大嘗祭は、新嘗祭とは異次元に相違し、神嘉殿での挙行は絶対不可──秋篠宮殿下の御“無知”は臣下の責任。担当大臣の菅義偉は即刻、引責辞任せよ!

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 2018年11月30日、日本中に激震が走った。秋篠宮殿下の御誕生日に当たるが、この日の発表を予定した殿下の事前記者会見の録画が一斉にテレビから流れ、また新聞各紙が大きく報道したからである。その衝撃ご発言は、次の二点。

 第一点。共産党と全く同じ真赤な憲法解釈(憲法第89条の捏造的な嘘解釈)を狂信されておられる秋篠宮殿下は、「大嘗祭は宗教色が強い。国費で賄うことは、政教分離を定めた憲法違反に当たり、適当ではない」というもの。第二点。「大嘗祭の費用は、(質素倹約の御生活しかできない現在の皇室)内廷費をさらに倹約して賄うべき。神嘉殿で挙行すれば、それは可能」というもの。  

 オマケの三点目にも触れるとすれば、「山本信一郎・宮内庁長官に伝えたが、同長官は、聞く耳を持たなかった」とお述べになられたこと。

秋篠宮の衝撃“ご発言”を機に、われわれ真正の日本国民は一大発奮しよう

 私は、秋篠宮殿下のご発言には全く驚かなかった。毎日新聞が三カ月前の8月に報道済みだったこと(注1)。秋篠宮殿下が強度の共産党シンパであられる事実を昔から仄聞していたこと。などからである。 

(備考)秋篠宮殿下のIQは極めて高く、東大でいえば上位一割以内に軽く入るレベル。国民はこのことを踏まえて、秋篠宮殿下のご発言を考察すること。

 私が驚かなかった理由には、もう一つある。1947年に「皇族」の身位を剥奪され「民間人」に降下を強制された十一名の宮家当主のうちお二方が“赤い皇族”だったので、これが三名に増えたと思えば済む話と考えているからである。“赤い皇族”のお一方は、戦後すぐ総理大臣にご就任された東久邇宮稔彦王殿下。事実上の日本共産党員であられた。

 もうお一方は賀陽宮恒憲王殿下。近衛文麿とともに、ベリヤが統轄していたNKGBに所属する“ソ連「対日」工作員”。政治天才の昭和天皇は、大東亜戦争の開戦以前からこの事実をお知りになられておられ、賀陽宮恒憲王を蛇蝎のごとく嫌悪され排除されておられた。

(備考)旧皇族の「保守」は、梨本宮守正王と閑院宮春仁王の両殿下。残り七宮家当主は「ノンポリ」と推定される。

 秋篠宮殿下の極左イデオロギー問題について、国民は決して秋篠宮殿下を非難したり批判してはいけない。天皇や皇族の瑕疵は全て政府と国民が負うべきが絶対の“法”。この原則からの逸脱は、違“法”である。天皇や皇族は神聖にして不可侵。仮に瑕疵があるならば、それは政府や国民が責任をとるべきである。

 すなわち、皇室担当大臣の菅義偉・官房長官は早急に、秋篠宮殿下に憲法第八九条に関わる共産党製の真赤な嘘解釈を刷り込み洗脳した宮内庁の国家公務員を具体的に炙り出す当然の職務を果たさなければならない。噂によれば、この洗脳を命じたのは菅義偉本人だと言う。実際の実行犯が宮内庁長官・風岡典之で、洗脳要員の宮内庁国家公務員を秋篠宮邸の職員に配属したという(注2)。この真偽について菅義偉は、自分自身の自白を含め、直ちに調査すべきだろう。

 第二。秋篠宮殿下は、「大嘗祭とは、新嘗祭にプラスαしたもの」と、妄想レベルの大錯覚をなされておられる。(宮内大臣の廃止に伴い、戦後の法制として官房長官がそれを引き継ぐと定まった)皇室担当大臣の菅義偉は、この「皇族が大嘗祭に無知であられる」事態の招来に責任をとり、大臣の職を直ちに辞するべき。大嘗祭は神嘉殿では万が一にも斎行できない事など、皇室祭祀の初歩的知見。こんなこともご教育されていないのは、政府の重大責任であり、菅義偉・官房長官の辞任だけでなく、安倍晋三・総理大臣も引責辞任すべきである。  

