北方領土の対日侵攻軍事基地化をプーチンに了解した“役に立つ白痴idiot”安倍晋三の祖国割譲大犯罪

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筑波大学名誉教授    中 川 八 洋

(本稿は、動画「中川八洋ライブ02」の続きである)

「安倍晋三は、“役に立つ白痴idiot”」は、レーニン定義の世界的な格言maxim

 安倍晋三の事を拙稿ではしばしば“外交白痴”などと表現するが、これを実に過激で非礼な言葉遣いであるかに眉を顰める読者がいる。そう感じた者は無教養の誹りに甘んじなくてはならない。無学・無教養は、決して自慢できるものではない。  

 安倍晋三のような対ロ外交をするものを“役に立つ白痴”と定義したのは、レーニンである。レーニンのこの有名な言葉を知らない米英の知識人・大学人・ジャーナリストに私は会った事がない。世界衆知のレーニンの名言において、安倍晋三が今、自分or日本国を縊死すべく縛り首に使うロープを手にしている光景を目に浮かべてこそ、真の教養というものだろう。  

 レーニンは、(共産革命から約五年が経った)1922年4月、イタリアのジェノヴァ会議にソヴィエト・ロシアの代表として経済協力を獲得しに行く外務人民委員(外相)ゲオルギー・チチェーリンに書簡を送り、ロシアと経済協力する自由主義国家のことを“役に立つ白痴”と定義した。その理由を、こう述べた。

 ロシアはこれら隣国の経済協力を得て軍需産業と軍隊を再建し、それをもってロシアはこれらの隣国に侵略する。つまり、ロシアと経済協力をする国々とは、自分の首を絞める(侵略されるための)ロープを自分から編んでロシアに持ってくる、ロシアの対外侵略に役に立つ国々だから、まさに“役に立つ白痴”ではないか、と。

 この考えは、1480年のモスクワ大公国以来のロシア民族特有なもので、レーニンの発案ではない。サンクトペテルブルグに生まれ育ったプーチンは、バルト海の一部を占領してロシアが初めて(凍らない)海に接する国家となった“侵略の皇帝”ピョートル大帝の生れ変りだと自認している。具体的には、プーチンは、“東のバルト海”日本海を「ロシア内海」とすべく、北海道から新潟までを侵略してロシア領に併呑することを自分の責務だと考えている。

 猛禽プーチンが、日本の政界に張り巡らした“蜘蛛の巣”にかかった“役に立つ白痴”安倍晋三を骨の髄まで喰らい尽すことは自明。日本国滅亡のロープ「八項目極東シベリア経済協力」を日本側の方から献上する“役に立つ白痴”安倍晋三は今、プーチンの放った毒蜘蛛糸にがんじがらめになり身動きが取れなくなっている。「安倍晋三とは、北条時宗と真逆の、日本の領土をロシアに貢ぐ史上最悪の白痴idiot”である」のは、ロシア膨張五百年史に照らして、実に恐ろしいが、真実である。

1、“ロシア国防省鉄道部隊所管の兵器”鉄道が延長する時、侵略が必ず開始される

「兵器」と「武器」の相違すらわからない“劣化民族”日本人  

 日本人の劣化と非常識化は著しい。この事は、「兵器 arms」と「武器 weapons」の相違がわからないことだけでも、一目瞭然。武器は、軍隊や軍人が用いる殺傷能力・破壊能力のあるものを謂う。「兵器」とは、「武器」を含み、軍隊・軍人が用いるすべての機器の総称である。

 工兵部隊のブルドーザーは「動く兵器」だし、兵員やミサイル輸送用のトラックもまた「動く兵器」である。人間の目に見えて、また動かない“非・武器”兵器の中で最重要な「兵器」が、鉄道、港湾、飛行場の三つ。

軍事国家ロシアでは、全国の鉄道/港湾/飛行場という「兵器」すべては、国防省が所管している

 ところで、鉄道/港湾/飛行場は、国際的常識としてれっきとした軍事施設である。だのに、軍事知識がゼロとなった日本人は、鉄道/港湾/飛行場をもって民間の施設もしくは地方自治体の所管施設であると思い込んでいる。日本だけの異常な非常識をもって、世界各国もそうだとするのは勝手な妄想だから、このような日本人の感覚はほとんど狂気と言ってよかろう。

 特に、ロシアでは鉄道/港湾/飛行場は「兵器」で軍事施設であって、それ以外だと考えるロシア人など一人もいない。ロシアは、政府・国民挙げて、軍事学の優等生。一億人揃って満点である。ロシア人から見れば、日本人は赤子の手を捻るレベルの“無気力な経済ボケ”になっているから、日本列島全土が「明日」にもロシア領となっている100%確実な近未来に舌なめずりするのである。  

