筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
【初めに】
久しぶりに長期休暇をとった。「8月1日から19日まで」だからほぼ三週間。8月20日の朝、作業室の机(両袖机二台連結)の脇に二十日分の朝日新聞が積まれており、そのチェックから夏休み明けが始まった。
朝日新聞は、祖国日本を憎悪し、日本の転覆・破壊・消滅を図るヴァンダリズムの祖国叛逆に、一般国民を誤導・洗脳する記事のみを書く。この朝日新聞固有の特性は、1910年の(日本人の朝鮮人化《=嘘つき病罹患と下劣粗暴化》を狙った)韓国併合キャンペーンをはじめ、1906年以降、百年以上も変ることがない。朝日新聞には、“報道機関の新聞”の匂いも姿勢も皆無。それこそが、朝日新聞。
しかも、朝日新聞の現在の社是は、日本国を「多民族共生社会」に改造し、しかも、その実態は「共生」ではなく、(現在のウィグル族やチベット族が漢民族の奴隷になっているのと同じ)少数民族・日本人を侵入する他民族に支配させ「奴隷化」する“地獄の新日本づくり”を目指すこと。オウム真理教の残忍残酷よりはるかに残虐・暗黒の、日本憎悪教を狂信する“狂気と殺人(「未生の日本人年間100万人以上殺戮」のこと)の超カルト宗教新聞”『しんぶん赤旗』の丸写しだから、当然だろう。朝日新聞を読めば、日本人の人格から“日本”が抹殺され生物学的ヒトに変態し、日本国をロシアと中共に献上して祖国日本を消したくなる自国破壊・廃滅に走り出す。
かくて、毎年8月のお決まり「朝日」煽動洗脳記事は必ず、これからの日本人の絶滅(絶滅危惧種的な少数民族化)と日本国を漢民族とロシア民族に献上する方向への最後の仕上げが目的の、オウム真理教の「アルマゲドン」の百万倍も狂気の、共産党が祈祷する“悪魔のカルト宗教経文”「戦争反対!」「核兵器反対!」ばかりで埋め尽くす。
夏休み明けのブログ第一号のテーマとしてはありきたりで恐縮だが、祖国憎悪「反日」教を狂信する気狂い達が絶叫調で踊り狂う、カルト宗教経文「戦争反対!」「核兵器反対!」を、一刀の下に斬り捨てることにしよう。
第一節 「戦争反対!」は、「侵略されても防衛するな!」の“亡国の魔笛”
抽象語は、エドマンド・バークが政治世界から必ず排除せよと口酸っぱく語るように、そのすべてが“国民騙しのスローガン”である。国民を洗脳するアヘン効果が抜群の宗教用語である。例外はない。なぜなら、政治とは何事も具体的。抽象語では政治を行うことができない。
例えば、具体的に「(“反・国防の極み”であるが故に)大東亜戦争は反対!」は論じられるが、抽象的に「戦争反対!」を論じることはできない。戦争なしには主権国家の防衛と自由・独立を擁護・維持できず、抽象語「戦争反対!」は、クエーカー教の宗教世界にしか住むことはできない。それよりも、「戦争反対!」というカルト宗教のスローガン(お経)は、侵略者・侵略国が、侵略前に犠牲国を油断させるために多用する危険語の最たるものではないか。抽象語は、それを耳にした瞬間、排除しない限り、国家も国民も、ISに荒らされたアラビア半島を見れば一目瞭然だが、戦争の惨禍を常態とする現実の国際社会で、自由と平和と独立を確保・維持する術を失う。
だから、抽象語を見たら、オレオレ詐欺を必ず連想し、「騙されないぞ」と構えるのが、知性というもの。賢慮というもの。だが、日本では、1926年に始まるマルクス/レーニン/ブハーリン/スターリンの大ブーム以降、この抽象語が日本人の頭を総なめ的にレイプして、日本人は以来、百年、“自殺誘引剤”抽象語に麻痺してしまった。つまり、日本人は、1926年からほぼ百年、祖国「日本」を一時取り戻したGHQ占領期を除き、知性と賢慮を失った“暗愚の民族”に成り果てた。
朝日新聞の「戦争反対」は、「合法の戦争」「違法の戦争」峻別の国際法を蹂躙する“無法者の狂説”
さて、毎年8月、日本のどの新聞紙面も覆い尽している、お決まりの抽象語がある。共産党が主導する「不戦」「戦争はいかに愚かか」「戦争か、平和か」など。これらカルト宗教の経文はすべて、“お馬鹿”日本人を共産革命に誘導するための“国民騙しの狂スローガン”。
朝日新聞は、2019年8月16日付けの二十七面の大見出しを、でっかく「戦争は愚か 伝えたい」とした。具体的に「大東亜戦争は愚か」なら、一つの意見として成り立つ。が、抽象語の二文字「戦争」をもって「愚か」など意味不明。カルト宗教のゴニョゴニョ経文ではないか。
やはり、築地の朝日新聞社本社には、日本人がいないことは自明だが、人間も一人もいない。三千匹以上の(未生の日本人を喰い殺す)赤い人喰い鮫が泳ぎ回っている、巨大な築地精神病院なのだ。そう理解すると、朝日新聞の“恐ろしい日本国絶滅”の記事が、直ぐに理解される。
もう一度、8月16日付けの二十七面と一面の見出しを見るとしよう。前者では「戦争は愚か」、後者では「不戦の誓い」の「不戦」を、高々と掲げている。まさに超カルト宗教団体の教宣煽動文。だが、「戦争は愚か」も「不戦」も、国連憲章第五十二条に重大に違背する。つまり、これら“赤い人喰い鮫が泳ぎ回る築地精神病院”が垂れ流す煽動文は、国連憲章に代表される国際法を「全面破壊しよう」との呼びかけでもある。