 以下、“大嘗祭は神嘉殿では斎行できない”という初歩的知見をかいつまんで概説するのは、この問題意識からである。

大嘗祭は、起源も儀式目的も、新嘗祭とは全く異質で異次元

表1;発祥(始原)も儀式も全く相違する、大嘗祭と新嘗祭

(備考) 表1では、祭祀と神事とを区別している。広義の祭祀ではなく、ここでは狭義の祭祀をもって祭祀としたからである。広義の祭祀は、①祭神を祀る祭祀(宮中三殿などでの祭祀は狭義)と②祭神不在の神事の双方を含む。祭神不在の神事である大嘗祭は、広義の祭祀であっても、狭義の祭祀には該当しない。

大嘗祭を正しく理解するための文献史料

 平安時代までの儀式書は、秘儀の大嘗祭をおおむね正しく理解していた。南北朝から室町時代に入ると、一条兼良『代始和抄』ですら重大な間違いを犯すようになる。昭和に入るや、折口信夫ら、学界では天皇侮辱が横行し始め、天皇制廃止の「学問」が遂に台頭。折口の『大嘗祭の本義』(1930年、1928年6月講演を大幅に加筆)は、この唾棄すべき嚆矢(注3)。

 すなわち、大嘗祭については、拙著『徳仁《新天皇》は、最後の天皇』201頁にも明記したが、第一に、表2にリストした儀式書を精読すること。第二に、残されている大嘗祭関連の絵図から、大嘗祭を合理的に推定すること。この二つからの逸脱は絶対にすべきでない。第三は、第一と第二を整合させていく作業。これら三つは、秘儀である大嘗祭の真相と核心を知るために不可欠な入門段階の学術方法論。これを怠れば、大嘗祭論は紛い物とならざるを得ない。場合によっては捏造になろう。

表2;大嘗祭を理解したいなら、最小限読むべき儀式書(『儀式』『延喜式』『西宮記』がベスト)


 (天皇制廃止の極左ドグマがないと断定されるorと仮定して)一条兼良やその他の学者たちの間違いは、次の三つの事柄のいずれか、もしくはその複合から発生している。第一は、祭神不在の大嘗祭に祭神を詮索すること。祭神が祀られると強弁するなら、『令義解』に従えば、ニニギノミコトに化身された天皇ご自身も祭神のお一方として祀られておられることになり、理に合わない。

 第二は、大嘗祭を、表層上の類似性をもって、異次元にある新嘗祭の近縁的延長上に捉えること。第三は、「第一神座」である八重帖の上で衾を被り天皇が仰向けに寝られる所作を一切無視し、この秘儀あって初めて可能な、二次的な“第二神座での神膳供饌の儀式”を、これが大嘗祭のすべてだと短絡すること。

気をつけよう。大嘗祭論の著作や論文の過半は、口から出任せの嘘八百の大洪水

 この種の大嘗祭捏造に精を出す「エセ学者」は数知れず。その好例として、誰もが抱腹絶倒する吉野裕子『大嘗祭』(注4)を垣間見てみよう。女性は生まれつき歴史学の能力がないにしても、吉野裕子は特段にひどすぎる。

「大嘗祭の内容そのものは、毎年行われる新嘗祭と全く同じ」(1頁)。 

「大嘗祭は新嘗の祭り、つまり収穫祭であると同時に天皇の即位式でもある」(10頁)。

「大嘗祭の最重要な祭りは、・・・悠紀・主基両殿で行われる御饌の供進である(=神事空間のほとんどを占める衾や坂枕や八重帖や沓などの第一神座は、この祭りに不必要な盲腸飾りである)」(17頁)。 

 もう一例。学術研究の方法論すら理解できないIQゼロの六流未満学者の見本のような工藤隆の著。彼の『大嘗祭』(中公新書)は、口から出任せ一色で、噴飯物の極み。共産党員であるという理由一つで中央公論新社が出版した。ほんの一部を挙げておこう。

「天皇は、神格を得るための秘儀としての第一神座での神事を、行わない」(頁、注5)。

「大嘗祭を創始(祖型を確定)したのは天武天皇。その時、伊勢神宮の祭祀を参考にした」(同)。

 秘儀を斎行されないのに、なぜ第一神座と言うのか。では、第一神座の傍で、一時間近くも天皇は何をしているのか。につき、工藤隆は説明しなければならない。のに、なぜか工藤は口を閉ざす。

 また、新嘗祭の原初儀式は天照大御神の創案である。日向三代も大和盆地の神武天皇以降の歴代天皇も新嘗祭を毎年欠かさず斎行している。だが、崇神天皇(第10代)は、皇居内にあった神宮を磯城郡の三輪山山麓に遷座し、皇居と神宮の分離を行われた。さらに、景行天皇(第11代)は、神宮を遠方の伊勢に遷幸させた。神宮が「伊勢神宮」とも呼ばれるようになったのはこのため。

