筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
烏が鳴かない日はあるが、“ロシア対日占領軍(備考)の機関誌”朝日新聞が嘘八百の偽情報を流さない日はない。(満洲事変に対する世界中の轟轟たる非難から)日本の満洲権益を何としても守ってあげようとした“超親日”リットン卿に対して、国挙げて下劣な誹謗中傷の礫を投げつけた1932年から、日本の外交・軍事的対外行動は、“スターリン対日占領軍の機関誌”朝日新聞に煽られるまま/洗脳されるままで、“日本人皆殺し的な「反日」狂”朝日新聞の操り人形であった。
(備考)朝日新聞やNHKを通して、日本人の頭に日本国が自滅して亡国に至らしめるどっぷり逆情報を注入しているロシアの現況は、かつてのGHQの日本占領軍に比すれば、百万倍以上に濃密で精緻。ならば、実態は強権的なロシア対日占領軍政下にあるのと同じだから、「ロシア対日占領軍」と称すべきだろう。
つまり、日本人が“ロシアの対日機関誌”朝日新聞に完全に呪縛され、“外敵”朝日新聞の煽動に従い、狂いに狂った日本の外交は、1932年から2019年まで八十七年間一貫して不変。例外は、米国の占領下にあった1945年9月2日~1952年4月28日の七年間弱と、その遺産が香っていた1968年まで。かろうじてフォスター・ダレスによる日米安保条約体制とマッカーサー/キーナン/ウィロビー/フェラーズが死守した天皇制度だけが、GHQの遺産として日本を守る最後の砦として今に残る。
本稿が扱う朝日新聞の“嘘八百ゴルビー・インタヴュー”は、米ロ両国の同時INF条約廃棄の責任を米国のみに負わせるのが目的。また、いずれ不可避に発生する新型INFの日本配備を阻止する事前キャンペーンでもある。この朝日新聞の対日本人洗脳宣伝は、言うまでもなくプーチンからの命令によろう。日本をロシアの大規模核攻撃下で灰燼の廃墟にしたいとの朝日新聞の社是は、ロシアの最初の核実験1949年以来、一貫して変わっていない。
INF条約破棄の言い出しっぺはプーチン。2019年2月2日、ロシアも米国にINF条約の離脱通告
日本の新聞・テレビの報道は、必ずロシア・サイドに立つ。例外はゼロ。公平や客観的を平気に無視し、ロシアとの関係事件はすべて(事実の捏造ほしいままに)米国非難と日本糾弾で報道する。
理由と原因は、朝日新聞やNHKだけでなく、日本の全ての新聞テレビは、一社の例外もなく、ロシアKGB第一総局(SVR)の支配下にあるためである。日本のマス・メディアは、ロシアに関する報道では、自由かつ独立の報道自体が万が一にもできないし許されていないからだ。事実に基づいたロシア批判や中正公平な記事を書いたら、その記者は即時左遷され本社から叩き出される。
今般の米ロINF条約失効問題の報道は、まさにこの典型。なぜなら、その失効は、条約の規定に従い、2019年2月2日の米ロ同時の離脱相互通告の六ヶ月後である8月2日。が、朝日新聞ら日本の新聞テレビは、「ロシア側がINF条約の継続を強く望んでいたのに、米国側が一方的に離脱した」かの不正確な報道に徹した。つまり、プーチンも離脱通告した事実を隠蔽・歪曲した。
この作為的事実捏造報道は、「ロシアは核軍縮や核廃絶を希望する平和愛好国、一方、米国は核軍拡を推進する戦争好き」との逆さイメージを、日本人に植え付けるためである。だが、ロシアこそ、クリミヤ半島を2014年3月に軍事的に占領・自国領編入を強行した世界最凶の侵略国家。しかも、ウクライナの東部二州を今や併呑直前の侵略のやりたい放題。朝日新聞には、このように、ロシアとは世界最凶の侵略国家である事実をありのままに報道するジャーナリズムの正義は存在しない。現に、「ウクライナ東部二州でウクライナ人同士の内戦が起きている」と、最重要事実を隠蔽した歪曲報道しかしない。
