筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
「幽霊の正体見たり 枯れ尾花」という諺がある。これをもじれば、「高市早苗の正体見たり 韓国系朝鮮人だった! ああびっくり」。
高市とは、頭が白と赤の二つある双頭人間。赤の頭になると高市は、福島瑞穂(or山本太郎)に入れ替る。この不思議・不可解な高市の二重人格に気づく感覚の鋭い日本人が、少し現れてきた。日本人には、そのような怪人二面相ならぬ“畸形の二重人間”などいない。しかし、在日コリアンに限っては存在すると、昔から指摘されていた。今般、高市早苗が韓国系朝鮮人である端的な証拠が、高市早苗自身から提供された。高市が「二重人間」である理由は、これで氷解。
この証拠とは、高市早苗の昭和100年記念式典「首相式辞」。本ブログの読者は、4月29日の武道館・高市演説を三読されたい。この高市式辞は、何度読んでも奇天烈を極める“非・日の狂文”。日本の小中学校を卒業した日本人なら決して発想しないシロモノで、アフリカや中東からの移民の子供でないと書けない異様な作文。高市早苗とは、骨の髄まで日本人ではない外国人なのだ。
高市の祖父と父親(「大休(デギョン)」)は、1950年夏、北鮮軍の侵略に釜山から愛媛県松山市に密入国?
高市早苗の父親に関する私の仮・推定は次の通り。父親は、1934年に南朝鮮で生まれ、16歳になった1950年、その親(高市早苗の祖父母)や弟と共に、戦火を逃れるべく、釜山港から愛媛県松山市に密入国した。25歳の頃、伴侶(高市早苗のコリアン母親)を得て、1959年頃に奈良市(奈良公園の近く)に移住。長女の高市早苗が1961年に生まれた(父親27歳)。
1969年頃、母親(巡査)が奈良県警畝傍署に配属?され、奈良市から橿原市に移住。高市早苗は小学三年生の頃に畝傍小学校に転校し、畝傍中学校/畝傍高等学校を卒業。父親は、奈良市に移住して以来、大阪市にあった設備メーカー「東久」営業所の社員。奈良市では祖父と一緒に住んでいたというから、少なくとも八歳頃までの高市早苗に最も大きな影響を与えたのは祖父だろう。
国防・国旗・反中“包囲”外交では高市は嘘を吐かない。が、それ以外では満開の“嘘つき朝鮮人”
高市は国防・国旗・反中外交の分野では決して嘘を吐かない。このことをもって、高市は何でも嘘を吐かないかの先入観が広がっている。が、経済・財政や皇室の分野および個人情報になると、途端に国民騙しの嘘が爆発的な勢いで高市の口から飛びしてくる。
最も指摘されているのが職歴の嘘。高市が女性下院議員事務所で、「立法調査官だった」には、失笑せざるを得ない。連邦議会の立法調査官は、ロースクールのJDやLL.Mの学位が必要で、弁護士資格も要求される。事務所での高市にはカツカツの生活ができる賃金が支払われる。ワシントンDCの高市とは、コピー取りなど雑用係の「インターン」だった。
また、高市はwikiに「両親は教育勅語を暗記していた」と書いている。アホラシ。これ、逆に「両親はコリアンでした」の情況証拠ではないか。なぜなら、戦前の日本では、教育勅語を丸暗記している小学生がごまんといた。教育勅語“丸暗記”を自慢する馬鹿は、今なら車の免許証を持っていることを自慢するのと同じで、日本人なら決してしない。