 伊勢神宮の初代斎王(さいおう。斎宮さいぐうとか、斎皇女いつきのみこと、とも言う)が、「やまとひめのみこと 宛て漢字で《倭姫命》」で、垂仁天皇の第四皇女である。伊勢への神宮遷幸は、紀元後297年前後と推定される。この皇居・神宮の分離によって、従来では天皇と神宮が共同で斎行していた新嘗祭を、双方が別々に行うようになり、今に至っている。

 一方、大嘗祭は、天皇の秘儀であり、神宮は一切かかわったことが無い。伊勢神宮が大嘗祭に一切関知しないのは、この原初において当たり前なこと。が、IQゼロの工藤は、大嘗祭の儀式を天武天皇が伊勢神宮から学んだと、見え見えの大嘘を捏造する。「アインシュタインが相対性理論のアイデアを幼稚園児との討論から学んだ」と同類の、馬鹿馬鹿しいトンデモ虚言。

 天武天皇以前、全国にその斎行を知らしめていた新嘗祭と異なり、歴代天皇は、日向三代から続く大嘗祭を皇室の秘儀儀式として厳格に秘匿し、皇室外に知られるのを憚った。が天武天皇は、儀式の中身については厳格に秘匿しつつも、大嘗祭を国家の儀式としてその存在を広く知らしめることにした。工藤隆の、基本的歴史事実の無知は素人以下で、天文学的である。

「祭神なき」を「あり」と曲解するばかりか、謬説「祭神は天照大神」の異常繁殖はなぜ

 一条兼良が『代始和抄』で、「天照おほん神を下ろし奉りて天子みづから神食を進め申さるることなれば・・・」との間違った記述は、彼の影響力が大のため、後世に大嘗祭に関する謬説を蔓延させる罪作りな原因となった。具体的には、二つの重大問題を惹起せしめた。

 第一は、間違いが「第二神座での神膳供饌における祭神は天照大神」の謬説に留まらず、この間違いの論理上に必然的に発生する“虚妄の狂説”「第一神座で衾に包まるのも天照大神で、お休みになられる場所」を創作せしめる背景となった。岡田荘司は、この“虚妄の狂説”宣伝の右代表。

 第二の重大問題は、「天皇の天照大神との共食ならば、新嘗祭と同じではないか。ならば巨額な費用を要する大嘗祭をする必要はない」という、大嘗祭不要論の一大根拠となったこと。現に秋篠宮殿下は、妄説「大嘗祭は、大規模な新嘗祭」をご信じになられ、共産党憲法学説が染み込んだ大嘗祭不要論の急先鋒になられたといえる。

 話を戻す。『令義解』に「朝に諸神の相嘗祭(を斎行し)、夕には新穀を至尊(=天皇)に供す」との注記がある。「朝」「夕」は漢文体の修辞法だから無視してよいので、悠紀殿・主基殿における神饌共食は、“天皇が諸神に新穀を供するのではなく、天皇が天皇に新穀を供する”と素直に読むことができる。つまり、天皇も「諸神」のお一方で、大嘗宮ではニニギノミコトとして行動なされておられる。

 天皇は、いわば二役を演じられる。御自分が新穀を食されておられるのは、ニニギノミコトに新穀をさし上げて食べて頂いているのである。「諸神」には、天皇も、神=ニニギノミコトとしてそのお一方に含まれる。つまり新天皇は、大嘗宮=産屋にお訪れになられた皇祖母の天照大神、皇祖父の高御産巣御神、皇父の天忍穂耳命、皇母の萬幡豊秋津比賣命と同格の「天つ神」として、一緒に「あひなめ」(共食)されておられる。祀る側と祀られる側が分かれて初めて成り立つ祭祀は、大嘗祭では成立していない。

 高天原の「諸神」──「天つ神 あまつかみ」のみ。地祇(くにつかみ)は不在。「天神地祇」とするのは間違い──が集われるのが、天上の聖なる(=いつきな)悠紀・主基殿である。天皇も「天つ神」(ニニギノミコト)になられておられる以上、祭神などどこにも見当たらない。明白なこと。

