、外交や国際政治の界隈では、奇天烈な日本語「千島列島」は存在しなかった。
厳格に守られてきた“四語句呼称”が初めて崩れるのは、大正時代に俗語「南千島」が造語された以降である。このトンデモ語を造語したのは、「国後島、択捉島、得撫島、千島諸島」という島名を守って、これ以外の言葉を断固と排除すべき任を持つ外務省ではないかと、私は仮に推定している。大正時代に、条約や国際法に命を懸けるべき外務省は大きく堕落したようだ。
「国後島、択捉島」を三文字「南千島」、「得撫島、千島諸島」を三文字「北千島」と呼ぶ方が、cost‐performanceを「コスパ」に略するのと同じで、外務省内での会話は確かに簡便。だから、そうなったのだろう。
「南千島」「北千島」が普及した後、言葉「千島列島」の定義が大幅に変化した。元来は「知理保以島」以北を指す言葉なのに、一気に南下して「国後島」以北を指す言葉に変質した。しかも、この三語「南千島、北千島、新《千島列島》」は外務省内での使用言語だから、一定時間が経つと学校教科書に入り、いつしか正式用語になるのは避けられない。昭和時代の1930年代以降、「南千島」「北千島」「新・千島列島」は、通常語として普及している。
(2)プチャーチンが来日し北方領土の国境画定交渉を要求した時、これを拒否し、開国だけに限定するのが、日本の唯一に正しい対ロ外交だった。
なのに、(超一流秀才・勝海舟とは真逆の)知ったかぶりの出しゃばり三流秀才・川路聖謨は、条約を締結すれば、樺太の日本人四千名に対し、不法上陸しては掠奪やレイプを繰り返すロシア人の暴虐が無くなり、樺太警備の費用が倹約できる(=タダになる)と妄想した。日本史上初の対ロ売国奴第一号となった川路聖謨は、勘定奉行(=財務大臣)だった。が、結果は、箴言「タダより高いものは無い」を証明し、日本に重大な禍根を残した。
「ロシア人の入植者ゼロ人、日本人・入植者は四千名」の“日本の固有の領土”樺太がどうして日露共同統治(共同主権)の地になるのか。川路聖謨は狂っている。1868年の江戸城開城の日に川路はピストル自殺した。が、条約締結前の1854年に、下田で自殺して欲しかった。1957年、ロシア人六名(一家族)が、樺太に初めて入植。これは、締結された下田条約で“合法化された侵略”。
(3)対日交渉を開始するプチャーチンは、島名に関しては、日本側の言いなりだった。
だから、当初のロシアは、「クリル諸島」を日本側の「千島諸島」に宛て、「知理保以島から占守島に至る十八島」とした。ここで問題となったのは、得撫島の帰属先。幕閣内には最上徳内以来、「得撫島は日本領」とする者も多かった。松前藩は、得撫島を藩領としていたし、ある藩士の所領でもあった。
さらに、クリミヤ戦争で、得撫島の入植者とロシア兵は、英仏連合艦隊が沖に停泊したのに驚き、全員カムチャッカ半島に逃亡。1854~5年、得撫島にはロシア人は一人もいなかった。得撫島は日露共同統治での合意が容易だった。いや、ロシアはクリミヤ戦争の戦況の悪化から既に領有を諦めていたから、「徳撫島は日本領」をロシアに飲ませることすら可能だった。が、川路は、得撫島に関し、プチャーチンの言いなり。現に川路は、1854年の夏、当然にすべき“得撫島の情況調査”を会津藩に命じなかった。外交官“失格”の欠陥人間が、ロスケ第一号・川路聖謨の本性である。
(4)嘘八百を爆発させる、小泉悠のお粗末弁明とバレバレの嘘詭弁。
KGBロスケ小泉悠は、2頁の図で、「北方四島」or「国後・択捉島」の名称を抹殺し、それらを「ロシア領」を意味する、侵略国家ロシアの地図「クリル列島」の邦訳語「千島列島」で表記している。この陰険な偽情報工作が直ぐにばれないよう、狐より狡猾な小泉悠は、一流の専門家だけしかチェックしない、小さな字の注で、見え透いた嘘と法螺と詭弁で弁解している(378頁)。
