筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
日本人の劣化は激しく、外交と外交交渉との区別ができなくなった。外交交渉は外交の一部だが、偉大な外交は外交交渉を断固排除することが多い。達人の外交は、ビスマルクやチャーチルをあげるまでもなく、外交交渉や外交接触を極力最小化する。
この理由は、国家の外交において交渉すれば状況が好転することが稀だからである。ほとんどの外交交渉は、「好転すること少なく、悪化すること多い」のが実際の外交の常だからである。つまり、外交交渉は、すればするだけ、自国の情況を悪化させると心得なければならない。この原因は、基本的に外交交渉者のほとんどが叡智も魂も無き愚昧が露わな無能政治家だからだが、外交交渉の本性に魔物的な偶然性や劣位側を追い詰める非情性が潜んでいることも大きい。
無交渉の外交は、交渉する外交に数段優って大勝利の近道となるだけでなく、失敗を回避する
外交交渉で成功/勝利する例が稀で、外交無交渉の方がより確実に外交勝利を手にするのは、摂理というべきこの外交原理に基づいている。「外交交渉か、外交無交渉か」の問題は、「市場経済か、計画経済か」の学的論争と相似性がある。
神の見えない手に委ねる市場経済の方が、人間の理性(=人智)で計算・計画する計画経済や統制経済とは比較にならぬほどに経済成長をもたらすばかりか、後者では逼塞・死滅させる自由と道徳を、前者の市場経済社会は共存させ存続させる。このように、浅はかな人智を排除した、数百年間の人間の行為の蓄積で形成された自生制度・秩序こそ真正の制度・秩序である真理は、菜根のごとくに何度も噛みしめるべきだ。
(計画経済と酷似した)外交交渉が国家に巨大な害毒をもたらし、(市場経済の神髄と共通する)外交無交渉が国家や人類に平和をもたらすことは、歴史に数例を求めるだけで容易に証明される。例えば、表1にあげる四例をとくと吟味してほしい。
表1;ロシアと外交交渉すれば、必ず大敗北と祖国への大害毒が日本国を襲う
第一節 国際法と外交史の知見を道徳と人間的情が包むのが真の外交
1979年12月27日のソヴィエト・ロシア(備考)のアフガニスタン侵略とは、「ロシア帝国のアフガニスタン併呑」であった。このロシアのアフガン侵略は、必ず北海道orイラン北部へのロシア侵略に続いていくことは、当時の世界の諜報機関と専門家の間で常識だったし、私もそう判断した。その時、私の脳裏をよぎった先達は、林子平であり、間宮林蔵であり、最上徳内であり、近藤重蔵であり、小村寿太郎だった。軍人では、マンネルへイム元帥であり、黒木為楨・陸軍大将だった。
そして、祖国日本を守るべく、(対ロ軍事力の大増強と憲法第九条改正・国防軍設置を訴えるとともに)ウィンストン・チャーチル国際政治学を広く日本国民に共有させることが私の使命だと堅く決意した。チャーチルの演説集『While England Slept』とこれに未収録の下院演説「紛れもない全面敗北」(1938年10月5日)を、急ぎ暗記した。
(備考) ソヴィエト・ロシア(=ソ連)とロシアとは、国内経済体制は大きく異なるが、「対外行動には寸分の変わりもなく、両者は完全に同一である」とするのが学問的に正しい。両者に相違があるとするのは偽情報で真赤な嘘。私の国際政治関連論文では、「ソ連」を「ロシア」と記述する理由はこれである。なお、ソ連とロシアの国内政治体制は、「共通しない部分が50%、共通する部分が50%」である。
アフガニスタン侵略に直面した世界は、現実の具体的な対ロ外交をどうすべきか。まず、日米欧の全ての対ロシア外交の完全遮断と対ロ経済関係の完全断絶を実行すべきが自由社会の外交の採るべき道。これ以外はない。よって、これを好機と、本郷時代からの私の信念「対ロ外交の神髄は無交渉にある」を広く闡明した。この時の対ロ外交の研究過程で強い影響を受けたのが、チャーチル以外では、米国レーガン大統領「悪の帝国」演説(1983年3月8日)など彼の多数の演説だったし、エドマンド・バークの「国王弑逆のフランス革命政府との講和に反対する」などであった。
