筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
※2016年1月12日に中川八洋掲示板に掲載された記事を、再掲載したものです。
日本人は、日本経済を守り維持し、それを発展させるに不可欠な基礎知識すら完全に喪失した。特に、各課題を総合的に精査する知性も知力も日本人から剥がれ落ちた。要するに、ものごとの本質が見えない/見ない“日本人盲目化=日本人腐敗堕落”は急速にひどくなっている。「日本人の野蛮人レベル化現象」である。
この一つは、“「脱原発」という反・日本経済の日本憎悪”から発生した、狂気のブーム「太陽光発電」を規制しブレーキをかけストップさせる正常で正気の行政に回帰する動き=理性回復が、「3・11」の興奮から五年が経とうとする今もない厳然たる事実において明らかだろう。
太陽光発電は、環境破壊の最悪公害──だが、無為で放任する赤い環境省
太陽光発電は、日照を左右する日本国の緯度/気象条件に照らしてナンセンスな発電方式である。そればかりか、水害と地震が多発する日本国では絶対に選択してならない最凶のトンデモ発電方式である。この問題は後述するが、その前に、太陽光発電を、経産省が、日本経済の破壊を目論む悪意があるからなのか、暴力団を法規制せず野に放つ“逆さ警察”そのものに無法的に放任している。この経産省の狂った行政の実態は等閑視してはならず、垣間見ておくぐらいはせめて必要だろう。
現在、太陽光発電が社会的に漸く非難され始めた問題には、二つある。第一は、森林破壊による水害の多発や土砂崩れ助長に直結する環境破壊。
第二は、太陽光発電事業者のほとんどが詐欺まがいor公然たる詐欺として、それを行っている問題。太陽光発電事業者とは、良く言っても、せいぜい株投資の感覚以上のものを持ち合わせてはいない。彼らには、日本の電力生産のためという公共心など全くない。そのようなものとは無縁。
だが、経産省の「脱原発」極左官僚は、これら太陽光発電の暴力団的・詐欺的・投機的な事業拡大が、ここ二十年以内に、日本経済を大混乱に陥れる反動となるのが愉快でたまらないのか、快哉している。また、環境省は、ほぼ全員が共産党員官僚だから、オウム真理教の宗教的信条と同じく、「脱原発」の口実としての太陽光発電による環境破壊は正義だと拍手喝采の大歓迎している。
第一の環境破壊とはこうだ。「脱原発」の朝日新聞ですら隠せ通せなくなったのか、既に悪名をはせている、①長野県上田市での20ヘクタールの山林伐採による4万4千枚パネル設置の太陽光発電事業。②大分県由布市での山林伐採での3万2千枚パネルの太陽光発電事業、③佐賀県吉野ヶ里における遺跡の北隣に5万枚パネルの既設済み、の三例だけを問題だと報道した(2016年1月4日付け)。
だが、これは、全国津々浦々における氷山の一角にすぎない。例えば、太陽光発電で自然景観をハチャメチャに破壊し土砂災害を確実に誘発する“最悪の山梨県北杜市のトンデモ太陽光行政”について、なぜか、朝日新聞は報道しない。北杜市と朝日新聞社との間には黒い政治的裏が相当レベルでちらついている。
ともかく、八ヶ岳の南山麓に位置する北杜市は、日照時間が日本にしては長いのと太陽電池の効率を下げる高温季節がないことで、日本で太陽光発電の“馬鹿げたブーム”に便乗した“最危険な地方自治体”として悪名が高い。しかも、ここは太陽光発電反対運動も日本一激しいことでも有名。
ブログでも、澤昭裕氏(21世紀研究所研究主幹、2015年6月20日)や石井孝明氏(2015年7月7日)が、北杜市の太陽光発電の環境破壊の深刻な実態を写真入りで警告している。是非とも参照して頂きたい。澤氏は、このブログで次の提言をしている。全てが立法化する/条例化しなければならない賢策である。
A 50kw未満の太陽光発電設備を、建築基準法上の「工作物」とする。また同設備を、電気事業法上の「電気工作物」規制対象とする。これは、「分譲」と偽って「50kw未満」に区分けする詐欺業者を締め出すためにも緊要である。
B 太陽光パネルは経年すれば必ず廃棄物になるが、産業廃棄物だと明確にし、事業者が負うべき処理費用を前払い的に市町村に供託金として納付させる。太陽光発電事業者のほとんどは悪質な投機屋であり、不法投棄するのは目に見えている。
C 事業者の名称、連絡先、所在地などの情報掲示を義務付ける。
D 生態系への悪影響について、環境アセスメントを課する。
E 市町村において、開発プロセスについて住民説明を義務付ける。
F 景観法&景観条例の適用対象とする。
G 太陽光発電は、有毒金属流出による土壌汚染や土砂崩れなど無数の人的災害を誘発するが、その一義的な責任は設置場所の市町村にあることを明確に法律上の条文とする。