なぜなら、国際法は、戦争を“合法の戦争”と“違法の戦争”とに峻別し、“違法の戦争”を非として不正義に括る。つまり国際法は、“合法の戦争”を、主権国家の生存と自由のための正当な権利として認めている。これについては、筒井若水『違法の戦争、合法の戦争』の一読を薦める(注1)。
では、“合法の戦争”も含め戦争の全ては「愚か」である/戦争すべてを放棄した「不戦」こそ日本が選択すべき道だと、朝日新聞が煽動し教宣する理由は何であろう。第一は、ロシアや中共が日本国を侵略しても、(ロシアKGB工作員のコミュニスト森嶋通夫と同様)決して抵抗せず、殺され放題/レイプされ放題/餓死し放題で、日本の全領土を全て、ロシアと中共に献上すべきだと、日本人を洗脳していることは、誰しも直ぐわかろう。
それはまた、ロシアと中共に対し、「国際法なんぞ無視してしまえ」と、国際法を蹂躙して徹底的に無法者になりきって日本に大々的に侵略せよとのメッセージなのだ。朝日新聞は、1937年から45年の八年間にわたって、大東亜戦争を最も矯激に煽動して、大東亜戦争に絶対反対する良識ある愛国日本人を、逆さにも「国賊だ」「非国民だ」「八紘一宇(世界共産化を意味する露語「ミール」の翻訳語で陸軍新聞班の造語)が解らんのか」と罵倒し続けた“悪魔の赤い新聞”である。すなわち、朝日新聞こそ、スターリンや近衛文麿と同じく、日本の平和も世界の平和も破壊尽す、最凶暴な“平和の敵”である。日本の平和は、“平和の敵”朝日新聞の絶滅なくして、到来することはない。
“天才国際政治学者”チャーチルの戦争峻別手法、「善の戦争」「悪の戦争」は、実に便利で簡便
ところで、国際法の戦争峻別、“合法lawfulの戦争”と“違法unlawfulの戦争”では、なんとなく馴染めない、本ブログ読者もいるだろう。そのような方には、英国が産んだ偉大な戦争指導者チャーチルが考え付いた、“善goodの戦争”“悪badの戦争”の二分法が、簡便で解り易かろう。
このチャーチル戦争二分法を、第二次世界大戦「初期」欧州三ヶ国に適用したのが、表1である。
表1;“善の戦争”“悪の戦争”二分法の、第二次世界大戦「初期」における欧州三例
この二分法を1941年12月8日開戦の太平洋戦争に適用すると、表2のようになる。日本の対米戦争は、侵略等の“悪の戦争”の枠内には収まらない。侵略は自国の海外権益の拡大や領土拡大を目指すものだが、対英米蘭の太平洋戦争は、確かにオランダに対してはその石油を強奪強盗するのだから侵略である。英国に対しては、支那権益を強奪するのだから、これも明かに侵略。まさに“悪の戦争”。だが、米国との戦争は、表2のごとく、ヒトラーのユダヤ人殺害が小さく見える、自国民大規模殺戮と自国廃滅が主たる戦争目的。これでは、bad戦争を通り越し、まさしくmad戦争である。
すなわち、日米の太平洋戦争とは、「米国の“善goodの戦争”」対「日本の“狂madの戦争”」であった。日本が、日本を“悪魔の祖国叛逆”大東亜戦争という地獄から救ってくれた米国に感謝しないなら、日本はいずれ天罰で阿鼻叫喚の中で地球から消える。今すでに日本は、不可逆の亡国ベルトコンベアを転がり落ちている。ローマ帝国の滅亡を再現して、日本はここ三十年以内に滅亡する。
表2;太平洋戦争は、「日本救出の神風」“善の米国”と、自国破壊の“狂の日本”間の戦争(注2)
この表2についての若干の説明は注2。日米の太平洋戦争は、八年間の大東亜戦争の一部で、この間、一貫して、対支「蒋介石殺害」戦争は続いていた。八年間の大東亜戦争の全体につき、その核心を鳥瞰的に衝いた作品で、尾崎秀実の獄中『検事訊問調書』を越えるものは一つもない。教養ある愛国日本人が、大東亜戦争論のベスト本として挙げる、私の『近衛文麿とルーズベルト』も、三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』も、この尾崎秀実の検事調書を踏まえてまとめられた。
大東亜戦争の八年間すべての戦争を計画し牽引したのは、一人しかいない。近衛文麿である。近衛文麿が総理として決定したことだけをつなぎ合わせれば、大東亜戦争八年史の真実・真相は、時計より正確に剔抉される。この作業をしない、すべての大東亜戦争史は、嘘偽り塊以外の何物にもなりえない。たとえば、瀬島龍三『大東亜戦争の実相』や服部卓四郎『大東亜戦争全史』は、大東亜戦争の真相を隠し、自分たちの犯罪を糊塗するための偽情報本の極み。反・歴史が露骨な噴飯本。表3は、尾崎秀実の『検事訊問調書』の通り記述した。
なお、過激コミュニストの瀬島龍三や服部卓四郎は、大東亜戦争中、一貫してスターリンに忠誠を誓ったロシアGRU工作員であった。瀬島は1945年秋にGRUからNKGB工作員に移籍(1954年KGBへ)。服部卓四郎は、1954年にGRUからKGBに移籍。
