“「対ロ/対中」売国奴三代”河野太郎(「原発ゼロの会」)は、日本の領土・国土・経済を中ロに献上し、経済力と国防力すべてを失い窮乏と絶望の地獄の淵で日本民族が絶滅するまで、その共産革命に爆走し続ける

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

(本稿の初出は2012年10月刊の『撃論』第七号。同年12月刊の『原発ゼロで日本は滅ぶ』第五章に再掲)

 日本では、こまったことに、“祖国破壊の「反日」政治家”が、大量に繁殖している。彼らは、国会議員や地方の首長ポストを牛耳り、「反日」テレビ・新聞と連動して、善良な国民を、国家衰落の共犯者へと囃したて洗脳する。

 数でいえば、これら有害国会議員は少数。しかし、一般常識をいまだ失っていない多数派の政治家は、テレビ・新聞からの洪水のような「脱原発」報道に恐怖して、“沈黙の羊”を選択したから、有害政治家が乱舞する暴威は、阻止することが困難な情況。

 祖国の経済を根底から破壊せんとする有害政治家の行動を狂気とすれば、無為と無能の日々しかない凡庸な多数の政治家は、いわゆる“アホ・バカ・無責任政治家”というほかない。かくして日本の政治は、ミニ・ヒットラー型の悪の政治家と“アホ・バカ・無責任政治家”とが熱くダンスする(「ダンス・マカブル」)、おぞましい酒酔い劇場のそれとなった。

 それはともかく、ここでとりあげるのは、この“祖国破壊の「反日」政治家”の一人、河野太郎・衆議院議員である。「福島第一」原発事故を好機とばかり、「一九六〇年の安保反対!」の共産革命騒動を再現する、日本共産党を軸に中核派・革マル派らが連合する“「脱原発」運動による日本共産化革命”に、河野太郎は馳せ参じ、国会一の過激な「脱原発」旗振り男になった。

 2011年11月出版の河野太郎著『原発と日本はこうなる』というキワモノ悪書は、共産革命へのアピール本。河野太郎は所属政党を間違えて奇怪にも自民党議員だが、コミュニスト(党籍ある共産党員以上に共産党員)の本性がフル稼働している本書は、河野太郎の本籍が共産党なのを暴いている。

「原発ゼロの会」は、脱原発で連帯する極左国会議員の“共産革命同志会”

 2012年3月、超党派議員の「原発ゼロの会」が発足した。それを新聞・テレビは、異様やたらに持ち上げて過剰を超える報道をなした。だから、国会議員数は七十~八十名ぐらいはいると誰しも思った。しかし、議員数がまったく報道されないので不審に思い調べると、たった九名。しかも全員、国会から追放されるべき札付きの極左「反日」の議員ばかり(下記の「備考」参照のこと)

 要は、新聞・テレビは、議員立法の提出もできない、泡沫数の九名という事実を、国民に知られないようにすべく、「超党派の議員の会」とだけ報道して、意図的に決して人数を言及しなかった。朝日新聞やNHKや民放テレビは、ファッシズム狂の“反日極左”偽情報垂れ流し機関である。

 特に、NHKはヒトラー礼讃ばかりを報道した(国民に対する情報統制の)ナチ体制のドイツよりひどい。NHKも朝日新聞も、その報道は全て内部の共産党細胞が検閲し、共産党の指示命令に従ったものしかニュースとして流すことはできない。これに関しては、万に一つの例外はない。すなわち、「原発ゼロの会」煽動報道は、明らかに犯罪であった。

 しかも、この九名のうち自民党議員は、党内で「極アカ!」と呼ばれる、悪名高い河野太郎と長谷川岳(参議院議員、共産党系の「ソーラン祭り運動」の主催者)だけ。つまり、「原発ゼロの会」のメンバーである事由において、自民党は、河野太郎と長谷川岳を自民党から除名処分すべきだろう。

