「脱原発」に“半迎合”する安倍晋三の鵺主義が招いた、「脱原発」細川護煕(半コミュニスト)の都知事立候補

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筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

※2014年1月22日に中川八洋掲示板に掲載された記事を、再掲載したものです。

 元首相の細川護熙が同じ元首相の小泉純一郎を脇に従えて、都知事選への立候補表明をした1月14日のニュースに、電力各社のみならず、原発推進の自民党国会議員の間に、額に脂汗が流れるほどの電気ショックが走った。

 都知事に「反原発」でコミュニスト・シンパの細川護熙が当選したらどうしようの心配や不安ではない。現在の自民党にとって“脛に傷を持つ最低男”細川護熙を倒すぐらい何でもない。

 だが「脱原発」を掲げて細川が出馬できた事態は、深刻。「脱原発」の世論や勢力が、未だ共産党など極左集団に限った「少数」へと縮小転落をしていない、つまり菅直人民主党政権が煽動した「脱原発」革命が思ったほど鎮静化していない政治情況の現実を明らかにしたからである。

安倍晋三こそ、「脱原発」勢力温存の急先鋒

 「脱原発」という反日の極左革命運動を一気に後退させるチャンスと方法は、安倍政権が誕生してから、幾多もあった。これをみずから妨害して、「脱原発」革命勢力を温存させたA級戦犯は、首相の安倍晋三である。

 非難の嵐が巻き起こる抵抗大の、解決が困難で煩わしい問題に対処するに、個人のそれと国家のそれとは、一般的にはおおむね対極的である。が安倍は、幼児性のためか、後送りしてじっくり取り組む方がうまくいく私的な個人問題処理方法と、チャンスが一度しかこず迅速な(先手必勝的な)英断が有効な国家的問題の処理技術を混同する。

 「脱原発」との闘いで言えば、その革命運動に致命傷を与え劇的に半減させるチャンスが、労せずして安倍首相の手にあった。原子力規制委員会の田中俊一委員長(共産党員)と島崎邦彦委員長代理(共産党員)の国会承認人事が民主党政権中に済んでおらず、新しい安倍政権が確実に「不同意」できる情況にあった。活断層キチガイの島崎がいなくなれば、原発の再稼動はスムーズに進んでいる。日本原電の敦賀原発が廃炉寸前となる事態など起きていない。また共産党員の田中委員長がいなければ、再稼動への非科学的で不必要な過剰な条件など電力各社は課せられず、原発はすでに十基ほどは稼動している。この状況下では、「脱原発」勢力の受ける打撃は想像以上で、ほとんど力を失う事態すら起こっていたはずだ。

 だが、安倍晋三は、「脱原発」と「原発推進」の中間の鵺的立場にあり、「脱原発」という極左・反日イデオロギーとの闘いをしてまで自分が傷つくのを回避することにした。自民党の過半が、両名の「不同意」でコンセンサスしているのを知るや、安倍は、それを潰すべく「同意」を閣議決定し、石破幹事長に自民党内の意見をすべて無視して「同意」でやれと命令した。原子力規制委員会の委員長らが中立ではなく「脱原発」の狂信者なのを熟知した上での命令だから、安倍の信条が「脱原発」に近いのは間違いない。心情的に共産党に傾斜するのが、安倍の真像である。

安倍晋三を“菅直人のクローン”と称してもオーバーな表現でない実態

 安倍は、原子力規制委員会のコミュニスト田中俊一&島崎邦彦の人事同意を自民党の大半の反対をつぶして強行(二〇一三年一~二月、合議の前に閣議決定)しただけではない。実は、安倍とは、廃炉主義者。原発推進ではなく、廃炉推進が基本スタンス。だから安倍晋三は、「日本原電の敦賀原発の廃炉を了解する」というメッセージとなる、田中俊一&島崎邦彦の人事同意を独断専行したのである。

