紙上テロルされた神武天皇を復権せず、“大和朝廷の日本国”を抹殺する“マジック虚構”「邪馬台国」論も粉砕しない“アパシー国”日本は、ローマ帝国“滅亡”再現にすぎ、必ず滅亡する──中川『神武天皇実在論』を座右の書とすべき理由(ⅩⅤ)

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筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 ローマ帝国の滅亡の主因は、ゲルマンなど北方蛮族が軍事侵略したからではない。①過剰な超福祉による精神の堕落と腐敗、②祖先ローマ人の血をいささかも尊重しない多民族共生(多民族社会)主義、③祖先との切断と国家否定を教義とする伝統・慣習破壊の新宗教(当時のキリスト教)の蔓延による祖先消滅および国家意識の雲散霧消、の三つが西ローマ帝国“滅亡”の主因。外敵の侵略と掠奪は、①②③に比すれば、西ローマ帝国を“滅亡”に誘う間接的要因にはなったが、それ以上ではない。

第一節“祖先の宗教”を永遠に護持せんとする民族の義務感を喪失した日本人 

 ローマ帝国滅亡の諸要因は、現在の日本国には、酷似以上に、ぴったし当て嵌まる。つまり、紀元476年の西ローマ帝国の滅亡を再現するかのように、日本国は滅亡するが、それはもう間近に迫っている。なお、前者の「滅亡の諸要因」は、個別独立ではなく、相互に複合している。

 が、そのうちの一つ、「祖先の宗教を継承すべき子孫たるローマ市民が、この祖先の宗教を徹底的に破壊し尽くし、自らを《祖先と切断する》という愚行に狂乱した」愚行こそは、西ローマ帝国の滅亡の最悪・最凶の要因と言えるだろう。

「初期キリスト教」はローマ帝国の滅亡の一要因。なら、同種のマルクス主義が支配の日本も滅亡!

 そして、この「祖先の宗教」を徹底的に破壊尽くす、国家の存続する生命源を枯渇させた、ローマ帝国の“暴走の狂気”は二つあった。第一。現在の日本共産党のマルクス・レーニン主義に酷似する、当時の初期キリスト教。第二。血統正しきローマ人の激減に伴う、異民族との混血による雑種化ならびに大量の異民族への無規範な市民権(国籍)の附与。

 初期キリスト教について日本人は、殆ど無知。そもそも関心が無い。また、日本人は極度に無教養だから、マルクスの『共産党宣言』が、この初期キリスト教を大幅に取り入れた事実すら知らない。

 「共産社会」とは、カルト宗教の共産主義者が妄想・狂信する“国家否定”“親子切断(家族解体)”“道徳破壊(無・道徳、悖徳)”“法慣習の否定”を基軸とする、ユートピアが反転したディストピア。共産社会のこれら基本柱のうち、“国家否定”“民族否定”“慣習否定”“親子切断(家族解体)”は、ローマ帝国を蝕んだ“過激カルト宗教”「初期キリスト教」の理念(=現在の正常な感覚では狂気)だった。

 キリスト教徒・テオドシウス帝(379~95年)の皇帝権力を通じて、ローマ帝国内における新宗教“信仰”強制力を手にした「初期キリスト教」は、数百年間も信仰されてきたローマ市民の伝統宗教を含み、既存の他の宗教すべてに対して「偶像崇拝!」と罵り、物理的・精神的にそれらを破壊し尽くすことに爆走した。これについては、ギボン『図説 ローマ帝国衰亡史』(東京書籍)の第24章「異教の最終的撲滅(357~92年)」を一読すれば、読者諸兄の頭はきっと整理されるだろう。

 そこにある一文を紹介しておく。「ガリアではトゥール司教が、修道僧の先頭に立って、広大な教区内の(他宗派の)偶像(=日本の仏像や石像に相当)や神殿(=日本の広壮な神社・仏閣に相当)、神聖な木々(=日本の「神木」に相当)の破壊に邁進した‥‥。ローマ帝国内の諸神殿は打ち捨てられるか、破壊された」(386頁)