 また、「原発ゼロの会」の事務局長は、社民党のマルキスト阿部知子。「原発ゼロの会」が、“反日の議員団”なのは、このように余りに明白。なお、阿部知子の本籍は、「フロント社会主義同盟」(1962年、日本共産党から分派した「統一社会主義同盟」が母胎。1970年に「日本共産主義革命党」と名称変更。現在のは1987年の再改名)である。

(備考)2012年6月時点の「原発ゼロの会」は、自民党;河野太郎/長谷川岳。民主党;近藤昭一/逢坂誠二。日本共産党;笠井亮。社民党;阿部知子。公明党;加藤修一。みんなの党;山内康一。新党きずな;斎藤やすのり。なお「原発ゼロの会」は、2021年6月3日、「原発ゼロ・再エネ100の会」に名称変更。「100」は「100%」のこと。

 「原発ゼロの会」の提言「原発危険度ランキング表」も「原発二十四基の即時廃炉アッピール」も、共産党員・飯田哲也など“札付き〈脱原発〉運動家”たちのデタラメ主張をそのまま複写したもの。こんなデタラメを鵜呑みするとは、河野太郎が狂気に遊んで、まともな国会議員ではない証拠。

 すなわち、「原発ゼロの会」の提言は、ソ連全土に良心も科学も存在させなかったレーニンやトロツキーを髣髴とさせる。一瞥の価値なき、国民を騙すためだけの共産革命と同じアジ・プロ(煽動・嘘宣伝)をふり回して暴走する国家は、近未来に確実に破局が到来する。日本国の死滅は間近い。

 なお、上記の“札付き〈脱原発〉運動家”たちとは、悪名高い「共産革命運動家」飯田哲也/伴英幸/植田和弘/金子勝らのコミュニスト諸氏を指す。河野太郎の最側近は飯田哲也。

“河野太郎の祖父”河野一郎は、「戦後日本の“売国奴”」第一号

 こんな極左デマゴーグたちとスクラム組んで、“日本経済つぶし”に躍起になっているのが、コミュニスト河野太郎。しかし、一般の人々は、河野太郎を、自民党議員だからコミュニストではないと即断的に思い込む。「無学と先入観は、人間から判断力を奪い白痴化する」ものだが、これはその好例。

 だが、河野太郎とは、スターリンを崇拝した狂信的な共産主義者で、ソ連KGB工作員だった河野一郎の孫。しかも、毛沢東崇拝・金日成崇拝のコミュニスト河野洋平を父に持つ。すなわち、河野太郎は、“祖国日本への憎悪”を背景とする三代にわたるコミュニストの家系を継ぐ、札付きの共産主義者。自民党から当然に除籍・追放すべき、そのような“非・自民党の国会議員”である。

 河野太郎の祖父・河野一郎は、戦後すぐ日本自由党(鳩山一郎総裁)の結党(1945年11月)に奔走しつつ、閑を見つけては露骨にマルクスの諸著作をむさぼり読み耽った(四十七歳)。「日本はスターリンのソ連の属国になるべきだ」と信念において、保守を擬装する共産革命戦士になるためだった。

 戦前すでに河野一郎は、一九二六年に始まる日本でのマルクス/ブハーリン/レーニンの大ブームの中で共産主義思想のシンパだった。加えて、彼が(尾崎秀実や田中慎次郎などのスターリン/ベリヤ系の共産主義者が支配する)朝日新聞社に勤務したことで、これに磨きをかけていた。戦後すぐ河野一郎は、共産革命政権を夢想した。が、GHQ(反共の米国占領軍)が駐屯する情況で、共産政権の樹立が容易でないことを見抜き、日本自由党の政権をつくり、手っ取り早く権力につき、“上からの共産革命”の道を目指した。

 紆余曲折の数年を経てからだが、自由党総裁の吉田茂は、河野一郎が、石橋湛山とともに、親ソ/親・中共の狂信的コミュニストで、しかもソ連や中共と通謀しているのを知り、両名を1952年9月、自由党から除名した(ノンポリだが河野一郎の親友・三木武吉がとりなし、十二月に除名取り消し)

