ロシア軍、ついにウクライナに本格的侵略を開始 ──日本人はなぜ、ウクライナの次は北海道と戦慄しないのか

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

  日本人の内向き志向は、癌細胞のごとく日本人を蝕んでいる。「東北復興だ」とか「原発いやだ」とか「避難生活は可哀想だ」とか、いわば小学校の女児レベルの「津波だ、地震だ、土石流だ」とばかり喚いてすでに三年有余。

 日本が世界に生きている国家であることを、日本人は忘れてしまった。つまり、世界が安定と平和でない限り、日本は国家安全保障も経済発展もありえないが、日本はそんな常識すらすっかり忘れてしまった。さも日本列島が、南太平洋のタヒチ島あたりに引っ越したかの妄想に耽っている。

 眼をしっかと世界を見据えていなければ、津波や地震の何千倍も何十万倍も怖ろしい事態が、不可避に日本と日本人に襲い掛かってくる。当り前の「最もありえること the most thinkable」は、どう逃避しようと、“見猿、聞か猿、言わ猿”を決め込んでも、広島の土石流のごとく、絶体絶命に襲来する。

 国家の安全は、国防をもって第一とするのは、主権国家の自国と世界秩序への責任である。

“戦争の21世紀”が始った血腥い世界は、日本を例外地域にすることはない

 だが、脳天気な日本人は、現在の世界情勢に無気力(アパシー)的に無頓着。日本が明日にも戦争の修羅場となる最悪事態が着実に近づいている跫(あしおと)を聞こうとはしない。世界は、日本人の“平和願望 wishful thinking”とは無関係に、日に日にキナ臭い方向に動いている。

 麻原彰晃の狂気「アルマゲドン」すら科学的かに思える「憲法第九条を世界に輸出しよう」などと、凶悪なカルト宗教教団の洗脳宣伝紙『朝日新聞』を読む馬鹿げた遊びをしてもよい、そんな情況など日本のどこにあると言うのだ。

 現今の国際情勢は、歴史に求めれば一九三六~七年の世界そのものが再来したといってよい。この結果、行き着く日本の近未来は「一九三九年九月のポーランド」だろう事は、間違いなかろう。

 一九三六~七年の世界とは、ファッシスト・イタリアがエチオピアを侵略し、ヒットラー・ドイツがラインラントに進駐しベルサイユ条約・ロカルノ条約体制が崩壊し、日本が支那本土に理由不明な戦争を開始した時である。このとき世界は、情勢をしっかと見つめようとはせず、ただ唖然・憮然としつつ、こんな戦争狂の三ヶ国もいずれは矛を収めるだろうと安逸な願望で見て見ぬ振りをした。

 例えば一九三六~七年の英国では、独りウィンストン・チャーチルのみが「世界大戦が始まる/英国本土はドイツの空襲下に陥る」と正確に予見して国会議員と国民に向けて国防強化を訴えたが、英国人はチャーチルを嘲笑するばかりであった。米国では“対外戦争からの超然主義”「アメリカ・ファースト America First」派が主流で、妻が共産主義者であったルーズベルト大統領ですら、その対外政策の立居地は未だ定まっていなかった。

 翻って、この二〇一四年、ロシアの新型独裁者プーチン大統領は、春にはウクライナ・クリミヤ半島を侵攻併呑し、今はドネツク併合に向けついに八月二十八日、アゾフ海の海岸町ノボアゾフスクに一千名を越える戦車/多連装ロケット砲の部隊を侵攻させた。しかも、プーチンは平然とこのロシア軍の侵略を認めたばかりか、親ロ派のウクライナ国民に「ロシア軍が直接介入するから、親ロ派はポロチェンコに降伏せず戦闘を継続せよ」との声明を発した(八月二十九日、注1)

 対外侵略だけが共産独裁政権を持続させうるレッド・チャイナ中共も、東シナ海の尖閣諸島(日本)、南シナ海のパラセル群島(ベトナム)などへの攻勢的な侵略態勢をますます強化している。フィリッピンのスプラトリー諸島に対する軍事基地化も急ピッチで進めている。中共の南シナ海侵略が、ロシアと連動しているのはいうまでもない。

 これを好機と中東では、フセイン独裁政権後の弱体イラク政府の迷走政治、ならびに内戦で半ば統治能力を失ったシリア独裁政権の揺らぎに応じ、「イスラム国」を称するイスラム原理主義の武力集団がイラク・シリア乗っ取りに台頭した。しかも、シリア/イラク両国の軍事的な秩序崩壊や空白(vacuum)を埋めるだろうと目されていた米国が、軍事臆病病の口先大統領オバマのバカ発言の連発によって、米国は中東では何らの力も発揮できないことがはっきりした以上、「イスラム国」は益々やりたい放題の暴走を拡大している。