INF条約でも同じで、朝日新聞は「報道しない」悪質なニュース隠蔽をし続けた。具体的に言えば、2007年頃から、プーチンやロシア国防相らは、INF条約を「冷戦の遺物」と嘲笑し、その破棄を公然と口にしていたのに、これを報道していない。つまり、INF条約廃棄の言い出しっぺはプーチンのロシア。米国ではない。ロシアにとって2007年とは、ロシアの新型巡航ミサイル「イスカンデルK(射程距離2500㎞前後)」が飛翔実験に成功した年。だから、朝日新聞は、これを報道しなかった。
米国とNATOが、ロシアのINF条約違反に騒ぎ出した最初は、オバマ政権時代の2014年。これは「イスカンデルK」がヨーロッパに配備された年。とすれば、米国は2007年から七年間も平和ボケしていたのだろうか、それとも、核廃絶を狂信するマルクーゼ系共産主義者のオバマ大統領が、国防省に圧力をかけ発表させなかったのだろうか。
INF条約違反のロシア「イスカンデルK配備」/「RS26ルベージュ配備」を報道しなかった朝日新聞
2014年に米国がロシアのINF条約違反に初めて騒ぎ出した理由はもう一つある。これも射程2000㎞の「RS26ルベージュ弾道ミサイル」が、2013年に実験成功したからである。(実戦配備は、2015年で対欧州)。要するに、2013年から2015年にかけて、INF条約は“侵略の皇帝”プーチンによって、完全に骨抜きになっていた。
さらにもう一つ。2013年12月、バルト海に面するカリーニングラード特別区に短距離弾道ミサイル「イスカンデルM」を十輌(一輌につき二基、計二十基)配備したとプーチン政権は認めた。公称「400㎞」は嘘で、実際の射程は800㎞だろう。つまり、INF条約の定義500㎞を越えており、INF条約違反。
問題は朝日新聞。朝日新聞は、この射程2500㎞前後の巡航ミサイル「イスカンデルK」についても、射程2000㎞の弾道ミサイル「RS26ルベージュ」についても、報道していない。つまり、トランプの米国が新型の地上発射型の巡航ミサイルを2019年8月18日に実験発射したのは、ロシアの「イスカンデルK」の実験発射から十二年間も遅れている。トランプの米国が新型の弾道ミサイルの発射実験を2019年12月12日にしたが、これも2013年の「RS26ルベージュ」の実験発射から六年遅れている。
実態は条約破棄に他ならないロシアのINF条約違反に遅れること六年~十二年を経て、米国はINF開発を軌道に乗せた。この事実において、朝日新聞や広島市長(松井一美)が、「米国の背信的な核軍拡だ」と非難するのなら、最初にINF条約に違反してその核軍拡を開始したロシアを糾弾すべきである。後追いで、いわば正当防衛の米国のINF開発に対してのみ、口を尖がらせて罵る偏向は、朝日新聞や広島市長がプーチンに拝跪する“ロシアの奴隷”で、日本国民でないからである。
NATOの欧州諸国はトランプのINF破棄を「完全支持する」と声明を出した。が、安倍晋三は?
この「RS26ルベージュ」と「イスカンデルK」は、極東に配備されたら、北朝鮮のノドン弾道ミサイルどころではない、日本にとっては国家終焉のスーパー脅威である。その核攻撃がおこなわれるとき、同時にロシアの地上軍数十万人が北海道と新潟県に上陸するのであり、日本国は瞬時に終焉する。そして、現実に、プーチンは択捉島や南樺太に、この「イスカンデルK」を配備するのは間違いなかろう。国際法上、択捉島が世界に対して「日本領土である」こと、南樺太がロシアに対してのみ「日本領土である」ことにつき、学的理論なんかどうでもいいと安倍晋三のように平然とプーチンの言いなりにしていたら、それは日本がロシアの核攻撃で“火の海”になることを了解するメッセージになる。
しかも安倍晋三は、プーチンの操り人形になって、いや“プーチンの奴隷”になっており、2018年末から翌2019年2月2日にかけて、「トランプ大統領のINF条約離脱と新型のINF開発を支持する」との声明を出さなかった。安倍政権は「米国の問題意識を理解する」と通知しただけ。朝日新聞や共産党員・広島市長と全く同じスタンスを共通する安倍晋三は、近々に「RS26ルベージュ」「イスカンデルK」の標的になる日本の情況も、実際に日本がロシアの核攻撃を受ける近未来の現実も、見ようとはしない。危険を見ずに死を選ぶオーストラリアの駝鳥に酷似する安倍晋三を、今すぐ日本から追放しないとすれば、日本全土がロシアの核攻撃下で「ヒロシマ」になるのは避けられない。
