北方領土奪還に、魔語「国境画定」の排斥が緊急不可欠 ──“正語”「領土」を抹殺するロシア対日工作員を可罰する立法を!

Pocket

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋  

 安倍晋三首相が、5月6日、ロシアのプーチン大統領に会いに、プーチンの保養宮殿があるソチに行く。おかしいではないか。この5月、伊勢志摩サミットG7があり、日本は議長国である。

 G7は全員一致で、プーチンのロシアが二年前の3月、ウクライナのクリミア半島を侵略した廉において、制裁としてプーチンのロシアをG7から追放したのである。そのG7の議長国が、そのサミットの直前、処罰されている国際的犯罪者(侵略者)プーチンに会うこと自体、G7のルールに反しよう。

 安倍晋三の対ロシア行動の異様さは、安倍晋三が“侵略の皇帝”プーチンに魂を奪われたからで、安倍晋三とは冷徹が要求される対ロ外交ができない麻薬吸引中といえる。一言でいえば安倍晋三は、プーチンの虜/プーチンの奴隷である。これほどの“ロシアの犬”は、日本民族の恥さらしの極み。

 やはり、安倍晋三は、父系の安倍晋太郎の息子である。母系の祖父・岸信介とは似ても似つかない。安倍晋太郎は、生涯、日本国を裏切り続けた“ロシアの犬”だったし、実態的にはロシア一辺倒の“ロシア対日工作員”であった。

“対日工作の最高責任者”コワレンコに、出してはいけないビザを出した安倍晋太郎

 私が、安倍晋太郎を「怪しい」と直覚した最初は、1980年12月10日、(表向き日本共産党の招待で来日中の)ソ連共産党の幹部でKGB第一総局対日工作の最高責任者コワレンコと会談したからで(注1)、これ以来、安倍晋太郎の対ロ動静と思想本籍を調べるようになった。

 安倍・コワレンコ会談は、ソ連軍がアフガニスタンに侵略しモスクワ・オリンピックを世界中がボイコットした直後で、また「アフガンのザ・ネクストは、北海道か、イラン北部か」が、世界の諜報機関や外交官の間で飛び交っている最中だった。ロシアの対外謀略機関の高官コワレンコにビザを出す自体、国際的にはアフガン侵略の制裁を約した日本の重大な背信行為である上に、外交とは無関係な自民党政調会長にすぎないのに、安倍晋太郎は日本共産党とグルになって、「コワレンコ来日にビザを出せ」と外務省にあれほど執拗な圧力をかけた。なぜだろう。

 この時、「安倍晋太郎とは、ロシアのスパイで第二の河野一郎ではないか」「実質的な日本共産党員ではないか」の噂が広く流れた。しかし、一過性の体たらく三流民族・日本人は、それ以上の安倍晋太郎追及をしなかった。  

 話を、プーチン会いたさ一途にロシアまで赴くロシアの虜囚安倍晋三に戻そう。安倍晋三は、日ロ平和条約を締結して、一気に自分の人気を獲得し2020年の東京オリンピックまで総理の座に居続けようと計画している。そして、この自分個人の私的利益のため、「日ロ平和条約が締結できれば、北方領土なんぞプーチンにくれてやってどこが悪い。日本の領土は、総理である俺様が勝手に決めることができるのだ!」と、本末転倒の対ロ外交に暴走して自分に恍惚状態である。

  「ロシアが北方領土を無条件で一括即時返還した時、その見返りに、対ロ平和条約を締結してあげる」が、日ロ平和条約の本旨。日本が真に主権国家なら、平和条約のこの原理原則をいささかも逸脱しない。だが安倍晋三は、この本末を転倒し、ゴミのごとくにポイ捨てしている。「主権国家とは何か」「平和条約とは何か」の基本すら弁えないならず者rogue”安倍晋三の本性だ。

対ロ領土奪還の知恵も好機も無視し、その研究も六十年間に亘り一切しない日本

 1952年のGHQ占領終了以降、北方領土を奪還できたチャンスは2あった。また、ロシアが北方領土を日本に事実上返還していた時期すらあった。だが、こんな明瞭な歴史事実すら日本国民は知らない。日本国民には、愛国心を持つ正しい国民が一人もいなくなった。