それらから私は、「外交は道徳の精神と不可分であり、また道徳の精神こそが正道の外交に炎のエネルギーを吹き込む」との、もう一つの偉大な真理を教わった。レーガンもバークも、“道徳の大輪の華が咲く自由”を至上の価値とする保守主義者である。つまり、外交は保守主義こそがその魂にビルトインされていなければ正しい外交など覚束ないと、彼らは後世に“人類の遺産”というべき普遍の外交原理を明かにした。
外交の神髄は、善悪の峻別/正邪の差別を、命より価値あるものとして剣を抜く美しき道徳の顕現
レーガン大統領の「悪の帝国」演説については、何という過激で下品なソ連批判だと、日本では“反レーガン”を洗脳煽動するための報道がいっせいになされた。その原文の解説をするスペースは幾らでもあったのに、朝日新聞も多くの月刊誌も意図的に、そのような公正な解説を避けた。レーガンは、C.S.ルイスの『悪魔の手紙』を引用しつつ、ソ連と米国との国際関係の理解において、善悪の峻別や正邪の差別の道徳的価値ならびに偽情報除染がいかに必要かを説いていく過程で、ソヴィエト・ロシアを「an Evil Empire」と定義したのである。
C.S.ルイスは英国籍アイルランド人。小説家でもあるが、神学者で中世英文学者(ケンブリッジ大学教授)。日本でも大人気を博した映画「ナルニア国物語」の原作者である。映画「ナルニア国物語」は、原作七部作のうち三つ、『ライオンと魔女』『カスピアン王子の角笛』『アスラン王と魔法の島』が映画化されている。
さて、レーガンが引用した『悪魔の手紙 The Screwtape Letters』(1942年、注1)は、ベテラン悪魔が未熟な新人悪魔の甥に、普通の人間をして道徳的善/法的正義から悖徳・悪徳・邪に引きずり込む手法を教えるべく、三十一の手紙に認める構成の小説。レーガンは、この引用を通じて、まずはロシアに対する単細胞宥和政策の無効性を説き、またロシアへの願望思考の危険性を喚起した。
それは、三十三年後の2016年の安倍晋三への警告そのものになっている。なぜなら、安倍晋三は、プーチンへの宥和政策(対ロ経済協力 appeasement)が有効だと単細胞アミーバーと同じ知能simple-mindedで行動した。また、対ロ経済協力をすれば、黙っていてもプーチンの方から北方領土を返還してくるとの願望思考wishful thinking、つまり妄想から馬鹿げた16回の首脳会談に現を抜かした。レーガンは、このような安倍晋三を、「folly暗愚」と呼んでいる(注2)。
そしてレーガンは、『悪魔の手紙』に話を戻して、安倍晋三よ(ウクライナに侵略している)「悪の帝国」の侵略的事実を無視する誘惑に囚われるな、安倍晋三よ(北方領土にロシアが日ソ中立条約とポツダム宣言に違反して侵略した)歴史事実を無視する誘惑に囚われるな、なかんずく安倍晋三よ、「侵略者=ロシア、被害者=日本との関係」を無理に忘却して正邪/善悪の道徳的闘いから逃避すべきだの誘惑に囚われるな、と説諭したのである(注2)。
レーガンの「悪の帝国」演説ほど、法的正義を顕現すべく侵略国と闘うことの高雅な道徳的行為を、明快に説いたものは少ない。今でも、これを最初に読んだ三十三年前(1983年3月)の感動が、私の胸を熱くする。
倫理道徳は、善悪や正義・不正義の峻別と並列し、惻隠の情(同情、憐憫)なる美徳「仁」が車の両輪
レーガンは1983年3月、「悪の帝国」演説(8日)に続き、全国の米国民に向けてTVで人類史に残るSDI演説も行った(23日)。レーガンSDI演説ならびに、この1983年に米国が欧州米ソ核戦争「米国勝利」態勢であるパーシングⅡ弾道ミサイル&トマホーク地上発射型巡航ミサイルを配備開始したことによって、核戦争における大敗北に怯えたアンドロポフ共産党書記長とソ連は、東欧を西欧に返還する決定(六年後の1989年の東欧からの撤兵)をした。アンドロポフは、独裁の共産党支配(共産主義の宗教国家)を嫌うKGB議長でKGB第二総局独裁の新ロシアを構想していた。