なお、NATOの欧州諸国は、2018年2月2日、「トランプ大統領のINF条約離脱(と新型のINF開発)を完全に支持する」との声明を出した。
ゴルバチョフは大俳優。ロシア永続を優先し「対米全面敗北」を決断したのはKGB議長アンドロポフ
さて本論。『朝日新聞』2019年12月17日付けは、1面/11面/15面をゴルバチョフへのインタヴューで埋め尽くした。朝日新聞は日本の新聞ではない。プーチン発行の対日洗脳新聞ではないか。
まず、ゴルバチョフに関する正しい人物像を喚起しておこう。ソヴィエト・ロシアは、1983年になるや、永年のGNP29%を軍事費につぎ込んだ超軍核のツケで経済が破綻し軍事機構も機能しなくなった。しかもこの年ロシアは、レーガンの核軍拡と海軍力増強で一気に超劣勢に陥り、軍拡競争すらできない情況に転落した。つまり、1983年以降では、軍事的・経済的に絶対優位にたった米欧が一気にソ連に対して欧州戦域核戦争をしかければ(注1)、ソ連は戦争して国家消滅の道を選ぶか、戦わずして無条件降伏するかの瀬戸際に追い詰められた。ために、当時のロシアで最高の頭脳を持つKGB議長(ソ連共産党書記長を兼ねる)アンドロポフは、レーガンの西欧配備パーシングⅡ(射程2000㎞)と地上配備のトマホーク巡航ミサイル(射程4000km)によって核戦争すればロシアの大敗北必至だと悟り、あらゆる海外権益も領土も捨てる大退却を決めた。その日を1989年11月7日とも決めた(注2)。
このアンドロポフの脚本通りに米欧を誑かすことができる、つまり、さも「大敗北でない」「大退却でない」かに大演技する世紀の名優として、ゴルバチョフがソヴィエト・ロシア最後の独裁者に選ばれた。実際にも、大俳優ゴルビーは、米欧に対し矢鱈目鱈に甘い言葉「ヨーロッパ共通の家」とか「新思考外交」とかを振り撒き、ソ連のイメージを「侵略国家」から「平和共存国家」に大幅に変えるのに成功した。そして、反共反ソのレーガン大統領とサッチャー英国首相に「話ができる初めてのロシア独裁者」だと思わせた。ゴルビーは、“騙し力世界一”の天才外交官だった。
ゴルバチョフは、1987年12月7日、日本のパール・ハーバー攻撃の日を選んで、アフガニスタンからの撤兵とSS20弾道ミサイルの廃棄とバックファイア(核弾頭投下)中距離爆撃機の廃棄を手土産にワシントンに乗り込んだ。私が驚いたのは、たったこれだけのお土産に、レーガンが「西欧配備のパ―シングⅡ(射程2000㎞)と地上配備のトマホーク巡航ミサイル(射程4000km)の撤去」という百倍も高価な代償で交換したこと。
当時の私は、国務省や国防省に多少の知り合いがいたので問い合わせたら、両省ともINF条約に絶対反対する者が過半数を占めるが、「レーガン大統領はノーベル平和賞をナンシー夫人にプレゼントしたく、さっさと全面的に妥協した」との事であった。レーガンはヤルタ協定の履行である東欧解放をゴルバチョフに要求しなかった。
私が、レーガン大統領の任期ギリギリの1989年1月まで粘れば、「東欧六ヶ国/カリーニングラード特別区/南樺太/国後・択捉・千島列島の返還と、(ニュルンベルグ裁判と同じ)ソ連の第二次世界大戦時の侵略を裁く《モスクワ裁判》権が獲得できる」と言ったら、「それは日本政府から正式にレーガンに交渉すべき事柄ではありませんか」と窘められた。1983年末にアンドロポフが決断し精緻に遂行されていた東欧六ヶ国解放(をするロシアの計画)を私が知ったのは、ベルリンの壁崩壊の直前の1989年夏で、INF条約締結より一年半も後であった。私の予見力よりロシアの隠蔽力の方がはるかに優れていた。フランシス・フクヤマは、私より四ヶ月も早く、1989年4月頃に東欧解放を知り、論文『歴史の終わり』を執筆開始したが(National Interest誌に寄稿)、これは彼の予見力ではなく、KGBからコッソリ教わったからだ。フランシス・フクヤマはフランス留学中、KGB工作員になった。