 なお、大嘗祭に「祭神」を誤想した最初は、1212年の『後鳥羽院宸記』。それは「天照大神と天神地祇の諸神」だとする。この誤りは『永和大嘗会記』に引継がれ、『代始和抄』でついに天照大神が祭神となる。間違いだらけになった大嘗祭の研究を、正しく祭神不在だと当たり前に解していた平安時代に戻さなければならない。『貞観儀式』『延喜式』等の平安時代前期まで、「祭神」など荒唐無稽でお門違いだと発想されなかった。

 また、大嘗宮「一の神座」で衾に包まるのは天皇であり、それ以外ではありえない“常識”に立脚するのは、折口信夫、桜井好朗、川出清彦、真弓常忠、中川八洋ら多数派である。真弓常忠は、「ここに寝まれるのは、皇御孫命(ニニギノミコト)すなわち天皇であるとしなければならない」と明快(注6)。

 一方、根拠ゼロなどお構いなしの非常識な謬説と言うべき、「一の神座」には「天照大神が休まれる」と唱導するのが田中初夫や岡田荘司。この謬説はただ間違っているだけなら等閑視すればいい。あるいは、「一の神座は、盲腸飾りで無用な不要物」と嘯くのが、工藤隆や吉野裕子。

 しかし、後者の二説は、「大嘗祭は新嘗祭のプラスαにすぎず、神嘉殿で充分」の論拠となり、共産勢力が《待ってました》とばかり“大嘗祭つぶし”の効果抜群の屁理屈として囃し立てる以上、絶対に看過してはならない。謬説中の謬説は、目くじらを立て粉砕し霧消しておかねばならない。

紀元前100年頃の(高天原の)産屋を忠実に再現すべき、大嘗祭の悠紀殿・主基殿

 大嘗祭の真実に迫るに欠かせないのが、さまざまな絵図の研究。これを蔑ろにしてはならない。次に、これらを『貞観儀式』等の儀式史料と整合させていく作業である。

 もっとも古い九世紀の『貞観儀式』は、大嘗宮は「構ふるに黒木をもってし、葺くに青草をもってせよ」とあるから、悠紀殿も主基殿も皮の着いたままの丸木で「産屋」の骨格を作り、屋根は茅葺にしなければならないと定めた。次に「地に敷くに束草(あつかくさ)をもってし、播磨の竹簀をもってその上に加え、竹簀の上に蓆(むしろ)を加えよ」とある。

 即ち、床をつくってはいけない。土間のままにせよ、と。そして、この土間に草の束を敷け、と。まさに、弥生時代中期の産屋である。一方、江戸時代の桜町天皇の大嘗祭の絵図を観ると、床があり濡縁があり、古墳時代の建物に変貌している。弥生時代中期に拘るのを止めたのである。大正天皇の大嘗祭に至っては、田舎の古びた神社クラスにも見え、首を傾げざるを得ない。

 なぜなら、ニニギノミコト生誕から『貞観儀式』『延喜式』『西宮記』までの歴史は、一千一百年。皇室は、一千一百年という途方もない時間、世代から世代に言い伝えて天照大神/ニニギノミコト時代の、日本人の生活様式を必死になって、われわれ一般国民に遺されたのである。だが、江戸時代頃から安易にも「(当時の)現代」感覚で、悠紀殿・主基殿を古墳時代の建物に五百年ほどタイムスリップさせているのはいかがなものか。

 むろん、大嘗祭では、釉薬無しの土器の茶碗すら無く、柏の葉っぱにご飯を盛りつけた高天原の時代が、一部であれ、継承されている。ならば建物も、ニニギノミコト生誕の紀元前150~100年頃の弥生時代中期の日本の稲作農村のそれを、頑なに再現すべきではなかったか。

悠紀殿・主基殿は天上の高天原、廻立殿は弥生時代の地上、神嘉殿は現世の地上

 神嘉殿で大嘗祭ができないのは、神嘉殿が現世の建物であり、また、地上の建物であるからだ。大嘗祭の建物は、ほとんどが高天原を仮構したもので、天上のものでなくてはならない。表3に、悠紀殿・主基殿と八神殿を例示した。これらは、大嘗祭が終わる同時に直ちに解体焼却される。地上に在ってはならない、天上の高天原の建物だからである。

 廻立殿は地上のものだから、保存できるのではないかと思い付く者がいる。しかし、この考えも理に適わない。現在は弥生時代中期ではない。つまり、大嘗祭の建物は、大嘗祭が終わる同時に焼却され忽然とこの世から消えてなくなる事が絶対である。「斎場を忽然と建て忽然と消す」事なくして、大嘗祭の神事は成り立たない。