なお、教育勅語は、戦後直ぐ、文部大臣・前田多門(党籍ある共産党員)と安倍能成(学習院院長、共産党員)とケーディス大佐の三赤が共謀して廃止した。その上、教育勅語は民法の家制度と一体化したものなので、家制度が廃止されると(1947年12月)、意味をなさない部分が多くなり、道徳教育の根本教科書としての価値が大きく下がった。私が道徳教育本として、新渡戸稲造『武士道』やスマイルズ『自助』『品格』『節倹』などの方を勧める理由は、これ。
外国人ヒトラーの政権当初の“愛国心”に酷似する、国防・国旗で発露する外国人・高市の愛国心
高市とヒトラーは酷似している。ネットで騒ぐ無教養な極左の「高市はヒトラーと同じく戦争を準備している。戦争反対! ヒトラー反対! 高市反対!」とは全く相違する、別次元の「高市ヒトラー酷似」だからだ。混同しないように。防衛力強化や武器輸出の解禁という高市政治は、迫る中共の脅威に対処する抑止一本に絞ったもので、日本の平和に大いに寄与する優れた政策。ヒトラーとは真逆。
一方、ヒトラーは、ベルサイユ条約やロカルノ条約の桎梏からドイツを解放したが、オーストリア/チェコ/ポーランドと侵略を重ね、挙句に英米とソ連の東西二正面を敵にして、ドイツを滅亡へと導いた。私を含め世界のHitler研究者の一部は、「ヒトラーは初めからドイツの大敗北とドイツの廃墟を目指して、第二次世界大戦を遂行した」と考えている。十代後半の時のヒトラー油絵には、廃墟の家屋が多いのは、ヒトラーが廃墟を憧憬する精神異常者だからだ。
廃墟に究極の美を観想する精神異常者は、実は多く、日本でも建築家・磯崎新や文藝評論家・福田和也あるいはニーチェ狂徒・西尾幹二らがいる。磯崎新は、原爆投下後のヒロシマの風景に美を観想している。
高市早苗が、分裂症の精神異常者で天皇・皇族“皆殺し”を目論む西尾幹二と昵懇だったのは、高市早苗がヒトラーや西尾幹二と同種の精神分裂病を病む気狂いだからだろう。実際にも、「過激バラマキ福祉が日本経済を強くする」と狂信する高市の経済・財政政策は、精神病院に強制入院させる緊急性がある重度の気狂い。
インフレ対策で税金をつぎ込めば、インフレは大炎上して膨れ上がる。が、これを政策とするのが高市早苗。コリアン高市早苗とオウム真理教の麻原彰晃(北朝鮮人)との差異は、一㍉も存在しない。給付付き減税や食料消費税ゼロを補填する巨額国債の発行をすれば日本のインフレには歯止めがなくなるが、高市にとって、そのような財政破綻や経済秩序の崩壊こそ快楽。高市は、ヒトラーと同種の廃墟“狂”の気狂いと言える。道徳と慣習否定の高市早苗『30歳のバースディ』とヒトラー『我が闘争』は、道徳と慣習の全否定において、同種性が高い。
ヒトラーがドイツの廃墟とドイツ人が阿鼻叫喚にのた打ち回る地獄を、この世のドイツに創るために、1936年のラインラント進駐から1941年の対ソ戦に至る大戦争を開始した、とヒトラーの親友シュペーアが気付いたのは、1944年11月。シュペーア回想記『第三帝国の神殿にて』(中公文庫)下巻、324頁ほか。
ヒトラーと高市早苗が共通するものがもう一つ。前者はオーストリア人でドイツの外国人。後者は韓国系朝鮮人で日本国の外国人。両名にとり、ドイツも日本も外国で、祖国ではない。だから、これらの国が廃墟となり地球から消えても、一種の原点回帰に過ぎず、良心が痛むことはない。高市早苗の「ウルトラ国債垂れ流しで経済破壊一路の“狂気”経済・財政政策」も「皇室典範の改悪による、天皇・皇族の廃滅」も「日本人子孫に対する《飢えて死ね!》の憎悪感情」も、日本が大好きが反転した、究極には日本国など祖国ではないからと切り捨てられる在日コリアンの発想。