表3;尾崎秀実がばらした(注3)、近衛文麿の“悪の戦争”目的
つまり、大東亜戦争の真実・真相を隠すには、近衛文麿の真実を隠すか否かが鍵。このため、戦後すぐ、スターリンとベリアは、朝日新聞をはじめ日本人GRU工作員/NKGB工作員に、「近衛文の歴史事実を(「スタ-リンと通謀した共同正犯の大東亜戦争の首謀者」ではないと)大改竄する偽情報本を、大量に出版せよ」と命令した。馬場恒吾や(GRU工作員の溜り場)朝日新聞は、スターリンの命令通り、すぐさま、表4にある冒頭四冊の本を出版した。のち読売新聞社の社長になる馬場恒吾の本は、戦争首謀者を東條英機に転嫁する嘘八百のアクドイ小説。鈴木安蔵とは昵懇な馬場恒吾は、強度な天皇制廃止論者で、“河上肇の忠実な弟子”近衛文麿とは共産革命の同志だった。
表4;“鬼畜の共産革命戦争屋”近衛文麿を狂信・崇拝する、“赤い悪魔”朝日新聞と共産党
表4の工藤美代子と鳥居民のは、私の『近衛文麿とルーズベルト』を叩き潰すべく背後で●●●の蠢きが顕著な、対「中川」偽情報本。窃盗常習の朝鮮人と支那人が、私の『近衛文麿とルーズベルト』を盗用盗作したパクリ本二冊は、雑文雑談レベルの駄本にすぎないから、表4にリストせず。
古川隆久『近衛文麿』は、改めて論評する。が、一言。近衛文麿の京都帝大「学士論文」もチェックしない“三流歴史学者”古川隆久は、国際政治学やロシア対外政策にはズブの素人、加えて『戦史叢書』百二巻を一頁も読めない/その嘘記述も見抜けない軍事史・戦史“音痴”、そればかりかNKGB/GRUの対日謀略の学的知見もゼロ。仮に古川が良心的であったとしても、彼の『近衛文麿』論は、意図せずして歪曲・捏造満載の巨大倉庫に膨れ上がらざるを得ない。
大東亜戦争を正しく知ることは、共産党系でない“通常の大学人”でも不可能である。終戦と同時に、狸穴のソ連政府代表部にスターリンは八百名のNKGBエージェントを送り込んだ。彼らは、ほとんど寝ずに対日工作を行った。その一部に、大東亜戦争の歴史を全面改竄する部隊がいた。これが参謀本部になり、東大・京大の“極赤”教官と朝日新聞や旧陸軍省のGRU工作員たちに全力疾走させ、大東亜戦争をあらゆる角度から捏造してしまった。近衛文麿に青酸カリ自殺を命じたのも、大東亜戦争の真実を東京裁判で語れないよう、このソ連政府代表部NKGBの仕業。
大東亜戦争の真実は、戦後直ぐは在日NKGBが、その後は日本共産党が、歴史改竄の総司令部となり、大津波に襲わせたがごとく跡形もなく流してしまった。ぽっかり空いたその空隙には、膨大な嘘歴史を注入した。関連する基礎知識量がよほど極端に豊潤でない限り、大東亜戦争の真実など、凡人学者が発見することなど、太平洋に落とした高価なダイヤモンドを発見するのよりも困難である。それでも、「どうしても大東亜戦争の真相を知りたい」「その入り口には辿り着きたい」と思うなら、表5の三冊を詳読することから始められたい。
表5;大東亜戦争の真実を知りたいなら、最初に必ず読むべき絶対三冊
第二節 田島道治『拝謁記』を摘まみ喰い報道の、朝日新聞の情報操作
『朝日新聞』8月20日付けは、NHKがすでに特集済み「田島道治の『拝謁記』」を大きく取り上げていた。が、この取り上げには、共産党の天皇制廃止革命の一手段、“昭和天皇の大東亜戦争「戦争責任」論”を蒸し返すスプリング・ボードにしようとの、衣の下の真赤な鎧が見えている。しかも、後述するが、この『拝謁記』に何か「新しい発見」があるわけでもない。
田島道治とは、礼儀正しいだけで、赤に傾くピンク野郎。自然的(穏健に、緩やかに)天皇制廃止論者。
それよりも、この『拝謁記』を報道するなら、田島道治が“自然的(穏健)天皇制廃止論者”であった最重要歴史事実を報道すべきだろう。田島道治という(当時は異例を越えた人事で、常識を超える)民間人を、首相・芦田均みずからが探し出して、1948年6月に宮内府長官に任命した。共産主義シンパの芦田均もまた、田島と同じく、“自然的(穏健)天皇制廃止論者”だった。
田島道治とは、「君が代」を小学校の音楽教科書から削除してGHQから突っ返された過激共産党員の文部大臣・前田多門とは親友だったし、共産党員より過激なコミュニストで札付きGRU工作員の鶴見祐輔とも大の仲良しだった。だから、レーニンにも傾斜する田島道治は、“昭和天皇は最後の天皇”だと信じていた。そして、宮澤俊義の天皇制廃止論文「八月革命と国民主権主義」(『世界文化』1946年5月号)の熱烈な信奉者であった(注4)。
表6;宮澤俊義「天皇は国民主権に拘束される」論を信奉した、戦後の穏健紳士な宮中関係者
“「反共」演技の天才”小泉信三を東宮御養育係に任命した人物こそ、この田島道治。有名な話。東宮殿下の御成婚のお相手に、北白川宮家「姫君」を排し、「皇后は皇族から」の当時日本の常識で皇室の絶対ルールを破壊してまで、“非皇族の民間人”を推挙した小泉信三・田島道治コンビの真意は天皇制廃止への指向に基づくが、東宮殿下が天皇にご即位されることはありえず、“天皇制廃止後に民間人となられる東宮殿下のお幸せのため”との考えが一部にあった。つまり、「皇太子妃殿下が立后なされることはない(から、皇族でない方がよい)」が、背後に自明の前提として存在した。