 このように、「初期キリスト教」は、ローマ帝国を存続させる国民の精神を培う生命源たる伝統的な諸既存宗教を食い殺していった。当然、ローマ帝国の(多民族からなる)国民は、それぞれの伝統的な宗教を喪失して皆が新宗教のキリスト教徒になった。

 が、「初期キリスト教」にはローマ帝国を護らんとする愛国イデオロギーが内包されておらず、むしろ国家否定(国境防衛“反対”)が濃厚な“非・国民型”宗教であったが故に、これら新しいキリスト教徒たちはキリスト教団内での信者同志との繋がりを絶対重視するばかりで、国家「ローマ帝国」に対してはアパシーが濃厚だった。つまり、新奇な宗教信者のローマ国民には、国を守る精神&知が湧いてくることはなかった。

 国家機能の不全を起こした年で表徴される、西ローマ帝国「滅亡」476年は、テオドシウス帝と「初期キリスト教」が大暴走した、既存の民族的宗教の破壊運動から八十年も経っていない。

ローマの存続の基盤を自壊させた、ローマ帝国を支える中枢「ローマ固有の市民」の血統の先細り

 ローマ帝国の由緒ある市民(固有のローマ人の血統)すら、祖先の宗教が破壊されて(祖先との宗教での繋がりが無くなり)、祖先との精神における絆が切断され、ローマ帝国を護持せんとする精神が委縮もしくは消滅したのは、テオドシウス帝によるキリスト教への強制改宗だけが理由ではなかった。

 ローマの絶大な経済繁栄を支えるローマ帝国の経済学は、どうも半分ほどはしっかりしており、人口の維持を絶対視した。戦争で人員を大幅に損耗すれば、必ず外地から同数の奴隷を移入させるなどして、人口減を決して起こさなかった。

 一方、かつては“カルタゴの天才”ハンニバルと戦った(紀元前218~201年)、ローマ帝国を建国・発展させてきた、ローマ固有の市民の血統を持つ中枢ローマ人(支配階級)の間に、父祖への尊崇が消滅していた。この故に、「自分たちの子孫は、ローマ帝国を維持発展させる指導的中枢であらねばならない」との思想や精神が、煙すらでないほどに、消え失せていた。

 “子孫を生み育て、父祖の偉業を子孫に伝え、ローマ帝国を指導的に維持させる責任と能力を身につけさせておかねば”の“国家永続の精神”は、父祖への尊崇心なくしては生まれない。父祖が奉戴した宗教や習俗を敬虔に相続していない限り、息づくことはない。

 つまり、「ローマ帝国の繁栄する経済を維持する責任だけ果たせばいい」が、彼ら流の“国家維持”規範の全てとなった。ために、「贅を尽くした富裕な生活ができる経済体制と国防体制の維持だけには責任を持つが、子孫を生み育てる苦労などしたくない」「経済繁栄を維持するには、外地から奴隷や外国労働者を、適宜に適切数を移入させればいい」との、腐敗していく民族が陥る“経済万能の経済学(=「滅びの経済学」)が汚染的に蔓延した。

 ために、かつてローマ固有の市民だった血統を持つローマ人(支配階級)は、避妊を公然と行い、その子孫は激減するばかりだった。ローマ帝国では「人口維持は絶対政策」だから、当然に下層民に多産と子育てを負わせるのが常態となり、また雑婚&外国人流入を促進した。かつてのローマ固有の市民の血統を持つ由緒正しきローマ人がローマの支配層から消えるという、あってはならない“亡国の人口構成”にローマ帝国が変貌したのは、この人口政策なら当然に起きる事ではないか。

 この最悪情況の現出は、ローマ帝国にはコアになる支配層の民族宗教が不在となることでもあるから、カルト的に新奇な、普遍性を有する「初期キリスト教」が勃興すると(注意)、この最悪情況を排斥できない。「天国」「救済」を宗教ドグマとする“国家否定/祖先との切断”という、過激な初期キリスト教は燎原の火となってローマ帝国を席捲した。