 河野一郎が構想した日本共産化の道程の前半分は、まず北方領土をソ連に渡し、ソ連の北海道侵攻をより容易にする。次に、ソ連が占領した北海道に東欧諸国と同じ共産政権を樹立し、日本から分離する。場合によっては、北海道をソ連邦の第十六番目の共和国にする。

 一方、“外交音痴の超バカ政治家”鳩山一郎が、総理・吉田茂が1954年12月に下野して、棚ぼた式に総理になった。ソ連にとって日本から主権剥奪するチャンスが巡ってきた。“ソ連人”河野一郎が、鳩山内閣の農林大臣(産業の半分が農業と漁業であった当時の日本では、大蔵大臣に次ぐ最有力ポスト)に就任したからである(1954年12月~56年12月)

 鳩山一郎とは、“嘘プロパガンダ”「米ソの全面戦争近し」などと流す親ソ系の朝日新聞報道を鵜呑みにし、「日本がソ連と国交を持てば、米ソによる第三次世界大戦を防止できる」と信じる、小学校一年生の女児と同程度の国際感覚しかなかった。ソ連がこの好機を逃すはずも無く、旧ソ連政府代表部に残る“たった七名のボス”ドムニツキーやソ連工作員の杉原荒太(吉田茂が免職した白鳥敏夫一派のソ連工作員)に洗脳され使嗾されるままに、鳩山一郎は日ソ国交回復の交渉を開始した(注1)

 このとき、“日本最高のソ連通”吉田茂は、「対ソ外交交渉などしなければ、ソ連は、国後島・択捉島だけでなく、(得撫島以北の)千島列島も必ず無条件で返還する。南樺太を返還する可能も高いのに!」と、無念の唇を咬んだ。中川八洋の“対ロ無交渉の交渉”を実践していた吉田茂の北方領土奪還策は、この鳩山の対ソ交渉開始によって、一瞬で崩壊した。1956年末までの日本では、「北方領土」とは、国後・択捉・千島諸島・南樺太の全域を意味していた。1955年の春、外務省がそれらの奪還を目指す意気込みで造語した外交用語である。

 吉田茂が実践していた“対ロ無交渉の交渉”は、次の情況をフル活用したもの。日本は1952年4月28日に主権回復した。この日をもってサンフランシスコ講和条約を締結した米国などは、即座に東京に大使館を設置した。しかし、ソ連はグロムイコ全権が講和会議から1951年9月、憤然と退場するお粗末外交をしたお蔭で、この1952年4月28日をもってソ連政府代表部は日本に不法残留する非合法組織となった。

 ために、日本からのアグレマンが出ず、外交官の補充ができなくなった。だから、かつて約九百人いたソ連政府代表部のソ連人は(注2)、1954年12月現在、百分の一以下の七名になった(注3)。吉田茂は、外務省の側近に「対ロ交渉は、あと二年待て! 1956年末には狸穴はゼロ名になるから、この時、ソ連は必ず“鴨が葱を咥えてやってくる”」と厳命した。

 要は、ソ連の方から、「国交を回復してくれ(=「大使館を設置させてくれ」)。代わりに、国後島・択捉島だけでなく(得撫島以北の)千島列島も必ず無条件で返還する」と懇願してくるはずだと、吉田茂は正確に予見した。「場合によっては、南樺太も返還する」可能性があると、吉田は予想した。

 以上は、曽野明に私が、私の《1955~6年、対ソ無交渉作戦》を説明した時、「親父(吉田茂)もそう言ってたよ。中川君と吉田茂はまるでクローンだな」と曽野明が裏書きしたので、史実と見做してよい。

ブルガーニン首相と密約を交し河野一郎が暴走・締結した「1956・5日ソ漁業協定」

 話を、“空前絶後の対ロ売国奴”河野一郎に戻す。河野一郎は、ソ連と通謀するばかりか、心底から「ソ連人」(売国奴)であったから、ひたすら北方領土をソ連に貢ぐことと自分の懐にたんまり金を入れる算段ばかりしていた。この妙案が、日ソ漁業協定(1956年5月14日調印)を国交回復(1956年10月)の前に締結すること、及びその中に、密約を第八条第一項として明記することだった。

