筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
前稿「“《侵略の皇帝》プーチンの犬”安倍晋三の制裁こそ正義(Ⅱ)」の末尾で、「北方領土の日」が2月7日に定まった経緯を簡単に触れた。
ブログを読み返して、手短かな個人的回想メモでしかないと深く反省した。1980年暮れ、私や自民党の「保守」国会議員(備考)が、宮澤喜一官房長官(首相は鈴木善幸)と激闘して敗れた「事件」は、完全に純粋な学術論争であった。いささかも「永田町政治」は加味されていなかった。記録としてここに残すのは、この「北方領土の日」学術論争が、今も/これからも、日ロ関係史・対ロ外交史に裨益すると同時に、日本国民が祖先から相続した(今もロシアに侵略され続けている)「北方領土」を無条件奪還するに不可欠な基本知見が凝集しているからである。
(備考1) 自民党から「保守」国会議員は、1990年代半ばには完全に消えて一人もいなくなった。安倍晋三や稲田朋美/山谷えり子などは、「保守」とは天と地の差異がある、「保守」とは異質な「民族系」国会議員である。「保守」とは、戦後日本では、昭和天皇/吉田茂を源流とする「反共/反露/親英米/市場経済重視」を根幹とするイデオロギーに立脚する日本人を指す。要するに、バーク的な正統保守主義やハイエク的な反・統制経済などが日本政治の要諦であるべきと考える信条を持つ“真正の日本国民”だけが「保守」である。
(備考2) 日本語「保守」は、戦後、「革新(=日本を社会主義に革命する)」の対置語として造語された。一般的には、“反・社会主義/反・共産主義”の「反・社共」の意味で使用された。また、「反共・反ソ」人士を指す言葉でもあった。1955年「保守合同」で自民党が結成された時、自民党を「保守」と謂ったのは、自民党の党是が“反・社会主義/反・共産主義”だったからである。
四つの選択肢で紛糾した「北方領土の日」
奪還の悲願を込めた「北方領土の日」はいつがベストかと問われば、誰しも、表1のリスト四つのうちどれを選択すべきかだ、とは理解する。問題は、どれがベストで、どれがワーストかだ。
表1;「北方領土の日」として議論された四案
「北方領土の日」として選択さるべき日が、北方領土が侵略され占領されるに至った、ソ連の日ソ中立条約侵犯での対日戦争開戦日8月9日であるべきは、議論の余地のないもの。ところが、1980年年末、宮澤喜一官房長官は、それはロシアに自分の侵略を想起させるから、刺激が強すぎると、「8月9日」に強い難色を示した。
侵略した事実を突きつけない限り、国際法に従っての、敵国の侵略行為で喪失した固有の領土奪還などできるはずもない。そもそも、領土返還要求それ自体が「相手国を刺激すること」だから、「刺激が強すぎる」という論自体、はなはだ自家撞着の妄言で成り立たない話ではないか。だが、宮澤喜一は、頑として聞き入れなかった。
そこで、妥協として、日ロ間の領土(国境)が安定的に確定した、日露戦争終結に伴う、米国ポーツマスでの日ロ講和条約の締結日にするほかないとし、また、講和なのだから、これを忌避することはあるまいと考えた。が、唖然とすることに、宮澤喜一は、これにも反対した。理由は、この9月5日だと、「日本は南樺太も千島列島も返還要求するかに見える」から、ロシアを刺激しすぎる、と。
何ということだ。ロシアの対日侵略がなければ、南樺太も千島列島(=クリル諸島、備考)も日本の領土であり続けている。当然、これら全部の返還を要求したときのみ対ロ外交の法理に瑕疵がなく、日本の法的正義性を闡明できる。しかも、これら全部の返還要求をするから、日本が最後に国後・択捉島だけでよいとすれば、ロシアは南樺太とクリル諸島を獲得できた=「領土が拡大」したと、その外交的大勝利を国内で説明ができる。ロシアの顔が立つことにもなる。
備考;宮澤喜一は、「千島列島」は国後島・択捉島を含まないのを知っていた。腐っても東大法学部卒ということ?
