北方領土“奪還”唯一の策は、ロシアとの交渉・条約の絶対拒絶&無血進駐の断行──ロシア後退の好機を見ない“ロシアの犬/朝日新聞の操り人形”岸田文雄2・7発言《日本はロシアの属国です》

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 北方領土奪還を国民挙げて眦を決し再確認する「2月7日」が、毎年、訪れる。今年もまた、“白痴コミュニスト”岸田文雄の下で開催された。その名は「北方領土返還要求全国大会」で、場所は国立劇場(千代田区、地下鉄「半蔵門駅」近傍)。ここで岸田文雄は、①ロシアがウクライナ侵略で山をなした残忍・残虐な戦争犯罪について、ロシアに対し激越非難するかと思いきや、何とこの絶対にすべき対露非難に口チャック。むしろ露骨にロシアに媚びまくる超・体たらく。岸田文雄のこの余りのロシア奴隷ぶりに、私は思わず唖然・憮然・絶句。

 日本国の北方領土を奪還するに、岸田文雄が日本国を代表して世界に闡明すべき筆頭は、②北方領土に対する1945年8~9月のロシアの侵略(不法占拠)経緯。③第二が、その国際法違反・日ロ間条約違反、ならびに北方領土全てが今なお日本に明快に帰属する、その国際法上の地位。

 続く④は、言うまでもなく、“史上空前の対ロ売国奴”安倍晋三の負の遺産である、主権国家・日本を否定し尽くす、狂気極める“八年にわたる「対ロ北方領土献上」外交”を一擲するとの宣言。この八年にわたる、“赤い悪魔”安倍晋三の“スーパー反日”「対ロ北方領土献上」外交を一擲するとは、具体的には次の諸項目のこと。が、“逆立ち気狂い”岸田文雄は、この全てを継続して対ロ売国奴であり続けたいと、宣言した。岸田は、第二の安倍晋三なのだ!

A;日ロ平和条約は、日本に侵略を悟らせない“日本騙し”の「日ソ中立条約の二の舞」だから、今後、日本政府は万が一にも締結しない。

B;1991年4月ゴルビー来日に騙され、“名古屋の共産党員”&“脳内空洞”海部俊樹・首相が創設した「ビザなし人的交流」も、即時廃止する。

C;安倍晋三がプーチンの靴を舐めてプーチンからの命令で創設した「四島交流等事業」を全面的に廃止する。これに伴い、当然ながら、安倍晋三が三千億円をプーチンに貢いだ2016年に、それに合わせて創った安倍晋三“対ロ売国”大臣ポスト「対ロ経済分野協力担当大臣」を即時廃止する。また、ロシアに対し、この三千億円の返還を要求する。

(備考)岸田文雄は、「北方領土の日」の翌8日、野田佳彦から「この大臣ポストを廃止しろ」と指摘されたが、平然と継続すると明言。

D;ロシアへのエネルギー依存により日本国の主権が脅かされることが、ロシアのウクライナ侵略で白日の下に明らかになった。よって日本は、ロシア産天然ガス輸入の「サハリン1&2」プロジェクトから全面的に撤退する。

(備考)岸田文雄は、ロシアが対ウ戦争で勝利するよう、毎年、数千億円の戦争遂行用の外貨(天然ガス代金)を貢ぎ続けるため、「サハリン1&2」から撤退しない。そして、“自民党のKGBロスケ集団のボス”西村康稔をエネルギー担当の経産大臣に据えた。岸田・西村を“対ロ売国コンビ(ゾンビ?)”という。

 要するに岸田文雄とは、対ロ外交の最重要課題“北方領土奪還”で2月7日に発言すべき、①②③も④‐A/B/C/Dも、全て逆さにして阿波踊ったことになる。岸田文雄は、ロシアのウクライナ侵略の現実を見ながら、1956年の鳩山一郎から約七十年続く“日本ロシア属国”主義を変更しない旨を闡明した。“脳内麻痺”岸田文雄の頭の中では、2・24から丸一年にならんとするが、ロシアのウクライナ侵略を一過性の台風と見做し、国際情勢は直ぐに2・24以前の元に戻るとの狂気と幻覚が充満している。

