ルイ15世がルソーを処刑しておけば、ルイ16世や数十万・仏人の血しぶく犠牲は無かった。大正時代、津田左右吉を処刑しておけば、昭和天皇“銃殺”目的の大東亜戦争はなかった──なぜ私は、精魂込めて『神武天皇実在論』を上梓したか(Ⅳ)

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 1755年、“王殺し”を人類史上初に提唱した、“世界最凶の血塗られた狂人”ルソーの『人間不平等起源論』が出版された。この時、フランスの王・ルイ15世が、この“《王殺し》煽動の悪魔の書”『人間不平等起源論』を出版した廉でルソーを処刑しておけば、王孫・ルイ16世が無実の罪でギロチン殺戮される“不正義の極み”は(1793年1月)、起こらなかった。

 ルイ16世の処刑は、本人の悲劇で済ます問題ではなく、人類全体の自由と法的正義に対する重大な侵害で、人類全体が糾弾すべき問題。今日の日本人も、この義憤・公憤すべき歴史事件に対して看過してはならないし、忘却もしてはならない。

 ルイ15世(1715~74年)が、ルソー『人間不平等起源論』について、この1755年に、臣下から報告を受けたか否か、私は調べていない。が、ルソーが『エミール』を出版した1762年、カソリック教会からのルソー逮捕の要請があったから、ルイ15世は、『人間不平等起源論』の存在をこの時に知ったはず。なぜなら、“教会法違反の犯罪書”『エミール』出版をもって教会がルソーへの逮捕状を発出した旨を報告する王の臣下は、序に、ルソーの“王殺しの狂書”『人間不平等起源論』の概要も、レクしただろうと推定されるからである。

ルソーを逮捕し教会に引渡せ、とは命じなかったルイ15世。王孫ルイ16世の処刑はその三十年後

 ジャンヌ・ダルクの時代とは全く異なり(ダルクの焚殺は1431年)、十八世紀には、教会権力もその権威も大きく低下していた。カソリック教会は、教会法違反者に対する裁判権はまだ有していたが、それを逮捕する官憲組織を全く失っていた。逮捕は、世俗権力の警察が代行する時代になっていた。

 さらにルイ15世の時代に入ると、警察は教会の意向を無視し逮捕業務をさぼることが日常化していた。実際にも、ルソーは警察の逮捕を避けるべく、当初スイスに逃れ、次に英国に逃れデービッド・ヒュームの庇護を求めた。が、ルソーは、フランス警察が追捕使を送ってこないのを知って、平然とフランスに戻った。カソリック教会の権威は、これによって、さらにガタ落ちした。

 そもそもカソリック教会は、三十年戦争(1618~48年)後に、その権力の急速な弱体化が進んだ。さらに十八世紀に入り特にルイ15世時代、ヴォルテールなど反・教会の革命思想家たちが大・繁茂した。これが決定的になり、教会を馬鹿にすること自体がフランス世論の絶対多数となった。

 王制の擁護と教会の擁護は“自由擁護の二輪三脚の巨木”なのに、ルイ15世もその周辺の貴族たちも、「教会の没落は、王制の安泰」(=他人の不幸は蜜の味)と逆さに捉えた。何と言う愚かしいことか。が、「民族の伝統と慣習の絶滅こそ、日本の未来」とする、1906年に始まって今に至る、日本の自国毀損の狂気も、ルイ15世時代のフランスの愚行そっくりで繰り返しである。阿鼻叫喚でフランス人が殺されまくったフランス革命の狂気が、日本で再現される日は、そう遠くない時期に迎えるだろう。現在の日本人・小中学生が、支那人や朝鮮人に好き放題に殺される次代の跫が、今、着実に近づいている。

 ルイ15世は、“教会法でルソーの『エミール』を裁きたい”との教会の要請を無視すべきでなかった。しかも、ルソーを逮捕し教会に身柄を送致してあげれば、ルイ15世国王の内務省と裁判所が労せずして、『人間不平等起源論』でルソーを不敬罪で死刑の裁きをすることが可能になっていた。