(注意)私は、ここで、中世以降、特に1648年のウェストファリア条約以降のキリスト教を指してはいない。

 民族の精神の働きが加味されていない/伝統や慣習が“法”となっていない、やたら合理的な経済学など、まともな経済学ではない。また、やたら理論的な国防力“保持”政策では、国防精神と国防“政治・法制度”が決定的に重要であるのにこれを自覚させないし、“国防力”の目に見えない空洞化の進捗を気づかせることをしない。

 が、デモステネスを輩出した滅亡直前の古代ギリシャとも異なって、後期のローマ帝国は高度な知識人を排斥して育てることをしなかった。ローマ帝国には、「国家を護り永続させるのは、祖先と紐帯する子孫の高雅な精神の働きだ」と警告してくれる知識人が一人も存在しなかった。国家永続のこの原理原則を知らなければ、「飛び抜けた経済繁栄と超・福祉国家を護り維持することは、現実から浮遊した大妄想に過ぎない」と警告する最重要な学的理論は、発想すら生まれない。

 伝統と慣習を身に着けた中枢支配層の人口“大激減”や、奨励される雑婚/無原則な外国人の大量流入、さらには下層民に多産と子育てを負わせる、ローマ帝国のこれら終末期の情況については、チェンバーズ編『ローマ帝国の没落』(創文社歴史学叢書)が収録している、テニー・フランク「ローマ帝国における人種混淆」などが参考になろう。

「神社仏閣を守れない」「歴代天皇の御陵も護れない」と“絶望”に打ちひしがれない、未来無き日本人

 私が、「神武天皇~開化天皇の九代」及び「成務天皇~神功皇后の三代」を抹殺した津田左右吉の歴史の大偽造を知ったのは、中二の十三歳の時だった(1958年)。また津田の古代天皇ギロチン処刑を継承する共産党員・井上光貞の『神話から歴史へ』を読んだのは、二十歳の本郷三年生の時だった(1965年)。さらに、津田左右吉の狂気を面白おかしく宣伝した林房雄『神武天皇実在論』に怒髪天を衝いたのは、1971年の26歳の時だった。

 これらからの彼等への私の怒りは、年を経るごとに、遠からず到来する日本中の神社が焼かれる/天皇の御陵が暴かれブルドーザで平地にされる“近未来の惨たる現実”への憂慮へと変わった。津田左右吉の嘘八百の古代天皇“嘘歴史”は、あくまでも共産党による橿原神宮の焼却解体と共産党による天皇御陵“破壊”のための暴力革命正当化の詭弁である。むろん、津田の「学説」には学的なものは一欠けらもない。津田左右吉とは、テオドシウス帝の化身で悪魔なのだ。

 そして真の問題は、この「共産党による橿原神宮の焼却解体」「共産党による天皇御陵“破壊”」の際の一般日本人の行動の方である。現実に起きる光景は、この「共産党による橿原神宮の焼却解体」「共産党による天皇御陵“破壊”」の時、一般の日本人が、ただぼやーっと拱手傍観して、誰一人として、その阻止に決して立ち上がらないことだ。これは、神社本庁に所属する神官すべての行動となるだろう。日本の神官たちは一人の例外もなく、津田左右吉“潰し”にもアパシー、林房雄“潰し”にもアパシーだから、その延長上で「共産党による橿原神宮の焼却解体」「共産党による天皇御陵“破壊”」にアパシーとなる。言うまでもない。

 現に、戦後初めて、しかも日本国に一冊しかない、津田左右吉“潰し”/林房雄“潰し”を学的に行った中川八洋『神武天皇実在論』を、彼らは今なお、座右の書としない/拳々服膺もしない。現在と次代の一億日本人だけでなく、日本全国に所狭しと蠢いている神官たちが、2050年頃に必ず起きる現実「共産党による橿原神宮の焼却解体」「共産党による天皇御陵“破壊”」「全国の全ての神社仏閣の焼却」に、呆然ではなく、ぼんやり見学している光景は、容易に想像できる。これ以外の光景は現出しないことは確かだと、言い切れる。

