筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
日本の不幸と悲劇は、「ロシア知らず」の政治家が日本の対外政策を牛耳ることによって発生している。戦前で言えば、“レーニン崇拝狂”後藤新平/近衛文麿であり、“「反米」を裏返した「親ロ」”松岡洋右である。戦後で言えば、“外交音痴のスーパー馬鹿”鳩山一郎であり、“何でも朝日新聞の指示通り”田中角栄であり、“隠れコミュニスト”安倍晋太郎/“親・中共の社会主義者”小沢一郎である。
この原則は、裏を返せば、「ロシア通の<反ロ>」が日本の外交を担うとき、日本は世界に輝く国家となるということである。明治日本において外務大臣に陸奥宗光や小村寿太郎が登板した時、日本は“昇る朝日”となった。そして日露戦争に勝利したとき(一九〇五年)、トルコやフィンランドなどを挙げるまでもなく世界中に歓喜と称讃の嵐が起きた。
第一節 “ロシア封じ込めの日本”こそ、日本の世界史的運命
私事になるが、一九六五年、私が二十歳の時、ベルリンでフィンランドの女子学生二人(十八歳)と知り合った。あるとき突然、「日本では、五月二十七日にはどうしていますか」と聞かれた。私はそっけなく「海軍記念日は戦後なくなりました。だから、日本では何もしません」と答えた。
だが、両名とも、「私たちの両親は、家族でささやかなお祝いをします。小学校では東郷平八郎提督や日本海海戦の講話があります」と語り、私は思わず両手を合わせた。この女子学生に対してではなく、その背後に児玉源太郎、川上操六、東郷平八郎(注1)、そして何よりも明治天皇のご遺影を感じたからである。
確かに、日本が血と汗を流して、ロシアの南下と東漸を防ぐ時、世界には平和が訪れる。それはまた、日本の安全のためのみならず、日本国の安泰永続と発展の確実な基盤となる。
対ロ敵視に基づく(戦争抑止の)ロシア封じ込めこそは、天が日本に与えた世界平和(法秩序)に貢献すべき高貴なる義務で運命であることは、日露戦争の経験において実証された。国家は世界史的運命や真正の国際義務から逃避してはならない。地理が定めた日本の運命に生き日本の義務を果す時、幸福と栄光がわが祖国におとずれる。
地政学的には、東の「日本」とは、西の「フィンランド~リトアニア~ポーランド~ウクライナ/トルコ」とともにロシアを封じ込める東西の城壁である。南の壁は「(かつてのイラン)~パキスタン~インド~バングラディシュ/スリランカ」だが、本稿ではこれは割愛。
そして、この「日本/フィンランド/リトアニア/ポーランド/ウクライナ/トルコ」の六ヶ国こそは、対ロ封じ込めの“縦深ある第一梯団”を構成する。この第一梯団を背後から守る“縦深ある第二梯団”が英米仏独であり、オランダ/ベルギーそしてイタリアがこれを補足する。フランスは二〇〇九年にNATOに復帰した。
ここに挙げた第二梯団の諸国すべてはNATO加盟国。NATOは軍事機構としては完成している。だが、第一梯団の六ヶ国は、何らの結びつきがない。このうちNATOに所属しているのは、トルコとポーランドとリトアニア。
NATO加盟がダメなら、せめてNATOの姉妹機構EUに所属してくれれば、多少は情況を改善する。この意味で、フィンランドはNATO加盟国ではないがEU加盟国であり、ウクライナが早急に決断すべきは“第二フィンランド”となるべきEU加盟である。そして、EUは、このことを理解し、ウクライナのEU加盟を急いでいた。プーチンのロシアは、これを妨害することも目的に、一気にクリミア半島を侵略占領した。
さて問題は、日本がどうするかである。それは、日本が“対ロ封じ込め第一梯団のリーダー”として行動することである。具体的には、これら五ヶ国と軍事同盟は無理だが、それに準じる連携を強化すること。英語で言えば、allianceは無理だが、alignmentを構築すること。この手始めは軍同士の交流。日本で言う「防衛交流」である。
ウクライナに対しては、ロシアにさらなる侵略の口実を与えないために、防衛交流は今しばらくは避けなければならない。だが、代わりに、ウクライナには、日本ができる非軍事のすべての支援を果敢に行う。加えて、ポーランドやリトアニアとの防衛交流協定の早急な締結を急ごう。これらは、ウクライナ支援に確実に効果的だし、ロシアを牽制する働きも大きい。
それにしても、“凶暴なロシアの卑屈な犬”安倍晋三の、日本をロシアの属国にしたい一念は尋常でない。ロシアのクリミア半島侵略を支持し“プーチンの犬”になりきってご満悦とは、安倍晋三は、果して日本国民なのか。
やはり安倍晋三は、根っからの“親子二代の対ロシア売国奴”である。だから、浅田真央選手を愚弄した下劣・野卑な“親子二代の<ロシア人>”森喜朗を(後述)、プーチンとの連絡要員(パイプ)に使って危険だと思わないのである。「安倍晋三と森喜朗」という売国奴コンビが、今、日本の北方領土をロシアに貢がんとしている。
領土は、国家の一大事。北方領土を放棄する“親ロ派の馬鹿”で、“第二の松岡洋右”安倍晋三を、早急に総理大臣の座から追放すべく、健全な日本国民は行動を起こすべき時が来た。
第二節 対ロ無条件降伏の“暗愚の宰相”鳩山一郎から何も学ばなかった“第二の松岡洋右”安倍晋三
愚者は、歴史に学ばない。安倍晋三も歴史に学ばない。ということは、安倍が愚者だということになる。
しかし、国民は一時的な人気だけを指標に、政治家を一時的に評価する。人気など、秋の天気で、すぐ移ろう。政治家の人気など長く続いた例はない。
