筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
朝日新聞社の記者に、人間を見出すのはほとんど不可能である。彼ら・彼女たちは人間ですらないから、日本人であるはずもない。朝日新聞社の記者とは、人間の仮面を被った“反日の鬼畜”が群れる“悪のペンを凶器に振り回す犯罪者軍団”である。
だから朝日新聞は、“不幸誘導の洗脳機”朝日新聞に騙されて人生の後半から不幸のどん底に陥る日本人女性を未然に救わんと立ち上がった正しき日本国民に対し、目を吊り上げ牙を剥き出し嘘偽りの中傷誹謗記事で罵倒して社会的に抹殺する。このように、正義を転倒し真実を破壊するのを社是とする“非人間的な悪鬼”集団の朝日新聞が存在する限り、日本国も日本国民も、特に日本女性は、幸福とは真逆の不幸と陰惨の未来に誘導される。
現に朝日新聞は、大阪市の茨田(まった)北・中学校の寺井壽男校長の、“日本人女性への真に愛情あふれる素晴らしき講話(2月29日)”に対し、中傷誹謗の讒言暴言を雨霰と投げつけた。朝日新聞社の記者とは、正確な表現を探せば“女性の敵”だが、どうもそれ以上だ。猛毒のウイルスを読者に注入するゾンビを本性とする朝日新聞とは、“人喰い「反日」魔女・悪魔たちの群れ”と称すれば、そのありのままの姿とぴったりだろう。
次代の日本人を苦痛と不幸にのたうつ地獄に誘う“赤い悪魔”赤尾勝己と朝日新聞
私が、寺井壽男・中学校校長の、胸を打つほどに素晴らしい講話を知ったのは、『朝日新聞デジタル』3月12日16時14分の記事。ところが朝日新聞は、その数時間後の「18時55分」、共産党員の“凶悪な赤い大学教師”赤尾勝己(関西大学)のトンデモ妄言を「コメント」として流した。
その内容は、朝日新聞がいつも垂れ流している“日本人を不幸の淵に誘い込むための朝日流【悪魔のハーメルンの笛】”で、赤尾は“朝日新聞のエピゴーネン(代言人)に過ぎない。が、それはともかく、赤い朝日新聞が大好きな“反人間の嘘つき機械”赤尾勝己の暴言狂言は、こうだ。
① 「人生をどう生きるかは個人個人で考えることで、他人が指図することではない」
② 「社会には結婚をしたくてもできない人がいる」
③ 「夫婦になっても子供を産まないという選択肢もある」
④ 「寺井校長の発言は、多様な生き方を否定するような発言だ」
⑤ 「生徒と向き合う校長が、このような画一的・硬直的な発言をしたことは配慮を欠いた発言」。
よくまあ、次から次に、逆立ち嘘八百の言葉を並べられることよ。これらは三百代言というより、子供たちの人生を不幸と絶望の淵に落す、最悪・最凶・最危険な有毒ガスなのは言うまでもない。
そもそも近代を経た現代の文明社会では、人間は、かつてよりも、はるかに多様な職業/多様な生活スタイルを選択できるようになったのは事実。が、多様な人生を選択することにはなっていない。
なぜなら、人類発祥の百万年以上、生を受けて死を迎えるmortalityにおいて、人間の人生は、その本質や根幹が不変であるからだ。人間の人生は、古代も現代も変わることなく、「多様」などとは無縁である。もっと直截的にいえば、生ある者すべて、墓に入るか散骨されるか野垂れ死をするかの差を除けば、人類史の百万年間変わることなく、画一的に死を迎える。
人間の人生に変化は生じていないことは、古代エジプトに初めて人類の社会ができた以降の、ここ数千年間だけを思い起こせば、充分に自明だろう。『万葉集』を紐解いて飛鳥時代や奈良時代のわれらが祖先の日本人の人生に共感できるのは、人生が本質で変化していないからである。NHKの大河ドラマ『眞田丸』をみて、日本人の誰もが、卑近な自分の人間関係などに思いを馳せるのは、人生の基本が同一だからである。
