尾崎秀実プランの実行者・瀬島龍三を崇拝する田久保忠衛(「第二の鈴木宗男」)とロシアの属国化著しい日本──祖国叛逆の安倍晋三が進めたロシアへの主権譲渡状態の北方領土を、無条件で全面“奪還”する正道に戻ろう!

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筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 日本は今やロシアの属国状態。日本国は精神においては既に死滅している。形骸的な日本国が物理的に滅ぶのはもはや時間の問題。大歴史家ブルクハルトの亡国理論を絵に描いたような実験・証明をしているのが日本。

 この日本で現在、日本国の領土・国土を守らんと正論を吐き、日本人を覚醒せんとしているのは、“憂国の外国人”グレンコ・アンドリー氏たった独り。なんとも寂しい限り。まさに国家滅亡寸前を呈した荒涼たる風景ではないか。

 日本人に、確かに保守は一人もいない。1995年、福田和也と浅田彰が、「日本人の保守は中川八洋ひとりになった」と日本国を嘲笑したが、両名の観察は正しい。産経新聞も日本会議も、1992年正月から公然たる「反日」が基調になった。産経新聞はロシアKGBの下請け新聞で、朝日新聞とは裏で共闘する義兄弟。“ロシアKGBの犬”日本会議は、対ロ売国奴たちが集合した反日極左団体。“日本共産党の別動隊”とも言えるし、“朝鮮総連<日本人>版”とも言える。

 それぞれの偽装の仕方。実態は朝日新聞やNHKと同じ産経新聞は、「反・中共」を演技し、その反日極左の本性を狡猾にカムフラージュする。

 日本会議は、天皇在位祝典の開催などで「天皇崇敬であるかの嘘イメージ」を体に塗りたくり、その正体「ロシア様、早く日本国を占領して。歓迎します」を隠蔽する。現に日本会議は、コミュニスト安倍晋三が強行した2019年4月30日の、恐ろしい“先帝陛下を殺せ!”が漂う退位強制式典を拍手して大賛成した。あれは、先帝陛下の「ご譲位」を禁止し、ギロチン送りのため退位させられたルイ16世を真似たもの。日本会議と共産党との間に差異は何一つない。日本会議の事務総長・椛島有三は、共産党・朝日新聞と組んで、1979年の「新天皇の元号制定権を剥奪すると定めた元号法」制定運動のリーダーでもある。現に、日本会議は、“旧皇族の復籍”に反対し、皇統断絶=天皇制廃止に全面協力している。

 日本会議の会長は、鈴木宗男に次ぐ日本人ロシアKGBのナンバー2・田久保忠衛である。そして、日本会議のお抱え論客は、「ロシアKGBのマタハリ(ストリッパー)」の「在日」櫻井よし子。日本会議がロシアKGBの直轄団体として創設されたことは、“非国民”田久保/桜井を活用する事実にも十全に証明されている。また、椛島有三は、ソ連共産党員の名越二荒之助(北朝鮮人、KGB)を“師匠”と仰いでいた。「日本会議とは、対ロ売国のロシアKGB団体」なのは、議論の余地がない。

日本国をロシアに献上の“世紀の悪魔”瀬島龍三を継承する鈴木宗男と田久保忠衛

 大東亜戦争の真相を正しく見抜いた者は、戦後日本には二名しかいない。共産党員から転向した元・内務官僚の三田村武夫と中学二年生の時から反共・反露の中川八洋。三田村・中川の研究方法は同じだから、同じ結論に至ったと考えられる。両名は、戦争目的が濃霧の中に隠されている大東亜戦争の真相を暴くには、この戦争をおっぱじめた近衛文麿を暴くほかなく、その方法として(多くの論文や発言が記録された)近衛の側近・尾崎秀実を解剖する他ないと考えた。三田村・中川は東大のトップ秀才で、発想に共通性がある。

 私のケースでは、『尾崎秀実著作集』と尾崎の「検事尋問調書」を丸暗記することから、大東亜戦争の研究を開始した。旧軍の阿南惟幾一派が執筆の中核にいるため嘘が多い『戦史叢書』の丸暗記は最後にした。尾崎秀実の研究は、必然的に「近衛文麿と陸軍<共産勢力>の、スターリン命令の受信構造」の解明へと進んだ(諜報学)。この一環で、瀬島龍三こそスターリンが最も信頼した日本人コミュニスト将校(ソ連人)で、次が服部卓四郎なのを知った。

 1939年のノモンハン戦争は、スターリンが「服部卓四郎/辻政信/小松原道太郎」に命じて実行させた、日本側が自国将兵を屠殺するのが戦争目的の、血塗られた“死刑遊び”が正体である。ノモンハン戦争には、対外戦争の雰囲気が何一つない。

 モンゴル領だと関東軍測量部が定めている地点をわざわざ戦場に選んだのは、ここだと標高差100メートルの高台がソ連軍の陣地、100㍍崖下の砂地が日本軍の陣地となり、夜間の大砲盲撃ちでも砂地で仮眠する日本軍将兵を相当数殺戮できるからである。日本人をロシアに大量殺戮させるべく、スターリンと服部卓四郎らが秘密協議で練り上げた脚本に従い、ノモンハン戦争は、関東軍が「国境画定」という嘘を掲げて仕掛けた。ソ連側は打ち合わせ通り、膨大な大砲を高台に敷き詰めて待ち構えていた。