 これらロシア/中共/「イスラム国」による侵略と軍事動乱を、痴呆化した日本人は、遠い火星かどこかの出来事かに考え、明日には自国に降ってくる火の粉であるのがわからない。まさに、一九三六~八年頃のポーランドそっくりである。

 一九三六~八年のポーランドは、同盟国フランスと自国の陸軍力がヒットラー・ドイツの二倍であることに安心・油断して、現実には、フランスの軍事力などフランスがポーランドに隣接していない地政学的な地理の決定的な欠陥においてゼロに等しいのを直視しなかった。

 ポーランドが、自国がもしかするとドイツに侵略されるかもしれないと感じ始めるのは、何と侵略半年前の一九三九年三月であった。十年以上の歳月がかかる軍事力の増強など不可能で、もはや万事休すであった。そればかりかポーランドは、東側からロシアが侵略してくるのを全く想定しなかった。

 “脳天気国”ポーランドのその脳天気ぶりの代償は、国土がドイツとロシアに二分されたあげく、ポーランドという国家そのものが地球上から跡形もなく消された。そればかりか人口三千万人のポーランドは、たった六年間(一九三九~四五年)で六百万人が殺された。国民の五人に一人が殺されたのである。

八時間もプーチンと会談したウクライナ大統領(ポロシェンコ)の愚鈍が、ロシアの侵略を誘発した

 ロシア人は、ロシアと話し合いをする国家を軽蔑する。ロシアとの間に妥協を求めて外交をする国家は“独立に値しない属国”だと看做す。十三世紀のモンゴル帝国のチンギスハンがそのまますべてのロシア男性になったのである。

 ウクライナ大統領のポロチェンコは、八月二六日、白ロシア(ベラルーシ)でプーチンと、八時間もウクライナ東部の分離・親ロ主義の武装蜂起問題を語り合った。ロシア人にとって、このような外交交渉は、ロシアにウクライナ東部を割譲するとのメッセージに他ならず、プーチンはこの会談後、直ちにロシア軍にアゾフ海からの侵攻を命じた。

 ロシア隣接国が、もしロシアに対して断固たる和平を欲するならば、決してロシアと接触してはならない。ロシアと対話をしてはならない。拳を振り回して、ただひたすら軍事力強化に専念すること、それがロシア隣接国が自国の平和を守る唯一の道である。

 この無対話の対ロ外交を正しく体得していたのは、英国の天才ウィンストン・チャーチル、日本の吉田茂、米国のロナルド・レーガン(リチャード・パイプス教授の助言)、フィンランドの国父マンネルへイムであろうか。小村寿太郎もこの仲間に入るかもしれない。

 これら五名の先達の“無交渉の対ロ外交”大原則を今日の日本で正統に継承しているものが、(一九六〇年代までの日本にはかなりいたのに)いつしか私ひとりになった。日本国の命運がもやや尽きようとしている感は拭えない。

「中共の尖閣侵攻とロシアの北海道侵攻は同時」も想起できない日本人の超愚鈍

 日本人の愚鈍は、このような対ロ外交の絶対基本原則に無知になっただけではない。もっと怖ろしい愚鈍病・無気力病にすべての日本人は犯されてしまった。それは“対ロ国防の完全忘却”であり、対ロ国防の全面放棄主義が国策となったことである。

 この対ロ国防全面放棄主義の日本のリーダーこそ、何をかくそう首相の安倍晋三である。安倍は二〇一三年秋、“対ロ防衛力など全く不要だ”と防衛省に指示したトンデモ首相。安倍晋三は「日本国がロシアの属国でもいいではないか」と考えているふしがある。そうならば安倍はまさしく“売国奴”である。

 だが、多くの本稿読者は、この事実を信じないし了解しまい。安倍晋三は、わが国の国防に寄与する集団的自衛権の行使にかかわる憲法九条の政府解釈を是正した。この意味では立派な功績を残した政治家である。

 確かに安倍晋三は、防衛法制上の改善に取り組んでいる。だがそれは、祖父・岸信介の遺言に従ったが故に、偶然に正しい方向に進んだだけではないのか。岸信介は、物理的な国防力については、何も語らなかった。ために、物理的国防力に関する安倍の考えは、反・軍事力主義者で親ロ一辺倒の父親・安倍晋太郎をそのまま引き継いだ。

 だから、安倍晋三が二〇一三年十二月に策定した「新防衛大綱」において、陸上自衛隊の現在の戦車七四一輌を三〇〇輌にすると定めたのである(注2)

