今や日本国民は、“皇室の聖なる史書”『古事記』を仰ぎも奉戴もしない。祖先の神話と切断した日本国の廃滅は、ギボンの警告通りローマ帝国の滅亡を再現し、もはや不可避──日本国民が、中川『神武天皇実在論』を座右の書とすべき理由(ⅩⅡ) 

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 本稿は、前稿の続きである。前稿では、“古代天皇テロリスト”津田左右吉を直系継承する“共産党員の国文学者”土橋寛の狂気一色を、脳内解剖手術すべきに割愛してしまったからだ。

 その前に閑話休題。共産党員・共産主義者には、精神分裂病の罹患者が極めて多い。が、一部の共産党員・共産主義者には、医学的な正常者もいる。共産党員全員がルソーやレーニンのごとき精神分裂病というわけではない。表1に、数は少ないが、両者を例示しておいた。

 例えば、津田左右吉。彼の著作は、「ユダヤ人を殺したい/殺したい」と喚いている狂人ヒトラーの『我が闘争』そっくり。いや、それ以上。津田左右吉の作品はどれもこれも、地下鉄サリン事件を起こした後に麻原彰晃が公刊した、「俺は殺(や)っていない。俺は殺(や)っていない」を絶叫している小冊子『ヴァジラヤーナ・サッチャ』第九号(1995年刊)と、論理構造が瓜二つ。

 つまり津田左右吉のどの著作を読んでも、津田が、精神病院で鉄格子の中から喚く、ヒトラーと麻原彰晃をブレンドした超・気狂いなのは、即座に分かる。津田が超・気狂いなのを感知できない日本人とは、頭が極度に悪いアホ馬鹿すぎる。日本国民の資格を剥奪せねばなるまい。

表1;共産主義者の大学教授は、精神医学上二タイプに分類しておくのが便利。

A;ルソー的な重・精神分裂病を病む気狂い

B;自ら共産主義者だと明かす/明かさない二タイプがあるが、精神分裂病でない医学的正常者。

津田左右吉、土橋寛、金田一京介、井上光貞、直木孝次郎、平泉澄、江上波夫、・・・。(注)私の書庫にある著作物からだけでも、このほか二百名以上がリストできる。

西郷信綱、桑原武夫、丸山眞男、田中卓、高木市之助etc.(学者ではないが、在日コリアン櫻井よし子は隠れ共産党員&KGBロスケで、このタイプ。備考)

(備考)櫻井よし子は、養子論=女性宮家論など過激な共産党員・天皇制廃止論者。また、KGB語「東京裁判史観」等を駆使するロシア系の「反米」教徒。共産党員なのが自明な櫻井よし子の正体を見抜けない三歳児には、土橋寛“脳内解剖”など初めから理解不能。本稿を読む資格なし。

 表1で示したAグループには括れない、非・分裂病の医学的正常なBタイプには、自ら「僕は、天皇制廃止だ」とか「僕は、ルソーやロベスピエール大好き」とか白状して共産主義者である正体を隠さない一群と、しばしば「民族系」「保守」に誤解されるよう振る舞う(共産党員なのがわかりにくい)一群がいるので、要注意。ここで、AとBに分別した表1を提示したのは、本稿で扱う土橋寛と高木市之助が、天皇制廃止を共通とする国文学者でありながら、前者はルソー的な精神分裂病。一方、後者は(思想は狂っていても)医学的には正常者という、相違を喚起しておきたかったからだ。

古事記は“文学作品”伊勢物語とは異次元の史書。その歌の分離解釈は“史書”古事記を解体する

 天皇制廃止とマルクス発展史観が血肉の土橋寛は、大正コミュニズム時代に少年期を過ごした、河上肇直系の生粋の共産主義者。当然、土橋とは、歴代古代天皇“大量ギロチン処刑”を紙上でやり遂げて御満悦の津田左右吉の“嘘八百”「記紀創作説」を、心底から信奉者する非・国民。

 つまり、「記紀は、史書ではなく、伊勢物語や源氏物語と同じ創作文学作品」だと教宣する土橋寛は、歴史事実をより悪質に改竄すべく、国文学の学問手法を最大限に悪用して法螺話をぶち上げるのが職業。①“創作文学作品の「記紀」は、史書ではないから、収録されている歌の全ては、歴史上の天皇・皇族・臣下の御製ではない”。②“記紀を書いた(小説家と同類の)述作者は、記紀の文学性を高めるために、述作者自身が歌を創作した、orどこかで人民の歌を手に入れそれを借用した”等々。かくも“作家”土橋の大嘘は、凶悪な皇室憎悪を噴火させて、途轍もなく青天井。 