首相の芦田均が、昭和天皇が強く拒絶反応をお示しなられたのを平然と無視し、信任厚い宮内府長官・松平慶民と侍従長・大金益次郎を無理やり解任し、それぞれ田島道治と三谷隆信に代えたのは、芦田均が、宮澤俊義の天皇制廃止ドグマ「天皇をフランス革命の国民主権下の王様に貶める」に同調する共産党シンパだったからである。共産党が発刊決定権を持つ岩波書店が、『芦田均日記』全七巻を出版したのは(1986年)、芦田均のこの強度な共産党シンパ性を高く評価した結果。芦田均は、首相でありながら当初は内奏を拒否していた。芦田の共産党シンパ性は、度し難い。
昭和天皇の慧眼「日本共産化が目的の“祖国叛逆”大東亜戦争を否定せず真正日本の再建はない」
朝日新聞やNHKが、何一つ新味のない田島道治『拝謁記』を、大仰しく鉦・太鼓で持上げるのは、昭和天皇が大東亜戦争全面否定論に立たれ、それを止める方策がなかったことをご悔恨されることしきりであられた事実を、共産党の「戦争反対!」に悪用して、共産革命の“反戦運動に弾みをつける”犯意からである。
昭和天皇は、具体的に「大東亜戦争は絶対反対!」が強い宸念であられた。抽象的な「戦争反対!」ではない。大東亜戦争に限っての、戦争反対論/戦争否定論である。これは、多くの記録や史料がある。例えば、『昭和天皇独白録』やガンサー『マッカーサーの謎』など。なお、後者の史料の一部は、拙著に引用(注5)。
つまり、『拝謁記』1951年6月8日条「(1928年の)張作霖事件の裁き方が不徹底であつたことが、(大東亜戦争となり)今日の(=1945年9月2日の)敗戦に至る禍根のそもそもの発端」、同9月10日条「東條英機が唯一の陸軍を抑え得る人間と思つて内閣を作らしたのだ。もちろん見込み違いをした」、同12月14日条「平和を念じながら(大東亜戦争を)とめられなかった」などに新しい事柄は何一つもない。
大東亜戦争への「戦争責任」についても、昭和天皇は、それを逃避なさろうとなされたことなど、一度もない。この事実の明白性は、マッカーサー元帥との第一回会見におけるお言葉などで、明瞭すぎるほどに証明済みの事柄。陛下のお言葉の最も正確な記録『マッカーサー大戦回顧録』なども、上掲拙著は引用に怠りなし(注6)。
要は、歴史学的にほとんど新味なき田島道治『拝謁記』を、NHKと朝日新聞がなぜ大仰しく報道したのかと、その恐ろしい政治的底意を見抜けないのは、拙著『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』第Ⅱ部を読んでいないからである。三章構成の第Ⅱ部タイトルは「“大賢帝”昭和天皇のご遺詔」。今からでも遅くはない。この第Ⅱ部を読み、島田道治『拝謁記』の報道を再チェックされたい。
張作霖爆破から敗戦まで十七年間を、“共産主義者による日本国簒奪”と御喝破された昭和天皇
そもそも、狂信的共産主義者の陸海軍エリート将校と“河上肇の愛弟子&スターリンの稚児”近衛文麿が共謀し、狂気の目的「アジア共産化」のために戦争をおっ始めた、祖国に叛逆する“悪魔の大東亜戦争”に対して、戦後の日本国が全否定し反対する“正しい糾弾行為”を、昭和天皇の御一身に負わせることは“不敬の極み”。断じて許されることではない。
われわれ健全な日本国民一般こそが、祖国叛逆の“悪魔の大東亜戦争”糾弾の、その前線に立って、八年間の大東亜戦争を開戦し継戦した敵国人ロスケの“赤い国賊”を徹底的に糾弾する義務を果たすべきである。表7のリストはこの“赤い国賊”のごく一部に過ぎないが、日本国民なら、「これら“重犯罪の非国民”たちを絞首刑にすべきだった」と、“当然の糾弾の聲”を挙げるべきだろう。なぜなら、それが、それが日本国民の祖国への義務だからだ。
表7;大東亜戦争否定の真正日本国民なら糾弾すべき、“狂気”大東亜戦争を推進した気狂い達
しかし朝日新聞は、逆さにも、大東亜戦争を阻止せんとその前線で仁王立ちをお続けになられた“聖徳の天才大帝”昭和天皇に対し、「戦争責任!」などと、冤罪的讒謗の暴言を吐き続ける。まさに社員全員が“赤い人喰い鮫”の朝日新聞らしい、凶暴な暴力と言うべき“天皇憎悪”の妄言狂説。朝日新聞はなぜ、このような逆立ちキャンペーンを続けるのか。
八年間の大東亜戦争を含め、張作霖爆殺の1928年から敗戦の1945年9月2日までの十七年間、日本の国益と百八十度逆を大煽動し続けた、“スターリン直属の敵国ロシア新聞”朝日新聞は、自分の大犯罪“祖国叛逆”の責任すべてを昭和天皇に擦り付け転嫁しようと、その画策だからである。
「保守」とは大東亜戦争否定論者のこと。大東亜戦争肯定論者とは共産党・朝日新聞の一味。
ところが日本では、1984年頃から、劇的に「保守」の衰退が起きる。田中角栄の福祉国家路線と中共と国交回復したことで1970年代に自民党の社会党化が進み、1983年8月に中曽根康弘が(自民党総裁)初のヒロシマ詣でを敢行したことで自民党の共産党化も同時並行的に進みだした。
