安倍晋三が書いた、先帝陛下「4・30勅語」は、処刑台のルイ十六世“国民への惜別の辞”の写し?──“日本のポル=ポト”安倍晋太郎の息子・晋三は、正真正銘の“日本のロベスピエール”

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

(本稿は、前稿のうち一節が丸ごと脱落していたもの。恐縮ですが、節タイトル「一死大罪を謝すべき“第二の阿南幾惟”安倍晋三」の直前に、以下の節を追加して下さい)

先帝陛下に「ギロチン直前のルイ十六世」再現を強制した、“赤い悪魔”安倍晋三

 優しさにおいてこれほどの優しい人柄は滅多にいるものではない、それほどの高徳のルイ十六世は、無実の罪で断頭台に引きずり出され、首を切断された。1793年1月21日午前10時22分であった。この時、元フランス国王は、国民に最後の勅語を下賜しようとした。絶対権力を掌握する“王殺し/国民殺し”の狂信殺人鬼集団ジャコバン党は、国王最後の勅語を現コンコルド広場に集まるパリ民衆が聴くのを妨害すべく、直ぐに軍楽隊に太鼓を打ち鳴らさせた。今に残る、聞き取れたルイ十六世の、国民への惜別の辞(勅語)は、次の冒頭部分のみ。

「余は余が告発されたすべての罪について潔白のまま死ぬ。余には非難されるべき理由がない」

「しかし余は、すべての敵を許す! 余の血がフランス国民に有益ならん事を、神の怒りを鎮めん事を、切望する」。

 さて、翻って「4・30」を独裁した“日本のロベスピエール”安倍晋三は、まず、自分が、大音声で「判決『特例法』に従い、お前を、今限り廃帝とすべく、強制退位を申し渡す」と宣告した。先帝陛下(新上皇陛下)の勅語は、この安倍・人民主権政府首班の(無礼千万を越える)暴虐を極める演説ので、安倍晋三の「強制退位」判決に従いますという、死刑判決を受諾する形式と内容になっている。

 勅語の内容に異様なものを感じた国民も多かったが、この順序のおかしさに気づいた国民は、数的にはもっと多かった。ただ、一般国民は、「何か変だな。おかしいな。けど、退位式だから、こうするのかな」と、これを重犯罪的な“天皇(天皇殺し)”事件だと認識できない。ために、気に留める者は極めて少なく、1%もいなかったのではないか。

 「天皇の勅語が、臣下の発言は」は、我々国民が光栄にも天皇制度を奉戴しているのだから、皇室式典の常識だろう。先帝陛下がに、A「本日をもって、光格天皇の先例に従い、位を皇太子に譲る」B「神器を奉ずること三十年、いつも国民と共に喜び/悲しみを分かち合えたことをうれしく思う」C「新天皇への忠節を頼む」旨をお述べになられたに、首相の安倍は国民に代わって(備考1)、承詔必謹を誓う。これが、仮に首相の安倍晋三に発言が許された場合、安倍が発言できる全てである。

(備考1) 総理が国民を代表することは許されない。なぜなら、全国民の天皇奉戴の至誠を代理する立場だからである。

 だが、安倍晋三は、遂に“河上肇崇拝教”「安倍家三代目」の正体を露わにした。殺人鬼ロベスピエール独裁を気取る、「人民主権者代表である俺様」安倍晋三として、“日本の天皇”ではなく、自分の部下である「国民(人民)の下僕の天皇」「内閣の囚人の天皇」に言い渡すという形をとった(備考2)。だから、陛下の勅語の始まりが、次の奇妙奇天烈な文。

(備考2) 安倍晋三は、二時間前(4月30日午後三時)に陛下の勅語を閣議決定し、この通りに棒読みせよと天皇陛下に命じた。

「今日をもち、天皇としての務めを終えることになりました」(「務め」とは、天皇は国家公務員と同格と意味。「天皇の位を譲る」を禁止した理由は、《天皇は国家公務員である》との、この「共産党要望の虚構証拠」づくりも、その一つであった)。

 この陛下のお言葉は、安倍晋三の「今日限り、お前は廃帝だ! 強制退位を命じる」に対して、天皇に「承りました」と、立場を上下逆にした「承(=上官の命令)必謹」を強要した文。

 安倍晋三はさらに、天皇陛下に対し、「俺様がお前より上の上司だ、天皇、お前は、俺の部下だ」の上下関係をはっきり明言させるべく、次のように、「天皇に対して、俺様にお礼を言え」と脅迫し、強要し、命令した。通常の日本人なら卒倒するほかない、日本二千年史に前代未聞の、天皇と臣下が上下転倒した、不敬どころではない、安倍晋三の「対天皇」罵倒と侮辱であった。

「只今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に深く謝意を表します

 これは、ルイ十六世の「しかし余は、すべての敵を許す!」に通じている。それ以上に、先帝陛下の御痛憤と寛恕の御心は、処刑直前のルイ十六世と同一だろう。安倍晋三は、先帝陛下を殺したいほどの殺意を抱いているから、先帝陛下が斬首刑寸前のルイ十六世と同一の心理(御聖慮)を抱かれるのは、ごく自然なこと。

 我々、真正の日本国民は、血塗られた“大逆賊”亜安倍晋三に対し、上皇陛下の無念を晴らすべく、生きている限り天誅に処する“世襲の義務”を片時も忘れてはならない。       

(附記)なお、憲法第二条と皇室典範違反の、反天皇制度の極致“譲位禁止”の「4・30」は、安倍晋三と菅義偉という稀代の過激共産主義者による、皇室の伝統に基づく皇統の皇位継承を完全に破壊尽さんとする天皇制度廃止の狂気と妄執から生まれたが、安倍・菅の狂ったこの憲法蹂躙&皇室典範抹殺は、ロベスピエールの腹心サン=ジュストの狂説・詭弁にそっくりである。

 サンジュストは、法廷を代替した国民公会で、ルイ十六世の死刑を決定づけた演説をなした。「主権はもともと人民のもの。国王は、(国王主権論があるように)それを不法にも簒奪した。これは大罪。国王であること自体が死刑に相当する。すなわち、国王処刑に法的根拠は不要。裁判も要らない。ただ殺せばいい」、と。

 安倍晋三と菅義偉の真赤な狂気は、こうだ。天皇を誰にするかは、国会もしくは内閣が恣意的に決定すべきで、伝統や慣習に準拠する憲法や皇室典範の全ての条文は空文化・死文化に扱い、完全に無視すべきである。両名の常軌を逸したこの狂信は、天皇制度も天皇・皇族も浄化すべき巨悪であり、巨悪は“法や法律の保護の埒外に置かれるべきだとの狂妄前提を、論の出発点にしているからである。実際にも、ロベスピエールを安倍晋三、サン=ジュストを菅義偉にして、1792年8月10日~1793年1月21日までのフランス革命史を読み返しても、何ら不都合が無い。

(5月3日記)

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