筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
7月11~12日、リトアニアの首都で開催されたNATO首脳会議に、日本の岸田総理がオブザーバーで出席した。NATOが共同宣言に挿入する予定だった“NATO防衛域の極東拡大への第一歩”「NATOの東京事務所」開設について、岸田に演説「大歓迎!」させるのが招待の理由。
NATO東京事務所“開設”は、ストルテンべルグ事務総長が発案し米国バイデン大統領が推進してきた策。が、フランスのマクロン大統領が猛然と異を唱え、当分の間、お蔵入りとなった。岸田は為す術もなく、NATO会議では部屋の隅っこで屈みこむ“野良犬”同然で過ごした。かくも、存在感がゼロ以下の岸田外交は、“日本の恥”そのもの。
さらに、日本で評価を挙げること効果抜群の、ゼレンスキー大統領との日ウ首脳会談を、岸田文雄は全力をあげて開催にこぎつけようとした。が、ゼ大統領にケンモホロロに拒否された。今、ウは、ロシア侵略軍二十万人以上を国外に排撃できるか否かの瀬戸際。榴弾砲の砲弾など武器供与を裏で模索する尹・韓国大統領の方がアジアの同盟国として日本より価値ははるかに高い。ゼレンスキーは岸田をポイ捨てし、尹大統領との首脳会談を選んだ(7月15日、キーウ)。
喉から手が出るほど武器が欲しいand/or武器でなく民間用の日本の対人地雷除去機(日建/コマツ)が欲しくて堪らないウクライナ大統領(最高司令官)にとり、これらの手土産が何一つもない“赤い白痴”岸田と無駄話する時間など30分もないのは自明。が、岸田文雄は、その白痴ぶりを発揮し、キーウ訪問時のあの馬鹿げたシャモジと同じ、「ドローン検知システム」を提供すれば首脳会談ができると思い込んでいた。小学校二年生以下の“恥知らず反戦・反武器の極左”岸田文雄には、日本国総理の資格が無い! ドローン検知システムは、ウクライナの方が、日本のよりはるかに進歩している。
この意味で、今般の岸田文雄のリトアニア訪問は、まさしく税金の無駄遣い。この結果、岸田文雄の日本における総理の立場も、“はよ、退陣せんかい”が流れになり、粗大ごみ扱いになってしまった。永田町界隈での“岸田引き降ろし”は、静かに&大きく蠢いている。
ウクライナへの武器供与を可能とする自衛隊法116条三項すら改正しない、ウクライナを侮辱し続ける反戦平和主義者の“準・日本共産党員”岸田文雄を早期に退陣させなければ、日本外交は機能不全に陥る。それだけではなく、貧困な装備と公務員である自衛隊を常態にし、「軍人」「国防軍」に糺さない、一億日本国民の国防無視の狂気は、“極左「反日」国家”日本の国防力を確実に自壊・自爆へと誘導している。
NATO東京事務所“反対”のマクロン意向を反転させる、能力と知を欠く超・劣悪な“赤”岸田首相
マクロンのNATO東京事務所“反対”は、実にフランスらしいフランス特有の行動。が、それは頑な主義主張ではないから、日本の対応次第ではマクロンは撤回する。この撤回にマクロンを追い込めなかったのは、ひとえに岸田総理の極度の外交無能・外交音痴の問題と、岸田文雄がカルト宗教「共産党系の反軍/反兵器」教の狂信者であることが主因。
フランスの言い分の第一。「米国主導のNATOは、北大西洋を跨いだヨーロッパの“自由、平和、安定”に貢献する。故にフランスは、この限りにおいて、支持し協力する」「が、NATOが仮にも、この条約上に明記された以外の“域外”を対象とするなら、フランス国はこれには関与したくない」。
後述するが、これはド・ゴール大統領やガロワ将軍の見解の踏襲。この立場は、今もフランスの対外政策の底流に、太くはないが、チョロチョロと流れている。が、絶対的なフランス外交の基軸ではなく、フランスの利害では引っ込める、その程度のもの。だから、この立場を貫けば損すると悟れば、平気にさっと方向転換をする。