この理由の一つは、人間とは、運命において生を授かり人生を送るに当って、“老後を迎えたとき、死を迎えたとき、悔いなき人生であったか否か”が本質で、これが不変だからである。だから、大人には、乳幼児を無事成長し得た次代の若者に対して、“死を迎えるまでの(今では)八十年間の人生を歩むに、不幸遭遇率の最小化を図る一般指針を与える”責任を果たす義務があるのである。
だが平成時代に入るや、日本人の大人は、朝日新聞やその他の大量の出版物にあふれる、共産主義者の煽動的・脅迫的なプロパガンダ語「多様」に委縮し恐怖して、この大人の義務を放棄した。ために、日本の子供たちは、人生の一般指針を失い、デラシネ(根無し草)となり、あるいは動物化して、三十年後の不幸な老後・中年しかない最悪の状態を迎えようとしている。日本の子供たちは、“猛毒の麻薬”「多様」を吸引させられて、未来を喪失的に剥奪された。
そればかりか、恐ろしいことに、このような欠陥子供たちは、早いものでは既に四十歳代となり、次代の日本人たちを欠陥人間に誤矯し誤導する拡大再生産をしている。日本民族の劣化と滅びは、もはや不可逆の、秒読み段階に入ってしまった。
祖先の叡智にも医学的な科学にも適う寺井校長。一方、これらと真逆の朝日新聞
「職業選択の自由」「ライフスタイル選択の自由」が科学技術の急速な発展によって拡大し続ける時代は、選択の自由がいっぱいな人生を歩めるかに見えるスーパー錯覚に麻痺してしまう社会でもある。だが、それは、これまでの人間とは比較にならぬほどに不幸遭遇率がより急騰する社会である。
この結果、未知のみが前方に立ち塞がっている未来に歩む若者の人生は、これまでの時代や社会のそれとは異なり、はるかに荒れる大海に船出する/はるかに無人の砂漠を放浪する環境に投げ出されることを意味する。それは、人生の経験も知見も貧弱な身には、座礁や転覆の危険だけがより満ち満ちている大海であり砂漠である。
ここに、大人が、祖先からの叡智だけでなく、これまでの社会以上に、人間に関る一般ルールを伝授し鍛錬し訓導する必要がある。祖先からの叡智とは、その民族に伝わる伝統や慣習や慣習・仕来たりに他ならず、これこそが、人間が人生を歩むに必要な基本的な指針であり、かつての大海に漕ぎ出でた船の羅針盤や現代のGPSに相当する。
“民族に伝わる伝統や慣習や慣習・仕来たり”という指針を身につけていなければ、いかなる人間も、八十年間の人生を歩む判断力も精神力も有することはできない。一般指針なき選択の自由とは、一匹オオカミ的な放浪・放縦の自由に堕することに他ならない。当然、その人生は、惨たる老後/最悪の不幸で終えるだけである。
また、祖先からの叡智は、数百年間以上の経験において、医学的・生物学的な科学に合致し、これが民族固有あるいは人類普遍の伝統・慣習と複合している。女性の身体が出産できる年齢は、平均寿命が五十歳の時と八十歳の時とでほとんど変化をしておらず、ならば女性の人生のための医学的・生物学的な一般指針 は、古来の女性のそれとは変化していない。つまり、「多様化した」という朝日新聞の常套句は、反科学の極みで、真赤な噓・三百代言の詭弁である。
「子供は2人以上産むことが女性にとって最も大切」「子育てはそれほどに価値がある」
さて、寺井校長の講話をもう一度思い出そう。“賢者の教育者”の見本というべき立派な寺井壽男は、「a子供は2人以上産むことが、女性にとって最も大切」「b子育てには、それほどに価値がある」「c人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てすることが、親に対する恩返し」「d少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します(子供が生まれなくなると、日本の国がなくなってしまう)」と、講話した。
