即位大礼に“天皇制廃止の時限爆弾”を仕掛けた“狡猾な民族系コミュニスト”安倍晋三

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 10月22日、新天皇・今上陛下の御即位の大礼を、光栄にも、テレビで御拝視聴させて頂いた。最初に頭をよぎった事が二つ。

 第一。共産党系・八木秀次一派の「廃太子キャンペーン」(注1)、および“狂暴アナーキスト軍団”西尾幹二一派の“不敬の狂書”『皇太子さまへの御忠言』をもっての新皇后陛下へのアクドイ中傷誹謗を(注2)、双方とも、まさに高貴な華麗さをもって斬り倒し、今上の新天皇陛下への皇位継承を果された先帝・上皇陛下の“譲位ご聖断”の正しきに、昭和天皇の偉大なポツダム宣言受諾の“ご聖断”が重なる感無量の感動に襲われた。

 第二。高御座に登られた新天皇の今上陛下に、今から二千年以上を遡る昔、奈良県畝傍山の橿原の皇居に設けられた、さほど高くはない「祭壇」にお登りになられた日本国最初の即位式──そのほとんどは大嘗祭に継承されている──における神武天皇が、重なる光景がふと眼に浮かんだ。

高御座の原初は神武天皇即位礼(=大嘗祭)建造物。「奈良時代に唐帝国の影響下で誕生」は謬論

 高御座については、天武天皇による唐風「即位礼」の導入によって、次第に整備され、奈良時代に今日のような高御座が成立したとするのが通説である。

 が、この通説、全く解せない。間違いと断じてよい。何故なら、高御座を建築学的に考察すれば、唐の祭礼様式の影響が大だが、この表層上の近似性は歴史事実たりえない。なぜなら、『日本書紀』の「雄略天皇前紀」ですら、「天皇、つかさ(有司)にみことおほ(命)せて、たかみくら(壇)を、はつせ(泊瀬)の朝倉にもう(設)けて、あまつひつぎしろしめ(即天皇位)す」とある(注3)

 雄略天皇は、五世紀後半の第21代天皇。奈良時代より百年以上もはるか昔。高御座は、このように、五世紀に即位式=大嘗祭に設けられた事実が記録されている。「七世紀初頭」説の古代史学者たちの、何とも浅はかな無学ぶりは底なし。彼らは、「学」が無いのだから、学者ではない。

 そもそも今日の即位大礼の儀式様式は、(考案者は日向三代の山幸彦であろうが)神武天皇に始まる(伝統的な即位礼であった)大嘗祭から分離独立したもの(注4)。すなわち、高御座とは、元は大嘗祭の祭礼建築物。それがどのようなものであったかは、現在の高御座には外形的には痕跡が無いかもしれない。が、“高御座”出現の原初形態が神武天皇に遡ることを否定する根拠にはならない。

 なお、坂本太郎博士を直系的に継承する私は、“天皇を戴く共産主義者”津田左右吉のひん曲がった奇説「神武天皇不在論」に笑止し、軽蔑をもって唾棄している。津田の妄想「天皇制度を奉戴する共産体制の日本」など現実的にはあり得ず、“重病の妄想癖”津田らしい“砂漠の蜃気楼”。

第一節 即位儀礼における皇室伝統の破壊を強行した「反日」安倍晋三

一、(雨止んで虹が微笑む晴天の宮殿・中庭から)威儀物奉持者を叩き出した山本信一郎

 雨が降ろうと霰が降ろうと屹立し続けるのが武人である。戦闘には参じない儀仗専門の“威儀の者=武人”も、これに同じ。特に儀仗武人は、強風で威儀物がぶっ飛んで暴風雨でない限り、雨中の屹立を当然とする。これは、軍服を着用した場合にはどんな土砂降りでも傘が絶対に禁じられている全世界の軍人に共通する絶対ルールを思えば当り前の事。軍人や警察官の帽子の防水機能が最高レベルで製造されているのも、この雨天時の傘替わりだからである。

 宮内庁長官の山本信一郎は、軍人の“暴風雨時でも傘禁止”という普遍の絶対ルールについては知らないことはありえても、皇宮警察が担う皇室儀仗を宮内庁が所管する以上、“即位の大礼における威儀の者は(強風でなければ)雨中も晴天時と同じ”程度は充分に知っていた。また、そう皇宮警察からも相当強く進言されていた。だが、「午前中いっぱいは雨、午後早くに雨は収まる」の前日の天気予報に、これ幸いと、威儀物奉持「武人」20名&鉦鼓「司員」12名の全員を中庭(ちゅうてい)から叩き出すことを前日に命令した。実際には、午後一時きっかりに雨止み虹が微笑む晴天となったのに、この威儀奉持「武人」20名&鉦鼓「司員」12名が急いで中庭に戻るのを禁じた。

 これは、“稀代の共産主義者”山本信一郎・宮内庁長官が、即位式典をぶっ壊したい犯罪意図からの、破壊工作(サボタージュ)の公然実行だった。学生時代から共産党員として反戦平和の反自衛隊/反自衛官運動の延長上に、威儀奉持「武人」20名を、どんな理屈を捏ねまわしても式典会場から一掃的に叩き出す方針を強行したのである。