ソヴィエト・ロシアに“大敗北に至る”との大恐怖(パニック)を与えたSDI演説の核戦略上の重大かつ絶大な効果についてはここでは脇に置く。本稿で指摘したいのは、SDI演説でレーガンが、国防や核抑止からではなく、倫理道徳から核防御兵器の必要性を説いたこと。レーガンは、「平和の核抑止を、核報復の亡霊(=核相互脅威/恐怖)に依拠するのではなく、(米ソお互いが完璧な鎧を着て)人間の命を救うやり方の方がいいのではないか。Would it not be better to save lives than to avenge them」と、米国民に訴えた(注3)。
胎児という人間の生命に対するレーガンの敬虔な心情は、戦争の惨禍として大量死という人間の最悪の悲しみへの慈愛心が無くては生まれない。レーガンが激越な対ソ巻き返しともに熱心に取り組んだ“堕胎の禁止”も、未生の人間の生命を守る/救うが原点である。胎児の生命擁護の政策も、SDI(対核弾道ミサイル防衛)政策も、人間生命に対するレーガンの高い道徳心(=観音菩薩的な慈悲心)なしには発想され得ない。
レーガンがエセー「堕胎と国民の良心」を季刊雑誌『The Human Life Review』に送ったのは、SDI演説とほぼ同じ、1983年2月だった。同誌の春季号に掲載された。すぐさま単行本化され、ロング・セラーとなり今も良く売れている(注4)。
レーガンは1983年時点で、1973年(米国で堕胎が合法化された年)から1500万人が合法的に殺されたとするが、それは胎児を人間と見做し、その人間生命として価値が減滅させられるべきものでないと考えるからである。道徳的に言えば、殺される胎児への惻隠の情であり憐憫である。道徳至上主義者レーガンは、美徳に包まれ美徳を体現した政治家であった。
さて、善悪や正義・不正義の峻別/差別だけではなく、美徳「仁」が加わり、双方が両輪(父母)となって初めて、道徳という車(偉大な子供)は生命を得て、その美しさを輝かせて走ることができる。新渡戸稲造『武士道』も、そう説いている。「仁は柔和なる徳であって、母のごとくである。真直なる道義と厳格なる正義とが特に男性的(倫理道徳)であるならば、慈愛(仁、惻隠の情)は女性的なる柔和さと説得性とを持つ。我々(武家の子弟)は無差別的なる慈愛(仁、惻隠の情)に溺れることなく、正義と道義をもってこれに塩つくべきことを誡められた」(注5、カッコ内中川)、と。
アダム・スミスの『道徳感情論』もまた、仁慈・仁恵・寛容ならびに正義という、二種に分類される倫理道徳を考察している。その第二篇は「正義と仁恵について」で、第一節が「この二つの美徳の比較について」(注6)。ハチスンの『道徳的善と悪についての研究』も同様である(注7)。むろん、同一の見解に立つデーヴィッド・ヒュームの偉大な古典『人間本性論』第三篇第一部&第二部第一節などは(注8)、1960年代末までの東大トップ卒は、『武士道』とともに諳んじていた。
なぜ、美徳における「仁」「慈愛」「惻隠の情」等をここで論じるのか。今般の安倍晋三の“祖国領土割譲の「反日」狂気”「対ロ経済協力」が、ウクライナ侵略の独裁者プーチンへの叩頭言いなりや対ロ経済制裁での欧州との約束のポイ捨て廃棄など、余りに度外れの“悪”“不正義”のやりたい放題であることに驚いただけではなく、安倍晋三には北方領土の旧島民への“惻隠の情”すらない、その悪徳ぶり/無法の悪漢ぶりにしばし絶句したからである。
レーガン大統領は保守主義者として、米国民にあらん限りに慈愛の眼差しをもって為政した。まさに、倫理道徳の鑑で、その実践者だった。そればかりか対ロ外交においても、レーガンは、この倫理道徳の両輪を双方とも前面に押し出して貫いた。一方、“無法に生きる無頼漢”安倍晋三は、双方の倫理道徳を全面的にポイ捨てした。いや、「ポイ捨て」は正確ではない。もともと異常人格のサイコパス安倍晋三には、正義感もないし善悪の峻別という道義・道徳性も皆無である。仁恵とか慈愛とか惻隠の情などの道徳も備わっていない。なお、ここでの「サイコパス」は、『診断名サイコパス』の定義に従っている(注9)。