大阪市教育委員会は、これほど第一級の教育者に対して、来年度も再来年度も校長を続けてもらうべきであったはずだが、事実上の処分に相当する「再任用せず」とした。“言論の暴力団”朝日新聞に屈したのである。大阪市教育委員会は、もはや、教育者の上に立ってその統括をする教育委員会ではない。“朝日新聞に媚びる五頭の野良犬が右往左往する有害委員会”が実態ではないか。五名の委員の方こそ、懲戒解雇されねばならない。
ここで、“賢者の教育者”寺井壽男校長の講話abcdと、“《日本の子供》憎悪狂”赤尾勝己のコメント①②③④⑤を、少しばかし比較しよう。まず全体的にいえば、寺井壽男には嘘がない。全て事実に即し、現実からの乖離がない。
一方、赤尾勝己のは嘘ばかりだし、「次代の日本人の人生を台無しにしてやれ!」「次代の日本人の人生を、不幸と絶望で終わるものにしてやれ!との、憎悪感情が基調である。赤尾勝己の専門は、教育学ではなく、“憎悪狂の増幅学”なのだろう。こんな悪鬼を教授にしている関西大学など危険極まりなく、廃校を急がねば日本の子供たちの人生も未来も奪われる。
例えば、赤尾の②は真っ赤な噓。日本で経済的理由から結婚できないものなど一人もいない。赤尾のように「結婚しない若者の風潮や行動傾向」を社会の所為にするのは、「社会」をアニミズム的に神格化する共産主義者特有のカルト教義である。②は、赤尾が札付きの共産主義者である証拠とはなるが、寺井批判にはなっておらず、単なるチンピラやくざの難癖に過ぎない。
運命の男性/運命の女性としてこの世に生まれた以上、「人として」その人生の根幹は“結婚し子供を産み子育てをする”のが、医学的・生物学的な科学に適う。また文明社会の自生的秩序=一般ルール(人類の叡智)に適う。これ以外の道を選択する人間には、高い確率で、未来に不幸と絶望が待ち受けている。
文明社会の自生的秩序=一般ルール(人類の叡智)は、最大多数に不幸最小化をもたらす偉大な働きをするから、科学の真理より数段上の“真理の中の真理”と言うべきもの。これに反する、北朝鮮人・福島瑞穂の「反日」煽動を継承する赤尾の➂「結婚しても子供を産まない選択は自由だ」などは、「麻薬を吸引するのは自由だ」という狂気と変らぬ、確率的に確実に次代の日本人の老後と日本国全体を陰惨な不幸と絶望に陥れるための“凶悪ハーメルンの魔笛”である。
つまり、真に次代の日本人に愛情があるなら、寺井壽男が教育者の責務としてなした善導「子供を二人以上(もし可能ならば三~五名)産みなさい」という、日本人の大人の義務を遂行しているはず。換言すれば、この日本人の大人の義務を遂行した寺井壽男とは異なる、狂った思想と行動こそ、断固として排撃・排除しなければならない。朝日新聞の煽動記事全てを焼き捨てて、その記者を磔獄門に晒す気概こそ、真正な日本国民の立ち位置であろう。
保育園に“子育てアウトソーシング”の、《日本女性の動物以下》を推進する安倍晋三
だが、日本の大人は、今や国挙げて、次代の日本人への愛情を持たなくなった。ほとんどの大人が、“《日本の子供》憎悪狂”の朝日新聞や赤尾勝己と五十歩百歩に成り下がってしまった。
出生率の大低下問題は、1989年に社会問題となってすでに三十年が経つ。が、日本では、寺井壽男校長のように、日本の亡国に直結する日本の新生児数激減問題(=2.08よりはるかに低い出生率大低下が四十年以上連続して止まらない問題)を真に憂うる者は、ほとんどいない。「日本国・日本民族なんぞ、亡国してもよい」の、日本の亡国アパシー病の蔓延は、民族主義を旗幟鮮明にする安倍晋三においてすら顕著である。