 しかし、これをやるには、外務省を排除しなければならない。そこで、河野一郎は、外交の禁じ手を犯し、外務省抜きの河野一郎単独の秘密交渉を決行した。

 この「密約」とは、「国交回復をしない限り、日本は、オホーツク海での北洋漁業へ出漁できない」というもの。この内容は、余りに“反日”すぎ、ソ連ですら持ち出せないシロモノだった。しかし河野一郎は、全権の立場を悪用し、政府訓令を無視し、個人的にソ連に提案した。ソ連側が驚きつつも大歓迎したのは、いうまでもない。1956年5月9日であった。

 ソ連側は、のち、ブルガーニン首相の通訳アディルハエフが、自国に叛逆する河野一郎について懐古している。必ずしも正確ではないが、河野一郎が日本国に叛逆した売国奴だった事実については、的確に述べている。

「河野は、日本側が国交回復の交渉に応じなければ(=日本側が北方領土の返還要求を引っ込めること)、漁業協定は調印できないと、ソ連側から日本側に圧力をかけて欲しいと、ブルガーニン首相やイシコフ漁業相に要請した。……河野の提案にブルガーニンは驚いた。なぜ自国を貶めてまで(自国の国益を毀損してまで)ソ連側から圧力をかけて欲しいと頼むのか」(注4、丸カッコ内中川)

 河野一郎の密約によって、日ソ漁業協定の第八条の一は、「この条約は、…外交関係の回復の日に効力を生じる」となった。これによって、日ソ間の国交が回復しない限り、日本の北洋漁業の漁民は出漁できないことになった。このため、祖国や国益よりも利益と食うことのみに熱心だった日本の水産業界と貧しい漁民は、一丸となって「領土より魚!」の大合唱を起こし、外務省と鳩山一郎首相に対して「北方領土など、国交回復の後に交渉しろ!」の巨大な圧力をかけるに至った。国益を蹂躙する反・外交のトンデモ出口論が北海道漁民から湧きあがったのである。

 1955~6年の対ソ交渉は、ソ連からではなく、このように国内の圧力団体とさもしい日本人たちに粉砕されて全面敗北した。ロシアと河野一郎が共謀して、そうなるよう日本側をがんじがらめに檻の中に追い込んだためである。なお、当時の北海道漁民の貧しさは、その子供たちの多くが昼弁当を学校にもっていけない「欠食児童」だったことからも理解されよう。

 なお、河野一郎が犯罪的な「密約」を、ブルガーニン首相と単独三時間秘密交渉でするに当って、河野一郎は、随行してきた外務省の新関欽哉・参事官を、ブルガーニン首相らが待つ部屋の前で物理的に叩き出した。新関欽哉は、こう述懐している。

(私は必死になって)ブルガーニンの部屋に入ろうとしたが、河野代表に(力づくで)阻止された」(注5)

 民主党政権が2009年秋に政権の座を掌握するや、隠れ共産党員・岡田克也・外務大臣は、共産党の命令のまま、「沖縄密約」を暴くことに全力投球した(注6)

 それは日米関係に楔を打ち込み、日米同盟にひび割れを入れんとするものだったが、戦後の日本外交における、最悪の不祥事件というべきだろう。しかも戦後の日本外交史のなかで、“密約の中の密約”は、何といっても河野一郎の「日本が北方領土放棄をせざるを得ない」日ロ漁業協定密約(第八条第一項)であろう。「河野密約」を、歴史学的に、また外交史としての検証と精査をせずして、日米間の密約を騒ぎ立てること自体、日本国を毀損する悪の底意なしにはできない本末転倒。

 それはともかく、河野一郎は、この北方領土の返還妨害の見返りに、ソ連から(当時の金で)二十億円(現在価額では六百億円以上)を手にした。ソ連は(当時は大企業であった日本の)北洋漁業のいくつかの企業に、協定とは別枠でふんだんに魚を獲らせ、それらの売り上げ代金を河野一郎のところにせっせと運ばせた。つまり、ソ連は自分の金を一ルーブルも使わず北方領土の自国領編入に成功した。