このレーガンの過剰妥協のお蔭で、ゴルビーは、世界に衝撃を走らせたベルリンの壁崩壊を演出したドラマチックな東欧解放を行うことができ、「冷戦の終結」というゴルビー造語を歴史に刻んだ。レーガンがノーベル平和賞を焦ったばかりに、アンドロポフの脚本に従った“大言壮語の大俳優”に過ぎないゴルビーを世界的な政治家にしてしまった。
なお、ゴルビーの「ヨーロッパ共通の家」は、“米欧よ、欧州戦域核戦争をしないで。お願い”の洗脳キャッチコピー。ゴルビーの「新思考」は、数年後の「東欧解放」を“米欧の核戦力に恐怖したロシアの本心を隠し、私の考えで決断した”かに誑かす、真意隠蔽のキャッチコピー。
朝日新聞が大嘘を垂れ流すゴルバチョフに共振するのは、日本国民に大嘘を垂れ流したいからだ
朝日新聞のゴルビー・インタヴューには心底びっくりした。その記事すべてが、一行残らず嘘だらけだからだ。例えば、11面の二段目には、こうある。
「INF条約は、初めて人類が核削減の流れへと転じ、冷戦の終結に繋がったこの条約は、レーガンとゴルバチョフの先輩が《核戦争は許されない。そこには勝者はいない》と言う理念を形にしたものだった」(ゴチックは、嘘八百)。
「東欧の解放」(=ヤルタ協定の履行終了)を「冷戦の終結」と仮に言うことにする。1983年にパーシングⅡと地上配備トマホークを欧州に配備した米国に追撃の核戦争をされれば、“米国の勝利は100%だから”、ロシアは全面降伏しかなく(注1)、ロシアは第二次世界大戦の前までの領土への大縮小を甘受させられる。ロシア保有の核兵器すべての廃棄も、核兵器研究所や核兵器生産工場も含め、強制される。
とすれば、過剰軍拡のツケで経済の崩壊から軍隊の崩壊が起きてしまったロシアが、1983年末に決定した1989年11月7日の「冷戦の終結」に向かうには、「冷戦の終結」への潜伏推進に二年間の歳月をかけるので、ロシアとしてはその二年前までにパーシングⅡとトマホークの撤去を米国から取り付ける必要がある。
ゴルビーがINF条約の締結をレーガンに泣いて頼み込んだ理由はこれである。つまり、順序は、「冷戦の終結」が先に決まり、ロシア不利情況の除去としてINF条約の締結が後で定まった。東欧解放日を「1989年11月7日」と特定したのはアンドロポフで1983年末だったが、この時間軸を考えても、この順序以外では齟齬を来たす。
また、このロシアの行動のどこに「核戦争には勝者がいない」との考えがあるのか。そんな考えはロシアには微塵もない。アンドロポフもゴルバチョフも、「欧州戦域核戦争をすれば、米国が全面勝利し、ロシアが全面敗北する」と考えた。朝日新聞は、真赤な嘘をデッチ上げている。
さらに、ロシアに「核兵器の削減をよし」とする軍事思想は存在しない。ロシアは米国以外の軍事弱小国に対して核兵器を投下することは躊躇わない。つまり、ロシアは「核戦争は、領土が拡大するなら、いつでも決行する」。だから、英国とフランスは、対ロ核抑止力として核武装を維持し続けている。ロシアの軍事教範を含め全ての軍事内部資料に、「核兵器の削減をよし」と言及したものがあるなら、朝日新聞よ、証拠として、それを提示されたい。
そもそも、米ロの核軍縮は、1972年のニクソン大統領とブレジネフのSALTⅠ条約が嚆矢。続くSALT条約Ⅱは1979年(注3)。1987年12月のINF条約は、核軍縮条約としては三番目に当る。それよりも、条約にはしなかったが、ロシアがキューバにSS4とSS5を搬入したのを撤去する条件に、1962年、フルシチョフはケネディに、沖縄配備の「メースB巡航ミサイル」とトルコとイタリア配備の「ジュピター弾道ミサイル」並びに英国配備の「ソー弾道ミサイル」を撤去させる御褒美をもらった(注4)。これが、INF廃絶の米ロ合意の最初。レーガン/ゴルビーのINF条約は、INFの核軍縮としては二番目。