1991年、侵略されたクウェート救済の対イラク湾岸戦争(米国のブッシュ(父)大統領が主導)では、フランスは積極的に参加した。一方、2003年の米国ブッシュ(長男)大統領が主導した、同じ対イラク制裁(サダム・フセイン排除)戦争では、フランスはそっぽを向いて不参加を決めた。フランスは、米国主導のNATO域外戦争には、このようにダブル・スタンダード。かなりいい加減なのだ。
第二。NATOの極東域(台湾、日本、韓国)への拡大を、マクロン大統領のフランスは、心底では、いずれは賛成に回らざるをえないだろうとは考えている。が、ド・ゴール主義(ゴーリズム)棚上げ(凍結)をするには、フランス製品“買いまくり”において日本が中共よりも上回り、フランス国民が日本との繋がりにおける経済的メリットをはっきりと認識できる証拠と現実を、日本が示すことが条件のようだ。
確かに、日本のフランスとの貿易額は小さく、フランス製を買い漁る中共の“対仏”大盤振る舞いの前には、日本の輸入量はゴミ程度、もはや日本を考慮する価値すらない。中共を敵にしてまでNATO東京事務所を開設するのは、フランス経済を害しても利することはない、とフランスは考える。
要は日本が、①日本の経済力が今や大幅な縮小・衰退・地盤沈下を続けているのを逆転させ、②日本が平時の国家間の絆を最も左右する兵器購入や兵器の他国への輸出・供与を自ら制限して自ら半・国家であり続けている狂気を反転的に矯正すれば、フランスがNATO東京事務所“反対”をする理由が消滅するから、この“反対”を撤回するのは目に見えている。
同盟条約では条文上の軍事作戦域を逸脱してよい。この“国際法学のイロハ”を知っているマクロン
ここで、国際法学における同盟軍事条約に関するイロハ的知見をおさらいしておく。以下に述べる事柄など、グランゼコールENA卒のマクロン仏大統領が知らないはずはない。マクロンらフランスの声高な主張「NATOは《北大西洋》条約機構の略だ」は、半分は本気だが、半分は建前に過ぎない。フランスは何らかの他の要求をしているのである。が、それを隠す隠れ蓑として、子供のような言いがかり「北大西洋」を吹聴する。
同盟条約に関する限り、条文で明記されている共同作戦域は、無きに等しく解釈するのが、国際法学のイロハ。このことについて、日本国は、日英同盟条約を条文通りの解釈を盾に、自分の1914年の反英的行動を正当化した、ゴロツキに成り下がっ歴史を再度、猛省したらどうだ。
1914年夏、第一次世界大戦が始まった時、日本は、英国からヨーロッパへの陸軍力派遣を要請され、同時に同盟条約の解釈に関わる学問的イロハを英国から何度も丁重に教育された。が、ドイツの回し者でロシア工作員の“日本の癌”山縣有朋ら、反日極左に変貌していた帝国陸軍は、その「反英」主義を暴発させて、ヨーロッパ戦線への日本陸軍派兵を拒絶した。
日英同盟条約の条文では、確かに、日本の派兵義務をインドまでとしている。日本政府は、やむなく海軍部隊を地中海に派兵して(注1)、この陸軍部隊派兵拒絶を取り繕った。が、英国の不信を招き、第一次世界大戦後、日英同盟条約の破棄に繋がった。日英同盟条約の「インド」を正しく「インドはヨーロッパ」と読むべきに、日本は国際法学のイロハを排撃し、“ならず者”の道を選択した。
注1;第一次世界大戦で地中海に出撃して、ドイツのUボートと果敢に戦った日本海軍の駆逐艦艦隊については、紀脩一郎『日本海軍地中海遠征記』(原書房)とCWニコル『特務艦隊』(文藝春秋)を薦める。