プーチンは、対ロ全面敗北の“外交白痴”川路聖謨を騙し尽したプチャーチンを模倣
宮澤喜一が執着したのは、なんと2月7日のみ。つまり、下田条約の締結日であった。理由は、日本が外交的に全面敗北した日だから、ロシアを刺激しない、と。
表2;対ロ売国奴たちの末路──日本を守る神仏が下す天罰か
(備考)表2は、未完成
だが、川路聖謨は、日本の対ロ売国奴の第一号である。この川路が外交で大失敗した下田条約締結の日を「北方領土の日」とすることは、日本が再び対ロ交渉で敗北するのを日本自身が祈念することではないか。「北方領土の日」とは、“盗んだものは返せ”が趣旨だから、ロシアが盗んだ日にするのが唯一に理に適う。これがどうしても困るというなら、わが日本が誇る“偉大な外交官”小村寿太郎によって対ロ外交がぎりぎり成功したポーツマス講和条約の締結日しかない。
今日の日本人のほとんどが劣化して歴史に無知になったことを勘案すれば、プチャーチンに手玉に取られた“世紀の外交音痴”川路聖謨の下田交渉を、簡単ではあるが、振り返っておかねばなるまい。特に、プーチンが、勝海舟や小栗上野介ほどではないが、江戸幕府(日本政府)の中では目立つ秀才だった川路聖謨を巧妙に籠絡したプチャーチンを模倣しているので、プチャーチンの騙し方を学ぶことは、プーチンのロシアに騙されないための初級コースといえるからである。
歓待と紳士的振る舞い──日本人を騙すときのロシア特有の常套演技
プーチンが、ソチで2014年2月8日、高級キャビアをふるまって安倍晋三を籠絡するのに成功したが、これはプチャーチンが旧暦1853年12月、長崎で日本政府の川路聖謨・次席全権(備考)を籠絡していく時のやり方とそっくりである。
備考;首席全権は大目付の筒井政憲(77歳)だが、実態的には川路が全権大使。当時の幕府の職制語では「応接掛」。
プチャーチンは、長崎港内に停泊する旗艦パルラダ号に川路聖謨を訪問させると、まず武器貯蔵庫などを見学させ、続いて西洋料理のフルコースをふるまった。プーチンが安倍晋三を洗脳していくやり方とそっくりなので、少し長いが引用する。
「酒はフランス国のブドウ酒なり。同かん酒。おわりに、良きにおいの甘き栗もりに似たる酒なり。肴は数ことに多し。米をホヲトロにて煮たるに、鶏の出汁をかけたる鯛を魚の出汁にて給べる。牛・羊・鶏・卵の類、また野菜の酢の物…菓子はカステラの類、葛餅、ならびにうどんの粉にて作りたるものなり。・・・・・」(注1、仮名・漢字の一部は現代語化)。
しかも、ロシアとの外交で決してしてはいけない、高価なお土産を日本側は手渡した。これが、致命的に日本側の外交敗北を招くことになった。筒井・首席全権は、料紙箱/硯箱/三所物/絵蝋燭。実質日本政府代表だった川路聖謨は、2尺6寸の次郎太郎直勝が打った名刀。その縁頭、鍔、目貫が桜模様の金蒔絵。その鞘は、青貝・桜の蒔絵(注1)。
この川路のお土産が日本刀であったことは、当然、日本の対ロ友好親善の証と目された。このことは、ゴンチャロフの同行記録『日本渡航記』(岩波文庫)からもわかる。そして、ロシア人にとって“友好親善”は「属国になります」の意味だから、外交姿勢がより強硬になる。日本は“ロシアの属国”になりますと態度で示したのだから。
しかも、日本の武士の立ち居振る舞いの高雅さから、プチャーチンは、上品に振舞っていれば、日本を「押しまくれる」「騙せる」ことを喝破した。これがアングロ・サンクソンとの違いである。英米は、日本人(武士)の礼節の高さに感動し尊敬するに至った時、自分たち文明社会の上流階級の仲間に扱うべきだと考え、率直かつ略礼的となった。川路は、前年のアメリカ人ペリー提督とプチャーチンのマナーの相違から、米国とロシアの対日行動/野心を逆さに誤解したのである。
川路聖謨は、学校秀才型で、異質な他民族の人物を洞察するに表面しか辿れない。一方、小村寿太郎や吉田茂は、人間力が抜きんでて居て、ロシア人を言葉や表面では見ず、ロシア人が必ず秘めている獰猛な侵略野望の内心までも透視した。ロシアは標的を襲う前に揉み手をしたり謙虚であるかに振舞う。標的国を油断させるためである。これこそがロシア民族の永遠の民族文化で、十三世紀にモスクワ公国としてロシアが誕生して以来、これまで五百三十年もの間、変わっていない。
川路聖謨の知力は勝海舟より1ランク低い、安倍晋三は川路聖謨より3ランク低い
今、日本の総理は安倍晋三だが、何らかの精神上の欠陥から、自分を「経済天才」「外交天才」だと妄想している。最終的には日本を財政破綻に突入させる「アホノミクス」を「アベノミクス」と自画自賛して恍惚となっていることで、この事は語るまでもなかろう。
安倍の外交は、総理になって三年も経ちながら、北朝鮮から拉致被害者を一人も奪還できないことで、ずば抜けた外交無能であることは、既に充分に証明済み。そんな外交白痴の安倍晋三が、人類の歴史上、いかなる国家いかなる民族よりも外交に長じた“外交天才”ロシアとの交渉で、祖先から相続した日本としては譲れない固有の領土を奪還できるはずもない。ロシアとの外交力では、あの米国ですら連戦連敗しているのである。
しかも安倍晋三には、謙虚さもなければ、自分を冷静に客観視することがない。安倍晋三よ、自分について、川路聖謨より知力・胆力を含めて外交能力が上か下かをとくと見つめてみよ! 川路は幕閣ではそれ相当に目立つ秀才であった。そんな川路ですら、プチャーチンに惨憺たる外交敗北をしたのである。川路より3ランクも頭が悪い“滑舌芸人”に過ぎないのに、どうやってプチャーチンを超えるロシアきっての大秀才プーチンと対等に渡り合えるというのか。
プーチンが北方領土を外交交渉のテーブルに乗せたということは、“ポスト北方領土の対日侵攻”の準備に入ったということである。ロシアからの領土奪還は、レーガン大統領がアフガニスタンと東欧を奪還したように、“無交渉の交渉”が対ロ外交の極意である。
ロシアは、交渉してくる国家には聊かも妥協はしないが、交渉しない国家には、自ら一方的に妥協する。これこそが、ハーバード大学のリチャード・パイプス教授と中川八洋が、永年のロシア研究から得た“ロシア対外行動の核心”である。
注
1、川路聖謨『長崎日記・下田日記』、東洋文庫124、平凡社、70~74頁。