 ポスト・モダン的に言えば“古事記・脱構築屋(『古事記』解体屋)”土橋寛にとり、国文学は学問ではない。学者の良心が皆無のコミュニスト土橋寛にとり、国文学は、彼の共産革命プラン「古事記から歌を分離+古代は人民が謳う民謡に満ちていた→古代天皇(大和朝廷)は不在+記紀は小説(創作文学)」に、日本人を幻覚させ洗脳する猛毒の麻薬として役に立つ有効な手段に過ぎなかった。

(1)“天皇テロル狂”津田左右吉を崇拝する、“歴史捏造屋”土橋寛

 土橋が「古事記歌謡」の論考を最初に発表したのが、1957年。岩波書店版の「日本古典文学大系」の『古代歌謡集』がそれ。1909年生だから、土橋は48歳。これをもって、国語力ゼロの“学者以前”土橋寛は、一気に“古事記歌謡の権威”になった。共産党が、岩波書店に土橋を起用しろ、と命令しただけで、支離滅裂思考しかできない超劣等生が、日本一の学者になれる。大学院生がこぞって共産党に入党するのは、土橋寛のように、出世が約束されるからである。

 土橋寛は、『古代歌謡集』で、次のように自分の思想本籍を宣言している。

「記紀は政治的な意図をもって作られた(=創作された)ものだと主張したのが、津田左右吉の(スターリンの32年テーゼに従った天皇制廃止が旗幟鮮明な)画期的な研究『古事記及日本書紀の研究』『神代史の研究』などの一連の著作」(注1、25~6頁。カッコ内中川)

 土橋寛のこの自白に従えば、土橋寛とは、津田が捏造した史上空前の大嘘歴史を信奉する“大嘘が大好きな国文学者”ということになる。第一の理由。記紀は、大和朝廷と皇室が六百年以上(西暦紀元元年~620年頃)に亙って伝えられた「事実」を絶対忠実に蒐集・記録した帝紀・旧辞が下敷き。そして、記紀の編纂は680~1年と推定される。なのに土橋は、この最重要事実を全否定する。

 第二の理由。帝紀・旧辞は、欽明天皇~推古天皇が、記憶記録が主体の、この六百年に亘る、天皇・皇室の皇統譜ならびに天皇/主要皇族/臣下の事績を、忠実に文字化したもの。が、大嘘つきの土橋寛は、麻原彰晃と同類の度し難い“狂暴な狂人”津田左右吉がデッチアゲた大嘘創り話「帝紀・旧辞は、朝廷に仕えた述作者=小説家が筆を舐め舐め創作した」を信仰する。

公理“嘘つきは嘘吐き同士で群れを成す”は、精神医学で学的に実証されている。土橋寛の津田左右吉への傾倒も、まさにこの公理の正しさを示す好例の一つ。

 帝紀・旧辞は、宮廷の記憶記録官たちが、六百年以上に亙って、親から子に、子から孫へと、平均三十代ほどの記憶を紡ぐ必死の過程を通じて、推古天皇の御代に完全文字化され完成したもの。が土橋寛は、この帝紀・旧辞の核心事実を全否定する。詐言師を本性とする共産党員らしく、土橋寛は、“旧辞に収録されていた古事記歌謡すべては、(編纂者ではなく小説家と同じ)述作者が創作した歌だけしかない”と嘘主張している。

 土橋寛の主著『古代歌謡の世界』は、次の奇天烈な図を画き、この嘘八百「旧辞に収録されていた古事記歌謡すべては古事記の創作者=述作者が、伊勢物語の歌と同じく創作した歌だけだ」を誇らしげに嘯いている(注2、17頁)

              

(2)珍語/妄語/不適切語ばかりを造語する、国語力ゼロの“超・国語音痴”土橋寛は日本人?