日本人に同化した韓国系コリアンは、出自アイデンティティ維持のため、朝鮮総連系と昵懇を選ぶ
韓国系コリアンについての常識。朝鮮総連と異なって、韓国系コリアンの団体「民団」は1980年代後半からガタガタに自壊。彼らのほとんどが日本人に同化して、韓国からの移住者だと敢えて出自を明らかにする必要がなくなったからである。が、それでも彼らは血統がコリアンであるアイデンティティを喪失したくないのか、今度は朝鮮総連系の北朝鮮人たちと付き合うようになった。
韓国系コリアン高市早苗に関して言えば、茂木敏充(北朝鮮人二世、中核派、親ロ、親パレスチナ、親イラン)、鈴木貴子(北朝鮮人二世、KGBロスケ)、藤井聡(北朝鮮人、中核派)、櫻井よし子(北朝鮮人、日共秘密党員、KGBロスケ)らとの緊密な関係は、高市が自分のルーツを捨てたくないからだ。
なのに高市は、北朝鮮人達とは異なり、日本の防衛や国旗となると、日本人以上に熱心に取り組む。この時の高市は、1950年6月~の朝鮮戦争で、北鮮軍に国土を蹂躙された、1950年代の韓国人に戻っている。おそらく祖父と父親から、①「韓国は、1945年8月に独立して以降、軍事力保有にほとんど関心がなかったことが、北に侵略された悲劇の原因」だと口酸っぱく聞かされたのだろう。
続いて高市の祖父たちは、②「中共が百万人という巨大な兵力を、鴨緑江を渡河させなかったなら、マッカーサーが朝鮮北部も制圧していたから、38度線まで後退することはなかった」と、中共軍事力の危険性についても語っただろう。これが高市の反・中共の原点だと、私は推定している。
経緯はともかく、高市早苗は、国防や国旗など即物的で可視的なものに関する限り、正常な日本国民と同等。しかし、精神が作用する道徳・慣習が絡むと、高市は途端に反日的で、日本への敵意を隠さない。特に、天皇・皇族と日本史に対する高市早苗の憎悪は半端ではない
サド侯爵を思い出させる高市著『30歳のバースディ』で明らかだが、高市早苗は唯物論系の反・道徳主義者。要は、高市は、ルソー/マルクス/ヒトラー/ケインズ/レーニン/スターリンと同類なのだ。ニーチェもまた『善悪の彼岸』『道徳の系譜』で展開したように、反・道徳主義の巨魁である。
道徳は慣習の一つだから、高市の反・道徳主義は、高市が反・慣習主義であることに他ならない。天皇制度は、祖先の行為が堆積したことによって形成される慣習の清華の一つ。とすれば、高市のような反・慣習主義者は必ず天皇制度を破壊的に絶滅せんとする。ルソー主義から、ルイ16世国王がギロチン処刑され、レーニンがニコライ二世皇帝を銃殺した。高市早苗は、この仲間である。
政治家を目指した高市早苗の第一目的は天皇制廃止。高市の“天皇制廃止”妄執は今も猛炎
国防・国旗以外の分野では、高市は共産党や北朝鮮人と同志的であるのは、天皇制廃止の信条とスターリン計画経済の信奉で明らか。現に、高市は、1993年に無所属で初当選した直後、最初に訪れた政党がウルトラ極左「新党さきがけ」。この時、高市が会ったのは、共産党員の武村正義と北朝鮮人の田中秀征(社青同)。が、高市は幸運にも入党を断られ、その後、自民党で出世街道を歩むことになった。在日朝鮮人は、どんなに保守であっても反共であっても、強度な天皇制廃止。例外は一人もいない。拓殖大学教授・呉善花を思い起こせば、この事実は一目瞭然。高市も同じ。
昭和天皇への憎悪と殺意を爆発させた“純血コリアン”高市早苗の「昭和100年記念式典」式辞