 威儀物の儀仗武人を晴れ着にはしゃぐ小学低学年女児に扱えば、政府関係者や一般の日本国民に気付かれずに、このサボタージュ断行が可能だと、“反天皇/反自衛官/反武人の狂妄者”山本信一郎は踏んだのである。結果は、一般日本国民と世界の賓客が見守る中、中庭はガランドウで、旗「万歳旛 ばんざいばん」他23本が空無に寂しく翻るばかりの“式典一部破壊”が成功した。

日本史上に輝く大嘘付き”山本信一郎・宮内庁長官とは、京都大学の民青ゴリゴリ共産党員出身

 まず思い出せ。山本信一郎とは、京都大学在学中に民青のゴリゴリ共産党員として、天皇制廃止の狂妄に執念を燃やす暴力革命の犯罪(予備)者であった。山本信一郎の人格は、“大量殺人も辞さない”凶悪殺人鬼よりはるかに残忍悪辣だから、度外れの真赤な嘘でも朝飯前。スターリンを思い出さずとも、大嘘付きは大量殺人鬼の属性で不可分で、山本信一郎はこの典型である。

 山本信一郎が、日本史上に残った“世紀の大嘘”で金メダル保持者である証拠を挙げておこう。山本信一郎とは、所属する共産党を背後に、過激共産党員の菅義偉・官房長官(満洲産朝鮮人2世、「すがよしひで」と呼ばず、正しく「かんぎい」と発音する事)“凶悪な隠れ共産主義者”安倍晋三と謀議して、皇統が皇位継承の伝統「譲位・受禅」で継承されるのを阻止し、その時々の内閣が新天皇を選択する「国民の代表が新天皇選択権を持つ」“共産革命”を具現化すべく(=憲法第二条の死文化)、日本人なら絶対にできない、『光格天皇実録』の大改竄を行った犯罪者である。

 『光格天皇実録』大改竄事件とは、日本史上に残るほどに空前絶後の真赤な嘘政府文書となった、宮内庁編『歴史上の実例』を山本信一郎が書いた事件を指す。仙洞御所への遷幸における光格天皇による江戸時代最大規模の“譲位パレード”は、参加した公家・地下官人・従者・所司代武士が800名を越えた。が、山本信一郎の、真赤な嘘の政府文書『歴史上の実例』は、「光格天皇は上級官人約八十人の供奉で仙洞御所に移られ・・・」「公衆に対する御列パレードではない」とした。注5参照のこと。まさに、山本信一郎は、ルイ16世をギロチンに送ったロベスピエールの化身。山本信一郎の顔からは真赤な血が滝のごとく流れ落ちている。

 だが、安倍晋三は、天皇制廃止「共産革命」の同志であるが故に、あからさまな国家公務員法違反である、この恐ろしい犯罪を犯した山本信一郎を馘首しない。直ちに分限免職断行が同法の定めだが、“真赤な歴史偽造の狂文書”『歴史上の実例』事件(2018年2月)から既に一年半、“腐敗の極を日常とする総理”安倍晋三は、犯罪者・山本信一郎を未だに側近にし続けている。

 安倍晋三とは、北方領土奪還だと詐称して、三千億円をプーチンに貢いだ“悪魔の敵国人ロスケ野郎”。安倍晋三ほどの祖国叛逆の“悪の非・国民”は、日本国二千年史に存在した例を見いだせない。安倍晋三の総理七年間とは、かつては由緒正しき偉大な日本国を、“法なき、倫理なき、人間性なき”「頭に藁が詰められた虚ろな日本人」が“死の舞踏ダンス・マカブル”に興じる、衰退の究極形態「亡びた王国」へと大破壊する逆送国政の花盛りとなった。

(備考)ここで謂う「頭に藁が詰められた」「虚ろな日本人」「亡びた王国」は、T.S.エリオットの名詩「虚ろな人間たち」(1925年作)を読みながら、私の頭にふと浮かんだ英語“head filled with straw”“the hollow Japanese”“the dead Kingdom”を邦訳したもの。ノーベル文学賞受賞のエリオットの詩ではない。

雨天の場合、開始三分前の午後12時57分に決めればいい。なぜ前日の決定を固執し続けたか。

 さて、威儀物奉持「武人」20名を一名たりとも式場に出さなかった不祥事について、宮内庁は「雨天だっただけでなく、強風もあった」と、弁解しきり。そして、実際に旗(旛、ばん)三本が落ちたのを、言い訳にする。が、二十六本中の三本が落ちただけ。二十三本は何ら問題なかった。つまり、威儀物奉持「武人」20名は、所定の位置に急ぎ駈けつけ着席すべきが常識中の常識。なのに、それをガンと阻止したのが、“共産党の悪魔”山本信一郎であった。

 雨天で問題となるのは、鉦&鼓のみ。楽器なので、雨に濡れると音色が変わるからだ。この対策は、透明ビニールで覆えば、対処できる。しかも、午後一時、雨は止んだ。風も止んだ。実際には、透明ビニールも要らなかった。

 大極殿あるいは紫宸殿での即位式では、雨天の場合の「雨儀」が定められていた。回廊や廊下で代用せよと。が、京都御所の紫宸殿の(向かって)右横の複数の回廊は、壁はなく横から見ればスカスカ。つまり、これら威儀物も威儀の者も丸見え。「雨儀」として成立が可能な建築構造。

