筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
仏マクロン大統領のプーチン詣では、“スーパー対ロ売国奴”安倍晋三の27回に次ぐ15回に及ぶという。十九世紀末からのフランスの親ロ慣性は、天才ビスマルクも手を焼くほど。だから、三国干渉にも見せたようにフランスを半ば浸食するロシア贔屓において、欧米諸国の中では、“世界一のアホ民族”日本のロシア属国主義ほど極端な狂気性はないが、フランスを“重いロシア病”罹患国と見做しておかねばならない。
ロシア狂・日本がフランスを非難するのは無礼に当るから、まず、日本の狂ロシア属国主義を振り返る。この一つに、ロシア一辺倒だった戦前日本の祖国叛逆外交があろう。
戦前日本の祖国叛逆外交は、日露戦争に勝利した直後の1907年に始まる。第一次日露協約がそれ。これにより日本は、北満洲と外モンゴルにも軍事力投入のベクトルを向ける、ロシア南下を封じ込める正しい対ロ軍事態勢を、自ら崩壊させた。すなわち、日露戦争に勝利した日本は驕慢に現を抜かし、ロシアに全面工作されて主権を捨て、逆走外交を国策とした。
ロシアの対外情報工作力は、人類史においてロシア民族だけが有する特殊能力。情報と智慧に長けた英米というアングロ・サクソン族以外の、いかなる国も、ロシア工作を受ければひとたまりもなく、その外交は迷走し自国に刃を向ける。日本が、ロシアからの工作でロシアの操り人形にならない方法は一つしかない。米英の同盟国となって、日本が「米英こそ日本外交の羅針盤」とする時のみ。
1907年以降の日本国とは、日本外交は全てロシアの言いなりの“ロシアの属国”
1907年、日本の北進路線の凍結に成功するや、ロシアは、対日工作のギアをトップにして、日本の「南進」慣性を不可逆にする韓国併合に誘導した。敵国ロシアの工作に乗って日本外交を逆立ちさせ韓国併合を強行したのは、日本の“対ロ売国奴第三号”山縣有朋。また、日本国破壊を社是とする“反日極左”朝日新聞は、ロシアに依頼された通りに、凄まじい量の“韓国併合促進”報道キャンペーンをなした。この朝日新聞の煽動には、日本人は徹頭徹尾、洗脳されてしまった。
(備考)日本の対ロ売国奴第一号は川路聖謨、第二号は榎本武揚。いずれも反・勝海舟。
皇太子・李垠殿下の国王即位を悲願となされておられた“大賢帝”明治天皇のご聖旨に違背する韓国併合は、このように日本国を簒奪した専制君主然の山縣有朋が、日本人に対する煽動洗脳報道の朝日新聞と組んで、伊藤博文を含めて政府部内の絶対多数“韓国併合反対”論を潰し専断的に決行した。1910年の日本国の大愚行である。これによって、その後の日本外交は、一方的にロシアの言いなりばかりとなり、日本の国益を見据えた自主独立の日本外交はゼロとなっていく。
国際連盟の脱退(1933年3月)も、大東亜戦争開戦(1937年7月)も、日ソ中立条約の締結(1941年4月)も、対英米蘭開戦(1941年12月)も、全てスターリンの命令の実行であった。1930年代以降の日本外交に、“ロシアの犬”以外の独自なものは一つもない。
“親ロとは無正義&無道徳のスキゾ・アナーキズム”。ルソー&フーコーに犯された仏
話を仏マクロン大統領に戻す。フランス版ロスケで“スーパー間抜け”のマクロンは、『朝日新聞』6月4日付によると、5月上旬にも、反・正義きわめるナンセンス妄言「ウクライナとロシアは、侮辱しあってはならない」と発言していたらしい。そこでnet検索すると、BBC.comが、マクロンはフランスの地方紙記者に、6月3日、同じようなことを語ったと伝えていた。
「ロシアに屈辱を与えてはならない。外交的な手段で出口をつくることができなくなるからだ(ロシアにウクライナ侵略を停戦させる外交ができなくなるからだ)」。