政治家の評価は、歴史的な評価がすべて。チャーチルやサッチャーなどを思い起こせば理解できよう。しかし、有権者はほぼ全員が低級だから、人気と評価の区別がつかない。いつしか日本の政治家は、安倍晋三がいい例だが、オルテガが喝破するごとく一般大衆並みに人気と評価がゴッチャになり、人気集めだけが政治家の職務だと勘違いする輩ばかりとなった。
北方領土を奪還したいなら、安倍晋三が立脚すべき二つの常識
とりわけ、一九九〇年代に入ってからの日本の国会議員の資質は劇的に劣化した。国会議員とは名ばかりで、ほとんど市町村役場の戸籍係程度の知力しかない。自民党議員は、“悪の極左ばかりの民主党議員”よりましだが、悪徳利権屋が横行し、ほとんどは「馬鹿以下の白痴」と「専制君主」をブレンドしたような政治家ばかりとなった。
だから、自民党議員で、“対露外交の天才”吉田茂が残した遺訓「領土を奪還するには、三つの心得を守れ」を知る者すらいない。吉田茂は、こう言い続けて死んだ。
第一は、対ロ経済協力を決してしないこと/お土産は決してもっていかないこと/ロシア高官を決して歓待しないこと。
第二は、日本自身が軍事的奪還の態勢をつくることなしに領土奪還交渉をしないこと/米国の軍事力を背後にしっかとちらつかせるべく日米同盟を最高レベルに強化すること。
第三は、ロシアは、南や西への拡大も考えるので、東側での妥協・退却を決断せざるを得ないことが周期的に発生する。このチャンスをじっと待って、機が来たら迅速果敢に一気に勝負に出ること。
吉田茂のこの三心得につき、以下、二点ほど補足する。
A ロシアは、経済協力をする隣国を “役に立つ白痴”として侵略の対象にする
例えば、“対ロ経済協力をすれば、領土は戻ってこない”ことは、一九七三年、モスクワに乗り込みブレジネフ書記長に騙された“愚鈍で驕慢な田中角栄”の暴走外交が証明している。だが、安倍晋三は、田中角栄がロシアに騙された時と寸分変わらぬ同じ方法で、自分に限っては田中角栄の二の舞にならないと発想する。根拠もなければ、田中角栄の失敗の研究もしない。(一度パトカーに捕まった時のヘマはしない)暴走族クラスの知的水準より低い。
田中角栄は、シベリア開発というお土産を持っていけば、北方領土というお返しのお土産をもらえるとばかり、いそいそとモスクワに乗り込んだ。田中は、日本側のお土産だけ分捕られて、悄然と手ぶらで帰国した(注1)。
このとき、(「日中国交回復」に田中を走らせたように)田中角栄と昵懇な朝日新聞社の幹部たちが、「一九七二年に沖縄が還ってきたから、一九七三年の今、ロシアは必ず北方領土を返す」という嘘を刷り込んだらしいとの噂が流れていた。また、ロシア工作員・末次一郎(KGB第一総局プリマコフ機関)が、「お土産さえあれば、ブレジネフは絶対に領土を返還する」との、ロシア側工作員とでっち上げた嘘話を田中角栄に直接吹き込んだとも、筆者(中川)は複数の関係者から聞いた。
だが、ロシア民族に、相手のお土産に対して、お土産で返礼する文化も慣習も存在しない。一九七三年のロシアもプーチンのロシアも、十三世紀のモンゴルのキプチヤク汗国のままで、お土産を持っていくことは、「ロシアの属国になります」の誓約行為の儀式としかみなさない。しかも、先にお土産を渡すと、ロシアは「もっとお土産をもってこい」と要求する。
林檎を二つ持っているとき、欲しそうな顔をしたロシア人が傍によってきたから一つ上げたら、このロシア人は「もう一個も、よこせ!」と必ず言う。二つの林檎を仲良く分ける概念がロシアの民族文化にはない。また、「一つくれたのだから、もう一つくれてもいいはず。なぜくれないのだ」と考えるロシア人特有の異常思考は文化である。これはまた、“侵略が第一”ロシア民族の通常の感覚で常識。
こんなことも知らない日本人に、ロシアと直接に接触する外交交渉は禁物である。仮に、ロシアとの交渉をするならば、お土産など逆効果の極み。コップ一杯の水すらロシア側に決して出してはならない。
革命直後の一九二二年四~五月、四面楚歌になった“世界の孤児”ソヴィエト・ロシアは、西側から経済協力を勝ちとり、前政権のロシア帝国の債務を棒引きするため、ジェノヴァ会議(イタリア、英語ではジェノア)に臨んだ。このときのソ連首席代表である外務人民委員(外務大臣)のチチェーリンに、出立前にレーニンが指示した訓令(手紙、二月十日付)には、ロシアの対外政策の本性が見事に凝縮されている。
「西側の資本家(=私企業)は、自分の首を絞める縄を自分から編んでもってくる“役に立つ白痴ども”(だから、うまく騙せよ)」(注2)。
ロシア対外政策のこの本音は、日本に対してぴったり適用されている。日本は、ロシアがちらつかせる“北方領土返還という毛鉤”に喰らいついた卑しいハゼのごとく、「田中角栄による東シベリア開発」、そして「安倍晋三による極東シベリア開発」をするが、その結果は北海道へのロシアの侵略の基盤づくりであり、ロシアの対日侵略に全面協力をしている。極東シベリアや樺太の開発は、それらの地におけるロシアの軍事力の増大を促進する軍事インフラ整備に他ならず、まさに日本が日本自身の首を絞める縄を編んでいる行為である。
日本の国家安全にとって、バイカル湖より以東のシベリアは無人の荒野にするのがベスト。これ以外に日本が安全に生きる道はない。“国防音痴”安倍晋三の無学・無教養からの「親ロ主義」は、日本にとって危険を越えた、亡国への誘導である。いや、山縣有朋や伊藤博文など“親ロ馬鹿の巣窟”だった長州藩系の安倍晋三とは、ロシアに日本を売る“父親譲りの売国奴二代目”である。
B ロシア人は、強大な軍事力に恐怖した瞬間、盗んだものすべてを自分から投げ出す