なお、同盟条約解釈の他の具体例。現在の日米安保条約では、“国際法に無知な、お馬鹿”岸信介が、第六条に「日本の領域内の米国基地を、極東の平和と安全のために使用する」を明記した。米国に対し、基地使用を制限する意図で岸が挿入した条文である。
が、外務省には同盟条約を正しく解釈できる外交官がいてホッとする。日本政府は、「中東は極東である」と解釈し続けているからだ。よって米軍は、この第六条の狭義の条文解釈から解放され、ポスト冷戦期の湾岸戦争/イラク戦争/アフガン戦争に、日本の基地から出撃している。
要は、マクロン仏大統領は、NATO条約の「北大西洋」を、正しく「極東は北大西洋である」と読まねばならない。いや、ENA卒のマクロン氏には、こんなこと釈迦に説法。マクロン氏は、「極東は北大西洋」など知っていて、ストルテンベルグ事務総長とバイデン米大統領に難癖をつけている。
対米不信のド・ゴール大統領/ガロワ将軍でない、対米“信頼”のボーフル将軍型への“転換”は可能
フランスが“歪な対米感情”を有していることについて、少しフランスを擁護しておこう。フランス対米不信の発祥因の歴史を知らずば、いずれ必ず起きる中露の台湾・日本侵略時に、この台湾・日本防衛にフランスを参画させる説得などできない。
なお、日本人は無知蒙昧で超お馬鹿。「インドが“反・中共”だから、中共の台湾・日本侵略時に、インドはこの台湾・日本防衛に参加してくれるはず」との妄想は、この一つ。が、中央アジアのモンゴル人が築いたムガール帝国の末裔インドを信用するなど、烏滸の沙汰。インドは、親日だが、それ以上に親ロ。中共の台湾侵攻時、ロシアは必ず中共を誘って北海道侵略を実行する。この時、インドはロシアとくっつくから、インドが台湾防衛にも日本防衛にも馳せ参じることは万が一にもない。インドのロシア100%大好きは、日本50%大好きに優る。
日本人よ、目を覚ませ! フランス人の方が、インド人よりはるかに信用できる。日本は、何としても、フランスを対日救援“防衛戦争”に参画させねばならない。そのためには、もっとフランスを知り尽くせ! フランス人には、ポール・クローデルなど本物の超・親日がいる。これは、現在も、twitterを読めばわかるフランス人Bebechanに連なっている。
フランスが対米不信を懐いた二つの事件は、いずれも、“対ソ屈服主義の容共”アイゼンハワー大統領の時代に起きた。アイゼンハワーがGRU工作員(1953年以降はKGB工作員)だったか否かについて、私は証拠を見つけられなかった。が、アイゼンハワーがソ連に対して徹底した宥和主義者(appeasement policy屋)だったのは、厳然たる事実。アイゼンハワーとは、ヒトラーに対し徹底的な宥和主義者だった英国チェンバレン首相の再来。“過激な対ソ宥和”アイゼンハワーがなしたのは、あろうことか、「対ソ一辺倒“譲歩”」の連鎖的な連続。
①(トルーマンの停戦方針を継承したとはいえ)対共産軍“メチャクチャ譲歩”で妥結を急いだアイゼンハワーの朝鮮戦争の停戦←韓国は余りの不公正に怒り、1953年7月の停戦協定に署名しなかった。
②1953年11月~1954年5月の(フランス最後の橋頭保)北ベトナム・ディエンビエンフーの仏越間戦争で、アイゼンハワーはありもしないソ連や中共との戦争を仮構し、これを避けるためと妄想し、フランス切り捨てを選択した。
③1956年10月、ソ連軍占領の圧政に抗して立ち上がったハンガリー民衆の動乱を、戦車で踏み潰す再侵入ソ連軍に対し、(今般のバイデン政権のように武器供与をすべきだった/介入の支援をすべきだったとは言わないが)アイゼンハワーはNATO域内での威圧の軍事行動などの対ソ牽制策すら講じず、ハンガリーをあっさり見捨てた。