 ローマ帝国の滅亡史と絡ませるなら、日本はテオドシウス帝の狂気を再現して、その直後、この地球上から消滅する。中川八洋『神武天皇実在論』を拳々服膺して、剣をもって全国の神社と御陵を護ることに、日本最後の富と知を投入する決意だけが、日本国を救う唯一の道。

第二節 大和朝廷“抹殺”の嘘歴史──ヤマタイコク/“嘘”銅鏡史/天皇“紙上死刑”

A;「ヤマト(のくに)」と訓むべき「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と嘘読みする“犯罪者集団”古代史学者

 「ヤマタイコク」など、日本国のどこにも存在しない。歴史学的に日本の古来には“大和朝廷の日本国”は存在するが、虚空に描いた「ヤマタイコク」は悪質な偽情報で真赤な妄想。

表1;「大和朝廷の日本国」を、支那人は「邪馬台国 やまとのくに」と表記

邪馬台国「九州」説

邪馬台国「畿内」説

邪馬台国=“大和朝廷の国”

非・国民たちの天皇制廃止の意図的なスーパー詭弁&大嘘。極左革命の明治維新が生んだ教義「大和朝廷を潰せ!」。

「九州」説と五十歩百歩の狡猾な大嘘。天皇制廃止のダーティな詭弁。共産党員の考古学者たちが主力。

史実に沿う唯一に正しい歴史。「台」の古音は「ト」。支那人は「邪馬台=ヤマト」としか発音しない。『隋書倭国伝』。

明治・大正時代に始まった、天皇制廃止革命の一環。「久米邦武/喜田貞吉→白鳥庫吉→津田左右吉」は、共産党を先駆ける“凶悪”共産主義者。

馬鹿げた大嘘「九州説」を排斥して信用させ、別の大嘘「大和朝廷は、邪馬台国の後に誕生」を捏造。大和朝廷の誕生を三百年遅らせる悪の作為。

九州には、邪馬台国の痕跡は煙ほども無い。仮に九州にその都があれば、魏の遣使はこの都を訪れる。三ヶ月間も伊都国の迎賓館に逗留しない。

津田左右吉らは、真赤な嘘歴史を捏造するのを当初から目的とした。その歴史は学説ではなく詐言の狂説。これが、カルト宗教となって古代史学界を席捲し占領し、今に至る。

神武天皇~開化天皇の九代、成務天皇~神功皇后の三代を抹殺する津田左右吉の真赤な嘘史学に合致させる。大和朝廷の誕生を三百年遅らせ、天皇の祖先テロルを完遂。

魏帝国が「百襲姫」を“日本国の女王”と見做したのは、「百襲姫」の名の由来やその「箸墓」の記述からも明らか。孝元天皇/開化天皇は、自らの存在を支那帝国から秘匿した。

 すなわち、「ヤマタイコク」は、九州であれ畿内であれ、幽霊の中の幽霊。日本のどこにも存在しない。“作為された嘘八百な訓み方”だから、正常な日本人なら万が一にも発想すらしない。このことは、『隋書倭国伝』に明確に指摘されている。

 つまり、「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と犯意をもって誤読する古代史学者は“悪質な歴史捏造家”=犯罪者であって、通常の歴史学者とはほど遠い。「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と犯意をもって誤読し嘘宣伝しまくる、これら古代史学者を大学から分限免職に処する必要がある。

 ところで、日本では良心と常識ある日本人が、邪馬台国「九州、畿内」論争の存在を、何冊かの本で知り、まだ日本には正しい歴史への再建の可能性は高いと安心している。これら普通の常識人は、邪馬台国「畿内」説が有力で、明らかな詭弁の嘘つき「九州」説を叩きのめす勢いに、安心している。が、邪馬台国「九州」説も邪馬台国「畿内」説も、五十歩百歩。両者とも、さほど変わらぬ歴史偽造だから、同じ穴の狢。