 この敗戦後、小松原道太郎と辻政信は、「証拠」となる“生きて生還した将校”に自決を強要した。残忍な証拠隠滅の行為である。勝者のソ連軍は戦争終了後、日本に戦死者の死体を自由に収容し日本側で埋葬されたいと二週間のモンゴル領内探索を認めた。が、関東軍は一人の同胞の死体も収容せず野晒しにした。

 コミュニスト辻政信の悪魔性は陸軍に広く知れ渡ったが、それなのに辻政信と服部卓四郎はともに参謀本部作戦課のエリート将校に抜擢された。陸軍の中枢は全てソ連の命令で人事が行われていた。瀬島龍三もスターリンの指示で、まだ大尉だったが参謀本部作戦課に配属された。1941年12月の対英米開戦時、陸軍参謀本部作戦部はほぼ全員「ソ連人」だけだった。

帝国陸軍内の「ソ連人」将校を裁く「第二東京裁判」をしなかった共産国になり果てた日本

 日本は、“スターリンの奴隷国家”だった暗黒の大東亜戦争の地獄から、米国のポツダム宣言と米国の原爆ヒロシマによって救出された。太平洋戦争は“米国の日本国救出戦争”であった。太平洋戦争での日本の早期敗北なしには、日本は、昭和天皇銃殺と“日本国民皆殺し”に突き進む“悪魔の祖国叛逆”大東亜戦争の赤い狂気から脱出することはできなかった。実際にも、8月15日の昭和天皇“ご聖断”に、日本国民のほとんどが涙を流して安堵した。あの心理こそ、共産主義者たちが使嗾した大東亜戦争の真相を間接的に物語っていよう。

 現に、GHQと米国のお蔭で、弱々しいものではあったが、日本に「日本国」と“保守”思想が戦後ひとまず再生した。政治家では「親英米・反露・反共」の吉田茂、知識人では「反共・反ナチ・反露・親英米」の竹山道雄が登場し、日本再生の芽が生まれた。私の保守主義は、中学生の頃より吉田茂/竹山道雄/チャーチル/マンネルハイム元帥らを師匠として徐々に形成された。バークやアクトン卿やハミルトンらと総合するようになったのは四十代後半だから、世界水準では極度の遅咲き。

 この私が、英米系保守主義を本邦初に日本に紹介できたのは、1968年頃まで“保守”を日本国民の多数にしてくれたマッカーサー元帥やウィロビー少将が率いるGHQの対日本“愛国”のお蔭である。私の東大卒業は1967年。(今は1%以下だが)保守が60%ほど日本に存在した時代だった。

 ところで1980年代、曽野明と私は、月に一度、帝国ホテルで落ち合って、北方領土奪還問題で頻繁に意見を交わす仲だった。対ロ外交に関する限り、両者の見解はいつも100%一致した。しかし、ソ連軍《日本支部》であった、帝国陸軍の「ソ連人」将校に対する戦後処理における、吉田茂の軟弱と臆病さを私が難詰すると、吉田茂“擁護”主義の曽野明は、いつも嫌な顔をした。「国防第一、外交第二」の中川と、「外交第一、国防第四」の曽野明の相違が、この問題では噴出した。

 私の吉田茂批判とは、吉田茂は次のABCDという追加「東京裁判」=第二東京裁判を開廷すべきだったというもの。国際法ではなく、いったん廃止された陸海軍刑法や刑法不敬罪を復活させる立法を行った上で、これらで裁く法廷が第二東京裁判である。

A;「特攻隊制度を考案し実行した、若者を“殺人”した悪魔の軍人たちを全員死刑にする裁判」。

B;「昭和天皇を監禁・脅迫し、場合によっては銃殺した8・14宮城クーデタ―に参画した全ての将校ならびに民間人(平泉澄ほか)を、2・26事件の処理と同様、全員処刑する裁判」。

C;「アジア共産化革命である“祖国叛逆”大東亜戦争を嘘宣伝し国民を洗脳した罪で、『朝日新聞』/雑誌『中央公論』/雑誌『改造』の責任者を死刑とする裁判」

D;「アジア共産革命であった大東亜戦争をスターリンと共謀して遂行した帝国陸軍内の《ソ連人》将校・将軍を刑法外患罪と軍刑法で死刑とする裁判」。

瀬島龍三が殺した日本人は300万人超。瀬島を擁護する田久保は共犯殺人鬼

 Aについて。

 戦時の軍隊とは、出撃していく部隊や将兵に「無事生還を祈る」以外の言葉を発してはならない。それを、初めから「死ね」とは、軍隊ではなく、“自軍殺人”の狂気の暴力団。況や、内側から風防が開かない上に、敵艦に万が一にも当たることのないロケット特攻機「桜花」は棺桶そのものであった。日本国民にさも勝てる戦争をしているか見せる、騙しの若者殺しを目的とした兵器が「桜花」であり、他の特攻も五十歩百歩。特攻制度は刑法の殺人罪を適用すべきもの。残虐な若者殺しの特攻制度の実態を知ってなお大東亜戦争否定論を展開しない者とは、日本人失格である以上に、人間以下のスーパー殺人鬼である。