高市は、(秘書官が代筆しようとしたのを拒否して自分で書いた)式辞の劈頭を、次の漠とした意味不明文で開始した。それは、外国人が日本人に向けて、投げやりな抽象語を羅列した浅薄な文。また、場違い甚だしい選挙運動用のキャッチコピー。
ともかく、昭和天皇を愚弄する、お粗末きわめる雑語を放っただけの悪文によって、高市早苗の(日本人でない)素性がバレてしまった。人任せを嫌い、「私は何でも一流で、神のような知識を持っているのよ」と自惚れるコリアン高市は、自分一人で演説草稿を書き、墓穴を掘った。
「私は、日本と日本人の底力を信じて已みません。日本の誇るべき国柄を未来に担う次の世代へとしっかりと引き継いでいく。私達には、その大きな責任があります。今日のこの日を、昭和の時代を顧み、我が国の伝統と歴史の重みを噛み締めながら、将来に思いを致す機会にしたいと思います」
が、天皇陛下が御臨席される昭和100年記念式典であれば、劈頭文は必ず次の様なものになる。
「昭和天皇が践祚されましたのは1926年12月。今年2026年は、それから百年目に当ります。《昭和が62年、平成が30年、令和が八年目》と、この百年で三代に亘る天皇を奉戴させて頂けましたこと、日本国民は、改めて無上の光栄と至福にただただ感激し深く感謝を申し上げる次第でございます」。
これに続くのは、必ず、昭和天皇の在位六十二年間にわたる御事績。その代表として一つ挙げるとするなら、次のようになるのではないか。
「この昭和・平成・令和の百年の歴史の中で、日本国民が忘れ難いのは、何といっても昭和天皇の1945年8月の終戦ご聖断と翌15日の玉音放送でございます。ポツダム宣言の受諾という皇恩により、有難くも多くの日本人の命と財産が守られ、戦後の日本は平和と経済発展に勤しむことができました。昭和天皇こそ日本国と日本国民を本当に救われたのでございます」。
「また、昭和大帝は、この玉音放送の後、次の御製を読まれておられます。『爆弾にたふれゆく民の上をおもひ いくさとめけり 身はいかならむとも』。この御製、崩御の翌1990年に公表されました。私は29歳でしたが、この御製に涙が止まりませんでした。日本国民は挙げて、昭和百年目に当たる今年を昭和天皇の御遺徳を偲ぶ年にしたいと思います。この誓いを、昭和天皇の御誕生日4月29日の今日、国民一同、心に刻みたいと思います」。
これが、昭和天皇御誕生日における昭和100年記念式典で、自然と沸き起こる普通の日本人の感情。しかし、天皇制廃止の妄執に生きる“不法入国の朝鮮人三世”高市早苗は、この式典の首相式辞で、昭和天皇に言及したのは唯の一回。次の御巡幸の一文のみ。奇天烈どころではない。
「昭和天皇は、全国各地を巡行され、戦没者・戦争犠牲者のご遺族を労り、戦後復興に勤しむ国民の皆様を励まされました」。
「重光葵は昭和政治家ナンバー・ワン」「国連加盟が昭和の最高の慶事」と嘯く、高市の妄言狂史
驚くのは、こればかりでない。「昭和時代の日本国の歴史の代表と言えば、1956年の国連加盟だ!」という共産党製の“世紀の珍説“を、高市早苗は次のように、不法入国した外国人である素性あらわに、この式典で披露した。どうやら、高市早苗の思想本籍の原点は、北朝鮮系マルクス・レーニン主義でコスモポリタン。高市早苗の頭の半分は、在日コリアン特有の無国籍人種。
「1956年、日本は国連に加盟します。重光葵外務大臣は、ニューヨークで高らかに謳い上げています。『霧は晴れ、国連の塔は輝きて、高く掲げし日の丸の旗』、と。国際社会への復帰は、日本の悲願でした」。