ロシアが巨大な世界帝国へと膨張できたのは、適宜、侵略領土を返還する「一時退却」の達人だからである。一九四五年二月のヤルタ会談で、ルーズベルトとチャーチルをうまく騙したスターリンのソヴィエト・ロシアは、東欧諸国と東ドイツを植民地とするのに成功した。ロシアの“戦勝国の占領”が、その地に対する“生殺自由な収奪の植民地化”になるなど、“異常なスターリン傾倒者”ルーズベルトでも予測しなかった。
その後、東欧諸国は、ヤルタ協定(注3)の正しい履行を求めて、(植民地解放戦争でもあった)一九五六年のハンガリー動乱や一九六八年のチェコ動乱など、ロシアからの“独立”を試みるが、ロシアは戦車軍団を繰り出し、あこぎな植民地圧政を続けるのだった。
しかも、ヤルタ協定をさらに違反して、(ロシアの占領行政地でない)西ベルリンまで侵略しようとした(「ベルリン危機」)。“米国の反共・反ソ大統領”ケネディの断固たる西ベルリン死守の軍事行動がなければ、一九六一年、そこもソ連領土になっていた。
が、一九八九年十一月、ロシアは、東欧諸国・東ドイツすべてを投げ出して、それぞれの国家に「返還」した。ヤルタ協定を、四十四年ぶりに、突然、正しく履行した(注4)。ロシアはなぜ、一九四五年五月に始まる四十四年半に及ぶ東欧収奪の植民地支配機構をあっさりと投げ出し、「退却」したのだろうか。
世界で日本人だけは、国際政治の視野も知見もほとんど精薄児並み。だから、「東欧解放」を、ゴルバチョフのペレストロイカ(改革)によるとか、東欧の民衆自身の「ビロード革命」の成功だとか、まるで幼稚園児の戯言で説明できると思い込む。いい加減さも限度を越えた暴論である。これでは、北方領土の奪還などできない。
ロシアは、対ソ核戦争も辞さない反共・反ソのレーガン大統領の凄すぎる強硬姿勢に恐怖して、「東欧諸国を西側に貢納するので、これでどうか対ソ核戦争を勘弁して下さい」と対米降伏を申し出たのである。しかし、弱音を決して外国人に見せないロシア人の対外行動文化において、ロシアは「東欧諸国が自ら民主化運動によって、それぞれの共産政権を打倒した」との、世界を騙す“世紀の大演技”の演出に大成功した。
東ドイツ、ポーランド、チェコ、ルーマニアなどでの「ビロード革命」は、すべてKGB第一総局が脚本を書き指揮したものである。ポーランドのワレサも、その他の国々の民衆も、KGBの操り人形だった。「独自・独力で行動した」つもりなのは、本人たちの勝手な思い違い。
ともあれ、東欧諸国は、一九八九年十一~十二月、ヤルタ協定が正しく履行されて「ヤルタ体制」が終焉し、これら占領地の領土と国民は“ロシアのくびき”から解放された。一方、日本は、ヤルタ秘密協定(注4)が一九五一年九月のサンフランシスコ講和条約で破棄されたのに、ヤルタ秘密協定に従ってスターリンが不法占拠した、南樺太も国後・択捉島もクリル諸島(=千島列島)も解放されていない。
それは、一九五五~六年の、鳩山一郎がなした対露外交交渉でのあきれ返る大譲歩が始まり。が、その後の日本側の常軌を逸した、対ロ売国奴外交の連続に最大の原因と責任がある。ロシアは軍事力に恐怖すれば妥協・譲歩する。軍事的な奪還の態勢が存在しなければ、いかなる対ロ交渉も反撃され、ロシアの新たな対日要求に早代わりするだけである。
在日の米軍事力をいっそう強化すること、特に(閣議決定で簡単に廃棄できる)非核三原則を破棄して、日本の領土内に(ハバロフスクとウラジヴォストークを殲滅する)米国の核兵器を搬入・セットアップするのは、最も有効な北方領土奪還の上策の一つ。
次に、北海道と青森・岩手県を要塞化し、加えて、これらの地に北方領土を奪還できる軍事力を配備することである。北海道の全海岸には数千万個の対人地雷を敷設し、少なくとも北海道に最低でも千五百輌以上の戦車(十ヶ師団、三ヶ戦車軍団)を配備することである。
こうすれば、交渉せずとも、ロシアは、北方領土を日本に無条件にかつ全面的に返還する。戦わずして北方領土を簡単に奪還できる。しかし、なぜ、日本は、安倍晋三をはじめ、この北方領土奪還策を決して選択しないのだろう。
なお、日本では、かつてルーシ内に隈なく張り巡らせていたモンゴル工作員網そのものに、木村汎(注5)や岩下明裕(注6)などの“ロシアの工作員”たちが、「非国民!」などとの非難にさえたじろぐこともなく、ひたすら暗躍して嘘情報を流布している。
彼らが流す、「ロシアは、国後・択捉の折半なら応じる」などの話は、むろん創り話で真赤な嘘である。ロシアは、侵略した領土を返還するときは百%返還が原則である。「折半しよう」などのシグナルがあれば、それはロシアが“絶対に返さない”時の騙しである。このことは、「東欧解放」で証明済みではないか。
ともあれ安倍晋三は、このようなロシアの基本的な対外行動を知らない。知ろうともしない。“暗愚の親ロ”安倍晋三に、ロシアとの外交交渉を決してさせてはならない。
第三節 ロシアの外交交渉(表)は、謀略工作(裏)を隠す眼晦し
ロシア外交は、表向きの外交交渉は、水面下で行なう秘密交渉(裏取引)や謀略工作をカムフラージュするための演技であって、一般通念上の外交交渉というものはロシアにはまったく存在しない。ロシアには、外交(diplomacy)は皆無。
すなわち、日本側がロシアと外交交渉で北方領土を奪還できると考えるのは、不在の幻影を追い求める自殺的行為で、百%徒労に終わる。つまり、これまでの/現在の日本人の対ロ外交は、砂漠の蜃気楼に映るオアシスに向かって歩き続けるのと同じく、妄想に取り憑かれた死の旅路で狂気である。
ではロシアの対外政策はどのようなものか。それは外国に対して自分の意志を強制すること、それ以外ではない。「外交(diplomacy)をせず」「強制(coercion)をする」のが、ロシアの外国交際のすべてである。こうも言える。相手国に対し、相手国みずからが諦念してロシアに敗北と降伏を申し出るように誘導する“軍事力を使用しない戦争”が、ロシアの対外政策を貫く根幹である。