 古事記が記述する歌謡のほとんどを、土橋は「物語歌」に分類する。が、土橋の造語「物語歌」は、事実に重大に違背する。土橋寛がこの不適切語で意図する意味は、古事記“述作者”が創作した歌との謂い。が、古事記は天武天皇お一人によって編纂され、しかもその記述全ては帝紀・旧辞から撰録されたもの。当然、述作した箇所など、一ヶ所たりとも無い。そもそも古事記に述作者などいない。つまり、古事記は物語ではない。当然、「物語歌」などあろうはずもなかろう。

 次。土橋寛の奇怪な造語「独立歌謡」に至っては、まさにチンプンカンプン語の極み。全く意味不明。日本語ではない。土橋寛の意図する意味は、“古事記の述作者が創作したのではなく、誰かわからない一般の民間人が歌った歌”のこと。通常の国語力がある日本人ならば、「述作者が創作していない歌」と、自分の意図通りに表現する。

 この「述作者が創作していない歌」という意味の言葉として、自分しかわからぬ珍語・妄語「独立歌謡」を造語して、自分だけ悦に耽るのが、正常からぶっ飛んでいる土橋寛。土橋寛は、国文学者の資格としての最低限の基礎国語力を全く欠如するし、人格に何らかの重い精神障害がある。

 さらに、上記の図の説明で、小学一年生のような“舌足らず童子”の土橋は、「独立歌謡と物語歌(狭義)とを記紀の歌の実体と呼ぶことにする」と宣言する(17頁)。通常の日本人なら、「古事記の歌は、《独立歌謡》と《物語歌(狭義)》から構成されている」と表現する。要するに、土橋寛は、日本語“実体”の意味を知らない。土橋は、日本人なのか? 土橋寛は、古事記に関わる歴史をいっさい知らないし、日本語もこのようにほとんどできない。侵略してきたばかりの支那人に等しい。

凶悪コミュニスト土橋寛は、「大和朝廷は古事記で“人民の歌”を採録した」と、法螺話を捏造する

 土橋寛は、時間が認識できない。また、空間的な情報伝達ベクトルが転倒する。この二つが脳内で結合するから、土橋の古事記歌謡“解釈”は、“狂”思考が常態で、全てが間違いになる。譬えれば、明治時代の日本は、英国から鉄道技術を輸入し「新橋―横浜」間に蒸気機関車を走らせたが、土橋寛にかかると、《日本の「新橋―横浜」間の鉄道技術を、英国が輸入した》と、逆さになる。日英それぞれの鉄道敷設年が認識できない上に、地理(空間)上での鉄道技術の移転ベクトルが逆走してしまうからである。

 具体的に、古事記55番「吉備の黒日売の歌」を取り上げ、土橋の嘘解釈がどれほどひどいかを例示しよう。土橋は、「55番は黒日売の歌ではない。『丹後風土記』の逸文にある浦島伝説の神女の歌、すなわち民謡(=民間人の歌)を、宮廷が『古事記』の物語(土橋は、「歴史/史書」を貶めるべく「物語」とする)の中に採録した」と、暴言的な珍説を捏造する(注3、383頁下段)。何ともバカバカしい。

 なぜなら、現在の日本でも東京で流行した女性のファションが地方に飛び火して流行するように、都の高位高官が地方に赴任することなどを通じ、歌を含め大和朝廷・宮廷の文化が、一方通行的に地方に流れた。しかも、これが日常の普通の状態。その逆は起きていない。

 なお、地方の民間人の歌を宮廷に蒐集する制度は、天武天皇・持統天皇以前には存在していない。さらに、古事記に記載されている歌は、一首として例外なく、西暦600年以前の、推古天皇の御代までに宮廷が蒐集していた歌から撰録されている。地方の民間人の歌が古事記に紛れ込むことは万が一にもない。

 つまり、風土記に仮にも宮廷に記録されている歌と同一なものが発見されたら、それは必ず、天皇・皇族・高位の臣下が関わった歌。それ以外の歌は、一首もない。特に55番は、「大和へに 西風(にし)吹きあげて・・・」とあるから、元は丹後の浦島伝説の歌ではない。“非・丹後国”の歌である。

 また、丹後国の一般民間人の歌でないのも自明。丹後に流れてきた都の歌だから、丹後では大切にしているうちに、いつしか浦島伝説に紛れ込んだのである。こう正しく推定できないのは、土橋が、強度の人民主権主義の病気に冒された土橋寛の赤い狂気が、火山の爆発のごとく手が付けられないレベルだからだ。