 日本人の中で、防衛省・自衛隊がかなり購入している『海軍年鑑』で有名なジェーン社が、鉄道や空港の年鑑を出版している理由を考える者は今ではどうもいなそうだ。これも、日本人が超劣等民族になった証左だろう。未だに貴族的エリート見識が色濃く残る“武人の国家”英国人にとって、鉄道や港湾・空港が軍事施設であるのは“知”において常識である。

(備考)『海軍年鑑』はHIS JANE‘S FIGHTING SHIPS、『鉄道年鑑』はHIS JANE’S WORLD RAILWAYS、『空港年鑑』はHIS JANE‘S AIRPORTS EQUIPMENT&SERVICES。  

 日本が異様な国なのは、軍服を着た軍人の姿を全国どこに行っても決して見かけない、信じられない光景にも端的に表れている。自衛隊を国内法では軍隊ではなく準軍隊の「軍事力をもつ実力組織」にし、自衛官を「軍人」でなく国家公務員にしているからだけではない。中曽根康弘が防衛庁長官になる以前では、自衛隊の自衛官たちは制服で通勤していた。私も、六本木の交差点や地下鉄六本木駅で、陸海空の自衛官がたくさん制服で歩いている光景を普通だと眺めていた。ところが1970年、中曽根康弘長官が、自衛隊に対して制服通勤を禁止した。これに対して(私が25歳になったすぐの)当時の囂々たる論調は、消える直前の日本最後の常識の発露だったように思えてならない。

日露戦争は、ロシアのシベリア鉄道/東清鉄道の完成において、日本が開戦に追い込まれた

 1895年に日清戦争が終わった直後から、当時の日本人は一流民族だったから、ロシアの軍事脅威が発生したと正しく大騒ぎしていた安全保障問題があった。それがシベリア鉄道。シベリア鉄道は、1891年にモスクワとウラジヲストックの双方から建設を開始した。ウラジヲストックでの起工式は、訪日を終えた皇太子ニコライ二世が主宰した。

 なお、シベリア鉄道の呼び方には、狭義と広義があり、広義にはその支線を含む。しかし、支線は「支線」と呼ぶべきである。例えば、満洲を横切る「東清鉄道」とその支線「ハルピン-大連・旅順=南満洲鉄道」も、日本の祖先が呼称した通りに歴史的な名称をそのまま使うべきで、そうしないと日本の次代が歴史から断絶する。スターリンの絶対命令で建設が進められた「第二シベリア鉄道」=「バイカル-アムール鉄道」=「バム鉄道」についても、この通りに呼称して、「どれも、広義のシベリア鉄道の一部だ」などと、大括りをしてはいけない。

 話を日清戦争後に戻す。当時の日本は、小学校に通ったこともない車夫馬丁に至るまで誰でも「ロシアの鉄道は兵員と武器弾薬等を輸送するアジア侵略の軍事力だ」と正しく理解していた。第一は、極東域の「ウラジヲストック-ハバロフスク間の、【ウスリー鉄道】とも言うシベリア鉄道本線」が1897年に完成した時。第二が、ロシアが露清密約(1896年6月)によって、満洲を横切る東清鉄道の敷設権を得て直ちに竣工した、ロシア東清鉄道が完成した1903年7月。

 満洲内を横切るロシア東清鉄道は、公式には、西は満洲里と東はグロデコヴォを結ぶ1510㎞を指す。そして、これをシベリア鉄道本線と結ぶために、まず、1901年に満洲里とロシア・ザバイカル州のキタイスキ・ラズエズトーとを結んだ。これが「ザバイカル支線 355㎞」である。これによって、チタからボルジャを経て満洲里そしてハルピンへと大規模軍事力を派兵できるようになった。

 また、東清鉄道を、すでに完成しているシベリア鉄道ウスリー鉄道と結ぶため、「綏芬河(満洲領内)-グロデコヴォ-ウスリースク(ヴスリースク)」とを結んだ。完成1903年7月の「ウスリー支線 107㎞」がこれである。これによって、海路でウラジヲストックに荷揚げされた大量の軍事力が、「ウスリースク→綏芬河→ハルピン」へと投入できるようになった。なお、「ウスリー支線」を、ウスリースクからグロデコヴォまでと定義すれば97㎞である。