すでに三年以上の総理職にありながら安倍晋三は、アベノミクスの最大の障害であるにも拘らず、“深刻な新生児数が大激減している問題”を、一度たりとも一言たりとも国民にアッピールしたことはない。安倍晋三にとって、自分が政権の座にいたい2020年まで日本国があればよく、それ以降の日本がどうなろうと「俺の知ったことか」が本心だからである。
アベノミクスの名目で放漫財政やりたい放題。その当然の結果で発生した膨大な借金を子孫に負わせる子孫虐待に、安倍晋三には、後ろめたさが一欠けらもない。子孫への安倍晋三の冷酷冷血性は、朝日新聞の“《日本の子供》憎悪狂”と軌を一にしている。
この日本人子孫への借金地獄という子孫虐待に狂奔する安倍晋三の本性は、安倍晋三が保育園問題で日本女性に向かって、「できるだけ家庭に戻って、子育てに専念してほしい」と呼びかけないことにも露わである。共産党の家族解体イデオロギーに基づく“保育園の大増加”運動は、子育てを家族や母親の愛情から他人におっぽりだす“子育てアウトソ―シングout-sourcing”共産革命だが、安倍晋三はこれに与している。安倍晋三が80%共産革命家である事実を否定する、いかなる根拠も存在しない。
実の母親に育てられない、保育園主義=“子育てアウトソ―シングout-sourcing”は、子供の健全な人格形成を阻害するだけではない。それは、日本人の母親に、子育てを放棄させることだから、日本女性の動物以下への改造でもある。家庭の経済状況から、どうしても子育てを他人に任せなければならないものが一部にいるのは事実で、これは考慮されねばならない。
だが、現在、「待機児童が〇〇もいる!」という朝日新聞の煽動キャンペーンは、 “子育てアウトソ―シングout-sourcing”という、非暴力の共産革命運動の推進である。自民党が、これに与することは、自民党が共産党の下部組織化したことを意味する。ともかく、母親を家庭に返して“子育て第一”の正しき女性に戻せば、実は、日本の保育園は余りに余っている。こんな事実に無知なほど、自民党国会議員の知は腐りきってしまった。全員が、安倍晋三と同じスーパー馬鹿“か、それ以下の白痴と化してしまった。
そもそも,安倍政権下で突然暴発した“日本の保育園不足”問題は、自民党の総裁である安倍晋三自身が、共産党や共産党が支配する旧・厚生省のコミュニスト官僚に意気投合し、“子育てアウトソ―シングout-sourcing”という共産革命運動に昂奮して加担したために発生したのである。安倍は表面的には保育園問題に足をすくわれているようだが、元はといえば、自業自得ではないか。安倍晋三こそ、保育園問題を炎上させた諸悪の根源だからである。
また、安倍晋三が、共産党系女性官僚と懇ろになって、女性活躍推進法という日本の専業主婦つぶし共産革命を推進した結果として、日本の異常な保育園不足騒動が猖獗するようになった。女性活躍推進法とは、母親を子育てから追放し、次代の日本人の教育をおざなりにし、その人格を大幅に劣化させる「反日」法の極みである。
安倍晋三がもし80%共産主義者でなければ、これほどの家族解体/親子切断/次代の日本人の人格劣化の元凶ともなる、“子育てアウトソ―シングout-sourcing”(保育園主義)と女性活躍推進法という、究極の「反日」政策を推進などしまい。子孫の繁栄と安泰を願うのが愛国心の要だが、この愛国心の定義に従えば、安倍晋三には愛国心がゼロ。いや、「愛国心がマイナス」との判定が公正か。
子供を5人産み、その子育てに専念する専業主婦こそ、日本女性の鑑