 つまり凶悪コミュニスト土橋寛は、丹後国に赴任した国司などが、地元の豪族に「仁徳天皇の御製」と紹介した歌が浦島伝説に取り入れられたと推定すべき55番について、その異常な人民主権主義“狂”から、人民主権的な「人民→朝廷・宮廷」と、事実を逆さに転倒したのである。

 荒唐無稽な大嘘《民間人の歌=「民謡」が、古事記に採録された》の事例がさも存在すると、このように嘘を捏造してデッチアゲる土橋寛の偏執狂的な異常さは、《古事記69番の歌は、『肥前風土記』の逸文にある歌の改作》という真赤な嘘話でも大暴発している。69番(A)のどこに、肥前風土記の歌(B)の改作した痕跡があるのか。土橋寛の頭は、狂いに狂い、彼の脳みそは狂気のみ。

A;「梯(はし)立ての 倉椅山を 嶮(さが)しみと、岩懸(か)きかねて 我が手取(と)らすも」。

B;「霜降る杵島が岳を嶮(さが)しみと、草取りかねて 妹が手を取る」。

 特にAの歌からは、奈良県桜井市の倉椅山を越えなければ、確実に殺されるという、身の安全が危ぶまれる逼迫した情況がひしひしと伝わってくるではないか。一方、Bの歌からは、晩秋の山で薬草取りをしている若い男女の、初めて男が女の子の手を握った嬉しさが伝わってくる。何一つ、共通するとことがない。敢えて改作したと主張するならば、BがAを改作or模倣している。

 土橋寛は、共産党員では優等生なのか、ルソー・マルクス創唱カルト宗教の立派な信者。ために何でもかんでも事実を逆さにして、「地方・人民→中央・大和朝廷」をデッチアゲる。

民謡ゼロ/芸謡ゼロを「民謡有り、芸謡有り」に捏造する狂人・土橋寛は、共産党の命令を実行か?

 土橋寛の歌謡解釈は、嘘、嘘、嘘の大洪水。この嘘を尤もらしく見せるトリック舞台として、土橋寛は、「古代の歌は、民謡/芸謡/宮廷歌謡の三分野から成る」との、現実には存在しない嘘偽り分類を提唱した。これは、共産党本部からの命令に従い、土橋寛が強引にデッチアゲた可能性もある。

 なぜなら、「地方の民間人の歌である民謡」は、古事記のどこを捜しても一首も存在しないから、古事記歌謡の説明において、「地方の民間人の歌」を意味する珍語・妄語の「民謡」を振り回すこと自体が、何らかの犯意ある策謀を秘めていない限り、あり得ないからだ。しかも、二文字「民謡」は、意味も使用方法も定まっている現在の日本語。それを土橋寛のように、全く別の意味「地方の民間人の歌」に限定した珍語として造語するのは、常軌を逸した言語操作。共産党の常套革命手段の一つ「言葉殺しlogocide」であろう問題は疑えない。「共産党→土橋寛」の可能性は、やはり否定できない。

 しかも、『風土記』収録の歌を、「民謡」とか「芸謡」とか、荒唐無稽な口から出まかせを法螺吹くのは、そのようなものが存在しないことの裏返しではないか。土橋寛の主著『古代歌謡全注釈 古事記編』の解説文の冒頭に(注3、383頁)、土橋寛は、風土記に「民謡が六首、芸謡が一首、民謡or芸謡のいずれか不明が一首」あると、法螺を吹く。それらは、日本古典文学大系『古代歌謡集』の「風土記歌謡」項でチェックできる。このチェックをすると、全てが嘘八百なのが瞬時に判明する。

(1)芸謡ゼロを「芸謡有り」に改竄する、『古事記』712年が認識できない時間軸喪失の土橋寛

  “世紀の大狂人”土橋寛は、重度の精神異常者であるため、自分が何を吠えているのか自覚できない。現に、「芸謡は、平安時代後期の梁塵秘抄より後に生まれた」と自分が定義しているのだが、これすら記憶していない。唐突に、「奈良時代に完成した風土記に、芸謡がある」と、喚きだす。

 注3の383頁「芸謡が一首、民謡or芸謡のいずれか不明が一首」の前者は、日本古典文学大系「風土記歌謡」『古代歌謡集』の一番「こちたけば 小泊瀬山の 石城にも ゐて籠らなむ な恋ひそ わぎ妹」(注1、224頁)のこと。これがどうして、白拍子などのプロの歌謡なのか。バカバカしい。

