筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
前稿に引き続き、“侵略の皇帝”プーチン大統領の来日に際して、必ずや日本の固有の領土をロシアに貢がんとする“対ロ売国奴”安倍晋三の異常で異様な行動をさらに深く追及していかねばならない。我が国の“領土”、すなわち我が日本国そのものを護らねばならないからだ。その意味で、本稿は「なぜ安倍晋三は、“プーチンの犬”になったか」が基幹モチーフとして流れている論考で、前稿「日本人を領土無き“地球放浪者”にする“悪魔語”国境画定」の第二節に当る。
クラウゼヴィッツの公理「外交は戦争の一形態」を弁えない“総理失格のスーパーお馬鹿”安倍晋三
一般公理で、特段にロシアの対外行動原理でもある「外交とは、軍事力を暫時凍結した戦争である」を弁えない日本の総理や政治家は、対露外交をする資格がないし、対露外交をしてはならない。そのような総理大臣が対露外交をすれば、嵐の大洋に浮かぶ“兵装ゼロの老朽巨船”日本国は一瞬で傾き沈没する。
日露戦争後の日本人は資質において、明治時代まで世界に冠たるトップ民族だったのが、どういう訳か急転直下に無学・無教養なお粗末民族となった。だから、スターリンが操るままに国際連盟を脱退して満洲を守ってくれる後ろ盾の英国を日本の方から放逐したり(1932~3年)、スターリンが近衛文麿に命じたままに日ソ中立条約を締結して(1941年)、かつては精強だった関東軍のすべて正規師団を満洲から南方に送り出しソ連軍の満洲無血占領に全面協力したり、日本はひたすら“自滅の転倒外交”に耽るに至った。
外交とは戦争の一形態であって、両者は一体不可分。別々なものではない。が、江戸時代の武家の子弟が国政と軍隊から消えた1908年頃(明治維新から丁度四十年目)を境に、外交をいっさい理解できない盲目の暴走外交に現を抜かすようになった。しかも、外交は戦争の一形態だから、外交の失敗や外交の敗北は戦争の敗北と同じで、国家が決して犯してはならないもの。だが、こんな根幹的原理すら、1908年以降の日本人は判らなくなった。
たとえば、国際連盟が派遣したリットン調査団を糾弾することは、満洲における日本とソ連との軍事バランスをソ連の絶対優位にしてしまうことに繋がるが、「1932~3年の日本人」は、帝国陸軍だけでなく新聞・雑誌がモスクワから徹頭徹尾に操作されていたこともあって、この事態を認識できなかった。2016年の現今の日本人は、逆さ外交に暴走した「1932~3年の日本人」よりもっとひどく、痴呆状態を年々重度化するばかり。かつて由緒ある国家の国民だったとはとても思えない。
この話から逸れるが、ロシア民族には、英米のような、平時と戦時をおおむね区別して、「平時の対外行動を外交、戦時の対外行動を戦争」に分ける考え方が全く存在しない。一言で言えば、ロシア民族は、「軍事力を行使する《戦時》」と「軍事力を行使しない《戦時》」に生きており、“戦時”しかない。なお、「戦時(有事)」とは、war timeの訳。「平時(平和時)」とは、peace timeの訳。
「軍事力を行使しない《戦時》」における「軍事力を行使しない」は、ロシア民族に限っては、何もしないことを意味しない。「(軍事力の代わりに)謀略力を行使する」ことをいう。つまり、ロシアには、過去五百年間、「軍事力を行使する《戦時》」と「謀略力を行使する《戦時》」しかなかったし、このロシア特有の“何時も「戦時」が常態”は、ロシア民族の侵略国家が存続する限り、未来永劫に変えない。