ロシアは、一四八〇年にモスクワ大公国として独立国家になって以来、二〇一四年の現在にいたるまでの五百年間、外交交渉においては勝利しかないのは、たとえば、英国にしろフランスにしろ米国にしろ、ロシアと外交交渉をしているのに、ロシアの方は(軍事力を用いない謀略工作という)戦争をしているからで、この非対称(=「戦争≫外交交渉」)において、戦争する側が必ず勝利するのは当然。
とりわけ、江戸時代の封建文化によって、日本人は外交交渉と戦争とを極端に区別する以上、日本の対ロ外交交渉は必ず全面敗北しかない。具体的には、幕末の下田交渉、明治時代の樺太・千島交換交渉、昭和初期の日ソ国交回復交渉、戦後昭和の北方領土奪還交渉など、例外一つなく、日本の対ロ外交はすべて“対ロ無条件降伏”となった。
ロシアの対日謀略工作(戦争)と日本の対ロ外交交渉──この非対称では、勝者は初めから明らかではないか
ロシアは“軍事力を直接用いない対日戦争”をしているのに、日本は“対ロ外交交渉”をしていた一九五五~六年の北方領土奪還交渉を、事例として考察する。この交渉で、鳩山一郎が対ロ無条件降伏へと追い込まれて行く過程は、ロシア外交が“軍事力の行使なき戦争” なのを鮮明にしてくれるからである。
結論を先に言えば、ロシアは、日本の要求「北方領土の返還」を百%蹴っ飛ばし、ロシア側の要求「国交回復」のみ日本側に全面受諾させた。このロシアのやり方は、十三世紀のモンゴル帝国の他民族に対する侵略と収奪のやり方とまったく同一。日本は、これまでの敗北と降伏の五十年間を自省して、「これまでの対ロ外交交渉をいっさい自制し、第三の道を選択しなければ北方領土の奪還など不可能だし、そんな交渉自体が日本国を亡国の危殆に導く」と自覚すべき時である。
日本の対ロ外交の極意は、北条時宗に吉田茂/小村寿太郎を加味して、この三人に学ぶことだし、この三名に熟知した者だけがロシアと接触できる。ロシアの「実際の外交官」は、すべてKGB第一総局(SVR)の工作員で、外務省が相手としているロシアの職業外交官は全員、このKGB第一総局が所轄し監督下にある“事務員”である。
さて、鳩山一郎を完全に手玉にとって騙しに成功したロシアの手口は、以下の通り。
ロシアの表向きの対日「外交交渉」は、一九五五年六月一日から一九五六年十月十九日までの一年五ヶ月間。しかし、ロシアの対日「戦争」は、一九五五年一月に鳩山一郎を交渉の場に引きずり出す緒戦に成功してから、日本を油断させ時間を稼ぐための表向き外交交渉の水面下では、①人質作戦と②(北方領土奪還という)日本の対ロ方針を自壊・撤回させる作戦の、二つの戦争が一気呵成に進められた。
鳩山一郎は、病気による総理退陣が近づく国内事情もあって、最後は自分の体面(私的立場)を絶対優先して、自国の領土の放棄に等しい対ロ全面降伏の「日ソ共同宣言」を受諾した。鳩山一郎とは、国賊の中の国賊だった。一郎の孫・鳩山由紀夫が、二〇一三年、尖閣諸島を中共に貢ぐべきだと公言して恥じないが、隔世遺伝である。なお、鳩山由紀夫の妻は、一九四三年に上海で生まれた純血の支那人。
さて、鳩山一郎に対して、「北方領土返還要求を取り下げない限り、人質を解放しない」との、ロシアの得意とする人質作戦の第一は、「シベリア抑留者を帰還させないゾ!」の脅しだった。だが、シベリアに拉致連行された日本の男児一〇五万人のうち、四~五十万人は殺害され、五十二万人はすでに帰還しており、残りはわずか三千人。しかも、全員が帰還を直前に控え、ハバロフスクに集結させられていた。
ロシア内に諜報網を張り巡らせていた米国が、この三千人すべてに帰還用の新調の服が支給されており、帰還は時間の問題であることを掴んだ。すなわち米国は、対ロ交渉に入る絶対条件として「先に帰還させよ、すれば平和条約の交渉に応じる」と突っぱねれば、一九五五年の夏には解放されると、何度も鳩山一郎に助言した。帰国時に(それまでのボロ切れのような服から)「新しい服」を支給するのは、“ソ連は労働者のパラダイス”という嘘宣伝のためである。
しかし、“表の外交交渉だけが外交”と勘違いする“スーパー外交音痴”鳩山一郎は、米国が親切に友邦・日本国のために提供した、対露外交のイロハ的な忠告・諫言や貴重な諜報情報を平然と無視した。米国の指導にも吉田茂が人を介して止めるのも聞かず、鳩山一郎はロンドンで対ロ交渉を一九五五年六月一日に開始した。ために、シベリア抑留三千人の帰還は一年三ヶ月も遅れたし、北方領土は侵略されたままになった。
「領土より魚を!」と絶叫した北海道漁民は、日本国民ではない
ロシアが「第二の人質」としたのは、主に北海道の漁民。しかも、この「人質」作戦では、二つの謀略が遂行された。
第一は、日本の漁船と漁民を無差別に拿捕することを通じて、(オホーツク海など)北洋漁業の漁民たちに「ロシアの要求である<国交回復>をしなければ、拿捕の危険が増大する」との恐怖を植え付けた(表1)。日本人は頭が悪いのか、拿捕は日本を対ロ交渉で敗北に追い込むための手段だから、鳩山が交渉を止めさえすれば、交渉開始以前のレベルに拿捕が減少することを、発想しなかった。特に、頭が悪く、個人的な名誉慾しかない低級な人間の鳩山一郎は、こんな当り前の情況判断ができなかった。
表1;対ロ交渉期間のみ、急増した北洋での日本漁船の拿捕(注1)
第二の、日本の北洋漁民の「人質」作戦は、“札付きのコミュニスト”河野一郎の活用だった。北方領土放棄の策謀に加担する見返りに、巨額の金を日本の水産会社から贈賄させるべく、ベリヤ後のKGBが仕組んだ“対河野謀略”である。