 Bについて。

 これについては言わずもがな。2・26事件クーデタと同種の叛乱軍である以上、1936年と同じ判決を下し、全員を死刑に処するのが法治国家である。この8・14クーデタを、武器一つ持たず説得だけで、叩き潰した田中静一・陸軍大将は、日本国の誇りである。

 私はかねてより、田中静一と8・14クーデタで日本刀で斬殺された森赳・近衛第一師団長の銅像を皇居前広場に設置しようの運動をしてきた。が、瀬島龍三ほか、政財界で活躍する旧軍の生き残り組は皆、ソ連の対日工作員で“赤”ばかり。一億日本国民を皆殺しする予定だった彼らにとって、日本国民の命を救うことに奔走した田中静一は敵だった。戦後、共産党・朝日新聞だけでなく、旧軍の生き残り組こそ、田中静一の存在を“抹殺”する悪魔の共産勢力であった。

 Cについて。

 これは、出版法を臨時の特例法として本件裁判に限り復活させてはいるが、各紙誌の責任を裁判で立証することは法的にかなり困難。が、方法がないわけではない。ただ、ここでは紙幅がないので別の機会に。

 Dについて。

 アジア共産化革命と祖国叛逆のため、日本の友邦であり親日の蒋介石が率いる国民党政府、及び日本の潜在同盟国・英米蘭に対し逆さにも戦争を仕掛け、本来の任務である国防から逸脱して国防否定の大東亜戦争を遂行し、日本人四百万以上を殺し捲った、共産主義者“軍人”を軍刑法で死刑にするのは当たり前のこと。被告・瀬島龍三を筆頭に、最低でも次の犯罪者は死刑を免れさせてはならない。

1、蒋介石殺害戦争(=日中戦争)の開戦と長期化;近衛文麿、武藤章、東条英機、影佐禎昭、尾崎秀実、『朝日新聞』、雑誌『中央公論』

2、日本の友好国である英米蘭に対する戦争の開戦;近衛文麿、東条英機、鈴木貞一、田中新一、服部卓四郎、辻政信、瀬島龍三(本稿では考察の対象外だが、海軍では「山本五十六/永野修身/石川信吾」がワースト・スリー)

3、ソ連軍の満洲・樺太侵略作戦指導;ロシアGRUのコード名「クラフノフ」こと瀬島龍三は、満洲侵攻の最終作戦づくりでモスクワのソ連軍参謀本部に出向き、1945年1月、二週間かけて指導。また、モンゴル・トムスクからの興安嶺を越えるソ連軍主力部隊を無血で満洲中枢部に電撃侵攻・占領させるべく、この興安嶺方面に関東軍部隊を配備せずがら空きにした。ソ連と通謀する“極悪ソ連人”瀬島龍三の“反日・親ソ一辺倒”の悪行は、日本史に前例のない空前絶後。

*札付き共産党員・山崎豊子の『不毛地帯』は、瀬島龍三に関する真実・真相を改竄・隠蔽する目的の偽情報本。山崎豊子との細かな打ち合わせは瀬島龍三の弟が行った。山崎豊子の共産主義者“美化”三部作とは、『沈まぬ太陽(日本航空の共産党労組委員長の美化)』『運命の人(毎日新聞の共産党員・西山太吉の美化)』『不毛地帯』を指す。

4、満洲における一般邦人155万人皆殺し;瀬島龍三、松村知勝、秦彦三郎、草地貞吾、朝枝繁春(戦後、日本共産党に入党)、宍倉寿郎、草場辰巳、浅田三郎、野原博起、・・・。

①満洲北部の日本人婦女子が避難できないよう、鉄道運行はまだ全く安全なのにソ連軍侵攻とともに速やかに運行停止にした。松村知勝と瀬島龍三が鉄道司令官・草場辰巳に命じたからである。これによって満洲の荒野を一千km以上もさ迷い歩き続ける日本人婦女子は、ロシア兵や支那暴民にレイプされ殺された。その子供たちは皆、路傍で餓死した。ソ連軍の戦車部隊に襲撃された避難民集団も多い。

②朝枝繁春(東京の参謀本部作戦課、中佐。侵略ソ連軍を歓迎したく満洲に自ら出張)と草地貞吾は、それぞれワシレフスキー元帥宛てに、「日本人婦女子はいくらでもレイプして結構です。いくら殺しても構いません。我々は彼女達を満洲に遺棄することにしました」と明快に書いた上申書が、モスクワ国立軍事公文図書館にある。

③ソ連軍が満洲侵攻を開始した8月9日未明、関東軍総司令官・山田乙三は不在。留守を預かる松村知勝らは、ソ連軍に無血で攻め込ませ“熱烈歓迎”をすべく、関東軍の末端部隊からの戦闘開始命令要請に数時間も返事せず、防衛戦闘命令を出さなかった。