だが、日本人は、「戦争時」と「平和時」は截然と区別して、全く別のものだと思い込む。世界で最も国際政治が判らない特殊民族が日本人で、要は、日本人とは超バカ民族ということ。一方、戦時と平時を区別する英米は、表面的には日本と同じように見えるが、実態はそうではない。「戦時と平和時は連続している」と考えるからだ。また、「戦争は、平和時にその芽が育つ」と考えるからだ。
今の日本には、英米的に「戦時と平和時は連続している」「戦争は、平和時にその芽が育つ」と考える常識ある教養人すら一人もいなくなった。当然、ロシア民族の対外思考に「平時」がなく、人類共通に常識的な「平和時」概念がロシアには存在しないという、重大な事実を日本人で知る者はゼロということ。とすれば、人類共通の常識的「平和」概念が欠如するロシア民族が締結する平和条約の「平和」は、論理的に、ロシア民族からすれば「侵略歓迎」の意味にしかならない。が、この程度の論理的推断が、世界の最低民族/超馬鹿民族に成り下がった今日の日本人にはできない。
レーニンのクラウゼヴィッツ精読は、“チンギスカンの遺産”「ロシアの対外謀略」全力発揮の再確認
レーニンが、クラウゼヴィッツ著『戦争論』を原文で精読した話はつとに有名。誰でも知っている。レーニンは、『戦争論』の中でも特に、「第一篇第一章24項」と「第八篇第六章B」を重視し、前者については自分のノートブックに全文を書き写している(注1)。
『戦争論』のこの二ヶ所は、国際法や国際政治学の「戦争と外交」「戦時と平時」の基本関係を知るためのイロハ知識の一つにもなっている。クラウゼヴィッツは、こう書いている。
「戦争は、一つの政治手段で、(対・外国の場合は自国の意思を強制する)政治の継承で、他の手段(軍事力)による政治の継続にほかならない」(第一篇第一章24項)。
「戦争とは他の手段(軍事力)を交えて行う政治的関係の継続以外の何者でもない。政治的関係は、戦争によって中断したり、全く別の何かに変ったりはしない。用いる手段こそ違っても、政治的関係は本質的に不変である」
「戦争とは、政治的関係を別種の文書や言葉で表現したものではあるまいか。戦争には確かに独自の文法はあるが、独自の論理などありはしない」(第八編第六章B、注2)。
このクラウゼヴィッツの有名な一節は、英米などでは、「戦争は、外交の延長線上にある」とか、「外交と戦争は連続している」とかに読むのが通例である。が、レーニンは、対外行動の分野に適用すれば、このクラウゼヴィッツ公理は、「軍事力による戦争」と「(非軍事力=)謀略による戦争」を同一とする説だと解釈した。
英米的な外交が不在で理解不可能なロシア民族にとって、レーニンのこの『戦争論』解釈は、多少クラウゼヴィッツを偏向しているようにも思えるが、ロシア民族なら普通の読解。要するにレーニンは、これからロシアが侵略する予定の国家のマスメディアや学者を一網打尽にロシアの支配下に置き、このロシアに侵略される国家の国民に偽情報を徹底撒布して洗脳してしまうのを自由社会の通念である“平時の外交”とした。いわゆる“偽情報投下の謀略”が、平時のロシア外交となった。
このレーニンの“平時の外交”は、日本などの侵略標的国に対して偽情報を集中注入することだが、これを(現代でいえば)雨あられと撃ちこむ弾道ミサイルや爆撃機からの巡航ミサイル投下と同じものだと、レーニンは、クラウゼヴィッツから再理論化したのである。
レーニンの謀略絶対視を継承した“チンギスカンの孫バトゥの再来”プーチンは、13世紀モンゴル人
さて話を変える。プーチンは、純粋なモンゴル系ロシア人で伝統的なロシア民族の政治エリート。英米的な外交など一切弁えないし、決してしない。しかし、安倍晋三は、母親に甘える幼児のごとく、“プーチンの犬”になりプーチンの靴を舐めまわしては尻尾を振る。この問題に論点を戻す。