 「ヤマタイコク」など、九州でも畿内でも、日本列島のどこにも存在しない。「やまとのくに」しか日本には存在しない。『魏志倭人伝』を記録した魏の外交官たちは、「やまとのくに」を漢字で「邪馬台国」と表記した。彼らは聞いたこともない、実在しない超・妄想「ヤマタイコク」を記録などしていない。

 つまり学的論争は、《「ヤマタイコク」は存在するや否や》であり、これ以外の学術的な論争など存在しない。ということは、学術的な正解は唯一つ、「ヤマタイコクと訓む邪馬台国は存在しない。日本には紀元元年前後より、“大和朝廷の国”が誕生・発展し、これ以外の統一国家は存在しなかった」だけ。つまり、「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と真赤な嘘訓みする“自称”学者は、分限免職に附し、直ちに大学から追放すべきである。そう記述する学校教科書は焚書に処さねばならない。

B;銅鏡の全国伝搬史を明らかにすれば、「伊都国→大和朝廷」は証明。嘘歴史づくりは、この妨害

 研究不足から『神武天皇実在論』では論及しなかったテーマに、景行天皇の御代に初めて輸入し仲哀天皇・神功皇后の御代に大繁殖が進められた“馬の歴史”がある。日本に最初に馬が上陸した地点が、福岡県・津屋崎なのは判明しているから、考古学的に研究を深めれば、その完全解明は難しくないが、時間が無くて、この研究がやれなかった。

 もう一つ、研究不足から私が収録を断念した重要な古代史がある。それが、白銅鏡の歴史。この研究をすれば、伊都国が大和朝廷の故地なのは、いとも容易に証明される。この方法は、日本列島で発掘されたすべての鏡について、その製造年を確定して、時間経過に従って日本列島上にプロットしていく作業をすればいい。難しいことではない。三名ほどの「鏡」考古学者が協力してくれれば、半年ほどで完了する。

 が、問題は、日本には、鏡を発掘する考古学者はいるが、鏡を歴史学的に考察せんとする正常な学者が一人もいないこと。この特性は、1955年に誰でも首を傾げる「同笵鏡・伝世鏡」論を発表した小林行雄から、『鏡の古代史』(2019年)の辻田淳一郎や『鏡の古墳時代』(2022年)の下垣仁志に至る現在まで、一貫して変わることがない。小林行雄は、党籍のある共産党員だし、辻田淳一郎は化石のようなマルクス狂徒(56~62頁、『鏡の古代史』。以下同じ)

 辻田は、日本人ではなさそうだ。『鏡の古代史』の日本語は拙劣すぎるし、論理展開がハチャメチャ。また、92頁の「遡上の論理」や98頁の「水崎案内モデル」など、日本人なら、これほど国語的に間違った言葉は用いない。

 また、辻田が弥生期・日本人の宗教的祭祀を想像できないのも、日本人でない証左。例えば、紀元前一世紀頃の伊都国や奴国では、鏡は数メートルの櫓に括りつけて太陽に照らして、その国民に光り輝くのを見せるのをもって王族の国政の一つにしていたと考えられる。この場合、強風が吹けば、それらは5ミリしかない薄さと硬度から地面に落ちた時、確実に割れる。つまり、意図的に「破鏡したのではない/破砕副葬したのではない」(74~6頁)

 現在の価額で「一枚が一千万円」だとすれば、この割れた鏡の再利用や、割れたまま棺に副葬するのは理に適う。特に、鏡は悪霊退散の魔力があると信じられていたから、死者が生前に愛した鏡なら仮に割れていても副葬するのが常識。が、時代が経ち、弥生後期を過ぎると、鏡を櫓に懸けることをしなくなり、伊勢神宮と同じく、鏡を聖器とする祭祀は全て建造物内で行うようになり、鏡が割れることがなくなった。結果として、破鏡は消滅。このように偶然に破鏡が起きなくなった現象を、“意図的に破鏡しない”の謂いの「完形鏡」(76頁)と表現するのは歪曲で、学術的に間違い甚だしい謬説の極み。