では、どのような子育てが、最も適切で最も望ましいか。この答えは、我々日本人にとって祖先を思い起こすだけで、誰にでも知って居ることではないのか。かつては偉大だった日本の祖先は、江戸時代に子育ての模範を二百数十年もしつづける偉業を成し遂げて、これを歴史遺産としてわれわれに遺して呉れている。すなわち、武家にあってその母親は、出産後、子育てと子供の教育に四十歳までの若き日々の人生すべてを投入したのである。
人口の六%を占める武家の母親=日本の母親の模範とは、わが子の学業から立ち居振る舞い言葉遣い、そして倫理道徳の訓育に至るまで、精魂傾けて全力投球するのを、自分の運命が定めた使命だと莞爾した。幕末・明治維新の動乱にあって、世界があっぱれと称賛した、日本があれほど見事な外交・内政を成し遂げられたのは、この武家における家庭教育の清華である。子育てとは、選択して放棄することは許されない。子育てとは、日本国民ならば“各自に可能な最高レベルで果たす”天与の義務である。出産と子育てに天与の喜びを感じて最大限の努力を尽くしてこそ、人間は初めて人間になれる。
出産と子育てに天与の喜びを感じて最大限の努力を尽そうと考えない欠陥女性/欠陥男性は、人間としてまともではなく、人格異常者と断じてよい。これらの、人間としての精神を病んだ人格異常者を、「多様な生き方」だと狂気の言辞で正当化してあげる、麻薬売人的な“凶悪な日本人憎悪主義者”=朝日新聞の記者や教育学の大学教授を、日本国から叩きだす必要がある。
この話は、ここまで。
さて、現在でも、僅かだが、かつての日本の子育ての偉大な遺風を継いでいる家庭は少なくない。一例を挙げよう。天才子役・本田望結や世界ジュニア・フィギュアスケート選手権で金メダルに輝いた本田真凛を育てた本田家は、五名の姉兄妹(一男四女)の子育てに、江戸時代の日本の武家の家族同様に、全力投球している。本田家の「お父さん」竜一氏には、その五名の子育てをエセーにした本『長女を育て、四女に教わった本田家流 子育てのヒント』(プレジデント社)があるから、存じている方も多いに違いない。
安倍晋三は、必ずこれを読み、真正の家族重視に覚醒し、正しき子育てとは何かを認識しなければならない。このとき初めて安倍晋三は、日本国民としての義務に目覚めることができる。また、日本民族の存続と繁栄のために回避できない絶対不可欠な、女性活躍推進法の廃止と(保育園の劇的縮小をもたらす)母親の家庭回帰の旗を振ることができるようになる。
日本人なら、「朝日新聞の記者は“人喰い《反日》悪魔・魔女ばかり”」を、胸に刻め!
話を、寺井壽男校長に罵詈讒謗を投げつけた“共産党の機関紙”朝日新聞の問題に戻す。寺井壽男校長が賢なる最高の教育者で、それを誹謗した朝日新聞が“次代の日本人への殺気立つ憎悪感情”をイデオロギーとしていることは、もはや明白となったはずだ。
この“次代の日本人への殺気立つ憎悪感情”を暴発させたキャンペーン報道は、すでに生まれ成長している日本の児童生徒のこれからの長い人生を終極において不幸と絶望の淵に追いやることにおいて、その幸福でありえた人生を奪うことに他ならない凶暴な蛮行である。ならば、このような報道は、日本国を担う次代の日本人から「人生を奪う」事に等しく、まさしく“人喰い”行動に他ならない。
また、日本の新生児数の激減を煽動し、これに対する対策すべてを「多様」との悪魔的共産語で抹殺するのだから、簡単に言えば、朝日新聞は、日本に産まれてくるはずの追加の年間百万人の日本人新生児を殺しているのと同じである。それはまた、「朝日新聞は日本の新生児百万人を毎年襲って喰らっている」ということだ。
ならば、朝日新聞の記者をもって“人喰い「反日」悪魔・魔女ばかり”と称するのを大げさで誇張に過ぎないと考える方がよっぽど逆さ偏見ではないか。公式「朝日新聞の記者=“人喰い「反日」悪魔・魔女ばかり”」は、正確かつ客観的な事実。このことはもう十分に理解できただろう。
(2016年3月記)