 北方領土を容易に奪還できたチャンスの第一回目は、吉田茂が虎視眈々と熟柿が落ちるのを待っていた、南樺太の奪還も視野に入る、千島列島(=クリル諸島)を含む国後・択捉島の無条件奪還がほぼ成功寸前だった一九五四~六年。この時のロシアは、吉田茂の見通し通り、真青になってほとんど音を上げ、全面返還を心底では決断していた。国後・択捉島の返還は当然と考え、得撫島以北の千島列島もほぼ返すと決めていた。南樺太だけは何とか返さないで済ませる方策はないものかと思案していた。

 この情況は、日本にとって天祐と言うべき、ロシア側のミスで発生した。ロシア側のミスとは、こういうこと。ロシアは、外務大臣グロムイコが、サンフランシスコ講和条約の締結を拒否して会場から退場したため、戦勝国のソ連政府代表部は、日本の主権回復の1952年4月28日をもって、非合法組織となった。そればかりか、ソ連大使館を設置できなくなった。ために、ロシアは対日工作機関の総本部・ロシア大使館を持てない上に、旧・ソ連政府代表部の政府・KGB・GRU要員のほとんどは(アグレマンが切れて)次から次に帰還を余儀なくされた。最盛期には八百名もいた旧・ソ連政府代表部の共産党(コミンテルン)・KGB・GRU要員は、1954年末には百分の一の七名になっていた。

 この事態は、もう一つのロシア民族の対外行動によって、より深刻なものであった。なぜなら、ロシアにとって、ロシア大使館は対日工作機関の総本部。外交は工作が主体のロシア民族にとって、「大使館」という偽装名の“対日工作本部”を何が何でも東京に設置しなくてはならない。その代償として「国後・択捉島+得撫島以北の千島列島(=クリル諸島)」を捨てることはやむを得ない、それくらいに「大使館」という偽装名の対日工作本部は最優先の重要施設であった。「大使館」という偽装名の対日工作本部を喪失したことでロシアが大パニックに陥っている情況を冷静に観察していたのが、吉田茂だった。

 吉田茂が1954年12月に総理の座を追われなければ、またポスト吉田に“度外れの外交音痴”で“ロシア知らず”鳩山一郎が総理にならなかったら、ロシアは日本との国交回復の見返りで「国後・択捉島+得撫島以北の千島列島(=クリル諸島)」を返還している。場合によっては南樺太も返還したかも知れない。

 北方領土を容易に奪還できたチャンスの第二回目は、ソ連が東欧を解放した1989年11月に訪れた。東欧解放とは19452月ヤルタ協定の無効化受諾をロシアが公式に宣言した外交行動だから、ヤルタ協定と同時に締結された(対日関係の)ヤルタ秘密協定の無効化も当然にロシアが決意していたことに、疑問をはさむ余地はなかろう。日本が“択捉島のロシア軍撤兵”のみを何度もロシアに強硬に申し入れるだけで、実は国後・択捉島は1989年から1994年までに自動的に日本領土になっていたはずだ。

 ロシアは、ロシア民族の特性として、外交上の条約で「侵略した占領地を返還します」などと締結する慣行や思考を持たない。ロシアは侵略した占領地を返還する場合、A撤兵という行動で外交上の合意を表現するか、B「撤兵する予定である」旨の一方的宣言をするか、のいずれかである。つまり、日本が北方領土を奪還するとは、ロシアに撤兵宣言を出させればいいのであって、条約を締結することではない。即ち、平和条約を締結せずに、国後・択捉島を日本領土に戻すことは、さほど難しいことではない。

 もう一度言う。1989年から1996年頃までの七年間、ロシアは、過剰軍拡のツケで経済破綻し、万事が窮地に陥っていた。このため、日本が、対ロ経済協力を凍結して経済からロシアの首根っこを締め上げ、同時に遮二無二に「択捉島から撤兵せよ!」と声高に叫ぶ“最高の賢策”を採っていれば、ロシアは択捉島から100%の確度で突然に撤兵しただろう。