 が、現実の世界は逆。露烏戦争で国際情勢が一変した。ポスト露烏戦争では新しい国際秩序(=対露・対中“封じ込め”体制)が構築される。が、“赤い白痴”岸田文雄には、全盲と同じく、これが見えない。岸田文雄は、文字通りに“赤い白痴”なのだ。しかも重度。また、ロシア崇拝とコミュニズムは不可分だから、岸田文雄は、その反核コミュニズムからもロシア崇拝に呪縛され続ける。

 が、一方、岸田文雄は、G7の一員として欧米主要国に対して“いい顔”したい。これが岸田文雄の対ウクライナ“臨時”友好演技の動機。この故に、ロシア崇拝狂の岸田文雄は、ロシアのウクライナ侵略に対し、国際法が峻別する正義・不正義の、正義側に毅然と立つことができない。岸田文雄は、イソップ童話の“卑怯な蝙蝠”そのもの。矢鱈目鱈、日本国の国益と名誉を著しく毀損するだけ。

北方領土は「北方四島/クリル諸島/南樺太」の総称名。「クリル/南樺太」は日ロ間では“日本領”

 グレンコ・アンドリー氏がtwitterで、次のように語っている。これは国際法の学的解釈としても正解で百点満点。また、ポスト露烏戦争で到来する現実では、日本国民の決断一つで実行可能。

「私は北方四島だけではなく、千島列島と南樺太の返還(「奪還」)も十分現実的だと思います」

「ロシアが弱りきって、返還せざるを得ない状態に陥った時に、四島返還を求める(「に無血進駐する」)事と、千島列島と南樺太の返還を求める(「にも無血進駐する」)事とは大した差異はないと思います」(丸カッコ内中川)

 このグレンコ氏に対して、「fj197099」氏が、平均的日本人らしい下記のコメントを寄せている。大学の国際法のtestなら、残念ながら、同氏のaは、間違い。日本はサンフランシスコ会議で両地域をロシアには放棄していない。よって今尚、日ロ間に限っては「日本領」。cは、意味不明。

a「サンフランシスコ講和会議で日本は領有を放棄している経緯がある。現実には千島列島と南樺太の『返還』は難しい」

b「もちろん『奪還』を目指すことは可能だ」

c「その場合は、戦略要衝としてのペトロパブロフスクの原潜基地も奪いたいものだが」。

 先ず、地理学上の「千島列島」と、日ロ間の条約上の「千島諸島=クリル諸島」との差異について。地理学上の名称「千島列島」は、国後・択捉島から占守島までを指す。ここには、北海道の一部たる歯舞・色丹は含まれない。一方、日本とロシアが1854年/1875年に締結した条約第二条で、日ロは「千島諸島=クリル諸島」を、得撫島から占守島までの島々を指すと定義した。

 従来の「千島諸島」に得撫島を加えロシアに差し上げると、対ロ売国奴・川路聖謨が下田で過剰な対露宥和外交をした結果である。対ロ売国奴・川路聖謨は、最上徳内らが命をかけて、得撫島を「日本領化」or「日ロ間の“雑居の地”(共同主権)」にした努力を水泡に帰した。川路ではなく、勝海舟を対ロ交渉全権としなかった徳川幕府の人選ミスは、日本の対ロ属国化の禍根を形成した。川路や小栗上野介など外交音痴に外交をさせてはならない。

 明治新政府も1875年、“非国民”&“純粋ロスケ”榎本武揚に対露交渉させたごとく、徳川幕府の対ロ外交人選ミスの悪弊を引き継いでいた。明治維新政府が、徳川幕府への叛乱者・榎本武揚を五稜郭で殺しておかなかったのは、明治政府内に祖国叛逆の共鳴するテロ讃美があったからだ。

 話を、国際法上の解釈に戻す。日本が調印したサンフランシスコ講和条約の第二条C項は、「日本は、千島列島(「千島諸島」とすべきに外務省の大チョンボ。サ講和条約は、日本語も正文なので誤訳ではない)と南樺太を放棄する」と明記。が、ロシアは全権グロムイコが調印せず退席したので、この条約はロシアには関係しない。結果として、ロシアと日本国の間に限るが、千島諸島と南樺太は“日本領のまま”と定まった。少なくとも、“帰属未定の地”となった。

 つまり、日本は、調印した日本以外の48ヶ国に対しては、「千島列島と南樺太を放棄した」が、退席して調印を拒絶したロシアに対し、日本は放棄していない。つまり、サンフランシスコ講和条約では、対ロシアに限り、(占守島まで含む)千島列島と南樺太は、未だ日本領