すなわち、河野一郎・農林大臣は、事前に渡されたロシアの筋書きに従って、「日本が“領土返還なしの国交回復”を受諾しないならば、ロシアが日本の北洋漁業への出漁を認めないことを、日本政府は合意する」との提案をブルガーニン首相に提示した。表向きは河野一郎の方から個人的に「密約」を持ちかけたことになる。ソ連側は、河野提案密約を、「エッと、驚く」演技をしながら承諾する形で、日ソ漁業協定第八条の条文とした。
いくつかの資料が示すところでは、河野一郎がブルガーニンに提案したことになっている(注2)。ブルガーニン首相との秘密交渉の場では多分そうだっただろう。だが、河野一郎にそう提案するよう、事前に吹き込んだのはロシア側なのは言うまでもない。
ともあれ、この協定第八条によって、北洋への出漁は国交回復がなければできず(注3)、死活問題となった北海道の貧しい漁民はいきり立った。かくして、ロシアの人質となった北海道の漁民は、ロシアの領土返還拒否を支持することと同じ、「領土より魚を!」を一斉に大合唱するに至った。
チンギス・カン発明の支配民族洗脳術を操れるのは、世界で一カ国ロシアだけ
戦後日本の外交は、米国と無数の交渉をしたが、文明のルールを最も遵守する米国は、外交交渉で野蛮な「人質作戦」などとったことは一度もない。このように、欧米諸国や東南アジア諸国との外交交渉と比較すれば明瞭だが、ロシア外交とは、あこぎな暴力団の恐喝や身代金要求の誘拐犯罪とまったく同種で、これを米国と変らないと言いつのる民族系論客は、ロシアの工作員と同等な“口害者”である。
日本側に領土返還要求を引っ込ませる、ロシアの人質作戦は成功裏に終わった。この結果、日本国中がロシアの言いなりになって、朝日新聞の煽動のままに「国交回復を先にやれ!」「国交回復だけで充分、領土返還など不要」の金切り声を上げた。日本は、“ロシアの手先”朝日新聞や社共の思惑通り、完全にロシアの属国となった。
この情報工作(謀略)では、ロシアは二分野を重点的なターゲットに選んだ。第一分野の標的は、社会党や労農党などの日本の政党、道議会などの地方自治体(注4)、漁業団体(注5)・シベリア抑留家族団体(注6)・北方領土の旧島民団体(注7)。これらの政党や諸団体では、「領土奪還!」の言葉は次第にか細くなり、いつしか「国交回復」の四文字の声だけを挙げるようになった。ロシアの対日情報工作は、完全成功であった。
第二の分野とは、『朝日新聞』や雑誌『世界』『中央公論』の報道や論考のすべてを、「領土より国交回復を!」「入口で国交回復をすれば、いずれ出口で領土は還ってくる」との、“領土は後、国交回復が先”の真偽を逆さにした、“日本国民騙しのスローガン”で埋めさせることに成功したことを指す(注8)。
ここに、吉田茂が首相であった一九五四年末までは、確たる日本の常識だった「北方領土を奪還しよう!」「島民一万七千人の故郷を返せ!」の声は、鳩山が総理になって一年後の一九五六年に入ると、言論弾圧されたごとく、全く沈黙させられていた。
天才チンギス・カンとその後継モンゴル人は、支配する国や民族を力と恐怖で奴隷化するだけでなく、被支配側の方から「反モンゴル」の声や「過酷な徴税反対」の声が上がらないようにする、言論の完全コントロールに至る特殊ノウハウを“発見”し“実践”してきた。ロシアは、チンギス・カン発明の、“被支配側の思考麻痺”をもたらす魔術と言ってもいい、ロシア人にしかできない特殊な言論統制・操作術を(ロシアの奴隷国ではない、ロシアとは対等であるはずの)主権国・日本に適用し、大成功を収めたのである。
日本の亡国につながる、ロシアとの平和条約は決して締結してはならない
一九五一年九月のサンフランシスコ講和会議で、ロシアの首席全権グロムイコ外務大臣が退席して以来、日本とロシアとの間で講和条約(平和条約)が六十年以上も存在しない。この事態こそは、実にすばらしい、日ロ関係の理想である。なぜなら、ロシアとの平和条約が欠如した状態こそ、日本の国益と安全保障に絶大に寄与するもので、最高の対ロ外交だからである。今後も、ロシアとは決して平和条約は結んではならない。
ロシアとの条約は、①一九二五年の日ソ基本条約、②一九四一年の日ソ中立条約、③一九五六年十月の日ソ共同宣言の、三大過誤を思い出せば、締結しないのが日本の国家安全保障の至高の策なのは自明ではないか。
では、北方領土を奪還した暁には平和条約を結ぶことになっている問題は、どうするのか。
答えは簡単。日本がもし北方領土を返還させたいのなら、鳩山一郎が締結した日ソ共同宣言を廃棄する道を選ぶほかない。当然、平和条約を結ぶ前提など吹っ飛ぶ。
次に、外交交渉などせず、ロシア側に「北方領土をお返しします」と言わせるのだから、平和条約は領土返還とは別次元の問題になる。一九八九年十一月、ロシアは、「解放」と一般に称されている、東欧諸国からその占領軍を撤退させることを世界に宣言したが、それは平和条約の締結交渉によってであったか。まったく無関係だった。
ロシアと交際するに、日本人が忘れてはならない絶対常識がある。ロシアにとって、条約とは相手を油断させる騙しの手段に過ぎず、当然ながら「破るのを自明として締結するものが条約」としか見ていない(表2参照)ことである。日本が、万が一にも、ロシアと平和条約や友好条約など結んではならないのは自明。例は、ロシア五百年の対外条約のほぼすべてだから、いちいち挙げる必要は無かろう。
表2;侵略するために平和条約を結ぶロシア
(備考1)「ソ連」は、日本の俗語的表記。国際的には「ソヴィエト・ロシア」が一般的。この表では、日ソ中立条約以外は、ソヴィエト・ロシアもロシアも「ロシア」で統一した。ソ連は、内政においてはロシアと相違するが、外交ではソ連とロシアには何らの差異もない。