 十三世紀のモンゴル帝国のままの野蛮人ロシア民族にとって、(条約ではなく)撤兵が“ロシアの占領地返還”の合意行動である。故に、ロシアを占領地(侵略地)から叩きだしたいのなら、日本は決して領土返還に関る外交交渉をしてはいけない。そのような外交上の条約締結もしてはいけない。日本が、自国の領土である国後・択捉島に粛々と陸上自衛隊を進駐させるのが、日ロ間の正しい領土返還の儀式である。これこそが条約よりも何千倍も重い確かな領土返還の日露間合意である。

 しかもロシアは、実はかつて一度だけ、国後・択捉島を日本に全面返還した。1961年だった。その上、この返還状態は、1978年まで何と十七年間も続いていた。この事実を日本人が知らないのは、日本人が「領土奪還とは条約で約定させるもの」と思い違いする、極度な“ロシア知らず”だからである。現在の日本人の“ロシア知らず”は重症の病気で、江戸時代の日本人よりはるかにひどい。

 再度強調する。ロシアは、1961年、米国政府の対ロ圧力の成果だが、国後・択捉島を日本に返還した。なぜなら、ロシアはそこから一兵残らず撤兵したからである。ロシアが米国の撤兵要求を飲んだ理由は、簡単明瞭。ロシアは、(ワシントンとニューヨークを標的とすべく、翌年1962年に)キューバに核弾道ミサイルSS4SS5を配備する予定で米国と全面戦争の瀬戸際を覚悟せざるを得なかった。また、この1961年には西ベルリンを東ベルリン・東ドイツに併呑する賭けに全力投入中で、すでに熱戦直前の勢いで米国大統領ケネディと全面対決していた。

 それに加えロシアは、北ベトナムをして南ベトナムに本格的な侵略をさせる準備も開始していた。このため、ロシアは、北海道侵攻など将来にわたって余裕がないと判断したのである。「択捉島からの撤兵=日本の自衛隊の進駐」は、これら地球規模の共産圏拡大に比すればゴミのような退却にすぎないと判断して、その放棄・返還を決めたのである。  

 だが、日本政府は、ロシアにとって「返還します」と同義の撤兵が完了したのに、陸上自衛隊に進駐を命令しなかった。私は、1965年の大学三年生の頃、1961年からすでに四年間も進駐しない、陸自の無為無行動が不思議でならなかった。米国も、1961~2年、「ベルリン危機」と「キューバ危機」という二つの大問題を抱え、てんやわんやで、日本に「進駐を決行せよ」との指示も示唆もしなかった。どうも米国は、すっかり忘れてしまったのが事実のようである。

 だが、この米国の忘却は瑕疵とは言えない。国後・択捉島は、米国の領土ではないからだ。 国家への重大な義務を果たさなかったのは日本政府であり、担当の外務省と防衛庁の罪は大きい。なぜなら、両官庁とも、この進駐問題をいっさい議論していない。日本はすでに1961年、主権国家ではなかったということか。日本は、1930年代からの大東亜戦争という“国に叛く”祖国叛逆を大義としたことで、“国を守る”という精神と意思を腐食的に喪失した。

 それはともかく、ロシアが、択捉島に再進駐するのは1978年。表向きの理由「日中平和条約が締結されるから」は口実で、ロシアの真の目的は、1979年末のアフガン侵略の次に北海道に侵攻するためだったのは、言うまでもない。この危機を日本国民に知らせようとした栗栖弘臣・統幕議長は、この択捉島へのソ連軍再上陸を公表した廉で、北朝鮮人の金丸信・防衛庁長官に解任された(注2)。

ロシアに外交言語を奪われた日本──“ロシア属国化”を推進した橋本/小渕/森の犯罪

 さて前述のように、ロシアは、1989年から1996年の間、日本から経済断交を突きつけられれば、北方領土を無条件で返還せねばならないと覚悟していた。だが、対ロ外交ができない“度外れの劣等バカ民族”日本人は、「経済協力すれば、北方領土が還ってくる」と逆さに思い込んだ。朝日新聞やNHKだけでなく、産経新聞と自民党のKGB工作員細胞がこれに加担した一斉偽情報宣伝によって洗脳されたのである。  