 後者は、播磨の国に御幸された応神天皇の従臣が、そこで地元のために井戸を掘ってあげ、詠った歌「うつくしき 小目のささ葉に 霰降り 霜降るとも な枯れそね 小目のささ葉」(注1、230頁)。この大和朝廷の高位高官の歌を、「民謡かも知れない」「芸謡かも知れない」とほざく。土橋寛が気狂いなのは、かくも明瞭。

 「芸謡」なる珍語を造語した土橋寛の、「芸謡」の定義は、次の通り。しかも、明快に「風土記などには芸謡などない」と断じている。自分が書いた注3の383頁の解説文とは百%矛盾。

「芸謡がこのような性格的特徴を帯びたものとして出現するのは、平安朝も半ばを過ぎた一条天皇の頃からで、傀儡子・遊女などの女性芸能人によって生産された今様・雑芸が最初」「歌謡史における古代と中世の時代区分は、芸謡を目安にすることができる」(注1、214頁)

 どうも土橋寛は、狂人特有に、編纂712年の古事記が、平安時代半ば以降、おそらく三百年後の一条天皇の御代か、四百年後の梁塵秘抄が編まれた頃の作品と考えている。つまり、土橋寛には時間軸がない。これは精神分裂病の患者に広く散見される症状。同志社大学は、土橋寛を精神病院に強制入院させなかった罪において、廃校処分されるべきだ。

(2)古代歌謡を自壊させ『古事記』を“爆殺”すべく、土橋は区分「民謡/芸謡/宮廷歌謡」を提唱

 珍語・妄語の類である、土橋寛が造語した「民謡/芸謡/宮廷歌謡」について、土橋は序列をつけている。第一が民謡。第二が芸謡。第三が宮廷歌謡。つまり、「宮廷歌謡」を最後に置くのを、絶対ルールにしている。しかも、古事記の歌謡111首には“民謡はゼロ、芸謡もゼロ”だから、この民謡/芸謡を導入したこと自体、政治目的であって、学問の領域には無い。

 もう一度言う。土橋の定義する珍語「芸謡」は、具体的に梁塵秘抄(1180年前後)などを指すから、それは『古事記』の編纂(天武天皇、681~2年)からしても五百年後に発生した一つの歌謡の形態。

 また、古事記が依拠した帝紀・旧辞は、推古天皇の御代に、その文字化が完成。古事記が採録した歌は全て、遅くとも(聖徳太子が薨去される前の)620年頃に完成した『旧辞』が蒐集していたのだから、この620年を起点にすれば、芸謡の一つ「梁塵秘抄」は、『古事記』採録時点での最新作の歌からでも五百五十年後になる。

 つまり、土橋寛は、『古事記』採録の最新の歌から500~550年後に発生する歌謡を、タイム・マシーン機で未来に飛んで、『古事記』は採録していたとの、狂人でも発想できないスーパー大嘘をでっちあげて、まさに暴言に過ぎない大嘘解釈を日本古典文学大系『日本歌謡集』の「解説」にした。

 なお、具体的に久米歌を起点とすれば、《「芸謡」は、古事記歌謡から八百年後に発生した》となる。なぜなら、『古事記』神武天皇記に記述されている久米歌(9番、10番、11番、12番、13番、14番、17番、18番)は、崇神天皇の御代に始まっただろう、神武天皇祭の儀式に用いるために、250年ほども永く代々それを継承し保存してきた久米氏に、崇神天皇が提供せよと命じたものと仮定する。

 が、神武天皇の神武東征による橿原占領は、弥生時代の中期。西暦元年前後。その頃の歌はもっと粗く素朴。古事記に採録された久米歌のように洗練されてはいないはず。私が詠む限り、記述されている久米歌の作風は、景行天皇から応神天皇の御代にかけた西暦300~400年頃のように思える。私の仮定だが、古事記の久米歌は、神功皇后に仕える一流の宮廷歌人が、久米氏に遺る原・久米歌を添削したものではないか。この添削を仮に西暦380年とすれば、梁塵秘抄1180年は、その八百年後に当る。