これに対し、ウクライナ外相のクレバ氏は、twitterで見事なレトリックで反論。私は思わず大拍手。同氏のアルファベット表記はKulebaだが、cleverのスペルミスだ。
クレバ氏は、「ロシアに屈辱を与えるなと言うこと自体、そう呼びかけるフランス自身や同じことを口にする国々自身に屈辱を与えている。なぜなら、ロシアを屈辱しているのはロシア自身だからだ。我々が今なすべきは、ロシアに自分がなすべきこと(=侵略しているウクライナ国土からの撤兵)を覚醒させること。これのみが、ウクライナに平和をもたらしウクライナの人々の生命を守ることにつながる」、と書き込んだ(6月4日、午後10時9分)。
その通り。われわれ自由社会がなすべきことは、ただ一つしかない。侵略されたウクライナが軍事的に勝利することに全力をあげて協力すること。我々がウクライナと運命を共にせずば、国際法が定める法的正義は弊履の如くに捨て去られ世界の自由ある秩序そのものが崩壊する。ウクライナの勝利とロシアの敗北こそ、今、世界が手に手を携えて追求すべきもの。この一点でウクライナと団結してこそ初めて人類は道義に適う“正しき人間”になれる。
この意味で、マクロンの「ロシアに屈辱・・・」は、侮蔑すべき迷妄な戯言。ベンサムの言葉を借りれば、「侵略者の屈辱」問題に腐心するマクロン的発想そのこと自体、“竹馬に乗ったナンセンス”。マクロンを国際場裏から放逐しよう。
さらに、驚くべきことに、マクロンは、もう一つの戯言「ロシアとウクライナの仲介者になるのはフランスの役割だと確信している」をほざいている。フランス大統領マクロンとは、フランス中の秀才が集まるグランゼコールENA卒だが、道端に落ち雨に濡れて食せない“水膨れマカロン”なのか。マクロン大統領には、仲介させてならない。露烏戦争の戦後処理から完全に排除すべき有害人士。
必ずウクライナの勝利で終わる、今般の露烏戦争に対する戦後処理は、(ポーランドやルーマニアを含め)英米がなすべきもの。プーチンと通謀する親ロのフランスを絶対に入れてはならない。どうもマクロンは、思想的にフーコーやドゥルーズらのポストモダン系アナーキズムに侵されている。人間が依拠すべき善悪や法的正義が腐蝕しているからだ。
ウクライナの戦後処理は、コーク卿を継ぐバークやチャーチル的な、勇者の美徳を備えた知恵ある賢者の末裔たる英米が主導するものでなくてはならない。チャーチルやマンネルヘイム元帥を範とする“偉大な英雄”ゼレンスキー大統領は、ロシアに勝利した明治天皇の御霊にも護られている。ウクライナの対ロ戦後処理に“親ロ一辺倒”マクロンがしゃしゃり出る介入など、お門違いも甚だしい。
独ラインラント進駐を罰しない仏/ケルン──ボン──マインツ以南の保障占領もしない仏
幾人かの人の憶測に従えば、マクロンの上記の「ロシアに屈辱を与えてはいけない」は、第一次世界大戦の戦後処理ベルサイユ条約の全くの誤解から発想しているという。つまり、マクロンは、ベルサイユ条約で余りにドイツに屈辱を味合わせたから、ドイツはこの屈辱に対する復讐で、二十年後に第二次世界大戦を起こしたのだ、と。もし、この憶測が正しければ、マクロンの歴史理解は小学生五年生レベル。
なぜなら、第一次世界大戦後のドイツにおける、ヒトラーとナチズムの勃興は、ベルサイユ条約の過度の対ドイツ処罰やそれへの復讐などとは基本的には関係しない。ヒトラーとナチズムの勃興の主たる原因は二つ。第一。ドイツ人の精神的支えであった皇帝制度がなくなり、その精神的空無と喪失感からの、皇帝に代わる独裁者願望が、ドイツ国民の過半の自然的欲求の大波になったこと。