日本の国連復帰は、1952年以来、ソ連が断固反対。そこで、親ソ一辺倒の鳩山一郎は、1956年10月の日ソ共同宣言で、北方四島を貢ぐ代償として日本の国連加盟“ソ連支持”を買った。当時の自民党の国会議員の過半は、「国連加盟と北方四島を交換するとは何事か」と怒りに震えた。
岸信介は、この一人だった。日ソ共同宣言で生れて初めて政治に目覚めた小学六年生の私ですら、北方四島の方がいいのに、と思った。これが、1956年12月の日本の冷めた世論だった。
それだけではない。昭和の御代六十二年間で、代表すべき日本の政治家と言えば、吉田茂であり幣原喜重郎。歴史家の誰一人、ピンク重光葵を「政治家の日本代表」に挙げない。昭和天皇は重光葵を、レッド白鳥敏夫や親ナチ/親スターリンの松岡洋右のように蛇蝎と排除されなかったが、毛嫌いされておられた。日本の国際社会復帰に親身になって全力を講じたフォスター・ダレスは、重光葵を「馬鹿!」と軽蔑していた。
そもそも国際社会への悲願と言えば、通常、1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約の締結を指す。この9月8日、国民はこぞって万歳を叫んだ。翌1952年4月28日にサ条約が発効し日本国の主権が回復した時、日本列島中が歓喜に沸いた。が、日本の国連加盟日1956年12月18日に、そのような動きは日本のどこにも起きていない。“密入国のコリアン三世”高市早苗よ、日本の歴史を改竄するな! 捏造なんかするな! 朝鮮人・高市早苗を韓国に国外退去させるのを急ぐ必要がある。
親英米の幣原外交が近衛文麿の英米“敵視”(スターリン崇拝)に転換した、分岐点づくりが重光葵
重光葵とは、親英米の吉田茂・幣原喜重郎や、反英米の白鳥敏夫や松岡洋右の狭間にあって、昭和外交史においては二流の外交官。この「狭間」こそ、重光外交の本質を衝く言葉。
日本外交は、松岡洋右により国際連盟を脱退した1933年以降、迷走状態に落ちた。外交が複雑と混迷を極める1934年、「面倒だ。英米抜きの日本アジア独占外交にすればスッキリする」と、アジアからの英米排除を打ち出したのが重光葵。重光の頭は単細胞で、複雑な状態を解く英才型の思考はできなかった。この重光の意を体したのが、アジア・モンロー主義の天羽声明。
ここに、明治維新に始まる日本の親英米路線は終焉した。三年後の1937年7月、近衛文麿による対蒋介石“殺害戦争”というべき日中戦争の開始は、実は、この重光葵・天羽声明の延長上で起きている。重光外交を誰も評価しないのは、重光葵の鵺的な単細胞外交を誰でも軽蔑するからだ。
だが、高市早苗は、歴史に無知蒙昧だからなのか、重光葵を絶賛。韓国系朝鮮人の思考だから、我々日本人には理解不能。それとも、「重光葵→天羽声明→スターリン命令の対蒋介石“殺害”戦争→対英米戦争」となったことで、高市は重光を高く評価するのだろうか。そうならば、高市はスターリン崇拝“狂徒”ということになる。
「古橋ではなく猪谷」「東京五輪(1964年)でなくコルティナ冬季五輪(1956年)」と嘯く、高市の妄言狂史
高市早苗の珍説狂史は、さらに続く。日本の国際社会復帰のスポーツの代表として、高市は猪谷千春を挙げる。「国際社会への復帰は日本の悲願でした。1956年、イタリア・コルティナで、スキーの猪谷千春が、冬季五輪で日本人初のメダルを獲得します。日本中が歓喜に沸きました」、と。
アホラシ。確かに、猪谷の銀メダルに、日本中が歓喜に沸いた。だが、スポーツの国際社会復帰と言えば、通常の日本人なら、誰でも水泳の古橋廣之進を思い出す。