サ講和条約「第二条C項」削除の可能性は、露烏戦争でウクライナが全面勝利するか否かで決まる

 さる2月7日、友邦ウクライナのゼレンスキー大統領は、「日本の“北方領土の日”に当り、われわれウクライナ国民は、日本政府および日本国民と連帯する。日本でもウクライナでも、国際法と正義とは回復されねばならない」とのtwitter声明を発表した。これは、2022年10月の大統領令「北方領土を含む日本の主権を支持する」に続くものであった。

 私は、日本国とウクライナとの関係は、友邦関係や同盟関係を越えた、それよりも何か神的な“運命共同体common destiny”を感じてならない。実際にも、このゼレンスキー大統領の北方領土メッセージには、対ロ“北方領土奪還”応援以上の神秘な響きがあり、私の体を震わせた。

 この問題を論じる前に、前節で論じたサンフランシスコ講和条約と、このゼレンスキー大統領twitter声明の関連性について一言。

 サ条約では日本は48ヶ国に対し「千島列島と南樺太を放棄する」としたので、日本が「北方四島」「千島諸島(クリル諸島)」「南樺太」を奪還した後、この48ヶ国と、サ条約第二条C項を次の新条文に改訂する同意を取り付ける必要がある。あるいは、「C項全てを削除する(C項は空欄とする)」で、同意を取り付ける必要がある。

新・サ条約第二条C項;「千島列島に関わる日本国の権利&権限は、降伏以前のままとする。南樺太は、ポーツマス条約の通り、日本国の主権が尊重される」

 この48ヶ国との同意取りつけを考えても、また北方領土の無交渉・無条約“奪還”作戦の遂行においても、世界中からできるだけ多くの支持は欠かせない。この支持をしてくれる国々は、現在の露烏戦争でウクライナを支持している国々となるのは、自明。この意味からも、ウクライナの勝利こそ、日本が北方領土を奪還できるか否かの分岐点になっている。

 すなわち、日本が北方領土を奪還するためには、ウクライナの対ロ全面勝利(=ドンバス二州もクリミア半島も完全奪還)が最低条件である。日本がウクライナに可能な限り武器供与すべきは、一には被侵略国を助けることが義に悖らない道徳行為の実践であり、国際法遵守の“法の支配”を奉じる文明国としての当然の義務だからである。

 が、第二には、この武器供与によってウクライナの勝利が全面的になれば、日本の北方領土奪還に大いなる展望が開け、日本の国益に裨益するからである。このように、ロシアの属国たる日本の対ロ主権回復は、ウクライナと同じ運命を共にしている。ウクライナの対ロ勝利が無ければ、日本国の未来は暗澹たるものになろう。戦後七十七年間も続く、日本のロシア属国状態が永遠に続いて、最期は日本が地球から消える亡国を余儀なくされるよう。

(備考)日本ではウクライナへの武器供与の主張が、(実名では)私以外、完全にゼロ。それは日本人の過半数、多分六~七千万人の日本人は、基本的に公然たるKGBロスケ森喜朗/鈴木宗男/西村康稔/佐藤正久らと基調を同じくしているからで、内心は「ロシア勝て、ウクライナ負けろ」の立場。被害国ウクライナの人々への同情を寄せる人間として正常な人格を持つ日本人が、デヴィ夫人や在ウクライナで活躍する平野高志らが多少いる事で少しホット安堵するが、少数なのは否めない。

 この事実はまた、日本には北方領土の奪還を真剣に考えている日本人がほとんどいないことを明らかにしている。ウクライナへの武器供与論者と北方領土奪還論者とは同一。裏返せば、岸田文雄が典型であるように、前者の主張をなしていない者は、北方領土奪還などつゆほども考えていない。岸田文雄と鈴木宗男の間は、五十歩百歩。差異はない。

北方領土“奪還”の要諦;「日ロ間に閉塞しない」「世界と連帯し無血進駐一本槍に徹する」「無交渉」

 武力で奪われた領土は武力で取り返すのが、世界史を通じて国際場裏の一大原則。1989年の東欧解放のような、侵略国ロシアの経済崩壊によってロシア軍が兵士の給与を支払いできず撤退を余儀なくされて非軍事的に解放されたのは、レーガン大統領という天才の成せる仕業であって、稀有な奇跡。レーガンによる東欧解放のような非軍事的解放が起きるのは、百年に一度/二百年に一度。これからの世界で、同一の情況が発生する確率は極めて低い。