 なお、自民党の初代幹事長・岸信介は、北方領土の奪還を妨害しているのは河野一郎・農林大臣だと喝破し、モスクワから帰国後の河野一郎の農林大臣室に押しかけ(1956年5月末)、首を絞めあげたという。この噂、おおむね事実のようだ。

媚中外交の「超・反日」に生きた“毛沢東崇拝の狂コミュニスト”河野洋平

 河野洋平は、河野一郎の次男。河野洋平が、異常なほど「反日」なのは、つとに衆知だから、わざわざ指摘するまでもない。が、二つだけ復習する。第一が、朝鮮人の従軍慰安婦問題。第二が「遺棄化学兵器処理の対中覚書」事件。

共産党製の“真赤な捏造嘘”「従軍慰安婦強制連行」説を熱烈支持した河野洋平

 「戦場公娼」のことを、いつしか日本では、「従軍慰安婦」という。戦場の陸軍病院の「従軍看護婦」から連想的に創られた言葉のようだ。今では、この偽造された嘘歴史が“世界の常識”になってしまった。アメリカには在米韓国人によって「sex slavery」の銅像まで建てられている。これらのすべての原因が、“反日の共産主義者”河野洋平の(宮澤内閣の)官房長官時代の「河野談話」(1993年8月)に発しているのは、言うまでもなかろう。

 そして、河野洋平が“捏造”「コリアン従軍慰安婦の強制連行」説を政府見解とした延長上に、この歴史偽造を歴史事実だと後押しした日本政府のトンデモ行為が続いた。マルキスト村山富市・首相が「女性のためのアジア平和基金」を設置したからである(1995年7月)。この基金は、(ほとんどが共産党員の親族で、演技上手の)「アジアの元・売春婦を詐称する老婆たち」に金のバラマキを行なった。しかし、このカネのバラマキが、“真赤な嘘”「従軍慰安婦の強制連行」説を、さらに一段と揺るぎない不動の歴史事実へと昇格させた。

 しかも、この「歴史の偽造」の否定と変更を期待されていた“高い人気を誇る民族系政治家”安倍晋三は、総理になるや、「それは歴史事実である」を意味する、修正も否定もしない旨を明言した。2006年10月だった。この瞬間、「河野談話」は、国際的に歴史の事実になった。安倍晋三とは、河野洋平と同罪であり、「従軍慰安婦」歴史偽造の共同正犯である。

 河野洋平の今日だが、1993年の官房長官としての嘘解釈を反省するそぶりも見せていない。約十四年を経た2007年3月の時点、河野洋平は「強制連行はあった」と、前説を変更する考えのないことを明らかにした(注7)

 「“真赤な嘘”従軍慰安婦強制連行」説は、もともと共産党員の吉田清治によって捏造された。しかも、吉田清治著『私の戦争犯罪──朝鮮人強制連行』(1983年刊)は、見え透いた創り話なのが誰でもわかる粗雑なトンデモ本。だから、出版当時、それをとりあげて非難するのは馬鹿馬鹿しく、誰しもが軽蔑して無視した。私もその一人。

 だが、このトンデモ悪書の出版から十年、“反日の悪魔”河野洋平という官房長官の出現によって、吉田清治の大法螺話は歴史事実となった(1993年)。噴飯物の駄本であっても、嘘つくことを信仰告白として義務づけられている共産党員の出した出版物に関しては、目くじらをたてて、一冊残らず絶えず粉砕・排撃しておくことが、真正の愛国行為である。これこそ、吉田清治の真赤な嘘本を放置・等閑視したことで発生した“日本の国家に対する致命的毀損の大事件”から得た教訓ではないか。

 なお、「アジア女性基金」問題を含む、1990年代の従軍慰安婦問題については、拙著『歴史を偽造する韓国』第十章(注8)が基本教科書として推奨できる。一般啓蒙の評論には、渡部昇一のエセーが優れている(注9)