すなわち、安倍晋三に対するプーチンの対外行動は、あくまでも「謀略による戦争」である。プーチンは、軍事力以外の手段を用いた戦争による日本の領土奪取を、安倍晋三を籠絡する事で遂行している。だが、安倍晋三だけでなく、外務省の外交官を含め、軍事力以外の手段を用いた戦争という、世界に他に類例がない“ロシアの特殊対外行動”を認識できる日本人はいなくなった。「吉田茂→中川八洋」で細々と続いてきた日本の“神髄のロシア知”が、戦後七十年間に及ぶロシアの対日工作の成果として日本から消えたからである。
また、現在のSVR(KGB第一総局)が担当している「レーニンが再編成した対外謀略という“平時の戦争”戦略」は、実は、チンギスカンが発明してキプチャク汗国の初代皇帝バトゥ(チンギスカンの孫)に継承され、その血を継ぐモスクワ大公国・イワン雷帝らに相続され今に至っている。ロシア皇帝の母系は純血のモンゴル王族の姫君たちである。
この程度のイロハ歴史すら知る日本人がゼロとなった日本。だから、どの日本の総理でも似たり寄ったりだが、特段に無知・無学・無教養で深慮や用心深さのない軽佻浮薄な安倍晋三を、新ロシアの皇帝である”プーチンの犬/奴隷”にすることなど、プーチンにとって赤子の手を捻るほどいとも簡単なこと。
もう一度言う。プーチンは日本に対し常時「謀略による戦争」をしている。が、“スーパーお馬鹿宰相”安倍晋三は、ロシアは軍事力を使っていないから「平和時の外交をしている」と、ロシアの対日戦争を平時の外交と信じて疑わない。
“細菌爆弾”「領土放棄病」を、日本全国の水道水に投下した岩下明裕
安倍晋三が日本の総理になる可能性が高いと推定された2012年、突然、日本の出版界に異様な光景が現れた。名うてのロシア工作員たちが、日本人を煽動洗脳する政治文書というべき著作群を、洪水のごとく出版し始めたからだ。表1は、このロシアの対日洗脳工作の一端。
これら日本人を煽動洗脳する出版物は、安倍晋三を洗脳するための政治文書ではない。1990代後半までに十分に洗脳されている安倍晋三には必要はない。
プーチンに一本釣りされ徹底洗脳されて対ロ売国に暴走する“稀代の対ロ売国奴”安倍晋三を、多数の日本人が「安倍の対ロ政策は、日本を冒涜する祖国叛逆の極みだ」と正常な批判をしないよう、一般日本人に対する洗脳宣伝のための出版物である。日本人の多数が七十年間の戦後を一貫して保持してきた正常な良識や見識を麻痺させて剥奪する麻薬出版物である。一般日本人が領土に関する常識を有している限り、「安倍晋三が、国内の抵抗勢力ゼロで、日本の領土をロシアに貢ぐ」ことは困難。そこで、正常な日本人たちの安倍糾弾勢力が形成されないよう、事前に圧搾して消滅させるための出版物である。
このように、日本国内のロシア工作員の出版物を調査するだけでも、ロシアの対日情報操作の凄さは一望できる。結論からいえば、プーチン大統領が誕生してから、ミサイルや砲弾に代えて活字と電波を雨あられと高密度に一斉射撃する、ロシアの対日戦争/対日侵略は大規模化し先鋭化した。一億日本人の頭をロシア売国奴に洗脳する、プーチンの対日侵略には休む日がなかった。
表1は、日本人ロシア工作員の学者・ジャーナリストは優に百名を超えるが、そのうち四名の「対露売国の対日工作員トップ学者」をリストした。彼らの2012~16年の対日工作本を見るだけで、プーチンの日本攻略の兵力侵攻情況が、一目瞭然に垣間見えてくる。
表1;罠に嵌めた安倍晋三への“批判封じ偽情報洗脳爆弾”を日本に投下したプーチン
岩下が造語した珍語「国境学」は、笑止な非・学問用語の嘘宣伝語&日本人への“呪いの呪文”