(備考) シベリア鉄道の一部である「ウスリー鉄道」と、満洲領内に入って東清鉄道に結ぶ「ウスリー支線」とは、混同されがちなので注意して峻別すること。

 第三が、1898年3月、ロシアは旅順・大連の租借権を獲得するや、直ちに「ハルピン-大連」間の南満洲支線の建設に着手し、1903年1月、これを完成させた。これで、ロシアが一気に朝鮮半島を南下して近未来に日本に侵攻する事態は確実となり、日本を防衛するなら、日本列島との間に一定の縦深strategic depthがある南満洲を主戦場にせざるを得ず、軍事費が全く不足しているにもかかわらず、日本は一か八かの対露開戦に追い込まれた。

 日本が日英同盟の締結を急いだのは、1898年頃から日英間で、旅順・大連を手にしたロシアの強大な南下にどう対処するかの協議が開始されてはいたが、1901年に入って加速された。「ザバイカル支線」が完成し、東清鉄道と南満洲支線が急ピッチで建設され完成間近となり、満洲全土のロシア領化はほぼ確定し、そればかりか数年を経ずして朝鮮半島のロシア領化も火を見るより明らかになったからだ。

 日英同盟は、英国の好意で迅速に合意されて、1902年1月30日に、ロンドンで調印された。日本の対ロ開戦は、1904年2月。その直後の4月の“日本の英雄”黒木為楨・陸軍大将の鴨緑江渡河作戦の勝利で、日本は破竹の勢いで奉天会戦へと勝ち進んでいく。

2、「バル」「バスチオン」の北方領土配備に抗議しない“ロシアの犬”安倍晋三

 民族系は、安倍晋三をもって愛国心ある政治家だと、逆さも度の過ぎた錯覚にあそぶ。事実をありのままに直視せず幻想や思い付きで政治家を評価するような人間は、日本国に害毒を齎す働きしかしないから、民族系を“本物の日本国民”に分類することはできない。安倍晋三には日本国を護らんとする、そのような精神は一欠けらもない。この事実をそのまま正しく把握してこそ、真正の日本国民になりうる第一歩である。

ウラジヲストックに9月2日、真正の日本人なら訪問できない。安倍晋三は、日本国民でない。

 安倍晋三は、9月2日、ウラジヲストックで、「日本はロシアの属国であります。領土はロシアが欲しいとおっしゃる通りにすべて差し上げます」「安倍首相はプーチン皇帝の臣下であります」としか解釈できない、「ロシア様、プーチン様、日本は領土など返還して頂けなくとも、片務的に対ロ八項目極東シベリア経済協力を精一杯させて頂きます」一本槍の、プーチンとの首脳会談を行った。外務省の公式発表によると、約3時間10分に及んだという。うち安倍・プーチン秘密会談が55分。安倍が、「日本はロシアの属国・奴隷国であります」と宣言した証拠は、以下の通り。

第一;日本国が戦艦ミズーリ号の甲板で、ロシアを含む連合国との降伏文書に調印したのは、1945年9月2日。スターリンの対日戦勝記念演説が9月3日。プーチンが、意図的に、この日を選んだことは、世界屈指の縁起担ぎ民族であるロシア民族の絶対文化だから、疑問の余地はない(附記)。

 安倍総理がプーチンに尻尾を振り続けた2016年9月2日と3日とは、日本が満洲と樺太と国後・択捉島その他をロシアに奪われた屈辱記念日であり、ロシアの対日戦勝記念日であることは、何を物語るのか。安倍晋三が、プーチンの前に膝を屈して叩頭した、何よりの証拠ではないか。

 このとき安倍晋三は、プーチン皇帝に向かって、1945年には、「ロシアに侵略して頂いて有難うございます」「ロシアに領土を奪って頂き有難うございます」「シベリアで日本男児65万人(107万人がシベリアに強制連行、舞鶴港に帰還した数42万人)を殺して頂き有難うございます」「満洲でレイプし放題、略奪し放題、餓死・凍死させ放題の、地獄のような状況で日本人婦女子20万人を殺害して頂き有難うございます」と言上したことになる。それとも安倍晋三よ、そうでないと言えるのか。安倍の抗弁を是非とも聞きたいものだ。

第二;日本の総理大臣が、ウラジヲストックを訪問することは、許されるのか。ウラジヲストックつまりウラジヴォストークとは、「東方(=日本)を征服するぞ」の意味。安倍晋三は、プーチンに、「ウラジヲストックの名前を変更しろ、この変更がない限り、日露平和友好はない」との抗議をしていない。安倍は、「日本列島すべてをロシアに貢ぎます」「ロシアが日本列島全てを侵略占領することを歓迎します」旨のメッセージを、プーチンに手渡したことになる。