表3;大嘗祭の仮構

 序なので、大嘗祭の各儀式の時刻をまとめておく。日本人は忘れているが、弥生時代の一日は、日没をもって始まる。大嘗祭は、同じ一日のうちの、前半日をかけた儀式で、日を跨いではいない。四世紀以降、支那からの暦法輸入によって、11月「卯日の宵」「辰日の暁」の二日に亘るようになった。が、日向三代に始原する“大嘗祭は同日斎行”という事実は、踏まえておくべきだろう。

表4;大嘗祭における、各個別儀式の時刻


 ここで、私の学問的な興味を述べておきたい。第一神座における儀式を先にして、天皇がニニギノミコトに完全同体化した後、第二神座での御饌供進の儀における皇祖母・皇祖父・皇父・皇母ら「天つ神々」との神饌共食される方が、この神饌共食が一段と完全化するのに、なぜ順序を逆にしたのだろうか。この神饌共食は、里帰りのお土産渡しのようなものだからか。お土産なら神事の前に渡す。あるいは、神饌共食は、第一神座での真打秘儀を行うための前座儀式にすぎないからか。

 歴代天皇は、第一神座での秘儀儀式を関白らが記録することも口外する事も絶対に許されなかった。が、神饌共食の方は記録する事をかなり認めて、“半分秘儀”に格落ちさせておられる。「前者を真打、後者を前座」とすれば、この秘匿度と整合する。

 次なる興味は、第一神座での秘儀儀式終了後、儀式に用いた衾と単衣は、「天孫」となられ降臨される天皇とともに廻立殿に運ばれるのか否か。それは、『日本書紀』神代記にある「真床覆衾 まとこおふふすま」であり、天孫と一緒に天上から地上に降ろされているからである。

「(祖父の)高皇産霊尊、真床覆衾をもって、(孫の)天つ彦国(くに)てる彦ホノニニギノミコトにきせまつりて、すなわち、天の磐戸を引き開け、天の八重雲をおしわけて、あまくだし奉る」(注7)。

 だが、これについても、『貞観儀式』から今や1250年が経つが、一字の記録も無い。やはり、第一神座関係の儀式すべては、秘儀中の秘儀である。ということは、神饌供進の際には、関白、宮主、最姫、采女六名の計九名が悠紀殿・主基殿に侍るが、第一神座での秘儀が始まると全員退席したのではないか。悠紀殿・主基殿では天皇がお一人になられるということ。つまり、目撃者ゼロだから、記録が完全ゼロとなったと解せられる。

秋篠宮殿下は、大嘗祭を正確にご理解されておられた三笠宮殿下を侮蔑なされる?

 戦後日本で、天皇以外の皇族で、大嘗祭をほぼ正しくご理解されておられたのは故三笠宮殿下。

 戦後日本のオリエント学界を牽引された殿下の著『古代エジプトの神々』に、その記述が残っている。

「大嘗祭の第一の神座は、ホノニニギノミコトつまり《穀霊》が天から下るドラマの舞台だったと考えられる。・・・神話ではホノニニギノミコトの子孫が日本の天皇となっているから、天皇には《祖霊》が加わっているとみなすべきであり・・・」(注8)。

 生涯、昭和天皇に忠実・誠実であられた皇弟・三笠宮殿下は、大嘗祭に対しても仰ぎ見るように大切になされた。秋篠宮殿下は、このような三笠宮殿下に対し「間違っている」と難詰されるのでしょうか。あるいは、皇祖父の昭和天皇も父帝の今上天皇も立派に荘厳に大嘗祭を斎行なされましたが、秋篠宮殿下は、これにもご不満で、ご否定なさるお積りなのでしょうか。

 そればかりではない。今上天皇が現憲法下で大嘗祭を斎行なされたのは、憲法に“合法”だからである。それなのに秋篠宮殿下は、「今上陛下は、憲法違反の“非合法”で大嘗祭を斎行された!」と、国民に向かって大声で父帝を罵倒し嘘宣伝なさいました。このようなご言動は、二つの解釈を演繹する。第一。秋篠宮殿下は、今上陛下への“謀叛”を旗幟鮮明になされた、と。第二。秋篠宮殿下は自ら、「われは、憲法違反をなした“悪い天皇”の“悪い皇子”であるぞ!」とご宣言なされた、と。