“遺棄していない化学兵器”を「遺棄した」と、歴史を偽造し日中協定にした河野洋平

 河野洋平がなした、日本国を毀損した、国家叛逆の暴虐な外交には、もう一つある。

 1999年7月に締結された「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する日中覚書」は、極度な嘘に基づく協定で、この理不尽な覚書を締結したのが、小渕内閣の河野洋平・外務大臣だった。

 具体的に言えば、日本は、中共の領土内に、兵器は何一つ遺棄していない。これが厳然たる歴史真実である。なぜなら、すべての兵器は一つ残らず、化学兵器を含め、敗戦に伴い、国際法に基づく武装解除を通して交戦国のソヴィエト・ロシア軍(ソ連軍)や支那の諸軍(蒋介石の国民党軍と毛沢東の人民解放軍)に完全に渡したからである。

 しかし、河野洋平は、「日本軍が大量に化学兵器を支那に遺棄した」との嘘歴史を主張する中共に同意した。こんな嘘に同意すれば、1997年に発効した新・化学兵器廃絶条約の第一条第三項に従って、廃棄国の日本は、これらの処理を代わりに行なわなければならない。

 かくして、日本は、約一兆円にのぼる税金を国民から絞りとり、支那国内の化学兵器の処理を行ったのである。しかも、河野洋平は、ここでもさらに、中共が持ち出したベラボウな第二の嘘にも積極的に合意した。化学兵器でないものまで化学兵器と定義してあげたのである。河野洋平とは、骨の髄まで“中共の犬”。河野洋平には、共産主義者特有の性向だが、日本人という意識が皆無。

 すなわち、新・化学兵器条約第十七条が化学兵器でないと定めている発煙筒を「化学兵器」だと詐称してあげ、発煙筒57万3640本の処理を中共に代わって日本のカネでやってあげた。このため、仮に化学兵器の方は遺棄したと仮定しても、その数は十一万八千本だったのが、一気に六倍の「七十万本」になった(注10)。すなわち、河野洋平は、日本人の税金を中共にジャブジャブと湯水のごとく棄てる「反日」「売国奴」外交を、外務大臣の権限で実行した。河野洋平こそは、父親の河野一郎に劣らぬ“凶悪な売国奴”。洋平を日本国に今後もいさせ続けるとすれば、日本国の死滅は不可避。

 なお、日本が旧満洲に建造した、河野洋平献上の化学兵器解体・無毒化工場は、その後、最新鋭の化学兵器生産工場に改造され、今、フル稼働している。河野洋平は、日本が加盟する化学兵器禁止条約に違反して、中共に最新鋭の化学兵器生産工場の母胎を献上した。いずれ、この河野洋平・中共の「共同生産」による化学弾頭が、日本人に雨霰とぶち込まれ一千万人ほどが殺戮される日が来るだろう。日本国民の生命を守るに、国会はその最小限の責務として、河野洋平を死刑にする立法をすべきであろう。そうしないなら、国会こそは、日本人皆殺しの先頭に立っている。

国会からも内閣からも、“悪の血脈”「河野一郎→洋平→太郎」を絶て!

 河野太郎は、上記に挙げた、祖父「一郎」の犯罪や父「洋平」の犯罪を糾弾したことが一度もない。河野太郎もまた、確信犯の“反日の悪魔”として生きることを決意している。そんなトンデモ政治家の河野太郎がリードする「原発ゼロの会」が、日本国を裨益することなど万が一にもありえない。自明。

 河野太郎は、「原発ゼロの会」の提言より半年前の2011年11月、素人であるのをいいことに、嘘、嘘、嘘の荒唐無稽なデタラメ満載の悪書『原発と日本はこうなる』を出版した。たとえば、その第四章には「再生可能エネルギーで電気は全てまかなえる」とある。笑止というより、自民党の国会議員でここまで真赤な嘘を国民に垂れ流すとは、唖然とするほかない。“嘘つき売国奴”河野家の血の恐ろしさをまざまざと見せつける。

 第五章のタイトルは、「日本が世界を救う新エネルギー」とある。「日本が世界を救う」とは、意味不明の極み。オウム真理教の麻原彰晃のカルト的な狂気の戯言と同じ。正常な人格を有さない河野太郎は、どうも正常な思考がまったくできない。