 この廃炉主義は、福島第一第五&六号基の廃炉を東電に要請したことでも明白だろう(二〇一三年九月十九日、同十二月に東電が了解)。これで、日本の原発の“廃炉トレンド”が定まった。安倍の「原発再稼動」とは、日本中の原発が廃炉となり「原発ゼロ」になるまでの中間過程の状態を表現する言葉。そこには、「原発推進!」というニュアンスは全く存在しない。

 なお、トルコその他への原発海外輸出の安倍の熱情は、これは本物。安倍は、二十代の青年時代の職業は、神戸製鋼の社員で海外営業マン(ニューヨーク支店)。原発を含め、日本のメーカーの製品を海外に売るトップセールスは、本心から嬉々として行っている。男二十代の仕事は生涯忘れられず楽しく、この傾向は政治的立場を超えて、世界共通の人間行動である。 

小泉純一郎の奇怪な「脱原発」煽動は、安倍への怨恨の外、鵺を嫌う性癖から? 

 安倍晋三が、脱原発と原発推進の間で蝙蝠のように泳ごうとしているのは、安倍を注意深く観察しているものには、鮮明に透視できる。そのような鵺的な立場を好意的に理解するものもいれば、白黒はっきりを人生観とするものには嫌悪感に苛立つものもいよう。後者の小泉純一郎は、安倍に「蝙蝠を止めろ!」と迫り、しかも安倍がより困惑する方の選択をアジっている。

 このような情況を、身から出た錆という。安倍が、二〇一三年一月に田中俊一らを「不同意」とし原発再稼動を進め、同時に、全く医学的に不必要な(菅直人の犯罪としての)セシウム強制避難を全面解除してさえおれば、「脱原発」の運動やキャンペーン そのものが消滅しているから、“引退総理”小泉純一郎がしゃしゃり出てくることは万が一にもなかったし、当然、“金と女の陶芸宰相”細川護熙が墓場からフランケンシュタインのごとく現れることもなかった。

 安倍が、政治家としてもつべき“断固たる姿勢”に欠け、またタイミングは一回しかない政治世界のイロハを弁えず、「後になれば事態は好転しているだろう」の幼児的な錯覚を弄ぶことが、日本国を、かくも「脱原発」の狂騒の渦にいつまでも叩き込んでいる。

 安倍が総理大臣として、自分なりの原発政策をどう選ぶかの自由を掌握・復権したいなら、まずもって“狂気”「脱原発」を一掃して、日本経済の成長と科学(=「法の支配」の“法”の一つ)の遵守について、静かな情況で熟慮検討できる環境を作るべきだろう。だが、安倍の原発政策はすべて、これに逆行している。自らを泥沼に追い込んでいる。鵺的態度は、賢慮の慎重さとは次元を異にするもの。政治家が墓穴を掘る道である。

窮地に落ちたのは、安倍晋三が、中川の要望書もパンフレットも読まないからか?

 原発問題に関して安倍晋三を牛耳っているのは、共産党員の菅義偉官房長官と経産省である。経産省は、「脱原発派」と「原発推進派」の二派に分かれているが、対立するのではなく棲み分けしている。経産省が、対立が必然の水と油の関係にある「脱原発」「原発推進」政策を、サーカスの曲芸まがいに、対立を回避し棲み分け「共生」させる摩訶不思議な理由とは、次の通り。

 経産省は、菅直人首相時代および枝野幸男経産大臣時代に、彼らに阿諛迎合して「脱原発」の政策を遂行した先輩官僚を批判しない/その政策を変更しないことを省の絶対方針としたため、約二年に亘る「脱原発」行政の上に安倍晋三の「原発再稼動」を乗っける、サーカスでも無理な曲芸原発行政を行う破目になった。いわばずぶずぶの泥沼の上に家を建てる経産省の原発行政は、迷走どころで無く、支離滅裂の空中分解状態にある。

 もし、安倍晋三が真面目に原発行政を押し進めたいのであれば、その方法はただ一つ。原発行政を知り尽くし学的な分析ができる私の『要望書』(2013年11月18日到達)通りの政策を遂行すること。とりわけ、この『要望書』に添付した「民法第724条を守る会」編のパンフ『政府も自民党も東電も、安寧な法秩序を維持する民法724条を遵守し、また擁護し、国家権力による“財産収奪の悪法”「時効中断」を阻止せよ』(同年11月1日付、別添)の附録Ⅰ&Ⅱに完全に従った政策を実行すること、それ以外はない。原発推進の立場からの他策は多いが、そのようなレベルと質では「脱原発」の呪縛から逃れることはできない。