特に、ロシア語の「善隣友好」「友好」は、ロシアに対して“侵略されても結構ですよ”という、レイプを歓迎する性的狂女のメッセージと同じ。ロシア語の「平和」「不可侵」「中立」は、標的国が油断するよう、侵略の準備をするロシアに対して防衛準備をさせないようにする心理作戦語である。ロシアは、いずれの日か侵略せんものと、隣国への侵略に手を緩めることはしない。絶えず侵略の機をうかがい、そのために「友好」「不可侵」などの言葉を多用して投げかけ、それを条約とする。
祖国の固有の領土の回復に際し、慌てたり焦ったりするのは禁物である。イスラエルは、二千年の時を経て国家の領土を取り戻した。日本もまた、百年の計でロシアから樺太を含めた固有の領土を奪還する決意をし準備することだ。このためにも、ロシアと平和条約だけは断じて締結してはならない。
第四節「ロシア人」として育った“売国奴”森喜朗
元総理の森喜朗が、二〇一四年二月二十日、福岡で毎日新聞社主催の講演会で、「北方領土を日露共同管理にすればよい」と、日本の固有の領土にロシアの主権を認める旨を言い放った。それは、ロシアは北方領土の返還をしなくてよいとの謂いである。
これは森喜朗の個人的な思いつきかに誤解され、失笑をもって等閑視されているが、むろんそうではない。この発言は、現在、安倍晋三とプーチンが行っている交渉の中味を踏まえた発言である。
実際にも、安倍は密かにロシアに対して、形だけ日本に返還したことにする、実態は返還しないでよい、要は“日本国の北方領土放棄”での日露合意を調整中である。これに対するいずれ巻き起こる国民からの囂々たる非難を最小化するための“事前の国民洗脳”を森喜朗が担当しているのである。
しかも森喜朗は、対ロ交渉で安倍晋三に対してかなりの影響力をもっている。「ロシア人」である森喜朗は、昔から、北方領土の半分をロシアに貢ごうの、日本の主権放棄の札付きの先導者で極めつきの売国奴である。だから二〇一四年に入り、ますます過激に北方領土全面放棄論へとエスカレートした。
固有の領土と主権の不可分性が理解できない“暗愚の宰相”安倍晋三
安倍晋三は、二〇一三年四月二十八日に、天皇・皇后両陛下のご臨席の下、日本の主権回復記念式典を挙行した。しかし、大学とは言えない成蹊大学卒という無学・無教養を誇る“暗愚の安倍”は、領土と主権の不可分性はまったく理解できない。
国後・択捉島の全面返還がない限り、日本の主権は回復しない。だが安倍は、これすら理解できない。だから、「北方領土は、もう日本の領土ではない」を意味する、「日本の主権はすべて、一九五二年に回復しました」を前提にした主権回復記念式典を、安倍は音頭をとって政府主催で挙行した。主権回復記念式典は、ロシアKGBの指揮下にある民族系団体の日本会議など “畸形の売国奴”たちが集って、「北方領土は、もう要らない!」と合唱したもの。いわば、わが国に対する国家叛逆のクーデター祝賀会ともいえるシロモノ。このようなものにご臨席を願うとは、両陛下に対する前代未聞の不敬行為。安倍は、この大罪を恥じて、皇居前広場で切腹すべきではないのか。
それはともかく、森喜朗という「ロシア人」を日本から放逐しない限り、日本の領土はすべてロシア領になる。なぜなら、北方の四島を放棄しておいて、それより少しばかり大きな四島(北海道、本州、四国、九州)が日本の領土だと、どうやって説明できるのか。固有の領土にかかわる慣習国際法の法理は一つしかない。日本がそれを北方領土には適用しないと決定すれば、同時に日本列島すべてにも適用しないと世界に宣言したことになる。
安倍晋三や森喜朗など、無学・無教養な国会議員ごときが対露外交交渉をする傲慢不遜が日本に蔓延りすぎている。これでは日本の亡国は、不可避といえよう。
「ロシア人」だった父・森茂喜に育てられた、「ロシア人」森喜朗
森喜朗は、性格は底抜けに明るく、軽薄と軽率に生きるが故に、敵が少ない。ラグビーで鍛えたゴリラ的な体だけが自慢の“脳内ピーマン男”森が、ほんの短時日だが、総理になれたのは、この三流芸人並みの朗らかさにあるようだ。
だが、森喜朗とはあくまで政治家。われわれは彼を政治家として観察する義務がある。正しい日本国民としての眼があれば、森喜朗は「血統は日本人だが、祖国はロシアと考えるロシア狂のロシア人」と観察する。ところで実は森の頭には、マルクス・レーニン主義が侵入・浸透していない。この意味では、森喜朗は、きわめて稀な摩訶不思議な「ロシア人」である。
日本では、ロシア狂徒はこぞって、マルクス・レーニン主義者か、NKGB/KGB/GRUにリクルートされた工作員か、レーニン/スターリン崇拝か、に分類される。安倍晋三は、隠れコミュニストであった父・晋太郎から思想汚染されたケースで、広義のマルクス・レーニン主義者に分類される。
森喜朗がロシア狂となったのは、父親がロシアを祖国と考えていたそのロシア狂いを強烈に継承したからだ。しかし、父・森茂喜は、自分のマルクス・レーニン主義を決して息子・喜朗に伝染させなかった。安倍には父親・晋太郎のコミュニズムが薄くだが伝染している。森父子と安倍父子には、多少の相違がある。
森茂喜は陸軍士官学校卒ではなく早稲田大卒だが、生粋の陸軍将校で、支那に始まる八年間の大東亜戦争において、最初から最後まで戦場にいた。終戦時は、陸軍中佐であった。森茂喜は、アジア共産化/日本共産化の手段だった大東亜戦争の目的を正しく理解し第二共産党であった赤い陸軍に一心不乱に忠誠を尽くした。当然、陸軍参謀本部や陸軍省の中枢と同じく、「祖国はソ連」「昭和天皇は、スターリンを代替する暫定国家元首」だとも正しく理解し、そう信奉していた。