第二節 旧島民を領土返還「演技」に利用した“人間以下の悪”安倍晋三
安倍晋三の12月15日/16日の行動は、誰の目にも異様だった。まず、①両日の主役であるべき北方領土の旧島民に対する対応が、自分の本心隠しに活用・悪用していることが、傍目にも透け透けに明らかだった。次に、②日本国は、北方領土をいっさい返還せず、しかもやたらと侵略者然の傲慢プーチンを外交上も道義上も断じて歓迎してはならないし、それは決して許されないのに、安倍晋三はプーチンにかしずくばかり。
つまり、安倍晋三は宗主国の皇帝を迎える“属国の土人の酋長”そのものに成り下がって、あらん限りにプーチンを平身低頭で歓迎していた。これでは、まったく理に合わない。主権国家・日本の総理職を冒涜する屈辱外交でなないか。真面な日本国民の間では、“世紀の対ロ売国奴”安倍晋三に対し、大きなブーイングの波が起きていた。
国後・択捉・歯舞・色丹の旧島民は、嘘つき安倍晋三に首吊ロープ1万7千個を送り大抗議せよ!
“スーパー対ロ売国奴”安倍晋三は、北方領土の返還にいっさい関心がない。安倍は政治家の名声を後世に残したい我欲一心で、日ロ平和条約を締結した実績を創りたいだけの“性悪の国賊”に過ぎない。祖先より相続し子孫に相続してゆくべき日本国の神聖なる領土を、政治家個人の利益という私的功名心のためにロシアに割譲せんとする日本史上稀に見る大犯罪者で大叛逆者が安倍晋三である。
安倍晋三の頭の中を覗き込んでみよう。安倍はまず、三千億円の極東シベリア対ロ経済協力をすれば、自分とは昵懇なプーチンは、見返りに歯舞・色丹を無条件で返還する。ならば、この時、日ロ平和条約を締結すればいい。俺様の政治的名声はこれで後世に残る。ヤッター。ニンマリ。
だが、この短絡思考のオソマツ屁理屈は、実におかしい。鳩山一郎が締結した(1956年10月の)日ソ共同宣言は、なるほど歯舞・色丹島の返還をもって日ロ平和条約を締結するとなっている。が、それ故に鳩山一郎は、「共同宣言」に格下げし、平和条約の調印だけは断固拒絶したのである。不治の病気で歩行は困難な上に思考朦朧だったが、鳩山一郎は、「日ロ平和条約は、国後・択捉島の全島返還の時しか締結できない」とだけはしっかと理解していた。日ソ共同宣言は、河野一郎と杉原荒太に騙された“お馬鹿”鳩山一郎が、日本の国連加盟と対ソ国交再開との取引で我慢しようと決断し署名した。
つまり安倍晋三の方が、米国国務省やフォスター・ダレスが「もうしばらくすると、ロシアは、国後・択捉島/占守島までの《千島諸島=クリル諸島》まで日本に返還してくるから、焦るな、待て」と止めるのを聞かず対ロ交渉を開始した“功名心の権化”鳩山一郎より、“対ロ売国奴”度が一段も二段も十段も悪質。なぜなら、「日ロ平和条約を歯舞・色丹の返還だけで締結して、国後・択捉島はロシアに割譲してしまおう」が、安倍晋三の本心だからだ。このことは、もうバレバレ。
とすると、安倍晋三とは、重症の病的人格障害の持主ということになる。安倍晋三は、プーチンに会う三日前の12月12日午前中、歯舞色丹だけでなく、国後・択捉島の旧島民(備考、注10)とも面談し、その要求「故郷に帰りたい」に対して「頑張ります」と誓っている。つまり安倍晋三は、生来の大嘘吐きのゴロツキである本性を発揮し、国後・択捉島の旧島民を初めから騙す意図をもって面会している。
備考;「千島歯舞諸島居住者連盟」の理事長・脇紀美夫ら七名。
安倍晋三は、旧島民と面会したのは、「頑張ったけどうまくいきませんでした」のアリバイ工作が狙いではない。実は安倍とは“ロシア人”になりきっていて、プーチンと共謀し(プーチンに命令されるままに)、旧島民の返還運動を抑圧してきたので、この悪事を隠蔽するアリバイ工作が面会だった。