 以上で分かるように、土橋寛が、古事記歌謡の分析には全く不適切・不必要な「芸謡」を振り回したのは、何らかの政治目的からなのは明瞭。この政治目的とは、古事記が採録している歌111首全ては、宮廷が旧辞に収録していた歌謡しかないのは自明すぎるから、この事実「古事記が採録している歌111首全ては宮廷が旧辞に収録していた歌謡しかない」をぶっ壊すことであったろう。

 しかも、土橋寛は、「民謡や芸謡をプロレタリアート、宮廷歌謡をブルジョアジー」と、マルクスの階級史観から考案している。ブルジョアジーである宮廷が旧辞に収録していた歌謡(土橋寛の奇天烈な言葉では「宮廷歌謡」)を粉砕するプロレタリアートになってもらうべく、古事記には一首も存在しない「民謡」「芸謡」をデッチアゲたのである。

  日本古典文学大系『古代歌謡集』の解説で、土橋は、一首も存在しない「民謡」「芸謡」を10~11頁にAとして記述し、そのあとに、存在した宮廷歌謡をBとして記述する(11~14頁)。なお、これに続いて土橋は、古事記には一首も存在しない真赤な嘘「物語歌」を説明している。土橋寛の解説で、嘘でない記述を捜すのは、太平洋に落としたダイヤモンドのブレスレットを捜すのと同じく不可能。

 この土橋の古代歌謡“真赤な嘘解説”は、彼の大著『古代歌謡全注釈 古事記編』でも同じ。第二節に「民謡&芸謡」(385~90頁)、第三節に「宮廷歌謡」(390~1頁)、第四節に「物語歌」(391~3頁)。しかも、古事記に一首も存在しない「民謡&芸謡」の嘘説明に費やした頁数は、「宮廷歌謡」の三倍以上。土橋寛とは、共産党専属の最も狡猾なプロパガンディストのようだ。

土橋寛は、津田左右吉の「帝紀・旧辞は述作」を、「記紀は述作」に大改竄する。誤解ではあるまい

 土橋寛は、『古事記』に記述されている歌謡は、基本的にほとんど全て、その述作者が創作した「物語歌」だとする。そして、その根拠を津田左右吉に求めている。

 が、津田左右吉や直木孝次郎らは、「帝紀・旧辞は述作者の創作だ」と嘯いたが、「記紀は述作者の創作だ」とは主張しなかった。さらに彼らは、この述作を「神武天皇→神功皇后」までとし、応神天皇以降は述作でないとした。例えば、応神天皇以降の『古事記』の記述には、歌を含めて述作はないとする。つまり、応神天皇記の歌四首(41番、42番、43番、44番)は、応神天皇御製だとする。

 しかし、“スーパー気狂い”土橋寛は、上記の応神天皇の御製四首すべてを、根拠も屁理屈も詭弁も提示せず、「物語歌」だと強弁する。土橋寛は、津田左右吉の大嘘“歴史改竄”を、さらに千倍ほど過激化したことになる。“反・学問”極める土橋寛の凶悪な『古事記』大改竄は、空前絶後。ただただ絶句するほかない。

過激共産党員の土橋寛は、マルクス階級史観のシーラカンス

 土橋寛の思想本籍が、共産党であり、マルクス・レーニン主義なのは、次のように、共産党語が花盛りであることからも単純明白。ほんの一部だが、彼の『古代歌謡の世界』から抜き書きしておこう。

A「市民階級の発達・・・」31頁。

B「村で生産される民謡の性格は変わらない」37頁

C「古代の民衆は・・・」54頁。

D「組織労働者学生たちに・・・」54頁

E「狭義の民謡が・・・農民自身によって生産される」54頁。

F「余暇のない労働に縛られている」216頁。

G「階級社会に行ける鹿・蟹の芸能」227頁。

H「・・・」。

 

1、土橋寛「(古事記歌謡ほかの)解説」『古代歌謡集』、日本古典文学大系、岩波書店。

2、土橋寛『古代歌謡の世界』、塙書房。

3、土橋寛『古代歌謡全注釈 古事記編』、角川書店。

 

附記1;土橋寛の先駆者・高木市之助の分析解剖は、次稿に譲る。

附記2;次稿の予定

 前稿と本稿と次稿は、論考「津田一派/土橋一派の『古事記』“爆殺”を黙過する、精神の怠惰に浮遊する一億日本国民は、日本の亡国と破滅を牽引している──ギボンの警告に耳を傾けない日本人」の三部作。ギボンについて次稿で論じる。

                                              (2023年7月10日記)

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