だから、戦後の日本がソ連領土とならず日本国であることに嫌悪し続け、ソ連・ロシアに住みたくてやまないのが、茂喜の三六五日二十四時間の願いであった。茂喜は、日本の戦後史で最長不倒の三十六年間の町長(一九五三~八九年)を終えて死を悟ったとき、息子・喜朗に遺言した。自分の墓は、祖国ロシアに建立して呉れと。
森喜朗は、自分が日本国の国会議員であることも忘れ、このトンデモ遺言(あの世ではスターリンの眠るロシアの地で「ロシア人」として生きたいとの「非国民」への国籍変更)を優先して、二〇〇〇年、シェレホフ市(イルクーツク市の近郊)に日本風の墓を建立し、“完全なロシア人”であった父・茂喜の骨を分骨して納めた。
祖国に唾するこの異常な行為は、森喜朗が自らを「ロシア人の息子」として自覚しない限り、ありえまい。「ロシア人の息子」意識は、ロシア人として生きることの決意でもあるから、二〇〇〇年以降の森喜朗を「ロシア人」とみなさない日本人は、本当の日本国民ではない。
ロシアに領土献上することだけに生きる、ロシアの公然工作員・森喜朗
プーチン大統領は、さっそく二〇〇一年、この森茂喜の墓参りを大統領の立場で行った。情に溺れて国益など放り投げてしまう“生来の売国奴”森喜朗を籠絡するためである。
実際に、プーチンの墓参りに感激した森喜朗は、返礼で択捉島をロシアに貢ぐことを決心した。国家の領土と私的・個人的な父親の墓への墓参との差異がゴリラの頭では同じらしい。森の頭では、択捉島は自分の私的所有の土地らしい。つまり、森は、国家の土地を簒奪している、日本最大の叛逆者である。ともあれ、二〇〇一年、森喜朗は、公然のロシア工作員になった。
日本は、スターリンの命令に従ってアジア赤化の大東亜戦争を敢行したため、日本中に森茂喜や靖国神社宮司の松平永芳のようなソ連を祖国とする「非国民」を大量生産した。それらがマルクス・レーニン主義の旗幟を鮮明にするか否かは関係がない。
この「ソ連・ロシアは、我が祖国」の信条は、一部では、森喜朗のようにその親から子へと継承された。祖国を領土・国民・産業丸ごとソ連に貢がんとした大東亜戦争こそは、日本人から愛国心を剥奪した祖国叛逆の悪魔の戦争であった。
だから、戦後日本には、日本を去るときGHQが口酸っぱく「創れ!」と指示したにもかかわらず、米国のFBIのような反共・対ロ防諜の巨大な警察機構がない。また、米国では今もザル法ではない、共産主義者弾圧法のような法律も日本には存在しない。日本では大東亜戦争の負の遺産が、GHQの正の遺産より強固で猛毒だったからである。
安倍晋三は、こんな売国奴の森を対ロシア交渉の実質的な総理顧問にした。その最初の仕事が、安倍総理の親書を二〇一三年二月二十一日、プーチンに渡す特使だった。
しかも、森はこの特使の命を受けたと同時に、ロシア公然工作員として二つの反日犯罪を堂々と行った。第一は、モスクワに出発直前、KGB第一総局(SVR)パノフ機関の工作員・鈴木宗男と会って、その助言を求めるうちに、プーチンからの命令にどっぷりと洗脳された。第二は、一月九日のテレビ番組で、「択捉島をロシアに割譲する」旨の「三島だけでOKですよ」のサインをロシアに発信した。森喜朗が、日本史上類例がないほどの“完璧な売国奴”であることに異論など存在し得まい。
そればかりか、プーチンと会談した翌日二月二十二日、森喜朗はとんでもないところで講演を行った。KGB対外工作員養成所である、モスクワの国立国際関係大学においてである。森はそこで、「北方四島すべてを日露共同主権の下に置こう」と述べた。それは、プーチンの対日策略をそのままオウム返しに語ったもの。つまり、森は、プーチンの対日要求を百%飲みます、と公言したのである。
領土の「共同主権」などありえない。沖縄に対しては日本は、「日米の共同主権」を拒絶し、米国に返還を求めたではないか。「共同主権」方式とは、日本の固有の領土であった樺太を、非軍事的にロシア領土にしていく方策としてプチャーチンが一八五三年に考案した日本騙しを、プーチンがそっくり持ち出しただけではないか。森喜朗を刑務所に終身刑で収監する、領土奪還の妨害者を取り締まる法を早急に制定する必要がある。
“日本一のロシア工作員”木村汎の「三島+α」から、森喜朗の「共同管理」へと、日本の北方領土全面放棄は最終段階に入った
現在の日本で最も危険な三大ロシア工作員といえば、木村汎/鈴木宗男/森喜朗。この他にも二~三十名いるが、本稿では割愛する。まず、ロシア代言人の木村汎だが、一九九五年から、それまでの穏やかな偽情報垂れ流しではなく、択捉島の対ロ割譲を宣伝しまくり始めた。“親子二代の筋金入りの共産党員”の血がそうさせたようだ。
木村汎の父親は木村常信といい、韓国併合時代のソウルにあった京城法律専門学校の教授で、朝鮮半島で共産革命に邁進した男。朝鮮では知らぬ者はない“赤の筆頭”だった。木村常信が河上肇や三木清とともに、治安維持法で逮捕されなかったのは、朝鮮半島では特高警察が人員不足から休眠状態だったためで、日本国内であれば、確実に逮捕されている。サスペンス小説の作家・山村美紗は汎の実姉で、党籍のある共産党員。
木村汎が、日本初のロシアへの択捉島献上論をぶったのは、ロシア工作員のみに誌面を提供する“親ロ一辺倒の論壇誌”『VOICE』二〇〇五年五月号の誌上だった。木村は、さもロシア側が提案したかのごとく、プーチンは「三島」に加えて、「択捉島の二六・五%か二一%」(備考)を「+α」として日本に返還する準備をしていると、木村個人のデッチアゲを大仰しく宣伝した(注1)。偽情報である。なぜなら、木村は、「プーチンが準備している」との根拠をいっさい提示していない。木村汎の技は、一九八〇年代に比すれば、一九九〇年代に入って以降、一段と磨かれた。尾崎秀実が生きていれば、木村汎を絶賛して「免許皆伝」を授けただろう。