第三;この9月2~3日、安倍は、「日ロ平和条約の締結」とか「新しいアプローチ」とかの言葉はあるが、我が日本国の“固有の領土”「北方領土を返還せよ」とはプーチンに要求していない。「北方領土」の言葉を一度も一言も口にしていない。安倍晋三は、プーチンの前では、大蛇に飲み込まれる寸前のガマガエルのような姿を呈して、実はガタガタ/わなわなと震えている。そして、プーチンの言いなりの「対ロ八項目極東シベリア経済協力」を纏めて差し出しただけ。

 こんな情況に陥るために、15回もプーチンの靴を舐めて磨いてあげたのが、日本史上最凶の対ロ売国奴・安倍晋三の本性である。一億日本国民が「安倍晋三よ、お前は非国民の極みだ!日本列島から出て行け!」と声をあげる時、ロシアは慌てて北方領土全島を無条件かつ即時に返還するだろう。日本国民ならば、この義務を果たすべき。すなわち、「安倍晋三よ、お前は非国民の極みだ! 日本列島から出て行け!」と声をあげよう。

安倍晋三の「プーチン詣で」「プーチン礼拝」ロシアの北方領土の軍事化を加速化した

 安倍晋三は、領土奪還交渉などいっさいしていない。プーチンに操られる夢遊病者になっており、領土奪還などの本来のロシア訪問の目的など、思考の片隅にも存在しない。ひたすら、プーチンに命じられるまま、貢物として対ロ経済協力プランづくりに精進する奴隷状態にあるからだ。  

 しかも、この安倍晋三のプーチン崇拝のプーチン詣でにおいて、日本政府のロシア非難は封じ込められているから、ロシアとしては国後/択捉島の軍事化を進め、「日本の暗黙の了解のもとで軍事化した」との実績を積んでいる。だから、安倍が2016年5月にチタにプーチンを訪ねるのを好機に、ロシア国防大臣ショイグは、その直前の3月、「今年中に地対艦ミサイル『バル 3K60』と『バスチオン P-800』を配備する」と発表した。

 案の定、政治家として名声を残したいばかりで自分のことしか考えない愛国心ゼロの“自己チュー”安倍晋三は、このロシアの北方領土軍事化に抗議しなかった。安倍晋三は、北方領土はロシア領であると世界に公言したのと同じ行為をなした。父親・安倍晋太郎のDNAを継ぐ“対ロ売国奴”らしい、祖国叛逆の行動である。

 そして、ロシア太平洋艦隊の機関誌は、11月22日付けで、「択捉島にバスチオンを実戦配備した」「国後島にバルを搬入した」と報じた。これに対して、安倍晋三は12月15日、長門市に来日するプーチンの胸倉をつかんで厳重に抗議しなければならない。しかし、しないだろう。

 安倍晋三にとって、国防とか領土とかの日本国の存立の根本などどうでもいいのである。反・国防主義を信条とする安倍にとって、北方領土問題は、自分の総理在任中の人気向上にどう活用するかだけしか関心がなく、領土など“ポイ捨て”が安倍の心底にある本心だからだ。

 なお、「バル」は、射程130㎞ほどの地対艦巡航ミサイル。「バスチオン」は、射程300㎞の超音速巡航ミサイルである。露語バルの意味は「舞踏会」、露語バスチオンは「城塞」である。                                        (2016年11月29日記)

(附記)  

 ロシア民族が世界一の縁起担ぎ民族であることについて、まず、ゴルバチョフを例とする。ゴルバチョフ書記長が、ロシア製の名句「冷戦の終焉」を世界に広めたく、米国ブッシュ(父)大統領に頼み込み、マルタで米ロ会談をすることになった(1989年12月)。これは、ヤルタにスターリンとの三巨頭会談に臨むにあたって、事前に英国のチャーチルと米国のルーズベルトが、マルタで会談した故事を模倣したためである。しかも、チャーチルとルーズベルトは米海軍の巡洋艦「クィンシー」号上で会談したので、ゴルバチョフはわざわざスラバ級巡洋艦をマルタ港沖に停泊させた。  

 また、ゴルバチョフは、1987年に初めて米国訪問に招待された時、レーガン大統領から11月上旬と指定されたのに、頑としてワシントン時間12月7日に拘り、一ヶ月も遅らせた。12月7日が日本のパール・ハーバー奇襲成功の日であるからで、縁起担ぎを優先したのである。    

 アンドロポフが1983年末、ヤルタ協定の履行を決意し「東欧を西欧に返還する」と決定しながら、その実行年を「フランス革命の200周年の1989年にせよ」と、KGB第一総局に命じた。また、日を「レーニン共産革命記念日の11月7日にせよ」と命じた。世界史的な事件とされる“ベルリンの壁崩壊”は、実はアンドロポフの六年前の脚本通りに実行された計画された演劇であった。

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