①「政治的には《クリル諸島=千島列島(南千島諸島を含む)+南千島諸島》ということになる」(丸カッコ内中川、「南千島諸島」をダブル計上している)。
②「本書では読み易さを優先し、北方領土(前行の「南千島諸島」を、この言葉に変えている。幼稚園児と同じ行動)も含めた列島孤全体を《千島列島》と呼んでいる」(丸カッコ内中川)。
凶悪ロスケ小泉悠のIQは幼稚園児三歳以下で、メッシーmessy。劣悪どころではない。“非・日本国民”小泉は、2頁と6頁では、「南千島諸島」を含めた言葉として「千島列島」を使うと明記している。すると、上記①は、「国後/択捉/色丹/歯舞」を総称する「北方四島」と同義の、かつて呼んでいた「南千島諸島」をダブル計上している事になる。脳内真っ赤の小泉は、かなり狂ってきたか。
なお、1961年以前では普通に使用された言葉「南千島」は、その後はほとんど消えた。私は、小泉の378頁の詭弁文で、数十年ぶりにそれを見た。外務省は対ロ交渉に大敗北したのを猛省し、1956年末、「南千島」の省内使用を禁じた。ために、1961年頃には日本で「南千島」は死語になった。小泉は、過激な共産党員の祖父の下で育ったので、祖父から「南千島」を聞かされ記憶した?
小泉悠は三流“兵器オタク”だが、「条約に無知/国際法に無知/ロシア史に無知/日ロ関係史に無知」の“無知オタク”。だから、日ロ間が1855年と1875年に締結した条約第二条に、白痴もびっくりのスーパー無知。日ロ間は、「クリル諸島」の定義を、この二条約で定めた。「千島列島=クリル諸島」とは、1875年の条約名が「樺太千島交換条約」であるように、「得撫島以北」のことで、この条約を改訂しない限り、何人もこの定義を改変できない。北方領土“奪還”問題を論じる際、「千島列島=クリル諸島」は絶対前提で、日ロ双方とも僅かも変更できないし、変更したことはない。
それがどうして政治的には、クリル諸島は国後・択捉島を含むことになるのか。つまり、小泉悠は、俺様は絶対神レーニンの生れ変りだから、日ロ両国が締結した二条約の第二条を“政治的に改変できる”と主張している。東大先端研は、小泉悠を急ぎ精神病院に収監する措置を執られたい。
上記②も、「千島列島」に「北方四島」を含むことはできない。含めると、文意が不明になるから、読み易くはならず、読むこと自体不可能になる。読むこと自体が不可能になるのを、読み易くするとは、気狂い特有の“転倒”思考。やはり小泉悠を東大は分限免職し、精神病院に収監すべきだ。
(5)二条約の第二条について。
日露間は、クリル諸島=千島列島を、次のように定義した。
・日ロ通交条約第二条;「得撫島全島より北の方、『クリル諸島』は露西亜に属す」(1855年)。
・樺太千島交換条約第二条;「クリル群島は、第一の占守島・・・第十八島の得撫島、計十八島」(1875年)。
つまり、「外交を知らず/ロシアを知らず/祖先の言語を守る/固有(松前藩)の領土を守る」精神を欠く“三流秀才”川路聖謨が、得撫島をロシアに献上するために、「千島諸島」の定義を勝手に変えた。川路聖謨に対して、日本は、何らかの処罰をすべきである。自殺で無罪放免してはいけない。
第二節 小泉悠はプーチン命令「北方四島“無血進駐”を阻め!」の“忠犬”
「核要塞」など、オホーツク海のどこにも存在しない。小泉悠は、松本零士の漫画「宇宙戦艦ヤマト」のタイトルと同じ、マンガチックな妄語「核要塞」を造語し、世界一に劣化した“白痴”日本人の核恐怖症を掻き立てている。