以上の澤提言は、必然的に、「再生可能エネルギ―特別措置法」の全面改正が視野に入ってくる。「再生可能エネルギ―特別措置法」は、“悪の権化”でコミュニストの菅直人が民主党政権で総理大臣であった時、その権力を濫用し「3・11」のその日にドサクサに紛れて閣議決定して、早々と2011年8月30日に立法した、拙速きわめる粗製乱造のトンデモ法律である。
後日、赤い菅直人製の“日本経済つぶしの悪法”「再生可能エネルギ―特別措置法」の分析を発表する予定だが、“成蹊大学卒のスーパーお馬鹿”安倍晋三は、五年の歳月もありながら、この全面改訂をしようともしない。“景気浮揚の邪道”金融ごっこに明け暮れる安倍晋三は、電力が経済の血流として日本経済を生殺与奪する枢要根幹であることがさっぱり理解できない。そればかりか、菅直人の信奉者・菅義偉を官房長官にしている。心底では、安倍晋三は、国外への原発輸出を除き、どうやら「脱原発」を支持している。
太陽電池は地震一発で“お釈迦”のキワモノ発電。地震国・日本は全面禁止が常識。
日本における危険でナンセンスな太陽光発電は、「脱原発」の煽りに乗って、今や、日本中広くに普及した。2012年/2013年/2014年の三年続いたブームに陰りは見えてきたとはいえ、地震国・日本として選択の余地なき、住宅用の太陽光発電ゼロ化する健全な方向にはない。
2014年度の太陽電池国内出荷量は987万kw。2013年度に比すれば8%増。陰りが見えたとがっかりする向きがあるが、2012年度が2011年度(140万kw)の171%増、2013年度が2012年度の124%増となったのが異常。こんな狂乱バブル傾向は必ず反転逆流に見舞われ、日本の電力崩壊への一里塚となる危険性に繋がるから、絶対に回避・抑制せねばならない。そして、この8%増を、今後はマイナスの減になる健全化を促進せねばならない。
話を核心に戻せば、真赤な嘘に基づいた“脱原発狂”に頭を麻痺されたのは、日本人がすでに常識も弁えないバカ民族になったからである。このことは、日本が地震国だとの厳然たる現実を忘却したことで一目瞭然。住宅の屋根に取り付けた太陽光パネルなど、ちょっとした地震が来れば一瞬でパリンパリンと割れてしまうかバリバリと引き裂かれてしまうのに、こんな当たり前に思いが及ばず、自宅の屋根に取り付けてはしゃいでいる日本人の頭は、精神薄弱児童以下ということか。
基板にガラスを使っているものはもちろん、ポリエチレンなどの柔らかな基板であっても、太陽光パネルに地震に耐える強度は一切ない。太陽光パネルとは、地震を一切想定しないで設計された、ただの電池である。読者の手元にある乾電池に対地震強度がないのと同じ。 要するに、日本に適した発電は原発しかなく、原発こそ唯一に地震国日本のために、科学技術が日本に呉れた“天与の賜物”である。
しかも、2011年3月11日の「福島第一」の原発事故は、地震によって発生したのではない。あくまでも津波によって外部電源が海水に浸って冷却機能を喪失したためである。しかも、このとき原子炉は自動的に緊急停止しており、軽水炉原発の安全が証明されたのである。軽水炉原発ほど地震に強い発電方式はない。
ところが、日本人は、オウム真理教の狂気の信者に優るとも劣らぬ「地震国だから原発をやめて」の真赤な嘘の呪文を合唱。共産党員の田中俊一が委員長となった原子力規制委員会が科学を無視した、カルト的なハチャメチャ反科学の馬鹿げた安全基準をでっちあげた。
わが日本列島に発生すると原子力委員会が想定している地震仮想データはそのまま、太陽光発電にも平等に適用されるのが科学である。例えば、東京都を含めた関東あるいは東海トラフと叫ぶ静岡県で、個人住宅の屋根に太陽光パネルを設置することは許されない。危険物として除去されねばならない。科学の基準にダブル・スタンダードなど論外である。
だが、日本人は劣化が激しく、「1+1=2も正解、1+1=100も正解」とするに等しく、「(原発を論じる時には、)日本は地震国だから安全基準を法外に厳しくせよ」と大騒ぎし、「(太陽光発電を論じる時には、)日本はドイツと同じく地震はほぼゼロだから、対地震性ゼロを問題とすべきではない」と、平然と荒唐無稽なダブル・スタンダードを振り回す。
これこそ、「3・11」の教訓を無視する暴論狂論の極みではないか。大津波が想定されるから三十億円程度でできる外部電源を高台移動させて欲しいとの良識ある社内技術者からの要望を「三十億円なんか、もったいない」とケチった東電より、はるかに始末が悪い。
太陽光発電は、環境破壊も問題だが、それ以上に、地震国である日本国の運命において、原則禁止とするのが科学に適う唯一の方策である。科学を全面無視した“天下の悪法”「再生可能エネルギー特別措置法」の抜本改訂を急ぎ、太陽光発電を科学に沿って原則禁止とする正しい法律にしなくてはならない。
(2016年1月6日記)