北方領土の返還を心底から達成したいなら、2013年から、政府主催の「北方領土の全面返還をプーチンに訴えよう」の大がかかりな大会を内外のテレビカメラの前で何度も挙行しているだろう。また、島民のプーチン宛て手紙を、長門市においてではなく、それ以前の2014年頃から頻りに手渡し、同時に内外に公表しているだろう。安倍は、旧島民のプーチン宛て手紙を12月15日に非公開で手渡したのは、「そのままゴミ箱に捨てて下さい」と伝えるためだった。安倍晋三が、血も涙もない非人間でクズ人間以下なのを知らないとは、旧島民は余りに無知すぎる。
もし安倍が旧島民を「故郷に返してあげたい」と真に感じていたなら、12月16日、プーチンを講道館での柔道演武に招待する“プーチンへの土下座外交”を止めて、その時間を旧島民とプーチンとの面会時間にあてているだろう。また、孫正義などの経済界の人物をプーチンのために呼び集めるパーティなど開催せず、その時間に旧島民の「北方領土返還大会」を開かせてプーチンをそこに招待しただろう。
そして、その席でプーチンに「侵略しました/今も不法占領中で、ごめんなさい」と謝罪するよう迫っただろう。また、「もし此の場で謝罪しなければ、8項目経済協力プランは白紙にします。プーチンは手ぶらでロシアにお帰り下さい」と迫ったはずだ。
日本の領土を返還しないプーチンを講道館に招待し、趣味の柔道演武を観覧させて良いのか
ここから、第一節で喚起した倫理道徳の第二の柱「仁、惻隠の情、憐憫」を、安倍晋三がいっさい有しない問題、すなわち安倍晋三の反・道徳のサイコパス問題に入る。安倍晋三が道徳も良心も無いサイコパスであることは、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんらにいっさいの関心もない、その哀しみの悲劇に全く心が動かないことで、充分に証明されていよう。
安倍晋三は、悲劇と不運の同胞に涙することがない。そればかりか、そのような悲劇と不運の日本人を見るや、自分の選挙や人気にどう活用・利用するかと考える。エチオピア人婦女子150万人以上の餓死処刑に歓喜した、顔から血が滴る父親・晋太郎の残忍性をDNAとして安倍晋三は受け継いでいる。簡単に言えば、人間の生命に限りない愛情を注いだ米国レーガン大統領と真逆の、人間の命をせせら笑う異常人格者が安倍晋三である。
だから、すでに8月15日の停戦から二週間も経っている1945年8月29日~9月4日に、故郷を不法に追われた旧島民に対していささかの同情も一片の惻隠の情愛も、安倍晋三には無い。だから、旧島民の悔しい思いなどどこ吹く風と、(TVで見えるから)その目の前で、侵略国の皇帝プーチンを歓待すべく、講道館で最高の演武をみせ、また経済人たちのプーチン歓迎パーティを開いてあげた。
旧島民の方々よ、1945年8月15日のその数は、1万7千人以上であった(注10)。亡くなった方々は、無念の涙で息を引き取った。それなのに安倍晋三は、自分の国後・択捉島放棄を国民の目から隠蔽する工作に旧島民の心情を利用することをあえてした。これほどに愚弄され侮辱されたのであるから、旧島民の方々はけっして泣き寝入りしてはいけない。新渡戸稲造の『武士道』に従って辱めを雪ぐのが真正の道徳に適う人間の正しき道である。安倍晋三に首吊りロープを旧住民総数の1万7千個送り付けるべきだ。これこそが、日本人の魂の発露である。これこそが、祖先から預かっている我が固有の領土を奪還する確実な方策である。
(2016年12月22日記)
注
1、C.S.ルイス『悪魔の手紙』、平凡社。中村妙子訳。
2、「悪の帝国演説」は、インターネットで全文を検索できる。
3、「SDI演説」は、インターネットで全文を検索できる。
4、Reagan,Abortion & the Conscience of the Nation,Thomas Nelson Publishers.