表1の四名のうち、ロシア対日偽情報洗脳工作をロシアの企図通りに最も忠実、最も露骨、最も過激に書き捲っている岩下明裕が撒布する有毒麻薬が突出している。本稿が、今や日本におけるロシア工作員ナンバー・ワンとなった岩下明裕の頭をメスでぐさりと切り開き解剖するのは、これが理由。
ゲッベルスを超える天才プロパガンディスト岩下明裕のオリジナル造語は、二つある。第一が“固有の領土奪還”や“固有の領土死守”という正常な国家の行動や思考を転倒させて“病気”だと詰る、正常や健康を異常や病気に摩り替える「領土病」。第二の岩下造語は、“珍語の極み”「国境学」。「国境学」などという奇天烈な学問ジャンルは、世界中の学界・大学どこを捜しても存在しない。
(備考)プロパガンディストの英語はpropagandist。「嘘宣伝専門家」と邦訳されている。
これまで国語辞書になかった珍奇な語彙「国境学」は、詐欺師が腰を抜かす“トリック屋の達人”岩下明裕が、まず和製英語「border-studies ボーダースタディーズ」をつくり、それをさも邦訳したかに見せるべく、漢字三文字を充てたもの。だが、border-studiesは、「国境学」と同じく“日本語”であって、英米語ではない。なお、英語には、borderlands-studiesならある。
このやり方は、共産党員がつくった和製英語gender-freeと同じ。英米圏すべての国のすべての英語辞書を捲ってもgender-freeは載っていない。ちなみに、border-studiesをアメリカ人に聞いてみるがいい。それは「州と州の境界地域の研究」のことか、「メキシコ/カナダと米国の国境地帯の研究」のことか、と首を傾げながら連想してくれるだけ。それが“領土紛争地問題の研究territorial disputes studies”の事だと発想することは決してない。
英文の学術誌『Eurasia Border Review』があるが、これは岩下明裕が中心になって出している北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターの出版物であって、欧米諸国の学術誌ではない。注意する事。一言で言えば、この北海道大学の英文雑誌は、「国境学」という“まがい物学問”“学問もどき”をさも学問であるかに見せる、悪質な自作自演誌である。
ところで、同センターは、『境界研究』という大学紀要も出している。これもまた、岩下明裕の珍語border-studiesに当てた漢字である。つまり、岩下は奇天烈な和製英語border-studiesをまず造り、これに充てる漢字として「国境学」と「境界研究」の二つを考え、使い分けている。「学」=「研究」=studiesだから、岩下は、一見すると、「国境」=「境界」としているように見える。
だが、岩下の本心は、語彙「国境」の使用に躊躇いが強く、もう一つの「境界」を和製英語(=日本語)border-studiesの対応漢字だと考えている。その理由を岩下は『入門 国境学』の「はしがき」&「第2章」でくどくどと釈明するが(注3)、要は「国境」の「国」という字が気に入らないのである。日本は国境もない、すなわち領土のない非・国家になるべきとの、究極の「反日」イデオロギーが岩下の心底の信条であるからだ。
「領土」に関する健全な日本国民の健康な主張を、逆さに「領土病」だと誹謗し貶める岩下明裕
岩下明裕とは、ヒトラーのユダヤ人憎悪と同じ、日本人憎悪だけに生きている敵性人士である。日本国の領土消滅を目指す敵性人士なのに、生まれた時から日本国籍を有しているものを、オルテガの言葉だが「垂直侵略者」という。外国から侵略して日本領土に侵入する敵国人士を「水平侵略者」として、これとの違いを浮き立たせるオルテガらしい名句。