これに呼応して、1983年に突然、“モスクワKGB産の反米闘争スローガン”「東京裁判史観!」を掲げる“共産党の別動隊”「民族系」が、「在日」北朝鮮人とグルになって、抬頭してきた。“半・共産党員”江藤淳をリーダーとする「民族系」の1983年抬頭は、1970年代後半におけるソ連ブレジネフ共産党書記長が総指揮をとった対日工作が功を奏した証左であろう。「日本会議」は今もロシアKGB第一総局の指揮下にある。その出生時の「母親」なのだから、当然か。
話を戻す。確かに、「日本会議」のような“知力ゼロの劣等ゲス階層”団体には、“大東亜戦争否定”が「保守」で、“大東亜戦争肯定”が「極左」であると、思想・イデオロギーを正確に分類する脳力など無縁。例えば、表7の左欄の反・国益(反日)外交と軍事クーデタの実行犯は、(松岡を除き)全員、狂信的な共産主義者である単純事実すら、三歳の幼児レベルの貧困な知識量と知力ゼロでは判断できない。「皇国史観」教祖の平泉澄はゴリゴリのスターリン狂徒だが、こんな単純事実すら、四文字「皇国史観」に誑かされ、思考の対象外に吐き出してしまう。
「日本会議」の痴呆度は天文学的で、昭和天皇の暗殺を夢想し続け人生を終えた“靖国神社の赤色テロリスト”松平永芳が、昭和天皇に“靖国ご親拝”を忌避させんがためにA級戦犯を合祀した事実を直視することすらしない。「日本会議」は、靖国神社の解体消滅を狙った狂信的コミュニスト美山要蔵が、その方策として“A級戦犯の靖国合祀”を考案し、その実行犯が“スターリン崇拝の同志”松平永芳だった歴史事実を、鼻から知らんぷり。脳の重さゼロ㌘の“アホ馬鹿”暴力団の行動。
だが、この問題は難解にすぎるので、別稿で論じよう。が一つだけ、共産党/朝日新聞は今も大東亜戦争を継戦しており、大東亜戦争の推進・牽引の中核部隊だった1937~45年と何一つ変わっていない問題を喚起しておこう。
日本共産党が1950年3月に始めた、核兵器廃絶の反核運動は、通常の政治運動とは異次元で、過激に狂騒的・宗教的すぎ、誰でも「変だな」と気づく。だから、1950年代・60年代の日本人は、反核運動を見ると「赤だ!赤だ!」と指さした。が1983年を境に、自民党を含め日本人は、反核運動の正体を見抜かないでおく、反核運動を見ない/語らない/容認するの「三猿」を決め込んだ。
共産党・朝日新聞の反核運動は、これまでの七十年間にわたり一度も、ロシアや中共に向かって、核兵器の廃絶はおろか縮小すら要求したことがない。この事実一つにおいて、反核運動の目的が、ロシア/中共に核兵器を大量に生産配備させ、それを日本国民皆殺しのため日本に投下させるべく、米国の対日“核の傘”を空にする平時の戦争でそれ以外ではないのは、簡単に見破れるはずなのに。
大東亜戦争とは、米国を怒らせ、東京空襲や硫黄島戦や沖縄戦を見てわかるとおり、米国に日本国民皆殺しさせるのを戦争目的とした戦争。この「米国のB29と上陸する米国陸軍」を、「ロシア/中共の大規模核兵器」に変更しただけで、戦争目的“日本国民皆殺し”は全く同じだろう。すなわち、公理「朝日新聞・共産党は、反核運動をもって大東亜戦争を今に続けている」は、自明の事実。
だから、敗戦直後すぐから1968年頃までの日本人は、その絶対多数が、大東亜戦争否定論に立脚していた。昭和天皇の“ポツダム宣言受諾のご聖断”を思い起こしては、「有り難い、有り難い」と感激の涙を流し感謝した。だから、日本国民1945年~1968年の「絶対多数の常識」である“大東亜戦争全面否定論”を主張し、また継承した保守知識人はかなり多かった。その右代表が竹山道雄と私である。
「民族系」日本会議は、なぜ「在日」北朝鮮人と組み、“超極左”「大東亜戦争肯定」運動をするのか
翻って“共産党の別動隊”「民族系」は、鬼の首でも獲ったかのように勇んで、“反日の極致”大東亜戦争肯定論をがなり立てる。例えば、ニーチェ・ヒトラー廃墟主義アナーキスト西尾幹二は、日本国民を一人残らず殺戮した後の、荒涼たる日本列島の廃墟を狂妄する。この西尾「狂妄」は、表2右欄の、大東亜戦争の戦争目的と(「スターリンに日本領土を献上して共産日本をつくる」こと以外は)完全一致。
つまり、西尾幹二と共産党・朝日新聞の相違は、僅かに一点。大東亜戦争の戦争目的の一つ「日本共産化・アジア共産化」が、西尾幹二には無く、共産党・朝日新聞にはそれがある、というだけ。
今日の日本における「大東亜戦争肯定論」運動の主力で過半数は、「在日」北朝鮮人。名越二荒之助、花田紀凱、某CS社長のM、櫻井よし子、中西輝政など。挙げればきりがない数。日本が自傷的に自国を亡国させる“狂暗愚”「大東亜戦争肯定論」は、反日の「在日」北朝鮮人にとり、愉快でたまらない。そこで、“スーパー極左思想”「大東亜戦争肯定論」に嘘ラベル「日の丸」を貼り付けてあげ、“共産党の犬”椛島有三や“幸徳秋水を継ぐ極左アナーキスト”西尾幹二などの“自国損壊狂人”をおだて煽り、暴走させているのである。