古橋は、マッカーサー元帥の好意と激励で、1949年8月、旧敵国の米国ロサンゼルスの全米水泳選手権に招待選手として参加。400㍍と800㍍自由形で世界新記録を樹立し、「フジヤマのトビウオ」と米国人の心を鷲掴みした。古橋への日本国民の熱狂に比すれば、猪谷千春のはその十分の一。新聞や雑誌での報道を比較すれば明らか。高市は日本の歴史を、悪意をもって改竄している。
昭和天皇あっての「昭和百年」。が、昭和天皇を抹殺するのは、日本国簒奪が高市の野望だからか
コリアン高市早苗の奇々怪々な異様な捏造歴史は、日本人には意味がよくわからない。現に、高市の言説「七十年前(国連に加盟した1956年)の日本には、今日より明日はよくなる(との)希望が確かにありました」の意味が理解できる日本人など、一人もいまい。
われわれ日本人は、戦後日本で、戦災復興と再びの繁栄に希望を抱いたのは、第一は、昭和天皇の御巡幸。これは1946年2月、川崎市・横浜市から始まった。同年6月の千葉巡幸では、昭和天皇は、御製「国を興す もとゐとみえて なりはひに勤しむ民の姿 たのもし」と謳われた。
第二は、日本の戦後復興に惜しみなく協力したGHQとマッカーサー元帥から、日本は未来に希望を得た。特に、1950年からマッカーサーが「安かろう、悪かろう」の質に難がある日本製品を優先的に買い上げた朝鮮特需は、日本の戦災復興を決定づけた。マッカーサーが解任され離日する1951年4月16日、羽田空港までの沿道に日本人二十万人以上が駆け付け、感謝を表した。
第三は、親日のフォスター・ダレスがサンフランシスコ講和条約で、戦勝国に日本への賠償請求を放棄させた。これによって、オランダや豪州などに移送される予定だった多くの主要工業が日本にそのまま残った。
高市早苗の本心の半分は、日本憎悪に燃える外国人。だから、高市は、荒唐無稽な大嘘「日本の戦後史は、1956年12月の国連加盟に始まった」を捏造できる。
具体的には、親日GHQ占領の善政(1945年9月2日~1952年4月28日)によって、日本人が未来に希望を抱いた戦後復興期を歴史から抹殺したいのである。また、日本人が戦後復興に励まされた昭和天皇の御巡幸(1946年2月~1954年8月)を、歴史から抹殺したいのである。日本人の希望ある戦後は1956年12月に始まったとすれば、朝鮮特需もGHQも存在しないし、昭和天皇の御巡幸も存在しないし、サンフランシスコ講和条約も存在しない。
高市は、何を狙って、昭和天皇を日本歴史から抹殺するのか。歴史からの昭和天皇の抹殺は、日本から天皇制度を抹殺する高市の底意の暗喩であろう。即ち、高市は、天皇制度を廃止して、ドイツの頂点に立ったヒトラーと同じく、日本の頂点に立ちたいのである。日の丸も日本領土も守り抜く高市早苗の信条は、日の丸も日本領土も高市早苗の私物と考える狂気の強欲に発している。
が、ドイツの頂点に立ったヒトラーは夢想「ドイツ千年王国」をドイツ国民に刷り込んだが、その実、ドイツの廃墟と地獄に向かって大爆走していた。高市もヒトラーと同じく、日本の国防力強化に爆走しているが、同時に「積極財政」を通じて日本の経済崩壊という日本の廃墟と地獄を目指している。
単なる超バラマキ福祉である、北朝鮮人の藤井聡から注入された高市の「積極財政」は、いずれ、日本を天文学的なインフレ地獄に突き落とす。その時、日本経済は崩壊し、日本は廃墟の中で終焉する。最期の高市早苗は、ヒトラーと同じく、ピストル自殺するのだろうか。
(2026年5月5日記)