 なお、辻田淳一郎が学者以前のアホ馬鹿レベルなのは、白銅鏡を「青銅鏡」と誤認する小学生以下であることに歴然(24頁)。銅は錆びると緑青となる。弥生期・大型墳墓時代の貴人たちが持っていた白銅鏡は磨かれており、緑青の錆びは無い。それはピカピカに磨かれた白銅板で、顔を写すとガラスの鏡にほぼ近い。

 話を戻す。西暦紀元前から白銅鏡を祭祀に用い、また高貴な人の墓に副葬するのは、伊都国と奴国に限られていた。楽浪郡と交易ができる国は、この二国の他に、山陰地方から新潟県までを勢力圏とした出雲国が加わる。が、出雲国は、銅剣・鉄剣の輸入と製造に集中して、鏡には何ら関心を示さなかった。

 一方、大和盆地から鏡が放射線状に日本列島に拡散していったのは、伊都国と奴国における「白銅鏡を祭祀に用い、また高貴な人の墓に副葬する」時代の後。しかも、大和盆地の政治権力機構の「白銅鏡を祭祀に用い、また高貴な人の墓に副葬する」様式は、伊都国/奴国のそれと寸分も相違せず完全に同一。つまり、大和朝廷の発祥の故地が伊都国か奴国なのは、確度100%で確定できる。後は、伊都国か奴国のいずれかに絞れば、東遷の出発点が確定できる。故に、中川八洋『神武天皇実在論』は、伊都国が大和朝廷の淵源の故地とする証明に完璧に成功したのである。

 さて、ここで、1955年に本格化する、日本の学界における鏡の考古学の問題にメスを入れよう。それから約七十年という歳月がありながら、鏡の考古学者は、中川八洋『神武天皇実在論』が出版された2023年3月になっても、鏡から判明するはずの正しい学的推論《大和朝廷の「大和の国」は、伊都国人が西暦元年前後に東遷して建国した国》を、何故か意図的にしない。この異様な事実は、“鏡の考古学者が、発掘された鏡に関してありのままに学的な考察するのを避け、意図的に歪曲に次ぐ歪曲をなすことを職務としている”、彼らが犯罪者集団であることを赤裸々に暴いている。

 実際、白銅鏡を発掘した考古学者は、共産党員ばかり。発掘された鏡を製造年の時間軸で繋げば、いとも簡単に「大和朝廷の《大和の国》は、伊都国人が西暦元年前後に東遷して建国した国」となり、これだと学界の絶対目標“天皇制廃止”の障害となる。そこで彼らは、発掘された鏡を製造年の時間軸で繋ぐ学的作業を決してしないのだ。

 要は、鏡の考古学者は、(半年あればできる)発掘された鏡を製造年の時間軸で繋ぐ作業を、これまで七十年間、口裏合わせてサボりにサボって拒絶してきた。代わりに彼らは、狂説・愚説・奇論をわざと織り交ぜ、せっかく発掘された白銅鏡とその製造年測定の成果が意図的に無に帰すよう、真黒な泥で化粧した“わけのわからぬ『鏡の研究書』”を出版するのを常としている。辻田や下垣の本は、この典型である。

C;神武天皇~開化天皇の九代と成務天皇~神功皇后の三代を歴史から完全抹殺する歴史偽造

 戦後の日本は一貫して、国全体が共産党とロシアに支配された“ロシアの属国”だった。ために、1968年頃までは僅かは存在した通常の健全な日本人も、日本国民としての意識を次第に腐蝕的に喪失し、現在では日本国民の意識を持つ日本人など、どこにもいない。日本には“非国民の生物学的「ヒト」”が一億匹うごめいている。

 私が政治をようやく理解できるようになったのは、13歳になった中学二年生の時。1958年だった。この時初めて、神武天皇や神功皇后を歴史から抹殺するギロチン処刑をした、津田左右吉なる赤いトンデモ学者に怒りをもつようになった。