昭和天皇のご遺詔「憲法第九条を改正し国防軍設置を明記せよ」を無視する安倍晋三と日本会議
さて話を、『拝謁記』に関する朝日新聞報道に戻すとしよう。昭和天皇は、憲法第九条を改正して国防軍を明記し、国防軍の再建すなわち再軍備を進めることを模索しておられた。この問題で、田島道治を通じて、吉田茂総理に自分の意見を伝えてほしいと間接的に依頼されておられるのに、畏れ多くも“確信犯のピンク左翼”田島道治は、ことごとく陛下のご指示を阻み否定する不忠を貫いた。これでは、「宮内庁長官が上、天皇が下」の下剋上ではないか。
『拝謁記』1952年2月11日条「(憲法改正は、)他の改正は一切触れずに(第九条の)軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつたほうがいいように思ふ」、同2月18日条「(首相の)吉田茂には再軍備のことは、憲法を改正するべきだといふことを、質問するやうにでも、言わんほうがいいだろうねー(=質問の形で吉田茂に伝えてほしい)」、同3月11日条「軍隊は已むを得ず必要だといふことは残念ながら道理がある」(カッコ内は中川)。
北朝鮮の「1950年6月」韓国侵略による戦争勃発は、日本の戦後情況を一変させた。第九条改正による国防軍保有と在日米軍基地を核とする対等な日米同盟条約締結論の昭和天皇は、フォスター・ダレスと連携した。一方、吉田茂は、“GRU工作員”服部卓四郎らの旧軍の共産主義大佐たちによる共産革命クーデタを恐れて、第九条改正に反対し国防軍の創設を拒絶した。マッカーサーは、吉田茂についた。ここに、1951年1月以降、「昭和天皇/ダレス」対「吉田茂・マッカーサー」の対立軸が発生した。以上のことは、拙著『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』第Ⅱ部を参照のこと。
そして、問題の田島道治は、共産党シンパとして、(理由は異なるが)吉田茂の第九条堅持論に動揺を来たさぬよう、昭和天皇の御聖旨を伝えることを、不敬・不忠にも拒絶した。田島道治は、天皇の臣下ではなく、天皇の(御聖旨を封殺する)監視官であった。
世界に屹立する“天才的軍略家”昭和天皇は、沖縄が対ソ防衛の戦略的要地であるのを喝破して「米軍基地を建設せよ」とマッカーサーに指示するなど、ソ連と中共に対する、その軍事防衛構想は、英国のチャーチルを越える圧巻の叡慮。以上は拙著参照のこと(注7)。
われわれ真正の日本国民は、昭和天皇のご遺詔を奉戴し、憲法第九条を改正して国防軍を保有しようではないか。国防軍の設置・保有を阻むため、共産党と連携して「自衛隊条項の加憲」という憲法第九条を大改悪せんとする“フェイク保守”安倍晋三に対し天誅を加える時が、今や、到来した。
第三節 『朝日新聞』紙面は“ロシアの日本人殺し”を隠蔽する記事ばかり
日本には、ロシアや中共から独立して“自由な報道”をしている新聞やテレビは、一社もない。NHKのロシア報道はすべて、ロシアの検閲を受けている。いや、検閲よりもっとひどい。NHKモスクワ支局では、ロシアKGB第一総局のかなりの数の将校が社員待遇で勤務し、東京に送るすべての画像も文章もチェックしている。いや、編集や企画の段階で、ロシアKGB第一総局の意向・命令を(忖度ではなく)お伺いするのが常態。このNHKの対ロ属国度は、日本国の対ロ属国度の反映であろう。
朝日新聞は、NHKどころではない。全社員一丸となってロシア人になりきっている。「赤い人喰い鮫」三千匹以上が泳いでいるのが東京本社だと前述したが、少し舌足らずであった。正確には、東京築地の朝日新聞社屋には「ロシア原産の“赤い人喰い鮫”が三千匹以上泳いでいる」と修正しなければならない。この正しさは、次の二つの朝日新聞記事が、あっけらかんと証明する。
1、『朝日新聞』2019年8月14日付け、二十三面
ロシア産の暴力革命機関である朝日新聞は、国際法に違背する違法の戦闘と違反しない合法の戦闘とを区別することはない。「ロシアは、国法法違反をいくらでもしてもいい」と「米国は、国際法違反でなくとも、人道的に“可哀相”なことなら何でも糾弾されるべきである」というダブル・スタンダードを絶対社是としている。日本人の大量殺人を目指す“無法集団”らしいヴァンダリズム論理である
このため、第二次世界大戦(大東亜戦争)の戦争終了(8・15停戦)後に、ロシアが日本人を(満洲、シベリアその他で)100万人近く殺害したが、朝日新聞は、(数字を十分の一に改竄して「数万人」だとし)この日本人大量殺戮を不問とした。そればかりか、朝日新聞は、1970年前後までは「ロシア(スターリン様)に殺されたのだから有り難く思え」を公言して憚ることがなかった。1991年のソ連邦崩壊後、「ロシアに殺されたのだから有り難く思え」を口にはしなくなったが、朝日新聞の編集方針として今でも密かに堅持されている。
『朝日新聞』2019年8月14日付けの社会面「物(モノ)語る」シリーズで、大見出しが「対馬丸に乗せなければ・・・姉二人の死…」の記事がある。記事量は八段、写真はカラーで五枚。