第二。第一次世界大戦後のドイツでは、社会主義思想が伝染病となって国中に蔓延した。1920年代のドイツに、社会主義思想以外の通常の政治思想など一つも存在しない。これは、“自由社会の英国よ、没落せよ”とやたら英国を呪詛する社会主義者シュペングラー『西洋の没落』(備考)が爆発的に売れた事実一つに象徴されていよう。実際にも、社会主義者以外の出版物など、1920年代のドイツにあるのか。一冊も無いではないか。
(備考)シュペングラー『西洋の没落』は、英米以外で論難したのはスペインの保守主義者オルテガなど少数。日本では、その出版の1920年代以降、礼賛一色。日本の哲学思想研究者でシュペングラー非難は、中川八洋一人のみ。これは、日本におけるヒトラー『我が闘争』批判者も、単純化すれば、保守では竹山道雄と中川八洋しかいない事実にも通じている。
すなわち、ポスト第一次世界大戦のドイツで、政権を握るのは、ヒトラーでなければ、スターリン的共産主義にナチ以上に傾倒する社会民主党だったろうから、どのみち、ナチと同類の独裁政権が誕生している。マクロンは、1920~30年代のドイツ国内政治史に関する基礎知見が一欠けらもない。
マクロンの学的知識の極度の貧困は、戦間期ドイツ国内政治史に関する無教養だけではない。戦間期ヨーロッパ国際政治史に関するマクロンの知見の欠乏は、これでよくENAに入学できたなと絶句するお粗末限りないレベル。なぜならヒトラーが大妄想する欧州ドイツ千年王国(英国の大ブリテン島からボルガ川まで)づくりのための侵略戦争を助長したのは、「一にフランス、二に英国チェンバレン首相」だからである。
(備考) 戦間期とは、“第一次世界大戦と第二次世界大戦の間”を意味する学術用語。1918年11月~1939年9月1日を指す。
ヒトラーの欧州制覇の侵略戦争を助長した“ヒトラーの協力者” フランスの代表的行動には三つある。それぞれ、次の(1)(2)(3)で概説する。
(1)唖然とするフランスの超アホ馬鹿ぶりは、1936年3月、ヒトラーのラインラント進駐に際して遺憾なく発揮された。なぜなら、ドイツは、ベルサイユ条約(1919年)とロカルノ条約(1925年)で、ライン川フランス側全て&ドイツ側50㎞以内(これを条約は「ラインラント」と定義する)には、いかなる軍事施設も建設しないことを約束させられ、また、英仏も1935年までにはラインラントから完全に撤兵し(備考)、1936年1月以降のラインラントは永久に非武装化すると定められていた。
(備考)フランスはラインラントから1930年6月に撤兵。英国は1929年末までに撤兵していた。
外交の勘が非凡なヒトラーは、この非武装になったラインラントに進駐する賭けに出た。1936年3月7日、ドイツ国防軍の19ヶ歩兵大隊をライン川の右岸(50km以内)に侵入させ、うち3ヶ大隊をフランス側(左岸)に渡河させた。フランス陸軍が突入してくれば、勝ち目のないドイツとしては直ちに逃げることを決めていた。ところが、フランス軍は、ラインラントにドイツ軍が侵入したら軍事的に制裁してよいと二条約が明記する条文に従わず、独仏国境を越えなかった。1936年3月時点、ドイツ軍はまだ弱く、フランス軍に比すれば赤子の手を捻れる程度で、瞬時に駆逐できた。が、それから三年半後の1939年9月時点では、フランス軍には手に負えないほどに、ドイツは精強な陸軍力を保有するに至った(備考)。
ともあれ、この1936年3月、フランス軍がラインラントに二つの条約が定める通りにドイツの至る所に侵攻し、ドイツ軍をコテンパテンに消耗させておけば、それによりヒトラー独裁政権は確実に自壊している。この仮定については、世界の現代史家の見解は一致している。すなわち、惰弱フランスは、ヒトラー打倒の好機を、愚かにも1936年3月、自ら放棄した。そして攻守が転倒して1940年6月14日、ヒトラーにパリまで占領され、エッフェル塔にハーケン・クロイツの旗が靡いた。