 もう一つ、畏れながら、お尋ね申しあげたき事柄がございます。霊元上皇は、新帝・東山天皇の大嘗祭を何としてでも斎行すべく、徳川幕府が献上した即位大礼用の資金を節約して、1687年、(1466年を最後に、財政逼迫のため)二百二十一年間も中断していた大嘗祭を復活なされました。これを、秋篠宮殿下は、どのようにご評価なされるのでしょうか。

 また秋篠宮殿下は、財政的に困窮すると、なぜ大嘗祭が斎行できないのか、お考えになられたことがあるのでしょうか。大嘗祭を古式に従わず、簡略に行うことが可能か否かという問題にございます。唯物論者の秋篠宮殿下らしい考え方「身の丈に合った形で行うのが本来の姿」で大嘗祭を行ってよろしいのか否か、という問題ともいえましょう。

 これはまた、財政困窮の余り、大嘗祭の斎行を断念された(上記二百二十一年間の)後柏原天皇、後奈良天皇、正親町天皇、後陽成天皇、後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇、後西天皇、霊元天皇に対し、「身の丈も知らないアホ馬鹿天皇」だと、ご嘲笑なされるということでございましょうか。

 これら九天皇(もしくはその上皇)は、財政に見合うよう古式を無視して小規模化し簡略化することは、ニニギノミコトや神饌共食にご来臨される数多くの皇祖神の神々(天照大神ほか)に対し重大に不敬だと考えたのみならず、“稲霊”ニニギノミコトへの神性冒瀆となり、ひいてはニニギノミコトの化身たる天皇の聖性を毀損するとお考えになられたのである。

 神事や祭祀は、その本性から「身の丈に合った形」では万が一にも斎行できない。現に、神嘉殿で行なう大嘗祭は大嘗祭ではなく、新嘗祭の変形にすぎない。この“紛い物fake新嘗祭”を「大嘗祭」だと詐称するのは、天に唾する詐欺。それとも秋篠宮殿下は、天照大神なんか簡単に騙せるさ、とお考えなのでしょうか。

 財政問題など何でもない事ではありませんか。国民にお願いすれば一ヶ月も経たないうちに百億円~二百億円は集まるでしょう。憲法第八条は、天皇制度の根幹である大嘗祭の二千年間の継承の前に“時効の原理”において無効である。また、二千年間の継続は大嘗祭をして“法”と化しているから、ブラクトンやコークの“法の支配”の法理において憲法第八条は違“法”である。要は、大嘗祭に関する限り、憲法第八条は死文である。このことについては、拙著『徳仁《新天皇》は、最後の天皇』第三章の後編として、次稿以降に論じたい。                                      

1、『毎日新聞』、2018年8月25日付け。

2、徳仁皇太子殿下は、宮内庁の国家公務員とは軽々な会話をお慎しみになられるので、そのぶん天皇制廃止の共産主義思想を注入されて洗脳されることが少ない。一方、秋篠宮殿下は、何時も、宮内庁の赤い国家公務員と安易に会話され、しばしば討論を好まれる。その結果、真赤な共産党製の嘘憲法学を自分に刷り込ませる機会をこれら赤い国家公務員に与えている。

3、男根崇拝エロス狂の折口信夫は、1926年に始まる、東京帝大と京都帝大においてマルクス/

レーニン/ブハーリン/スターリン等の翻訳書がことごとくベストセラーになっていくマルクス・レーニン主義の大ブームに乗じ、践祚されたばかりの昭和天皇を揶揄・誹謗せんものと、昭和天皇の大嘗祭(1928年11月)の数カ月前に講演したのが『大嘗祭の本義』。出版は二年後の1930年6月で大岡山書店。折口信夫の大嘗祭誹謗を後継した、「コミンテルン32年テーゼ」系の共産主義者が、“マルキスト歌人”西郷信綱と“共産党員”岡田精司。

 折口信夫と西郷信綱の“エロ本もびっくりの聖婚譚”については、拙著『徳仁《新天皇》は、最後の天皇』の第四章第一節で言及したので、それを必ず読了されたい。岡田精司の“エロ本を越える聖婚譚”については、「大王就任儀礼の原形とその展開」『天皇代替わり儀式の歴史的展開』、柏書房を参照のこと。

4、吉野裕子『大嘗祭』、弘文堂。引用頁数は本文。

5、工藤隆『大嘗祭』、中公新書。頁数は本文。

6、真弓常忠『大嘗祭の世界』、学生社、132頁。

7、『日本書紀 上』、日本古典文学大系、岩波書店、156頁。

8、三笠宮崇仁『古代エジプトの神々』、NHK出版、31~2頁。

(2018年12月23日記)

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