 ところが、犯罪者性が強度の山本信一郎は、紫宸殿やその南庭とは建築様式が異なる、現在の宮殿の建物内部の「廊下」に、わざと適用した。各国の賓客が御列席される長和殿からは、全く見えない。正殿の隅に雑然と座る、鉦鼓の司員が、ガラス越しに幽かに見えただけだった。

 結論を言おう。よほどの強風で無ければ、大雨であろうと大雪であろうと、威儀物奉持「武人」と鉦鼓「司員」は、庭にてその職務を果たすべきである。それが、国家における最重要な伝統儀式に携わる者の職務であり、皇室を奉戴する我ら日本国民の世襲の義務である。権利は放棄できるが、義務は命を懸けても果さなければならない。

(備考)台風の暴風雨時にも警察や消防が傘を差さず出動する。それが職務だからである。儀仗武人の職務放棄に、雨は理由にならない。

二、立ち位置「中庭」or「正殿の廊下」を無視した、“野蛮人”安倍晋三の傲岸不敬

 安倍晋三の寿詞(よごと)は、二つの許しがたい皇室伝統破壊の罪を犯した。彼の皇室伝統破壊工作「第一」は、安倍の立ち位置が、畏れ多くも紀子妃殿下よりも前で、これほどの不敬千万、かつて日本国の歴史にあっただろうか。即位式典における臣下は、最も天皇に近づいても、紫宸殿の「南栄」(南側の軒先の下)と定まっている。現在の宮殿の正殿でいえば、廊下だと定まっている。

 これは、大正天皇の即位の大礼における首相・大隈重信も、昭和天皇も即位の大礼における首相・田中義一も峻厳に守った。むろん、大隈重信や田中義一が奉答の寿詞を奏上することについては、後述する理由において、私は賛成しないが。

 しかも、大隈も田中も、洋装の安倍晋三のようなふざけた出で立ち(衣裳)ではなく、衣冠束帯に身を包み、紫宸殿の南庭(だんてい、なんてい、備考)より十八級の南階(みなみのきざはし)を登り、寿詞奏上が終わると後ろ向きのまま、十八級の階段を降りたのである。しかも大隈は足が悪かったので、この階段の昇り降りの練習を数週間費やした。総理が主導する万歳三唱は、田中も大隈も、この南庭に降りた後。一方、安倍晋三は、新帝を仰ぎ見ることなくして、正殿の松の間に闖入した立ち位置から、万歳三唱をした。礼節も伝統も弁えない野卑粗暴な野蛮人の所業。 

(備考)現在の宮殿にも「南庭」があり、紛らわしい。注意の事。

 もう一度言う。安倍晋三は、紫宸殿に相当する現在の宮殿の正殿において、その廊下ではなく、松の間に深く入り込み、しかも紀子妃殿下より前に立った。安倍晋三とは、皇族に対する礼節も伝統に対する敬虔も心得ぬ、野卑粗暴な野蛮人の何物でもない。

 2006年秋、米国のコンドリーザ・ライス国務長官が喝破したごとく、安倍晋三の本性はrogue(ならず者)。安倍晋三は、文明国のローマ帝国に侵入したゲルマン蛮族の生れ変りで、文明国日本の恥辱の極み。安倍晋三には大好きなシベリアに移住してもらい、日本国から叩き出そう。

 なお、中庭側の正殿のガラス戸が外れるのかどうか、私は知らない。おそらく、設計者は紫宸殿を想定しているので、外れるのではないか。その場合は、なおの事、安倍晋三は宮殿・中庭から設置されていた十八級の階段を登って、正殿の廊下で、奉答の寿詞を奏すべきであった。

 安倍晋三の寿詞に関する第二番目の犯罪とは、そのトンデモ内容の問題。これは、第二節で徹底分析する。

三、皇太子の昭和天皇の先例において当然の、悠仁親王殿下の御参列を妨害?

 「即位礼正殿の儀」をテレビで拝視聴していた国民の多くが愕然とした光景があった。男性皇族が余りに少ない事態である。これに対処するに、共産主義者で宮内府次官だった加藤進の1946年陰謀によって、1947年秋、GHQも寝耳に水で驚愕した皇籍剥奪で、民間人になられるのを強要された旧皇族を復籍すればいい話ではないか。これについては、拙著『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』の第二章を精読されたい(注6)

 さて、10月22日「即位礼正殿の儀」において、国民の多くが失念した重大な問題がある。悠仁親王殿下に御参列して頂くべきに、そうしなかった問題である。新天皇と“皇太弟”秋篠宮殿下はご年齢が近く(備考)、崩御と薨去がほぼ同時の事態を憂慮しておかねばならない。すなわち、悠仁親王殿下の登極を準備しておくのは、今から始めるべき喫緊の課題である。悠仁親王殿下が「即位の礼」を御学習なされるに、今般の「即位礼正殿の儀」は、またとない機会であった。

(備考)身位の語彙ではなく、皇位継承第一位を抽象的に意味する珍奇な「皇嗣」殿下を、我ら真正な日本国民は使用を拒否して、正しく身位の語彙「皇太弟」とお呼び申し上げようではないか。

 しかも、「未成年皇族は天皇の公の儀式にご参列賜わず」の皇室伝統の例外の先例がある。それが、大正天皇の「即位の大礼」における、まだ御年十四歳であられた昭和天皇が御参列。大正天皇は御病弱であられたので、大正天皇のご聖慮および政府関係者の一致した意向での例外御参列であった。十四歳の昭和天皇のご装束は、冠の無い束帯であられた。

