筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
※2014年5月30日に中川八洋掲示板に掲載された記事を、再掲載したものです。
安倍晋三内閣は、共産革命「脱原発」行政を公然と行ってきた原子力規制委員会の札付き共産党員・島崎邦彦の後任を決めた。地質学者としては申し分ないが、政治的・行政的に原発問題と彼の知見は結びつかない凡庸な石渡明(東北大学教授)である。また、この二年間、いてもいなくても存在感ゼロだった大島賢三の後任には、田中知(東大教授、原子炉工学)が選ばれ、六月上旬には衆参両院で同意人事される見通し。
後者の人事について、原発再稼動問題を抱える電力会社は歓迎している。田中知・教授が原発推進派だからだ。が一方、朝日新聞は、田中知を起用する自民党人事に噛み付いている。
「脱原発」ドグマの信奉者には、原子力規制委の委員資格はない
朝日新聞の理屈は、こうだ。「田中知は、原発は必要との立場で業界とのつながりも深く、規制委員会の独立性や中立性が課題となりそうだ」と、「問題」といいたいところを「課題」にマイルド表現しているが、要するに、田中知は、原子力規制委員会の委員に不適格だと主張している(注1)。
すなわち朝日新聞は、原子力規制委員会は「脱原発」の行政官庁であるべきだとの暴論を前提に論を展開している。だが、正論は逆である。同規制委は、あくまでも「原発推進」の行政官庁であらねばならない。「脱原発」は、その設置法上認められておらず、原子力委のレーゾン・デートルに違背する。
報道に名を借りた朝日新聞のこの煽動的プロパガンダは、喩えれば、「警察庁は、泥棒を捕まえるのは職務ではなく、泥棒を蔓延させるのが職務である」だとの逆立ち言辞と同じで、これこそ妄言狂説の類。原子力規制委員会設置法第一条は、次のように定める。
「原子力利用(=原発の稼動)における安全の確保を図るため必要な施策を策定し」 (二〇一二年六月二十七日、丸カッコ内中川)。
すなわち、あくまでも「原発の稼動」、つまり“原発による電力生産”を大前提とし、この大前提において、その安全を確かなものにするのが原子力規制委員会の職務。原子力規制委員会は、原発を推進する方向のベクトルから逸脱するのは許されていない。
しかし、田中俊一(委員長)と島崎邦彦(委員長代理)は、原発推進を逆回転させ、「脱原発」の方向へと、規制委員会を逆走させてきた。この事態はまた、田中俊一と島崎邦彦の「同意人事」を強行した安倍晋三・首相とコミュニスト菅義偉・官房長官の大罪を白昼のもとにさらけ出す。安倍晋三と菅義偉は日本の経済発展を妨害した罪で、市中引き廻しの後、獄門磔が相当である。
少なくとも、田中俊一と島崎邦彦の両名は、「脱原発」という逆走イデオロギーの信奉者である以上、規制委員会設置法第一条違反の人事であった。内閣は両名を今すぐにも、設置法違反の廉で更迭する旨を国会に提出すべきである。とりわけ島崎の任期は、九月十八日まであり、これから半年間、原発稼動妨害のトンデモもない非科学的ルールをふんだんに置き土産するのは目に見えている。
石渡明は、島崎邦彦が遺す“反科学の安全審査基準”をゼロベースで見直す?