 後者の自民党KGB工作員細胞のボスは凶悪なロシア人鈴木宗男だった。鈴木は、自民党内で公然と北方領土放棄論をぶち上げる対ロ売国奴を絵に描いた“国賊の中の国賊”。鈴木の悪行が数々あるが、この頃、外務省のロシア担当外交官にその旨で圧力をかけたのもその一つ(注3)。この鈴木宗男と組む“悪の外務省中級職(ノンキャリ)外交官”が、(母親は沖縄人の)北朝鮮人・佐藤優。  

 鈴木宗男と佐藤優のロシアKGBとの内通の余りのひどさは世界の諜報機関が知るほどで、ついに米国CIAが日本政府に両名の犯罪の証拠を突きつけた。ためにようやく日本の警察と検察が動き、両名を不確かな罪状で起訴し免職に追い込んだ。佐藤優が「国策捜査」と愚痴をこぼすが、法律学的には正しい。が、鈴木宗男と佐藤優をゾルゲや尾崎秀実と同じく死刑に処すことのできない、日本のロシア工作員に対する法体系の欠如・瑕疵の方を問題視すべきだろう。佐藤優の造語「国策捜査」は、日本国から見れば、盗人猛々しい。  

 “凶悪なロシア人”鈴木宗男が対ロ外交を独占的に恣にできたのは、橋本龍太郎/小渕恵三/森喜朗という“対ロ投げやり愚鈍”三総理大臣が存在したからでもあった。橋本龍太郎/小渕恵三/森喜朗の三総理大臣は、その対ロ外交をすべて鈴木宗男に丸投げした。すなわち、橋本龍太郎/小渕恵三/森喜朗の三総理大臣の対ロ外交はすべて、鈴木宗男=ロシアKGB第一総局SVRの指示書に従っていた。つまり、無責任も異常すぎるこの三人の愚昧総理は、実際には“ロシアの操り人形”で、その対ロ交渉はすべてロシアの脚本に従った“八百長芝居”だった。  

 KGB第一総局製の脚本に従った八百長対ロ交渉芝居の一つが、刑法の外患罪が適用されるべき祖国叛逆事件ともいいうる、日本側が「領土返還(奪還)」の正文字を捨て奇天烈語「国境画定」を公式に用いた、橋本龍太郎の(エリツイン・ロシア大統領との)川奈会談。1998年4月だった(注4)。  

 しかも、ロシアは1998年には急激に、1989年から1996年までの地獄のような経済破綻状況から反転・脱却していた。日本に対し卑屈である必要はもはやなく、対日強硬外交に戻っていた。日本がロシアに対して、領土奪還を戦争の手段で達成しない方針なら、相手が経済的に疲弊し政治的に大混乱に陥った弱みに付込む以外に方策はない。常識だろう。  

 ところが、この1998年の川奈会談で橋本龍太郎はエリツィンと一緒に魚釣りしたり、売笑婦的な醜態に徹した。そればかりか、北方領土にディーゼル発電機の無償提供を約し、北海道をロシア領とするに等しい「ビザなし交流」制度を創設するなど、徹頭徹尾、橋本はエリツィンに媚を売り続けた。日本はロシアの属国ですよとのアッピールに終始した。この橋本龍太郎の行動は、ロシア民族の慣習からすると、「領土は返還しなくて結構です」のメッセージ。だから、領土は返還されなかった。

 ロシアに領土を返還させたいのなら、コップ一杯の水も飲ませてはならない。机をどんどんと叩き、椅子を足蹴にし、背中を見せてドアをばたんと閉めること。これがロシア人と交渉をするならば、採るべき最小限のイロハ行動である。ロシア民族は冷たく扱われたときのみ、妥協を考える。

 首相・橋本龍太郎の極め付きは、「ロシア様、領土返還しなくてもいい、国境だけ確定しようではないか」と実際に発言したこと。自国の領土を放棄する、これほどひどい売国行為はかつてない。総理大臣在任中に何か業績を残したい一途の橋本龍太郎には、個人的名誉欲はあっても愛国心がゼロだったからだ。安倍晋三も、この橋本龍太郎と寸分変わらない“第二の橋本龍太郎”として、プーチンの売笑婦になっている。

祖国叛逆語「国境画定」を使用した対ロ売国奴を、断固糾弾して国外に追放しよう!