④1956年10~11月、“ソ連の傀儡”エジプトのナセル大統領(共産主義者)は、英仏が開発して所有するスウェーズ運河を強盗よろしく強奪した。「国有化」は、エジプトの国際法違反や条約・協定違反を隠蔽するKGB語。ためにこれに対抗し英仏イスラエル三ケ国は、自分の所有物スウェーズ運河を奪還すべく侵略を排除して防衛戦争を起こした。が、ソ連のフルシチョフは直ちに「ロンドンとパリに核爆弾を投下する」との核恫喝を行った。これに対し、英仏の同盟国である米国のアイゼンハワー大統領は、「俺、知らない」と、英仏を切り捨てた。
⑤1959年1月、キューバにソ連の傀儡政権(カストロ)が誕生した。この時、アイゼンハワーが(レーガンが1983年、海兵隊を投入してグレナダ共産政権を打倒したように)果敢な軍事介入をしていればカストロなど瞬時に倒せた。二年後の1961年、ケネディ大統領が、軍事介入でカストロ政権を倒そうとしたが、既に遅し。カストロは上陸米軍を排除する軍事力を配備していた。
翌1962年、増長したソ連は、中距離核弾道ミサイルSS4およびSS5をキューバに設置せんとした。実際には危機ではなかったので、巷間の俗称“キューバ危機”は誇大妄想語。米国がソ連にかくも舐められ続けたのは、“スーパー臆病男”アイゼンハワー八年間の対ソ宥和が主因である。
さて、フランスの対米不信感情を醸成した二つの事件に話を戻す。この事件とは、上記1953年の②と上記1956年の④を指す。
「ロシアは米国と核戦争は絶対にしない」を確信する、レーガン/R・パイプス/中川八洋の炯眼
国際政治学で欠いてはならない最重要な知見の一つは、絶えず国際秩序を破壊して国境を変更(=侵略)しようとするロシアに関して、このロシアが核戦争をする気があるか否かを、正しく見透かすこと。「ロシアは決して対米核戦争をしない」「ロシアの核戦争恐怖症は、かなり重症」だと喝破した学者は、米国ではリチャード・パイプス教授(ハーバード大学)がその代表。
英国にもどうも数名いるようだが、私はその名前を知らない。ウクライナに武器供与を先陣を切って実行した2022年の英国のジョンソン首相は、プーチンが戦術核のウクライナ投下は決してしないことを確信していた、英国版パイプスの流れ。同様に、1976~80年に説いた、パイプス教授の「ロシアと核戦争」論を、心底から信じた政治天才が米国レーガン大統領。
歴史を振り返ると、異様な軍拡に狂奔するソ連の動きを危険視し、1976年頃、パイプス教授ら米国のソ連通と核兵器通は、「チームB」を結成した。そして、「ロシアに対して核戦争態勢を完備した上で、《核戦争をしよう》と、ロシアに最後通牒すれば、ロシアは白旗を必ず挙げる」と、米国民に向かって学術的な啓蒙活動を開始した。この時、これに賛同した政治家がレーガン。
そこで、「チームB」は、レーガンを担ぎ1980年の大統領選を戦い、当選に成功。そして、レーガン大統領は就任と同時に、「チームB」のプラン通りの対ソ核戦争態勢の完備に全力投球した。核トマホークを海軍艦艇に搭載してロシアを海からぐるりと核で包囲し、またレニングラードとモスクワを発射から十分間で灰にできるパーシングⅡを南ドイツに配備した。
米ソ核戦争をすれば、ロシアは全面的に敗北する上に、百年間は廃墟同然の国土となり、ロシアは国家消滅を迎える可能性すらあると喝破したのが、KGB議長でソ連共産党のアンドロポフ書記長。1983年末、アンドロポフは遺言的に「フランス革命二百周年の1989年、アフガンから撤兵し、東欧を西欧に返還し、米国との核戦争を是が非でも回避する道を選択せよ」とKGB第二総局に命じた。KGB第二総局(現FSB)は、これを誠実に実行した。このチームに最年少のプーチンがいた。