“日本人憎悪狂”岩下明裕が、日本国民に向けて投げかけた讒謗語「領土病」を最初に用いたのは、2014年7月刊の本『領土という病』のようだ。そして、翌年の2015年11月、岩下の北海道大学は九州大学との共催シンポジウムを狂気のテーマ「領土という《呪い》を考える」で主催している(注3)。このシンポジウムの狙いは、「領土」は「呪い語」との狂気を宣伝する事。自明にすぎよう。
奪われた領土を奪還せんとすることや現在の領土を死守せんとする日本人を「病気もち=精神病者」だと讒謗しておいて、加えて「領土」という言葉を「呪い語」だと、北方領土の奪還を主張するものを「呪い語に囚われた人=カルト宗教の狂信者」だと誹謗するのが、岩下明裕である。
正常と異常、正気と狂気、健康と病気を摩り替える“対極語の同一化”という、岩下明裕のプロパガンダ手法は、「ハルマゲドン(地球消滅)を信じている信者は正常で、信じない信者は狂っている」と、正常と狂気を識別させなかった、オウム真理教の教祖・麻原彰晃(血統は朝鮮人)の狂気手法と全く瓜二つ。領土が国家・国民の生死を決定する真実も現実も国際法も破壊せんとするのは、岩下明裕が治癒不可能な強度の精神病に罹っている“スーパー狂人”だからである。日本人を無領土・無国家の地球放浪者に陥れんとするのは、日本人憎悪狂に狂舞する“最凶悪な外国人”だからである。
超カルト宗教「無領土・無国家狂」に呪縛されている“日本人憎悪狂徒”岩下明裕こそ、“呪いの経文”「日本人の領土なんか無くなれ!」を読経している正真正銘の狂人だから、岩下明弘を国家公務員法に基づき分限免職に処すのが適正な措置と考えられる。北大医学部付属大学病院で、「健康者を病人、病人を健康者と診断する」医師が居れば、直ちに分限免職に処す。これと同じ。
もう一度言う。中公新書『入門 国境学』を巻く帯にある宣伝文句「領土という病を克服できるか」の意味は、「日本人よ、すべての領土を放棄して“無領土の民(地球放浪者)”になれ!」のこと。「2014年7月の出版→2015年11月のシンポジウム→2016年3月の出版」と、“日本人憎悪狂”に冒された岩下明裕の狂気は、ひたすら過激に大爆発を繰り返し、そこから降り注ぐ火山石ならぬ“領土放棄病の細菌”爆弾を好き放題に日本全土に投下するのを止めない。日本国民は、“凶悪なロシア工作員”岩下明裕を今のまま放置していいのか。国外追放や刑務所収監を考えなくて大丈夫か。
本稿における“日本人憎悪狂”岩下明裕の解剖は、表1に挙げた岩下の著書/編著書三冊の他、岩下明裕が北方領土問題の「専門家」と目されるに至った、2005年刊の『北方領土問題 4でも0でも、2でもなく』(中公新書)を加えて、この四冊を出版年の新しい方か古い方へと遡ってメスを入れていく方法をとる予定。
この順序に従い、『領土という病』にメスを入れる前に、『入門 国境学』が顕著に示唆してくれる岩下明裕の思想系譜につき、ほんの少し触れておく。
史上最凶の“無・国家主義アナーキスト”岩下明裕は、共産党/北朝鮮人と緊密連携
共産党との同志関係が濃厚だが、岩下明裕の根は、在日北朝鮮人に顕著に散見される“日本国家の完全解体・消滅・廃滅を目指すウルトラ・アナーキズム”の狂信者であろう。このため岩下明裕は、「脱構築」ドグマの汚染源デリダ系ポスト・モダン思想にも熱を上げる。日本でデリダ大好き学者のほとんどは、北朝鮮人。
ちなみに、岩下明裕が特別に親しい/親しかった北朝鮮人(血統)は十名ほどいるようだが、表2に、うち三名を掲げておく。
表2;多くの北朝鮮人が同志の岩下明裕の血統は、どこ?