 日本の必要電力は、原発なしでは賄えない。原発に変わる代替発電の手段は、何一つ存在しない。新エネルギーや再生可能エネルギーは、原発と同じように確実で安価な電気を生産できない。

 これからの日本は、電力の不足と電力料金の高騰から、経済の衰退が加速してゆくだろう。日本国民の生活は、急激にもっと貧しくなるだろう。これからの日本に到来するのは、世界が日本を侮蔑し嗤う事態である。そんな没落する日本が、どうして「世界を救う」のか。河野太郎は、正気ではない。

 要するに、河野太郎は、現実を無視して、口からでまかせの夢想と大法螺を吹いているだけ。たとえば、すでに頭打ちの地熱発電が無限に伸びるとか、風のない日本なのに風力発電が有望だとか、日照時間が少なく太陽光パネルの設置場所を欠く日本で太陽光発電がバラ色の未来をもたらすとか、あらん限りの非・科学/非・技術的な、現実無視の暴論と創り話を散りばめているだけ。これでは、カルト宗教の洗脳宣伝だし、詐欺師の騙しそのもの。河野太郎は、国会議員を辞しても、オウム真理教の代行教祖にすぐなれる。

 「原発ゼロの会」が、専門家として呼んだ、共産党員の飯田哲也にしても、共産党員の植田和弘にしても、エネルギー問題のズブの素人。いわんや、日本が必要とする供給発電量について基礎知見すらまったく無く、その計算などできない。そんないかがわしい連中とつるんで、河野太郎は日本経済をつぶし、国民を貧困と暗黒に導く狂気の道を驀進している。

 河野太郎を、国会から追放すること、少なくとも自民党議員から除名すること。これこそ、電力不足による国家衰退という危機から日本国を救うために、避けてはいけない日本の最優先事項。これからの日本経済の発展と豊かな日本国民の生活にとって、日本の必要電力の五十%を原発が担うことが肝要で不可欠である。「2030〜40年、原発五十%」こそ、日本が選択すべき最も合理的で安全確実なエネルギー政策である。原発の新増設十五基も躊躇ってはならない。

 

1、松本俊一『モスクワにかける』、朝日新聞社、15~9頁。この「虹」は逆だろう。不適切表現の極み。正しいタイトルは、『モスクワが日本の首に巻きつけた』。

2、スウェリンゲン『東京とモスクワの断層』、世紀社、79頁は、「ソ連政府代表部のスタッフは530人、及び、その補助職員が172人で、合計702人」としている。米国諜報機関の情報では、ほとんど900人だったとある。702人の数字でも、「1954年12月←1952年4月28日」のたった二年間で、百分の一の7人になったのである。ソ連こそ国交回復(=対日謀略機関の大使館設置)に焦っていた。日本はこのソ連の弱みを活用できるから、この時の日ソ間の立場は日本が優位にあった。いかに鳩山一郎が暗愚だったかは、一目瞭然ではないか。日本人よ、「対ロ無交渉こそ必勝の原則」を、いつも噛みしめよ!

3、久保田正明は、この7名を「10名足らず」としている。久保田正明『クレムリンへの使節』、文芸春秋、14頁。

4、『これがソ連の対日外交だ──秘録・北方領土交渉』、日本放送出版協会、140~2頁。

5、新関欽哉『日ソ交渉の舞台裏』、NHKブックス、76頁。

6、民主党政権の岡田克也(学生時代から実態的に共産党が本籍)が外務大臣の権限で沖縄返還に伴う「1972年の密約」を暴いた理由は、共産党員・西山太吉(犯罪実行時は毎日新聞の記者)が、性的関係を結んでそれを悪用して、外務省の女性職員から機密文書を入手した犯罪を正当化するのが目的。つまり、この犯罪を「密約があった」事実で免責する大詭弁をでっちあげるべく、非常識はなはだしい作為に岡田克也は暴走したのである。