2022年以降のプーチンが、戦術核をウクライナには決して投下しないのは、核戦争恐怖症のロシア民族文化において、議論の余地はない。また、師匠アンドロポフに忠実な弟子プーチンである以上、プーチンは師匠の遺言「米国と核戦争をしてはならない」を必ず遵守する。
この意味で「プーチンはおそらく、戦術核をウに投下しない」と考えているバイデン米国大統領は、反核屋のウスノロ岸田に「退陣せよ」の声すら挙げない一億“アホウ鳥”日本人より百万倍は健全だが、「(米国が絡んだ場合は)ロシアは核を絶対に投下しない」と喝破したレーガン/パイプス/中川八洋には劣る。また、ロシアの核兵器投下なんか“いちいち思い煩わうな”を旗幟鮮明にして、バイデンをウクライナ絶対防衛路線にひきづり込んだ英国ジョンソン(元)首相にも劣る。
さて、上記④に話を戻す。1956年、フルシチョフが英仏に行った核恫喝「ロンドンとパリに原爆を投下する」に対し、米国のアイゼンハワー大統領は、ロンドンとパリは北大西洋でNATO条約の対象域だから、NATOの軍事行動を発動しなければならなかった。具体的には米国は最初の段階では、声明「そんなことをすれば、モスクワとレニングラードに核を投下する」「英仏はロシアの核恫喝に怯まず、スウェーズ運河“奪還”の軍事行動を続行せよ」を発するのが、NATO条約が定める米国の義務だったはず。が、アイゼンハワーは、英仏を切り捨て、英仏に米国が核の傘をさしかけているNATO同盟条約の約束を果たさなかった。
フランスの核武装を加速させたのは、アイゼンハワーが核の傘の約束を履行せず、フランスをロシアの毒牙の坩堝に落とし込んだ、スウェーズ動乱時の米国の裏切りショックなどが大きい。むろん、フランスの核武装への路線は、アイゼンハワーのトンデモ対仏外交②④より以前。アイユレ陸軍大佐などの主導などによって、1950年には始まっていた。が、この②と④の屈辱が、少なくともフランスの核武装を三年間は早めた。1960年にフランスは核武装に成功したが、この②と④の米国のフランス切り捨てが無ければ、最も早くても1963年頃が、フランス核武装の年だっただろう。
対米信頼の英国“核武装論”と相違する、フランスにおける対米不信の核武装論の抬頭
フランスの核武装が三年間早まった点では、アイゼンハワーは怪我の功名を果たしたことになる。が、フランスの核武装論/NATO論に“対米不信”が理論化されて混入したのは、容共で過剰な対ロ宥和主義の“外交極左”アイゼンハワーの負の遺産だった。
ド・ゴールやガロワ将軍の著作物を読むと、この感がひしひしと伝わってくる。この意味で、両者と異なって、対米不信ではなく、英国的な「米国の核戦力を活用する枠組みの中で、フランス核戦力を高める」方策を模索したボーフル陸軍大将の『抑止と戦略』(原著Dissuasion et Strategie、1964年。英訳あり)には、頭が下がる。この名著は、日本が核武装する場合の理論書でもある。私の『日本核武装の選択』(徳間書店)は、ボーフル将軍のこの著作に負うている。
なお、これほど日本の国家安全保障に利する本が翻訳されていないのは、日本では共産党の“日本滅亡のカルト宗教”「反核運動」が、出版社だけでなく、日本人から正常を剥奪しているからである。ロシア/中共/北鮮の核弾頭ミサイルの標的になっている日本において、核武装の声がないのは、日本人が狂人に改造されているため。岸田文雄は、まさにこの種の狂人の典型。
ところで私は、チャーチル外交を私淑する英国系国際政治学者だから、1980年代しばしば、「ゴーリズムは嫌いですか」との質問を受けた。確かに、対米不信論には与しないが、私はド・ゴールを尊敬している。ド・ゴールの『ドゴール大戦回顧録』(みすず書房、邦訳1966年)は、チャーチルの『第二次世界大戦』に次いで、私の戦史研究では座右の書である。