だが、対馬丸は兵員輸送船であり、それが米国潜水艦に撃沈されたのは、大東亜戦争の最中の1944年8月22日夜。戦場の海で陸軍輸送船に学童を載せること自体、烏滸の沙汰。この責任は、九州への疎開を考えついた“超アホ馬鹿”陸軍・内務省・文部省にある。合法の戦争中の、合法の戦闘である以上、米国には何らの落ち度はない。
なお、良好な疎開先として沖縄本島の北半に“安全地帯”原生林があるのに、なぜ、そこを選ばなかったか、の問題については、本稿の任ではなく、割愛する。
さて問題は、朝日新聞はなぜ、この対馬丸事件を毎年のように書くのか。朝日新聞はなぜ、ポツダム宣言受諾と停戦発効後の1945年8月22日、主に婦女子5082名を載せた樺太からの引揚げ船三隻(小笠原丸、第二新興丸、泰東丸)をロシア潜水艦が撃沈し1708名を殺した、残虐なロシアの犯罪を一度も記事にしないのか。の方であろう。
この答えは、簡単。“鬼畜ロスケ”数千人が社長以下社員全員の朝日新聞は/“日本人皆殺し”を社是とする“赤い悪魔”朝日新聞は、「ロシア様は日本人をいくら殺してもいい」「戦争後で国際法違反であろうと、ロシア様は日本国にとって“無謬の宗主国”、日本人をいくらでも殺す権利をお持ちである」を絶対的な編集方針にしているからだ。
私は、北海道を訪れた時は必ず、留萌市の千望台の丘に建つ「樺太引揚三船殉難者慰霊之碑」にお参りする。人間性を喪失したサイコパス安倍晋三は、一度でも、ここを詣でて線香を手向けたことがあるのだろうか。なお、樺太引揚三船「ロシア撃沈」事件の入門書に、『慟哭の海』(注8)がある。
2、『朝日新聞』2019年8月16日付け、二十七面
ここで取り上げるのは「満洲」の項。大見出しが「開拓は侵略だった 家族も失った」の記事は、“逆立ちの歴史偽造”だし異様・奇天烈を極める。この朝日新聞の記事、解剖せねばなるまい。
1937年頃から満蒙開拓団として日本から北満洲に移民した農民は、国策として半ば強制的な移住であった(最終総計は、婦女子を含め27万人)。朝日新聞の記事が取り上げた個人は、1938年に長野県から移住した農家の一人。が、朝日新聞は、一個人(当時十歳)の不確かな回想ではなく、全体像を提示すべきだろう。
満蒙開拓団は、1936年頃に、基本的に関東軍(帝国陸軍の在満洲軍のことで、総兵力70万人)が、ソ連軍侵略時の“前線屯田兵”として考案した。彼らを、ソ連軍に“殺戮され放題”の地獄に落とすことは、関東軍に盤踞する共産主義将校群が当初から予定していた計画だっただろう。その証拠に、ソ連軍の満洲侵攻は「夏」、と関東軍総参謀部は判断していたのであるから、北満洲や内モンゴルの国境沿いの一般邦人には、ハルピン/新京以南への疎開を命じなければならないが、そうしなかった。疎開命令は、ソ連軍の8月9日侵攻後ですら、出していない。
実際にも、1944年年頃から、関東軍は、関東軍の中でも最強精鋭部隊10万人をレイテ島の対米戦に転用し(戦闘することなく)餓死で皆殺ししたように、関東軍をガランドウにして満洲にソ連軍を無血入城させる計画を進めた。そして、次々に精鋭部隊を満洲からごぼう抜きしながら、本土の日本国民には、「(武器のない非武装)満蒙開拓団が代わりを務めますから大丈夫ですよ」と騙したのである。
満蒙開拓団の阿鼻叫喚の地獄は、例えば、角田房子『墓標なき八万の死者』(注9)などの一読を薦める。「ソ連軍の満洲侵攻は夏」が情報将校の間で常識になった1945年春以降、満蒙開拓団27万人のうち4万7千人の男児が根こそぎ徴兵された。彼らは、兵隊服を着たが、ライフル銃の支給もないまま、敗戦を迎えた。そしてシベリアへと強制連行され、さらにそのほとんどはシベリアで死んだ。
数字の整理をすれば、満洲で棄民された満蒙開拓団は老人&婦女子の22万3千人。うち8万人以上が、ロシア兵にレイプされ殺され、病死し餓死し凍死した。全員が、日ソ中立条約違反の侵略ロシアによって発生した犠牲者である。
が、朝日新聞は、何と書いたか。この北満洲に半強制で移住した日本人農民に与えられた土地は、土着の支那人農民から関東軍が(売りたくないという意思に反した)強制買い上げしたもの(代金付き没収)だった。すなわち、私有財産の侵害行為で、満洲帝国の理念「五族協和」に違背する。しかし、朝日新聞は、国内法違反の農地強制買い上げ(代金付き農地強制没収)を、国際法の(軍事力の行使による)“侵略”に摩り替えている。大見出し大嘘「開拓は侵略だった」が、それだ。
日本側が「満洲に侵略した」かの偽イメージをデッチあげ、ロシアの満洲侵略を隠蔽したのである。なお、1931年の満洲事変は、蒋介石の国民党政府からすれば“侵略”だから、これが「リットン卿調査団の大岡裁き」と日本の国際連綿脱退に発展した。1937~41年の満蒙開拓団の農地問題を、満洲事変にもすり替え、偽イメージをでっち上げている。朝日新聞のダーティさは、日本の歴史上、類例がない。
日本帰還の唯一の港-葫蘆島-に辿りつかなければ死ぬ満蒙開拓団の二千㎞踏破が「逃避行」?