④そもそも、ソ連軍の満洲侵攻は、ナチドイツが降伏した1945年5月7日を境に、膨大な軍需物質がシベリア鉄道でヨーロッパ戦線から反転的に送られている情況につき、“関東軍シベリア鉄道偵察部隊”から報告されており、ソ連軍7下旬~8月上旬侵攻は自明だった。故に、瀬島龍三は7月に慌てて満洲に赴任し、ソ連軍に満洲全土を無血占領させるべく、この「ソ連軍、8月1日前後に満洲に侵攻」の現実と情報を徹底的に握りつぶした。かくして、ソ連軍の動向について聾桟敷に置かれた満洲広くに展開する関東軍の前線部隊にとって、ソ連軍侵攻は奇襲に等しいものになった。この情況は現在の日本でそっくり。今、北海道へのロシア軍の侵略態勢はますます完璧なものになってきているが、世界唯一に軍事情況判断力を欠くアホバカ日本人は、これに“恐怖”しない。日本人はアヒルや豚以下に痴呆化している。

5、シベリア強制連行・重労働・餓死・凍死・赤化洗脳教育;スターリンと密約を締結したのは近衛文麿/酒井鎬次/(シベリアから帰還後直ちに共産党に入党した)種村佐孝。それを満洲で実行したのが、瀬島龍三/松村知勝/秦彦三郎。シベリア日本兵への共産主義者への洗脳教育を担当したのが袴田陸奥男(袴田茂樹の父、ソ連共産党員)/浅原正基(東大社会学科卒、日本共産党員)

①シベリアに日本軍将兵+一般邦人男児が107(105)万人ほど強制連行されたが、これは近衛文麿の密使・酒井鎬次が狸穴のソ連大使館で了解した。また、この案は種村佐孝によって、それ以前にソ連大使館と合意済みであった。つまり、シベリア強制連行は近衛文麿/酒井鎬次/種村佐孝が主犯。なお、スターリンは最小限50万人の日本人奴隷を拉致できると予定したが、その二倍以上を手に入れたことになる。

 さて瀬島龍三。瀬島龍三は、107万人シベリア連行の実行犯。主犯ではない。「東京に戻れるのだから、黙ってソ連軍の指示に従い列車に乗れ」と日本軍将兵を騙してシベリアの地獄へと誘い入れた役割が瀬島。瀬島龍三が「列車に乗るな。シベリアに拉致されるぞ」と言えば、近衛文麿とベリア(ソ連大使館にはベリアを代理するNKGBが多数駐在していた)との合意は棚上げされ、シベリア強制連行は実行されなかった。

②なお、シベリアに連行された107万人ほぼ全員は、ベリアの内務省所管の強制重労働キャンプに収容されたが、この他に日本の女性5000名ほどがソ連軍の駐屯地に性奴隷として連行された。2015年8月12日にNHKがBSで放映したものを文字化した、小柳ちひろ『女たちのシベリア抑留』は、日本人を騙すための偽情報本。なぜなら、これはNHKがロシアKGB一総局(SVR、キリチェンコ機関)と謀議して、シベリアに連行した日本人女性「五千人前後」を「数百人」と(13頁)、「十分の一」に改竄する歴史偽造が目的の放映。NHKモスクワ支局は、KGB第一総局が統括する下部機関になっており、日本国の組織ではない。

③シベリア強制連行107万人のうち47万人が、米国の対ソ圧力のお蔭で日本に帰還できた。60万人はシベリアで殺された。

*日本政府は、大東亜戦争戦死者・戦災者数を「310万人」とする。これはKGB美山要蔵らがソ連大使館の命令に従ってデッチアゲた真赤な嘘数字。シベリアで殺戮された「60万人」を十分の一の「数万人」に改竄し、満洲で殺された婦女子「25万人以上」を抹殺したもので、正しい数字は「四百万人超」。

④満洲一般邦人102万人を救出したのは、旧敵国のマッカーサー元帥と蒋介石。日本政府は何一つしなかった。一般邦人の男児20万人はシベリアで餓死凍死。一般邦人の婦女子25万人以上はロシア兵にレイプされた挙句に殺された。その子供達は路傍で餓死した。つまり、在満洲日本人の三分の二を、マッカーサーと蒋介石とが救出した。林房雄/西尾幹二/田久保忠衛/桜井良子(四名ともロスケでKGB)など大東亜戦争肯定論者とは、日本人が阿鼻叫喚の地獄で殺されるのを快感する“血が滴る狂った悪魔”たちである。残忍度でユダヤ人大量虐殺のヒトラーやナチSSにも優る、まさにスーパー人格異常者たち。

⑤スターリンは、シベリアで共産主義に洗脳できた日本兵十万人ほどを樺太から北海道に侵攻させることにし、総司令官・松村知勝/参謀長・瀬島龍三の部隊を、朝鮮戦争勃発の1950年6月直後に樺太に設置した。マッカーサー元帥の仁川上陸での形勢逆転がなければ、瀬島龍三「日本赤軍」が1951年、北海道に侵攻していた。マッカーサーは日本を二度救った。

6、本土決戦による、二千万人日本国民餓死・戦災死計画(「一億玉砕」プラン);阿南惟幾、種村佐孝、西村敏雄、林三郎、そのほか参謀本部と陸軍省軍務局の多数。

①これと真逆に「一般日本人の命を救うべし」と、8・14宮城クーデタを潰したのが田中静一・陸軍大将。戦後の日本は、根本博・陸軍中将と並ぶ、この偉大な日本軍人を抹殺した。