 1760年代にルソーが『エミール』や『人間不平等起源論』で死刑になるかor死刑にならずとも十年以上の懲役となれば、フランスに巻き起こりつつあった血塗られた破壊と殺人の狂気「王制廃止/教会廃止」の“悪魔のデマゴーグ”ルソーが、さらに「神」と崇められていく狂気がフランスを乱舞して覆い尽くすことはなかっただろう。ルソーを処刑していれば、殺人祭り以外の何物でもなかった“狂気”フランス革命の勃発は、予防されただろう。

 後知恵だが、こうフランス革命“前史”を真正面から考察すると、ルイ15世国王の“無為”つまり“無法言動や国家破壊言動に対する放任”こそ、常軌を逸していたのである。言い換えれば、王殺し煽動のルソーと教会罵倒キャンペーンのヴォルテールの二名だけでも死刑に処して王制度と教会制度を守ることが、フランスの自由とフランス国民の生命・財産を守る最低限の国王の職責だとの認識が、ルイ15世国王に欠如していた。この国王の不見識が、フランス全土を血が滴る地獄に叩き込んだのである。フランスには、“国家の自由を守る騎士”バークが不在だった。

 前者を不敬罪で後者を教会讒謗罪で死刑にすることは、暴君の仕業ではない。フランス国家の自由とフランス国民のために、賢君がなすべき当然の職務であろう。これをルイ15世が威風堂々となしていれば、ルイ16世がギロチンで処刑される“反・自由”がフランス国土を覆うことはなかった。フランスは英国とともに、世界の自由の先頭に立つ大国であり続けた。バークの指摘は正しい。

 もう一度言う。カソリック教会が1762年、ルイ15世国王にルソーを逮捕して引き渡せと、当時の法制度に従って要請した時、同国王が(「教会は時代錯誤だな」とせせら笑い無視を決め込まず)法治主義を守ってそうしていれば、三十年後の1793年、王孫ルイ16世がギロチンで殺されることはなかった。当然のその結果、このギロチン処刑の直後に始まったフランス一般国民を襲う虐殺(ジェノサイド)の大津波もなかった。

焚書など無策で危険なブーメラン。フランス国民の命を守るに唯一の有効策は、ルソーの死刑

 カソリック教会は、キリスト教が消え新しい独裁者を戴く全体主義国家=新宗教国家にフランスを改造することを提唱した『エミール』を、シャンゼリゼ通りで焚書して気勢を上げた。仮に『エミール』が一千部出版されたとして、全フランスの教会が血眼になって回収したとしても、900部の『エミール』が限度。つまり、100部は個人の書斎に隠匿されたはず。つまり、『エミール』は、数年を経れば、隣国のベルギーやオランダなどでいつでも大量再刊される情況に何ら変化はないのである。現在、我々日本人も、『エミール』の訳本を手にしている。この事実は、焚書の無意味さの証左。なお、筑波大学図書館は、焚書したはずの『エミール』初版本を一億円以上で落札し展示している。焚書のナンセンスは、かくのごとし。

 キリストを殺してルソー自身が「この世の絶対神」になっているのを描いた小説『エミール』が放つ全体主義体制づくりの指針は、その後レーニン/スターリン/金日成/ホーチミン/毛沢東/ポル=ポトの経典となった。前者五名は“神だから不死immortalであるべきだ”と、その死後、特殊防腐剤で生きた状態を演出する(どんな野蛮人もしなかった人類最悪の野蛮の極みたる)廟をつくり、国民に礼拝させ続けることにした。

 スターリン廟はフルシチョフによって壊され、現在残っているのは、それ以外の四つ。国民に「神」として礼拝を強制しているのは、今では北朝鮮だけ。が、この四つの廟の存在は、『エミール』が放った狂気の史上空前の魔力のすごさを見せつける。“世紀の狂書”『エミール』を、現在も読んでいるのは、世界で北朝鮮と日本だけ。フランスですら読む者はいない。米国で『エミール』を愛読していると教室で語ろうものなら、その教授は、FBIの公安に家宅捜査される。また、ほぼ間違いなく大学も懲戒免職にする。