また、ド・ゴールの『剣の刃』(葦書房)は軍人論の白眉。この分野で、私の師匠・杉田一次はゼークト将軍『一軍人の思想』を軍人論の筆頭に挙げるが、『剣の刃』の方がゼークトより一段優れている。ド・ゴールの『職業軍の建設を!』(不知火書房)も、一読を薦めたい。
朝鮮戦争の理不尽な停戦→北越からフランス追放→スウェーズ運河のソ連支配→キューバ共産化
さて、話を上記②の、フランスが北ベトナムから追放され北ベトナムを奪われていく、その最後の拠点ディエンビエンフー防衛戦における、アイゼンハワーの切り捨てに話を進めよう。
まず、ディエンビエンフーに対する北ベトナム・ホーチミン軍の大攻勢は、朝鮮戦争で米国が過剰に北朝鮮に有利な不公平な停戦協定を締結したが故に起きたことを喚起されたい。国連憲章違反の38度線停戦は、1953年7月。ディエンビエンフーへの共産軍大攻勢は、1953年11月に開始。
毛沢東の中共とソ連は、アジア共産化として、「1949年10月の支那大陸“赤化”完了→1950年6月の北朝鮮への韓国“併呑”開始→1953年11月の北ベトナムの完全“赤化”開始」と、その侵略を次から次へと拡大し続けた。このディエンビエンフー陥落の後、北ベトナムは、南ベトナムに侵略を開始し、泥沼のベトナム戦争が始まった。
このディエンビエンフー防衛で、フランスは核爆弾をハノイに投下して欲しいとアイゼンハワーに懇請した。確かに、ディエンビエンフー防衛に敗北すれば、フランスはインドシナ半島から完全に追出されるのだから、この要請には賛成しないが理解できる。私は、核爆弾投下ではなく、通常兵器で米国がディエンビエンフー防衛をテコ入れしていれば、その後のベトナム戦争(南ベトナム防衛)はあれほどの熾烈さの戦争にはならなかっただろうと推定している。特に、ベトナム戦争が、米国民の精神を蝕んだ、あれほどの惨敗にはならなかったはず。
戦争は、その時々で全力を投入して、決して後送りをしてはならない。この意味で、トルーマンが朝鮮戦争での必勝を断念したのは間違いの元だった。やはり、満洲に集結している中共軍百万人の大部隊と、朝鮮戦争全体を指揮しているハバロフスクのソ連軍総司令部に核爆弾を投下して決着をつけるべきとしたマッカーサー元帥の判断の方が正しい。
が、マッカ-サーが26発の核爆弾を渡してほしいとトルーマンに要請した時、これをチャンスとトルーマンは彼を解任した。これで万事休すである。トルーマンのこの重大な誤判断が、ベトナム戦争へのエスカレートの主因となった。トルーマンとアイゼンハワーの対・北朝鮮“過剰宥和”が、アジアを共産勢力の大侵略の巷にし、さらにはキューバそして中東へと戦火を世界に広げるソ連の世界共産化を幇助したのである。
米国の核は、共産国に投下してこそ、その大義がある。大東亜戦争中の日本とはスターリン直属の共産国だから、米国が核投下の標的にしてよい条件をクリアしていた。ともあれ、ディエンビエンフー防衛での、アイゼンハワーのフランス切り捨てが、フランスの対米不信の元凶になったのは自由社会にとって不幸だった。アイゼンハワーは、北ベトナムに対して核恫喝をなし、また空挺師団を投入して、殲滅されるフランス軍を救出するぐらいは、同盟国として最低限の義務だったろう。
「フランス製武器の大量購入」→「ウクライナに供与」→「フランスの日本防衛“参画”」
話を、マクロン仏大統領が、ゴーリズムを振り回した7月11~12日のNATO首脳会議に戻す。日本は、友好国との強い絆を結ぶことができない。それは憲法第九条第二項から、集団的自衛権が禁止されていると解釈され、米国以外の国との同盟関係を締結できないからだ。