②司馬遼太郎が満洲に来た参謀本部の将校(原四郎?)に「日本人の避難民が戦場に向かう道路に溢れている場合、戦車部隊はどうすればいいか」と質問した時、このエリート将校が「踏み潰して進め」と答えたのは事実。七千万人の日本国民を殺し捲るのが大東亜戦争の戦争目的。また、共産主義者にとって自国民は殺戮すべき虫けら以外の何ものでもない。共産党員・共産主義者とは人間ではない。残忍・残虐なる血塗られた悪魔である。

③司馬と同様、陸軍が一般国民を何千万人でも殺戮し尽くすために本土決戦を計画していると喝破されたのが昭和天皇であった。陸軍の雄叫び「対米勝利は可能だ」は、国民騙しの真赤な嘘。それから七十六年が経った今、共産党が完全支配するテレビ新聞を通じて流す「飲食店が自粛をすれば武漢コロナは消える」との真赤な嘘は、“赤軍ロスケ”旧・帝国陸軍の国民騙しの焼きなおし。尾身茂はゴリゴリの共産党員活動家。

7、昭和天皇銃殺計画;東条英機、井田正孝、阿南惟幾、平泉澄、荒尾興功、稲葉正夫、竹下正彦

①天皇処刑場としての松代大本営/松代皇居(=昭和天皇「処刑前の留置所」)の建造。1944年1月、“昭和天皇銃殺狂”井田正孝が考案。同年7月、東条英機が了解し工事開始。この時期、まだ、開発中のB29の情報など存在しなかったし、その爆撃開始は1944年の10月が最初。

②米海軍の艦爆機に攻撃させて昭和天皇を殺害すべく、(昭和天皇を戦車に監禁して野晒しにするための)菊の御紋章入り戦車の皇居配備。

③8・14宮城クーデタ(昭和天皇を監禁し“ご聖断”破棄と戦争継続の詔書渙発を脅迫する予定)。阿南惟幾(主犯)、平泉澄(主犯)、荒尾興功、稲葉正夫、井田正孝、竹下正彦、・・・・。

参考書;中川八洋『小林よしのり新天皇論の禍毒』、オークラ出版、220~6頁。

8、日本軍将兵の餓死を最大化する作戦;牟田口廉也、美山要蔵、瀬島龍三、辻政信

①インパール餓死作戦の牟田口廉也。

②レイテ島日本軍八万人餓死作戦(満洲の主力師団を投入。満洲をがら空きにしてソ連軍を無血侵攻させるのが主目的)の首謀者は美山要蔵と瀬島龍三。この時の瀬島龍三の悪魔的な暗躍は、中川八洋『山本五十六の大罪』第七章を参照されたい。レイテ島“地獄の餓死殺し”の概要は、田中賢一『レイテ作戦の記録』ほかを参照されたい。

③パプア・ニューギニア餓死作戦の辻政信

9、“日本軍将兵屠殺”が唯一の目的だったノモンハン戦争;“スターリンの犬”の四人組たる辻政信/服部卓四郎/小松原道太郎/稲田正純が主犯。「国境画定のため」など大嘘の極み。ノモンハンはモンゴル領だと満洲国も関東軍も知っていた。

10、ポツダム宣言“黙殺”を首相・鈴木貫太郎に洗脳;松谷誠(阿南惟幾の子分)

(備考)上記リストのうちソ連NKGB/GRU工作員でないのは、東条英機と牟田口廉也の二名のみ。東条英機は異常出世欲で近衛文麿グループに入った。牟田口廉也は生来の超馬鹿&人格凶悪。

歴史学的に確定の、瀬島龍三の犯罪記録を大改竄する“対ロ売国奴”田久保忠衛

 本稿は、ある知人が「KGB工作員・田久保忠衛が、プーチンの命令に従って“稀代のロスケ”瀬島龍三の美化をしています」と送ってくれた、88歳の瀬島が1999年に作った「日本戦略研究フォーラム」の『会誌』2008年5月20日号を一読し、余りの嘘八百に驚倒し急ぎ筆をとったもの。つまり、十三年前に発表すべき論考。が、内容は、現代史の真相解明だから、時宜を逸するわけではない。

  “転倒語法を駆使する狂コミュニスト”田久保忠衛は、この『会誌』で、「6600万人殺戮したから、レーニンやスターリンは滅私奉公の人」だと主張している。日本人300万人以上を殺戮した首謀者or関与者で“日本史上、最も残忍な大量殺人鬼”瀬島龍三を「一生を滅私奉公で貫いた」と称賛しているから(注1、21頁)、論理的にはそうなるだろう。

Ⅰ、満洲の邦人婦女子25万人を大量殺戮・死亡させた責任を負うべき瀬島龍三

A;ソ連軍が一般日本人への殺戮戦闘を止めていない8月末or9月2日までは、国際法が定める「海外領域において、軍隊は自国邦人(の生命と財産)保護の権利を履行できるし、その義務を果たさなければならない」に従い、関東軍は在満邦人が安全地帯に避難し終えるまでは、邦人保護の防衛戦争を続ける法的義務を在外邦人に対して負うていた。