 日本では、中江兆民によって、明治時代に早々と殺人鬼ルソーが、秩禄処分で心にぽっかり穴が開いた(土佐藩に始まる)旧武士階級の愛読書となった。そして、大正時代、日本の知識層は、ロシア革命前夜とレーニンのロシア革命成功の影響から、巨大な集団となって共産主義に走り出した。学術用語「大正デモクラシー時代」は偽装表示。正しくは「大正コミュニズム時代」。

 この情況は、大正時代に、学者から“共産革命万歳の書”が大量に出版されたことで明らかだろう。例えば、古代天皇を次々にテロルする津田左右吉は、自らをロベスピエールやレーニンの再来に準えていた。金田一京助は、日本人から日本領土を奪い、日本人を領土国土なき地球放浪者にすべく「アイヌは東北以南広くに居住していた」と、ありもしない真赤な“妄想”嘘歴史を書きまくった。津田も金田一も明治時代に生まれ明治時代に育ち、大正時代に学者の地位を得た。

 昭和に入ってスターリン細胞の日本支部長になった河上肇は大正時代、ルソーの『人間不平等起源論』に従い、大正天皇を殺害する目的で嘘八百『貧乏物語』を朝日新聞に連載した。ルソーとフランス革命を崇拝する共産主義者・上杉慎吉は、右翼偽装を考案し、その後、日本の共産革命家はことごとく右翼偽装をするのが普通になった(備考)(しっかと共産主義者を取り締まっているFBIの「共産主義者公務員即時免職法」と異なり)1925年の治安維持法がザル法なのは、この偽装を想定していなかったからである。

(備考)GRUの共産主義者・平泉澄、日本共産党特別党員・西尾幹二、女性宮家“養子”論の日本共産党秘密党員“三羽烏”櫻井よし子/八木秀次/百地章などは、上杉慎吉から偽装方法を学んだその直系。

 大東亜戦争はスターリンの命令に従い日本国と東アジア全域を赤化するのが戦争目的だったから、ポツダム宣言で停戦した1945年8月15日に至る八年間で、日本は戦争目的通りにぎょっとするほど赤い日本に改造されていた。1945年9月2日にGHQの占領行政のお陰で、日本がロシアの奴隷国にならずに済んだのである。もし、米国が自己犠牲の太平洋戦争をしなかったら、今頃、日本はロシアの命令で、若者五十万人ほどをウクライナ国民殺しにウクライナに派遣している。米国の太平洋戦争とは、日本国をロシアの奴隷状態から救出した偉大な神風であった。

ルソーを死刑に処さなかったルイ15世の暗愚。津田左右吉を死刑にしなかった内務省の超・愚鈍

 日本は、1930年代に入るや国中で、「スターリン様」「計画経済様」が歓呼する共産主義万歳狂の真っ赤な国に変貌した。この重大事実を、日本共産党が完全に牛耳る戦後日本の現代史学界は、徹底的に隠蔽した。現代史学界で、数十年に亘り、日共の支配を撥ね退けているのは、中川八洋ひとり。

 戦前日本の四大共産革命「5・15事件→2・26事件→大東亜戦争→8・14宮城クーデタ事件」は、スターリンの命令に従って、昭和天皇殺害も目的の一つとした。また、この四大共産革命は、近衛文麿などの政治家や尾崎秀実らのジャーナリストとともに、ソ連大使館のベリヤ系NKGBの指示に基づき、陸海軍の赤い軍人が主力となって決起し遂行した。しかし戦後日本で、「5・15事件→2・26事件→大東亜戦争→8・14宮城クーデタ事件」の原因と主役を暴いた学者は、河上肇の日共から寝返った三田村武夫のほかは、中川八洋ひとりしかいない。

 日本の現代史学者の99.9%は、日本共産党員かKGBロスケか、(波多野澄雄のように)それらとつるんでいる者しかいない。例えば、日本共産党特別党員・西尾幹二は、“極悪のKGBロスケ”でもあるから、その周りにはKGBロスケがわんさか集まっていた(備考)