 現に、四千万人ウクライナ国民は、“第二のマンネルヘイム元帥”ゼレンスキー大統領の麾下のもと一糸乱れず、命を捨て、軍事的に祖国の領土を死守し奪還している。奪われた領土の奪還であれ、これから奪われんとする領土の死守であれ、軍事力の行使と自己犠牲の高雅な精神のみが、それを可能にする。

 が、日本で、自由を求めて死を恐れない自己犠牲に凝集せるウクライナ四千万人に、畏敬・尊敬の念をもって敬意を払っている、道徳日本人はいかほどもいない。道徳と法的正義には、即座に依拠する、人間としての健全な精神を、一億日本人は既に有していない。現在の一億日本人は、人間の顔をし、日本語を口にする家鴨や豚と同じ家畜。人間ではない。

 それはともあれ、日本人はゼレンスキー率いるウクライナの汗と涙と血を惜しまぬ、その勇気ある防衛戦争を学ぶ時が来た。それは、表1のa「北方四島の奪還」、b「南樺太の奪還」、c「千島諸島の奪還」と、それぞれ多少の相違がある。が、軍事力の対ロ戦争を辞さない精神こそが、戦争無しに、日本の固有の領土を日本国民の手に戻してくれることは、このabcに共通している。

表1;北方領土を奪還したいなら、絶対原則「対ロ交渉せず」を厳に墨守すること

1952年4月~55年9月

ソ連は日本との国交がないため、対日謀略機関「ソ連大使館」が開設できず、この大使館開設をすべく、千島全列島を日本に返還することを決めた。が、その前に試しに、鳩山一郎を誑かして無償で大使館開設にこぎつける偽情報作戦を大展開した。KGBロスケ河野一郎の協力もあって、この鳩山騙しに大成功した。

1990年1月~94年前半

ソ連は経済崩壊から地上軍は崩壊状態に陥り、北方領土のソ連地上軍は事実上ゼロになった。しかも、太平洋艦隊も沿海州の空軍力も同様で戦闘能力を喪失した。陸自が国後・択捉島に進駐しても、ロシアはいっさい反撃しなかった。

2022年2月~27年12月?

a「北方四島の奪還」;陸自が国後・択捉島に進駐しても、それは陸自の“駐屯地の国内移動”。ロシアは太平艦隊や沿海州の空軍力を十分に維持しており、この陸自の進駐を阻むに軍事的反撃力を有している。が、対ウクライナ侵略で苦戦している現況では、第二戦線「国後・択捉での戦争」を断念する可能性が高い。

b「南樺太の奪還」;日本は“日本の領土”南樺太に進駐する決断をすべき時が来た。これに対してロシアはほぼ百%反撃してくるだろう。故に、日本は日ロ間の戦争を覚悟せねばならない。ために“北海道の要塞化”など十全の準備を急ピッチで進める必要がある。ここ三年以内に、南樺太への無血進駐の好機が必ず訪れる。尚、この時、北樺太は保障占領する。「サハリン1&2」からの天然ガス収益は全て、ウクライナの復興資金に充てる。

c「千島諸島の奪還」;略

 北方四島の奪還は、無血進駐を第一とし、これ以外の策を決して採らないこと。現に、表1で示すように、過去二回、日本は、対ロ無交渉を貫いていれば、北方領土を奪還できた。それなのに、逆走した。

 第一回目は、吉田茂が洞察した通りに事態は推移した。1952年4月以降のソ連は、国交が無いため、対日謀略機関のソ連大使館の開設ができなかった。このソ連側の不利と焦りを利用して、日本側が無交渉を貫けば、1955年の半ばまでには、ソ連は千島全列島を返還していた。が、超ウスノロ鳩山一郎は、功名心から対ロ交渉で北方領土を奪還できると妄想し、この好機をどぶに捨てた。

 第二回目は、ソ連は経済崩壊と大インフレ(一気に約十倍)から、将兵の給与が払えず、ソ連軍は事実上休眠状態になった。国後・択捉島の地上軍兵士は逃亡して、ガラガラになった。ウラジヴォストークの太平洋艦隊もほとんど同様で、戦闘可能な軍艦は一隻として無かった。日本の陸自は文字通り、悠々の無血進駐が百%可能だった。ために、ゴルバチョフは、国内が崩壊の危機に瀕していた1991年4月、日本の北方四島“無血進駐”を阻止すべく、無理して来日し、目晦まし“ビザなし交流”に、手練手管で日本を引き込んだ。