 が、瀬島龍三は、国際法上まったくすべきではない、一般邦人を襲い続けるソ連軍が戦闘停止をするより十日以上も前の8月19日にジャリコーワに出向き、ワシレフスキー元帥に土下座・叩頭し、渡された停戦協定に嬉々として言いなりに署名し、あろうことか武装解除を関東軍の全将兵に命じた。武装解除の前に、一般邦人全員を日本列島に引揚げさせる港(大連)まで避難させるのが軍隊である。また、一般邦人を大連で必ず乗船させるとのソ連側の誓約を降伏文書に記載しなければならない。が、この文言が、ジャリコーワ降伏文書には一文字もない(注2)

B;この絶対にしてはならない、狂った関東軍降伏文書調印によって、葛根廟事件(注3)など8月19日以前のソ連軍暴虐問題とは区別されるが、8月19日以降のソ連軍暴虐は過激化し増大化した。瀬島龍三ら関東軍参謀部がソ連軍の暴虐に共犯者となって協力したからだ。

 例えば、敦化「日満パルプ工場レイプ殺人事件」(注4)は8月27日に発生したが、これは瀬島龍三ら関東軍参謀部がソ連軍の一部と化していなければ起きてはいまい。陰惨・残虐な通化事件も(注5)、まさに瀬島龍三にこそ責任の大半がある。

 そもそも“血塗られた悪魔”瀬島龍三が東京から関東軍参謀部にやってこなければ、北満洲の開拓民は全員、ソ連軍の侵攻前に大連に避難・集結させられていた。この場合、開拓民二十七万人のうち、八万人が殺戮されor集団自決で死亡する事態など万が一にも起きていない(注6)

C;ソ連軍や支那人暴民による日本人婦女子「25万人以上」殺戮は、実態的には、瀬島らが計画した自国民虐殺と言えるし、ヒトラーのユダヤ人殺戮(ホロコースト)よりはるかに残忍な殺し方であった。瀬島龍三の人格は「ヒトラーの百倍、残忍だった」と断定できる。

Ⅱ、日本人60万人シベリア殺戮の瀬島龍三を絞首刑にしなかった“正義無き国家”日本の無法

D;ソ連軍が関東軍将兵・一般男性邦人を大量にシベリアに強制連行することを、瀬島は東京で種村佐孝や酒井鎬次から聞き知っていた。また、自分の役割をそれに協力することだと自覚していた。さらに、日本が“反共の米国”に占領されている間はシベリアで時を稼ぎ、米軍が去ったあと「日本人赤軍」を率いて樺太から日本に侵攻する計画を瀬島龍三は立てていただろう。

 瀬島龍三は、シベリアでほとんどの日本人将兵を殺し、共産主義者に洗脳された十万人のみ生かして使う計画を練っていたのではないか。なお、「東京に送還する」とのソ連軍と関東軍参謀部が流す真赤な嘘に喜んで、在満一般邦人をソ連軍という狼の群れの中に遺棄した“人間のクズ”関東軍将兵七十万人以上は、「日本に帰れるぞ、万歳」とばかり、ソ連が強制接収した元・日本の列車に乗り込んだ。シベリアで自分たちもまた餓死・凍死させられるとも知らず。

E;米国がソ連に「シベリア日本人107万人を直ちに解放せよ」と迫る執拗さに、スターリンはいやいやながら47万人を返還した。しかし、厚生省で引揚げ全般を統括するGRU工作員・美山要蔵は、このシベリアに連行された日本人「107万人」を「57万人」に改竄した。ソ連が殺したシベリア日本人被害者数「60万人」を「10万人」に改竄すべく、最初に連行した数を「50万人少なくする」数字操作をなしたということ。

 なお、“ソ連人”美山要蔵こそ、(のち、美山要蔵の子分・松平永芳<靖国神社宮司>が1978年10月に実行する)東条英機/白鳥敏夫/松岡洋右らを靖国神社に祀って、靖国神社をスターリン礼拝廟に貶めた発案者である。

 ところで、日本で、美山要蔵の祖国反逆の悪行の数々を指摘したのが私だけという事実は、戦後の一億日本人に一欠けらの愛国心もないことを明らかにする。日本会議や神社本庁に愛国心がある正常な日本人がゼロ人という現実は、ブルクハルトに従えば、日本が既に亡国して地球から消えているからだ。現在、日本列島に住む一億日本人とは、動く死体である。

Ⅲ、満洲防衛の精鋭部隊八万人をレイテ島で餓死・戦死させた主犯の瀬島龍三;略

Ⅳ、対英米蘭戦争の開戦で主導的に暗躍した“ソ連人”瀬島龍三;略

瀬島龍三の悪辣な偽情報本『幾山河』を「名著だ」とほざく“ロスケ悪魔”田久保忠衛

 瀬島龍三を特集した『会誌』2008年5月20日号に話を戻す。

 ここで瀬島龍三とロシアKGBの同志である田久保忠衛は、次から次に真っ赤な嘘を垂れ流す。例えば、瀬島が、ヒトラーのユダヤ人殺しの二倍にも及ぶ日本人300万人を殺戮尽くした(備考)、自分の犯罪歴=巨悪を隠蔽するために書いた回想録『幾山河』を、田久保は“偽情報の巨大倉庫”だと正しく糾弾せずに、あろうことか笑止にも「名著」だと嘘ラベルを貼り付ける(注7、22頁)