 「領土」とは、祖先から現世代が預かり次の世代に相続していく、現世代がただひたすら相続の義務を果たさなければならない神聖な国土である。だから、現世代は、領土を命に代えても減らすことは許されないし、侵略された領土は奪還のみしか選択肢はない。

 一方、四文字「国境画定」は、未開の無主の地をどう分割するかなどの時に使用するものだから、この理不尽な言葉「国境画定」を北方領土に使用することは、北方領土を“祖先からの日本国の領土”と見做さないことに等しい。わが固有の領土「北方領土」を日露間に横たわる“未開の無主の地”に扱うことにほかならない。

 つまり、「国境画定」は魔語である。魔語故にこの四文字「国境画定」を、日本は、外務省・自民党からはもとより日本国中から一掃しなければならない。完全に焼却して排除しなければならない。

 今や体たらく一直線の日本は、かつて1955年までは外務省が毅然として国土を守るという気迫が漲っていた。が、1956年に自民党の河野一郎や鳩山一郎が対ロ外交の主役となり外務省を脇においやって以来、外務省はむろん日本国民全体が対ロ外交に投げやりになった。だから、いつしか日本の対ロ外交言語が、ロシア製になってしまったのに、気にもしない。

 しかも、現在の日本人のアパシーは重篤で、「日本の対ロ外交言語がロシア製になってしまった」事態に危機を感じない/怒りもしない。日本人は、主権国家の矜持すら失った。

表1;ロシア製(KGB製)に摩り替えられた、日本の対ロ外交用語

「バル」と「バスチオン」の脅威にすら無関心な、国防忘失の“生ける屍”日本人

 安倍晋三は、来る5月6日、母親に「アイスクリームを買ってよ」とおねだりする幼児丸出しで、世界で最も恐ろしい男“侵略の皇帝”プーチンに会いに行く。この時、安倍晋三は、さる3月25日にロシアが世界に発信した、択捉島に地対艦ミサイル「バスチオン」(NATOコード名はSSC5)と「バル、3K60」(同、SSC6)配備について、その撤去をどれほど強く迫るのか。例えば、配備を中止しなければ、極東シベリア開発への日本の経済協力をすべて凍結すると通告するだろうか。  

 また、安倍晋三は、ロシアがなぜ「バスチオン」と「バル」を配備するのかの、その軍事的目的を理解しているだろうか。国防に嫌悪感を剥き出しにする安倍が理解するとは考えられないし、理解したならプーチンに会うことなど絶対にしないから全く理解できないことがはっきりしている。  

 安倍晋三のため、簡単に説明しておく。彼の側近がこのブログを読み、安倍に説明するだろう。  

 射程300㎞の地対艦ミサイル「バスチオン」も射程130㎞の「バル」も、択捉島を防衛するためである。なぜ、ロシアは択捉島防衛力を強化するのか。その理由は、言わずもながで、ロシアが近未来に北海道に全面侵攻すると計画したからである。

 ロシアの北海道侵攻時の第一主力部隊は、小樽港から札幌そして留萌に至る石狩湾の沿岸一帯への上陸。第二主力部隊は、樺太からガンシップ部隊/空挺師団による宗谷半島の制圧。第三主力部隊は、津軽海峡制圧で男鹿半島と青森県に着上陸する。

 いずれにしても、おそらく二ヶ月間で展開される戦車八千輌/人員百万人規模のロシアの侵攻主力軍部隊に対峙する、日本の最前線は旭川となる(備考)。とすれば、対ロ北海道防衛の要は、最前線の旭川に至る縦深「旭川石狩岳/十勝岳雌阿寒岳」を守りきる事ができるか否かにかかっている。ここを三ヶ月間は持ちこたえなくては、米国本土からの陸軍兵力の到達・展開が間に合わない。海兵隊を含む米軍の地上兵力は苫小牧/釧路から上陸するので、また“北海道の戦略要地”「旭川石狩岳/十勝岳雌阿寒岳」の防衛援護をするためにも、北海道東部から完全に敵部隊を排除しておかねばならない。当然、米海軍部隊は最初に択捉島/国後島を奪還する。  