それにしても、小泉が考案した漫画言葉「核要塞」の出来栄えは、お見事。モスクワで「デイズインフォルマーチア」を一年四ヶ月間も特訓された成果なのかナ。モスクワが育てた偽情報“戦士”小泉悠の辣腕は、ゾルゲ事件の“偽情報戦の大家”尾崎秀実を超えている。
ところで、小泉悠のこの対日“核恐怖”煽動は、次の一文に躍動している。これを読んだ時、日本人を“脅して脅して脅し尽くしてやるぞ”の妄執の炎を燃やす小泉悠の“対日憎悪”の深い闇に、私は心底から身震いした。小泉の眼は闇夜のジャッカルの目よりも怖い。彼のどす黒い対日本人“怨念(ルサンチマン)”が、この眼を形成したのである。
「(オホーツク海を遊弋するロシアSLBM原潜の)たった一隻でも、百ヶ所内外の標的に対して、広島・長崎の十倍にも及ぶ威力の核弾頭で(?国に)報復を行うことが可能だ。いうなれば、日本の北側はロシアの核抑止力を支える拠点である。隣国ロシアとの関係を考える上でも、北方領土問題を理解する上でも、こうして軍事的視点は欠くべからざるものといえる」(25頁、丸カッコ内は中川。コンテクストからして、「?」は、「日本」としか読めない。「報復」「核抑止力」は偽情報語で、学問的には「対米・攻撃」「対米・先制核攻撃力」)。
オホーツク海のロシアSLBM潜水艦は、その核弾頭を米国のワシントンやニューヨークやノーフォーク海軍基地を先制的に撃つのであって、全ての標的は米国内。日本の方向に撃つと、日本列島の上空を通過して、さらに東南アジア諸国の先のインド洋東側に落下する。
(オホーツク海の)ロシアSLBMは日本には決して到達しない。ロシアは日本に撃たない
このように、オホーツク海のロシアSLBM潜水艦は、日本には投下できないから、日本の国防とは全く関係が無い。一般日本人は、このロシア兵器SLBMを失念した方が、日本の国防にプラスする。だから小泉は、日本の国防を破壊したく、忘却の方が日本の国防にプラスするのを反転させ、オホーツク海のロシアSLBM潜水艦に多くの一般日本人が口を出すよう、偽情報工作本『オホーツク核要塞』を、朝日新聞社のKGB細胞と鳩首して出版した。小泉悠の本は悪魔の声である。
このような日本一の嘘つき“《情報》魔術師”が、小泉悠の正体。そこで、日本人を騙す一点に絞って小泉が捏造した、上記引用文にある“嘘、嘘、嘘”を、以下、解剖する。
その前に、この「オホーツク海のロシアSLBM潜水艦」に関する基本知識。 オホーツク海のロシアSLBM潜水艦は、ボレイ型。公称では、「水中排水量は2万4千トン、水中速度は25ノット」。現在は、四隻がルィバチー軍港(カムチャッカ半島)に配備されている。今年の夏には、新しく就役したボレイ型「皇帝アレクサンドルⅢ世」号が配備されるので、総数は五隻体制となる。同号は、2023年11月5日、白海の海中からカムチャッカ半島にある兵器試験場への投射に成功した。 日本が仮に(米国に成りきって、対米“核攻撃”用の)太平洋艦隊のボレイ型「ロシアSLBM原子力潜水艦」を分析する場合、五隻とした方がいい。また、平時のパトロール(遊弋)体制など意味をなさないから省略すること。あくまでも有事態勢を想定し対策を講じるのが国防学である。有事には、このボレイ型SLBM潜水艦は四隻がオホーツク海の海中に展開される。一隻は、ルィバチー軍港で保守修理中となろう。 ボレイ型潜水艦の一隻には、16基の「ブラヴァー」SLBMが搭載されており、核弾頭は少なくとも六ヶ搭載。多弾頭の弾道ミサイルである。その射程は公称「8500㎞」だが、実際は「1万㎞」と推定される。米国本土内の主要都市はことごとく、この射程内にある。即ち、この四隻が、発射前に撃沈されなかったとすれば、「ブラヴァー16基×6発×四隻=384ヶ」の核弾頭が米国本土内に投射される。「ブラヴァー」一核弾頭の威力を仮に150ktとすれば、広島原爆13・5ktの十一倍に相当。 |