(備考)ヒトラーによるユダヤ人殺しは、150万〜600万の諸説あり、ここでは150万説をとっている。

 次に、田久保は、多くの識者の“瀬島龍三は、ロシアKGBのナンバー・ワン”という理解を、「嫉妬からの中傷」だとすり替える(注7、22頁)。では、瀬島龍三の史実を諜報学&ソ連研究から探求する中川八洋は、瀬島龍三に対する嫉妬から、その研究をしていることになる。田久保のアホらしい摩り替え術は、中川八洋へのあからさまな中傷誹謗ではないか。もう一人、司馬遼太郎が最後の大著として主人公に選んだ須見新一郎は、ノモンハン戦争の真相を回顧究明する研究の中で瀬島龍三が「スターリンの息子」だと確信したが、このノモンハンに出撃した第七師団第二十六連隊長・須見新一郎は嫉妬から瀬島拒否症を呈したのか。バカバカしい。

 要するに、瀬島龍三批判者全員、瀬島にジェラシーなど一㍉も有していない。瀬島とは生きている世界が異なり、そのような下衆感情とは無縁な連中ばかり。ただ、須見にしても中川にしても、強い愛国心が発露する。一方、ハンブルグ特派員時代、KGBから二十歳前後の女をふんだんな数あてがわれ酒池肉林の生活を享楽した田久保忠衛には、愛国心ゼロというより、日本国と日本人を憎悪する“反・祖国”の“反日”狂気だけが充満している。

 もう一例。瀬島龍三が、シベリアに日本人107万人(105万人)を拉致・強制連行したスターリンの協力者であった事実を、田久保は「そんなことありえない。スターリンの1945年8月23日付《日本人50万人を奴隷としてシベリアに連れ込め》命令書がある以上、瀬島は本件とは無関係」であると、意味不明な屁理屈をこねまわし否定する(注7、22頁)

①スターリンの在満ソ連軍への命令書「日本人奴隷50万人を連れ込め」は、最少人数の命令である。日本人収容所1200ヶ所の準備と、連行する直前に日本人全員を1000人単位の作業隊に編成した事実から、スターリン/ベリアは日本人120万人を拉致連行する予定だったと推定できる。

②1945年5月~7月、狸穴のソ連大使館で、種村佐孝や酒井鎬次(近衛文麿の密使)がベリアのNKGBと合意したのは、「日本人奴隷をソ連に提供する」のみ。人数については協議していない。

③在満関東軍「数十万人」将兵に、「東京に帰還する。ソ連軍の言う通りに列車に乗れ!」と命じたのは瀬島龍三ら関東軍参謀部である。

 この①②③のように、それぞれの役割は異なっている。が、田久保は、「①があるから、③はありえない」と喚いている。凶悪な“対ロ売国奴のロスケ”田久保忠衛には、狂気が漂っている。

ロシア軍を北海道に侵略させ、日本人大量殺戮を計画する(第二の瀬島龍三)安倍晋三

 安倍晋三は、2018年11月、シンガポールにおいて、祖国日本国への侮辱をおこなった。プーチンの靴を舐めてプーチンに叩頭し、①「国後・択捉は要らない。ロシアに割譲する」、②「せめて歯舞・色丹だけの返還でいいから、急いで日ロ平和条約を締結してくれ」、③「代わりに、国後・択捉を北海道侵略用の強大な軍事基地に改造するための経済開発に協力してあげる」と、プーチンに泣いて頼んだ。

 この安倍晋三の狂気の祖国叛逆の“売国”行為は、安倍晋三がスーパー対ロ売国奴で、“成蹊大卒のスーパーお馬鹿”だからだ。①②③は、このことを端的に証明している。2013年春からプーチンの囚人となって、祖国をロシアに献上する安倍晋三の祖国叛逆は、北朝鮮人でロシアKGBのナンバー・ワン鈴木宗男そのもの。安倍晋三とは鈴木宗男の義兄弟というより、クローンである。

 まさに、瀬島龍三から鈴木宗男/安倍晋三へと至る、戦後日本の対ロ売国コミュニストの系譜は、痴呆症のバカ鳩山一郎の1955年の対ソ交渉の再開から七十年に亙って、日本国の領土を次から次にロシアに献上すること以外、何一つない。「吉田茂→中川八洋」の系譜で細々と継承されてきた対ロ“無交渉の交渉”という“対ロ外交の大原則”は、ウクライナ人のグレンコ・アンドリー氏を除き、今まさに消えんとしている。

 “反日の大狂人”安倍晋三の対ロ売国外交「国後・択捉をプーチンのロシアに献上する」「国後・択捉を“対日侵攻”用の最高級軍事要塞に構築してあげる」によって、日本は今、領土防衛状況が究極の亡国情況に追い込まれてしまった。