(備考)北方四島の全面積を日露折半とすれば、「択捉島の二十一%が日本、七十九%がロシア」となる。択捉島と国後島の日露折半ならば、「択捉島の二十六・五%が日本、残りがロシア」となる。こんな馬鹿げた領土返還などありえず、またロシアの発想の枠のものではない。まさしく荒唐無稽な噴飯物でデタラメの極み。日本の固有の領土は、一センチたりとも譲ってはならない。日本はすでにロシアに対して、国際法上、ウルップ島以北のクリル諸島(=千島列島)はむろん、南樺太の返還すら要求する権利があるのに、それを自制し譲歩している。国後・択捉島で一歩でも譲ることは法的正義と日本国の存立にとって許されない。
当時、木村汎のこのプロパガンダに頭をやられたのが、今多数、安倍内閣にいる。第一に、安倍の対プーチン特使の森喜朗。第二に、副総理の麻生太郎。第三に、安倍内閣の国家安全保障局長の谷内正太郎である。
安倍晋三の対露外交が、日本の国益を根底から毀損するものになるのは、指摘せずとももはや明らか。安倍の対プーチン北方領土交渉は、鳩山一郎や田中角栄よりももっとひどいものになるだろう。田中角栄は、「北方領土の返還がなければ、経済交流はしない」との、一九五二年から一貫して守られてきた日本の対露外交の大原則を一九七三年に破棄して、北方領土の返還を妨害しただけではない。ロシア軍の太平洋進出と日本侵略のための東シベリア開発に協力した。日本はこれにより、亡国へと転落は確実となった。
“第二の田中角栄”である安倍晋三は、東シベリアよりさらに日本に近い、極東シベリアの開発に協力し、ロシアの日本侵攻の最終仕上げに協力している。「鳩山一郎→田中角栄→安倍晋三」は、日本の戦後政治史の汚点“三大対ロ売国奴総理”である。
安倍についてもう一つ。安倍晋三は、二〇一三年二月末、鈴木宗男の仲介で、対日工作のKGB(SVR)将軍イシャエフと国会内で密談している。イシャエフの「極東発展大臣」という肩書きは擬装で、KGB第一総局(SVR)の対日工作部門の高官である。日本の領土と国益を守るには、ウクライナやグルジア侵略の張本人、殺しの常習者、そして“騙しの天才”であるプーチンと、安倍が接触するのを禁止するほかない。安倍晋三が総理であることで、日本の領土と国家安全保障は危機に見舞われている。(つづく)
注
第一節
1、一九八〇年代だったか、日本で「東郷ビール」なるものが「フィンランドからの輸入」と称して通信販売されていた。そのようなビールはフィンランドでは生産されていない。「東郷ビール」は、ソ連工作員(KGBキリチェンコ機関所属)で詐欺師の名越二荒之助が、日本のどこかの地ビール会社と組んで“国産ビール”をそう詐称して売りまくったもの。ラベル「アドミラル東郷」も日本の印刷会社で印刷されたもの。拓殖大学教授の名越健郎は、二荒之助の長男。同じくキリチェンコ機関の対日工作員。
第二節
1、田中訪ソ後、日本は、田中角栄が敷いた一方的な対ソ経済協力として、「南ヤクート石炭開発」「シベリア森林開発」「ヤクート天然ガス・石油開発」「樺太天然ガス・石油開発」の四大プロジェクトが開始された。その見返りであるはずの、日本への北方領土返還は立ち消えになった。
2、『レーニン全集』、大月書店。
3、ヤルタ協定にある「(米英ソの三政府は、)住民のすべての民主的勢力を広く代表し、かつ自由選挙によって民意に応える政府を可及的すみやかに樹立する…」を指す。
4、米英ソの三政府が調印したヤルタ協定は、ヨーロッパ占領地に関する戦後処理の公開協定。一方、ヤルタ秘密協定は、日本と満洲に関する戦後処理の非公開協定で、米英ソの政府としては関与せず、ルーズベルトとスターリン二人の個人的な了解メモランダム。中川八洋『尖閣防衛戦争論 』第八章、を参照のこと。
5、木村汎「ロシアが目論む<三島+α>返還」『VOICE』二〇〇五年五月号。
6、岩下明裕『北方領土問題―4でも0でも、2でもなく 』、中公新書。
第三節
1、『北方領土の地位―千島・樺太をめぐる諸問題』、南方同胞援護会、三九一頁。
2、『NHKスペシャル これがソ連の対日外交だ―秘録・北方領土交渉』、NHK出版、一四〇~二頁。
3、一九五六年五月の日ソ漁業協定第八条は、「この協定は、日ソ平和条約の効力発生の日または外交関係の回復の日に効力を生じる」とある。
4、一九五〇年や一九五二年の頃は、「領土返還」とか「千島全列島復帰」を決議していた北海道議会が、一九五五年三月十七日に決議した、その決議文のタイトルは「日ソ国交調整に関する決議」へと、“北方領土はどうでもいい”になっていた。
5、一九八二年に収集した資料がすべて紛失したので、現在、再収集中。
6、同上。
7、同上。
8、東大を始め、当時の日本の知識層に決定的な影響を与えた雑誌は、『世界』と『中央公論』の二誌。一九五五~六年の両誌のキャンペーンの特性は、まず①吉田茂ら外務省を中心に根強かった対ソ交渉危険論(警戒論)を排除すべく外務省を孤立化させるキャンペーンを展開。実際、執筆者は、著名な極左人士一色で、領土奪還を考える通常の人士はほぼ完全に排除された。次に、②交渉が始まるや、ソ連側の言い分に従い、「北方領土返還」をロー・キー化し、「国交回復」をハイ・トーンでキャンペーンした。③北方領土がまったく返還されない外交上の全面敗北の責任者・鳩山と河野に対する国民の批判を封殺すべく、両氏を擁護する詭弁キャンペーンを展開。日本のマスメディアが、ソ連の支配下にある現実を露骨に明らかにしたといえる、両誌の分析は、別稿で発表したい。
第四節
1、木村汎「ロシアが目論む<三島+α>返還」『VOICE』二〇〇五年五月号、一四一頁。