この表2に挙げた秋野豊について、岩下は『入門 国境学』で、25~31頁にわたり延々と言及している。一部、虚偽があるので訂正させて頂こう。例えば、秋野は「老後は国後で小さな店でも開いて、ロシア人と一緒に暮らしたい」と語っていたとある(注5)。が、この前半は間違い。秋野は、「北海道をロシア連邦の自治共和国にし、俺はその初代首相になる」が生前の口癖だったからだ。
ただ、後半の「(日本人は誰でも虫唾が走るから、俺は日本人が大嫌いだ。だから、)ロシア人と暮らしたい」は、確かに秋野の本心。秋野は、ロシア軍とロシアKGB第二総局を北海道に導入して、ロシア駐留軍とロシア秘密警察に弾圧してもらって北海道の日本人を搾取し支配する、周りをロシア人で固めた対日独裁者になるのが夢だと、私に語ったことがある。
なお、秋野豊が、修士論文としてもお粗末な、基準にはるかに及ばないトンデモ論文で学位をとったのは、北大キャンパス内の某場所に指導教官を呼び出して「博士論文を不合格としたら殺すぞ」と脅迫したからである。北海道大学は、小保方晴子氏の学位を取り消した早稲田大学を見習い、秋野豊学位取得殺害予告脅迫事件を再調査して、学位取り消し処分から逃避すべきでない。確かに秋野は常日頃、「殺人だろうと何だろうと、俺様はどんな刑法犯罪も躊躇しない」と豪語していた。
岩下と共産党との関係は、共産党員の山崎孝史との義兄弟のような関係を見れば、すぐ分かろう。岩下が主催のシンポジウムには、何時も山崎孝史がぴったりとくっついている。
さて、日本人は国家を持つべきではないとする岩下明裕は、日本の領土を日本国からすべて剥奪する麻薬ロジックを考案した。しかも、この犯罪的なトリックのロジックは、日本人憎悪狂からの、“日本国を地球から消滅させて見せる”と、日本に憎悪の妄執を燃やす岩下明裕らしく、(国際法もこれに準拠している)領土は歴史的形成の秩序orderであるとはせず、「領土は、政治操作の結果」とする奇怪な思考から生まれた“奇々怪々語”「領土の罠」に(注5)、デリダの「脱構築」をブレンドした、粗悪カップ・ラーメン(=「領土の罠」=「領土は政治操作の結果」)に熱湯(=「脱構築」)を注いだだけの、100円以下の粗悪即席カップ・ラーメンそのものの出鱈目&まやかしロジックである。
デリダのモチーフ「脱構築」について、岩下は、第4章のタイトル「領土問題の構築を解体する」が示すように、「構築を解体する」に言い換えている。むろん、両者は同義。
このように、“毒入り饅頭”「領土の罠」(=「領土は政治操作の結果」)に、その上にさらに有毒の液状チョコレート「脱構築(=構築の解体)」をトッピングしておいて、“史上最凶の悪”岩下明裕は、これを改竄歴史の箱に詰め、読者に「最高においしい最新のお菓子です」と提供する。これが『入門 国境学』である。とすれば、中央公論新社とは定めし、有毒チョコがトッピングされた毒入り饅頭の販売を担当する共犯者というところか。まず、岩下は、“有毒チョコをトッピングした毒入り饅頭”をこう書いている。
「日本で、社会構築された(=政治操作で作られた)領土問題の典型的な事例は北方領土問題。北方領土問題は第二次世界大戦後の戦後処理と平和条約締結の過程で、冷戦の影響を受ける形で構築され、冷戦の終了とともに構築の空洞化が明らかになった。その一方で、強度な“構築の罠”(=政治操作で作られた「北方領土は、固有の領土」論)から未だに抜け出せない(=脱構築できない)実像を追いやすい」(注5、括弧内は中川)。