(備考) 今般のプーチンのウクライナ戦争でロシアが敗北しても、ロシアは三~五年後には軍事力を回復する。それだけでは済まず、中共からの全面協力を得て、一気に二倍には強化されていよう。「2027年頃の北海道・新潟への侵略軍事力は、2022年2月24日以前の三倍以上」と推定するのが合理的。
チェンバレンがヒトラーに阿諛迎合したミュンヘン会議「開催」は、仏首相ダラディエの策
(2)チェコにズデーテン山岳地方をヒトラーに割譲させた“英仏の狂気”が炸裂したミュンヘン会談。フランスの愚行は、ラインラント進駐のヒトラーを見て見ぬ振りした、あきれ果てるアパシーだけではない。それから二年半後の1938年9月、英国チェンバレン首相をヒトラーに騙される役回りに誘い込んだのは、ヒトラー恐怖症なのかヒトラー心酔者なのか定かでない、矢鱈にどうしようもないクラゲ男・仏首相ダラディエだった。ウクライナを害するマクロンは、このダラディエの再来。
むろん、ダラディエであれ誰であれ、フランス人政治家は全く信用できない。そんなダラディエの口車に乗って、この9月に三度も(9月15日、9月22日、9月29~30日)ヒトラーに会いにゆく“世紀の痴呆”チェンバレンの反・外交には唖然と口が開いて塞がらない。が、同盟国を裏切ったダラディエの罪もまた死刑百回に値して、これにも口が塞がらない。
フランスはチェコスロバキアとは1921年に同盟条約を締結している。フランスがなすべきことは、当然、この条約が定める義務に従い、チェコがナチ・ドイツに攻められたら、一緒に戦う選択肢しかないはず。しかも、このチェコに関する限り、実は軍事小国ではない。実はチェコとは軍事中級国家で、1938年9月時点なら、英国陸軍力とさして変わらない戦力を有していた。
問題は、英仏チェコ三ヶ国が、チェコの軍事力をドイツと正確に比較できなかったこと。チェコの軍事力を正確に算定していれば、ドイツに対して単独でも優に勝てることが分かったはずで、天才チャーチルはそう確信していた。なお、チャーチルは陸軍士官学校卒で、そのIQは世界史に残る高さ。チャーチルは、次のように書いている。
「1938年9月、ナチ・ドイツがチェコスロバキアを征服したことで、ナチは、チェコの正規軍二十一ヶ師団、それに加えて既動員の予備の十五~六ヶ師団を獲得しただけでなく(=合計三十五師団が連合国側からナチ・ドイツに渡った)、山岳地帯の要塞線が連合国側からナチ・ドイツ側の手に渡った」
「チェコ・ズデーテンの山岳地帯は、ドイツ軍三十ヶ師団がなければ抑えることは困難。が、ドイツが1938年秋、ドイツ西南部に展開していたのは僅か十三ヶ師団しかなく、さらに精鋭部隊は五ヶ師団(中川は四ヶと計算)にすぎなかった」
「中欧で第二の最重要兵器工場シュコダもまた連合国からナチ・ドイツに渡った。1938年8月から1939年9月のシュコダ財閥の軍需工場の生産量は英国の兵器生産量とほぼ同じ」(チャーチル『第二次世界大戦 一』、河出書房新社、146~7頁)。
なお、私は、地図を見ただけで、チェコのズデーテン地方という山岳地帯=天然の大要塞がある以上、ドイツは戦車の電撃戦ができないと判断。また、(山岳を超える途次の全戦車は火炎瓶で火だるまにできるから)戦車の山越えそれ自体ができないとも判断。さらに、1938年秋、チェコに投入できたドイツの最新鋭戦車師団はまだ四ヶ(チャーチルは五ヶとしている)。チェコにとって、ドイツ陸軍など怖がる必要はなく、単独でいとも簡単に勝利できる相手だった。チェコは、国際法に従い、当事者でない以上、排除されているミュンヘン会談の合意に何ら縛られる必要はないから、それを蹴って単独で戦うべきであった。チャーチルもそう考えた。