「皇太子殿下には、空頂黒幘とて御冠は戴かれず、御頭にお添髪を入れて真中より分けさせたまへる御髪は、聖徳太子の絵像を拝するがごとく、闕腋の御袍に、御半臂、御下襲、御単衣、御表袴、平結の御装束にて、梨地螺鈿の細太刀を帯せ、御糸沓を穿ちたまひて、高御座の御前東手に朱塗唐草の蒔絵せる御椅子に倚らせたまひ」(注7)

 悠仁親王殿下の特別例外の御参列を拒絶したのは、“三匹の過激共産主義者”安倍晋三/菅義偉/山本信一郎が、今上陛下の次代として愛子内親王殿下を想定しているからだ。秋篠宮殿下を自動的に皇位を継ぐ身位「皇太弟」にせず、継承順位変更可能な「皇嗣」としたのも、愛子内親王殿下を皇太子にすべく、皇太子を空位にしておくためである。安倍晋三は、志位和夫率いる日本共産党とは、紛れもなく“思想におけるクローン”。

 安倍晋三とは、農民婦女子150万人(実数)を「餓死殺戮」した、ヒトラーの数百万ユダヤ人「チクロン殺戮」に匹敵する、1984年エチオピアの(自称レーニンの生まれ変わり)メンギスツ大佐を崇拝した“気狂いサイコパス”安倍晋太郎の息子で、父親のDNAを確実に相続している。安倍晋太郎のサイコパスについては、参考書を注8に例示しておく。

 “三匹の過激共産主義者”安倍晋三/菅義偉/山本信一郎を日本国からシベリアの凍土に追放しないとすれば、日本は女性天皇・女系天皇による天皇制度の廃滅の危機から解放されることはない。

第二節 新天皇の皇位を皇祖皇宗から切断した、安倍晋三の“狂”勅語

 安倍晋三は、一人芝居を得意とする腹話術の達人で、詐欺師顔負けの“国民騙しの腹話術師”。何故なら、10月22日の、新天皇陛下の即位勅語は、安倍晋三がコリアン共産党員・菅義偉と謀議して纏め、その直後に閣議決定し、新天皇陛下に対し「これを、このまま読め」と強要強制したもの。刑法強要罪の不敬犯罪のシロモノである。

 安倍晋三が奉答の即位勅語に続く寿詞は、漫才のボケと突っ込みを真似て、即位勅語のお言葉を強引に捻じ曲げ「おい、新天皇よ、お前は元首ではないのだぞ。今、お前は自ら《藁人形か木像でございます》と言ったのだ。その通りだ。これからは、オレ様の言う通り、藁人形として行動せよ」と宣言した。要するに、勅語も寿詞も安倍晋三が筆を舐めなめ書いた作品だから、新天皇の勅語は、安倍晋三の腹話術と同じ。よって、それへの奉答は、安倍晋三の八百長一人芝居。

 私は、この「即位の礼正殿の儀」を、テレビの前で直立不動して拝視聴していたから、安倍のトンデモ寿詞を聴いた瞬間、思わずテレビの安倍晋三の顔面を蹴り上げた。股下の脚長がモデル菜々緒とは異なり十分では無く、悲しくもテレビには蹴りが届かなった。続く安倍晋三が音頭の万歳三唱に与するのは絶対に嫌だったので、神武天皇の即位式における「八開手(やひらで、八回の大きな拍手)四度」に変更し、三十二回の拍手をした(備考)。万歳三唱は唐風。今後は、万歳三唱の後に和風の八開手四度を加えるべきだ。

備考;8回×4度=32回。

 話を戻す。新天皇陛下の即位勅語とは、安倍晋三の寿詞も、天皇陛下をギロチン送りの死刑に処すための“死の十三階段”の十二階段に相当する、1791年9月3日制定の王制廃止予定憲法とその憲法制定を祝う会場(9月14日)における、一年四ヶ月後にギロチン処刑されるルイ16世国王陛下の勅語をそのまま転用した文言であった。日本国憲法からは演繹できない、天皇制廃止を秘めた“殺意ギラギラの狂妄語”が噴き出している。

宮澤俊義と同じ「天皇をギロチン処刑しよう」の殺意が漂う“天皇憎悪狂”安倍晋三の“酔言”寿詞

 まず、“悪魔の共産主義者”の正体をぬっと現した安倍晋三「寿詞」の、その恐ろしい暴言の一つ。

①「天皇陛下から…日本国憲法に則り、象徴としての責務を果たされるとのお考え・・・を伺い、・・・感銘を受け・・・敬愛の念を今一度新たに致しました」

 天皇は天皇であられるそのこと自体において至上の尊貴であり、われら日本国民は無限の敬仰を捧げる光栄に感激し震えるのである。だが、残忍な人民大量殺戮を快楽する、スターリン崇拝の狂人コミュニスト安倍晋太郎のDNAを持つ“凶悪ゴロツキ”の安倍晋三は、このように「天皇が象徴の責務を果たさなければ、敬愛の念をもちえない」と言い放った。