ペスト菌など伝染病と同じ極左イデオロギーは、速攻の除染しか絶滅の方法はない

 前述したが、政治の世界では、狂った世論や間違った政策を正しく転換するのは困難を極めるのは言うまでもなく、よって、偉大な政治リーダーは、政権を握ると直ちに激しく開始する。決して後回しをしない。時間がたてば必ず情況がさらに悪化するのを知っているからである。

 特にイデオロギー絡みの政策では、時間の経過は、イデオロギーの増殖が本性の極左側を決定的に利する。サッチャーが労働組合つぶしを開始したのは英国首相就任と同時だった。レーガンは米国の対ソ姿勢を、「緊張緩和」路線を唾棄して「敵視を前提とした、力によるローリング・バック(巻き返し)」へと大転換したが、大統領就任と同時だった。

 「政治家のチャンスは、一度きり」という箴言・真理は、実は、第一次内閣の安倍自身が反面教師的に体験済みではないか。「村山談話」「河野談話」の廃棄は、総理就任と同時の二〇〇六年九~十月だけしか、チャンスはなかった。靖国総理参拝も、この十月だけが、圧倒的多数の日本国民と米国の支持の下でできた最後だった。また、この前例だけが、総理参拝を次代への常態にすることができた。

 安倍晋三よ、就任からすでに一年以上が経過した。この間、一例を挙げると、地方自治体に対する「脱原発」のオルグ活動は活発で四五五議会がすでにそれを議決したが(『朝日新聞』2014年1月19日付)、“悪魔の思想”脱原発イデオロギーの「伝染」は、このように燎原の火となって全国津々浦々に広がっている。学校その他ので、次代の若い世代の洗脳教育は、オウム真理教の教団と変わらず、想像を絶するほどひどい状況である。

 一年以上も続く首相・安倍の「脱原発革命」放任主義は、もはや危険水域を越えている。日本経済破壊・日本の法秩序破壊を目指す、恐ろしい「脱原発」という極左イデオロギーとの全面的な思想戦争をする決断を今するしか、アベノミクスなど風船のごとく破裂するばかりか、日本の衰亡と危機は避けられない。

蛇足コラム;食言した小泉進次郎の“超お粗末” 

 小泉進次郎は、1月15日、いつもながら感心する名言を吐いた。舛添要一は「自民党は、終わった」の棄て台詞で自民党から脱党した。自民党は舛添を除名処分にした。「自民党が、舛添の都知事選挙を支援する大義はどこにも無い。僕は応援しない」、と。まさに正論。

 だが、待てよ。進次郎は、もう一つの正論を吐いていない。「父親・純一郎の細川護熙応援は、自民党への背任的な叛逆行為だ」もまた、正論の中の正論。前者を小正論とすれば、後者は大正論。大正論に口をつぐんで小正論を口にするのを“アンフェアーな二枚舌”という。

 細川護熙とは、自民党を政権から追放するを旗幟鮮明に日本新党を結党し、あっという間に一九九三年夏の変で、公約どおり八党派連立政権の首相になった。自民党は長期政権から追放され下野した。自民党は、そのご政権復帰のために、自民党立党の本義をことごとく捨て自ら社会党化の道を選び、政権奪還に苦渋を舐めた。

 この間、小泉純一郎はずっと自民党の国会議員で、細川護熙とは天敵関係にあった。純一郎は、自民党によって総理になった。純一郎が、細川護熙を応援することは、自民党への背信行為。叛逆と言ってもよい。それなのに、自分の父親の狂った政治行動を非難せず、言外にさも大義があるかごとくの言説は、どう解釈しても理は無く、非理の極み。小泉進次郎は、不義の言をもう少し慎んではどうか。

 

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