さて、この基礎知識を踏まえて、上記の小泉悠の記述を読めば、彼が嘘八百を錯乱状態で乱射しているのがわかる。
小泉悠の嘘第一;ボレイ型原子力潜水艦が搭載しているSLBMの名前が無い。すなわち、小泉は「ブラヴァー」を意図的に消している。弾道ミサイル名が無ければ、射程距離は判らない。「ブラヴァー」だとわかれば、その射程は一万㎞だから、直ちに「日本には投射できない」ことが判明する。
弾道ミサイルは、弾道飛翔だから設計された通りの距離を飛翔し、ために射程距離より手前に投射するのは極めて困難。二割ほど短く撃つのがやっとだから、「ブラヴァー」の最短射程は8000kmと推定される。日本列島は、オホーツク海から8000㎞以遠には無く、「ブラヴァー」を万が一にも投射できない。
ところが、いかなる詐欺師よりも大嘘つきの“天下一の詐言家”小泉悠は、「広島・長崎の十倍にも及ぶ威力の核弾頭で(「日本国」に)報復を行う」と記述している。小泉は、いったい何に対する報復を言っているのか。次の行に「北方領土」が出てくるから、それはどうやら「北方領土を日本が軍事的に奪還しようとするなら、ロシアは日本に核報復するゾ」との意味のようだ。実際にも、狂暴ロシア人・小泉悠は、プーチンorメドベージェフに成り代わって、北方四島“無血進駐”を阻止することを唯一の目的として『オホーツク核要塞』を出版したのだから、こう読むのが理に適う。
現に、「北方領土問題を理解する上でも、こうして軍事的視点は欠くべからざるものといえる」と明記している。これは、対日核恫喝以外の何物でもない。「北方四島を諦めろ。さもなければ、広島原爆の十一倍の水爆が、一隻のボレイ型原潜だけでも九十六発も日本中に撃ち込まれるゾ」との意味で、小泉悠は論じている。小泉悠は、ハマスより恐ろしいテロリストで、脅迫・恫喝のプロである。
小泉悠は侵略民族ロシア人だから、ロシア人の得意技「ロシアの軍事力は防衛の軍事力です」「ロシアの核戦力は、侵略とは真逆です」と、見え透いた真赤な嘘の“転倒化粧”を施す。この転倒化粧の一つが、ロシアの対米先制核攻撃力を「核抑止力」とする転倒表現。強盗のピストルを、「あれは強盗の護身用です」とうそぶくのが、日本人“皆殺し”が信条の小泉悠の得意な詭弁術。
「抑止」とは警察用語。あくまでも強盗や殺人犯をして、犯罪の実行を躊躇わせて、それをさせない(dissuade)こと以外には核兵器を使用しないとの米国政府の方針から、米国の国際政治学界に、「核抑止力」という学術用語が生まれた。が、ロシアは、ウクライナ侵略でも、「戦術核兵器を投下するぞ、投下するぞ」と、核兵器を“侵略の手段”にしている。つまり、ロシアには、「核抑止」なる軍事概念が存在しない。このことは、ロシア核思想の原典、ソコロフスキー元帥『軍事戦略』(1964年)を読めば明らかなこと。
以上は、『オホーツク核要塞』の2頁の一部/25頁/333~4頁/378頁の、計五頁を解剖しただけ。全体378頁の1.5%。あと98.5%を解剖しなければ、同書のクリティークにはならない。が、読者も疲れてきただろう。残り98.5%は後日に回す。
ロシア軍の北海道侵略を手引く、「ロシア札幌領事館──小泉悠──元島民」シンジケート
小泉悠のtwitterを眺めると、反ロの「ウクライナ/米国/日本」に対し異様に捩れた感情を猛炎と燃やしている。小泉のウクライナ“憎悪”感情は半端でないし、米国への敵意も尋常ではない。