 そもそも、即位の大礼における寿詞の基本形式と精神は、神武天皇の御即位に始まる1900年続いた、(原初形式を濃く残している)中臣の寿詞(注1)から逸脱することは許されない。米国製日本国憲法をジャコバン党のフランス革命憲法に摩り替えた宮澤俊義的な改竄・歪曲のトンデモ誤解釈でも、憲法第二条に基づく、新天皇の即位式典における臣下の寿詞に関して、「中臣の寿詞」が憲法違反だとの詭弁をつくりえない。

 成蹊大学卒の“スーパー馬鹿”安倍晋三は、総理の判断として“「中臣の寿詞」が憲法違反だ”と断定した。だったら、安倍はそれを国民に説明すべきだろう。安倍晋三は、むろん説明しない。真赤な嘘の詭弁で固めたものを口に出せば、袋叩きになるからではない。破綻詭弁が曝されれば、今後、寿詞が「中臣の寿詞」にせざるを得なくなるからだ。

 さて二番目。次の安倍晋三の共産党員的な“反・天皇”誹謗暴言も、腰を抜かすレベル。

②「国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ・・・」

 なんじゃい、これ。“天皇は天皇である”が故に、われら日本国民は天皇を仰ぎ、尊崇するのである。天皇を「日本国及び日本国民統合の象徴」であるが故に、尊仰している日本人など、一人もいない。むしろ、多くの心ある国民は、天皇が「日本国及び日本国民統合の象徴」であることに、違和感を覚え、「何か変だ」と見抜いている。確かに1960年代までのように、「天皇を象徴だと! トンデモ不敬だ!」「天皇を富士山や桜と同列に扱うなど、ふざけるのもいい加減にしろ!」が、国民六十%の声だった時代は、今では見当たらない。しかし、「何か変だ」は根強く、国民のほとんどの共有意識。

 もっとはっきり言おう。天皇を「日本国及び日本国民統合の象徴に過ぎない」とするのは、共産党・朝日新聞等の天皇制廃止勢力に限定されている。つまり、安倍の上記②は、安倍晋三が共産党員と同等のコミュニストである証拠であろう。

 なお、天皇制廃止を目指す憲法学界用語「象徴天皇」に関する学術的分析を、拙著『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』が第七章「学問的に成り立たない“革命スローガン”象徴天皇」において、分析している。それを精読すれば、安倍晋三や内閣法制局が、完全に狂った謬論を展開していることが、瞬時にして氷解する。拙著『天皇退位式は皇統断絶』および『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』の両書を読まずして、皇統護持の健全な日本人になることは万が一になりえない。

 換言すれば、拙著『天皇退位式は皇統断絶』および『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』が本棚にあるか否かは、本当に本心から皇統護持を考えているか否かのリトマス試験紙になっている。

 さて、安倍晋三の寿詞には卒倒する狂語妄言がある。いや、元来あるべき「寿詞」の本旨を冒涜し、それに180度乖離する「日本を共産社会に革命します」の宣言になっている。それが次。

③「私たち国民一同は、・・・人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ時代を創り上げていく・・・」

 安倍晋三が、日本とは文化が無い野蛮国だと断じているのは、この「文化が生まれ育つ時代を創り上げていく」において明瞭。異論の入る余地はない。しかも、「新しい文化を産み育てる/創造する」は、共産党のドグマではないか。安倍晋三とは、内心では、共産党員であるのをはっきりと自覚している。安倍晋三の寿詞が、ことごとくあるべき寿詞とは逆さなのは、安倍がかくも強度な共産主義イデオロギーの狂信者であることを知れば、瞬時に明快に氷解しよう。

 寿詞とは、臣下が天皇に対して、イ新天皇の即位に歓喜する歓びの賀詞であり、ロ誠心誠意での臣従を誓う誓詞であり、ハ神仏に新天皇へのご加護を祈る祈祷文でなければならない。そして、ニ国民に、新天皇が神武天皇以来、連綿たる践祚を繰り返されて皇位を継承された事実を、国民に告げ、日本国民をして神武天皇の御代までの二千年間以上の日本国の天皇の歴史に誘っていくものであらねばならない。

 つまり、即位式における臣下の寿詞は、「新天皇陛下は、皇祖皇宗の大訓を奉承することにおいて、皇位に即かれたこと」及び「神武天皇以来の世襲(血の連続)において大統(天皇の位)を承(紹)継なされたこと」に言及しなければならない。この言及を一切しなかった安倍晋三とは、憲法第二条に違反する。そればかりか、安倍晋三は憲法第二条を重大に蹂躙している。安倍晋三とは、スターリンや金正恩と同じく、憲法の不在化と憲法冒瀆を旨とする独裁者然の凶悪コミュニスト。

 さて、新天皇勅語の冒頭にある、全く不必要な④「先(5月1日)に、日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました」は、天皇制廃止を合法化する、恐ろしい文言。なぜなら、現在、安倍内閣も内閣法制局も、皇位継承の憲法第二条を死文に扱い、憲法第一条を歪曲した改竄解釈「新天皇を誰にするかは、国民の代表たる内閣と国会が選択する」と解釈している。

 つまり、今上陛下が「日本国憲法に拠り皇位を継承した」は、内閣と国会によって皇位に即いたという意味になる。先帝陛下から皇位を受禅して践祚したのではないという意味になる。すなわち、“譲位・受禅の皇位継承を否定します”の宣言になっている。