5、新渡戸稲造『武士道』、岩波文庫、52頁。
6、アダム・スミス『道徳情操論』上、未來社、189~196頁。
7、ハチスン『美と徳の観念の起源』、玉川大学出版部、に収録。
8、ヒューム『人性論』四、岩波文庫。
9、ロバート・ヘア『診断名サイコパス』、早川書房。
10、旧島民とは、1945年8月15日の住民とその子孫をいう。「1945年8月15日の住民」は、『朝日新聞』2016年12月17日付けによれば、表1の通り。
表1;北方四島の住民数
附記;“侵略の皇帝プーチンの犬”山下泰裕や秋田県佐竹敬久を無罪放免していいか
以下は、安倍晋三本人ではない。むろん、安倍晋三から依頼された可能性は大だから、その責任と罰は一等減じられる。だからと言って、その罪が免罪されることはない。ある殺人犯への情状酌量があって罰は大幅に減じられても、殺人罪そのものは消えないのと同じである。
ここで取り上げる対ロ売国奴、つまり“プーチンの犬”は、秋田県知事・佐竹敬久、柔道家の山下泰裕、富士ゼロックス社である。
秋田県知事・佐竹敬久は、2012年、対日侵略が常習の“ロシアの新皇帝”プーチンに、秋田犬「ゆめ」(雌)を贈った非国民である。北方領土から追われた1万7千人の心を踏みにじる悪行の最たるもの。いや、満洲で殺害された日本の婦女子20万人以上の怨念を侮辱する倫理観ゼロの反・道徳の非人間というべきが佐竹敬久である。
しかも佐竹敬久は、プーチンからシベリア猫「ミール」を贈ってもらい小躍りして、臨時の“日本のロシア間諜”になった。露語「ミール」は平和とか世界と訳されるが、“全世界をロシアが支配した時に平和が来る”という、「世界征服 ウラジミール」と同義のニュアンスがある。つまり、「ドビー」プーチンは、秋田県がロシア領になった時、秋田県は平和になるという意味を込めて、佐竹に贈った。佐竹が、ロシア産猫「ミール」を直ちに殺処分するか否か、監視しなければならない。それは、佐竹が日本国民か否かのリトマス試験紙である。また佐竹敬久は、今般のプーチンの日本来寇に際し、秋田犬の雄を贈ろうとした。佐竹は、どこまで対ロ売国を続けるつもりなのか。
なお、「ドビー」とは、映画「ハリー・ポッターと秘密の部屋」(2003年)に出てくる畸形の怪人のことで、プーチン大統領をモデルにしている。これ常識。
次は、富士ゼロックス社。同社が安倍晋三からの依頼で複写したからの理屈で、日本人であるのに、対日侵略中のロシア独裁者プーチンのため、同社の技術力の総力をあげて「ヘダ号」建造の光景を記録した「戸田浦における露国軍艦建造図鑑」の複製を創っていいのだろうか。ポツダム宣言とジュネーブ陸戦法規に違背するシベリアの極寒で殺戮された同胞・日本人男性60万人(シベリア強制連行数107万人-舞鶴港帰還者47万人)に思いを致さないことが、「道徳に反しない」とでも言うのか。
そもそも川路聖謨は、プチャーチンの軍艦「ディアナ号」が台風で沈没した時、代船「ヘダ号」を造る暇があるなら、プチャーチン一行を処刑すべきだったし、それが正しい対露外交である。そうしておけば、下田条約はなく、樺太全島はポーツマス条約でやっと南半分を取り返す小村寿太郎の苦労は必要なかった。また、下田条約がなければ、自然的に国後・択捉島が日本領、得撫島が「日ロ雑居の地」として決まっただろう。対ロ交渉が、日本側の情況を劇的に悪化させる最初の事例が、この下田交渉であった。1855年の後、川路聖謨を処断しなかった日本のけじめのなさが、今に続いて、日本のロシア属国化を進捗させている。
さて、山下泰裕は今般の講道館演武で、対日侵略者の代表プーチンを歓待し“ロシアの犬”となった。山下はプーチンを押さえ込んで、「北方領土を返還せよ」と叫んではいない。柔道の世界的な指導者として山下は、礼節を守るだけでなく、「盗んだ物は返還させる」礼節を守らせる義務を果たすべきだった。山下泰裕は、今般の不祥事態の責任をとり、全日本柔道連盟の理事・副会長職を辞任されたい。