(備考)KGB対日工作員の西尾幹二が、KGB(ソ連ブレジネフ書記長)から依頼され出版した本に『ソ連知識人との対話』がある。西尾幹二が可愛がったKGBロスケには、工藤美代子/福井雄三/河添恵子/坂東忠信ほか多数。昵懇のKGBロスケには田久保忠衛。「教科書つくる会」で西尾に合流した(ニーチェ狂信で西尾とは同志の)佐伯啓思は、激しい天皇制廃止の極左(a)で、狡猾な“こっそりKGBロスケ”。aの証拠は、左右社刊の『Thinking〇第九号』の96頁ほかを読まれたい。

 さて、本論。ルイ15世国王は、ルソーを処刑にすべきであったのに、放任して逮捕すらしなかった。この杜撰さが、フランスを死臭に満ちる地獄に化したフランス革命を招き、自分の孫ルイ16世をギロチン送りにした。が実は、日本も、全く同様な愚行を犯している。

 1920年代の内務省は、“レーニン崇拝の狂人ロスケ”後藤新平を毛嫌いしていたから、当時の日本では相対的には最もしっかりしていた官庁だった。後藤新平が外務省を押さえつけ強引にソ連と国交を回復したが(1925年の「日ソ基本条約」)、これに対抗して内務省は治安維持法を制定し、ソ連から共産主義思想が流入するのを防がんとした。この時の内務大臣は、やや保守の(大蔵官僚出身の)若槻礼次郎であった。

 が、日本と国交を持つや、ロシアは直ちに日本の主要出版社や書店を篭絡し、翌1926年には早々とレーニン/ブハーリン/スターリン/マルクスの本(ドイツ語)が、神田の本屋街(古本屋街になるのは戦後)に所狭しとうず高く積まれた。ロシアの対外情報(洗脳)工作力は、人類史上類例がない世界随一。まさに、その本領を発揮した光景が、この神田の本屋街だった。

 内務省は、河上肇らのミニ団体「日本共産党=コミンテルン日本支部」潰しにエネルギーを注ぐべきではなかった。それはそれとして適当にやりつつ、主力を日本の若いエリート層に浸透する共産主義思想の爆発的な蔓延を防止することに集中すべきであった。が、官界・学界及び陸軍の、共産主義にかぶれた極左連中は、治安維持法を避けるため、マルクス・レーニン主義を水戸学で糖衣した。すなわち、公然と天皇制廃止を口にする河上肇や三木清や村田陽一らの当時の日本共産党は、規模も人数も小さく、日本の共産主義勢力の5%以下。彼らは、いわば陽動部隊だった。

 日本の天皇制廃止勢力のほとんどは、「国体明徴」や『国体の本義』など水戸学のマントを着ていたから、ここを潰すのは相当な知恵が必要。しかし、内務省の反共官僚は、この情況には気付いていたが、対策の知恵の方が浮かばず、手も足も出なかった。

 民族系の服で化粧している天皇制廃止勢力を潰す方法は、学者を一人“死刑”にするのが効果覿面。この一人を誰にするかこそ、天皇制護持が担当の官庁・内務省の職責だろう。なお、治安維持法で死刑などしても、当時はマイナーな団体「日本共産党」だけが対象だから、効果は極めて薄い。いや逆効果の方が大きく、得策とは思えない。つまり、治安維持法を持ち出さないのが賢明。

 ではどうするか。一般の国民が納得する死刑は、刑法不敬罪の第73条のみ。だが、この条文は、現在生きておられる天皇/皇后/皇太后への危害を“犯罪”と定めるもの。一方、学者には誰一人そのような事件を犯していないから、第73条の適用は無理だと、内務官僚は即断したようだ。が、学者の中に、一人だけ死刑を執行しても、一般の国民が納得する者がいた。それが津田左右吉。

全天皇は瓊瓊杵尊で昭和天皇も神武天皇も同一。神武天皇の紙上テロルは昭和天皇へのテロル

 “悪辣な天皇制廃止狂”津田左右吉は、神武天皇から第九代開化天皇までの九名の天皇と、第13代成務天皇/第14代仲哀天皇を紙上テロルで、殺害している。仮に、刑法第73条が、「今上の」天皇に「過去の」天皇も含めると解釈できるなら、津田左右吉は、この計十一名の天皇を殺害したことになり、死刑の刑法第73条が適用される。