 しかも、特例法第一条も、「皇位は、国民が審査して了解した場合のみ、その位に即ける」と定めているから、「特例法によって皇位を継承した」と称することは、先帝陛下からの受禅によって皇位を継承したのではなく、「内閣と国会によって新王朝の初代天皇になりました」の意味。安倍晋三は、見事に、国民を欺いて、天皇制廃止の一歩手前の、万世一系の連綿たる皇位継承を法的には完全に破壊尽すのに成功したのである。

天皇勅語も、総理寿詞も、「皇祖皇宗から連綿の践祚繰り返しで皇位を継承した」が絶対不可欠

 以上のことがらを深慮しつつ、総理寿詞の問題に戻るとしよう。

 「総理寿詞」方式は、今般の安倍晋三のような“許されない天皇侮辱・冒瀆”事件を惹起するばかりか、このような共産革命の天皇制廃止の時限爆弾仕込みを可能とする。つまり、まず第一に、新天皇に対して傍若無人の恐るべき暴虐不敬事件を起こすことにおいて、「総理寿詞」の形式は、今後は絶対にしてはならず、絶対に廃止しなければならない。第二に、天皇制廃止への天皇殺しへの時限爆弾を潜ませ得る事において、総理寿詞と閣議決定する天皇勅語方式を、絶対に確実に永遠に廃止せねばならない。

 すなわち、総理寿詞の廃止は、ためらうことなく断行すべき時を迎えたのである。今後は、神武天皇以来、一千九百年以上の永きにわたる制度である、上級堂上公家が奏する「天神寿詞」方式に戻すということである。つまり、大正天皇以来の新奇な「総理寿詞」方式を、完全廃止しなければならない。ちなみに、「126代+北朝5代=計131代」の天皇の即位式で、総理寿詞は、表1のように3%の4代に過ぎない。97%の上級堂上公家の「天神寿詞」に戻すことは、歴史における常識の覚醒であり、まさに常識を回復させる事に過ぎない。

表1;寿詞の奏上は、摂関家の堂上公家に戻し、不敬と冒瀆の「総理大臣寿詞」を廃止しよう

(備考)海部俊樹の地元選挙区における選挙運動員はほぼ全員、党籍のある共産党員だらけだった。これは、現在の愛知県知事・大村秀章の周辺が北朝鮮人だらけなのと、実に酷似している。大村秀章は、菅直人や菅義偉と並び、「在日」北朝鮮人二世/三世の出世頭である。

仮にも天皇勅語を廃止しないなら、最小限、昭和天皇の即位勅語を踏襲することが絶対となる

 大正天皇に始まる新天皇の即位勅語は即刻廃止されるべき理由を、別の視点から検討しておこう。まず、即位式の原点に立ち返ってみよう。即位式とは、皇位継承に欠かせない「三種の神器の捧呈」「天神寿詞の奏上」「高御座への昇壇」の三つで構成されなければならないし、それが根本。それ以外にあるとすれば、「臣下と国民が欣躍・歓喜すること」だけ。

 ところが、皇位継承を皇位継承から逸脱させ政府のお祭りにすべく、それを皇室から簒奪する全面的な改悪が、大正天皇の即位式になされた。それが即位勅語と言う奇々怪々な珍儀式の導入であった。まず、「三種の神器の捧呈」を廃止した。初めから三種の神器は新天皇の後ろの案におかれて、捧呈の儀式が無くなったのである。次に「高御座への昇壇」も廃止された。御簾や御帳を開けると、初めから新天皇がすでに高御座に直立なされており、これでは昇壇儀式の消滅ではないか。

 次は、「天皇勅語があるから」の理由で、公卿による「天神寿詞の奏上」が廃止され、臣下の総理寿詞になった。総理寿詞では伝統が完全に抹殺され、“俺様は天皇より偉いのだ”と傲岸不遜な安倍晋三のように、雑談調の共産革命宣言などに変更・すり替えが恣意的になされてしまう。天皇の即位勅語が無ければ、同時に総理寿詞は廃止になる。総理寿詞の廃止を実現すべく、天皇の即位勅語の廃止を断行しなければならない。

 さて、この問題をいったん離れて、今般の新天皇陛下の勅語を検討することにしたい。なぜなら、この宮澤俊義が乗り憑(つ)いた安倍晋三による即位勅語は、ギロチンで処刑送りするためにジャコバン党が狡猾に考えたルイ16世の破滅の勅語のそのまま。こんなトンデモ勅語、皇位継承を定めた日本国憲法第二条のどこを叩いても出てこない。当然だろう、1791年9月のフランス革命憲法を敷衍したものなのだから。すなわち、安倍晋三は、マジシャンのごとく、1946年11月制定の日本国憲法を、1791年9月制定のフランス憲法に摩り替えている。後者の憲法の恐ろしい条項については、拙著(注3)を参照されたい。

 新天皇の今上陛下は、「俺様は天皇より偉いのだ」と暴走する凶悪コミュニスト安倍晋三が書いたトンデモ内容の勅語(閣議決定して陛下が手をお入れになるのは不可能)を、そのまま下し給われた。

「国民に寄り添いながら、憲法に則り、日本国及び日本国民統合の象徴としての務めを果たすことを誓います」(10月22日)