 目的が正しければ大量殺人の犯罪も免責されるとするのは、ルソー/レーニン発明の狂気だが、「沖縄密約」を暴く連中は皆、この狂気を行動規範としている。“共産党員の大作家”山崎豊子が書いた『運命の人』の主人公のモデルこそ西山太吉その人。コミュニスト山崎豊子の作品はどれもこれも、「目的が正しければ大量殺人の犯罪も免責される」レーニン主義が濃厚に漂っている。

 『運命の人』は、『不毛地帯』『沈まぬ太陽』とともに、山崎豊子の“(三人の)共産主義者を英雄化・神格化した三部作”の一つ。「三人の共産主義者」とは、西山太吉/瀬島龍三(スターリン崇拝の狂信的な共産主義者、GRU工作員→KGB工作員。戦後一貫して彼の祖国・ソ連に奉仕し続けた)/小倉寛太郎(日本航空を経営的に傾けた共産党系労組の凄腕委員長)のこと。

(参考)なお、ゴリゴリ共産党員の女流作家“御三家”とは、山崎豊子/瀬戸内寂聴/山村美紗を指す。

7、『朝日新聞』、2007年3月27日付。

8、中川八洋『歴史を偽造する韓国』第十章、徳間書店、2002年。

9、渡部昇一「ソウルの従軍慰安婦像を直ちに撤去せよ」『撃論』第四号、2012年3月。

10、水間政憲「日本のカネで処理される〈七十万発〉の大嘘」『正論』、2006年7月号。

                                                 (以上、再々掲載)

附記;“国賊”福田達夫の「派閥から自由」は、“習近平の命令”「高市早苗を潰せ!」

 自民党三回生議員の福田達夫は、9月7日、自民党若手議員70名を集め「党風一新の会」を開催した。まず、驚いた。次に、「明石家さんま」を超えるギャクだと思わず爆笑が止まらなかった。

 “中共の赤い犬”福田達夫は、これまで北京からの賄賂十五億円以上を懐に入れたとすれば、「政治は日本国民のもの」「自民党総裁選をもう一度国民のものにする」と、吠える資格はあるのか。「自民党総裁選は、習近平に献上するものだ」が、“非国民”福田達夫の本当の信条ではないか。「日本の政治は、日本が中共の属国となること(中共の日本併合)を促進するものでなくてはならない」が、“国賊”福田達夫が国会議員として暗躍している政治行動のほとんどではないか。何ということはない、“中共の赤い犬”福田達夫の赤いトマト頭の中には、「日本人に国家など要らない。日本は中共の属国になれ!」「日本人は、ウィグル人同様に、中共の奴隷になれ!」しか詰まっていない。

 福田達夫が“中共の対日工作員”となったのは、遅くとも2015年10月21日の北京においてであろう。彼は、この日、表では李源朝・副主席に大歓待された。裏では、とてつもない売国密約を交わしたようだ。参考資料;『毎日新聞』2015年11月18日付ほか。

 なお、現時点の自民党国会議員における“対中売国奴”トップ・スリーは、河野太郎/福田達夫/二階俊博である。福田達夫が河野太郎の“隠れ腹心”なのは、つとに知られていること。

 話を福田達夫の9月7日に戻そう。以上のような福田達夫の裏の顔を知れば、福田達夫が「開かれた自民党総裁選」を吠えた、本当の真意が見えてくる。習近平の命令「反・中共の高市早苗を落選させろ!」を、“中共のポチ”福田達夫は、唯々諾々と履行したのである。だから、70名を集めたこの会合をわざと高市早苗が総裁選出馬表明する9月8日の前日にぶつけたのである。福田達夫のダーティさは、河野太郎と瓜二つ。福田達夫よ、日本から去れ! 北京に移住されたい。そうすれば、福田達夫は、尊敬する“教祖”習近平とおなじ空気を吸うことができる。

 日本国の中共からの自由と独立は、まずは“中共の犬”政治家を、永田町から一掃することである。そのためには、日本の有権者が、福田達夫を河野太郎ともども落選させる、真正の日本国民としての正しき義務を果たすべきである。また、総裁選で河野太郎に投票した自民党議員を共産党に入党させる圧力をかけるべきである。

(付記は、2021年9月14日記) 

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