(1)ロシアは、ウクライナに冤罪の罪を着せるべく、ベルゴロド州都の一般自国民めがけて、122㍉多連装ロケット弾を投射した。そして、直ちに「ウクライナがチェコ製122㍉MRLSで撃った/大量のロシア一般市民が死傷した」と国連安保理で大宣伝した(2023年12月30日)。小泉悠は、これがロシアの自作自演であるのを百も承知で、「ウクライナくんさぁ、ロシアと同じことやったらダメなんだよ」とtweet(2023年12月31日午前8時38分)。ロシアの自作自演“犯罪”を隠蔽してあげるためである。
自作自演であることぐらい、兵器オタクにとって、いとも簡単。なぜなら、ベルゴロドの州都はウクライナ国境から32㎞。一方、チェコ製「RM-70」の射程は20㎞だからだ。それ以上に、このtweetは、小泉の野獣以上の無法性を剥き出している。なぜなら、「ロシアはウクライナ人をいくらでも殺していいが、ウクライナはロシア人を一人も殺していけない」を基準にしているからだ。つまり、「ウクライナ人は死ね! 死ね! もっと死ね!」が本心でなければ、このtweetはできない。
(2)ロシアのロストフ州の州都を、米国はRostov‐on‐Donと正確な英語訳をしている。だが、ロシア様のロシア語表記を英語表記にしたのは許せんと、小泉悠は「頭にきた」と怒り狂う。そればかりか、米国に報復だ! とばかり、米国のノースカロライナ州を(今から)「セヴェロカロリンスク」(とロシア語表記で呼ぶことにする)と息巻く(2024年2月11日、午前12時16分)。要するに小泉は、「ロシア様の都市を英語表記するのは許さん」「ロシアは世界を支配する絶対神の聖なる国だゾ」を狂信的に信仰している。いわゆるロシア狂徒の典型で、ロシア救世主思想の気狂いに同じ。
(3)小泉悠は、しばしば北方領土に出かけている。KGBロシア人の小泉は、北方四島の返還“阻止”が任務だし信条でもある。どうも小泉は、在「四島」のロシア人に、日本人墓の掃除とか、「親日」のふりをする演技指導などをしているようだ。さらに、小泉は北海道でも、ロシア札幌総領事館と組んで、北海道新聞のKGB細胞や元島民(ほとんどがKGBにリクルートされている)と密接に協議して、四島返還阻止と北海道へのロシア軍の侵略“誘導”にかかわる、いろんな工作をしている。これ、鈴木宗男が1990年頃から三十年以上やってきたことを、引き継いでいる。これについては、いずれ別稿で本格的に論じたい。
米軍のボレイ原潜五隻“撃沈”への日本の協力──択捉海峡の“日本領海”化
話を、『オホーツク核要塞』解剖の補足に戻す。
今から四十年以上も昔の1981年のことで、細かいことはほとんど忘れたが、横須賀の第七艦隊の旗艦「ブルーリッジ」に招待されたことがある。大スクリーンに、沿海州のソ連空軍機や日本海のソ連海軍艦艇の位置が、リアルタイムで映し出されたのには驚いたし感動した。最後の質疑の時間で、私は「オホーツク海のロシアSLBM原潜を、米海軍は先制的に撃沈する準備をしているが、日本がこれに協力できることはあるか」と尋ねた。ある若い海軍士官(海軍中佐?)が「日本が択捉島と得撫島を奪還して、択捉海峡を“日本領海”にして欲しい」と返答。
確かに、択捉海峡は水深が最も深く、太平洋とオホーツク海を結ぶ潜水艦の航路としてはベスト。が、今なお、日本は択捉島の奪還すらできず、情けない話。
さて、サンフランシスコ講和会議で、日本は四十五ヶ国に対しては(得撫島が含まれる)「クリル諸島」を放棄したが、ロシアは当該平和条約を署名せず退席したので、日ロ関係に限っては「得撫島は未だ日本領」。また、ソ連が「南樺太と得撫島以北のクリル諸島はソ連領と明記せよ」と提案し、これがサ会議で否決されたため、逆に「得撫島はロシア領でない」ことがサ講和会議の決定となった。