 また、憲法第九条二項を削除し、「国防軍設置」を明記しない限り、①(私が進学する予定の)陸軍士官学校は復活しないし、②陸海空軍の三軍も復活しない。③警察軍である自衛隊では、国家公務員で軍人ではない、等が理解できたのも、この中二の時。つまり、防衛大学校が士官学校とは似て非なることを、この時、確固と理解した。小六の頃の理解は“なんとも朧=漠然”だった。

 さて、社会主義協会系の“スーパー極左”田中角栄(土井たか子のクローン)が総理になった1972年以降、「人民主権主義の天皇制廃止“狂”津田左右吉を叩き潰して、神武天皇・神功皇后を正しく史実通りに実在させねば・・・」との声は、日本からすっかり消滅していた。また、憲法第九条二項の削除/国防軍設置の明記の声の方も、そう叫ぶ自民党議員がめっきり減ってしまった。

 1972年からの日本は、米国GHQ占領期間とその遺産が息づいていた1968年までの日本とは、様変わりしてしまった。つまり、“日本国を心底から愛した”GHQが、日本を準・明治日本まで押し戻したのだが、1952年4月に去ったGHQの遺産と残香は十六年間しか続かなかったことになる。1972年以降の日本は、スターリンの奴隷国だった大東亜戦争期(=1937年7月7日~45年8月15日)の日本に、舞い戻ってしまった。日本とは、1972年を境に、(天皇を奉戴する立憲君主制度と日米同盟を除けば)社会主義・共産主義の極左国家に回帰した。

 この様変わりとは、1972年からの日本が、(意識するか無意識かはともかく)マルクス・レーニン主義を奉戴する、反・歴史/反・国防の極左国家(=祖国叛逆の“非日”国家)に変貌したことを指す。つまり、日本は、1972年を期して、“歴史の真実なんか糞喰らえ”と、正しい歴史を唾棄する狂気を常態とするようになった。

 また、日本国を護るに、(新生児数を年170~250万人とする)若年層人口の維持や諜報力/敵国からの謀略(偽情報)排除力に関わる法整備など、国防軍設置の憲法第九条改正を含む軍事力の精強化は絶対不可欠だが、これらに一片の考慮も払わない“新生児数の激減や超貧弱な国防力の改善なんかどうでもいい。日本の全ての財源はバラマキ福祉に使え”が、1972年以降の日本の常態になった。要するに、1972年以降の日本は、祖国日本“憎悪”狂と言うべき“反・国家”イデオロギーを国是として、今に至っている。

 裏返せば、反・歴史/反・国防を国是とした1972年以降の日本とは、日本国の完全なる死滅に向かって急降下墜落の道を選択し、今なお、この国家自殺の選択を是正しようとはしない。現在の日本人の“狂気”反・歴史の異常度は、津田左右吉に対する怒りが(1950年頃とは様変わりして)一般日本人には一欠けらもなくなった事実に明らかだろう。また、津田の直系・井上光貞『神話から歴史へ』や、津田の傍系・林房雄の(転倒語)『神武天皇実在論』に怒髪天を衝く日本人が一人も見当たらない現実にも明らかだろう。津田左右吉/井上光貞/林房雄らに、拳を振り上げて怒らない日本人とは非国民であって、日本国民ではない。

 日本国を存続させていく基盤は精神作用の分野と物理的作用の分野の二つがあるが、前者の一つは、民族が一丸となった、“真実の歴史”への拘泥である。後者は言うまでもなく、国防精神を除けば、法的整備を含み物理的な国防力がその中核を占める。すなわち、日本国民が“真実の歴史”の復権に命を捨てる“民族の原点”に立ち返るか否かは、日本が未来に存続できるか否かを決定する。

 この意味で、戦後史上初めて、津田左右吉/井上光貞/林房雄らの捏造歴史に斬り込んで古代史に真実の歴史を復権した中川八洋『神武天皇実在論』を剣に、津田左右吉/井上光貞/直木孝次郎/上田正昭らを切り刻んで日本国から跡形もなく消し去ることに全力疾走することこそ、日本国民なら必ず果たすべき最高に高貴なる義務である。

(2023年9月1日記)

 

 

 

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