北方領土が、(国際法の用語ではないが、国際法と完全正確に合致する用語)「固有の領土」である以上、それは社会構築されたものではない。北方領土は国際法上、完璧にわが日本国の祖先からの領土であるのに、“残虐な侵略国家”ロシアの不法な侵略・占領下に置かれているだけである。つまり、北方領土が残虐な侵略国家・ロシアに強奪されている法的事実は、社会構築されたものではない。とすれば、“構築の罠”が北方領土問題には存在しうる余地はなく、北方領土は“構築の罠”とは全くの無関係である。
要するに岩下は、健全な日本国民が国際法に正しく沿ってその全面返還を主張しているのを、難癖をつけて罵倒する言論テロリストの本性あらわに、大詭弁の中傷誹謗フレーズ「構築の罠に嵌って抜け出せない」を考え付いた。日本人を讒謗する天才詐言師・岩下明裕らしく、日本人に浴びせる最高のヘイト・スピーチ(罵詈語)を考案したのである。
しかも、この「社会構築されていない」“北方領土の国際法上の地位”を、強引に逆さにひっくり返して、日本に帰属する「固有の領土」北方領土の奪還請求の法理の正当性をぶっ壊す大詭弁「社会構築された」を強弁するために、“ダーティ岩下明裕”は歴史の大改竄をする(表3にその一部)。歴史のデッチアゲこそ、悪の岩下明裕の本業だが、嘘歴史の捏造なしには「社会構築されていない」という真赤な嘘は、すぐ馬脚を現わすからだ。
表3;“世紀の嘘つき男”岩下明裕の、真赤な嘘歴史(注5)
岩下「領土喪失病」細菌爆弾は「領土の罠」菌&「領土ナショナリズム」抹殺菌の混合
日本人から正常な領土観を溶解して狂わせるに、岩下明裕は、日本人が持つべき国際法や関連条約の基礎知見を全否定し、また1780年頃から開始されるロシア日本侵略史/日露関係史の正確な歴史事実を剥奪し忘却させる偽情報宣伝洗脳に全力を挙げる。このことは、岩下明裕の対日情報心理戦の全体像を暴く“岩下四部作”を読破すれば、明らかなこと。
が、本稿は紙幅の関係で、どうやら『領土という病』でいったん擱筆する羽目になりそうだ。残りの二冊、2013年の『北方領土・竹島・尖閣、これが解決策』、2005年の『北方領土問題』は、次稿に回さなければならない。残念。
さて、『領土という病』をこれから一瞥する。これは、2013年の岩下明裕が中心となって開催した2つのシンポジウムや和田春樹/岡田充へのインタヴューの記録。この『領土という病』の重要な特性とは、2005年以来、過激を越えて極論を弄ぶ岩下明裕の、狂気というべきその“日本人の領土ゼロ化運動”が、この2013年のシンポジウム等を通じて一段とエスカレートして“究極の極論”に押し上げるものとなったスプリング・ボードだったことにあるようだ。
特に、『領土という病』に収録されている、コミュニスト山崎孝史の報告モチーフ「領土の罠」と、同じくコミュニスト(アナーキスト?)岡田充のモチーフ「領土ナショナリズムを、日本人から完全剥奪しよう」が、岩下明裕の狂気の猛炎にさらに燃え上がらせたことがわかる。山崎孝史が宣伝源となった「領土の罠」を、前述したように、岩下は『入門 国境学』にそっくり「盗用(了解を取っていれば「借用」)」している。岩下明裕の悪魔のような恐ろしいフレーズ「領土という病」は、岡田充の『尖閣諸島問題 領土ナショナリズムの魔力』の副題「領土ナショナリズムの魔力」から「発想・発明」した“岩下造語”なのは間違いないだろう。
岩下明裕の狂気の脳内をレントゲン透視するには、「領土の罠」論の山崎孝史の主張と岡田充の主張を確認することが、まず不可欠となる。マルクス『共産党宣言』に従って“国境のない人民が連帯する世界”を狂信しているのだろうか、岡田充の“荒唐無稽な妄想”は、こうだ。
「尖閣諸島を沖縄・石垣、台湾・宜蘭、中国・福建省の三自治体で構成する《海洋平和特区》に指定し、その利用管理を《特区》に委ねる構想です。“国家の海”を“人の海”に戻す試みでもあります」(注6)。