このミュンヘン会談による英国首相とフランス首相の狂愚と裏切りに接した時、チェコ大統領ベネシュは、英仏と縁を切り、単独でドイツに立ち向かえばよいのに、何故そうしなかったのか。翌1939年11月30日、兵員五十万人/戦車3500輌のスターリン・ソ連軍を、兵員7万人で単独で迎え撃ったマンネルヘイム元帥とは180度逆に戦わずして対独屈服をしたことが、その後のチェコを1989年11月まで五十一年間も地獄に追い落としたのである。
今般、ゼレンスキー大統領が、ロシア軍が首都キーウに迫っても全く動じず、キーウに留まった騎士道の誉を体現したことが、戦況を一変させ、ウクライナの対ロ敗北から対ロ勝利の慣性を確実なものとした。ベネシュの惰弱を模倣せずマンネルヘイム元帥の勇者の道に従ったゼレンスキー大統領は、百点満点で最苦難の緒戦を切り抜けた。
ただ、戦争で最も怖いのは、最後の段階。ここで勝者側が油断すると、敗者側の侵略者が秘策を練るどんでん返しに必ずやられる。
マクロンが、侵略者プーチンの密使なのは疑う余地が無い。ゼレンスキー大統領もウクライナ政府も、いずれ最後の勝利段階が近づくが──アフガニスタンからの撤兵に見るように、ロシア軍は突然、勝手に退却を始める。協定や条約を締結することない──この時、マクロン排除をすることを忘れてはならない。
【附記】 ゼレンスキーには神仏がついている。2022年2月24日時点、G7からKGBメルケル首相もKGB安倍晋三も消えていた。“親ロの狂人”トランプも米国大統領ではなかった。英国はチャーチル系のジョンソン首相になり、米国大統領は同盟主義のバイデンになっていた。また、ドイツの新首相ショルツは右往左往タイプだが、若かりし頃に東ドイツ秘密警察シュタージュの協力者だったメルケルに比すれば、格段に信用できる。日本の首相は共産党・反核運動にのめり込んでいるコミュニスト岸田文雄だが、KGBロスケではないことで、安倍晋三よりははるかに安全。
フランスはチェコを裏切り、ポーランド/ルーマニアを捨てた。マクロンは必ず踏襲する
(3)1930年前後において、世界最大最強の陸軍力を有するフランスは、同盟国ポーランドとルーマニアを、ドイツやソ連から侵略されないよう、軍事防衛をコミットする条約を締結していた。いわゆる“フランス陸軍力の傘”である。しかし、愚昧なフランスは、同盟軍前方展開(forward‐deployment 同盟国内駐兵)をせず、有事急派という“現実的には救援に間に合わない”無効な愚策に固執した。
だから、実際に、ポーランドに1939年9月1日、ドイツ軍が電撃的に奇襲侵攻した時、フランス軍はその先遣隊がようやくフランス領土の北端、ドイツとの国境近くに到達しただけ。しかも、英国陸軍がドーバー海峡を渡って到着するのを待ち、仏英軍で南ドイツに突入することにしたので、その対独侵攻準備が独仏国境で完了したのは10月1日頃。この時すでにポーランドは独ソに分割占領された後。仏英軍は、ドイツ国境で、友邦ポーランドの国家死滅にただ茫然。
日米同盟条約に基づき米国が日本国内に駐兵するのは、前方展開せずポーランド滅亡をもたらした“画餅”「仏ポ同盟条約」のフランス陸軍の愚行に学んだからである。
なお、仏ポーランド同盟条約は1921年2月。仏ルーマニア同盟条約は1926年6月。いずれも、フランス陸軍が同盟国内駐兵をしない画餅同盟。
【蛇足】1902年の日英同盟とは、ドイツとフランスがロシア側に付いた瞬間、英国が独仏への全面戦争を宣戦布告することを約した同盟条約。戦場が日本国領土ではなく海外の満洲であったこと、及び海軍力の補強さえしてあげれば日本が単独でも対ロ勝利できるとの英国の情報分析からの見事に完璧な条文。今般、ウクライナ必勝を予見するように、英国の戦争趨勢“診断”力は、世界史に類例がない天才。