では、集団的安全保障を禁じていると内閣法制局が解釈しているのに、なぜ日米安保条約が締結されているのか。これは日本が米国の占領下を脱して、主権を回復するに当って、サンフランシスコ講和条約とセットだったからで、憲法第九条第二項を無視した超法規措置の締結。
ともあれ、今般のNATO東京事務所“開設”へのマクロン仏大統領のイチャモンは、日本にとって不快にとるのではなく、日本の問題を洗い出してくれた好機の提供と捉えるべきだ。これを緊急に是正すべき、(1)“武器の輸出・供与”問題と、(2)NATOの準メンバーとなる数年後に発生する問題とに分けて論じておこう。
いずれでも、戦争犯罪人プーチンと27回も抱き合った極悪コミュニスト安倍晋三が遺した負の遺産を一擲することが前提的に不可欠。ロシアとベタベタの安倍外交など、露烏戦争後の世界では時代錯誤というより、国際法違反の極み。具体的には、安倍“対ロ売国”外交からの脱却、および安倍“反軍平和主義”の全面放棄を果敢に行わない限り、これからの日本の外交と国防は逼塞し、日本を亡国に至らしめる。それは、日本国民をして1945年の満洲と同じ殺戮の巷に落とし込む。
(1)“武器の輸出・供与”問題
私はかつて、ロシアのクリミア半島侵略で(2014年2月)、二隻のミストラル級強襲揚陸艦をロシアに売却できなくなったフランスを助けるべく、この二隻を日本が買って、ポーランドかフィンランドに無償で供与すればいいと提言したことがある。結果的にはエジプトは両艦を9億5千万ユーロで購入して、フランスは大損を回避できた。
が、このような武器の購入と供与こそ、正しい日本外交の神髄。これによって日本とフランスの絆、あるいは日本とポーランドやフィンランドとの絆が強固となるから、これ以上の外交は存在しない。
A;このような本当の外交を日本にさせない日本外交縛り上げが、自衛隊法116条三項と、安倍晋三が策定した2014年の「防衛装備移転三原則」。安倍晋三は生粋の共産主義者で反戦平和の反・武器“教徒”だから、武器輸出と武器供与は、共産党委員長の志位和夫とは寸分も相違せず、絶対に認めなかった。
要は、日本は今すぐ、自衛隊法116条三項の武器移転禁止の十文字を削る法改正をなし、「防衛装備移転三原則」についてはいったん完全廃棄しなくてはならない。後者については、武器の輸出・供与を外務省と防衛省の共管とし、経産省は軍事ハイテクが敵性国家に流出しないよう監視・制限することに集中するよう、二つに分離する。
B;今般のマクロン仏大統領のイチャモンなど、次の外交措置をすれば、一瞬でマクロンは、「NATO東京事務所開設? 大いにやりたまえ」になる。この外交措置とは何か。ウクライナからフランス製の武器で欲しいものリストをもらい、その全てをフランスに発注して購入し、それを全てウクライナに譲渡すること。こうすれば、日本とフランス&ウクライナとの絆は永遠に壊れない、ダイヤモンドほどの堅さを持つだろう。
この道義的に正しい外交をさせないために、防衛省の共産党官僚がロシアKGBと密かに策定したのが自衛隊法116条三項。共産党官僚だけが所轄する「防衛装備移転三原則」もまた、経産省の共産党官僚が策定したもの。これを破棄しなければ、日本国は外交の自由も国防力も喪失して、国家の滅びに至る。
(2)日本がNATOの準メンバーになることは、日本の軍制をNATOと同一にすることが絶対に必要である。それは、憲法第九条二項を削除して、そこに七文字「国防軍を設置する」を明記する。自衛官を軍人に昇格させる軍法会議の設置を定める軍刑法を制定する。