 かくして、“ロシアから派遣された日本憎悪の巨魁”鈴木宗男は呵々と大笑しロシア勝利宣言を嘯く始末(『朝日新聞』2021年7月20日付)。また、ロシア首相ミシュスチンは、2021年7月26日に択捉島に不法侵入し、「ほれ、超馬鹿の日本人よ、さっさと経済協力せんかい。お前のスーパーお馬鹿首相・安倍晋三が約束した経済特区を色丹島に作ってやったぞ」と、日本国を完全な属国扱い。確かに、“狂ロスケ”安倍晋三によって、日本国はロシアの属国となった。北海道へのロシアの侵略軍事態勢はますます増強の一途にある。

 現に、2021年6月、択捉島・国後島でロシアは、北海道侵攻を想定しての本格的な軍事演習を実施した。屁理屈として、米国のMDに対する対処だと、グラシモフ参謀長は嘯いた。だが、MD(ミサイル防御)は核戦争や核抑止問題の範疇にあるもので、択捉・国後における今般の軍事演習とは一切関係がない。択捉・国後における通常兵器の軍事演習は、100%北海道侵攻の予行演習。

 なお、蛇足だが、『産経新聞』2021年6月24日付は、この「択捉・国後における通常兵器の軍事演習」を、「日米への警戒からだ」と事実を逆さにした真赤な嘘を報道した。産経新聞には、巨悪のKGB工作員・田久保忠衛などによる過去数十年に亙る社内工作によって、隅から隅までロスケしかいない。朝日新聞とは一㍉も相違しない。

 現在の“ロシアの属国”日本の状態は、そう遠くない時期おそらく2045年までには、「日本列島の東半分がロシア領、西半分が中共領」に必ず至る。戦後すぐに陸軍刑法で服部卓四郎/辻政信/瀬島龍三を絞首刑にしなかった代償、及び刑法外患罪で鈴木宗男/安倍晋三を絞首刑にしない代償は、いずれ必ず日本人二~三千万人を地獄の阿鼻叫喚で殺戮し、日本国をかつてのローマ帝国の如くに地球から蒸発させる。

 

1、日本戦略研究フォーラム『会誌』2008年5月20日号、頁数は本文。

2、共同通信社(共産党細胞)編『沈黙のファイル』、172~3頁。

(備考)共産党が、瀬島龍三に関する歴史を正しく解明しようとする意図や理由は、イマイチよくわからない。

3、大櫛戊辰『殺戮の草原 満州・葛根廟事件の証言』、東葛商工新聞社。

4、吉岡幾三「救い無き敦化」『秘録 大東亜戦史2』、富士書苑など。「戦史」とは、軍隊同士の戦闘史を表記する学術用語。故に、タイトルの言葉「戦史」は不適切。本書は重要な歴史資料だから、『大東亜戦争;終戦期の満州「一般邦人」惨殺史の記録』と素直なタイトルにすべきだった。

5、佐藤和明(共産党員)『通化事件』、新評論。加藤康男『八月十五日からの戦争「通化事件」』、扶桑社、ほか。

6、角田房子『墓標なき八万の死者』、番町書房。合田一道『死の逃避行』、富士書苑。そのほか多数。

7、上掲『会誌』、頁数は本文。

参考;私を天ぷら屋に招待し、私を籠絡する瀬島龍三の華麗で知的な手口

 まだ助教授だった頃、私は瀬島龍三の方から天ぷら屋で夕食を御一緒したいとの誘いを受けた。瀬島を「斬り殺す」千載一遇のチャンスとばかり、米国ルーズベルト大統領の昭和天皇への親書電報“握り潰し”事件など、瀬島のいくつかの犯罪資料を纏めてレストランに行った。

 が、瀬島は、挨拶が終わるや冒頭、「中川先生は食事をして下さい。私に30分ほど話をさせて下さい」と、地政学の“包囲”の理論と戦争勃発時における制限戦争か全面戦争か識別方法の二テーマの授業を始めた。その講義方法は、どんな大学教授より圧倒的に上手く、ほとほと感心し聞き惚れてしまった。瀬島龍三を面罵するがごとくに攻撃する予定だったが、そのような気力が見る見るうちに萎えていた。天ぷら屋を出て、これが“日本一のロシア工作員”の“人誑し天才の技”なのかと、自分の不甲斐なさに切歯した。

附記;西尾「新しい教科書を作る会」役員全員がロシアKGBか共産党員(坂本多加雄/伊藤隆を除く)

表;主要メンバーの思想本籍

(備考)ミュンヘン大学から退学処分(追放)される時に「醜悪な猿顔め!」と罵られた事実をバラシタことで、西尾幹二は「名誉棄損だ!」と私を訴えた。2200万円を私に請求した「“重度の精神分裂病の狂人”西尾幹二の不当提訴事件」の裁判は、私が0円を支払って数年前にとっくに終了(2016年)。それなのに西尾幹二は、この裁判の結末を既に五年間にわたり公表しない。何故だろう。なお、西尾はミュンヘン大学に十日以上の在籍はしていない。西尾幹二の「二年間ドイツ留学」は、悪質な学歴詐称。西尾が実際に二年間過ごしたのは、ミュンヘン州立図書館。国立ミュンヘン大学には留学していない。

                                                         (2021年8月3日記)

 

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