 一百輌は九州配備だから、たった二百輌でどうやって八万平方㎞の北海道を守れるというのだ。ロシア軍は北海道全島を侵略占領するとき青森県と新潟県にも必ず侵攻占領する。しかも、このときの対日侵攻の戦車部隊の総量は半端ではない。二ヶ月もあれば、日本に戦車七~八千輌を上陸させているだろう(注3)。シベリア鉄道の輸送能力やナホトカ港などの積荷スピード等からつぶさに計算すれば、この数字がいかに正確かがわかるはず。だが、今では陸上自衛隊の将官の半分はロシア工作員ばかりとなっており、ロシアと通謀し、このような計算を禁止している。

 英国IISSの『ミリタリー・バランス』の数字は、現在の配備数からの算定数字であり、秘匿した備蓄量を排除した数字。つまり、ロシアが有事に展開する戦車総数とは何の関係もない。全く無意味な数字と断定していなければ、日本の国防上極めて危険である。

 物を捨てる文化が無い十三世紀モンゴル人のままの二十一世紀ロシアでは、退役兵器はすべて備蓄されている。ために、戦車は旧型/旧旧型/旧旧旧型もすべてロシア国内のどこかに備蓄されている。最大で二十万輌とも推定できる。ところが、配備していない戦車はすべて廃棄されたと無根拠に決め付けるIISSは、どうかしている。

 また、チンギスハンの騎馬戦の戦法を今も陸上戦闘の絶対教範にしているロシア地上軍は、戦車数をもって軍事力を表象すると考えている。ロシアにとって、隣国が戦車数を減らす事は、「軍事空白(vacuum)地帯にしたから“侵略してもいいよ”」のメッセージをもらったと即断する。

 日本は、対ロ国防のためにも、ロシアの対日侵略を抑止する有効な抑止力(deterrent)としても、北海道に10式戦車を最低1500両(二百五十輌編成の戦車師団を六ヶ師団)、青森県/新潟県に500輌(各県に一ヶ戦車師団)は絶対に必要である。九州では戦車師団は要らないが、すべての師団に戦車一ヶ連隊(九十輌編成)を配属し、あらゆるところに戦車大隊や戦車中隊単位で万遍なく戦車部隊を配備させる必要は喫緊である。九州全体で五~六百輌以上が最低でも不可欠。

安倍総理よ、現行「防衛計画の大綱」を直ちに改正せよ ──ウクライナの悲劇を日本に再現する、安倍晋三の重症の軍事力拒絶病

 だが、安倍晋三は、日本への軍事脅威は、「中共の日本の離島侵略だけしかない」との非現実を極める架空シナリオを狂信している。だから、「戦車は要らない、水陸両用の戦闘車輌さえあればいい」として、国防無視の亡国的な「防衛計画の大綱」策定を昨年秋、防衛省・自衛隊に命じた。

 ために、今後五年間で、日本の物理的な軍事力整備の予算が1%しか伸びない、つまり年間0・2%しか伸びない、日本の防衛力の著しい相対的低下になった。一国の国防の軍事力は敵対的な(adversary)隣国の軍事力と相対的でなければならない。だとすれば、ロシアの対北海道侵攻の意思が、二〇一〇年十一月にメドベージェフ大統領の国後島訪問によって闡明された以上、日本は主権国家として日本国の独立を守るべく全国力を防衛力向上に注ぐべき時である。

 ところが安倍は、防衛費が年率0・2%しか伸びないことを世界中に自慢して歩いている。自国の安全保障を破壊する防衛力の弱体化を自慢するとは、父親譲りの、安倍の軍事力忌避症はやはり重症。軍事臆病病のオバマ大統領と優劣つけがたい。

 安倍の国防忘却病で最もひどい症状は、何と言っても「中共の尖閣侵攻のとき、ロシアは中立・平穏を堅持するか、もしくは日本に協力する」と、現実を逆さにした妄想であろう。ほとんど狂気といってよい、安倍晋三の親ロ病の病気である。

 中共が尖閣に侵攻するとき、ロシアは必ず北海道に侵攻する。このことを、二〇一四年、“黒海からのクリミア半島侵攻、アゾフ海からのドネツク地方侵攻”において、ロシア自身が実証した。日本海、宗谷海峡、根室海峡からのロシアの対日侵攻は、現実の中の現実。日本人がどんなに眼を瞑っても、どんなに頭を空っぽにしても、この現実が立ち去ることはない。

1、『朝日新聞』二〇一四年八月三十日付け、10面。

2、『朝日新聞』二〇一三年十二月十八日付け。戦車に関しては、防衛省が事前にリークしたのを報道した『朝日新聞』二〇一三年十一月二十二日付けも参照されたい。 3、中川八洋「迷彩服を着せた<新防衛計画大綱>の無責任 上・下」『正論』二〇〇五年三月号/四月号。

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