 天皇の「務め」は、第七条の国事行為など、憲法に明文化されており、このような内容は即位式に全く不必要。なぜ、安倍晋三は、こんな不要な盲腸文を書いたのか。「新天皇よ、お前は桜や富士山並みの象徴=物にすぎないのだ。元首ではないのだ。“総理が上、天皇が下”なのだ」を、天皇みずからに「承知いたしました」と言わせしめるのが目的だからだ。

 憲法第七条が定める国事行為は、「天皇は立憲憲君主である」との定めだから、現憲法においても「天皇は元首である」と解釈するのが憲法学の正しい常識。現に、(芦田均を除き)1960年代までは吉田茂ほかそう解釈した総理が多数派だった。このことについては拙著『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』第八章を参照の事。

 が、共産党や宮澤俊義ら天皇制廃止勢力は、「天皇=国家の元首」ではなく、ギロチン送り直前の「天皇=国民の象徴」に過ぎないと、憲法を歪曲改竄し、それを流布宣伝に努めてきた。「国民の象徴」に過ぎなければ、国民=国会の意思で廃止が容易に可能。「国家の元首」なら、国民=国会を国家と同等とする詭弁は難しいので、また二千年間の国家の伝統=“法”が憲法の上位にあるから、国会の暴走を合法・合憲とは簡単にはしないからだ。

 安倍晋三は、宮澤俊義系だから、天皇制廃止を心底の信条として秘めている。その上に、父・安倍晋太郎の「天皇制を廃止せよ」の遺言を実行したく、譲位を禁止し、特例法で皇太子の身位を廃止し、一歩一歩、天皇制廃止を進めてきた。GHQが“占領中に限り”と、「元首」を代替する緊急避難的/一時的な文言「象徴」を、あろうことか不必要にもわざと勅語に挿入した安倍晋三の犯意は、もう透け透けに丸見えではないか。

皇祖皇宗 惟神(かむながら)の大道に遵ひ 一系無窮の永祚を傳ヘ 朕が躬(み)に逮(およ)べり

 このような安倍晋三が作った天皇制廃止を潜ませた勅語を閣議決定させない方法は二つしかない。一つは、前述した通り、新天皇の即位勅語を廃止する事。もう一つは、新天皇の即位勅語は、昭和天皇の即位勅語を踏襲し、それ以外を認めない事。

 特に、我が国の皇位継承とは、神武天皇から百二十六代の天皇が連綿と践祚を繰り返すことによって可能となったもので、このことへの言及が無ければ、皇位継承にはなりえない。が、安倍晋三が教条的な共産党員よりも激しくこれを断固拒絶したのは、天皇はその都度、総理大臣が選ぶものであるとの先例をでっち上げたかったからである。上記に引用した即位勅語の一文が、皇位継承とは一切関係の無い「わたくし天皇は、象徴でございます」にしているのは、憲法二条が定める「皇位継承は、万世一系の世襲による」を排斥するためである。つまり、憲法第二条の死文化を図るべく、安倍晋三は、勅語を、犯罪的な憲法蹂躙の文言にしたのである。

 1928年の昭和天皇即位勅語は、現憲法第二条の定めに適合する“適法”の即位勅語である。それは次の文に始まるが、今後仮に、新天皇の即位礼に勅語形式を残すのなら、これのみがようやく許容される。これ以外は万が一にも許されない。

1928年11月の、昭和天皇の即位勅語(冒頭部分のみ)

朕 惟(おも)ふに わが皇祖皇宗 惟神(かむながら)の大道に遵(したが)ひ 

天業を経綸し 万世不易の丕基(ひき)を肇(はじ)め 一系無窮の永祚(永遠の践祚)を傳(つた)

もつて朕が躬(み)に逮(およ)べり。

朕 祖宗の威霊に頼り 敬(つつし)みて大統を承(う)け 恭(うやうや)しく神器(じんぎ)を奉じ

(ここ)に即位の礼を行ひ 昭(あきらか)に爾(なんじ)有衆に告ぐ

皇祖皇宗国を建て民に臨むや・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第三節 即位式は、日本国民が“祖国日本の再生”を神武天皇に誓う日

 「即位礼正殿の儀」が終わりテレビを消した後、脳裏に浮かんだのは、このままでは天皇制度は遠からず終焉の最後を迎える、近未来に100%の確度で起きる、日本国の暗澹たる絶望と破滅の光景であった。臍をかみながら、祖国日本の永続する生命源再生の道はあるだろうか、と思案した。ただ一つだけある。日本国の原点、畝傍山の麓「橿原」の神武天皇の御代に、真正の日本国民が精神において立ち返ること。これのみ。

 この時、何故か、1967年に鑑賞した、「感動」などの言葉では言い表せぬ、ヴィヴィアン・リー主演の『風と共に去りぬ』の画面に映し出された、ドラマが始まる前のテロップ的「序 foreword」の一節「A Civilization gone with the wind...」を思い出した。麗(令)しく美しき日本国=A Civilizationを、the wind=「安倍晋三/菅義偉/山本信一郎ら共産主義政治家・官僚軍団の暴力」に、破壊され消されてなくなる=「gone」のを、断固阻止せねばとの一念から、ずいぶんと昔に観た映画のテロップを、記憶の箪笥から突然、引き出したのである。