 刑法第73条とは、「天皇、大皇太后、皇太后、皇后、皇太子または皇太孫に対し、危害を加えまたは加えんとした者は死刑に処す」、である。

 この条文の天皇以外は、「今上の・・・」に、「過去の・・・」を含める解釈など、荒唐無稽すぎて万が一にもできない。が、天皇に関してのみ、この拡大解釈は、何らかの補遺的な法律条文か(例えば、治安維持法に一条加える)、内務省の政令で明記する、などの補強で可能となったはず。

 理由は、日本の天皇は、歴代の天皇がそれぞれに存在するのではなく、皆同じく「瓊瓊杵尊」だからである。この故に、天武天皇が「天皇、訓みは《すめらみこと》」号をつくられる以前、「おお(ほ)きみ」でなければ、天皇は「すめみま(宛て漢字は「皇孫」)と呼称された。つまり、歴代天皇は、「すめみま」=「ににぎ尊」で、126代(もしくは北朝の五名を加えて131代)の全員が同一人物なのだ。

 すなわち、神武天皇を紙上で殺害した津田左右吉は、「ににぎ尊」を殺害したのだから、それは「ににぎ尊」であられる昭和天皇を殺害したことになる。もう一度言う。「ににぎ尊」はお一人しかおられず、神武天皇と昭和天皇とは血によって連続している別天皇とは解されない。つまり、神武天皇と昭和天皇とは「ににぎ尊」という同一体だから、神武天皇“殺害”は、即、昭和天皇“殺害”となる。

 なお、ここでの議論は、大嘗祭を終えられた1926年の昭和天皇を想定。また若槻礼次郎の内務大臣は1926年6月までだが、総理大臣の職に1926年1月から1927年4月まであったので、津田左右吉を逮捕・起訴・死刑求刑する法的整備を、若槻は内務大臣/総理大臣として遂行できた。 

 しかし、大嘗祭によって、①天皇は瓊瓊杵尊になられること、②歴代天皇はみな瓊瓊杵尊として同一体であることを、平安時代の中頃からは、大嘗祭そのものは殊の外に重視しながらも、朝廷内部でも①②をほとんど重大視しなくなった。古来からの伝統的な皇室語「すめみま」が、奈良時代から使われなくなったことも影響していよう。

 戦後日本で大嘗祭を正しく理解していたのは、2000年以降では、真弓常忠(2019年4月3日に死没され、あの4月30日の、安倍晋三の上皇陛下への大不敬事件「お前は退位だ!」の絶叫を聞かずに済んだのは、せめてもの菩提となった)と中川八洋だけになっていたから、上記のような法律解釈が、今の日本人にできるかについては、はなはだ心許ない。

 それでも、無実の罪でのルイ16世の処刑を非業の死で済ますわけにはいかない。同様に、津田左右吉が古代天皇を面白半分に殺しまくる不敬の悪質犯罪を、学問の自由の範疇に括って法的処罰の埒外に置くことも許してはならない。王殺し提唱のルソーと古代天皇“殺戮”狂の津田左右吉に対して、死刑の処分こそ法的正義の顕現だから、これを避けるべきではなかった。この意味で、ルソーと津田左右吉への糾弾と断罪の手は、今後も僅かも緩めてはならない。中川『神武天皇実在論』は、このための基礎知見を提供したのである。

                                              (2023年4月27日記)

 

(参考)

 大嘗祭については、それを今に正しく伝える、真弓常忠『大嘗祭の世界』と、次の私の大嘗祭論文二本を、菜根のごとく、拳々服膺されたい。

1、「大嘗祭の死滅を狙う、神嘉殿“代用”と言う狂説」『天皇退位式は、皇統断絶』、ヒカルランド。

2、「第四章 “聖なる秘”を敬仰できる光栄と“世襲の忠誠精神”」『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』、ヒカルランド。

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