備考;本稿では、ロシアの対日侵攻部隊の総戦力の算定、ならびに北海道防衛のための日本の軍備強化については、割愛する。

 択捉島/国後島を日米側が抑えない限り、縦深「旭川石狩岳/十勝岳雌阿寒岳」を守り切ることはできない。つまり、北海道の西部と北部を侵攻・占領したロシアの大部隊に反撃して日本海側に押し戻せるか否かは、この縦深「旭川石狩岳/十勝岳雌阿寒岳択捉島」の防衛完遂あるいは聖域化が根幹的に決定するということだ。

 プーチンが、北海道侵攻時に択捉島を奪還せんとする米海軍を攻撃する地対艦ミサイルの配備を開始するのは、このように日本の北海道防衛の生命線である縦深「旭川石狩岳/十勝岳雌阿寒岳択捉島」を日本側に与えず、ずたずたボロボロにするのが狙いである。

 さらに、北海道防衛で忘れてはいけないのが、今や“ロシアの内海”となったオホーツク海のシー・コントロール権を日米が奪還できるか否かである。このためには、オホーツク海のロシア潜水艦を必ず殲滅しなければならないし、当然、それには、米海軍の海軍艦艇がオホーツク海に突入するための(水深1300メートルの)択捉水道の完全制圧が絶対的な前提条件となる。

 安倍晋三ら自民党国会議員の中には、あるいは元外務次官でNSC事務局長の谷内正太郎のように、択捉島の半分とか四分の一ぐらいならロシアに渡してもいいではないかの(意識的・無意識的な)“対ロ売国奴”とは、実は「北方領土の一部をロシアに渡せ」とだけ主張しているのではない。その主張の言外に「北海道のすべてをロシアに渡そう」が秘められている。なぜなら、この主張は、「択捉島の東端に面する、北海道防衛に絶対不可欠な択捉水道をロシア領にする」と同義である。

ロシア侵攻に難攻不落の北海道要塞化が、ロシアを国後・択捉島から撤兵させる

 安倍晋三は、完全に狂っている。安倍晋三が、対ロ外交のイロハ「ロシアは侵略領土を外交交渉ではなく撤兵で返還する」ことを知らないのは無知だが、北方領土をロシアと交渉して返還させようとの荒唐無稽な非現実を“現実に可能”だと狂妄するのは正常の域にない。1989年の東欧五ヶ国の欧州への返還もアフガニスタンのアフガニスタンへの返還も外交交渉と無縁だった。こんな初歩的な歴史を知らないとは、安倍の無学・無教養は常軌を逸している。

 さらに、安倍晋三は、ロシアがなぜ国後・択捉島に固執するかを考えたこともない。北海道がそう遠くない近未来にロシア領に確実になるほど非武装化しているから、北海道侵攻時に有効な要地として国後・択捉島を手放せないのである。

 対ロ外交の要諦は“無交渉の交渉”にある。ロシアをして“諺”「鴨(ロシア)がネギ(北方領土)をくわえてやって来る」に追い込むことが対ロ外交の真骨頂で極意であろう。

注  

1、『朝日新聞』1980年12月11日付け。  

2、巷間では、栗栖解任の事由は“超法規で自衛隊出動”発言だとされている。が、これは金丸が真意隠しのために流したデタラメ。金丸が栗栖に激怒したのは、ソ連軍の択捉島再占領の事実が日本国内に広まると、国論が日中平和条約の締結反対に動くのではないかと懸念したため。つまり、“北海道危うし”を国民に啓蒙する栗栖の意図に対して怒ったのではなかった。これらの事実は、私が、栗栖弘臣氏に直接インタヴューして聴取した。  

3、鈴木宗男は、1995年6月13日、西田・欧亜局参事官に対して、「北方領土問題は、国の面子から領土返還を主張しているにすぎず、実際には島が返還されても国として何の利益にもならない」と恐喝するなど、経済的困窮に見舞われた北方領土のロシア人救済に狂奔していた。もし、鈴木宗男と佐藤優のこの救済運動がなければ、北方領土のロシア人は、皆シベリアに帰還しており、日本に北方領土が棚ぼた的に戻る好機となっていた。  

4、『朝日新聞』1998年4月20日付け。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です