 この三時間四二分の大長編映画のラストシーンで、ヴィヴィアン・リーが、「そうだ、タラ(=かつて美徳と品格と高雅の花が咲いていた保守主義の小さな王国)に還ろう」とつぶやくシーンを思い出した時、“畝傍山の麓「橿原」を首都とする、原・日本国の神武天皇の御代に、精神において立ち返れ(=還れ!)”、すなわち「真正の日本国民なら、この国に産まれたと同時に世襲において負う、国家再生という高貴な義務は、神武天皇の下に結集した時に果しうる」との神仏の聲が聞こえたような気がした。

 なお、誰でも知っている事だが、映画とミッチェル原作のタイトル『Gone with the Wind』は、薄幸の詩人アーネスト・ダウスンの恋愛詩「シナラ」にある名句。A Civilization gone with the windは、映画脚本家シドニー・ハワードの作。超一流の脚本家だったシドニー・ハワードはまた、詩人の才にも恵まれていた。映画『風と共に去りぬ』の「序」は、T.S.エリオット風のハワードがつくった詩でもある。私には不可思議にも、この「序」が、二十一世紀日本への警句に読めてしまうのを抑えることができない。

There was a LAND of Cavaliers(騎士の王国) and Cotton Fields called the old South...

Here in this pretty world Gallantry(華麗なる騎士道) took its last bow.

Here was the last ever to be seen of Knights(騎士たち) and their Ladies Fair(その貴婦人)...

Look for it only in books, for it is no more than a dream remembered.

A Civilization gone with the wind ...

LAND of Cavaliersは、「天皇制度を護持するに剣を抜き命を捨てる日本国民が満ちる王国」と読む

 T.S.エリオット風の、ハワードがつくった英語詩を、今般、改めて口遊んだ時、次のような日本語に響いた。そのまま、ここに記録したい。

 黄金(こがね)なす稲穂たわわに垂れる田が山裾遠くに広がる、

高照らす日の御子を奉戴する忠良なる臣民に満ち満ちた

国名「日本」という国家が、かつて地球にあった。

 この美しき(うまし)大和の国は、(国防軍と軍人を禁止する憲法第九条と佐藤栄作の非核三原則で)

徳と名誉と正義と貴と雅と美の“武”という精神に、とうに、別れを告げていた。

 以来、日本国では、散る桜の下で大義に剣を振る武人も、

寒風に向かって咲く白梅のごとき凛と清楚・清涼なる貴婦人も、

見ることはなくなっていた。

 今、かつて地球に存在した日本国を訪ねようとすれば、書物や映像でしか叶わぬ。

日本国は、記憶と記録に残るのみで、夢の彼方へと過ぎ去った。

一つの美しき由緒正しき文明国が、

安倍晋三とその徒輩“凶悪ゴロツキ共産革命達”の無法と暴力によって、

破壊尽され消え去り、この世から無くなったのだ。

 

第一節

1、八木秀次は、今上陛下が皇太子であられた2007年から2013年にかけて、天皇空位による天皇制廃止を狙い、廃太子をキャンペーンした。保阪正康や山折哲雄が、同じ共産党の誼でこれに追随した。八木の発表媒体を一部紹介すれば、『SAPIO』2007年5月9日号、『週刊現代』2013年6月8日号、『週刊ポスト』2013年6月28日号ほか。八木の廃太子論の屁理屈には、「妃殿下が祭祀をボイコットしている」「秋篠宮殿下を、摂政に」など。

2、五人組「花田紀凱(北朝鮮人、皇后陛下テロリスト)/加地伸行(毛沢東系マルキスト)/西尾幹二(重度の精神分裂病)/鈴木隆一/立林昭彦(成蹊大学卒のスーパー馬鹿)」、および西尾幹二の“不敬の狂書”『皇太子さまへの御忠言』を購入した天皇制廃止狂の“非・日本国民”たち。

3、日本古典文学大系『日本書紀』上、岩波書店、460頁。

4、中川八洋『天皇退位式は皇統断絶』附章、ヒカルランド、205~33頁、を必読のこと。なお、この附章は、紙幅が足りず、即位式に触れていない。そこで、ここで一言。

 唐風即位式の追加を御決断なされたのは“国防&外交の天才”天武天皇。(白村江の対日戦大勝利に続く追撃戦を企む)唐帝国の対日侵攻を断念させるべく、「日本は唐帝国に次ぐ文明国で強国であるぞ」と闡明するに、唐帝国&新羅の使節に対する威圧効果が目的だっただろう。なお、唐風即位式を整備されたのが天武天皇の皇后であらせられた持統天皇。ここに、我が国の即位礼は、大嘗祭と即位礼の二つになった。両儀典の関係を整理し今日の形を作られたのが“内政の天才”桓武天皇。

5、中川八洋『天皇退位式は皇統断絶』、第一章34~7頁、第三章81~106頁。

6、中川八洋『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』第二章、ヒカルランド。

7、『即位大礼記念帖』、大正4年12月25日出版、51~2頁。

8、ヘア『診断名サイコパス』ハヤカワ文庫、レスラー『快楽殺人の心理』講談社。

第二節

1、日本古典文学大系『古事記 祝詞』、岩波書店、458~63頁に、近衛天皇の大嘗祭における寿詞が収録されている。

2、中川八洋『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』、ヒカルランド、269~304頁。

3、同上、255~61頁。

                                  (2019年10月26日記)

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