 このように、二度も日本は無血進駐の好機を逸した。この二度にわたる日本の大失態は、天才交渉力を持つロシアと交渉する、日本の政治家の傲慢と超・ならず者性が原因である。特にクズばかりの頭が極度に悪い日本の国会議員ごときが、人類史上、外交だけは超天才のロシアと、外交交渉するなど烏滸の沙汰はなはだしい。

 東大きっての大秀才・小村寿太郎よりもIQが低い/見識が貧乏な、東大トップでない者がロシアと交渉するなど、気狂いにすぎない。林芳正/茂木敏充/西村康稔は東大卒だが、トップにはほど遠く、小村寿太郎の足元にも及ばない。彼らは、まさしく名ばかりの東大卒。

 小村寿太郎は、日本陸軍が樺太全島を保障占領している条件下で、しかもテオドア・ルーズヴェルト米国大統領が全面的に加勢しても、その樺太の半分しか獲れなかった。岸田文雄は、今や国際的には劣等生が行く東大アホウ科(法学部)を三回も受験して三回とも不合格する、まさしくアホウの典型。東大文系トップの小村寿太郎からすれば、岸田文雄など三歳の幼稚園児レベル。だから、ロシアの外交天才に震えあがる常識を欠き、対ロ外交交渉をしようなど不遜な狂妄に耽る。日本の国会議員全員に対ロ交渉を禁じる立法を急がねば、日本はロシア属国から脱却することができないし、北方領土は永遠に還ってこない。そればかりか、日本列島がロシア領になる。

附記1;【ヤルタ秘密協定】

 ソ連スターリンと米国ルーズヴェルトがヤルタ(クリミア半島)で結んだ秘密協定(1945年2月11日)は、日本は締約国でないから無関係。“条約は非締約国を利せず害せず”は、国際法の大原則。

 さらに、このヤルタ秘密協定では、ルーズヴェルトは「米国政府の署名でない」にすべく、文字「米国大統領」を書かず、自分の名前だけ署名し“彼個人の私文書”とした。親日チャーチルは、不快極まりないと、この2・11米ソ首脳会談をボイコットした。が、夜、チャーチルを訪ねてきた米国国務省の親ソ官僚にサインを懇願され、チャーチルは已むを得ず、「英国首相」とはせず個人名だけ署名した。が、「賛成せず」を表明すべく、署名を45度斜めに殴り書きしている。

 なお、サ条約が「日本は千島列島と南樺太を放棄する」として、「千島列島と南樺太はロシアに帰属する」としなかったことで、ヤルタ秘密協定はゴミ焼却場に直行し灰になった。これは、親日フォスター・ダレスらしい策謀。彼のお蔭でヤルタ秘密協定潰しは成功した。

 が、第二条C項は「千島列島と南樺太の帰属問題は、日ロ間の協議に委ねる」の別表現でもあるように、このこと自体、大チョンボだろう。ダレスは、サ条約とは別の日ロ条約で「千島列島全ては日本に、南樺太はロシアに」を裁定しようとしていたようだが、日ロ米三ヶ国会議など、どうやって開催するのか。ダレスは、Yalta秘密協定の無効化ばかりに視野を狭窄させて第二条C項を起草したために、同項は理論的には多くの問題点を孕んだ。が、ダレスのこのチョンボは、想定外に、日本が対ロ交渉をしない場合には、日本を大いに裨益するものになった。日本は、ロシアから南樺太と得撫島以北を、実力or幸運で奪還できる“国際法上の地位”を与えられたからである。

 蛇足。米国は、米国単独起草のポツダム宣言において、トルーマン大統領も、一貫して「千島全列島は日本領土」を“常識”とした。ダレスもこの“常識”が常識だった。ダレスはサ条約で「千島全列島は日本領土」と明記すべきに、サ条約締結の後、日ロ両国に“喧嘩両成敗”「千島列島全ては日本に、南樺太はロシアに」で裁定すべく、この明記を一時棚上げしてしまった。箴言“智慧者は智慧に溺れる”を思いだす。

 もう一つ蛇足。今もなお、ポツダム宣言の当該条項&ダレスの本心「千島全列島は日本領土」を堅持しているのが、志位和夫の日本共産党。

(2023年2月10日記)

 

 

 

 

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