台湾や中共(支那)は、両国とも自国の領土だと主張しているのだから、こんな狂気の狂言(スーパー妄想)には一笑に附す以前に、耳を傾け聴く事すらしない。岡田充の妄想は、正常の範囲にはない。しかも、尖閣諸島は島であって海ではない。それがどうして、「人の海」になるのか。それがどうして 「海洋平和特区」になるのか。岡田充の言説に感動する岩下明裕は、完全に狂っている。
それよりも、岡田充が反面教師として教示するのは、「健全な国家意識を持たない者は、健全な人格を有することはできない」という人類普遍の哲理の方だろう。偏狭なナショナリズムchauvinismは排斥すべきだが、「健康な愛国心patriotismなしには、健全な人間には成長しない」との、もう一つの人類普遍の哲理も、岡田充は反面教師的に想起させてくれている。
確かに、健康な愛国心patriotismから必然的に形成される領土ナショナリズムという正しいイデオロギーを持たない人間など、健全な人間性を有することはできない。領土ナショナリズムを持たない、重大欠陥の人間は、果して人間といえるのだろうか。「領土ナショナリズム」を精神に具備していないことでは、山崎孝史も同様。だから山崎は、“讒謗言辞「領土の罠」”を日本で流布撒布する源流になれたのである。こう言っている。
「国境を生きる知恵から学ぶことで領土の罠から自由になることができます。自己と他者、敵と味方という二分法を克服する(=否定する/破壊する)境界論の研究が今後はより重要になってくる」(注6、カッコ内中川)。
領土なしには人間は高度な文化や法秩序だけでなく人格の健全性も磨かれないのに、「領土がない生き方をせよ」とは、かつてのジプシーと同様な地球放浪者(ディアスポラ)になれということだけではない。山崎がうそぶくままに、自己と他者の区別ができない人間になれば、他人の所有物を盗むことに罪悪がない人間になる事だから、殺人(他人の生命を奪う行為)もしたい放題に犯すことになる。また、善悪の差別という高雅な二分法を排斥することになるから、必ず“道徳なき最低人間”となる。
近代のはじめ二分法の否定から、初めて無法と無道徳の狂気が正当化されるに至った。このことは、ルソー『人間不平等起源論』で明快だろう。そもそも「自己と他者」「敵と味方」の峻別をしないことは、精神分裂病の典型的症状で、病気ではないか。ルソーは重度の精神分裂病だったが故に、正義も不正義もない無法社会や、美徳も悖徳もない無道徳社会を提唱したのである。山崎は、無法社会や無道徳社会という、暗黒の社会に日本を改造せんと悪魔の革命をしている。
そこで、読者に喚起しておきたい。自由は法秩序と道徳に適うとき最高に花開くもの。二分法なき社会とは、かつてのソ連のごとく暗黒と恐怖しかない社会で、自由ゼロの社会である。山崎孝史が日本人に「固有の領土」放棄を洗脳するのは、暗黒の共産主義体制への革命に日本人を誘っているからである。日本人を共産主義人間に改造せんとする悪意が原点にあるからである。
何ということはない、奇々怪々な「領土の罠」論は、日本人を共産革命に洗脳・誘導するための“情報麻薬”なのである。
(『北方領土・竹島・尖閣、これが解決策』『北方領土問題』の解剖は、別稿に続く)
注
1、 レイモン・アロン『戦争を考える―クラウゼヴィッツと現代の戦略』、政治広報センター、80頁、83頁。
2、 井門満明『クラウゼヴィッツ「戦争論」入門』、原書房、35頁、173頁。
3、 岩下明裕『入門 国境学 – 領土、主権、イデオロギー』、「はしがき」&「第2章」、中公新書、2016年3月。
4、同右『入門 国境学 – 領土、主権、イデオロギー』、「あとがき」、228頁。
5、同右『入門 国境学 – 領土、主権、イデオロギー』、27頁、104頁、119頁。
6、岩下明裕編著『領土という病』、北海道大学出版会、204頁、25頁。