次の朝日記述は、歴史偽造を通り越して犯罪ではないか。
「敗戦後、一部の中国人から襲撃を受け、逃避行を余儀なくされた」
ポツダム宣言により、満洲の日本人は一人残らず、日本列島に帰還しなくてはならない。残忍・凶暴な160万人近いソ連軍兵士がウロウロしている中を、食料もなく、子連れでの二千㎞の徒歩踏破であるから、一瞬一瞬が死と隣り合わせ。ほとんどのグループは、乳幼児を殺し、妊婦には自殺してもらったようだ。満蒙開拓団の多くは、まずは牡丹江やハルピンへ、そして新京から奉天へと徒歩踏破したのである。
満洲のソ連軍は、レイプをしても、いっさい何らの手助けもしない。食料も収容所も、葫蘆島を目指す日本人避難民みずからが用意するほかなかった。港を提供したのは蒋介石で、それが葫蘆島。葫蘆島と博多港/佐世保港とつなぐ船を用意したのはマッカーサーであった。米軍が準備できたのは、1946年4月。それから数ヶ月かけて、まさに旧敵国の米華が、ソ連軍兵士の魔手と支那人暴民から、102万人の一般邦人を救い出したのである。
上記の自分が書いた記事文を、朝日新聞よ、もう一度、読め。ポツダム宣言に従い、北満洲から最終目的地「葫蘆島」への二千㎞を、“ほとんどはロシア兵、一部は支那暴民”に襲われながら、歩き続けるのを、「一部の支那人の襲撃から逃れるための逃避行」だというのか。途中途中に創られていた日本人用の収容所は、支那人が捨てた廃屋だから「屋根はない/床がない」のが常。そのような家屋で氷点下20度の厳寒を無事生き延びた者だけが、日本に帰還した。満洲邦人は155万人だったから、102万人帰還は、53万人が死亡したことを意味する。のち、シベリアに連行された20万人以上の一般邦人男児のうち、仮に3万人帰還できたとすれば、50万人前後の一般邦人がソ連に殺された事実を、高い確度で確定できる。
そして、このソ連軍を満洲に手引きした最凶の悪魔は、1937年7月以降では、満洲の対ソ防衛戦軍事力の大幅劣化・弱体化を来たした、近衛文麿の蒋介石殺害戦争(日中戦争)と近衛文麿の対英米蘭戦争(太平洋戦争)だから、近衛文麿ということになる。近衛文麿の蒋介石殺害戦争(日中戦争)を最も果敢に阻止せんとしたのは、陸軍参謀本部作戦部長・石原莞爾。が、それ故に、近衛文麿が事実上、石原を馘首した。
朝日新聞は「戦争反対!」を大キャンペーンしながら、大東亜戦争の全てを牽引した近衛文麿批判を、1945年8月から七十四年間、一行も書いたことがない。朝日新聞の「戦争反対!」は、大東亜戦争を推進し(中共や北朝鮮など)アジア共産化をほぼ成功させた近衛文麿への一般国民の糾弾を、逸らし隠蔽するための情報操作である。また、近衛文麿、参謀本部と陸軍省を制圧した共産主義エリート将校群、国民煽動・洗脳もっぱらの朝日新聞、の三者こそが推進した大東亜戦争の責任を昭和天皇に転嫁し、世論を天皇制廃止に誘導する革命プロパガンダとしての「戦争反対!」でもある。
注
1、筒井若水『違法の戦争、合法の戦争』、朝日新聞社。
2、①大東亜戦争の最後の8月14日深夜、“ソ連人”阿南惟幾は平泉澄一派の陸軍省コミュニスト将校に命じ、昭和天皇を監禁脅迫して「ポツダム宣言無視と継戦続行」の詔書を渙発させる事にしたが、昭和天皇がご拒否なされることは自明。すなわち、このニセ詔書を渙発するに、阿南クーデタ一派は、昭和天皇を殺害しただろうことは、およそ間違いない。②田中静壱・陸軍大将が、この阿南クーデタの阻止に立ち上ったのは、継戦して本土決戦した場合、一般邦人を戦闘に巻き込み、その死傷者は数千万人に到ると判断したからだが、それは陸軍の本土決戦が一般国民数千万人殺しを計画していたのと同じ。➂その他については、別稿に譲る。
3、出典は、表5の3行目。
4、宮澤俊義の天皇制廃止ドグマについては、中川八洋『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』第Ⅱ部、242~50頁、281~2頁を参照のこと。
5、中川八洋『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』第Ⅱ部、238~9頁。
6、仝上、339~41頁。
7、仝上、311~9頁。
8、北海道新聞社編『慟哭の海』、道新選書、1988年。
9、角田房子『墓標なき八万の死者』、中公文庫。
(8月23日記)