つまり、ケネディは、過剰な対露妥協をしすぎたことで、レーガンの大先輩であった。ニューヨークとワシントンを核攻撃すべく、キューバIRBM「SS4」搬入・撤去は、「メースB巡航ミサイル」「ジュピター弾道ミサイル」「ソー弾道ミサイル」の撤去と言う、大ボーナスを手にしたフルシチョフの大勝利で終わった。
世紀の作り話「キューバ危機」は、ロシアの造語。INF核兵器で日本全土丸焼けを計画するプーチン
15面にも叩くべき巨嘘が十五ヶ所ほどあるが、一例に留める。
「《核兵器は戦争から世界を守る》と核を褒めちぎる専門家がいます。でも、少なくとも一度は世界を自滅寸前にしました。1962年のキューバ危機です」(ゴチックは、真赤な嘘)。
思わず噴き出してしまった。「キューバ危機」など、現実には微塵も存在しない。ケネディの「撤去しろ」の一喝で、ロシアはその瞬間、組み立て中のSS4の四十二基すべてを解体し、ロシアに戻すべく貨物船に積み込んだ。サンフランシスコとロス攻撃用のSS5の三十二基はまだカリブ海をハバナに向かって航海中の貨物船上だった。これらは、ケネディの一喝により、直ぐロシアに向け反転し帰還した。
「撤去しろ!」とフルシチョフに恫喝するに際して、ケネディとその側近が米ソ核戦争になるかも知れないと憂慮したのは事実だが、結果としてそのような情況は微塵も発生しなかった(注4)。
不在の「キューバ危機」をさも現実かに捏造し世界に流したのは、世界中の新聞にくまなく潜り込ませたロシアのKGB工作部隊である。歴史事実は「キューバ核ミサイル撤去事件」が起きただけなのに、日本の新聞も一紙残らず、真赤な嘘「キューバ危機」と報道した。もう一度言う、「人類滅亡のキューバ危機」など真赤な嘘。歴史捏造もこれほど悪質なものはない“世紀のつくり話”「人類滅亡のキューバ危機」は、完全に粉砕し墓場深くに埋めなくてはならない。歴史は真実でなければならない。
また、当時の米ソ保有の核戦力は僅かで、米ソそれぞれを潰滅する核兵器が不足していた。米ソ以外に核兵器を投下できる余裕など全く無かった。インドや中共やアフリカや南米に対し、一ヶの核兵器も投下されないのに、どうして「人類の危機」になるのか。ベラボウな出鱈目もほどがあろう。
特に、1962年時点のソ連の核戦力は、米国の十分の一しかなかった。米ソ核戦争が勃発すれば、ソ連の国家死滅となり、人類にとり最高の平和と幸福が訪れた好機であった。キューバ危機が米ソ核戦争にならなかったことが、アフリカの陰惨な内戦のほとんどがソ連の介入であるように、その後の世界に多くの戦争を惹起せしめた。
今もウクライナだけでなく、バルト三国やポーランドは、ロシアの軍事脅威に怯える日々にある。日本もまた確実なロシアの侵略に曝されている。そう理解できない日本人とは、人間の自由とか尊厳はむろん、国家の領土すら認識できなくなったからで、アヒルかブタ並みの人間以下だからである。かえすがえすもケネディは、1962年、世界平和のために、ソ連体制が完全に消滅して百年はロシア帝国の復活が不可能になる対ソ核戦争を決断すべきであった。
注
1、中川八洋『地政学の論理』、199~205頁。
2、未開の野蛮人であるロシア民族は、数字の縁起担ぎを欠かす事が無い。1989年とは、1789年のフランス革命二百年記念の年である。11月7日は、レーニンの1917年11月7日のロシア共産革命記念日である。故に、東欧解放の日を1989年11月7日にするとアンドロポフは決め、ゴルビーはこれを忠実に守った。なお、レーニンは自分を“失敗しないロベスピエール”に擬えていたように、ロシア革命を第二フランス革命と考えていた。これは、ソ連共産党員全員が共有する常識である。
3、中川八洋『核軍縮と平和』、中公新書、36~47頁。
4、中川八洋『地政学の論理』、227頁の図6。209~234頁。
(2019年12月22日記)