日本は択捉海峡を日本領海にし、米国のロシアSLBM潜水艦“撃沈”の軍事行動に協力することは、米国の対日“核の傘”の信頼性を向上させるから、北方四島の奪還&続いて得撫島の奪還に、国挙げて全力投球すべきである。それには、「対露外交交渉を決して行わない」「日ロ平和条約を締結しない」「ひたすらチャンスを待って、まずは北方四島に無血進駐する」。これが唯一の確実な方法。
なお、「得撫島の領有がオホーツク海のロシアSLBM原潜を海の藻屑にすることに繋がる」事実を省察すると、“近代日本の《天性の外交官》第一号”最上徳内の先見力に感嘆せざるを得ない。最上徳内は択捉島でロシア士官に出会い、彼の任務が、日本人が得撫島に入るのを阻止することだと喝破した。飛び抜けた高い頭脳を持つ徳内は、このロシアの動きから“得撫島の領有は未だ全く確定していない”と確信し、ならば日本こそが得撫島を領有すべきだと、得撫島に上陸した(一七八六年、第一回、全島に亘りロシア人はゼロ)。
最上徳内の得撫島上陸・第二回目は五年後の1791年。この時、ロシア人の滞留跡を発見。(五年前の上申から)幕府は過去五年間にわたって無策だったことを知り切歯する。1801年、幕吏の富山元十郎/深山宇平太らは、最上徳内の意思を継ぎ、得撫島のヲカイワタラ丘に「天長地久大日本属島」の標柱を建てる。以上、『人物叢書 最上徳内』吉川弘文館、39~42頁/81頁ほか。
得撫島は、プチャーチンが外交力で侵略。次に、スターリンが軍事力で侵略。
得撫島の奪還のためには、それが1854~5年、プチャーチンに舌先三寸で奪われた経緯を熟知すること。及び、1945年8~9月、スターリンに火事場泥棒的に軍事的に奪われた歴史過程を詳細に知るべきである。侵略された経緯に関する知が、反転して奪還する知を磨いてくれる。が、このテーマ、紙幅の関係から、別の機会に譲るとしよう。
KGB語「オホーツク核要塞」を排撃し、正語「オホーツク“日本内海”化」に進撃しよう
日本が、日本周辺の安定的平和を希求するなら、その一つとして、オホーツク海を日本の内海にしなければならない。このためには、最低限、二つの事をすべきである。
第一。オホーツク海に日本の海自“艦艇”が突入した時、最大の障害物となるロシア兵器を排撃すること。その一つに、ロシアの巡航ミサイル搭載のヤーセン級攻撃型原潜(SSGN、水中速度31ノット、水中排水量1万4千㌧、ミサイルVLS×8セル)がある。近々四隻体制になる。このヤーセン原潜撃破には、(台湾防衛のための中古ロサンゼルス級の原潜八隻に加え)一隻につき二隻で襲うべく、北方海域防衛に同八隻の配備を急がねばならない。
第二。日本は、北方四島を無血進駐で奪還し、続いて得撫島を含めたクリル諸島全てを奪還せねばならない。そうしないと、オホーツク海の“日本内海”化は無論、択捉海峡の“日本領海”化もできない。カムチャッカ半島のロシア軍港を根底から破壊尽くす戦力を日本国が保有するのは、避けてはならない。
当然のことだが、樺太の奪還は、より一層、困難。が、父祖が開発した固有の領土であり、日本は遺棄することはできない。ロシアから樺太を奪還してこそ、日本は真正の主権国家を復権できる。
このためにも、精神における正常性を日本人は回復すべきであり、その方法は、まず、KGBから垂れ流される“日本人への脅迫語”「オホーツク核要塞」に怯えない/恐れない事であって、このKGB語「オホーツク核要塞」を粉砕し排撃することである。北方防衛のために日本人が必要とする言葉は、ただ一つ「オホーツク海の“日本内海”化」だけである。さあ、魂ある日本人よ、KGB語「オホーツク核要塞」をぶっ壊し、正語「オホーツク海の“日本内海”化」に向かって進撃しよう。
(2024年3月20日記)