“史上空前の売国奴”安倍晋三は凶悪な共産党員そのもので、警察軍である自衛隊を通常の軍隊“国防軍”にするのを阻止すべく、九条第三項に、自衛隊をそのまま加憲する、国民騙しの憲法改悪案を提示した。こんなトンデモ安倍の憲法改悪を叩き潰さずして、正しい憲法改正はできない。北鮮人・櫻井よし子とは悪鬼すらたじろぐ“隠れ共産党員”。しかも、凶悪なKGBロスケの極左反日。櫻井よし子が、悪のコミュニスト安倍晋三と同じく九条二項を遺すことに躍起なのは、日本国を地球から消すためである。
大量殺戮されているウ国民に「殺傷兵器は供与できない」と発した岸田文雄は人間でない。悪魔だ
7月12日のNATO首脳会議で、“赤い白痴”岸田文雄は、赤い悪魔の正体を丸出しにして、「無人機検知システム3千万ドル相当を供与する」と公式発言をした時、わざわざ不必要な文言「殺傷性のない装備品」を付け加えた。ウクライナ国民は今、いわれなき侵略を受けて何万人もの兵隊と民間人がロシアに殺傷されているのである。彼らの命を守るには、侵略ロシア兵とその部隊を殺傷して殲滅する以外の方法はないのである。
つまり、ウクライナ国民に対しての、「殺傷性のない装備品しか供与しない」との岸田文雄の発言は、「もっと殺されろ!」と同義。岸田の発言は恐ろしい。こうも譬えられる。三日三晩、食事をしていない人に、「私は食料を供与しない主義なので、洋服とか布団とかを供与したい」と発言するのが、共産党系反核運動家のコミュニスト岸田文雄。岸田文雄には赤い血が流れておらず、緑色の血らしい。
しかも、これよりもっと恐ろしい光景は、この“非人間”岸田発言に対し、一億日本人の誰も、「お前はそれでも人間か!」と、公憤の声を挙げていないこと。国家を護ることを否定されるのは、道徳を全剥奪させるに等しいが、そのような反・国家/反・道徳を規範的に条文化したのが憲法第九条二項。七十年以上の九条二項によって、日本人は完全に人間性を喪失し動物へと変化してしまった。日本人が仮にも人間性を回復することは、憲法第九条第二項を削除されるまであり得ない。
附記;トルーマンは、中共とソ連には大きくブレたが、日本に対する「親日」路線だけは八年間一貫
私は『トルーマン回顧録』(恒文社)を、書庫ではなく、神棚に置いている。トルーマンほど、その八年間の在任中、徹頭徹尾、“親日”を貫いた米国大統領は、他にいないからである。
①“日本の天皇制度は維持する”を確約したポツダム宣言はもとより、②東京裁判には“米国随一の王制主義者”キーナン首席検事を派遣し、昭和天皇を起訴すらせずその聖性を守り通した。さらに日本の主権回復に当り、③締結される講和条約の担当に、反共反ソ親日のフォスター・ダレスを選任した。日本の対する旧交戦国を一つ一つ説得してその賠償請求を全て取り下げさせたのはダレスである。また、④スターリンが(留萌と根室を結ぶ線より北の)北海道北半の占領を要請した時(1945年8月16日)。トルーマンは瞬時に「認めない」と拒絶し、北海道を守ってくれた。⑤・・・。
が、日本以外の国を見ると、1947年以降のトルーマンの外交はハチャメチャ。例えば、 トルーマンは、“毛沢東の部下”ジョージ・マーシャルを、1947年1月、国務長官に任命した。これがため、支那全土はあっという間に毛沢東の中国共産党が掌握し(1949年10月)、蒋介石の中華民国は台湾に追いやられた。
あるいは、1949年1月、この国務長官のポストに、スターリン崇拝のGRU工作員ディーン・アチソンを据えた。アチソンは韓国を共産圏に差し上げるとメッセージを送り、スターリンは、これに従い1950年6月、金日成に韓国侵略を命じた。
韓国や蒋介石の中華民国が、トルーマン政権に翻弄され戦火の中で呻吟している情況と比較すれば、日本だけ例外的にトルーマンの米国に守られた幸運について、日本国民はトルーマン大統領への感謝を忘れてはいけない。
(2023年7月17日記)