電力会社や自民党の原発推進派国会議員は、いわゆるアホバカ並みの知力しかないため、「島崎が去るから、万事うまくいく」と手放しではしゃいでいる。まるで、幼稚園児の思考。行政機関は、その行政の積み重ねの上で行政を行うのであって、人が変われば、それ以前の政策をがらりと変えるようなことは決してできない。
このことは、平時と有事の区別もできない“国際法音痴”内閣法制局が、集団的自衛権に関する憲法第九条解釈を、それがどんなに破茶目茶だろうが、一九五〇年代半ばから古色蒼然と六十年以上も糺そうとせず、頑迷固陋な法匪に徹している事態を思い起こせば明らかだろう。
一部の例を挙げれば、島崎邦彦が委員として二〇一二年九月からつくりあげてきた「活断層」や「地震」や「津波」などに関する、反学問的で非科学的な基準を、新委員の石渡明がゼロベースで見直すだろうか。おそらくしまい。二つ理由がある。
第一は、その事務局である原子力規制庁内は共産党系官僚がすでに過半を占めており、島崎邦彦のでっち上げ反科学のトンデモ基準を死守せんとして、その見直しに応じることはない。第二は、石渡は、原発の知識がゼロだし、原発の安全と地震の関係は実はチンプンカンプン。口を出すことはないだろう。つまり、島崎邦彦の非科学のトンデモ基準は、規制庁の職員によって堅持されるから、石渡明になっても情況に変化はないと考えるのが現実的ではないか。
“凶悪なコミュニスト”田中俊一を今すぐ辞任させねば、日本の原発は縊死する
さて電力会社は、島崎邦彦が九月で退任するに喜ぶが、なぜ、もう一人の“凶悪な脱原発コミュニスト”田中俊一が二〇一七年九月まであと三年半も任期がある重大かつ深刻な現実について憂慮しないのだろう。電力会社の幼児的な思考には、ほとほと呆れる。
田中俊一は、規制委員会の委員長である。しかもこの規制委員会は、以前の「原子力安全委員会」が「八条委員会」であったのと全く異なり、(国家行政組織法の)「三条委員会」である(注2)。このため、原子力規制庁は、原子力規制委員会の事務局である。
「八条委員会」ならば、独立の役所である原子力規制庁の上に、華やかな帽子のごとく乗っかっているだけだが、「三条委員会」である以上、原子力規制庁は、原子力規制委員会の上意下達の命令に絶対服従しなければならない。このため、規制庁の安全基準は、専制君主となった田中俊一や島崎邦彦の言いなりにならざるを得ない。
しかも、安全基準を法外に非科学的なものと改悪しただけでなく、人事にも介入するので、「脱原発」教の狂信者ばかりが原子力規制庁の管理職を占めるようになった。ところが、電力会社の社長や会長は、一九七〇年代までのそれではなく、今では霞ヶ関のことを全く知らない“田舎サラリーマン”ばかりになったため、“ヌエ政治家”安倍晋三と同じく、原子力規制庁が公正な行政、つまり科学的な安全基準で審査するものと思い違いしている。
たとえば、電力会社の幹部は、原子力規制庁の長官である池田克彦のところに、頻繁に陳情している。だが、池田は、確かに「脱原発」の極左ではない「中立」なだけが取柄だが、もともと原発に無教養だし、手足を田中俊一に縛られた囚人のような立場にあり、設置法上、何もできない。
日本の国民も一緒に協力すべきことだが、原発の再稼動と推進のために、電力会社がすべきことはただ一つ、田中俊一を、委員長の座から直ちに引き摺り降ろす、この一点である。しかも、これしきのこと、そんなに難しいか。
例えば、私(中川八洋)にとって、田中俊一を自ら辞任せざるを得ない情況に追い込むことは極めて容易なことだが(注3)、これまで、電力会社の会長や社長で、私に相談に来た者はいない。この事実は、電力会社は原発再稼動に実はさほど真剣ではないことを示唆している。電力会社に漂っているのは、今や無気力。つまり、アパシーの異様な空気だけ。
このことは、もはや「脱原発」への日本のモーメントは大きいということである。それはまた、日本経済の自壊的な大崩壊が近づいていることに他ならない。
注
1、『朝日新聞』二〇一四年五月二十八日付け、一面。
2、民主党の野田首相は、心底では原発推進派だったので、朝日新聞や菅直人ら党内の「脱原発」派の要求を頑として拒否して、国会提出時の設置法案では「八条委員会」にしていた。これを「三条委員会」に修正せよと強硬に迫ったのが、スーパー・バカで勇名を轟かす自民党総裁の谷垣禎一であった。野田は、この法案を通すべく、しぶしぶ自民党・谷垣の案を呑んで「三条委員会」とした。
3、本稿では、田中俊一を辞任に追い込む策につき、当り前だが、述べられない。