ロシア戦争目的「ウ国の死滅/ウ民族の絶滅」を知らない振りに徹するマクロン
ウクライナにとり、仏大統領マクロンが本当に恐ろしい危険人物である理由には、もう一つある。それは、マクロンが、プーチンの戦争目的についていっさい知らない振りをして、矢鱈目鱈に“停戦!”“停戦!”と叫ぶ異常性に露わ。私はマクロンとは逆に、いずれロシアは(かつてアフガニスタンから黙って撤兵したように)ウクライナへの侵略兵力を突然撤兵させるから、それ以前にはウクライナは断じて対ロ停戦を合意してはならないし、決してプーチンと交渉してもならない、と考える。
プーチンのロシアの対ウクライナ戦争は、かなりの数のロシア人が居住する東部地区の割譲で満足するものではない。プーチンは、国名「ウクライナ」を含めて、「ウクライナ民族」「ウクライナ文化」そのものがこの地球上から消滅すること自体を戦争目的としている。具体的には、プーチンがしばしば口にする「非ナチ化」とは、「ウクライナの非ウクライナ化」の別表現。とすれば、プーチンの特殊語「非ナチ化」とは、“ウクライナ民族&文化の廃滅・絶滅”を意味しており、これ以外ではない。
このプーチンの詭弁ロジックは、ヒトラーのユダヤ人抹殺のドグマ書『我が闘争』と瓜二つ。とすれば、ヒトラーがガス室でユダヤ人を殺しまくったように、プーチンは、ウクライナ全土掌握をすればウクライナ人を殺しまくるだろう。その数、一千万人を軽く超えるだろうことは、この“ウクライナの非ウクライナ化”というプーチン語を解剖すれば、疑問の余地はない。
4月上旬、首都キーウ近郊のブチャで数百名の、拷問を受けた上で射殺された死体が続々と発見されたが、それは氷山の一角。現在すでに百四十万人ほどがロシア領内に拉致・強制連行されたが、彼らが生きている可能性はほとんどない、と推定しておいた方がよい。
さて、“プーチンの密使”マクロンに話を戻せば、マクロンとは、「外交的手段で、停戦と平和は、ウクライナに戻りうる」と、スーパー戯言をうそぶく。だが、これは荒唐無稽な嘘八百。なぜなら、“ヒトラーが自殺せずナチ体制が存続している状態でも、外交的手段でユダヤ人ジェノサイドを止められる”との主張と同じだからだ。プーチンが自殺するだけでなく、ロシアそのものが消滅しない限り、ウクライナ人が一人残らず殺戮されるロシア・テロルから解放されることはない。今後、ロシアをして、ウクライナ侵略ができないレベルに解体・弱体化しない限り、ウクライナへのロシア・テロルに終わりは来ない。特に、ロシアを戦後処理する中で、ロシアの核戦力の減滅、及び化学兵器・生物兵器を取り上げることは断行しなければならないが、さてはて、溜息が何度も出るほどに大アポリア。
(注) 以上、プーチンの戦争目的を考察するに用いた資料は、①プーチンの論文(2021年7月12日付)、②プーチン論文を書き直したノーボスチ通信社が4月3日に配信したタイトル「ロシアがウクライナにすべきこと」。②については、ウクライナ政府が、『Kremlin’s Mouthpiece RIA(ノーボスチ通信社)Publishes Russian Fascist Manifesto』との解説タイトルをつけ、その3頁から、原文の英訳をネットに流している。邦訳もあるが、ほとんど意味が通じない。③プーチンのウクライナ侵略(=ウクライナ全土占領)が二日で完了する予定で、ノーボスチ通信社が、間違って流した勝利宣言の予定稿「ロシアの攻勢と新世界の到来」(2月26日)も参考にした。基本的に①②と同一内容だった。
(2022年6月7日記)